2022年6月25日 (土)

匝瑳市松山城の御城印販売開始

今月も御城印のデザイン&プロデュースさせていただきました。
千葉県匝瑳市の松山城です✨

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2022年6月25日(土)の販売開始です。
販売情報は一番下に描いてありますので、よろしくお願いします。

☆松山城の説明
松山城は松山神社が鎮座する台地上に築かれました。「松山」「中台」という大字にまたがり広範囲に渡って城郭や家臣屋敷などが置かれ、集落が形成されていたと思われます。かつては台地を取り囲むように施された土塁の断片が見て取れたといい、現在、松山神社周辺に曲輪や空堀、土塁らしきものが残ります。

さらに、「御門」「大木戸」「馬場」「蔵屋敷」「殿ノ内」「花輪」「堀ノ下」「松葉(的場の転訛とみられる)」などの城郭に関連する地名が周辺に残っていることからも、台地上の広範囲に渡り築かれた城であることが推察できます。

松山城は千葉一族の松山氏の居城と伝わります。松山氏は千葉常胤の弟椎名胤光の子の胤平を祖としており、椎名氏は千葉荘椎名を領していました。

頼朝による木曽義仲討伐軍、平家討伐軍の中に椎名胤平(松山胤平)の名前が見え、胤平が頼朝に従って戦っていたことがわかります。それらの功により、椎名氏は南条荘(匝瑳市)を与えられ、胤平は松山に入ったと考えられています。
その後も松山は中世を通じて松山氏の領地として続き、戦国期には松山の台地上に城が築かれました。詳細は不明ですが、松山氏は戦国時代末期には主家である千葉氏を通じて小田原北条氏に属していたと思われます。

 

【御城印デザインのご説明】

松山城が築かれた台地には、八日市場、生尾、吉田、佐倉を結ぶ街道が通っています。江戸時代には「上宿」「中宿」「下宿」「横宿」の存在が確認でき、それらの宿の形成は中世に遡る可能性も指摘されています。このように松山の台地は、古くからの交通の要衝でした。

街道を取り込むように築かれた松山城の御城印は、街道と集落をイメージしました。そして、この地域の中心であり、平安時代の創建と伝わる松山神社の光景をモチーフにしました。江戸時代において、松山神社は徳川幕府より扶持米が下される格式を有する神社であり、このような地位の神社は下総国では銚子市の猿田神社と松山神社のみです。
あわせて御城印には、千葉一族の家紋「月星」と、千葉一族を出自とする松山氏の家紋「九曜」を配置しました。


販売場所
○そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)

千葉県匝瑳市八日市場イ137-1

電話番号 0479-73-5015

営業時間9時から18時

年中無休

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)




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2022年6月23日 (木)

オープントップバスで行く!三浦一族ゆかりの衣笠城&運慶展!

鎌倉殿の13人もどんどん盛り上がってきてます!
今回もドラマにまつわる楽しいツアーのご案内です。

横須賀市観光協会主催の「オープントップバスツアー」です!
いつもと違う目線の高さで、横須賀を回ってみませんか?
もちろんバスの中でもたくさんお話させていただきます♡

三浦一族ゆかりの貴重な仏像が勢揃い!
なんと、国指定重要文化財が17体も!
三浦一族ってすごい!ほんとスゴイ!

【7月・8月限定】オープントップバスでゆく!歴史・文化体感ツアー – 横須賀市観光協会 (yokosuka-kanko.com)
申し込みは横須賀市観光協会HP。電話でも大丈夫です。

以下は横須賀市観光協会HPより引用。

「オープントップバスでゆく!歴史・文化体感ツアー」は、横須賀ゆかりの氏族「三浦一族」が生きた時代の歴史と文化を、オープントップバスでめぐりながら「見て、学んで、体感」するツアーです。下記2コースからご興味のあるコースをお選びください♪(両方参加も大歓迎!)
また、当ツアーは通常代金から2,000円OFFの夏季限定特別価格でとってもお得!
お友達、ご家族で、この機会に皆さまお誘いあわせのうえご参加ください★

◆歴史コース◆ 三浦一族の浪漫を探してwith山城ガール
「三浦一族」の歴史をテーマに、スペシャルツアーガイドの山城ガールむつみ氏と一緒に「三浦一族」の本拠地 衣笠城を訪ね、歴史を体感します。歴史が苦手な方も分かりやすく楽しめるガイドが評判です!

  1. 横須賀美術館で7月6日(水)から開催の企画展「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」で、市内寺院所有の運慶および運慶工房作の仏像や貴重な資料などを見学します。
  2. 観音崎京急ホテルのランチブッフェ付き!東京湾の絶景を眺めながら、ブッフェ形式のランチをお楽しみください。(90分制、ソフトドリンクバー付き)
  3. 「三浦一族」和田義盛が建立の勝長寿院 浄楽寺で、運慶仏で国指定重要文化財の阿弥陀三尊を拝観。(所有運慶仏5体のうち、2体(不動明王像、毘沙門天像)は横須賀美術館で見学します。)
  4. 2階建オープントップバスに乗車します。オープントップバスは通常の観光バスよりも座席位置が高く、パノラマの眺望をお楽しみいただけます。

< 詳細 >

①歴史コース:三浦一族の浪漫を探してwith山城ガール

【開  催  日】2022年 7月8日(金)、22日(金)、8月4日(木)、24日(水)

【集合場所】ヴェルニー公園内ティボディエ邸前 (9:00集合)

【定   員】40名 *先着予約順 *最少催行人員25名 *7月22日のみ25名様

【代   金】通常価格 大人@9,800円のところ・・・2,000円OFF!

 大人(高校生以上)@7,800、中学生@5,900、小学生@4,900、未就学児@1,900

※未就学児とは4歳~小学校入学前のお子さまです。

(0歳~3歳のお子さまは、バス座席や食事は付きません。)

 

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2022年6月16日 (木)

YouTube新作公開のお知らせ✨

やっと、YouTube新作がアップできました!
前編公開からかなり時間が経ってしまいましたが、よかったら観てみてください✨

撮影したのは1年前。その後に、この撮影コースは何度もツアーをやったのでなんだか懐かしい感じ。
またツアーやりたいな。

(846) ~鎌倉殿の13人!三浦一族&源頼朝、房総半島に脱出の巻~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!いざ、安房国へ!(後編)』 - YouTube

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YouTube新作公開のお知らせ✨

やっと、YouTube新作がアップできました!
前編公開からかなり時間が経ってしまいましたが、よかったら観てみてください✨

撮影したのは1年前。その後に、この撮影コースは何度もツアーをやったのでなんだか懐かしい感じ。
またツアーやりたいな。

(846) ~鎌倉殿の13人!三浦一族&源頼朝、房総半島に脱出の巻~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!いざ、安房国へ!(後編)』 - YouTube

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2022年6月14日 (火)

新ツアーのお知らせ

4回講座のお知らせです。
座学1回・FW3回です。
もしよろしければご参加下さい✨

いざ、「武家の都」鎌倉!鎌倉歴史歩き(全4回) - カルチャープラザ平塚|平塚市、ららぽーと平塚、湘南周辺で趣味・習い事をお探しなら (culture.gr.jp

講座の料金、入会金などのお問い合わせは(株)カルチャー平塚教室にお問い合わせ下さい。

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2022年6月10日 (金)

「ヨコハマNOW」に記事書いていただきました

記事を書いていただきました✨
普段あんまりお話しする機会がない、学生時代の話とか赤裸々に書いていただきました笑
なかなか活動のきっかけとか、色んな想いをお伝えする場がないのでこういう風に記事にしていただくのはとても嬉しいです✨
もしよろしければ読んでみてください♪

 https://yokohama-now.jp/home/?p=21177

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2022年6月 9日 (木)

伊東一族をめぐる旅!のあたびツアー

6/18・6/24 八重姫物語!伊東氏ゆかりの地めぐりと伊豆山権現詣り | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

告知が遅くなりましたが、今月もバスツアーのあたび鎌倉殿の13人ツアーやります♪
まだ申し込めますのでよろしければ!

 

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2022年6月 4日 (土)

日刊スポーツ記事掲載


今日の日刊スポーツさんにツアー記事を書いていただきました✨
先月の横須賀市観光協会さん主催ツアーです。
満願寺、佐原城、慈眼院、怒田城などを回って、たくさん歩いて歴史ロマンを堪能するコースでした♪

カラーでたくさん写真載せていただいて、ツアーの楽しさが伝わります。
あと、三浦一族という文字が紙面にたくさん踊ってる🙌
お馴染みの私の寸劇も写真に!❤
もしよかったら読んでください♪

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ネットでも読めます🗞




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今回は満願寺からスタート。
佐原義連開基と伝わるお寺。国重文の地蔵菩薩、観音菩薩を拝観しました。
義連ゆかりの仏像と伝わります。
高僧俊芿(しゅんじょう)がこの寺の創建に関わったと思われます。
寺域は今の数倍あったのでしょうね。





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ここでは、三浦一族佐原系の歴史をお話。
矢部禅尼と北条泰時、そして、再嫁先の佐原盛連。
その子供たちから始まる、三浦一族シーズン2✨
タップリお話しさせていただきました。



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満願寺の後は佐原城へ。ここでは地元の手作り甲冑隊がおもてなししてくれました。

写真がなくてすみません。紙面に甲冑隊の方々との記念写真が載ってます♪
地元の愛情をいただき、次のスポットへ!





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お次は茅山貝塚。現在は慈眼院です。
ここは縄文時代の貝塚ですが、そのあと15世紀に寺が創建されたと伝わります。詳細は不明ですが、立地的に私は砦のようなしかるべき施設ではないかと思っております。
なぜなら、対岸は怒田城。海からのルートの最重要地です。
しかも、貝塚。怒田城も吉井貝塚です。ということは、古くから人が集落を構えていた台地です。
上書きされて中世も何らかの形で使われたのではないでしょうか?
ちなみに山裾からは、今での大量の貝が出てきて面白いです✨




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正業寺に寄ってから怒田城へ。
今回は結構歩きます。かつての海をまたいで対岸へ。最終的には4時間で17000強。
歩いたー!という心地よい疲れあり。

正業寺は砂村新左衛門のお墓があります。かつての古久里浜湾が入り込んでいた湿地をで時代の頭に干拓した、幕府のスーパー技術者です。干拓されて、内川新田となりました。
なので、怒田城から、それ以前の海や湿地だった様子、船が行き交うようなそんな景色を想像して皆で思いを馳せました。




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ここでは、石橋山の戦い、小坪合戦、衣笠合戦。
そして、衣笠城から脱出して、この怒田城から船で安房に渡る経緯をタップリとお話ししました。
大河ドラマではあまり描かれませんでしたが、日本の歴史を左右するほどの大事件がココで起きていたのです✨



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今回は対岸から歩いてきたので、いつもよりもさらに想像力がパワーアップ。
だれの眼にも、この景色が青々とした海が入り込み、三浦一族の船が行き交う光景が浮かんだことでしょう。
今回も大盛り上がりで楽しいツアーでした♡

暑くなるので、しばらくは山の中じゃなくて街中の歴史ブラタモリ的なツアーが多いと思いますが熱中症に気をつけて楽しく歩きましょう〜💨

秋以降に向けてのツアー下見&コース造成や、あんなことやこんなことなども進んでますのでお楽しみにしててください(^^)



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2022年5月24日 (火)

新しい御城印のお知らせ!千葉県八千代市の吉橋城 米本城

今月も新しい御城印が販売になります。
千葉県八千代市の吉橋城と米本城です。
どちらのお城も面白いです。
歴史も満載なので、周辺を歩いて当時に想いを馳せてみてください。
お城の詳細は以下です✨


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【吉橋城のご説明】千葉県八千代市

吉橋城は印旛沼水系である桑納川の南に位置する台地の先端に築かれました。現在、貞福寺がある台地一帯が吉橋城の城域とされています。貞福寺は真言宗の寺で、応永元年(1394年)に創建されたとされます。江戸時代に書かれた『貞福寺文書』には吉橋城に関わる記載があったといわれますが、残念ながら現存していないため詳細は不明です。

吉橋城が築かれた台地の付け根には八幡神社が建っていて、この場所に「大木戸」があったと伝わっています。他にも周辺には「花輪」など、城の存在を連想させる地名が残っています。

築城年代や城主等の詳細は不明ですが、高木(高城)伊勢守胤貞が城主だったと伝わっています。高木(高城)氏は小金城主高城氏との繋がりが指摘されています。小金城主高城氏は千葉氏の庶流である原氏の家臣であることから、高城氏に繋がる高木(高城)氏が原氏の居城であった臼井城の西方の防衛として吉橋城に入ったことが推察されます。

貞福寺の北側には土塁で囲まれた曲輪があり、周囲には空堀、櫓台も残っていて、城域はかなりの広さだったと思われます。吉橋城はこの地域の中心的な城郭として、東方2kmの距離にある同じく原氏の家臣村上氏の米本城と連携して機能していたことが考えられます。

 

【御城印デザインのご説明】

吉橋城の御城印には、千葉一族の家紋「月星」と「九曜」をデザインしました。吉橋城の周辺には、千葉一族が信仰した「妙見」が祀られ、「妙見橋」などの名が残ります。それらのことからも、伝承の通り、千葉一族の系統と称する高木(高城)氏が城主だった可能性が高いです。
あわせて、吉橋城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。桑納川などに囲まれた要害であることがわかります。

吉橋城にはいくつかの落城伝説や合戦の伝承があります。詳細は定かではないものの、地元ではそれらの伝承を大切にしてきました。そのひとつに、吉橋城落城の際にたくさんの血が流れ、それらの戦死者を弔うために祀られたという「血流地蔵」の伝説があります。御城印はその伝承をモチーフにし、お地蔵様の姿を描きました。






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【米本城のご説明】千葉県八千代市

米本城は新川の東岸に位置する舌状台地に築かれました。後世の土取りによって、先端は原型をとどめていないものの、土塁、土橋、櫓台などの遺構が良好に残っています。

米本城の東側には「上宿、中宿、下宿」の地名が残っていて、これらの宿の形成は中世まで遡ると思われます。このことからも、米本城が街道に面した要衝に築かれたことが分かります。

米本城の南西にある根小屋集落の先には、「城橋」の地名が残り、新川を渡る橋が架けられ、渡河点であったことが推察されます。まさに米本城が陸路と水路の結節点を押さえる役目を担っていたことが分かります。

米本城の築城等の詳細は不明ですが、村上氏の城と伝わっています。村上氏は千葉氏の庶流である原氏の家臣であることから、原氏の居城である臼井城の防衛の役目を担い、米本城に入ったと考えられています。村上綱清が城主のときに落城し、綱清が討ち死、もしくは自害したという伝説も残っています。それらの真偽は定かではありませんが、城内から炭化米が出てきたことや、新川を挟んだ対岸に太田道灌が陣を敷いたという言い伝えがあることなどから米本城がなんらかの戦いの舞台になったことが推察されます。

米本城はこの地域の中心的な城郭として、西方2kmの距離にある同じく原氏の家臣高木(高城)氏の吉橋城と連携して機能していたことが考えられます。

【御城印デザインのご説明】

米本城の御城印には、千葉一族の家紋「月星」と「九曜」をデザインしました。米本城主村上氏は、鬼門に米本神社、裏鬼門に七百余所神社を置きました。どちらも妙見信仰です。村上氏は千葉一族の出自ではないとされているものの、主筋にあたる原氏の信仰のシンボルを城内に置いたと思われます。村上氏は信濃国村上一族を出自とするとも伝わるため、信濃国村上氏の家紋をデザインし、あわせて飯綱権現をモチーフにしました。米本城と新川を挟んだ対岸に飯綱神社があり、信濃国村上氏は飯綱権現とゆかりが深いことから、信濃国村上氏と米本城主村上氏の繋がりを感じることができます。また、この飯綱神社は太田道灌が陣を置いたという伝承がのこる場所です。
そして、米本城城山の地形が分かる地図をデザインしました。新川などに囲まれた要害であることがわかります。


販売情報はコチラ

※5月28日(土)販売開始

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

※5月27日(金)販売開始

○八千代市観光協会

千葉県八千代市八千代台東2-8-1

047-407-0192

営業時間 10時~15時 火曜・金曜のみ営業



歴×トキの通販でも取り扱います。
通信販売 | 歴×トキ (rekitoki.com)

 




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2022年5月19日 (木)

ガタゴトバスツアーin匝瑳市

募集開始になったツアーのお知らせです。
7月10日(日曜)
貸切路線バスで回る山城ツアー。
ガタゴトバスでGO!
JRバス関東さんのツアーです🚌

空港第2ビル駅集合&解散です。
第2弾は千葉県匝瑳市へ🚌
匝瑳は古代から水陸交通が発達していたため、歴史ロマンが満載です。
今回は戦国時代の山城「八日市場城」と「飯高城」、さらに飯高城の周辺に築かれた砦をまわります。

八日市場城は千葉氏家臣の押田氏の城とされています。八日市場城を楽しんでいただけるウォーキングルートを考えました🙌
きっと、すごく楽しい!
飯高城は今は飯高寺となっています。かつては、千葉氏家臣の平山氏の城だったと伝わっています。飯高城を囲むように、台地の先端に櫓台などの遺構が残ってます。それらを楽しめるウォーキングルートを考えました🙌
これまたきっと、すごく楽しい!

一緒に地形などを見ながら歩くと、当時の姿が想像でき、歴史を感じることができます。
バスに揺られながら、地域に残る色々な歴史を楽しみましょう!

さらには、美しい庭園と庭園に点在する彫刻などを楽しめる松山庭園美術館の見学もあります。
松山庭園美術館では特別展示「猫ネコ展」がお楽しみいただけます。
山城も古刹も景色も、そしてネコちゃんまで!🐱
盛りだくさんのツアーです!

よろしければお申込みください^_^
ワクワク楽しみ❤

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2022年4月30日 (土)

衣笠城ツアー募集開始のお知らせ

ツアー募集開始になりましたのでお知らせです✨
6月5日(日)
衣笠城に出陣!
今回は午前座学、午後衣笠城へ。
丸一日楽しめるツアーです♪

きっと何度歩いても楽しいです。
なぜなら100回以上衣笠城の周辺を歩いてる私でも毎回楽しいから笑

申し込み締め切りは5月16日。応募多数の場合は抽選です。
詳細は衣笠観光協会HPもしくはチラシをご覧下さい。

【参加者募集】歴史体験ウォーキングツアー「三浦一族の足跡を追え!(第3回)」 - 衣笠観光協会 (yokosuka-kanko.com)

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2022年4月27日 (水)

吉川弘文館「本郷」

とても嬉しいのでご報告!!
あの吉川弘文館さんの『本郷』に寄稿させていただきました✨
「歴史のヒーローヒロイン」というコーナーです。

私が書いた人物は”矢部禅尼”です。
三浦義村の娘で、北条泰時と結婚して北条家嫡男である時氏を生みました。
時氏の子、経時と時頼が4代、5代の執権になりました。
時氏は早世してしまいましたが、矢部禅尼の孫たちが執権になったのです。

矢部禅尼と泰時は離縁しますが、彼女はその後、同じ三浦一族の佐原盛連と再婚しました。
そのことから、1247年に起きた三浦氏と北条氏が戦った宝治合戦で三浦宗家は滅びましたが、佐原氏は北条氏に味方して、その命脈を繋ぎ、三浦宗家を継ぎました。さらには、会津の蘆名氏へとその血が繋がっていきます。

そんな矢部禅尼を三浦一族にとってのヒロイン、そして私にとってのヒロインとして書かせてもらいました。
よろしければ、お買い求めください。200円ですが、内容がものすごいです。
執筆されてる先生方の豪華なこと!!


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2022年4月22日 (金)

和田城・松尾城・埴谷城の御城印販売開始のお知らせ

4月23日(土)から新しい御城印が販売されますのでお知らせです。
千葉県香取郡東庄町の和田城、千葉県山武市の松尾城と埴谷城の3城です。
またデザインと同封説明文を担当させていただきました。

詳細はこちら。


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【和田城のご説明】千葉県香取郡東庄町

和田城はかつての椿の海から入り込んだ入江左岸の丘陵に築かれました。周辺を湿地に囲まれた要害だったと思われ、「舟戸」の地名が残ることから、水運と密接に繋がっていたことが分かります。谷を挟んで南方には桜井城、入江を挟んで北東に大友城があることからこの地域の重要性が分かります。さらに、須賀山城、森山城、小見川城などの主要城郭へ続く北進する街道が付近を通っていて、まさに水陸の要衝地です。

和田城の築城等の詳細は不明ですが、千葉一族である上代(かじろ)氏の居城だったと伝わり、城内には千葉神社が鎮座しています。千葉神社の北方直下には三日月形の横堀が掘られ、さらに一段下に横堀が入り、そこから雛壇状の曲輪が続いています。その下は根小屋集落が形成されていたと考えられ、今でも当時の雰囲気を色濃く残しています。

和田城は主要な2つの曲輪で形成され、その曲輪を守るように横堀、土塁、腰曲輪が施されていて、戦国時代の城郭の姿を良好に残しています。 

 

【御城印デザインのご説明】
千葉一族である上代氏の居城と伝わる和田城の御城印には、千葉氏の家紋「月星」、「九曜」をデザインしました。そして、椿の海へと続く水上交通の要衝地だったと思われることから、近くを船が行き交う様子を描きました。

和田城には合戦が行われた伝承が残っています。真偽のほどは定かではありませんが、正木氏の下総侵攻の際にこの地域がかなり緊迫した状況下に置かれたことが推察され、戦死者を祀ったと伝わる「左右大神」などが残ることから、和田城周辺で何らかの戦闘があったことが推測できます。そのため、御城印には和田城で奮戦する上代氏とその家臣団をイメージしました。

なお、東庄町発行の和田城の御城印は、日本のみならず海外でご活躍の英国王立美術協会の名誉会員でもある岩井颯雪様にご揮毫いただきました。

和田城のご購入はコチラ

○東庄町役場
千葉県香取郡東庄町笹川い4713-131
0478-86-6075(東庄町観光協会事務局)

○東庄町観光会館
千葉県香取郡東庄町笹川い580-1
0478-86-6075(東庄町観光協会事務局)

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)



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【松尾城のご説明】千葉県山武市

松尾城は明治2年に築かれた松尾藩の城です。明治元年に徳川家が駿河、遠江に移封になったことを受けて、遠江国掛川藩は上総国に国替えとなりました。当初は芝山観音経寺(山武郡芝山町)を仮藩庁としたため、柴山藩と称していましたが、その後、大堤村、猿尾村、八田村、田越村の村域に新たに城郭を築き、藩庁と城下町を建設することになりました。新たな城郭は、九十九里浜を望む木戸川東岸の台地に占地され、西洋の稜堡式多角形要塞の建築が始まりました。

そして、掛川城本丸の南にあった「松尾池」、その南の「松尾曲輪」に因み、城名を「松尾城」としました。明治3年に藩庁(現松尾自動車学校)と藩主の居館である御住居地(現松尾中学校)、そして城下町が完成すると、柴山から移り、藩名を「松尾藩」に改称し、太田資美を藩主とする松尾藩5万石が成立しました。

しかし、明治4年に廃藩置県を迎えたため、松尾藩はその他の諸藩とともに松尾県に組み込まれ、松尾城は未完のまま廃城となりました。

松尾城は当初の計画では四稜郭の予定でしたが、地形等の制約により、最終的には三稜郭となりました。三稜郭は日本では松尾城が唯一となる貴重な遺跡です。

 

【御城印デザインのご説明】

松尾城の御城印には、松尾藩主太田氏の家紋「丸に桔梗」をデザインしました。松尾藩が成立したときの当主資美から数えて15代前の当主が道灌(資長)にあたります。道灌は桔梗紋を好んだと伝わっています。あわせて、「違い鏑矢」の家紋もデザインしました。この家紋は桔梗紋よりも古い時期から太田家で使われていたともいわれています。

そして、「臨時築法四稜城之図」をモチーフにしました。これは松尾城の計画絵図と考えられていましたが、調査の結果、16世紀初頭にオランダが植民地に築いた城塞とほぼ同じであることが判明しました。この絵図の入手経路などは不明なものの、松尾城築城には蘭学が大きな影響を及ぼしたことが分かる貴重な図面といえます。 

さらに御城印には掛川城の天守をデザインしました。掛川城から移封になりながらも、新たな城名と藩名に「松尾」の名を付けた藩主と藩士らの想いが偲ばれます。

 


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【埴谷城のご説明】千葉県山武市

埴谷城は山武市内を南北に流れる境川の左岸に広がる台地上に築かれました。標高は40mほどですが、周囲はかつて水田となっていて、湿地に囲まれた要害です。

台地の突端を利用し、地形に沿った五角形の単郭構造となっていて、腰曲輪が周りを囲んでいます。折れを伴う土塁や堀の痕跡が見て取れます。

築城等の詳細は不明ですが、上杉禅秀家臣の埴谷氏や、千葉一族宍倉氏との関連が指摘されています。
埴谷氏は、秩父平氏を出自とすると伝わり、関東管領を務める家柄の犬懸上杉氏の執事だったといわれています。犬懸上杉氏は上総国守護を務めていたため、埴谷氏がいずれかの段階で上総国埴谷に入植したと考えられます。重氏の代に、主人である犬懸上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方足利持氏に対して反乱を起こした「上杉禅秀の乱(1416年)」が勃発しました。翌年、乱は鎮圧され、禅秀は鎌倉で自害しましたが、上総国内で禅秀方の残党が処遇に対する不満から上総本一揆とよばれる一揆を形成し、鎌倉府の軍勢と戦いました。その上総本一揆の拠点のひとつが埴谷城だったと考えられています。

 

【御城印デザインのご説明】

埴谷城の御城印には、千葉氏の家紋「月星」、千葉一族宍倉氏の家紋「九曜」と、埴谷氏の主家である上杉氏の家紋「竹に雀」をデザインしました。埴谷氏は「鍋かむり日親」で有名な、日蓮宗の高僧日親(1407年-1488年)を輩出した家です。日親は、埴谷城下の妙宣寺で修行したといいます。

あわせて、埴谷城の築かれた台地の地形が分かる地図と、上総本一揆の拠点のひとつだった埴谷城に集まった埴谷重氏をはじめとする上杉禅秀の残党の姿をイメージしました。

 

 松尾城と埴谷城のご購入はコチラ

○わがまち案内処(山武市観光協会)

〒289-1345 千葉県山武市津辺361-13

0475-82-2071

営業時間9:00~16:00

休館日12月29日から翌年1月3日

 

○道の駅あずの里いちはら

市原市浅井小向492-1
TEL 0436-37-8891

営業時間 午前9時~午後6時 ※一部営業時間が異なります。
定休日 毎月第2火曜日(祝日の場合は翌日) 、1/1~1/3

 

○千葉ポートタワー

千葉市中央区中央港1丁目
電話:043-241-0125

[6月~9月]
9:00~21:00(毎日)
[10月~5月]
9:00~19:00(月~金)
9:00~20:00(土日祝)
※最終入館は閉館時間の30分前までになります。

休館日12月28日~1月4日、2月28日(月)

※安全上において、強風等により臨時休業する場合があります。

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)




 

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2022年4月20日 (水)

いざ、修善寺へ!源範頼&源頼家をめぐる!

新しいツアーのお知らせです♪

いざ、修善寺へ!修善寺では源範頼&源頼家をめぐります。そしてなんと、さらに安達盛長も!
という満載コース。さらに伊豆の国大河ドラマ館と箱根権現も✨
モリモリツアーです。よろしかったら一緒に歴史の旅へ♪


5/28・5/31 いざ、修善寺へ!伊豆の国大河ドラマ館と箱根権現詣り | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

6月は伊東をめぐります。日にちだけお伝えすると、6月18日(土)、6月24日(金)の2日程です。
よかったらご予定開けといてください✨

それと、頼朝の足跡を追う房総半島ツアーもあります。
6月11日(土)
いざ、上総国へ! 上総氏ゆかりの一之宮玉前神社詣と千葉氏ゆかりの亥鼻城 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
一緒にたくさん楽しみましょうー♡


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2022年4月13日 (水)

小川町・四ツ山城ツアー


埼玉県比企郡小川町でツアー✨
天気良くて、目に入るもの全てが美しくて最高の1日!
今回は下里・青山板碑制作遺跡(割谷地区)、晴雲酒造、四ツ山城、鎌倉街道散策(奈良梨宿、陣屋など)を回りました。
小川町駅に集合して観光バスで回りました🚌

バスでしたが15000歩くらい歩く気持ちの良いツアーでした🐾

小川町では、歴史と城を生かして町を盛り上げようという動きが出てきています。そんな中、御城印発行に至り、今回のツアーが実現しました✨


四ツ山城に行ってビックリ!
なんということでしょう!
前は全く見えなかった箇所、足を踏み入れることもできなかった箇所が大規模に伐採されてました!今回のツアーのために、四ツ山城保存会の方々がかなりの整備をしてくれてました(T-T)

「ここ、当時の城道だと思うので歩けるようになったら良いですね」と、前にお話しした場所も伐採してくださってて、どれだけ大変だっただろうかと驚くほどの作業量でした。


現地でも会の方々が温かく出迎えてくれて、資料やお茶も振る舞ってくれて♪
参加者の方々もとても喜んでくれまして、感謝の気持ちで心がいっぱいです✨

これからも小川町いろいろ企画がありますので、楽しくやっていきたいと思います✨
ぜひ、四ツ山城へ行ってみてください。小川町駅周辺も風情がありますし、新しいオシャレな飲食店も増えてきてとても楽しいですよ♪

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みんなで足元の石を眺めてるだけで1時間経ってしまった。今までツアーでたくさん板碑の話をしてきたので、参加者の方をここにご案内できて感無量✨

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荒く成形されているのを見つけて、みんなで大はしゃぎ♪


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晴雲酒造の玉井屋さんでランチ。
美味しかった。
ここに、ひりゅうずとデザートが追加されました。
特に酒粕のブラマンジェ!美味ー!


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鎌倉街道や市野川を見下ろすように位置する四ツ山城。
想像が膨らむから、まわりの景色が見えるようになるといいな、と前に話したら…。
なんと伐採してくれていて、まわりの景色が丸見え歴史的な背景を話しながら、みんなで思いを馳せました。










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保存会の方々がご挨拶してくれました。あと、城主と伝わる増田重富の御子孫の増田さんも来てくれました♪


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一歩も踏み入れられなかった箇所が全て伐採されてました!ここから、下の腰郭、さらには麓に下りていけます。


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八和田神社。前は諏訪神社。
方形の堀と土塁で囲まれていて、奈良梨陣屋として裏に案内板あり。奈良梨宿は古くから宿が形成されてました。
齋藤慎一著「中世東国の道と城館」、榎原雅治著「地図で考える中世」などを読んで下見したので、この周辺ものすごく面白かった!


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数日前、ツアー下見へ。
自転車で今回のコース全て回って、しんどかったです。
久しぶりに筋肉痛になるほどの運動量。
アップダウンすごくて。
当日、なんてバスって楽なんだろうとしみじみ思いました🚲


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下見では下里分校にあるカフェにも立ち寄り。
おしゃれで素敵なお店が小川町にはたくさん✨

 

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2022年4月11日 (月)

月刊Will増刊号 YouTube出演

月刊Will増刊YouTubeに登場させていただきました。
以前本誌の方で、外川先生とのお城めぐり企画に登場させていただきましたが、このたび外川先生の本が発売となりましたので本の紹介や、お城のお話をしてます。良かったら、ご覧下さい✨
https://www.youtube.com/watch?v=3U28CvrEYCo


★外川淳 著『近世城郭 見尽くし、撮り尽くし』購入はコチラ!
・Amazon
近世城郭 見尽くし、撮り尽くし | 外川 淳 |本 | 通販 | Amazon

 

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2022年4月 9日 (土)

最近載せていただいた新聞記事

ガタゴトバスツアーなどを記事にしていただきました。
取り上げていただくのは嬉しいですね✨
もっともっと色んな場所にスポットが当たりますように。


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千葉日報



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東京新聞




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産経新聞


大河で注目 千葉常胤と上総広常 御城印帳の表紙に 山城ガールむつみさんデザイン:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)



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2022年4月 7日 (木)

城組

2022年4月6日(シロの日)に、萩原さちこさんと

一般社団法人 城組

を設立いたしました。

「しろぐみ」と読みます。
かわいい響き。親しみやすく、楽しそうな団体名にしました。
城組さーん!はーい!…と言いたくなる感じ笑

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ロゴも最高です✨


さちこさんとは数年にわたり、お互いの色々な想いや仕事のことをたくさんお話ししてきました。
そんな中、こういうカタチでさちこさんと一緒に新しいスタートをすることになりました✨


事業理念
『楽しく歩いてきちんとつなぐ』
これを胸に今後も進んでいきたいと思います。

個人の仕事は今まで通り、精一杯やりますが、
広がって繋がったら、できることは大きくなります。
まだ箱を作った段階ですが、少しでも私たちの想いを形にするために、今後30年くらい楽しく進んでいければと思います。
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具体的な活動が始まりましたら、またお知らせします。
Facebook、ホームページなども整えていくつもりです。どうぞ、城組をよろしくお願いします。


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さちこさんと法務局で登記申請を済まし、お祝いディナーをしてきました❤
美味しかったです✨




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ラジオ鬨の声・第2回(多古町ガタゴトバスツアーの話etc)

やっとYouTubeアップしました。ラジオ鬨の声です。多古町ガタゴトバスツアーの話とかしてます。
ぼーっとしたいときに、ぼーっと聴いていただけると嬉しいです♪


https://youtu.be/DPuIcRhPOcI

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おすすめアイテム詳細は、YouTube概要欄をご覧下さい。


房総半島後編はもう少しお待ちください(汗)

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2022年4月 3日 (日)

東庄町ツアー🍓楽しかった!

千葉県東庄町で、歴史&山城ツアーやらせていただきました。
主催は東庄町観光協会さんで、千葉城郭保存活用会と歴×トキの協力イベントでした。
私がナビゲーター✨

東庄町は、鎌倉時代以降は千葉一族「東(とう)氏」の領地になりました。
千葉常胤の6男胤頼を祖とする東氏は、千葉一族を代表する氏族です。
胤頼は、源頼朝の旗揚げのときに、三浦義澄と頼朝と3人で挙兵の相談をしていた人物です。
すごい重要人物!(大河ドラマに登場して欲しかったな。希望するキャストは岡田将生さん)

胤頼から始まった東氏は、この東庄を拠点にして勢力を拡大していきました。さらに美濃国山田荘も領地として、美濃でも強力な武家となり、東常縁を輩出します。そんな東氏はじまりの東庄で歴史ロマンの旅を楽しんできました♪

今回は中型バスでGO。
コースは、沼闕城⇒和田城⇒磯山観光農園⇒須賀山城⇒解散という流れ。

沼闕城は椿の海に張り出すように築かれ、和田城は椿の海の北側の入江をのぞむ位置に築かれました。
須賀山城は、この2つの北方に位置し、香取の海に面するような立地です。

永禄の正木氏による下総侵攻などで、このエリアは戦いの舞台になったと思われます。和田城周辺には、合戦の伝承がたくさん残っています。
今回まわった3つの城はそれぞれ遺構の残りもよく、地形や立地などから存分に楽しんでいただける城です。
参加者の方々にとっても喜んでいただけて、東庄町の方々もとても喜んでました。
また東庄ツアー、いつかできる日を楽しみにしてます✨


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沼闕城。背後には八丁堰と水田。その奥がかつての椿の海。


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空堀と土塁がぐるり。方形居館の跡が残ります。
いまは本丸部分には黄檗宗福聚寺がたっています。椿の海の干拓に貢献した鉄牛和尚の寺です。奥には鉄牛和尚のお墓もあります。


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下りていくと、高さがよく分かります。


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見上げると高い!下りて腰曲輪を歩くと、数本の竪堀が見て取れます。


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県民の森にとして公園になっている沼闕城ですが、城域はかなり広いと思われます。
ところどころに櫓台のような高まりがあったり、腰曲輪があったりします。


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お弁当。東庄町で有名なとんかつや「いなよし」さん♪
豪華!!!


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午後は和田城へ。
谷が美しいです。近くまで船で着けられる場所だったことが想像できます。


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地権者の方のご厚意で入らせていただきました。地権者の方が数人いらっしゃいますので、見学の際は要注意です。
とても綺麗に整備してくださっていて、本当に感謝です。草刈りとか、今後なにかお手伝いイベントとかできればいいな。


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和田城は、根小屋集落の雰囲気や、谷の景色、そして城の遺構と素晴らしいです。
わたしも皆もテンション上がりすぎて大興奮でした✨


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主郭横の堀。
箇所によっては、空堀と土塁が2重に取り囲んでいます。さらに、腰曲輪を数段に重ねて施して厳重に。とにかくかっこいいです!


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大満足の城攻め部隊。
見学させていただきましてありがとうございました。


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最後は須賀山城へ。
旗もはためいてましたー。


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須賀山城は香取の海に面しています。椿の海を水路できて、そこから上がって陸路を取って、ちょうど香取の海に出てきた場所にあるのです。なんて重要な場所。
西側の台地には森山城が築かれています。須賀山城と連携しながら戦国時代の終わりまで機能していたと思います。
須賀山城の麓の西福院は方形居館になっています。ここが屋敷地かなと思ってみたり。


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堀が大きーい。


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竪堀がガッツリー。


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どどーんと下まで。


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と、いうことで今回も楽しんできました。
磯山観光農園ではイチゴパフェをいただきました🍓最高ー♡甘すぎず絶妙!!


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東庄町では沼闕城と須賀山城の御城印発行を契機として、城と歴史をテーマに町の活性化という動きが始まりました。
沼闕城には、かわいい標柱を立ててくれたり、整備や活用などの計画が進んでいます。
そして、ついにツアーも開催に至りました。
御城印を出してそれで終わりではなくて、それをスタートとして長く何かご一緒できればいいなと思います。
今後は学校の課外授業などもいいなと思います。展開が楽しみです。



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和田城に完成ホヤホヤの標柱。素敵♡地元の誇りですね♪月星がまぶしい✨
和田城は千葉一族上代氏の居城とされています。「かじろ」と読みます。



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さらには地権者の方のご厚意で駐車場まで!!!!(T-T)
感動。涙。
すごすぎます。
和田城の御城印の販売まで、もう少々お待ちくださいね♪



















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2022年3月30日 (水)

河村城ツアー・阪急交通社「たびことツアー」

5月に河村城ツアーやります。
河村城はツアーやるの初めて。楽しみ✨
阪急交通社さんの「たびことツアー」で開催です。

もしよければお申し込み下さい♪

【たびことツアー】相模・甲斐・駿河の国境に築く小田原北条氏の支城・いざ「河村城」へ 日帰り(SB216B)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)

4月は小机城と茅ヶ崎城もあります。
ガイディングレシーバーあるので、前に参加して下さった方も、たくさん話が聞けるのでまた新しい発見があるかもしれませんね。

小机城
【たびコトツアー】小田原北条氏最後の城へ出陣!神奈川屈指の山城・いざ「小机城」へ 日帰り(SB216)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)


茅ヶ崎城
【たびことツアー】多田行綱から後北条氏へ出陣!中世城郭史の傑作の山城・いざ「茅ヶ崎城」へ 日帰り(SB216A)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)

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2022年3月26日 (土)

鎌倉殿の13人・のあたび新ツアーのお知らせ

大河ドラマにまつわるツアーのご紹介です♪
バスでは、たっぷり楽しい歴史のお話させていただきます🚌
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フェリーに乗って安房国へ出陣です。
頼朝上陸の地や、安西景益ゆかりの平松城、一戦場古戦場などをまわります。
大河ドラマで描かれた場面、一緒に楽しみましょう✨
頼朝や三浦一族気分で海に漕ぎ出します🚢
4/23
義経ゆかりの満福寺や、和田義盛ゆかりの浄楽寺などをまわります。さらに、頼朝のお父さん義朝の屋敷があったと伝わる逗子沼浜へ。屋敷の裏山には古刹神武寺が聳える要衝地です!
盛りだくさんで歴史満載。
さらに鎌倉大河ドラマ館も見学します🙌
ますます大河ドラマを観るのが楽しくなるかもしれません✨

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2022年3月24日 (木)

新しい御城印発行のお知らせ

新しい御城印が完成しました。すべて3月26日(土)から販売開始です。通販もすべて取り扱います。

神奈川県南足柄市  「岩原城」「沼田城」
千葉県匝瑳市    「飯高城」「天神砦」「飯高砦」
埼玉県比企郡小川町 「四ツ山城」

各お城の説明と販売場所情報は以下です✨
四ツ山城はツアーあります。もしよろしければ。
山城ガールむつみの「四ツ山城」出陣のススメ!〜鎌倉街道上道と神秘の板碑工房も〜 | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)


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南足柄市観光協会(南足柄市役所内)

 〒250-0192

 南足柄市関本440

 ℡0465-73-8031

 取り扱い御城印:岩原城、沼田城

 販売時間:午前8時30分~午後5時  定休日:土曜日 日曜日 祝日

 

伊豆箱根鉄道大雄山線大雄山駅

〒250-0105

 南足柄市関本592

 ℡0465-74-2058

 取り扱い御城印:岩原城

 販売時間:始発から終電まで  定休日:なし

 

【岩原城のご説明】神奈川県南足柄市

岩原城は足柄平野の西部に位置する岩原に向かって延びた舌状台地の突端に築かれました。岩原城南側の尾根を挟んで沼田城があります。

岩原城の東端に鎮座する岩原八幡神社は源頼義創建と伝わり、頼朝も富士の巻狩の際に立ち寄り、社殿を改修したといいます。八幡神社の麓には甲州道が通っていて、岩原城の築かれた地が古くから交通の要衝であったことがわかります。開発前は北側が深い沢、南側は急崖となっていて、さらに周辺は広範囲に渡り湿地だったと思われ、まさに天然の要害でした。

岩原城は複数の郭で構成され、周囲を空堀が取り囲んでいたといいます。開発で削られたり、畑地になっているものの、空堀の痕跡の一部が確認できます。さらに、周辺には「的場」「清泉」など、城に関連する地名が残り、大森氏頼(寄栖庵)の墓と伝わる石塔も残ります。

岩原城の築城等についての詳細は不明ですが、大森氏の城と伝わっています。大森氏は駿河国を出自とし、応永23年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱をきっかけに相模国に勢力を広げました。相模国に入った大森氏は小田原城を本拠としますが、足柄峠の麓に位置し、足柄平野への入口にあたる岩原城を小田原城と同じように重要視したと考えられます。

大森氏は家臣加藤氏を岩原城の城代としていたと伝わりますが、その後、大森氏頼が岩原城を居城にしたといいます。享徳の乱(1454年)以降、氏頼は扇谷上杉氏の重臣として活躍し、扇谷上杉氏、三浦氏と姻戚関係を結ぶなどし、勢力を拡大しました。

しかし、明応3年(1494年)に氏頼が死去すると、小田原城を伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ、大森氏は衰退しました。その後の岩原城については不明ですが、小田原北条氏による改修も指摘されています。

 

 

【御城印のご説明】

岩原城は『新編相模国風土記稿』に城絵図が描かれています。その絵図には、東を通る甲州道、そしてそれに沿うように町場が描かれていて、岩原城や八幡神社が街道に接している当時の様子がよく分かります。その『新編相模国風土記稿』に描かれた絵図を御城印のモチーフにしました。 

そして、大森氏の家紋「二つ巴」と、岩原城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。

大森氏頼は西相模の雄として戦国時代にその存在を刻みました。その勇姿をイメージし、武者の姿を描きました。

 


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南足柄市観光協会(南足柄市役所内)

 〒250-0192

 南足柄市関本440

 ℡0465-73-8031

 取り扱い御城印:岩原城、沼田城

 販売時間:午前8時30分~午後5時  定休日:土曜日 日曜日 祝日

 

伊豆箱根鉄道大雄山線相模沼田駅

〒250-0115

南足柄市沼田68

℡0465-34-4089

取り扱い御城印:沼田城

販売時間:午前7時~午後10時 定休日:なし



【沼田城のご説明】神奈川県南足柄市

沼田城は明神岳からの尾根が足柄平野に向かって延びた突端の小丘に築かれました。沼田城北側の尾根を挟んで岩原城があります。沼田城周辺には甲州道が通り、古くからの交通の要衝であったことがわかります。

沼田城の築城等についての詳細は不明ですが、松田、河村、沼田、大友周辺に勢力を広げていた波多野氏の庶流である沼田氏の城だったとも伝わります。沼田氏は応永23年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱で、禅秀に味方し、衰退したといわれています。その際、禅秀の乱を鎮圧しに相模国に入ったのが大森氏と考えられています。

大森氏は駿河国を出自とし、上杉禅秀の乱をきっかけに相模国に勢力を広げました。相模国に入った大森氏は小田原城を本拠としますが、足柄平野への入口に当たる足柄峠の麓に沼田城をはじめとするいくつかの城を築城ないしは改修整備して、小田原の防衛としたと推測されます。北側に築かれた岩原城は大森氏頼(寄栖庵)が晩年の居城としたと伝わり、この地域を重要視していたことが分かります。

享徳の乱(1454年)以降、氏頼は扇谷上杉氏の重臣として活躍し、扇谷上杉氏、三浦氏と姻戚関係を結ぶなどし、勢力を拡大しました。

しかし、明応3年(1494年)に氏頼が死去すると、小田原城を伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ、大森氏は衰退しました。その後の沼田城については不明ですが、小田原北条氏による改修も指摘されています。

 

【御城印のご説明】

沼田城の御城印は『新編相模国風土記稿』に描かれている絵図をモチーフにしました。絵図には、怒田(沼田)村や酒匂川が描かれています。

そして、大森氏の家紋「二つ巴」と、沼田城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。

大森氏頼は西相模の雄として戦国時代にその存在を刻みました。その勇姿をイメージし、槍を持った武者の姿を描きました。沼田城西側の坂には「槍持坂」という名が残っています。

 

 
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そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)

千葉県匝瑳市八日市場イ137-1

電話番号 0479-73-5015

営業時間9時から18時

年中無休



【飯高城のご説明】千葉県匝瑳市

飯高城は借当川北岸の標高約36mの丘陵に築かれました。現在の飯高寺(はんこうじ)周辺が城域とされていて、南方には飯高城の支城とされる飯高砦、新砦、さらに東方には天神砦が築かれています。これらのことから、広義の飯高城はかなり大規模であると考えられ、台地全体を城郭化することで連携して飯高城の防衛に当たっていたと推察されます。

鎌倉時代中期から南北朝期において、当地は千葉一族である飯高氏の本貫地でした。そのため、飯高氏が築城したとの伝承もありますが詳細は不明です。

戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。平山氏は千葉氏、ないしは小田原北条氏に属していたとされるため、飯高城は小田原の役をもって廃城となったと考えられます。

平山刑部少輔は日蓮宗に篤く帰依しており、天正19年(1591年)に城地のすべてを寄進し、日蓮宗の檀林として飯高寺が開かれたといわれています。(飯高寺は天正8年、平山刑部少輔を開基としています。)

周辺には「城下(ねごや)」「鳴子山」「腰巻」など、城郭に関連する地名が残っています。さらに飯高寺の境内には、空堀、土塁、腰曲輪などの城郭遺構も残っていて、戦国期の飯高城の構造や規模がわかります。

 

【御城印のご説明】

飯高寺は戦国時代の終わりから明治7年(1874年)まで、日蓮宗の学問所である檀林として栄えました。日本三大檀林と呼ばれ、多くの学僧を輩出しました。この檀林が立正大学の前身です。飯高寺の境内全体が県指定史跡に指定されています。

飯高寺の地にかつて存在した飯高城の御城印には、江戸時代に建てられた山門をモチーフにしました。あわせて、飯高氏の出自である千葉氏の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。さらに、徳川家の家紋「三つ葉葵」をデザインしました。飯高寺は徳川家康から寺領30石の寄進を受け、さらに家康の側室「お万の方」と繋がりが深い寺でした。お万の方は、正木氏の出で、日蓮宗に深く帰依しており、飯高寺に今に残る妙見菩薩もお万の方の奉納によるものです。そのことから、御城印には、妙見菩薩をイメージし描きました。さらに、お万の方は講堂を寄進するなど、飯高檀林の繁栄に尽力しました。

 



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そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)

千葉県匝瑳市八日市場イ137-1

電話番号 0479-73-5015

営業時間9時から18時

年中無休

 

【天神砦のご説明】千葉県匝瑳市

天神砦は飯高城の東方300mほどの台地に築かれた城郭で、飯高城防衛を担う城郭群の一つだったと考えられます。天神砦は新砦、飯高砦などと連携していたと思われることから、周辺の城郭群を含めた広義の飯高城はかなり大規模であると考えられ、台地全体が広範囲に渡り城郭化されていたと推察されます。

現在の天神砦には、土塁、堀切、竪堀遺構などが良く残り、戦国期の城郭の構造を小さい城郭ながらコンパクトに学び取れる貴重な城郭遺構といえます。

鎌倉時代中期から南北朝期において、当地は千葉一族である飯高氏の本貫地で、戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。平山氏は千葉氏、ないしは小田原北条氏に属していたとされるため、飯高城は小田原の役をもって廃城となり、周辺の城郭群もその役目を終えたと考えられます。

 

【御城印のご説明】

飯高城防衛のための城郭である天神砦の御城印には、飯高城の築かれた台地や地形がわかる地図をデザインしました。

あわせて、飯高氏の出自である千葉氏の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。さらに、天神砦の主郭には天神社が鎮座することから、梅の花をモチーフにしました。天神社の境内に立つ巨木もデザインしました。

 



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そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)

千葉県匝瑳市八日市場イ137-1

電話番号 0479-73-5015

営業時間9時から18時

年中無休

 

【飯高砦のご説明】千葉県匝瑳市

飯高砦は現在の妙福寺裏山に築かれた城郭で、山頂には飯高神社が鎮座しています。飯高砦の詳細は不明ですが、現在の飯高寺(はんこうじ)周辺が城域とされている飯高城の南方800mに位置するため、新砦、天神砦などと連携して飯高城防衛を担う城郭群の一つだったと考えられます。これらのことから、周辺の城郭群を含めた広義の飯高城はかなり大規模であると考えられ、台地全体が広範囲に渡り城郭化されていたと推察されます。

麓の妙福寺は谷戸式居館の様相を呈することから、山麓に屋敷、山頂に防衛施設が築かれていた可能性も指摘されています。

鎌倉時代中期から南北朝期において、当地は千葉一族である飯高氏の本貫地で、戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。平山氏は千葉氏、ないしは小田原北条氏に属していたとされるため、飯高城は小田原の役をもって廃城となり、周辺の城郭群もその役目を終えたと考えられます。

 

【御城印のご説明】

飯高砦、天神砦、新砦などの城郭群などが広義の意味での飯高城を形成していたと思われることから、飯高城の築かれた台地や地形がわかる大正時代に描かれた飯高寺の絵図をモチーフにしました。飯高寺はかつての飯高城の台地に築かれています。

あわせて、飯高氏の出自である千葉氏の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。飯高砦の麓に建つ妙福寺は、延慶3年(1310年)に新藤太縦空(たじゅうくう)が妙見菩薩を祀ったとされていて、妙見信仰は千葉一族が深く帰依していることから、千葉一族との関係が垣間見えます。





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〒355-0328

埼玉県比企郡小川町大塚47-3

おいでなせえ小川町駅前店

電話0493-59-6988

営業時間10:00-18:00

定休日なし



【四ツ山城のご説明】埼玉県比企郡小川町

四ツ山城は、現在四津山神社が鎮座する標高約200m、比高約100mの山陵に築かれました。城山である四津山は、山頂部が四つあることからその名が付いたといわれています。なお、城跡としての史跡名称は「四ツ山城」で、地名は「四ツ山」と表記します。別名「高見城」とも呼ばれています。

四ツ山城の眼下には鎌倉街道上道が通っていて、四ツ山城はこの街道を押さえる目的を担っていたと考えられます。さらに、鎌倉街道と並行するように市野川が流れていることから、この地が水陸交通の要衝だったことが分かります。

四ツ山城の築城等の詳細は不明ですが、『新編武蔵国風土記稿』の四ツ山城の項には「増田四郎重富居蹟」と記されています。『増田家系譜』によると、増田四郎重富は古河公方の家臣だったとされ、上増田(深谷市)から四津山に移り、城を築いたと伝わっています。

享徳の乱(1454年)以降、古河公方と山内上杉氏、扇谷上杉氏が対立を深めたことにより、比企地方は諸勢力に挟まれ、緊迫した状況に置かれたと推察されます。扇谷上杉氏の家宰太田道灌が高見に在陣したとも伝わり、道灌の死後に長享の乱(1487年)が起きると、四ツ山城眼下の高見原で扇谷、山内両上杉軍が激戦を繰り広げた高見原合戦が行われました。

その後、北武蔵を小田原北条氏が支配するようになると、四ツ山城も北条氏の支城として鉢形城と松山城へ繋がる街道を押さえる役目を果たし、小田原の役でその役目を終え、廃城となったと考えられます。

 

 

【御城印のご説明】

四ツ山城眼下の鎌倉街道上道には「奈良梨」という宿があります。この宿は、鎌倉時代末期にはすでに形成されていたことが分かっていて、戦国時代には宿駅として繁栄していました。さらに、高見と菅谷に伝馬が継立されていたことが天正10年(1582年)の『北条氏伝馬掟』から分かっています。御城印にはこの街道を行き交う軍勢をモチーフにしました。

四ツ山城は菅谷、杉山、鉢形と連携していたと考えられているため、狼煙を描き、さらに増田氏の表家紋と裏家紋、北条氏の三つ鱗をデザインしました。

 






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三浦一族ツアー「佐原城&怒田城へ」

申し込みが始まりました✨
今回も盛りだくさんです。佐原義連ゆかりの佐原城、ここはどういう土地なのか?どんな歴史があるのか?
歩きながら歴史を紐解きます。
申し込みは電話でもOKです。

【ツアー参加者募集】山城ガールむつみとゆく「三浦一族」ツアー – 横須賀市観光協会 (yokosuka-kanko.com)

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2022年3月21日 (月)

ガタゴトバスツアー第1弾 in多古町

記念すべき「ガタゴトバスツアー」第1弾!
多古の山城にGO!🚌
昨日無事にツアー開催されました。
とにかく楽しかった!

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国鉄バスの旗も用意していただき、さらに車内では制服を着て車掌さんに変身し、歴史のお話をさせていただきました👩🏻‍✈️


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こんなステッカーまで作って下さったJRバス関東さんに感謝✨


このツアーでは歴史、城、バス、全て堪能✨
平成元年生まれで、なんと120万キロ走っているバス太くん。昨日もガタゴト元気に走ってくれました💨
普段はバスが走らない農道や集落の道を走り抜けて多古の山城を巡りました。バスツアーですが、お城はちゃんと登ったり下りたりしながら見学し、12キロくらい歩いていたようです。

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このツアーでは、急斜面なども上り下りして、山城をみんなで楽しみます♪


公共交通機関と徒歩では1日でまわることができない距離と内容をかなり効率的に回れました。
ガタゴトバスと山城は相性がとってもいいです。
JRバス関東さんと今後もいろんな山城をバス太に乗ってまわりたい✨
今回の参加者は全て千葉県外からでした。外から人が来てくれることによって、地元の方が土地の魅力に気付いたり、再認識してくれると思います。昨日も突然バスが来たり、畑をゾロゾロと歩く私たちを見て、地元の方が驚きながらも温かく迎えてくれました✨

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運転手は秋葉さん。運転も素晴らしく、人柄も最高なのですでに「ファンになった」という言葉もチラホラ。
運転席に座らせてくれたり、降りますボタンを連打させてくれたり、サービス満点でした💯

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並木城、分城、日本寺、妙興寺、中城、物見台城、土やぐら城コースでした🚌
次回は7/10!
匝瑳市を秋葉運転手の運転でガタゴトまわります。
詳細の発表はまた後日。
















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2022年3月18日 (金)

ツアー造成の下見in匝瑳市&東庄町


一泊二日でツアー下見。
昨日は千葉県匝瑳市、今日は千葉県香取郡東庄町。昨日はポカポカで暑いくらい☀️今日は雨で寒くて死にそう⛄️そして、泥だらけ。
その甲斐あって、どっちの下見も充実!
これまた楽しいツアーになります🙌
歴史満載で、もりだくさん。お連れしたい場所がありすぎてキリない!!

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匝瑳の飯高寺。ここは戦国時代は飯高城。


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消防ホースと土塁。

匝瑳ツアーは、ガタゴトバスツアーの第二弾。
なるべく城の魅力が伝わるようなルート取りを考えてコース作りました。
バスですが結構歩きます💨
やっぱり歩かないとね💨
飯高城、天神砦、飯高砦、八日市場城がメインになるツアーです。
関連する寺社に寄りながら楽しくガタゴトバスで回ります。
さらに松山美術館の「ねこねこ展」にも立ち寄ります。ここの美術館は素晴らしいので、コースに組み込みました。

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このツアーは7月の頭あたりに開催予定。決まり次第告知しまーす✨

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東庄町で去年御城印発行しましたが、それによりだんだん地元の方々が歴史に興味を持ってくれ始めてるとのこと。
地主さんのご厚意による城や駐車場の整備、そして観光課さんも看板を設置してくれたり、御城印をフックにしていい感じに盛り上がってきました✨
こんなに嬉しいことはない!

東庄は大型バスで和田城、須賀山城、沼闕城をメインにまわり、関連する寺社も少し立ち寄り。
こちらは、もう満員御礼ですがまたきっと同じコースやります♪たぶん。


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須賀山城は見事です。歴史や城のこと、現地でタップリお話しします。



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東庄町ではトイレ休憩がてら、磯山観光濃園さんに寄らせていてだきます🍓


御城印を出して、地元の方の気づきになり、そして外からも人が歴史観光に来てくれてお金が地元に落ちる。こういう流れをもっと作れたらいいなと思います。御城印ははじめの一歩なので、出して終わりではなくて中長期的にいろいろ取り組まないといけません。
千葉県内でツアー含め、アイデアどんどん出してやっていきたいです。

下見のときひとりで演出考えたりしながらテクテクあるくのは本当に楽しい♡





 

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2022年3月17日 (木)

旅行読売オンライン「たびよみ」

雑誌旅行読売で以前書かせていただいたコラムがオンライン記事になりました。
山城を知らなくても、出陣したくなっちゃうような、楽しい感じで書いてみました。
良かったら読んでみてください✨


山城ハイク!出陣のススメ|国内|たびよみ (yomiuri-ryokou.co.jp)

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2022年3月14日 (月)

砂町文化センター「関東動乱の舞台を歩く」

前に開催した講座が再度開催となりました✨
好評いただいて嬉しいです。内容は前回と同じです。
よろしければお申し込み下さいませ♪

講座情報 | 砂町文化センター | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 (kcf.or.jp)

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2022年3月10日 (木)

三浦一族「住吉城」!!

念願叶いました✨
三浦一族の戦国の城「住吉城」の御城印が販売開始になります。
感慨無量(T-T)

3月12日(土)販売開始です。
かっこいいですよー!
御城印に色んな想いを込めてみました。

私有地になってる土地がほとんどですが、正覚寺、住吉神社、海前寺が城内の寺社として見学できます。

それぞれ石塔や、水軍基地であっただろう海の景色など楽しめます。

逗子駅近くの延命寺には、住吉城の戦いで自害した三浦道香のお墓もあります。
周辺を歩くと見どころ満載!
住吉城、大好き!ツアーこれからもどんどんやります✨

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【住吉城のご説明】神奈川県逗子市

 住吉城は正覚寺背後の急峻な山陵に築かれました。標高約70mの城山は、名越切通から続く尾根の突端に位置します。城域は広範囲に及び、扇山(光明寺の裏山)から正覚寺、海前寺までも城域だったと考えられています。

 昭和40年頃に住吉城の南側が埋め立てられましたが、それ以前は目の前まで海が迫っており、鎌倉時代には幕府の港湾施設「和賀江嶋」が築かれた海上交通の要衝に当たります。さらに、由比ヶ浜付近を通り、扇山を越えて、逗子、走水へ続くとされる古東海道が通ってることからも、住吉城は水陸交通の要衝に築かれたといえます。

 住吉城の築城等に関する詳細は不明ですが、戦国時代には伊勢宗瑞(北条早雲)と三浦道寸の戦いの舞台になりました。永正7年(1510年)に相模、武蔵に侵攻した宗瑞でしたが、三浦氏を含む扇谷上杉方はそれを阻止。しかし、関東の諸勢力による抗争が激化してくると、宗瑞は本格的に相模侵攻に乗り出し、永正9年(1512年)8月、三浦道寸の岡崎城(平塚市・伊勢原市)を攻撃します。岡崎城は落城し、道寸は撤退を余儀なくされ、住吉城まで退きました。それを追う形で東進してきた宗瑞は玉縄城(鎌倉市)を改修整備し、住吉城に対する拠点としました。そして、道寸は住吉城の守備を弟の道香に任せ、自身は本拠の三崎城(新井城)まで退くことになるのです。

 その後、住吉城には宗瑞の嫡子、氏綱が中心となって攻撃を仕掛けたとされ、持ちこたえられなくなった道香とその家臣は城を出て延命寺(逗子市)にて自害したと伝わります。今も延命寺の境内には道香とその家臣の墓と伝わる供養塔が残っています。

 

【御城印のご説明】

 正覚寺の背後に鎮座する住吉神社の境内からは、晴れた日には古くから地域の信仰のシンボルであった江の島や富士山を眺めることができ、絶景を楽しめます。この前面の海に鎌倉幕府の和賀江嶋が築かれたことからも、この地が海上交通、そして流通の要衝に当たり、それらが住吉城の存在意義の大きな理由となっていると考えられます。住吉城の御城印には、行き交う船と、相模湾の景色をデザインしました。

 江戸時代に書かれた『新編相模国風土記稿』の正覚寺の絵図をモチーフにし、要害に築かれた住吉城の姿をイメージしました。そして、三浦一族の家紋「三つ引両」と、住吉城で奮戦した三浦道香の兄道寸の姿をデザインしました。

 

販売場所

  • 名称:はんこ屋さん21
    住所:神奈川県逗子市逗子7-1-56
    営業時間: 10:00~18:00 定休日:第一、第三土曜日・日曜日・祝祭日
    TEL:046-870-6682

 

  • 名称:逗子市観光協会窓口
    住所:神奈川県逗子市逗子5-2-16
    営業時間: 8:30~17:00 定休日:土曜日・日曜日・祝祭日
    TEL:046-873-1111(内線286)


   ●名称:COLLECTION MARKET
       住所:神奈川県逗子市小坪4-2-8
       営業時間: 11:00~19:00 定休日:火曜・木曜
       TEL:0467-66-1279

 


ネット販売
歴×トキHPにて 

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新しいツアーのお知らせ・大河ドラマ館&神武寺へ!

またまた盛りだくさんのツアーが募集開始です✨
のあたび「いざ、神武寺へ!義経ゆかりの満福寺と運慶仏の浄楽寺も!さらに大河ドラマ館も!しかも、お昼は松汀園!!」
すごい盛りだくさん!タイトルが盛り込みすぎて大変!!笑

藤沢からバスで、鎌倉逗子横須賀という近場を回るため、まぁ驚くほど盛りだくさん!たくさん回れる!
このツアーはすごいです。私の大得意の神武寺もタップリ。神武寺の麓には源義朝の館があったとされ、三浦一族ともゆかりの深いエリア。

お昼の会場「松汀園」は私が定期的にツアーやってる会場。
ここは大正レトロな建物で、素敵。食事も美味しい✨

わーい、たのしみ♪

これは参加しなきゃ!です✨
お申し込みお待ちしてまーす。

4/23 いざ、神武寺へ!源義経ゆかりの寺「満福寺」と運慶作の真作仏像「浄楽寺」 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)


あわせて、前に開催した「いざ、安房国へ!」も再度開催します。こちらもぜひぜひ!!
ドラマで丸木船で渡っていた大海原!一緒にフェリーで渡りましょ♡
4/16 いざ、 安房の国へ!頼朝上陸の地と一戦場合戦の舞台へ | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

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2022年3月 8日 (火)

阪急交通社「たびコトツアー」

新しく阪急交通社「たびコトツアー」でナビゲーターをやらせていただくことになりました。

「たびコト塾」というのは阪急交通社さんの『楽しく学ぼう!』という大人の趣味コンテンツです✨
その中の歩いて楽しむツアーが「たびコトツアー」です。

【たびコトツアー】小田原北条氏最後の城へ出陣!神奈川屈指の山城・いざ「小机城」へ 日帰り(SB216)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)


まずは小机城から。
今後、関東近県に拡大して色々なお城に行くシリーズになったら嬉しいなと思います♪

久しぶりの小机城。普段のツアーコースに少しスポットを追加して開催します✨
お城シーズン、一番いい時期!
一緒に小机城、いきましょう♡

 

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2022年3月 6日 (日)

三浦一族グッズ!新発売!

三浦一族グッズが完成~♪
かっこいいー!!

横須賀の衣笠商店街「メガネのささき」にて、メガネ拭きが新発売❤️
メガネだけじゃなくて、スマホも拭けます。なんでも拭けます✌️
壁に飾ることもできるほどのカッコよさ!
メガネ拭いたら、なんかもったいないほど笑

3/5販売開始。550円です。
メガネのささきのみ取扱いです。
地図や三浦一族ゆかりのスポット監修させて頂きましたが、デザインはなんと社長みずから!!
すごーい!すごーい!!かっこいいー!!

ぜひ、お買い求めください(^^)

店舗営業時間等はこちらから。
http://shasaki.co.jp/wordpress/


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2022年3月 4日 (金)

東庄町ツアーのお知らせ

4/2(日)
千葉県東庄町にて山城ツアーあります✨
沼闕城、須賀山城、和田城に出陣します。
町内はバスで回ります。
しかもお弁当つきです🍱
わーい。楽しみ!

東庄は千葉常胤の息子胤頼が領地として、地名の「東(とう)」を名乗りました。
東氏は郡上八幡も領地として、勢力を拡大しました。

千葉一族の歴史、そして房総の戦国時代のロマンが埋もれている東庄町!
是非一緒に東庄町の歴史を楽しみましょう♡

笹川駅に10:30に着く電車があるのでそれに乗っていただくとオッケーの集合時間になってます。
車でお越しの方は東庄町役場に車を停めておくことも可能です🙆‍♀️
申し込みは3/14の朝10:00からスタートです。電話のみの受け付けです。
よろしければ是非お申し込みください^_^
詳細は添付写真をご覧ください。



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2022年3月 1日 (火)

小川町「四ツ山城&板碑ツアー」募集開始のお知らせ

4月9日(土)に埼玉県比企郡小川町にて

バスツアー開催します。

集合は東武東上線の小川町駅。

そこからバスで、一緒に出陣しましょう~✨

板碑を制作していた下里・青山板碑製作遺跡や、鎌倉街道、

そして四ツ山城に行きます!

​これまた、ものすごく楽しいツアーです♡

山城ガールむつみの「四ツ山城」出陣のススメ!〜鎌倉街道上道と神秘の板碑工房も〜 | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)

 

 

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2022年2月25日 (金)

網戸城・鏑木城の御城印発行

新しく千葉県旭市の御城印2城が販売開始になります。
網戸城と鏑木城です✨
網戸城は、木曽義昌が居城としたお城です。

木曽義昌は、信濃国木曽谷を拠点とする木曽氏の当主です。
武田信玄の娘を妻とし、武田氏に属しました。
その後、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、家康が関東に入ると義昌は網戸に移封となり網戸城を築きました。
木曽氏は木曽義仲を祖としていて、義昌は義仲の後裔と伝わります。
旭市の「旭」は「朝日将軍」と呼ばれた木曽義仲に由来します✨

御城印の情報と、詳しいお城の説明は下に書いておきますね♪

販売開始 2021年2月26日(土曜)

値段 300円(税込み)

販売場所

季楽里あさひ

〒289-2511

千葉県旭市イの5238番地

電話:0479-62-0888

9:00~17:00 年中無休


ネット販売
歴×トキHPにて  https://www.rekitoki.com/

 

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「網戸城」

網戸城は九十九里平野の微高地に築かれました。この地は、北方に椿の海、南方は太平洋という水上交通の発達した地域です。

現在の東漸寺周辺一帯が網戸城の城域とされていて、主郭は東漸寺の西方、字「城之内」付近と考えられています。主郭と思われる箇所の南方には、「上宿」の集落が形成され、そこから城内へ続く道はクランクしていることからも、防衛線として機能していたことが推察できます。網戸城の規模や構造などは明らかになっていないものの、東漸寺には空堀や土塁などが残っています。

網戸城の築城主や築城年代などは不明ですが、応永年間(1394年-1418年)頃の築城とも、小田原北条氏の家臣大橋山城守康忠によって築かれたとも伝わります。

天正18年(1590年)の小田原の役の後、徳川家康の関東移封に伴い、木曽義昌が下総国阿知戸一万石に入りました。義昌は、近隣の福昌寺を仮陣屋とし、翌年に網戸城を改修整備し、居城としたとされています。義昌の死後、嫡男の義利が跡を継ぎましたが、慶長5年(1600年)に義利が叔父を殺害。それにより、家康から追放され、廃藩、廃城となり、その封地は幕府の直轄地となりました。

【御城印デザインのご説明】

木曽義昌は、信濃国木曽谷の領主木曽氏の第19代当主でした。弘治元年(1555年)に武田信玄に降って、その娘を妻としました。その後、織田氏、豊臣氏に属しますが、小田原の役の際に、自身の病気を理由に嫡男義利を出陣させたことから疑惑を持たれ、阿知戸に転封されたといわれています。

阿知戸において、善政を行い、城下の繁栄に心を砕いた義昌は、文禄4年(1595年)に没し、遺言により、その遺体は椿の海に水葬されました。

義昌は、木曽義仲(源義仲)の後裔と伝わっています。義仲は清和源氏源為義の孫にあたり、源頼朝の挙兵に呼応し、打倒平家の兵を挙げました。義仲は上洛の際、倶利伽羅峠の戦いで平家方に大勝し破竹の勢いで進軍したことから、朝日の昇る勢いになぞらえて、「朝日将軍」と称せられました。

江戸時代に、国学者の野々口隆正が木曽義昌の旧跡を訪れた際、義仲とその後裔である義昌を懐古して、「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」詠んだといい、この和歌が旭市の由来となっているといいます。

御城印には、市名の元になった「朝日」をモチーフにするとともに、木曽義仲の銅像をモチーフにしました。さらに、義昌の肖像画、兜(伝木曽義昌兜・東漸寺蔵)をデザインしました。


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「鏑木城」

鏑木城は下総台地の北東端に位置し、南側にはかつて存在した「椿の海」が広がっていました。椿の海は寛文10年(1670年)に干拓が開始され、「干潟八万石」と呼ばれる水田地帯になりました。椿の海に面していた南側には「ネコヤ」と呼ばれる場所があり、さらに「岸湖」という字名が残っています。そのことからも、鏑木城が椿の海を利用した水上交通の要衝に築かれたことがよく分かります。

鏑木城は周辺の台地を城域に取り込むような形で築城されており、広義の城域は東西1000m、南北800mに及ぶことが発掘調査によって判明しました。空堀、土塁、櫓台が良好に残り、周辺には「北門」「馬場」などの字名も残っています。「内宿」の字名が残る北側集落は、当時の城下集落の形態をとどめています。さらに、主郭からネコヤ地区に下りる大手と思われる道筋が残っており、その道に沿って5段の腰曲輪が築かれています。このルートに対する備えのほどが見て取れます。

鏑木城の詳細は不明ですが、鏑木氏の居城とされ、鏑木氏は戦国時代に主筋の千葉氏を通して小田原北条氏に属しました。天正18年(1590年)の小田原の役の後、鏑木城は徳川家康によって接収され、その後、廃城になりました。

 【御城印デザインのご説明】

椿の海に面し、急崖に囲まれた鏑木城の御城印は、周辺の地形が分かる地図を描きました。鏑木城は、中世においては東総地方の代表的な城郭だったと思われます。諸大名による諸家文書には、「かぶらぎ城 三百騎」と書かれていて、鏑木城が小田原の役まで機能していたことが分かっています。

鏑木氏の祖は『千葉大系図』によると、千葉胤定といわれています。胤定は千葉常胤の孫、胤時の子で、寛喜年間(1229年―1232年)に鏑木の地に入り、鏑木胤定を名乗ったと伝わります。鏑木氏は千葉城主代々の四天家老にその名があり、常に重要な役割を果たしていたことが分かります。御城印は、鏑木氏の祖と伝わる鏑木胤定の肖像画をモチーフにし、あわせて、千葉一族の家紋「九曜」、鏑木氏の家紋「月星」を配置しました。

 

 

 

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2022年2月23日 (水)

YouTube新作「鎌倉殿の13人!いざ、安房国へ!三浦一族脱出の巻(前編)」

YouTube新作アップしました。
今回は三浦一族の脱出編です。衣笠合戦のときに脱出して、怒田城の船溜まりまで逃げてきました。ここから船で安房へ!
そんな足取りを追いました。
今回は前編!!
歴史ロマンの旅に出陣です✨

~鎌倉殿の13人!三浦一族&源頼朝、房総半島に脱出の巻~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!いざ、安房国へ!(前編)』 - YouTube

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2022年2月18日 (金)

JR・駅からハイキング


JR東日本(千葉県内)の『駅からハイキング』の「山武いちごの里ハイキング」コースのご紹介✨
山武市の総武本線成東駅STARTのコースにチラリと登場です。
コース内に成東城が入っているため、成東城のコメント掲載していただきました。


『駅からハイキング』は、コースごとに決められた集合駅で受付し、コースマップをもらいます。そして、そのマップに沿って、各自歩いて見どころを楽しんでいただくというものです。

歴史&城が『駅からハイキング』にたくさん取り上げられるようになったらいいな♪
今後はコース提案などもさせていただきたいなと思います。
地域を丁寧に歩いて回って楽しむというのが歴史めぐりの醍醐味ですね(*^^)v

山武市成東駅STARTの『駅からハイキング』、よかったら参加してみてください。
このコースは期間が短くて、2月25日(金)ー27日(日)の3日間!山武市はイチゴが名産🍓今が一番いい時期🍓



JR東日本:駅からハイキング|コース検索 (jreast.co.jp)
(成東駅、山武市などのワードで検索してください)

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こちらが受付で配られるコースマップです♪


《成東城のご説明》千葉県山武市

成東城は九十九里平野を臨む標高45mほどの台地に築かれました。現在は城の中心部が成東城跡公園として整備されています。

作田川が近くを流れ、現在はその支流が成東城の裾野を囲むように流れています。成東城は台地全体を利用して築かれていて、現地を歩くとその規模を感じることができます。さらに、台地東南にあたる九十九里海岸方面には遮る丘陵が全くなく、成東城が水上交通の要であったことが見て取れます。成東城は鎌倉時代以降、この地を治めていた印東氏が築城したとも伝わりますが、今に残る遺構は16世紀以降のものと考えられています。

1450年代に印東氏がこの地を支配しなくなった後は本佐倉城を拠点にした馬加千葉氏の勢力下になり、その子、胤定(鳴戸八郎)が城主として成東地域を治めたといいます。

永禄12年(1569年)頃には正木氏による下総侵攻があり、成東城もその混乱に巻き込まれたと思われ、そういった状況下で改修されながら機能したと思われます。

台地全体を利用して築かれた成東城は、本佐倉城や土気城などといった両総の主要城郭に匹敵する規模であることからも、この地にこれほどの城を築ける勢力がいたことを物語る城といえます。 

天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原城の北条氏を攻めると、成東千葉氏当主の将胤は北条方として戦い、討ち死にしました。小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入封すると成東には家康配下の石川康通や青山忠成などが配属されましたが、元和6年(1620年)に廃城となりました。

 

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主郭には神社が。公園になっているので見学しやすいです。


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堀が通路になってます。


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九十九里浜が見えます🌊

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2022年2月16日 (水)

東洋経済の記事

千葉県での活動を記事にしていただきました。
小学校で講義させてもらったこととか、日本初のお城開きを提案&イベント開催したこと、バスツアーのこととか書いてもらいました。
これからも、どんどん色んなことやっていきたいと思います。

地元民も知らない「山城」で覚醒、驚異の町おこし(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

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2022年2月13日 (日)

募集開始のツアーのお知らせ

明日から募集開始になるツアー&まだ安芸が若干あるツアーのお知らせです。
ぜひ、一緒に歩きましょう~♪

◎逗子市観光協会さんのツアー

こちらは2月14日から募集開始です。
ただ、電話か観光協会窓口(逗子市役所内)のみの受付のため、申し込みにくいかもしれません。14日の朝8:30から受付開始です。
先着20名です✨


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◎横須賀市観光協会さんのツアー
こちらは2月21日でしたらまだ空いてます。申し込んでいただいたら、確実に参加いただけます。抽選とか先着順だと、なかなか当たらないのでこちらはオススメです。申し込みはネットか、電話でもOKです。

【山城ガールむつみとゆく】歴史追体験ツアー参加者募集!北条義時ドラマで注目の「三浦一族」。その本拠地衣笠を訪ねる。 – 横須賀市観光協会 (yokosuka-kanko.com)

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◎多古バスツアー・路線バス貸し切りでガタゴトGO!
こちらは残りわずか!絶対楽しいです、このツアー。なぜなら、すでに私がテンション上がってるからです笑
こちらもお申し込みお待ちしてます✨
http://www.jrbuskanto.co.jp/bus_tour/tour/post_767.html





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2022年2月10日 (木)

祝♡100個

ついにスタンプが100個!やったー!!
嬉しい✨
自慢しちゃう。中身をお見せします。

このスタンプカードは、私の主催ツアーに来て下さった方にお配りしております。
参加してくれたごとにシールをお渡しして、ご自身で台紙に貼っていただくシステムです。
台紙は、一度でも主催ツアーやカルチャースクール、aini(旧TABICA)に参加していただくとお渡しさせていただいてます。

なお、台紙をお持ちの方で
観光協会さん、のあたびさん、その他のツアーに参加した場合は自己申請で
「どこどこのシールちょうだい」と言っていただくとシールをお渡しするという、ゆるいシステムです笑

中身を見て、
「あ!行ったのに持ってない!」いう場所がありましたら、私に言ってください。お会いするときに持ってきます。

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じゃーん!たまると嬉しい♡


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これは手作業で一生懸命作業してます。超アナログです。
50個で粗品、さらに100個で粗品プレゼントです♪



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2016年2月21日から始めたんですね。
こういう仕事を始めたばかりの頃。懐かしい。

ベスト3、どこにしよう?こうやって振り返るのも楽しい♪
ぜひ、ツアーに参加して集めてください♡

残席わずかのおすすめツアーはこちら。
どれも、これを逃すと後悔必至の楽しいツアーになってます。


◎富士川の戦い&梶原氏の滅亡の地をめぐるツアー

2/14・23 いざ 富士川の戦い!和田神社と梶原一族終焉の地・梶原山を登る | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)


◎頼朝の挙兵&北条氏ゆかりの韮山ツアー
2/28 いざ、頼朝旗揚げの地・韮山!頼朝と政子ゆかりの北条の里を巡る | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)



 

 

 

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2022年2月 9日 (水)

山城ガールむつみさんと行く・三浦一族ゆかりの地(鎌倉BUSHIDO)

新しいYouTubeは横須賀市さんと制作させていただいた動画になります✨
しっかりと作らせていただきました。脚本、編集も時間掛けて一生懸命やりました!
ぜひ、観て下さい♡
三浦一族の魅力をお伝えできたら幸せです✨
共演は横須賀市観光協会の軍司さんです♪

鎌倉BUSHIDO~山城ガールむつみさんと行く・三浦一族ゆかりの地~ - YouTube

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2022年2月 3日 (木)

写真展


スチールや動画をお願いしている齊藤小弥太さんの写真展へ。
テーマはPhysis。
生成する力。


そこにかつてあった森の姿を、更地となったコンクリートの地面に投影。
それを自作のピンホールカメラで撮影。

そうして撮った写真の中には不思議な世界が広がっている。
深い海の底のような、はたまた色鮮やかな油絵のような。
遠目に見ると、モネの睡蓮のように見える作品も。
近づいてみると、コンクリート地面の石ころに、鮮やかなコスモスを投影していることがわかる。
なんとも不思議。こんな形で、目に見えない地中の生命力を表現する方法があったのかと驚く。
どの写真も光が立ちのぼるように見える。


自然とは何か?を考え、「生成する力」ではないかと話す小弥太さん。

表層ではなく根底に存在する生成力。
一見の価値あり。
2/10まで。
EPSONギャラリー丸の内EPSITE


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コンクリートの地面に手前の写真を投影して撮ったのが、展示されている写真。


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齊藤小弥太写真展
『Physis』
産業廃棄物や違法残土からなる小山があった。その小山の斜面には長い年月の間に草木が生い茂り、緑豊かな様相をみせていた。しかし近年、小山一帯は再開発地域に指定され、緑の覆われた斜面は更地となっていった。ある日ふと思い立ち、更地となった地面の上に過去の光景を投影した。暗闇に淡く浮かび上がるその姿は、また遠い未来に生成されるであろう自然の姿を感じさせた。目には見えずともそこに在り続ける生成の力『Physis』を表現しようと考えた。

https://www.epson.jp/.../gallery/exhibitions/2022/0129/

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萩原さちこさんと畠中和久さんと一緒にギャラリーへ。
とっても贅沢で幸せな時間を過ごさせていただきました✨

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2022年2月 1日 (火)

ガタゴトバスでGO!第1弾のお知らせ


新しいシリーズ始動✨
3月20日(日)ツアーやります。募集開始です!
先着順です。

路線バスシリーズ第1弾🚌
千葉県多古町の山城を貸切路線バスで回ります。ガタゴトバスでGO!
テンション上がります🙋‍♀️私が車掌さん👩🏻‍✈️

集合解散は空港第2ビルです。
東京横浜方面から、横須賀線で成田空港行きに乗れば一本🚃

鎌倉殿の13人にも登場する名族千葉氏の内紛の舞台になった多古は歴史満載❤️
ゆかりの城やお寺をめぐる歴史探検ツアーです。
一緒に出陣しましょう✨

今回は乗り物好きな方も楽しめます🚌
普段はじっくり見れないバスの運転席を見たり、運転手さんとお話ししたり♪
めいっぱい楽しみましょうー!
申し込みはこちら。
http://www.jrbuskanto.co.jp/bus_tour/tour/post_767.html

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この子が平成元年生まれのバス太くんです。(いま、勝手に名前付けました)
JRバスだから、バス太ジュニア(jr)かな。

と、いうことで
バス太に乗って山城にGO!!

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2022年1月28日 (金)

YouTube新作!ラジオチャンネル始めました♪

新しく始めました!
ラジオ番組!
正確には「ラジオ(風)」です笑ラジオっぽく、最近のツアー、最近行ったお城の話なんかをツラツラとお話しします。
「ラジオ鬨の声」というタイトルにしてみました。
「トキ」という音が、いろんな想いを込めて作った歴×トキや、歴史の流れの「時」などとマッチするかなと思います✨


何かを見たり、どこかを歩けば色々と話したいことが出てくるんですが、なかなか講座やツアーでは世間話ができないのでここでお話ししたいなと思います。楽しく気軽に。ぼーっと聞いていただければ嬉しいです。

この番組は参加型にしたいと思います。
いろいろとリクエストいただきながら、楽しい番組にしていきたいです✨
YouTubeのコメント欄に書き込んでください。
参考にさせていただきます!
楽しいコト、面白いコト、受付中です。(誹謗中傷はNGです。あしからず)

ラジオ鬨の声・第1回 - YouTube


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2022年1月26日 (水)

東金城・上総国府台城の御城印デザインしました!

新しくデザイン&同封の説明文を書かせていただいた御城印のお知らせです✨
千葉県東金市の東金城といすみ市の国府台城です。
販売情報やお城の説明は以下です♡
どっちもまたまた我ながらカッコよくて、お気に入り♡
1月29日(土)から販売開始です♪歴×トキで通販取り扱いあり。

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【東金城のご説明】千葉県東金市

東金城は東金市街地を見下ろす標高約70mの丘陵地に築かれた東金酒井氏の本城です。城域は東西約700m、南北約500mに及び、半独立丘陵全体が城郭化され、南側は断崖となっており、天険の地形を活かした縄張りといえます。

『鎌倉大草紙』によると、享徳の乱によって起きた千葉氏の内紛をうけて、美濃から下向した東常縁(とうつねより)が部下の浜春利を東金城に入れたとされますが、東金城の築城年代など詳細は不明です。関東に下向後は土気城(千葉市緑区)を本拠とし、東金城にも一族を入れ、土気酒井氏、東金酒井氏としてそれぞれ勢力を広げていきました。

土気・東金両酒井氏は、里見氏と北条氏の争いが激化すると両勢力に挟まれました。そして、最終的には両氏とも北条氏に属し、天正18年(1590年)の小田原の役を迎えました。

東金城は、『関八州諸城覚書(毛利文書)』などの文献から、小田原の役まで、東金酒井氏の本城として機能していたことが分かっています。発掘調査でも16世紀中葉から後半の遺物が出土しており、文献との年代の一致が確認されています。

慶長18年(1613)には、徳川家康の命により、鷹狩りを行うための東金御殿が築かれました。

 

【デザインのご説明】

東金城の御城印は東金酒井氏の家紋「右巴(右巻の巴)」をデザインしました。合わせて、東金御殿の絵図(「東金古城之図」)をモチーフにしました。東金御殿は東金城の跡地に建てられた鷹狩りのための御殿であるため、東金上空を舞う鷹の姿も描きました。

東金御殿の絵図(「東金古城之図」)は、天然の要害であった東金城の峻険さと規模が感じられる絵図になっています。さらには、城下を通る街道や宿も描かれていて、東金の地が要衝に当たることが見て取れます。

徳川家康によって築かれた東金御殿でしたが、寛永7年(1630年)の徳川秀忠の御成りを最後に鷹狩りは行われませんでした。そして、寛文11年(1671年)になると、御殿は取り壊されました。

 

販売場所
みのりの郷東金

〒283-0005
千葉県東金市田間1300-3

0475-53-3615

年中無休(1/1~1/3をのぞく・臨時休業あり)
9:00~18:00(11~2月は 9:00~17:00)






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【国府台城のご説明】千葉県いすみ市

国府台城は夷隅川に面した台地に築かれた天然の要害です。現在、五柱神社が鎮座する平場が国府台城の主郭と考えられています。比高15mほどの台地の付け根を掘り切って独立させており、横堀も確認できます。かつては、「新郭」「城之内」という城郭地名も周辺に残っていたといいます。

万喜城土岐氏家臣の三階氏が城主との伝承も残りますが、築城主、築城年代など詳細は不明です。しかし、国府台城は土岐氏の本城万喜城から南西約1.5kmに位置していることから、万喜城の南方を抑えるための支城と考えられます。

夷隅川は国府台城の眼下でクランクしていて、その角部は流れが緩やかで船着き場にも利用できたと思われます。あわせて、国府台城の築かれた台地が夷隅川本流の渡河地を抑えられる唯一の場所であったとも考えられています。このように、国府台城は大多喜方面からの水運を抑えるとともに、さらには伊北と伊南を結ぶ街道に隣接し陸上交通を監視する役目も担っていたと考えられ、万喜土岐氏にとって重要な城郭だったことが推察できます。

また、国府台城から西へ三キロの距離に小田喜正木氏の支城とされる大野城があり、大野城と国府台城がそれぞれの勢力の境目の城として機能していたと推測されます。

天正初期以降は万喜土岐氏と小田喜正木氏との関係が悪化し、夷隅川を挟んで両者が向かい合ったと思われます。そのような状況下で、万喜土岐氏の最前線の城が国府台城だった可能性も指摘されていて、詳細は不明ながらもこの地域の歴史を物語る鍵になる城ともいえます。

 【デザインのご説明】

万喜城の支城だったと考えられる国府台城の御城印には、土岐氏の家紋「水色桔梗」をデザインしました。そして、夷隅川に削られた断崖に築かれた要害堅固な国府台城をイメージしました。

「国府台」という地名の由来については諸説ありますが、そのひとつに鸛(こうのとり)が飛来する地だったという説があります。御城印には、鸛が夷隅川に飛来した美しい景観を描きました。


販売場所
〒298-0003

千葉県いすみ市深堀1885-9

「海の直売所 アルファ」

電話番号:080-2387-4192

営業時間 午前9時から午後5時 年中無休









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小坪合戦ツアーのお知らせ

衣笠観光協会さんのツアーやります✨
2月26日(土)
午前と午後です。同じコースで開催します。
ご都合よろしい時間帯でお申し込みください♡

鎌倉駅をスタートして、また鎌倉駅に戻ってくるコースです。
大体3時間くらい。
大河ドラマにまつわるスポットに立ち寄ります✨

小坪合戦の舞台、畠山重忠の息子の重保ゆかりの史跡、その他の関連寺社など盛りだくさんです。
大河ドラマを見るのが100倍楽しくなります。

こちらは抽選になりますので、急がなくても大丈夫です。
締め切りは2月7日。

よろしくお願いしまーす。
詳細はコチラ!

【参加者募集】歴史体験ウォーキングツアー「三浦一族の足跡を追え!(第2回)」 - 衣笠観光協会 (yokosuka-kanko.com)

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2022年1月23日 (日)

衣笠城ツアー&タウンニュースコラム開始

横須賀市観光協会のツアーが告知開始になりました。
何度も開催している衣笠城周辺のツアーですが、大河ドラマが始まった今、また歩くと違った目線で楽しめるかもしれません。

まだ、衣笠城周辺を歩いたことがない方はぜひ!!
三浦一族の本拠地、衣笠!驚く歴史遺跡がもりだくさんです!
先着順です。

あわせて、タウンニュースでコラム連載が開始です。久しぶりにタウンニュースに登場しますので、こちらもお楽しみに✨


【山城ガールむつみとゆく】歴史追体験ツアー参加者募集!北条義時ドラマで注目の「三浦一族」。その本拠地衣笠を訪ねる。 – 横須賀市観光協会 (yokosuka-kanko.com)


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0121_yokosuka_3.jpg - Google ドライブ

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2022年1月22日 (土)

ときがわ町お城のコラム

埼玉県のときがわ町観光協会さんのHPにコラム書かせていただきました。
城攻めの参考になればと思います✨
良かったら小倉城と大築城に行ってみてください♪

むつみさんと行こう!「小倉城跡」編 - ときがわ町観光協会公式ホームページ (tokigawa-kankou.com)

むつみさんと行こう!「大築城跡」編 - ときがわ町観光協会公式ホームページ (tokigawa-kankou.com)

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2022年1月19日 (水)

いざ、富士川合戦&梶原景時滅亡の地へ!

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がついた始まりました✨

大河ドラマが100倍楽しくなるツアー、新コースが募集開始です♪

https://noatabi.co.jp/izahujikawa/

富士川合戦&梶原景時滅亡の地へ出陣します✨今回も内容盛りだくさん!

義経と頼朝が対面したと伝わる地、富士川の戦いの時に和田義盛が布陣したとされる地、梶原一族を弔ったと伝わる梶原堂を回ります。

さらに!なんと!梶原山へ!

梶原山は梶原景時が自害したと伝わる山。私はなんとしても皆さんをここにお連れしたかったんです。

でもここは、乗用車しか登れない山なので観光バスは無理!🙅‍♀️無理か〜と、肩を落としましたが、最強旅行会社のあたびは諦めません!なんと、途中でタクシーに乗り換えて梶原山に向かいます⛰

と、いうことで中村獅童さん演じる梶原景時が最後に見たかもしれない景色をツアーの最後に一緒に眺めましょう✨

ご都合よろしければ、ご参加ください。

先着順です♪

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2022年1月 4日 (火)

YouTube「いざ、衣笠合戦へ!(後編)」三浦一族ゆかりの地

お待たせしました!!
やっと衣笠合戦の後編ができました✨
今回は、衣笠城の本丸から山を下りて、大手道方面へ。
旗立て岩を見たり、三浦一族が脱出した尾根などを見て歩きます。

衣笠合戦の時、自分だけ城に残り、義澄ら一族を逃がしたとされる三浦義明。
義明の武功は語り継がれ、江戸時代には浮世絵の題材になるなど、多くの人々から愛されました。
その義明は城で討ち死にしたとも、城を出て自害、もしくは討ち死にしたなどとの伝承が残ります。
その伝承が伝わる腹切松公園などにも立ち寄ります。

では、今回も一緒に歴史の舞台にGO!

~鎌倉殿の13人!三浦一族が畠山重忠軍と戦った衣笠合戦の舞台~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!いざ、衣笠合戦へ!(後編)』 - YouTube

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2022年1月 1日 (土)

インタビュー記事掲載のお知らせ

明けましておめでとうございます。
昨年も大変お世話になりました。
今年も昨年以上にツアーやイベント、活動の幅を広げていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

おかげさまで、去年は164本のツアー&講演、イベントをやらせていただきました。
振り返るとビックリ。たくさんやりましたねー。体だけは壊さないように頑張ります!!

タウンニュース横須賀の元旦号にインタビュー記事が掲載されました✨

今月から三浦一族の紹介コラム連載も始まりますので、良かったら読んでくださいませ♪
ネットでも読めますので、タウンニュース横須賀をSNSなどでフォローしてみてください。

https://www.google.com/amp/s/www.townnews.co.jp/0501/amp/2022/01/01/606934.html


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2021年12月30日 (木)

オリジナルTシャツ&クリアファイル

新しくグッズが誕生しました✨
オリジナルTシャツとクリアファイルです。

・クリアファイル
300円(税込み)

A4サイズ・裏表イラスト入り※通販取り扱いあり。郵送料140円。その他、御城印等と同時購入の場合は郵送料が変更になる場合があります。お問い合わせください。


・オリジナルTシャツ
2500円(税込み)

5カラー
サイズはSS/S/M/L/LL/LLL
※在庫限りのため、カラーによっては在庫のないサイズがあります。お問い合わせください。
※サイズに関してはお気軽にお問い合わせください。
※通販では取り扱いません。ツアーなどで対面でのお渡しになります。購入希望の方はツアー事前にご連絡ください。



クリアファイル表
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クリアファイル裏
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オリジナルTシャツ
イラストは左裾に一カ所のみ(写真参照)

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2021年12月28日 (火)

今年の多古での活動報告✨

今年も多古城郭保存活用会でお城と歴史をテーマにしたさまざまなイベントや企画をやらせていただきました。
お城EXPOに出展したり、お城開きイベントを開催したり、御城印を出したり。
新聞記事などを一挙公開!!


お城開き記事・東京新聞
御城印の売上でたくさんのお城に標柱と説明板が立ちました🙌
さらに観光資源だけでなく、教育資源としてお城と歴史を活用するために、全国千葉氏こどもサミットのエントリー校になった中村小学校で授業もやらせていただきました。


子供サミット授業のYouTube
子供サミットの記事・広報多古12月号
子供サミットの記事・東京新聞
外から訪れる人、住んでる人、さらには子供たちに魅力が伝わってればいいなと思います✨
そのような取り組みを評価いただき、「夢まるふぁんど」から表彰いただきました✨
先人たちが築いた文化や歴史を後世に残し伝え、有形無形の文化財を保護伝承することを目的に文化国際貢献事業を行う団体に対して資金支援を行うのが「夢まるふぁんど」です。

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多古城郭保存活用会では、それをもとに多古のお城紹介動画を作成します🙌
完成を楽しみにしていてください♪


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来年も色々楽しい企画考えますので、多古に遊びに来てくださいませ😉

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2021年12月24日 (金)

お城EXPO2021終了

お城EXPO2021が無事に終わりました。
三浦一族ブースにもたくさんの方が立ち寄ってくれて感激✨
いろいろと応援の声もかけていただきました🙌

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三浦一族のブース♪

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講演もやらせていただいて、ありがたいことに満員御礼✨
ありがとうございました!


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シアターでは三浦一族紹介動画も放映していただきました。
入場開始前の大画面で観ました。
この動画は近日中に横須賀市観光協会などのサイトから観れるようになるので少しお待ちを。

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三浦一族の魅力を少しでも発信できて良かったです。
合わせて多古ブースにもたくさんの方が来てくれました♪

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多古の歴史とお城の魅力もお話しさせていただきました。こちらも満員御礼🙌
感無量です✨

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各地が繋がりながら広がっていくと、元気になる地域がどんどん拡大。
これからも神奈川県内、千葉県内、埼玉県内もろもろで楽しく頑張りたいと思います。

EXPOではたくさんの方にお会いできて、こちらも感無量❤

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萩原さちこさんと。


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クリスグレンさんと。


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畠中和久さんと。


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二宮博志さんと。


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後藤徹雄さんと。


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お城くんと。


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前田慶次さんと、れきしクンと。


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平山優先生と。


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萩原さちこさんと、加藤理文先生と。


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岐部さんと。


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あー、楽しかった♡






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2021年12月22日 (水)

能舞台で講義&フィールドワーク「いざ、鎌倉!」

鎌倉の旧村上邸で楽しい歴史のお話します✨
そして、軽いフィールドワーク付き!
お手軽に歴史を楽しめるイベントです。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をより楽しむために最適なイベントです♡

2022年1月31日!
ぜひ、お越しください✨

鎌倉殿の13人の時代を学びゆかりの地を歩く。 いざ、鎌倉。 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

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2021年12月16日 (木)

物見台城・長南城の御城印デザイン&販売開始のお知らせ

新しい御城印のお知らせです。
こちらもデザインと同封説明文を担当させていただきました✨


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販売開始・2021年12月20日(月曜)

道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)

休業日:年末年始(1月1日~1月2日)  

※お城エキスポ2021の多古城郭保存活用会ブースにて12月18日、19日先行販売

 

【物見台城のご説明】
物見台城は、多古町の南東部、南中「鴻巣集落」周辺の台地に築かれ、その台地が広範囲にわたり城郭化されたと考えられます。物見台城の西側には「相ノ谷(あいのやつ)」を挟んで中城があります。この相ノ谷は中村中央の台地に深く切れ込んだ重要な谷戸のため、物見台城と中城で相ノ谷を挟み、連携しながら監視を行っていたと考えられます。また、物見台城の東側には「中城坂」を挟んで土やぐら城があります。この坂道は、中村中央の台地へと通じる重要な街道であったと思われ、物見台城と土やぐら城が連携して監視を行っていたと推測できます。

南側を流れる借当川は、中世において多古・匝瑳地域の重要な水上交通路であったと考えられ、この借当川を直接眼下に監視できる場所に物見台城は位置しています。これらのことからも、築城年代や城主等の詳細は不明ながら、戦国期においては、この物見台城こそが中村中央の台地の南側を防衛・監視する中心的な城郭であったことが推察されます。

物見台城は、現在山林や畑になっていて、当時の全体像は不明ですが、「諏訪神社」周辺には土塁、空堀、桝形虎口等が残り、台地南西側には土塁、腰曲輪、物見台等が残っています。物見台の周囲には城郭遺構が良好に残っていて、特に長さ約100mに及ぶ土塁と帯曲輪は秀逸で、中世山城の姿を今に伝える貴重な城郭といえます。

物見台城の御城印は土やぐら城を含め、台地全体を利用して築かれたことが分かる縄張図をモチーフにしました。あわせて、城の名前の由来になった「物見台」に建つ物見櫓をイメージしました。この物見台は土やぐら城(物見台)と連携していたと思われ、この両方の物見台の位置を示すため、該当箇所を黄色で色付けしました。

そして、千葉一族ゆかりの地である多古の城郭には千葉氏が深く関わっていたと思われるため、千葉氏の家紋「月星」を描きました。物見台城がある中村地区には千葉胤貞の伝承が多く伝わり、胤貞創建の寺院が数多く残っています。

物見台城では、令和3116日に日本初の「お城開き」が行われました。「お城開き」では、山城のトップシーズンである秋から冬にかけての訪問者を歓迎すべく、城を整備し、安全祈願を行いました。全国各地からたくさんのご参加をいただき、お城整備のボランティア活動をしていただきました。その際に撮った記念写真をこの説明文の背景にデザインしています。

 

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販売開始・2021年12月18日(土曜)

○セブンイレブン上総長南店

千葉県長生郡長南町長南1198-2

電話:0475-46-1330

年中無休24時間営業

 

○道の駅あずの里いちはら

市原市浅井小向492-1
TEL 0436-37-8891

営業時間 午前9時~午後6時 ※一部営業時間が異なります。
定休日 毎月第2火曜日(祝日の場合は翌日) 、1/1~1/3

 

○千葉ポートタワー

千葉市中央区中央港1丁目
電話:043-241-0125

[6月~9月]
9:00~21:00(毎日)
[10月~5月]
9:00~19:00(月~金)
9:00~20:00(土日祝)
※最終入館は閉館時間の30分前までになります。

休館日12月28日~1月4日、2月28日(月)、来年度の定休日はお問い合わせください

※安全上において、強風等により臨時休業する場合があります。

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)



【長南(ちょうなん)城のご説明】千葉県長生郡長南町

長南城は長南川に沿うように形成された市街地の東側丘陵に築かれました。長南城が築かれた「長南」は、長柄郡の南部分にあたる、もしくは長柄郡の南方の場所との語源を持ち、上総国の山間部にあたります。周辺の丘陵は痩せ尾根となっていて、長南城はそれらの丘陵部や谷を取り込むように城郭化され、約1km四方の範囲に城郭遺構が認められる千葉県を代表する大規模城郭といえます。妙見社~太鼓森の丘陵には造成された平坦面がみられ、また、長久寺周辺には堀切、切岸、腰曲輪などのまとまった城郭遺構が認められます。

長南城の築城年代や築城主などの詳細は不明ですが、長南の地は上総平氏の流れである長南氏の支配を経て、上総武田氏の領するところとなりました。かつての長南氏の城館がいずれにあったかは不明ですが、武田氏がこの地に入ってきた後は長久寺から太鼓森に掛けての丘陵に長南城を築城もしくは整備したと思われます。

武田氏が守護を務めていた甲斐国は上杉禅秀の乱(1416)以降、混乱状態にありましたが、永享の乱(1438)の頃に武田信重が守護として復権し、弟の信長は鎌倉公方足利成氏に仕え成氏の側近となりました。

そして、享徳の乱(1454)を契機に信長は成氏の命を受けて上総国に入部し、敵対する関東管領上杉陣営との戦いの拠点とするため、長南城と真里谷城を築いたと伝わります。そして、上総武田氏は真里谷城(木更津市)を拠点とする真里谷武田氏と、長南城を拠点とする長南武田氏に分かれていきました。

長南武田氏は真里谷武田氏に比べて良質な文献が少ないため、不明なことが多く、確実に実在が認められているのは最後の当主豊信だけです。

豊信はその手腕を発揮し、16世紀の中頃には長南と池和田(市原)までを領国化し、衰退した真里谷武田氏にかわって戦国大名となりました。しかし、最後は小田原北条氏に属し、小田原落城の際は北条氏と運命を共にし、豊信は自害したと伝わりますが、地方に逃れたとも伝わっています。

その後、徳川家康の関東入部に伴い、本多忠勝が天正18年(1590)6月~7月の間、長南城に滞在したとされています。

周辺の丘陵や宿などを取り込んで、長南武田氏の大城郭となった長南城の御城印には、その規模が分かる地図をモチーフにしました。長南城の最高所は標高約80mの「太鼓森」と呼ばれる丘陵で、太鼓森には平坦に造成された曲輪が点在し、現在は妙見社が建っています。太鼓森はその名の通り、有事の際には合図、伝令の太鼓が打ち鳴らされたと伝わることから、御城印には太鼓を描き、当時をイメージしました。

長南武田氏の最後の当主豊信は里見氏と北条氏の間を巧みに生きた房総を代表する戦国武将です。御城印には豊信の肖像画(長南町郷土資料館提供)と花押をデザインするとともに、武田氏の家紋「四つ菱」を配置しました。


どちらの御城印も歴×トキにて通販取り扱いいたします。
よろしくお願いします。




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「山城ガールむつみさんと歩く三浦一族ゆかりの地」お城EXPO2021追加情報

12/18.19にパシフィコ横浜で開催されるお城EXPO2021の追加情報です。

横須賀市さんと一緒に作らせていただいた三浦一族紹介動画「山城ガールむつみさんと歩く三浦一族ゆかりの地」がお城シアターで公開されます✨

18日9:10~
19日14:15~

追加料金不要で、お城シアター会場で観れます。20分弱の動画ですので、よかったらご覧くださいませ♪

エキスポサロン講演会の整理券情報も分かったので記します。
講演会も追加料金無しでご参加いただけます。


18日12:00-13:00三浦一族の歴史とゆかりのお城⇒9時から3階カウンターにて整理券配布
   16:00-17:00多古のお城の魅力⇒13時から3階カウンターにて整理券配布

19日10:00-11:00三浦一族の歴史とゆかりのお城⇒9時から3階カウンターにて整理券配布
   16:00-17:00多古のお城の魅力⇒13時から3階カウンターにて整理券配布


講演会の詳細や整理券情報は以下のサイトをご覧ください。
http://www.shiroexpo.jp/theme/

それと、Tシャツのカラー4色の写真も載せておきます。
こちらもよろしければ♡

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2021年12月13日 (月)

お城EXPO2021のお知らせ

12/18.19にパシフィコ横浜で開催されるお城EXPO2021に三浦一族城郭保存活用会(歴×トキ)でブース出展&講演会4本やります。
お城EXPOのチケット情報などの詳細は以下のサイトをご覧ください。
http://www.shiroexpo.jp/

エキスポサロン講演会(追加料金無し・事前整理券配布)
18日12:00-13:00三浦一族の歴史とゆかりのお城
   16:00-17:00多古のお城の魅力
19日10:00-11:00三浦一族の歴史とゆかりのお城
   16:00-17:00多古のお城の魅力

講演会の詳細や整理券情報は以下のサイトをご覧ください。
http://www.shiroexpo.jp/theme/

そして、ついに山城ガールむつみオリジナルクリアファイルとTシャツの販売開始✨
私のブースで販売します♪
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あと、私がデザインした2つのお城の御城印が販売開始
・多古城郭保存活用会ブースにて「物見台城」
・横浜の中世城郭ブースにて「限定版小机城」

日本一のお城の祭典✨是非お越しください。
わたしもブースや会場にいますので、見かけたらお声かけください♪

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2021年12月11日 (土)

頼朝と三浦一族の足跡を追う!「いざ、安房国へ!」

安房国ツアーやってきました✨
衣笠合戦で負けた三浦一族は怒田城から船に乗って、久里浜湾から安房に向けて出発しました。

ツアーでもその足跡を追うべく、久里浜港からフェリーで出陣!
観光バスごと、フェリーに乗り込みました。


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ツアーは2日程やりましたが、観光バスでフェリーに乗り込むとテンション上がります。


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バスが目立つ~



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浦賀水道を一気に渡ります。
この古代からの海の道は、三浦半島と房総半島をときには結びつけ、ときには境界の壁となって勢力のぶつかり合いの舞台となりました。


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正面のマンション群は横須賀市鴨居。三浦一族の多々良氏の本拠地。三浦義明の弟の義春から始まる家系です。
現在の鋸南町佐久間に領地をもらって、佐久間氏としてさらに分家しました。
その系統が、分かれたりしながらずーっと続いて佐久間象山に続くともいわれています。



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三浦半島の南側、三浦海岸、菊名浜方面が見えています。
このあたりには三浦一族の津久井氏が拠点とした津久井の地です。
津久井氏は承久の乱で朝廷方につき、滅びます。津久井には菩提寺東光寺が残り、いまもなおその菩提を弔っています。



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フェリーの上では、40分間ずっと景色を見ながら歴史のお話をしていました。
里見と北条が戦いを繰り広げた戦国時代の話まで、もりだくさん。
書き切れないので、ぜひいつかツアーにお越しください✨

また同じコース、いつか開催します。


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ランチを食べた後は、頼朝上陸の地へ。
頼朝は真鶴から土肥実平と船に乗って、安房へやってきます。


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真っ正面が真鶴。
頼朝よりも一足先に安房に着いていた三浦氏、北条氏。
この海をどんな気持ちで眺めて、頼朝を待っていたのでしょうか。



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ついに頼朝合流!
我々も奮起して、ここから再起をかけた進軍開始です!!


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南房総市平松城へ。
ここは安西景益ゆかりの城です。お城自体は戦国時代のものですが、この周辺に安西景益が屋敷を構えていたと伝わります。
安西景益は安房の豪族で、このあたりに広がっていた丸御厨を管理していたともいわれています。
安西氏の娘は和田義盛の奥さんの一人になり、生まれた子が朝比奈義秀とも伝わります。三浦一族とも親密な関係を築いていた安西氏。
海を行き来しながら勢力を広げた互いの姿が浮かび上がります。



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このあたりは「丸」といって荘園がひろがっていました。
この荘園は前九年の役の功で、源頼義に与えられて以来、源氏ゆかりの荘園でした。
さらに義朝が息子の頼朝の昇進を願って伊勢神宮に寄進。丸御厨になりました。
頼朝は子供のときにこの地を訪れていた可能性が高く、安西景益とも馴染みだったと考えられています。

そのため、安房に上陸した頼朝は景益に手紙を書き、協力を求めました。
そして、安西景益の屋敷を訪れたのです。

平松城周辺は田畑になり、山々が美しく、景益や頼朝が見た景色を想像することができました。



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平松城の主郭。
木々がなければ、鏡浦(館山湾)やそこから入り込む河川も見えます。
この平松城が水運の要衝だったことがよくわかります。
安西氏は戦国時代には正木氏の配下として、おそらく海賊衆の一端を担っていたのではないでしょうか。



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そして一戦場古戦場へ。
こちらは、安房の平家方の勢力、長狭常伴と三浦義澄が戦った合戦の舞台です。
長狭氏と三浦氏は因縁の対決。実は和田義盛の父杉本義宗は1163年に起きた長狭氏との戦いの傷がもとで命を落としました。
そのことからも三浦氏がその段階で安房国に勢力を広げていたことが分かります。


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古戦場の上には展望台。ここからだと地形がよく見え、頼朝の伝説が残る仁右衛門島も見えます。
今日のツアーの最後はこの景色を堪能し、次に進む上総国、下総国に思いを馳せました。
さぁ、この次は上総&下総に出陣です!
ぜひ一緒に歴史の旅に出ましょう♡
ブログでは書ききれない楽しい歴史の情報が盛りだくさん!
なんせ、わたし、12時間喋り続けてるので笑

1/19・1/29 いざ、上総国へ! 上総一之宮玉前神社詣と千葉城 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

それと、前にやった韮山コース、石橋山合戦コースをもう一度やります✨

こちらもぜひ♡
楽しいですよ♪
2/28 頼朝旗揚げの地・韮山!頼朝と政子ゆかりの北条の里巡り | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

3/19いざ 石橋山合戦へ!頼朝旗揚げの合戦地と古道を歩く | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

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2021年11月25日 (木)

神崎町のお城紹介&御城印発行のお知らせ

神崎(こうざき)城はかつての香取の海、現在の利根川に突き出た丘陵に築かれました。神崎城は「東の城」、「中の城」、「西の城」の3城から成っており、この3城を総じて「神崎城」と称します。

神崎城は千葉氏隆盛の祖である千葉常胤の曾孫にあたる神崎師時が鎌倉時代中期に築城したと伝わりますが、現在の遺構は戦国時代末期のものと推察されます。

城域は丘陵全体に広がり、その規模は南北約2キロメートル、東西約500メートルに及びます。そして、丘陵上に連なるように東の城、中の城、西の城を設け、さらには周囲に田向城、小松城を築き、それらすべてが連携する構造となっています。

このように配置された防衛網は、神崎周辺の湊に対する重厚な監視機能と富の利得の機能をも有していたと考えられ、これらの湊からの富こそが歴代の神崎氏繁栄の一翼を担っていたものと推察されます。

神崎氏は途中の中絶はあるものの、師時以来、神崎地域の領主として君臨し、戦国時代には千葉氏を介して後北条氏に属しました。天正18年(1590年)の小田原合戦の際は、小田原城に入城し、豊臣方との戦いにのぞみましたが小田原北条氏の敗退にともない、神崎城も開城落城しました。まさに神崎城をはじめとする城郭群こそが、中世を通して神崎を領した神崎氏の繁栄の証といえます。

神崎城の城下には中世から街道が通り、宿が形成されていたと思われます。御城印には、水上交通と陸上交通の要衝地だった神崎の地図をモチーフにしました。

神崎のシンボルである神崎神社は、ランドマークとして古くから存在しており、その由緒ある歴史と風光明媚な周辺の景色は絵図にも描かれました。御城印には神崎の周辺に広がっていた香取の海と行き交う舟、そして神崎神社の鎮座する神崎山から神崎城へ続く丘陵をデザインしました。

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東の城は三城の中では、もっとも古いものと推定されています。神崎師時が最初に築城した場所ではないかとも伝わります。

城郭遺構としては、土塁、空堀が残るとともに、楕円形状を呈する狭い一郭と長径約110メートル、短径約50メートルに及ぶ方形の二郭に分かれています。


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中の城はその名の通り、三城の真ん中に位置します。南側は急崖となっていて、神崎神社別当寺の神宮寺の境内地に繋がっています。

東西約130メートル、南北約110メートルの方形の区画が形成され、北側には古墳を利用した物見台と、そこから伸びる土塁が良好に残っています。


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西の城は三城の中でもっとも城域が広く、戦国期にはこれらの城郭群の中で中心であったと推察されます。

現在は、町の公共施設が建っていますが、周辺には土塁、空堀跡が残存するとともに、崖地部分にはいくつかの腰曲輪も良好に残っています。この腰曲輪による重厚な防衛構造は西の城の特徴の一つといわれており、比高約30メートルの台地及びその周囲の人工的な急崖化とともに、戦国期の房総の城郭の特徴を良好に残す城郭として評価されています。

 

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3枚並べると神崎の美しい風景が完成するようにデザインしました✨
かっこいい!(自画自賛)


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神崎町は宿場の雰囲気も随所に残り、酒蔵、醤油屋さんなどの蔵などが建ち並びます。とても素敵な町。
打ち合わせにいったときも、こんなふうに歓迎してくれました♡
「山城ガール打ち合わせ」笑


そして、驚き。これなんだと思いますか?
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ペンキを塗り塗り…
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黒いシールを貼って…

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ペリっとめくると…
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綺麗な文字が現れて…

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どーんと完成✨
手作りの標柱!!

ビックリ!こんなに綺麗にできるもんなの?!

おそるべし!神崎町!
こんな完成度の高い標柱は初めてです笑


この標柱を見に、神崎町に行ってみてくださいね。

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3城から成る神崎城は、町役場から歩いてすぐ!行ってみよう!
こんな坂を上がっていきます。


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広場に出ます。ここが東の城の主郭。


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さらに進むと…

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堀が綺麗に残ってます。

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上から見ると圧巻の堀!

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進んで行くと、中の城に続きます。古墳の看板。

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古墳を櫓台にしていた感じ。
少しの高さだけど、見晴らしイイ。

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堀底ハイキング。

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中世の板碑が!

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腰曲輪の休憩どころ。

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西の城は町の施設が建ってます。

わずかですが周囲には土塁。


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貝塚もあり。

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稲荷さまが祀られてる祠は櫓台に建ってます。

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やぐら!横穴墳墓じゃなくて、やぐらでしょう。

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神崎氏は鎌倉時代からここにいたので、どの段階かは不明ながらも、神崎氏が造ったやぐらなのでしょう。

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中の城の麓には神宮寺。神崎神社の別当寺。

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境内はおごそかな雰囲気。

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なんと600年代から鎮座する神崎神社!

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ご神木が素晴らしい。

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神崎町は発酵の町。
美味しい発酵料理の楽しめるお店がいくつかあります。

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今回は「うふふ」という可愛いお店にお邪魔しました。

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おいしかった!
ぜひ神崎町にお出かけくださいませ✨


御城印販売場所

○道の駅 発酵の里こうざき
千葉県香取郡神崎町松崎855
TEL:0478-70-1711 FAX:0478-70-1616

9:00-18:00

 

○道の駅あずの里いちはら

市原市浅井小向492-1
TEL 0436-37-8891

営業時間 午前9時~午後6時 ※一部営業時間が異なります。
定休日 毎月第2火曜日(祝日の場合は翌日) 、1/1~1/3

 

○千葉ポートタワー

千葉市中央区中央港1丁目
電話:043-241-0125

[6月~9月]
9:00~21:00(毎日)
[10月~5月]
9:00~19:00(月~金)
9:00~20:00(土日祝)
※最終入館は閉館時間の30分前までになります。

休館日12月28日~1月4日、2月28日(月)、来年度の定休日はお問い合わせください

※安全上において、強風等により臨時休業する場合があります。

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)


ネット販売
歴×トキHPにて  https://www.rekitoki.com/

 




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2021年11月14日 (日)

「まるごとしすい」に御城印コーナーが登場!

千葉県印旛郡酒々井(しすい)町の「まるごとしすい」に御城印コーナーが登場✨
酒々井町の名産特産と一緒に置いていただいて光栄です♡
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幟も登場♡
御城印ご購入の際には、私が作成したお城紹介のリーフレットもつきますよ。


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本佐倉城は、城下を取り込んだ巨大城郭です。ぜひ、周辺を散策して、その大きさと城下の構造を感じて楽しんでください。
まるごとしすいの横には、江戸幕府の牧場「佐倉牧」の土手が残ってますよ。お立ち寄りの際には見てみてください🐴

酒々井のアウトレットの目の前ですよ♪
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本佐倉城の簡単な説明は以下です。
享徳の乱がきっかけでおきた千葉一族の内紛により、馬加康胤らが千葉宗家の館(今の猪鼻城とかのあたり)を急襲。
それにより、千葉宗家当主胤直らは香取郡多古に逃げ込み、志摩城に籠りました。そして、馬加康胤らと戦いますが、敗北。千葉胤直、嫡男宣胤、胤直の弟胤賢らは多古で自害し、千葉宗家は滅亡しました。

しかしそんな状況の中、胤直の弟胤賢の子の自胤(よりたね)、実胤は武蔵国に脱出しました。石浜のあたりに逃れたといいます。

千葉一族の宗家滅亡後に、千葉氏を継承したのが千葉輔胤(岩橋輔胤)の系統です。岩橋に城を構え、続いて本佐倉城を築き、下総国統治の拠点にしたのです。


岩橋城
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そもそも、享徳の乱で鎌倉公方と関東管領が対立関係になったとき、胤直は上杉氏に、康胤は公方を支持。そのため、お家騒動になったのです。そのため、逃れた自胤(よりたね)、実胤は上杉氏の保護のもと、千葉宗家奪還へと動くことになります。それをバックアップして一緒に戦ったのが、扇谷上杉家の家宰太田道灌です。

 

本佐倉城が築かれた背景は、こんな感じです。
そのあと、長尾景春の乱が起きたり、道灌が殺されたり、北条早雲(伊勢宗瑞)の台頭など、情勢はどんどん変化します。

道灌が死んだことにより、石浜に逃れた武蔵千葉氏は衰退。佐倉千葉氏は関東の動乱の中、生き残りを掛けて戦いますが、最終的には小田原北条氏の配下に入り戦国時代の終わりを迎えました。

本佐倉城は豊臣軍の来襲に備え拡張整備され、さらに徳川家康が入ってくると家康の5男武田信吉が入封しました。そのときにも大規模な改修が行われたと思われます。

 

本佐倉城は城下町全体を城郭化した巨大な城です。

まわりには、厳島砦、浜宿砦、肥前屋敷、右京屋敷、妙胤寺などの城郭遺構が存在します。


厳島砦
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妙胤寺
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本佐倉城は丸一日、歩いて楽しめるお城のアミューズメントパークです。

ぜひ、お出かけして、お帰りにはまるごとしすいで酒々井の名産をお買い求めください♡

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2021年11月10日 (水)

鎌倉殿の13人の盛り上がりいろいろ~本屋さんとかツアーとか講演会とか~


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のスタートに向けて、上大岡京急百貨店内の八重洲ブックセンターに特設コーナーが誕生✨
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私が書いた三浦一族を紹介したチラシも貼ってもらいました✌️
今後は三浦一族に限らず、ドラマを観るのが楽しくなるオススメ本も選んでこのコーナーに置いてもらいたいなと思ってます(^^)
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八重洲ブックセンター上大岡店に行って、色々と情報収集してみてください📕
京急百貨店カルチャースクールCOTONOWAでも講座やってるので、そのチラシも置かせてもらいました☺️カルチャースクールもよかったらぜひ✨


他にもドラマに向けて色々盛り上がってます。
三浦一族タクシーツアー(横須賀観光協会主催)のご紹介✨今後、シリーズ化する予定💨
まず第一回は11月23日、12月3日の2日程(同じ内容)です。
申し込みは以下から。

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ツアーのテーマ「小坪合戦」のYouTubeはコチラ

それと、12/11に三浦一族研究会の講演会もありますよ!会員じゃなくても参加できます。
講師は坂井孝一先生です!!楽しみすぎます🙌

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「承久の乱〜北条義時の華麗なる逆転劇〜」
申し込み詳細は写真をご覧ください。
ちなみに私が司会やりまーす✨

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2021年11月 9日 (火)

YouTube「いざ、衣笠合戦へ!前編」三浦一族ゆかりの地を歩く

新作YouTubeアップしました✨
ぜひ観てください♪

今回は葉山の鐙摺城をスタートして、衣笠に向かいました。
畠山重忠軍が通ったかも?という道筋を追いかけて歩きました。

三浦一族が平家方の大軍勢と戦った衣笠合戦!
治承4年(1180)8月26日、畠山軍を筆頭にした秩父党に衣笠城を攻め囲まれました。
大軍の襲来に持ちこたえられず、三浦一族は棟梁の三浦義明を残し、夜陰に乗じて脱出。
舟がたくさん泊めてあったと思われる怒田城へと向かいました。そこから、海路で房総半島を目指したのです。


そんな歴史ロマン満載の衣笠合戦を前編後編に分けてお届けしてます。
今回はまず前編!お楽しみください♡
~鎌倉殿の13人!三浦一族が畠山重忠軍と戦った衣笠合戦の舞台~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!いざ!衣笠合戦へ!』 - YouTube



そして、そんなコースを一緒にたどれてしまうツアーもあります。ぜひ、ご一緒しましょう~✨
11/16・11/20 いざ 衣笠合戦へ!衣笠城と三浦一族脱出の舞台・怒田城 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

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2021年10月31日 (日)

ツアーレポ&ツアー告知と雑誌掲載とラジオ出演 もりだくさんのお知らせ

秋めいてきて、いい季節✨
ツアーレポ&ツアー告知です。楽しいツアー満載です。一緒に歩きましょう~♪
ツアーレポの下に、いろいろなツアー情報書いてあります。


のあたび小坪合戦ツアー無事に2日程が終わりました。
両日ともに楽しかったです。
同じコースはまた来年開催しますのでお楽しみに!!

今回のコースは藤沢から江ノ電に乗って和田塚へ。
和田塚から、ウォーキングスタートです。
江ノ電の中でも、ガイディングレシーバーがあるのでたくさんお話ししました。
和田合戦、小坪合戦や戦国時代の北条早雲(伊勢宗瑞)の来襲などなど。
車窓から海を眺めて、思いを馳せました。
さぁ、和田塚駅を下りたらツアースタート!


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和田合戦の戦死者を弔う塚といわれている和田塚に立ち寄り。
たくさんの中世の石塔が残っています。
南北朝から、戦国時代のものでしょうか。
空輪、風輪がしっかりとしてて、梵字が綺麗に刻まれているものもあるので結構古そう。
いずれにしろ、この由比ヶ浜周辺が数々の戦いの舞台になったことを物語っています。


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小坪合戦は頼朝と合流できなかった三浦一族が、衣笠に戻る途中の由比、小坪付近で起きた戦い。
平家方の畠山重忠の軍勢と戦うことになったのです。
この美しい浜が合戦地!

畠山重忠と三浦氏は親戚関係なので、和睦が結ばれましたが…。

情報がちゃんと伝わっていなかった和田義盛の弟の義茂が、和睦が成ったことを知らずに畠山軍に攻撃をしてしまったのです。
これにより、戦いが始まってしまいました!
義茂は、杉本寺方面から小坪の状況を見て、小坪方面に向かい尾根を進軍したと思われます。
今回のツアーではこの義茂の通ったコースをあとで歩きます!


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和賀江島。現存する最古の港湾施設。潮が引くと、当時の湊の石積みが顔を現しますよ。
天気がいいので小早がたくさんとまってます笑

この小坪は鎌倉の東に境界に当たる要衝地です。小坪の峠を越えると三浦半島。

なので、戦国時代にも戦いの舞台になりました。
小坪の浜の上にそびえるのは戦国時代三浦一族の海城だった住吉城!
ここは北条早雲の軍勢に攻められ、三浦道寸の弟の道香が半年にわたり籠城した城です。
結局、道香は持ちこたえられずに城を出て延命寺で自害したと伝わります。


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住吉城の麓には海前城があります。時宗。山号は「供養山」。
まさにここが住吉城の戦いの戦没者を弔う役目を持っていたのだと思われます。
戦国時代の石塔がたくさん残っています。

小坪「別邸」で美味しいランチを食べたら、午後も元気に出陣!
午後は、小坪合戦のときに杉本寺方面から駆けつけた和田義茂の足取りをたどります。
そのため、マイクロバスに乗って杉本寺にワープ!
なんて楽しいツアーなんだ!!(*^^)v



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と、いうことで杉本寺に到着。
杉本寺の前を通る六浦道は、奈良時代からあった道と思われます。なぜなら、杉本寺が奈良時代からの古刹なので。
この六浦道沿いには、荏柄天神などが古くから存在し、六浦道と今小路が交差する場所には源氏代々の屋敷が置かれたのです。
杉本寺の前にある低地の平場。ここには三浦一族の屋敷があったと推測されています。

発掘調査では和田義盛の父、杉本義宗の頃と一致する調査結果が出ています。
義宗はこの「杉本」の地をもらって「杉本」を名乗ったと考えられ、まさにここが三浦一族ゆかりの地です。
なので、小坪合戦のときに和田義茂がこのあたりにいたのです。

ちなみに、杉本寺の背後の山は南北朝期には杉本城が築かれ、北畠顕家に攻められ落城しました。


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と、いうことで和田義茂がいたと思われる杉本から山の中の道を小坪に向かって進軍します。
えいえいおー!!


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なかなかハードな山道をゾロゾロと進軍。
この山道には、途中に不自然な平場が数カ所あります。
中世の五輪塔も残っていたりして、おそらく鎌倉が戦乱に巻き込まれた15世紀頃に見張りかなにかの施設として築かれたと私は考えています。

その一カ所からは、小坪方面が丸見え!
もしかしたらここから義茂が戦況を見たのかな?と思うとワクワクドキドキがとまりません♡


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山道を抜けたら、最後は来迎寺へ。
ここは時宗のお寺。
頼朝が三浦義明の菩提を弔うためにつくったとの伝承もありますが、一緒に供養されているのは多々良重春。このひとは小坪合戦の三浦方の戦死者です。なので、おそらく小坪合戦の戦死者を弔う側面のあったお寺なのだと思います。

裏には、室町期から戦国期と思われる石塔がたくさん。
この小坪という土地でたくさんの戦いが時代を問わず起きた証拠品といえると思います。
小坪合戦ツアー、最後にふさわしいお寺で手を合わせたらツアー全行程終了です。


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鎌倉駅に戻り、地図で歩いたコースを確認したら充実感、やりきった感で皆で拍手。功をねぎらい合いました✨
次回は小坪合戦が引き金となって起きた衣笠合戦の舞台へ!
一緒に出陣しましょう~

のあたびツアー※11月衣笠合戦編、12月房総半島脱出編ともに募集開始になりました。
鎌倉殿の13人先取りシリーズ | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

今回のコース小坪合戦、よろしければYouTubeもどうぞ✨
山城ガールむつみの出陣のススメ!!「いざ!小坪合戦へ」 - Bing video



その他のツアー情報はこちら。
情報解禁です♡


横須賀市観光協会ツアー(先着順)
三浦一族ゆかりの地めぐり

三浦一族タクシーツアーやります。
まず第一回は11月23日、12月3日の2日程です。

これまた楽しいコースです。タクシーならではのコースになってます。
先着順なのでお急ぎくださいませ✨

Booking engine (bokun.io)
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横浜のお城ツアー(先着順)
11月28日(申し込み開始は11月8日)

権現山城周辺を歩きます。

1月23日(申し込み開始は12月23日)
蒔田城周辺を歩きます。

申し込みは以下のチラシをご覧ください。
申し込みメール先は
shiromachi.guide@gmail.com
です。申し込み開始以降にお申し込みくださいませ。

※12月12日はお城ジオラマ復元堂の二宮博志さんによる茅ヶ崎城ツアーです。そちらもあわせてぜひぜひ。
詳細はチラシを。

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旅行読売12月号にコラム書かせていただきました。
山城特集や温泉特集もあって最高です✨
ぜひ、お買い求めくださいませ。

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11月2日
17:00-18:00
bayFM「bayline」に出演します。
お城の話とか歴史の楽しみ方?なんかをお話する予定です。
聞き逃しても1週間はradikoで聴けますので、お時間よろしいときに聴いてみてください♪











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2021年10月28日 (木)

本佐倉城の御城印&御城印帳のお知らせ

千葉県が誇る「本佐倉城」!!
そのNEWバージョンの御城印をデザインさせていただきました✨
さらに、御城印帳もデザインさせていただきましたよ♡
本佐倉城の御城印はすでに発行されていますが、今回はNEWバージョンです。

本佐倉城は巨大な城郭都市になっているので、その広大さ、堅固さをデザインに込めました。


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「本佐倉城」

下総守護千葉氏が文明年間(1469年~1486年)に築城し、天正18年(1590年)に滅亡するまでの約100年間、当主9代が居城した戦国時代の城です。水上交通の大動脈であった印旛浦に面し、主要街道が交差する陸上交通の要衝の地に築かれました。
面積約35万㎡の規模を誇る本佐倉城は10の郭から構成され、防御性の高い内郭群と広大な外郭群にわけられ、さらにその周囲には城下町が形成されました。

すべて土の造成によって構築された大規模な空堀や土塁、櫓台に守られた郭群や虎口は現在も明瞭に姿をとどめ、戦国時代の城の迫力と息吹を感じさせます。平成10年9月11日に貴重な文化財として国史跡に指定されました。

デザインの説明
水上交通の要衝であった印旛浦に面して築かれた本佐倉城の御城印には、その印旛浦を望む風景を描きました。
本佐倉城の城下は、城郭や寺院などに囲まれた広大な城郭都市でした。城下には佐倉宿、酒々井宿、鹿島宿、浜宿などの宿が形成され、浜宿湊も存在しました。

そして、丘陵には厳島砦などと呼ばれる城郭が築かれるとともに、勝胤寺などの寺院や「右京屋敷」「肥前屋敷」などといわれる有力家臣の屋敷も城郭化されました。まさに本佐倉城は、その周辺地域も含め、城下町全体が城郭化された難攻不落の城でした。御城印には本佐倉城周辺の地形や城郭、寺院、家臣屋敷等がわかる地図をデザインしました。

さらに、千葉氏の家紋「月星」と「九曜」をそれぞれ配置し、あわせて8代邦胤の龍の朱印をモチーフにしました。邦胤は里見氏の侵攻に対抗しながら家臣たちをまとめていきますが、天正13年(1585年)に若くして死去しました。この邦胤の後継者争いが深刻化したことによって、小田原北条氏の氏政、氏直の佐倉進駐をもたらすことになったのです。




そして、こちらは御城印帳!
オモテとウラで、中世と近世を楽しめるようにデザインしました✨
1冊3850円です。


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御城印帳デザインの説明
今回の御城印帳はオモテに本佐倉城、ウラは佐倉城をモチーフにしました。本佐倉城は千葉氏の最後の居城です。城下は広大な城郭都市になっていました。本佐倉城の目の前には交通の要衝であった印旛浦が広がり、当時は風光明媚だったことでしょう。しかし、近世には佐倉城が築かれ、この地域の中心は佐倉へと移っていきました。
御城印帳の1冊で、本佐倉城から佐倉城へ、中世から近世へ、そんな歴史の移ろいを感じて思いを馳せていただけたら嬉しいです♡

販売情報は以下です。

※販売開始日が異なります。

○佐倉市観光協会の各案内所販売開始2021年10月30日(土曜)

・京成佐倉駅前観光案内所

千葉県佐倉市栄町8番地7(佐倉市観光協会内)

043-486-6000

8:30~17:00

年中無休(年末年始は除く)

 

・JR佐倉駅前観光情報センター

千葉県佐倉市六崎169-17

043-485-9700

9:00~17:00

休業日:12月29日~1月3日

 

・ふるさと広場売店「佐蘭花」

千葉県佐倉市臼井田2714

午前9時~午後5時

※休業日 年末年始

 

○まるごとしすい販売開始2021年11月3日(水曜)

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

〇ネット販売

・「しすいノいいモノ」

※11月3日から開始

https://tsuku2.jp/shisuinomono

「しすいノいいモノ」ネット通販価格は、御城印帳1冊3850円(税込)、御城印400円(税込み)となります。

※別途送料500円がかかります。送料は複数冊、複数枚ご注文でも一律です。

通販に関するお問い合わせは、

まるごとしすい 043-376-6810

 

※御城印帳は歴×トキ取り扱いなし。

※御城印は歴×トキ取り扱いあり。(10月30日販売開始)
料金等は歴×トキで取り扱っているその他の後城印取り扱いと同じです。

 



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2021年10月20日 (水)

新ツアー「プラたび」募集開始のお知らせ

湘南小田急住まいのプラザさんとのコラボ企画✨
「プラたび」第一弾です!!

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プラプラのんびり歴史の旅へ。
いつもみたいにガツガツ歩く歴史探検もいいけど、今回はのんびりプラプラ歩きましょう。
美味しくて鎌倉っぽいオシャレなランチと、カワイイお土産付きです♡
わーい♡楽しみ✨

プラプラですが、歴史を知って感じるワクワク感は満載!
ガイディングレシーバーがあるので、歩きながら楽しくタップリお話しします♡


詳細は以下!
申し込みお待ちしてまーす。
小田急住まいのプラザ企画〝プラたび〟第1弾 | プラたび | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

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2021年10月 6日 (水)

千葉県匝瑳市の講演会のお知らせ

千葉県でまた新たな繋がりが生まれましたー✨
今度は匝瑳(そうさ)市です。匝瑳市は多古町のお隣です。以前、八日市場城の御城印の発行のときに関わらせていただきました。
「匝瑳」というのは、平安時代の辞典である和名類聚抄にも掲載されている地名で、古くからの歴史を有する魅力的な地域です♡

多古町を回ってると、川を挟んだ目の前の山がまさに匝瑳市です。
匝瑳も山城の宝庫!!

多古と匝瑳が繋がって、一緒に何かやれれば楽しいな、と思っていたところ…
ついに実現しました✨やったー!


多古町の「歴史とお城を使った町おこし」にご賛同いただいた匝瑳の方々が「匝瑳城郭保存活用会」を立ち上げました。
わたしもアドバイザーに就任させていただきました。
多古と匝瑳。どんどん盛り上げていきたいと思います!

楽しいアイディア出しますのでお楽しみに!!

先日の多古町中村小学校の授業が東京新聞に取り上げられました!
匝瑳でもこういう取り組みしたいですね。



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匝瑳市での活動のスタートとして、立ち上げイベントを開催します。
わたしもお話しさせていただきます(*^^)v

前日は多古の「お城開きイベント」がありますので、泊まりがけで、多古、匝瑳を連日楽しんできます✨
みなさんも、ぜひ多古のお城開き整備ボランティア体験イベントと、匝瑳城郭保存活用会の講演会にお越しください♡

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上の地図の
星が多古の多古城、太陽が多古の志摩城、惑星が多古の並木城、ハートが多古の中城&物見台城、土やぐら城のエリア、渦巻きが匝瑳市の大堀城、ザッとですが赤線が 多古町と匝瑳市の境界です。もう目の前。
連携して、一緒に歴史発信しなきゃいけないエリアですね。行政が違うからって分かれてやってはいけません笑

いろいろと難しいこともあるかもしれませんが、今後はこうやって地域が繋がり、輪が広がりながら魅力を発信する動きが出るといいなと切に思います!
まずは、多古町と匝瑳市、連携して進んで行きたいです✨
詳細は以下です。



匝瑳城郭保存活用会結成記念講演会およびパネルディスカッション開催

日時:2021年11月7日(日)13:00~16:30
参加費:1000円
募集人数:80名(申込先着順)
会場:八日市場公民館
住所:千葉県匝瑳市八日市場イ2402番地
お問い合わせ お申し込み:匝瑳城郭保存活用会(担当:都祭) TEL:090-8746-0994(お申し込みもこちらの電話まで)

講演内容:
・「歴史を活かした町づくり~地域に眠る「城」の可能性~」(歴史&山城ナビゲーター 山城ガールむつみ氏)

・戦国期における里見氏・正木氏の匝瑳市への侵攻と城郭」(匝瑳市郷土史家 依知川雅一氏)


・パネルディスカッション「山城と歴史を活用した町おこしの可能性と課題―具体的匝瑳市での戦略論について―」

パネルディスカッション登壇者は以下。
・匝瑳城郭保存活用会
 匝瑳市議会議員 都祭広一氏

・多古城郭保存活用会会長
 多古町議会議員 高坂恭子氏

・匝瑳市郷土史家 依知川雅一氏

・歴史・山城ナビゲーター 
 千葉城郭保存活用会副代表 山城ガールむつみ氏

・総合司会:千葉城郭保存活用会代表 小室裕一氏




 

 

 

 

 

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2021年10月 4日 (月)

長部城に標柱!!

千葉県旭市の長部城に標柱が設置されました✨
ここは千葉氏に属した松澤氏のお城です。永禄年間の正木氏の下総侵攻では、周辺が戦いの舞台になってるのでこのお城も緊張感に包まれ、何かしら城として機能したと思われます。

この長部城は今は大原幽学記念館になっています。

大原幽学は長部城の要害地形が気に入り、ここに居宅を構えた幕末の農業指導者であり、思想家であり、日本初の協同組合を作った人物です。

ぜひ、長部城に出かけて、一緒に大原幽学記念館もお楽しみください!


攻城団さんにも記事にしていただきました!!
現地の標柱写真も掲載いただきました♡
【旭市】長部城に標柱が設置されました - お城ニュース - 全国で開催されるお城や歴史関連のイベント情報まとめ (kojodan.jp)

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2021年10月 1日 (金)

千葉ポートタワー展示START

千葉ポートタワーの展示が開始になりました✨
ポートタワーからの景色を眺めながら、中世の江戸湾の風景を思い浮かべて楽しんでください。
水運の大動脈だった江戸湾!海賊気分でタワーに登ってくださいね⛵

攻城団さんにも記事にしてもらいました!
【9/30〜、千葉市】千葉ポートタワーで戦国江戸湾をめぐる歴史展示と千葉県内の御城印販売開始 - お城ニュース - 全国で開催されるお城や歴史関連のイベント情報まとめ (kojodan.jp)

 

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こんな感じです。
※会場の状況によってはパネルの場所が変わることもあります。

イベントステージもあるので、いつかイベントもやりたいですね。

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青い幟と…


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オレンジの幟✨


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パネルも可愛くできました♡


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今は、恐竜展もやってるので、
江戸湾海賊と恐竜のコラボが楽しめます笑


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入り口横のコンビニには御城印販売コーナーもあります。
行ったけど買いそびれた!…そんなときにまとめて買えるので便利です。

千葉県内のお城の面白さがもっともっと広まるために、たくさんの人の目に止まりますように✨



 

 






 

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2021年9月30日 (木)

日本初の「お城開き」 in多古


多古「お城開き」のお知らせ✨
日本初の試みとなる「お城開き」っていう言葉を提案させていただきました(*^^)v
山城は草木が茂るので、春の終わりから秋口までは訪れるのになかなか厳しい季節です。
多古町では年間通して楽しんでいただくために、多古城郭保存活用会が頑張って整備してくれています。でも、真夏の草刈りはとても大変で、やってもやっても草が生えてきます🌿虫たちも元気でカユイ!


なので、夏の間は完璧には整備ができませんが、山城の1番いい季節には、皆さんに全力で楽しんでいただこう!という考えのもと、お城開きを行います✨

城開きの日から山城シーズンの間、多古城郭保存活用会が整備を進めているお城については、皆さんを全力でお迎えするために城内を見やすいように草刈りなどの整備を行います。



そして、今回は日本初の「城開き」を記念してイベントをやります✨
イベント名は
「山城ガールむつみ隊長の元に『集まれ!ボランティア!』」
です!

山城シーズンの安全祈願をしたり、新しく整備を進めるお城の整備活動を体験する楽しいイベントになります♪
私と一緒に多古のお城整備しませんか✨多古米おにぎりつき🍙
先着順!申し込みは多古城郭保存活用会まで。お早めに!💨


<イベント内容>
イベント参加者の皆様には、当会アドバイザーの山城ガールむつみさんを隊長とする「お城開き隊」の隊員として、多古町の「物見台城」にて草刈りなど、実際にお城を整備するボランティア体験をしていただき、あわせて物見台城の見学も実施します。
【特典1】山城ガールむつみさんデザインパッケージのおにぎりセットをご用意
【特典2】ボランティア参加記念として、全員集合のもと、物見台城の標柱・説明板を設置
【特典3】12月に発行される物見台城の御城印を発行後に郵送で贈呈

会場となる「物見台城」はその城名の由来となった物見台が藪などに覆われていたため詳細が不明なお城でしたが、当会と多古町教育委員会との合同調査により、物見台とそれに付随する土塁、帯曲輪等の遺構が良好に残されていることが確認され、当会が整備を進めている注目のお城です。


<ボランティア募集詳細>
募集日  2021年11月6日(土)
集合時間 9:45(16:00終了予定)
集合場所 道の駅多古あじさい館2階
募集人数 30名(先着順)
服装   長袖、長ズボン、帽子など、肌の露出が少ない服装でご参加ください。
※また、作業用に軍手をご持参ください。マスクの着用をお願いいたします。
参加を希望される方はメールで「お城開きボランティア参加希望」と明記し、氏名、住所、電話番号を記載のうえお申し込みください。
takojokaku@gmail.com


※コロナの状況や天候次第で、直前で中止になることがありますので、申込時に連絡の取れる電話番号を必ず明記してください。
※参加時に検温等を行います。また、参加者名簿に所定の内用をご記載いただきます。
※当日は午前9時45分に道の駅多古あじさい館2階にご集合ください。集合後、全員で徒歩にて物見台城に行き山城ガールむつみ隊長の下、城郭整備に取り組みます。
※参加申し込みは、メールでのみ受け付けます。

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2021年9月28日 (火)

多古町中村小学校へ!子供たちと中城に出陣✨


千葉県香取郡多古町の中村小学校で歴史とお城の授業を3回に渡りやってきました✨
1回目はお城の話、2回目は千葉氏と多古の歴史のお話、3回目の今日は中城というお城に子供たちと出陣しました💨
その模様がチバテレのニュースで放映されました。


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子供たちに、自分の住んでる場所の歴史の大事さ、お城の面白さ、何百年前の人たちが地域づくりに込めた想い…などなど、少しでも伝わってたらいいなと思います❤

楽しかったです。写真を見るとホッコリ✨

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集合写真はカメラがたくさんあって、みんなどこを見ていいのか分からず😆
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缶バッジをプレゼントしたら、思った以上に喜んでくれて🙌
みんな付けてくれて嬉しかったー❤

多古城郭保存活用会さんが、いつも整備してくれてますが今日のためにさらに案内板を作ってくれた!子供たちに分かりやすくて、感謝感謝。


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2021年9月26日 (日)

新しい御城印のご案内「見広城」「長部城」

新しい御城印発行のお知らせです。
今回は千葉県旭市の「見広城」「長部城」です。長部は「ながぺ」と読みます。なんかカワイイ✨

お城の説明は以下です。今回もデザインと説明文、やらせていただきました(*^^)v



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【長部(ながぺ)城のご説明】千葉県旭市

 長部城は旭市北部の長部地区西側台地上に築かれました。現在、大原幽学記念館が建っている一帯が長部城にあたります。この台地は西方の広大な台地から東に向かって半島状に突き出していて、西側以外は水田地帯になっており、長部城の周辺は当時湿地だったと思われます。「要害」から変化したであろう「龍ヶ谷(ゆうがい)」と呼ばれていた地であることからも、要害性が高いことが見てとれます。

 築城年代などの詳細は不明ですが、千葉一族である松澤氏が城主だったと伝わっています。松澤氏は千葉常胤の子、国分胤通の一族であると伝わり、松澤荘を領して「松澤」を名乗ったとされ、9代に渡り続いたともいわれています。

落城廃城の時期も不明ですが、天正18年(1590年)に千葉氏が属していた小田原北条氏の小田原城が陥落すると、それに伴い長部城も城としての役目を終えたと考えられます。

城内には戦国期と思われる空堀、土塁、櫓台などが残っています。特に、城内南東に残る櫓台からは、直下に通る街道や長部城の周辺を見渡すことができます。幕末に改変されているものの、土塁に囲まれた方形の曲輪なども良好に残っています。

 

【御城印のご説明】

現在、長部城は大原幽学記念館が建ち、史跡公園として管理されています。

幕末の農村指導者として名高い大原幽学は、尾張藩大道寺家の出身と伝わります。幽学は諸国を遊学した後、天保6年(1835年)以降は長部村名主遠藤氏の依頼を受け、長部城の跡地を活動の拠点にしました。幽学は、「先祖株組合」と呼ばれる世界初の農業組合をつくった人物です。さらに、道徳と経済の調和を基本とした「性学」という独自の思想のもと、長部村の農村改革を指導しました。

御城印は、幽学が指導に当たっていた教導所「改心楼」の絵図をモチーフにしました。また、この改心楼は長部城当時の要害地形が生かされていて、幽学自身も城の遺構である土塁や空堀、櫓台を好んで利用していたと伝わります。

しかし、人を集めていたこと、改心楼が城郭のように見えたことなどから、幽学は幕府の嫌疑を受け、取り調べられ、有罪となりました。そして、安政5年(1858年)3月、幽学は失意のうちに自害しました。

御城印は長部城の姿を残したまま建てられた改心楼の絵図をモチーフにするとともに、千葉一族の家紋「月星」、そして、要害性のわかる地図をデザインしました。

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【見広城のご説明】千葉県旭市

 見広城はかつての椿の海を臨む要害山と呼ばれる段丘上に築かれました。椿の海の北東に位置し、半島状の台地となっています。椿の海は江戸時代に鉄牛和尚が干拓し、干潟八万石と呼ばれる広大な水田地帯となりました。

 築城主、築城年代などの詳細は不明ですが、今に残る遺構は15世紀以降のものと考えられています。櫓台、空堀、土塁が良好に残り、堀添、桝形、矢通、新堀込、井堀など城と関連する地名も残っています。

 地元の伝承や、『海上郡誌』などによると、城主は嶋田三河守を名乗った一族とされ、周辺には「嶋田」姓が多く残ります。嶋田氏は千葉氏に属していたと考えられ、見広城の東8kmほどの距離に千葉氏の一族である海上氏の本城「中島城(海上城)」、見広城の北8kmほどの距離に千葉氏の一族東氏の城「沼闕城」があることからも海上氏と東氏との関係も推察できます。それぞれが連携して、機能していたと思われます。

 見広城の落城については諸説ありますが、永禄年間の正木時忠による下総侵攻の際に、落城したと考えられています。永禄3年(1560年)から永禄9年(1566年)にかけて正木軍が下総に侵攻し、各地で合戦がおきました。その際に、見広城は中島城などとともに攻められ落城したという記録が残ります。旭市野中の長禅寺本尊愛染明王坐像の胎内墨書銘によると、永禄8年(1565年)、長禅寺付近一帯で激しい戦闘があり、寺は猛火で全焼したと記されていて、この地域で戦闘行為があったことがわかります。

 正木氏の下総侵攻についても諸説あり、見広城が永禄年間以外にも正木氏の侵攻に際し、戦闘行為に及び、落城した可能性も指摘されています。

 見広城の南麓には「川岸田」という地名も残り、このあたりが「港津」であった可能性もあり、見広城が水運の掌握を担う側面もあったと指摘されています。

 

【御城印のご説明】

 見広城に隣接するように雷神社が鎮座しています。雷神社の地は小字が「東海道」で、そのことからもこの地が交通の要衝だったことが推察できます。雷神社の創建は不明ですが、延喜式にその名が見え、奈良時代にはすでに存在していたと思われます。

また、景行天皇が皇子であるヤマトタケルの追慕のために東国に下向し、椿の海を見下ろすこの地に立ち、一社を創建したとの伝説も残ります。この伝説からも、この地が古代からの水上交通の要衝であった姿が垣間見えます。御城印には地形のわかる地図をモチーフにし、城主と伝わる嶋田三河守の家紋「丸に三割り桜」と、主筋にあたる千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。


両方とも販売はこちら!

季楽里あさひ

〒289-2511

千葉県旭市イの5238番地

電話:0479-62-0888

9:00~17:00 年中無休


ネット販売
歴×トキHPにて 

 

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2021年9月21日 (火)

衣笠観光協会「三浦一族の足跡を追え!」ツアーのお知らせ

衣笠観光協会さんのイベントのお知らせです。
11月3日の祝日に開催。
鎌倉駅をスタートして、秋の鎌倉歴史探検にGO!!

頼朝が入る前、入った直後の鎌倉の姿を紐解きます✨
のあたびさんでも「はじまりの鎌倉」をテーマでやってますが、コースも違うので、以前参加した方でも楽しめます。
しかも!なんと!
山城ガールむつみと衣笠観光協会コラボ缶バッジのおまけ付き✨


歩くにいい季節。ぜひご一緒しましょう~♡
寿福寺、法華堂、勝長寿院などにいきますよ~

【参加者募集】歴史体験ウォーキングツアー「三浦一族の足跡を追え!(第1回)」 - 衣笠観光協会 (yokosuka-kanko.com)

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2021年9月17日 (金)

YouTube「~鎌倉殿の13人!三浦一族と源氏ゆかりの地~ 『山城ガールむつみの出陣のススメ!!「いざ!秘境神武寺へ!後編」』

YouTube新作のお知らせと、チャンネル登録キャンペーンのお知らせ♡

~鎌倉殿の13人!三浦一族と源氏ゆかりの地~
『山城ガールむつみの出陣のススメ!!「いざ!秘境神武寺へ!後編」』

(72) ~鎌倉殿の13人!三浦一族と源氏ゆかりの地~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!「いざ!秘境神武寺へ!後編」』 - YouTube

今回のテーマは秘境神武寺(後編)
後編では池子石の石切場にも立ち寄り、見どころ満載!
神武寺は神奈川県逗子市にある天台宗の古刹です。鎌倉幕府の篤い信仰を受け、打倒平家のための調伏祈祷が行われたり、源実朝や政子が参詣したお寺です。
そして、戦国時代には戦火で全焼するなど戦いの記録が残る寺でもあり、城郭遺構があったとも考えられています。

水上交通と陸上交通の結節点で合ったと思われる神武寺の周辺は鎌倉幕府が開かれる以前から、源氏ゆかりの地でもありました。
頼朝のお父さん義朝の屋敷があり、頼朝のお兄さんの義平もここから戦いに出陣したとも伝わります。
どうして逗子に源氏ゆかりの地があるのでしょうか?
他にはどんな歴史が埋もれているのでしょうか?
一緒に歴史を紐解いていきましょう。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も先取りできちゃいますよ!

Youtube

そして、チャンネル登録キャンペーンを開始✨
チャンネル登録した方は「登録したよ」と私に言ってください。オリジナル缶バッジをプレゼントします♡
自己申告制です。
もし、登録してなくてもバレません笑
ゆるいキャンペーンです。

自己申告の仕方はなんでもOK
講座のとき、ツアーのとき、はたまた通販で何かをご注文されたとき、さらにはどっかで私を見かけたとき。
いつ声をかけられてもいいように毎日缶バッジを持ち歩くことにします(*^^)v

と、いうことでYouTube登録キャンペーン、ゆるいキャンペーンなので「ゆるキャン」開催中~♪
登録してなくてもバレないけど、できればちゃんと登録してね♡笑

 

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2021年9月12日 (日)

秋の講座のお知らせ!盛りだくさん!!

朝晩涼しくなって参りました!
山城シーズン、歴史ウォーキングのシーズンの到来です✨
と、いうことですでに決まってる年末までのイベントの告知です。
ここからまた増えますが、すでに山盛りです。
これを一人でこなすのか?!…というほどのボリューム。
ありがたいです♡頑張ります。
ふるってご参加くださいませ。

 

・砂町文化センターの講座
関東動乱の舞台を歩く!出陣のススメ!
講座情報 | 砂町文化センター | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 (kcf.or.jp)

・のあたび
鎌倉殿の13人の舞台を歩くシリーズ
鎌倉殿の13人先取りシリーズ | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

・京急百貨店COTONOWA
山城ガールむつみの出陣のススメ
公式サイト - COTONOWA-京急百貨店がお届けする新しいコト体験‐コトノワ
サイト内、「山城ガールむつみ」で検索してください。

・KKR逗子松汀園
写真をご覧くださいませ。申し込みはKKR逗子松汀園まで!
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どれもこれも、違う楽しさが満載。
同じコースだとしてもいろんな仕掛けがあるので、毎回新鮮に楽しんでいただけます✨
では、ツアーでお会いしましょう✨

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2021年9月10日 (金)

千葉ポートタワーに「山城ガールむつみコーナー」が誕生!!

9月30日から千葉県千葉市にあるポートタワーにて、千葉城郭保存活用会による千葉県のお城や歴史の魅力発信のための展示が開始となります!そのスペースをプロデュースさせていただきました✨
「山城ガールむつみコーナー」の登場です(*^^)v

コーナーの内容は、私がつくった江戸湾をめぐる歴史のパネル4枚の掲示と、千葉県内いくつかの御城印の販売になります。

常設展示ですので、ポートタワーが開いてる限り、いつ遊びに行っても歴史展示コーナーを楽しむことができます。
千葉ポートタワーでの戦国江戸湾をめぐる御城印販売開始のお知らせ/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば- (maruchiba.jp)

ポートタワーは、江戸湾の付け根に位置しているので、タワーの上から海を見ると、まるで江戸湾を手に入れた海賊気分です✨三浦半島もすべて見渡せて、房総半島から三浦一族の本拠地を見るのもこれまた新鮮💛

海賊とは、映画のパーレーツとは全く違い、船舶を操り、水上の運搬や漁などを生業とする集団のことです。
彼らは有事の際には、武家から雇われ戦いのために船を海に漕ぎ出しました。
そんな彼らが主役となり繰り広げた江戸湾中世の戦国史をパネルに楽しくわかりやすく書きました✨
ポートタワーの情報がこちらから。
千葉ポートタワー | オフィシャルホームページ (chiba-porttower.com)

ぜひ、足をお運びください♡
ちなみに9月30日は私も現地にお邪魔します✨

そして、にゃんと!!
新しいキャラクターのお披露目です。
ポートタワーのパネルが新キャラクターのデビューの場となりました。
こちらです!にゃんともカワイイ💛たまんにゃい!
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2021年8月29日 (日)

京急百貨店COTONOWA新講座のお知らせと「はまかぜ新聞」掲載のお知らせ

お知らせをふたつ✨

京急百貨店COTONOWAの新講座。サイト内で山城ガールで検索ください♪

9月は洲崎古戦場と梶原氏ゆかりの「梶原」エリア、10月は和田氏と梶原氏ゆかりの「深沢」と「笛田」エリア!、11月は梶原氏と三浦氏ゆかりの「寒川」エリアです!絶対楽しい(笑)!✨
申し込みは9/11から。

https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do



4月に開催された横須賀市観光協会主催の三浦一族タクシーツアーが「はまかぜ」に掲載されました。ネットでも読めます✨
https://www.hamakaze.com/yokosuka_miura/20190621/

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2021年8月26日 (木)

新しい御城印発行のお知らせ・千葉県銚子市の中島城と飯沼陣屋

新しい御城印の発行のお知らせです。
神奈川県大和市の深見城、千葉県銚子市の中島城と飯沼陣屋です。
両方ともデザインと同封の説明文を書かせていただきました。
3城とも歴×トキにて通販取り扱います。



詳細は以下です✨
どのお城も歴史が満載で楽しいお城。
御城印で楽しむのもよし、現地で歴史めぐりするのもよし。

それぞれに楽しんでください✨
下に詳細など載せておきます。

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販売開始は8月27日(金)ですが、土日祝がお休みなので、お気をつけください!

名称:松代印刷株式会社
住所:神奈川県大和市南林間1-7-9(3階)
営業時間:平日のみ営業9:00~17:00 土日祝休み

(その他、正月・お盆等の休みあり)

TEL:046-276-5151


【深見城のご説明】神奈川県大和市

 深見城は大和市の北東、横浜市瀬谷区との境に位置し、蛇行する境川に突き出した半島状の急崖上に築かれました。

発掘調査では13世紀初頭から14世紀にかけての遺物も検出されていて、詳細は不明ながらも、この台地が鎌倉時代から何らかの形で使用されていたことがわかっています。

地元では古くから山田伊賀守経光の城であるとの伝承もあります。この人物は宝徳年間(1449-1452)に境川対岸の瀬谷郷にいたことがわかっているものの、深見城との関連は不明です。

現地に残る遺構は、クランクを多用し、横矢が掛かる複雑な構造となっていて、その形態から15世紀から16世紀後半にかけて機能していたと考えられます。

永正年間以降、北条早雲(伊勢宗瑞)が相模国を手中に収めようと軍事行動を具体化させます。その意思を氏照、氏康らが引き継ぎ、扇谷上杉氏との抗争が起きる中で、深見城が小田原北条氏の陣城、駐屯用などの繋ぎの城として取り立てたとも推察されています。

この深見の地は交通の要衝に当たります。境川の水運はもちろんのこと、武蔵国と相模国の大動脈であった矢倉沢往還と鎌倉往還が通り、戦国期になると滝山城(八王子市)と玉縄城(鎌倉市)を結ぶ滝山街道が整備されました。その結節点にあたる下鶴間には、「宿」の小字が残っていて、宿場の機能を持つ集落があったと思われます。深見城が築かれた城ヶ岡には「一ノ関」という呼称も残り、古くから交通、軍事の要衝地であったことを連想させます。

 

【御城印のご説明】

深見城の発掘調査では、室町時代と思われる風炉や香炉などの遺物も検出されています。風炉は持ち運びができる炉で、上に釜を置いてお湯を沸かしました。御城印には風炉に描かれていた花びらのような模様をモチーフにしました。生活用品はあまり出土せず、かわりに火舎(火鉢)が検出されていて、駐屯の際に使用された可能性も指摘されています。

深見城は中世城郭としての遺構の残り具合は神奈川県下でも有数の城郭といえ、主郭に2カ所設けられた虎口の前面には馬出が配置され、横矢が多用された特徴的な縄張りになっています。御城印は、深見城の縄張図とジオラマをモチーフにしました。さらに城域の南端には、物見に使用していた櫓台と思われる高まりがあるため、ジオラマには櫓を描くとともに、小田原北条氏の家紋「三つ鱗」をデザインしました。馬出は北条氏特有の角馬出になっていることからも北条氏との関連が考えられます。



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中島城と飯沼陣屋の販売開始情報はコチラ
販売開始は8月28日(土)
販売場所
名称:銚子観光案内所
住所:千葉県銚子市西芝町1438(JR銚子駅構内)
営業時間:8:45~17:00 年中無休 
TEL:0479-22-1544

【中島城のご説明】千葉県銚子市

中島城は利根川に面する標高40mほどの台地に築かれ、東西約500m、南北約400mを城域とする大規模城郭です。中世には香取の海に面する水運の要衝地にあたり、千葉一族海上氏の居城と考えられていて、戦国期には千葉氏の下総統治の拠点のひとつだったと思われます。

周辺に残る海上氏ゆかりの寺院には、鎌倉期の仏像が安置されており、また、周辺からは鎌倉時代の経筒も出土しています。これらのことからも、すでに鎌倉期には海上氏がこの地域を本拠地にしていたと考えられていますが、折れを伴う空堀などの遺構から、現在の形態は戦国期の城郭であると思われます。空堀の一部には湿地となっている箇所もあり、中世城郭には珍しい台地上の帯曲輪部分に水堀の存在が指摘される貴重な城です。

海上氏は平安期に両総平氏の常衡、常幹父子を祖として歴史舞台に登場しましたが、まもなく衰退しました。鎌倉時代になると、源頼朝の幕府樹立に貢献した千葉常胤の子、胤頼から始まる東氏の庶流が海上庄を領して、海上氏を名乗りました。そして、室町期には鎌倉公方の奉公衆となり、勢力を拡大していきました。

戦国期になると、千葉宗家当主昌胤の庶子だった胤富が婿として海上氏を継ぎ、森山城(香取市)に入りました。その後、胤富が千葉宗家に戻り、当主として本佐倉城に入りましたが、胤富との関係からその後も中島城や森山城は整備拡張されたと考えられます。

城内の堀跡と思われる箇所から大量の石塔が出土しており、詳細は不明ながらも、永禄年間には正木氏による下総侵攻、そして天正18年には千葉氏が属していた北条氏の小田原城が落城するなどの流れの中で中島城も落城し、破城された可能性もあると考えられています。

 

【御城印のご説明】

海上氏は「鶴の丸」を紋としていました。平安時代末期に、源頼朝から海上常幹が鶴亀のついた扇を下賜されて以来、海上氏の紋として「鶴の丸」が使用されていたといいます。千葉胤富の印判として有名な「鶴丸型黒印」は、当初、海上氏を継いだ胤富が海上氏の「鶴の丸」に基づいて作成したものと考えられています。御城印は胤富の鶴丸の印判と、千葉一族の家紋「九曜」をモチーフにしました。

中島城は香取の海に面する水運の重要地であり、周辺には津が点在していました。御城印には、野尻や高田といった中島城と関連する湊集落がわかる地図をデザインしました。これらの湊を拠点に活動する戦国期の流通商人の存在も確認されていて、その代表格が「宮内清右ヱ門」であり、城下には「みやせい」という地名も残ります。水運を介した流通商人も中島城とともに海上氏発展の一因を担っていたのです。



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【飯沼陣屋のご説明】千葉県銚子市

飯沼陣屋は下総国海上郡飯沼村(現在の銚子市陣屋町)に置かれた上野国高崎藩の陣屋です。現在の陣屋公園一帯に相当します。

海上郡周辺は、中世には香取の海が広がる水運の要衝地でした。平安時代から戦国時代にかけては、千葉一族である海上氏が領地としていました。海上氏は銚子周辺に中島城などの城を築き、円福寺などの寺院も保護し、勢力を拡大していきました。

しかし、海上氏が小田原北条氏とともに没落すると、徳川家康配下の松平(五井)伊昌(これまさ)が下総国に入封、海上郡内4000石を加増され、銚子に陣屋を築いたとされます。五井松平氏の陣屋の場所は定かではありませんが、後の高崎藩銚子陣屋と同じ場所だった可能性も指摘されています。陣屋は、五井松平氏の遠江国移封により、廃されました。

そして、その後、高崎藩の出張陣屋として築かれたのが飯沼陣屋です。松平(大河内)輝貞が享保2年(1717年)に高崎に入った際、海上郡の7村を与えられ、陣屋を築いたとされます。以来、明治まで高崎藩の出張陣屋として存続しました。

陣屋周辺には水堀がめぐらされ、長方形の区画に長屋門、役所などが配置されていたといいます。

 

【御城印のご説明】

高崎藩は約150年間にわたり、銚子を統治しました。郡奉行1人、代官2名を銚子に派遣し、領内の年貢の徴収や治安維持に当たらせました。御城印は、弘化4年(1847年)に描かれた『高崎藩銚子陣屋地図』をモチーフにしました。陣屋の屋敷の配置や、陣屋を囲む水堀などが描かれ、当時の姿を今に伝えています。

また、江戸時代になると利根水運が江戸に通じるようになり、銚子は江戸への中継港となりました。そのため、東北諸藩の船や日本海から江戸に向かう北前船も銚子に寄港し、銚子の町は発展しました。その船と渡辺崋山が描いた銚子の町をモチーフにしました。

崋山は文政8年(1825年)に武蔵、常陸、下総、上総めぐりの旅に出ました。そのとき、崋山が描いた『四州真景図巻』が残っていて、銚子の海や町も描かれています。「新町大手、奉行屋敷」と書かれた絵は、陣屋周辺を描いたものと思われていて、酒屋の土蔵や、陣屋の門、高札などが描かれ、銚子の活気を感じることができます。


中島城と飯沼陣屋の販売場所はコチラ
名称:銚子観光案内所
住所:千葉県銚子市西芝町1438(JR銚子駅構内)
営業時間:8:45~17:00 年中無休 ※専用駐車場無
TEL:0479-22-1544





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2021年8月23日 (月)

youtube~鎌倉殿の13人!三浦一族と源氏ゆかりの地~ 『山城ガールむつみの出陣のススメ!!「いざ!秘境神武寺へ!前編」』

新しい youtube動画をアップしましたので、お知らせです✨
https://youtu.be/Fwr8IAJX5YU

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今回のテーマは秘境神武寺(前編)
神武寺は神奈川県逗子市にある天台宗の古刹です。鎌倉幕府の篤い信仰を受け、打倒平家のための調伏祈祷が行われたり、源実朝や政子が参詣したお寺です。
そして、戦国時代には戦火で全焼するなど戦いの記録が残る寺でもあり、城郭遺構があったとも考えられています。

水上交通と陸上交通の結節点で合ったと思われる神武寺の周辺は鎌倉幕府が開かれる以前から、源氏ゆかりの地でもありました。
頼朝のお父さん義朝の屋敷があり、頼朝のお兄さんの義平もここから戦いに出陣したとも伝わります。
どうして逗子に源氏ゆかりの地があるのでしょうか?
他にはどんな歴史が埋もれているのでしょうか?
一緒に歴史を紐解いていきましょう。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も先取りできちゃいますよ!
よろしければご覧ください❤️




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2021年8月16日 (月)

頼朝挙兵!いざ、旗揚げの地「韮山」へ!

行ってきました。
山城ガールむつみ×のあたび「鎌倉殿の13人」先取りツアー!!

今回は伊豆の韮山に行ってきました。頼朝の旗揚げの当日の足跡をたどりました✨
天気も良くて楽しかったー!
バスツアーなので、バスの中でもたくさんお話しさせていただきましたよ。

今回のコースは頼朝の屋敷があったとの伝承が残る蛭ヶ小島の歴史公園からスタート。
実際は蛭ヶ小島ではなく、頼朝の屋敷の候補地は願成就院の近くの光照寺といわれてます。

でも、やはり蛭ヶ小島という名は歴史ロマン満載なので、ここからスタート!
今回は挙兵した治承4年(1180)8月17日当日を再現しますので、まずは鬨の声!
えいえいおー!皆のもの!山木の館に出陣じゃー!
から始めさせていただきました。

みなさま、ちゃんと「おーっ!」してくれて感激♡
一人参加の方がほとんどでしたが、同じ趣味の元に集結した方々は息もバッチリ!


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まず目指すは、山木兼隆に屋敷です。
伊豆国の代官だった兼隆は桓武平氏大掾氏の庶流の出といわれています。
まずは、伊豆の国を管理する役人を襲撃することで挙兵の狼煙を上げましょう!

兼隆と頼朝の政子の三角関係がよく言われますが、政子と頼朝が相愛になったときには兼隆は京都にいたので、後のフィクションでしょう。ただ、頼朝と子をもうけた政子を政子のお父さんの北条時政が無理矢理に兼隆に嫁がせようとした可能性はあるので。そのへんと混同して話ができたのかもしれませんね。

では、兼隆の屋敷へ!時間は夜中の0時過ぎの設定です。



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兼隆 の屋敷があったとされる谷の一番奥には兼隆の菩提寺「香山寺」があります。兼隆の屋敷地は不明なんですが、候補地の1つが谷の入り口にある高台です。わたしもココが一番怪しいと思ってます。
高さにして8m~10mのくらいですが、谷野入り口にあたる見晴らしのいい高台になります。まずは、この周辺の地形を見ながら思いを馳せました。


韮山に何度か足を運んでる方も、こんなに地形みながらゆっくり歩いたのは初めて!と喜んでくれました。
のあたびと私は、バスツアーでもじっくり自分の脚で感じて楽しんでいただきたいという思いから、現地をストーリーに沿って堪能していただくコースを作ってます✨

なので、

バスツアーだからラクだと思ってたのにこんなに歩くの!?
と喜ばれる(笑)こともありますが、それが歴史探検の醍醐味ですから♡

ということで、兼隆の屋敷、香山寺、お昼ご飯と回った後は、願成就院、守山砦、堀越公方関連の色々etc…
という感じで韮山で丸一日楽しみました!


さらに、バスで移動して伊豆パノラマパークへ。
ここからは韮山を取り囲む山脈や狩野川、集落、すべてが見えます。
今日のおさらいとして、山の上から韮山を眺めて、最高の締めくくりになりました。

もちろん帰りのバスでも、寝かせないほどに喋りましたよ✨
楽しかったー!

今回は同じコースで2回やりましたが、また、同じ韮山コースも開催する予定なのでまだ参加してない方、もう一度参加したい方はぜひまたいきましょう!

そして次のコースは、石橋山の合戦です!

韮山で挙兵した頼朝軍は東に歩を進めます。小田原にある石橋山で起きた戦いが次回のテーマです。
次は、戦った合戦地と頼朝が逃げた足跡もたどります✨
これまた面白いですよ♡
詳細は以下のHPにて。
鎌倉殿の13人先取りシリーズ | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)





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2021年8月 9日 (月)

柏市の講演会

7月22日の海の日に、柏市「アミュゼ柏」のクリスタルホールで講演させていただきました。
海の日に山城の話🗻
ホールでの独演会、緊張しましたが楽しかったです✨

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各地域が歴史と城で繋がることができる面白さなんかもお話しさせていただきました✨
柏は千葉一族の相馬氏ゆかりの地。なので、相馬氏の鎌倉の痕跡もお話しさせていただきました。
繋がるって楽しい。

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今回は「手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会」さんからお話いただきました。
松ヶ崎城は北柏駅から徒歩5分くらい。都市部にありながら、とっても遺構の残りがいい素晴らしいお城です。
会の方、所有者さん、柏市の職員の方々のご尽力があり、今の状態で残されました。

お城があるということ、そこに素晴らしい歴史があるということ、そういうことをちゃんと発信しないとお城も歴史も残りません。
そのために何か協力できればいいなと思います。

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今回の講演でもそういった想いもお話しさせていただきました。
撮影したので、今度youtubeとかでも動画をアップしたいなと思ってます。そしたら聴いてみてくださいませ♪

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2021年8月 3日 (火)

調布FM出演のお知らせ

調布FMの深夜に登場します。今回は鎌倉殿の13人の話とかしました。曲のリクエストもさせていただき、一曲選びました!
ラジオを83.8にあわせて下さいませ✨

調布FM (chofu-fm.com)

8月4日の24:45-25:00からのGSMチャンネルという番組。

 

ネットラジオなら、全国どこでも聴けます。

ただ、リアルタイムのみですので、この時間しか聴けません!遅くまで眠い目をこすりながらお聴きください~♡

web経由で調布FMを聞く方法(リアルタイム放送)

ListenRadio(リスラジ) - ラジオ音楽番組・BGMが聞き放題の無料サービス
上のListenRadio(リスラジ)のバナーをクリックし、

全国のラジオ局 → 関東 → 調布FM をクリックしてください。

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2021年8月 2日 (月)

雑誌掲載のお知らせ

月刊WILL9月号に登場させていただきましたー!
グラビアですよ♡

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記事は書いてませんが、写真とキャラクター入りで登場✨
本屋さんにありまーす。

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2021年7月30日 (金)

新デザインの御城印のお披露目✨

新しいデザインの御城印です✨

今回は千葉県袖ケ浦市「蔵波城」、佐倉市「小篠塚城」、香取市「小見川陣屋」です。
どれもカッコイイですよ。自分で言う♡

お城の紹介と、販売情報など載せておきまーす。
ちなみに歴×トキで通販取り扱うのは、小篠塚城と小見川陣屋です。蔵波城は通販取り扱いしません。
それぞれ、販売日にもばらつきがありますのでご注意ください!


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販売開始は8月1日(日曜)です

・一般社団法人袖ケ浦市観光協会

所在地  千葉県袖ケ浦市坂戸市場1-1(市役所5階)

TEL  0438-62-3436

営業時間 8:30~17:15

休業日  土日、祝日、年末年始

 

 

・FARM COURT袖ケ浦

所在地  千葉県袖ケ浦市袖ケ浦駅前1-39-12

TEL  0438-97-7855

営業時間 9:00~20:30

休業日  年末年始

 

・袖ケ浦公園 レストハウス菖蒲

所在地  千葉県袖ケ浦市飯富2360

TEL  0438-63-2118

営業時間 10:00~16:00

休業日  水曜、年末年始、悪天候

 

・Yショップつるや

所在地  千葉県袖ケ浦市蔵波26-1

TEL  0438-62-8516

営業時間 10:00~18:00

休業日  日曜、祝日、年末年始



《蔵波城のご説明》千葉県袖ケ浦市

蔵波城は築城年代や築城主などの詳細は不明ですが、近接する久保田城とともに、椎津城の支城だったともいわれていて、後に里見氏の城として、対北条氏の前線基地の役割を持っていたと考えられます。

蔵波城は椎津から木更津に通じる海岸沿いの街道を押え、さらに北側には長南、真里谷に通じるルートが存在する重要な地でした。そのため、蔵波周辺は上総武田氏、千葉氏、小田原北条氏、里見氏の抗争の舞台となりました。

東京湾に面した丘陵に築かれ、周囲には「殿畑(とのはた)」「宿畑(しくはた)」といった地名が残っています。開発により城跡のほとんどが崩され、現在は蔵波八幡神社が建つ丘陵部分(現在の蔵波小鳥の森)を残すのみですが、かつてはここから北に向かって、城域が展開していました。

蔵波城の西側は海が迫り、南側には防御の役目を担っていたと思われる蔵波川が流れていることからも、蔵波城が築かれた丘陵が要害の地であったことが見て取れます。

蔵波周辺には14世紀からの中世集団墓地が発見された神田遺跡をはじめ、五輪塔等の中世石塔物が多く残り、湊町として早くから栄えていたことがわかります。そのため、対岸の海賊衆から略奪にあうこともあり、武蔵国坂本村(現横浜市)の寺に「もと上総国望陀郡蔵波村八幡社の鐘」があったという伝えもあります。蔵波城は、早くから里見氏の経済拠点である蔵波湊の守護としても重要な場所でした。

蔵波城から北東約2kmの距離にある久保田城は、天正14年(1586年)頃には北条氏が支配し、整備を繰り返していたことが資料にあり、非常に近い位置で里見氏と北条氏が対峙していたことがわかります。

船戦の戦況を報告する書状も残っていて、蔵波城の前面の海で里見方と北条方が船戦を繰り広げ、北条方が勝利したことがわかっています。まさに蔵波城は戦国時代の江戸湾攻防の歴史を物語る城といえます。

《御城印デザインのご説明》

蔵波城と目と鼻の先の距離に築かれた久保田城、この両城の位置がわかる地図を御城印にデザインしました。そして、里見氏の家紋「二つ引両」を配置しました。

東京湾に面している袖ケ浦は、いつの時代においても海上交通の要衝にあたりました。さらに鎌倉街道も近くを通るため、周辺には古くからの伝承が数多く残ります。

江戸時代には浮世絵にも描かれ、美しい景色を誇った袖ケ浦周辺の沿岸部は、中世には戦いの舞台になりました。御城印には袖ケ浦からの風光明媚な景色をモチーフにするとともに、海を行き交う船を描きました。

 



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販売開始は7月31日(土曜)です

販売場所

・京成佐倉駅前観光案内所

千葉県佐倉市栄町8番地7(佐倉市観光協会内)

043-486-6000

8:30~17:00

年中無休(年末年始は除く)

 

・JR佐倉駅前観光情報センター

千葉県佐倉市六崎169-17

043-485-9700

9:00~17:00

休業日:12月29日~1月3日

・ふるさと広場売店「佐蘭花」

千葉県佐倉市臼井田2714

午前9時~午後5時

年中無休(年末年始は除く)

《小篠塚城のご説明》千葉県佐倉市

小篠塚城は、印旛沼への最大流入河川である鹿島川に面した半島状の台地先端に築かれました。一部、発掘調査が行われていて、古墳時代の住居跡も検出されています。

小篠塚城の築城年代などの詳細は不明ですが、16世紀中頃から末頃と考えられる遺構が良好に残っています。現在は正慧寺(しょうけいじ)とその塔頭安養院が城内に建っています。

平安時代から鎌倉時代の初めには、小篠塚城の周辺は印東氏の領地でした。その後は、千葉氏の領地になり、15世紀前半には平河氏と宍倉氏が知行していたことがわかっています。

享徳3年(1454年)に鎌倉公方足利成氏が関東管領の上杉憲忠を謀殺。これにより、享徳の乱が起きました。

転戦中に本拠地鎌倉を占拠された成氏は鎌倉に入ることができず、古河城に入り、以後、古河公方と呼ばれるようになりました。享徳の乱の終結後も動乱が続き、文亀2年(1502年)から永正元年(1504年)までの間、成氏の跡を継いで2代古河公方となった政氏とその子である高基が小篠塚城に動座しました。動座した理由は定かではありませんが、その頃、政氏と千葉孝胤(のりたね)は関係が悪化していたともいわれていて、小篠塚城は当時の状況を考える鍵になる重要な城といえます。

 

 

《御城印デザインのご説明》

御城印には小篠塚城に動座した古河公方足利政氏、高基のそれぞれの花押をデザインしました。あわせて、初代足利公方成氏の花押もデザインしましまた。成氏の居城であった古河城が文明3年(1471年)に攻められ占拠された際、成氏が頼ったのは千葉孝胤(のりたね)でした。成氏は小篠塚城には入っていないと考えられていますが、小篠塚城は千葉氏ゆかりの城のため、この地域と古河公方の関係の深さが偲ばれます。

足利氏の家紋「二つ引両」と、古河公方を支援した千葉氏の家紋「月星」を描きました。

さらに御城印には、小篠塚城に動座した古河公方足利政氏、高基父子を描いた絵(正慧寺ご提供)をモチーフにしました。

 

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販売開始は7月31日(土曜)です

道の駅水の郷さわら

千葉県香取市イ3981-2

電話0478-50-1183

営業時間 8時から18時 年中無休

 

寺嶋陶苑(てらじまとうえん)

千葉県香取市小見川268

電話0478-82-2322

営業時間 8時30分から18時30分 水曜日定休



《小見川陣屋のご説明》千葉県香取市

小見川陣屋は現在の小見川中央小学校の地に築かれた小見川藩の陣屋です。南北175m、東西150mほどの規模で、その敷地は黒部川河畔まで広がっていました。

徳川家康が関東に入ると、家康の家臣松平家忠が小見川に入封しましたが、家忠は関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで戦死しました。その後、土井利勝、安藤重信らが入るも、安藤氏の移封を受けて廃藩となりました。

寛永16年(1639年)に内田正信が下総国、常陸国で加増され大名になり、小見川藩主となりました。正信の死後、元禄元年(1688年)に小見川陣屋が置かれました。当初、内田氏の居所は下野国鹿沼でしたが、享保9年(1724年)に小見川に移り、小見川藩が再立藩され、以後明治まで内田氏は一万石の大名として存続しました。

小見川は香取の海に直結する水運の要衝のため、すでに鎌倉時代には千葉一族である粟飯原氏が領地としていたとも伝わっています。戦国時代になると、粟飯原氏が小見川城(現小見川城山公園)を築きますが、対抗勢力であった里見方の正木氏が下総国に侵出し、小見川城を攻撃。その際、正木方が小見川城攻めの陣城である橋向城を築いたのが後の小見川陣屋の地にあたります。

 

《御城印デザインのご説明》

小見川藩1万石の譜代大名内田氏は、遠江国内田郷に起源を持ち、今川氏、徳川氏に仕えました。慶安4年(1651年)、徳川家光の病死に際し、当時の当主正信は殉死を遂げました。その後を継いだ正衆(まさもろ)以降も、用水堰の整備などに尽力し、小見川を発展に導きました。御城印には内田氏の家紋「内田久留子(くるす)」を配置しました。

古くから水運の要衝だった小見川は、江戸時代には利根川舟運の河港として栄えました。陣屋にも黒部川から水路を引き込み、船着き場が設けられていました。このような陣屋は全国的にも珍しく、小見川陣屋の特徴といえます。御城印は繁栄を偲ばせる当時の陣屋の絵図をモチーフにし、小見川中央小学校の校舎の上に飾られていた鯱(しゃちほこ)をデザインしました。これは、江戸時代のものと推定されていて、明治16年に建設された第一校舎棟上に飾られていたものです。その校舎の解体にあたり屋根から下ろされ保管されています。

 

 

 

 

 






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2021年7月27日 (火)

youtube~鎌倉殿の13人!三浦一族と源氏ゆかりの地~ 『山城ガールむつみの出陣のススメ!!「いざ!小坪合戦へ!」』

ついにyoutubeチャンネル開設しました。
1本つくるのにかなり時間がかかるため、そんなにしょっちゅうはアップできませんが、ぼちぼち動画作っていくつもりです。

どうぞチャンネル登録よろしくお願いしまーす✨

チャンネル名
『山城ガールむつみの「むっチャンネル」』

視聴とチャンネル登録はコチラから
↓  ↓  ↓  ↓  ↓
(2) 山城ガールむつみの出陣のススメ!!「いざ!小坪合戦へ」 - YouTube


最初の動画は「いざ、小坪合戦へ!」です。
韮山での頼朝の挙兵、そして頼朝軍が大庭景親率いる平家の軍勢と戦い負けた石橋山合戦。
その頃、頼朝と合流すべく進軍していた三浦一族が平家方の畠山重忠軍と戦ったのが小坪合戦です。

では一緒に出陣してみましょう~♡

あと、7月30日のbayFM(78.0)18:45~の「みんなのチカラ千葉」に出ます。収録でしたが、登場すると思いますので聴いてみてください♪

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2021年7月24日 (土)

LINEオフィシャルアカウント開設のお知らせ

LINEのオフィシャルアカウントを開設しました。
LINEで

@yamajirogirl

こちらで検索ください✨

今後はこちらでいろんな情報も発信させていただきます。

よろしくご登録くださいませ♡

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2021年7月11日 (日)

クラブツーリズムツアー「三崎城&浦賀城」のお知らせ

まだまだ先なのでどうなるかわかりませんが、もしよろしければ♡
私が新宿から一緒にバスの中でも楽しく歴史の旅に誘います✨

<歴史への旅>『素敵な御城印付でめぐる 山城ガールむつみの出陣ノススメ いざ、三崎城&浦賀城へ 日帰り』【新宿出発】<22名様限定/バス1人2席>|クラブツーリズム (club-t.com)

10月3日です。歩くにはいい季節!

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2021年7月 7日 (水)

歴史を使った町おこしin多古町


千葉県多古町で山城を使って、この一年の間にいろいろと楽しいことをやらせていただきました。
御城印を12城も出したり、またその発行のお城を当てるキャンペーンをしたり、ツアーやったり、講演やったり。
少しずつ、多古の歴史とお城の素晴らしさが広がってきた気がします✨

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講演会もやらせていただきました✨

多古町には千田荘という荘園があり、鎌倉時代には千葉宗家の領地になってました。
千葉氏は佐賀県小城に領地を持っていた関係で、元寇のときには九州でモンゴル軍と戦いました。そのときの当主頼胤が九州で没すると、頼胤の子である宗胤が九州に赴任。その隙に、下総の本拠地には宗胤の弟の胤宗が入り込み勢力を拡大して行きました。
(名前がややこしい!)
そんな一族の内紛の舞台になったのが多古です。

さらには、享徳の乱(1454)に端を発したいざこざの中で、千葉宗家が滅びるのも多古です。
とにかく、多古には面白くも浪漫満載の歴史が埋もれているのです✨

そういう歴史を楽しく伝えたいなと。
歴史を知らないとその土地を愛せないですから。
楽しいだけじゃなくて、コアな歴史をしっかりと伝えたい。軽くミーハーになりすぎないように。でも、難しくなく分かりやすく裾野も広げたい。そんな考えの中、御城印にしっかりと想いと歴史を載せて発信することを心掛けてきました。

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多古城郭保存活用会の高坂会長と。
おかげさまで、多古町では防災無線で山城の情報や私のイベントの告知も流していただくなど、有難いご協力のもと、御城印12城が完成しました。
これからももっと整備を進めて、多古の町民に町の歴史に誇りを持っていただけるよう、また外から訪れてくれた方々が多古の良さを分かってくれるよう取り組みを続けて行きたいと思います♪

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多古の所一重町長にも大変お世話になりました❤ありがとうございます。
多古町さんは御城印出すたびに、道の駅に設置する幟を作ってくれました!🙌

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匝瑳市の都祭広一議員にもジャンケン大会に来ていただきました✨
広域連携しながら、歴史と城で繋がって行けたら楽しいなと思います^_^

道の駅多古では、御城印12城完成の記念切符が枚数限定で販売中でーす。
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ちらもぜひ♪

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2021年6月30日 (水)

歴史を使った町おこしin富津市


金谷城、限定公開のお知らせ✨
富津市金谷城と佐貫城の御城印が発行されました。富津市では造海城と飯野陣屋がすでに発行されてますので、これで4城目の御城印です。
デザインと同封の説明文、やらせていただきました。

金谷城は現在TJKリゾートさんの敷地になっていて入れませんが、今回の御城印発行を受けて、歴史や城の掘り起こし&観光活用という趣旨にご賛同いただき、限定公開が実現しました🙌
やったー!

と、いうことでまずは7月に2回だけ限定公開されます。日にちや時間など、詳細は富津市観光協会さんのホームページをご覧ください^_^

秋以降の公開は未定です。
ご都合つく方、四脚門が検出したあたりまで見せていただけますのでぜひ足をお運びください☺️

金谷港フェリー降りたら目の前の山ですよ⛰

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2021年6月25日 (金)

6月の御城印完成のお知らせ

また今月も新しい御城印が販売になりますのでお知らせです。
金谷城、佐貫城、多古藩陣屋は6月26日(土)から販売開始です。

成東城のみ6月28日(月)販売開始。


デザインと説明文やらせていただきました。
4城とも歴×トキにて通販取り扱いとなります✨

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金谷城

公益財団法人 鋸山美術館

住所 千葉県富津市金谷2146-1

TEL 0439-69-8111

営業時間10:00-から17:00(最終入館16:30)

金谷城は鋸山から北に伸びる丘陵に築かれました。眼前には浦賀水道が広がり、さらには上総国と安房国の境に当たる要衝の地です。東京湾を挟んで、三浦半島を指呼の距離に臨むことができ、金谷城は諸勢力の水軍拠点の海城として使用されていたと推察されます。
築城主や築城年代は不明ですが、天文年間(1532年~1555年)初頭の段階では、里見実堯の居城であったと考えられています。
史料上の初見は、天文22年(1553年)の文書で、それによると里見氏の庇護を受けていた妙本寺(鋸南町)の住持日我が戦乱から逃れるために、金谷城に経典などを運び込んで避難するも戦火で焼失したといいます。里見氏の庇護する妙本寺の住持が金谷城に避難していることから、金谷城が当時、里見方の城だったことがわかります。

その後、金谷城は内房正木氏の管理下に置かれたと考えられます。正木氏は小田原北条氏に属していた時期もあり、その際は金谷城も北条方の城となりました。詳細は不明ですが、正木氏が再度里見氏に属すようになると、金谷城は里見方の城として機能したと思われます。
佐貫城、造海城、勝山城が里見氏の拠点として整備されていくと、金谷城は造海城の支城として連携し存続していったと推測できます。

現在、城址にはリゾート施設が建ち、当時の城の姿は失われているものの、その立地から戦国期には里見氏、小田原北条氏の紛争の舞台であったことが見て取れます。

《御城印デザインのご説明》
金谷城の御城印は、この地域のシンボルである鋸山をモチーフにしました。
金谷城は開発の際に発掘調査が行われ、たくさんの遺構と遺物が検出されています。調査によると、中心になる時期は16世紀前半から中頃と考えられていて、礎石や掘立柱建物が数棟見つかっています。切石を積んだ石積や、岩盤を削って造られた石塁などが見つかっています。虎口は岩盤を削り精巧に造られ、検出された柱穴から四脚門を伴った虎口だともいわれています。それらにより、城主や代官が常駐していた城の可能性も指摘されています。
御城印には検出された石積みや虎口をデザインしました。

 


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佐貫城(上総国)

有限会社 宮醤油店

TEL0439-66-0003

千葉県富津市佐貫247

営業時間 9:00-17:00

年中無休(大晦日正月3が日を除く)

佐貫城は染川とその支流の北上川に囲まれた丘陵に築かれました。16世紀前半には、上総武田氏の拠点の一つだったと考えられています。永正4年(1507年)の佐貫鶴峰八幡神社再興棟札には、大旦那として武田氏の名が書かれていることからも、武田氏と佐貫の関係が指摘されています。
その後、武田氏の内紛に介入した里見氏と小田原北条氏の争いがおき、佐貫城も両勢力の戦いの舞台になりました。天文14年(1545年)頃には里見氏の城となり、当主である義堯が居城としていましたが、北条氏が佐貫城を囲み、里見方は北条氏が囲みを解くまでの1ヶ月近くを籠城戦で凌いだといいます。しかし、天文年間の終わり頃にはついに佐貫城が落とされ、義堯は久留里城に移ったとされています。
永禄6年(1563年)には北条氏が擁立した古河公方足利義氏が佐貫城に入っていることからも、北条氏がいかに佐貫城を重要視していたかがわかります。この後、里見氏と北条氏が江戸湾を挟んで佐貫城を巡り熾烈な戦いを繰り広げます。その過程で佐貫城は再び里見氏の城となり、里見氏の本拠が岡本城(南房総市)に移ると佐貫城は里見方の一拠点として存続していきました。

天正18年(1590年)の小田原合戦以降、関東に徳川家康が入封すると、徳川譜代の内藤家長が入城しました。その後は松平氏の時代や天領になった時期を経て、阿部氏が入ります。

宝永7年(1710年)に入封した阿部氏は、藩校の誠道館の設立や、砲台を築いて海防強化に努めました。そして、多くの幕府関係の儀式に参加し、譜代大名として明治まで存続しました。

《御城印デザインのご説明》
上総武田氏、里見氏、小田原北条氏、足利義氏、そして、近世初頭には徳川譜代の内藤氏が入るなど、多彩な歴史に彩られた佐貫城。それらの歴史がいかに佐貫城が重要だったかを物語っています。御城印には武田氏「四つ菱」、足利氏と里見氏の「二つ引両」、北条氏の家紋「三つ鱗」をそれぞれ配置しました。

佐貫城は天正18年(1590年)に内藤氏が入って以来、松平氏、阿部氏と城主が変わり、現在残る遺構は近世に改修されたものですが、中世の佐貫城が基本的には踏襲されたと考えられます。本丸から二の丸へ続く丘陵が近世では佐貫城の中心だったと思われますが、中世においてもこのエリアが城の中心だったと思われます。中世から近世へと上書きされながら存続した佐貫城の御城印は江戸時代に描かれた絵図をモチーフにするとともに、佐貫藩を再立藩し、江戸時代を通して存続させた阿部氏の家紋「丸に違い鷹の羽」をデザインしました。



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成東城

大髙醤油株式会社

TEL 0475-82-5581

千葉県山武市富田540

営業時間 8:00―17:00(土日休み)

成東城は九十九里平野を臨む標高45mほどの台地に築かれました。現在は城の中心部が成東城跡公園として整備されています。
作田川が近くを流れ、現在はその支流が成東城の裾野を囲むように流れています。成東城は台地全体を利用して築かれていて、現地を歩くとその規模を感じることができます。さらに、台地東南にあたる九十九里海岸方面には遮る丘陵が全くなく、成東城が水上交通の要であったことが見て取れます。

成東城は鎌倉時代以降、この地を治めていた印東氏が築城したとも伝わりますが、今に残る遺構は16世紀以降のものと考えられています。
1450年代に印東氏がこの地を支配しなくなった後は本佐倉城を拠点にした馬加千葉氏の勢力下になり、その子、胤定(鳴戸八郎)が城主として成東地域を治めたといいます。

永禄12年(1569年)頃には正木氏による下総侵攻があり、成東城もその混乱に巻き込まれたと思われ、そういった状況下で改修されながら機能したと思われます。

台地全体を利用して築かれた成東城は、本佐倉城や土気城などといった両総の主要城郭に匹敵する規模であることからも、この地にこれほどの城を築ける勢力がいたことを物語る城といえます。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原城の北条氏を攻めると、成東千葉氏当主の将胤は北条方として戦い、討ち死にしました。小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入封すると成東には家康配下の石川康通や青山忠成などが配属されましたが、元和6年(1620年)に廃城となりました。

 

《御城印デザインのご説明》

宅地化が進み、一部は破壊されているものの、成東城には遺構が良好に残っています。土塁、空堀、虎口、切岸などの防御が施され、堅固な城であったことがわかります。主郭は三方に土塁を巡らし、取り囲む空堀も折れを伴い、防御制を高めていることが見て取れます。

戦国期の姿を色濃く残す成東城の御城印には、台地全体を城郭化し広大な城域を誇る成東城の地形がわかる地図と縄張図をモチーフにしました。

鎌倉時代からこの地を領有していた千葉氏の家紋「月星」と「九曜」、そして、享徳の乱を契機とし、主家を滅ぼし千葉氏当主となった馬加千葉氏の家紋「月星(星が真上)」をデザインしました。

 



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多古藩陣屋

道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)

休業日:年末年始(1月1日~1月2日)  

多古藩陣屋は、現在の多古第一小学校周辺の小高い場所に築かれました。

多古は、古くから名族千葉一族ゆかりの地で、享徳の乱に端を発した一族の内紛で千葉氏宗家が多古で滅ぶなど、中世を通して下総国内で重要な地でした。

天正18年(1590年)に小田原北条氏が豊臣秀吉に攻められ、戦国大名として滅亡すると、徳川家康が関東に入封しました。そして、多古には家康家臣の信濃高遠城主保科正光が入りましたが、関ケ原の戦い(1600年)後に正光は加増され高遠藩に移ったため、多古藩は一時廃藩となりました。

寛永12年(1635年)に8千石の旗本松平(久松)勝義が、上総国武射郡と下総国香取郡に所領をもらい、多古に陣屋を構えます。これが多古藩陣屋のはじまりです。そして、延宝8年(1680年)に家督を継いだ勝義の九男勝以(かつゆき)は加増を受け、1万2千石の大名となり、多古藩が再び立藩されました。以後、久松松平氏が多古藩領主として存続し明治に至ります。

当時、陣屋の敷地は板塀や石垣で囲われていましたが、現在は多古第一小学校の校庭となり、陣屋前面の石垣の一部がわずかに残るだけです。しかしながら、全国的に石垣が築かれた陣屋は珍しく、このことからも多古藩1万2千石の威光が想像でき、この陣屋が多古藩の政治の中心地であった往時が偲ばれます。

 

《御城印デザインのご説明》

多古藩陣屋の御城印には昭和8年に描かれた多古町の鳥瞰図をモチーフにし、町の風景を描きました。あわせて、江戸時代に発行された『下総名勝図絵』に描かれた多古藩陣屋の表門遠景もデザインしました。

久松松平家の家紋「星梅鉢」、さらに「六つ葵」を配置しました。久松松平家は徳川家から葵の紋の使用を許されていました。

 

 

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2021年6月19日 (土)

柏市の講演のお知らせ

7月22日(海の日)講演会やらせていただきます。
場所は柏駅の近く「アミュゼ柏」です。

お城の楽しみ方、歴史と城を使った地域活性…みたいな話をしようかなと思います。
千葉氏、三浦氏、柏周辺のお城、そんな感じで楽しい題材を散りばめてお話しさせていただきます✨

【7/22、柏市】歴史講演会「山城ガールむつみさんが語る城めぐりの魅力」開催 - お城ニュース - 全国で開催されるお城や歴史関連のイベント情報まとめ (kojodan.jp)

 

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会 HP (matsugasakijo.net)

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2021年6月13日 (日)

COTONOWA 新講座の募集のお知らせ

上大岡京急百貨店の講座ご案内です✨
6月12日から受け付けスタートになりました。
お申し込みは、COTONOWAのHPから!サイト内、「山城ガールむつみ」で検索くださいませ。

公式サイト - COTONOWA-京急百貨店がお届けする新しいコト体験‐コトノワ

7月「いざ、水運の要衝、六浦湊へ!」
六浦や八景周辺を散策して、いろいろと歴史探検します。

9月「いざ、村岡城へ!」
鎌倉街道の上の道を探して楽しく歩きます。

ぜひ、お申込みよろしくお願いします!!

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2021年6月 5日 (土)

いざ、津久井高重 奮戦の地へ!!

今回は津久井一族の足跡をたどり、三河国に行ってきました。
潜入歴史調査です✨

津久井氏の本拠地は横須賀市津久井。三浦半島の東南に位置する海沿いの場所です。
衣笠城で討ち死にを遂げた伝説の英雄三浦義明の弟の義行が津久井の地に入り、津久井氏の祖となりました。

津久井氏の詳細は一番最後に御城印とともに添付しておきます。
後でお読みください。
今回は津久井氏の奮戦レポです!

承久3年(1221年)5月、後鳥羽上皇は北条義時追討の宣旨、院宣を発します。そしてまず、京都守護の伊賀光季を討ちました。これによって、承久の乱が幕を開けます!
対する鎌倉幕府は、京都攻撃の軍を発しました。大将軍は北条泰時、時房です。

このときに北条政子が有名な演説をします。
「頼朝さまのご恩は海よりも深く山よりも高く…うんぬんかんぬん。みなのもの、亡き殿の恩を感じているのなら、朝廷を討つために立ち上がれ(こんな感じの内容)」によって、御家人たちは京都を討つために決起したのです。
これによって、「朝廷VS北条義時」という図式が、「朝廷VS鎌倉幕府」になったのです。

三浦一族としては、実は朝廷方の先鋒になっていたのが三浦胤義。これは三浦一族棟梁の義村の弟に当たります。
胤義は兄の義村に一緒に朝廷方として義時を討つように持ちかけました。しかし、義村はその内容を義時に告げ、弟と袂を分かつことになるのです。

その場面を描いたのがこちら。左奥にいるのが北条義時、大河ドラマでは小栗旬さん。
義時に報告してる青の着物が三浦義村、大河ドラマでは山本耕史さん。


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そんな感じで、幕府と朝廷方の戦いがはじまり、幕府軍は東海道、東山道、北陸道の3道から都へ進軍しました。
東海道を行く軍列は5月30日に橋本宿に到着しました。橋本宿は現在の静岡県湖西市にありました。江戸時代になると橋本宿は廃止され、その近くに新居宿と名を変えた宿場が整備されました。


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浜名橋。橋本宿の近くにあったとされる橋。
なんと、平安時代の段階で長さ167m、幅4m、高さ5mの橋が架かってたということ!すごい!
風光明媚な景勝地として旅人から人気のスポットだったんでしょうね✨

この浜名橋付近にあった橋本宿こそが今回のテーマ、津久井高重に関わる歴史舞台なのです♡
京に向かう東海道軍の中に三浦一族津久井高重の姿がありました。
津久井氏は朝廷方として戦っている尾張国守護小野盛綱(伊賀光季を討った人)
とゆかりがありました。
そのため、いったんは幕府軍について出陣してしまったものの、朝廷方として戦うため、橋本宿に着いたところで脱出します。夜陰に紛れて、一族郎党19騎とともに急ぎ京に向かったのです。


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浜名橋付近。松が植えられ、いい雰囲気です。
東海道の要衝地のため、この付近には歴史がたくさん埋もれてます。近くには梶原景時の子の景季(源太)の伝承も残ります。その話はまたの機会に。

では、ここで隊から脱走した津久井高重の足取りを追いましょう!!!



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脱走して京に向かった津久井高重の一行は、遠江の内田四郎なるものに発見されてしまいます。そして、北条泰時、時房の命を受けた内田四郎は高重らを追いかけました。
高重らは急ぎ逃げたものの、ついに追討軍に追いつかれます。その追いつかれた場所が、赤坂宿です。



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赤坂宿は江戸時代を通して賑わった宿場で、今も雰囲気の残る町並みになっています。


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大橋屋。
旅籠を観光拠点として改修していて、見学ができます。


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素敵です。無料で中に上がれます。


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二階にも上がれます✨


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赤坂宿近くには音羽川が流れていますが、川沿いで休息を取っているときに追いつかれたといいます。
水を飲んだり、馬に水を飲ませたりしてたんでしょうか。
この関川橋(落合橋)の付近で戦いになったといいます。


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こういう雰囲気です。イメージ湧きますね。
ここで内田四郎の軍勢60騎あまりに攻撃された高重らは、近くの寺に立て籠りました。



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長福寺山門。この寺に高重らは逃げ込みました。
高重らは、赤坂宿の街道沿いにある長冨寺(今の長福寺)に立て籠ったといいます。
寺伝によると、この高重らの戦いとの関連性は不明ながらも「承久の頃、放火のために僧房堂舎焼失」と書かれているとのこと。


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背後は高台になっています。逃げ込むにはもってこいの要害地形!


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今は観音堂が建てられています。


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この観音堂に祀られているのは平安時代の観音様。平安時代は大江氏が三河国司となっていて、この仏像は大江定基ゆかりのものと伝わります。

さて、立て籠った寺を囲まれた高重らはどうしたかというと、寺から打って出ます。
最初に戦いになった地点より、少しだけ上流側、現在の大黒橋あたりで合戦になったといいます。



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津久井高重19騎に対して、追っ手の内田四郎60騎あまり!
武勇に優れた高重の一団も多勢に無勢で防ぎきれず。
激しい戦いが繰り広げられ、ついに全員討ち取られてしまいました。
このあたりの川が血で赤く染まったと伝わっています。


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朝廷方として戦うために京に向かった津久井氏は、ここ赤坂宿で最期を迎えました。
その知らせを受けた本拠地の三浦津久井(横須賀市)では、追っ手が来ることを恐れて一族が脱出。それぞれ、縁者を頼って逃げたといいます。
群馬県前橋あたりには、津久井氏の末裔とされる方々が住んでいるといいます。
津久井氏は神奈川県相模原市の津久井にもゆかりがあるとされ、そこにいた津久井一族もその地を脱出。
そこから脱出したとされる津久井氏の子孫が山梨県にいるそうです。

歴史の陰には津久井氏のように、熱い想いを抱えたまま埋もれていった人たちがたくさんいます。
色んなところに足を運んで掘り起こしたいですね✨ロマン✨

で、ここからが面白かったこと。やはり現地に行かないとダメだなぁと、つくづく感じた出来事。
図書館で町史を読んでいたら、津久井高重の供養塔があるとの情報を入手。どうしてもお参りしたい!と思って、探すも見つからず。町史に書いてあった手がかりをもとに歩き回るも見つからず。大黒橋の近くだと思うんだけど…。

畑で作業していた方(多田さんという方でした)に聞いたら、色んな家に声かけてくれて一緒に探してくれました♡
なんて優しい✨
でも、見つからない!みなさん口々に「うーん、わからないなぁ」と。
仕方なく、多田さんに、「もうあきらめます。ありがとうございました!」とお礼を言って別れました。

でも、どうしてもあきらめられない!
ダメ元で、大橋屋さんに言って聞いてみると…。
なんと!!わかりました!
個人の庭にあるため、親切にもその方に電話してくれました。わーい!!


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と、いうことで、恋い焦がれた石塔と感動の対面✨
感動。涙がでましたよ。
五輪塔と宝筺印塔が混ざってます。
南北朝くらいのものでしょうか。
かつては19基あったとのこと。
高重ら19騎の分を建ててくれてたんですね。
三浦一族を代表して感謝いたします(笑)

個人のおうちのため、もしお参りしたい方がいましたら私にメールください。
赤坂宿の皆様、ありがとうございました!!


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こちらは、本拠地三浦津久井の菩提寺東光寺さんの津久井氏の供養塔。



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ご住職さんと。
このたびの津久井高重の命日に、東光寺さんでは追善供養を行いました。
新しく「義勇院殿武徳忠高大居士」という戒名をお授けしたそうです。
承久の乱から800年、とてもいい供養になったのではないかと思います。

津久井氏の本拠地津久井と津久井氏の詳細は下に添付してあります!
津久井氏の歴史に興味持っていただけたなら、御城印もオススメです♡

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津久井館は三浦一族津久井氏の居館跡と伝わります。津久井は南側が海に面し、北側の山稜に向かって谷戸が形成されています。衣笠城で討ち死にを遂げた伝説の棟梁三浦大介義明の弟義行が津久井の地をもらい、「津久井」を名乗ったのが始まりとされています。

源頼朝が打倒平家のために挙兵すると、津久井氏も他の三浦一族とともに頼朝方として戦いました。その後、鎌倉に入った頼朝が上洛する際に供奉した武士の中に津久井氏の名が見え、その活躍をうかがい知ることができます。

義行、高行、義通、高重と4代にわたり、この地を領しましたが、承久3年(1221年)に起きた承久の乱では朝廷側につき、高重をはじめとする津久井一族は討たれました。これにより、この津久井の地から津久井氏は姿を消しましたが、群馬県や山梨県にその残党が逃げ落ち土着したという伝承が現地に伝わっています。

津久井氏の館があったとされる場所は、「峯屋敷」と呼ばれていて、東光寺西南の高台がそれにあたります。江戸時代に書かれた『新編相模国風土記稿』には、峯屋敷の周りには堀跡が残っていたとも記されていますが、宅地化された今となっては当時の姿を知る由もありません。

しかしながら、谷戸の最奥部にある真言宗七宝山医王院東光寺が津久井氏の歴史を今に伝えてくれます。東光寺は津久井氏の菩提寺です。寺伝によれば、奈良時代に行基が創建したといい、その後、荒廃した東光寺を津久井義行が中興し祈願所にしました。境内には、津久井一族の五輪塔が残り、津久井氏がこの地にいた当時を偲ぶことができます。

後鳥羽上皇は内裏を警備させるために、武士の中から精鋭を選び、「西面の武士」を置きました。その中に選ばれたのが、津久井高重です。御城印には西面の武士にも選ばれた津久井高重の武勇を表現すべく、馬上で弓を射る武者を描きました。

そして、三浦一族の家紋「三つ引両」を配置するとともに、津久井の北側にそびえる武山や美しい海岸線をモチーフにしました。津久井氏が祈願所とした東光寺薬師如来の光をイメージし、薬師如来の光の色である瑠璃色の雲をデザインしました。

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2021年6月 1日 (火)

パネル展示 in衣笠コミュニティセンター

横須賀市の衣笠コミュニティセンター1階に、三浦一族のパネルを展示してもらいました!
まさに三浦一族の本拠地にふさわしいー!!✨
このパネルは去年のお城EXPOで展示したパネルです。ここで役に立ってよかった!

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衣笠観光協会さんは2年に一回、武者行列をしています。
この武者行列は、なんと三浦一族が源頼朝とともに戦うべく、石橋山に向かう行列なのです。
かっこいい行列なのですよ♡

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そのため、衣笠コミュニティセンターには手作りの甲冑の展示もあります。三浦一族が勢揃い!

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そこに私が作ったパネルを展示していただくのは嬉しいですね。
お近くの方はぜひ見に行って下さいませ✨

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2021年5月28日 (金)

今月の発行御城印のお知らせ

今月は5月29日(土)に新しい御城印が6コ発行されます✨
全部、説明文とデザインをやらせていただきました。

南房総市から4つ!!
石堂城、丸城、平松城、里見番所!

三浦一族から1つ!
津久井館!

多古から1つ!
土やぐら城!

今回もバラエティに富んだお城がラインナップ!
全部、歴×トキにて通販でも取り扱いいたします。

津久井館

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津久井館は三浦一族津久井氏の居館跡と伝わります。津久井は南側が海に面し、北側の山稜に向かって谷戸が形成されています。衣笠城で討ち死にを遂げた伝説の棟梁三浦大介義明の弟義行が津久井の地をもらい、「津久井」を名乗ったのが始まりとされています。

源頼朝が打倒平家のために挙兵すると、津久井氏も他の三浦一族とともに頼朝方として戦いました。その後、鎌倉に入った頼朝が上洛する際に供奉した武士の中に津久井氏の名が見え、その活躍をうかがい知ることができます。

義行、高行、義通、高重と4代にわたり、この地を領しましたが、承久3年(1221年)に起きた承久の乱では朝廷側につき、高重をはじめとする津久井一族は討たれました。これにより、この津久井の地から津久井氏は姿を消しましたが、群馬県や山梨県にその残党が逃げ落ち土着したという伝承が現地に伝わっています。

津久井氏の館があったとされる場所は、「峯屋敷」と呼ばれていて、東光寺西南の高台がそれにあたります。江戸時代に書かれた『新編相模国風土記稿』には、峯屋敷の周りには堀跡が残っていたとも記されていますが、宅地化された今となっては当時の姿を知る由もありません。

しかしながら、谷戸の最奥部にある真言宗七宝山医王院東光寺が津久井氏の歴史を今に伝えてくれます。東光寺は津久井氏の菩提寺です。寺伝によれば、奈良時代に行基が創建したといい、その後、荒廃した東光寺を津久井義行が中興し祈願所にしました。境内には、津久井一族の五輪塔が残り、津久井氏がこの地にいた当時を偲ぶことができます。

後鳥羽上皇は内裏を警備させるために、武士の中から精鋭を選び、「西面の武士」を置きました。その中に選ばれたのが、津久井高重です。御城印には西面の武士にも選ばれた津久井高重の武勇を表現すべく、馬上で弓を射る武者を描きました。

そして、三浦一族の家紋「三つ引両」を配置するとともに、津久井の北側にそびえる武山や美しい海岸線をモチーフにしました。津久井氏が祈願所とした東光寺薬師如来の光をイメージし、薬師如来の光の色である瑠璃色の雲をデザインしました。

販売場所
東光寺
神奈川県横須賀市津久井5-8-3

046-848-4512

午前9:30~16:30

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東光寺の田村ご住職と✨



石堂城
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石堂城は天台宗寺院である石堂寺の背後の山に築かれました。石堂寺は寺伝によれば、神亀3年(726年)創建といい、行基の開山と伝わります。その後、火災で焼失したため、大永2年(1522年)に丸氏の援助で現在の地に再建されたといいます。その際に、丸山平野から奥に入った谷の山嶺上という城郭要素を併せ持った地に、寺と一体を成すように石堂城が築かれたと思われます。

石堂寺の本堂を取り囲む尾根上には、堀切や土橋などの城郭遺構が残り、平場や櫓台のような痕跡も見て取れます。丸氏の居城である丸城が指呼の距離にあることからも、丸氏やその主筋である里見氏の城として機能していたと考えられます。

戦国末期には足利頼氏が石堂寺で養育されました。小弓公方足利義明の孫にあたる頼氏は、足利の命脈を繋ぎ、喜連川藩祖となった人物です。足利氏が没落した後、豊臣秀吉が名門足利氏の功績を偲び喜連川(栃木県さくら市)の地を与えたことから、「喜連川」を名乗りました。足利の血を引き継ぐ頼氏が入った寺であることからも、石堂寺、そして石堂城の重要性が浮かび上がります。

石堂寺の多宝塔(国指定重要文化財)は天文14年(1545年)に丸常綱を大旦那として、丸一族を中心に建立されました。丸氏にとって、石堂寺は信仰の中心であり、その寺を取り込んだ石堂城を築いた際も丸氏が深く関わっていたと推察されます。御城印には丸氏の家紋をデザインし、戦国期に丸氏が属した里見氏の家紋もあわせてデザインしました。

奈良時代からの古刹石堂寺を取り込み築かれた石堂城の険峻な山容をイメージして、御城印に描きました。




丸城
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丸城は天台宗安楽寺背後の丘陵に築かれました。南北に延びる山塊一帯が城跡とされています。山頂からは周辺の平野部を見渡すことができ、北東方面に位置する古刹石堂寺へと続く街道を臨むことができます。

築城年や築城主などの詳細は不明ながらも、平安時代からの豪族、丸氏の居城とされています。平安時代から室町時代にかけて丸氏の拠点がどこであったかは不明ですが、室町時代のどこかの段階で、安房東部の領主としてこの地に城を築いたものと思われます。少なくとも、15世紀にはこの丸城を居城として、一帯を本拠地としていたと考えられます。その後、丸氏は丸城を中心として、丸山川流域に一族が分布していきました。

戦国時代になると、丸氏は里見氏に属しますが、丸城がいつまで使われていたかは定かではありません。城山社のある山頂部が主郭だったと思われ、この主郭が物見台の役目を担い、街道や平野部を監視していたと考えられます。

丸城が築かれた一帯は、源頼義が前九年の役の功により、朝廷から恩賞として与えられた源氏ゆかりの地です。平治元年(1159年)に、源義朝が子の頼朝の昇進を願い、伊勢神宮にこの地を寄進したため、「丸御厨」という伊勢神宮の荘園が成立しました。これにより頼朝は蔵人に補任され、頼朝にとってもゆかりの深い場所なのです。

この丸の地を拠点とした丸氏は、保元の乱(1156)では義朝軍として戦い、鎌倉政権成立後には『吾妻鏡』にもその名が見えるほどの一族です。

治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた頼朝が丸五郎信俊を案内役として丸御厨を巡検し、丸氏の居館に宿泊し、安楽寺を参詣したといいます。

御城印には丸氏の家紋と、戦国期に丸氏が属したと思われる里見氏の家紋をデザインし、安楽寺の山門をモチーフにしました。この山門は享徳元年(1452年)に建てられていたといわれ、享徳の乱(1454年)直前にあたるこの時期の丸氏の居城を想像できる現在に残る貴重な遺構です。この時期の丸城城主は、丸常重であることも安楽寺に残る鋳造護摩釜よりわかっています。山門にあわせて丸城城山の山容を描き、街道を見張る櫓をデザインしました。


平松城

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平松城は山名川と平久里川に挟まれた丘陵上に築かれました。麓には「池之内」という地名が残り、山名川に向かって南方に口を開けた谷となっています。平松城は安房の豪族安西氏の居城として知られています。

治承4年(1180年)、源頼朝が打倒平家の兵を挙げるも石橋山合戦にて敗北。逃げた頼朝一行は海路にて安房に入りました。その安房入りの際、真っ先に頼朝の元を訪れ、再起を図るために尽力した安西景益が平松城を築いたとの伝承も残りますが、現在残る城の遺構は戦国期のものと思われます。現地には主郭と見られる平場や、腰曲輪、そして櫓台のような人工的に削平された遺構が残っています。安西氏は戦国期には里見氏や北条氏の家臣として取り立てられたとされています。

堀や土塁などの明確な遺構は残っていませんが、安房国の古くからの豪族安西氏の拠点としてその名を残す貴重な史跡といえます。

 

平松城は、太平洋航路の交通の要である鏡ケ浦(現館山湾)に注ぐ河川沿いに築かれました。安西氏はこの海上交通の要衝を押える水軍の一団だったと考えられます。御城印は船で太平洋を行き来する安西氏をイメージし、表現しました。

安西氏は対岸の三浦半島の豪族三浦一族とも関係が深かったとされていることから、三浦一族の家紋「三つ引両」をデザインしました。

三浦一族は房総半島にも勢力を広げ、たくさんの領地を持っていました。和田義盛の子である朝夷(あさひな)義秀の生母は安西氏の娘であり、三浦氏の棟梁義澄の娘は安西景益に嫁いでいます。三浦氏の系図には三浦為継の子に安西四郎なる人物もみえ、安西氏の入婿となったと思われています。それらのことから、安西氏は三浦氏と同族もしくは、三浦氏の家人とも考えられています。




里見番所

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里見番所は平久里川と長藤川の合流点北側にあたる標高約120m、比高約65mの丘陵に築かれました。別名「不寝見川(ねずみがわ)番所」とも呼ばれ、横堀、切岸、堀切などの城郭遺構が残っています。

歴史的な詳細は不明ですが、南北に走る平久里街道を直下に臨む立地に位置することからも、街道を見張る監視所の役目を担っていたと考えられます。南方には滝田城をはじめとするいくつかの城跡があり、それらの城の変遷や関係などは不明ながらも、この地域が緊迫した状況に置かれていたことが推察できます。

コンパクトな城郭ですが、主郭北東下には横堀が良好に残っています。急斜面を切岸状に削り、その直下に空堀を掘って土塁を巡らせていて、その造りから北側に対する防御の意識が見て取れます。里見氏のお家騒動「天文の内訌(1533年)」の際に、滝田城にいた里見義豊の勢力が一時的に築いた可能性も指摘されています。

御城印には里見氏の家紋「二つ引両」をデザインし、さらに里見番所の縄張図と復元鳥瞰図をモチーフにしました。


石堂城、丸城、平松城、里見番所の販売場所

・琵琶倶楽部

 千葉県南房総市富浦町青木123-1

TEL 0470-33-4611

営業時間:9:15~18:00
休館日:年中無休

 

・道の駅三芳村鄙の里

住所 千葉県南房総市川田82-2

TEL 0470-36-4116

営業時間:9:00~17:00

 

・道の駅 ロ-ズマリ-公園

千葉県南房総市白子1501

TEL 0470-46-2882

営業時間:09:00~17:00
休館日:無休(年間数日臨時休業有)

 

・道の駅ちくら潮風王国

住所 千葉県南房総市千倉町千田1051

TEL 0470-43-1811

営業時間:09:00~17:00
休館日:水曜(1月~3月・8月は無休)

 

・道の駅富楽里とみやま

住所 千葉県南房総市二部1900

TEL 0470-57-2601
9:00ー18:00

 

・道の駅おおつの里花倶楽部

住所 千葉県南房総市富浦町大津320

TEL 0470-33-4616

営業時間:12月~6月まで 9:00~17:00
7月~11月まで 9:00~16:30

 

道の駅和田浦WA・O!

住所 千葉県南房総市和田町仁我浦243

TEL 0470-47-3100

営業時間:9:00-17:30


土やぐら城

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土やぐら城は多古町の南東部、中村地区の借当川流域を臨む台地の先端に築かれました。この台地の中央を走る「中城坂」を挟んで、北西300メートルほどの位置には物見台城(物見台跡)があり、中村中央の台地へと続くこの坂を物見台城と連携し、監視していたと思われます。土やぐら城の構造は判然としませんが、物見台城と一体となって機能することで効力を発揮したのでしょう。櫓台、土塁が今も現地に残り、かつては堀がめぐっていたとも伝わります。
この二つの城が築かれた台地の西側は、中村中央の台地に向かって谷(相ノ谷)が深く切れ込んでいます。さらに南から東にかけては借当川とその支流の平野部に接しています。土やぐら城は、この周辺地域の水運掌握のための監視所的な役割を担わされていたと推察できます。

借当川の上流部は、かつての椿海に通じ多古周辺地域の水運の要衝であり、香取地方へと繋がる街道も存在したことから、借当川流域が水陸交通の要衝だったことがわかります。治承4年(1180年)の源頼朝旗揚げの際、房総半島から立て直しを図る頼朝側に対し、平家方として戦いを挑んだ藤原(千田)親政の居館も借当川上流にあったとされ、この流域は古代より開けた重要な地域だったのです。

多古町には、江戸時代に描かれた土やぐら城の絵図が残っています。絵図には、「土やぐら」という名称の語源となったと思われる櫓台のような高まり(圡屋くら)や土塁が描かれており、それらは現存する遺構の形態とほとんど変わっていません。土やぐら城は小規模な城郭ながらも、400年以上前の城の姿を今に伝える大変貴重な城郭遺構といえるでしょう。

御城印には、その絵図をデザインするとともに、多古町中村地区とは特に歴史的かかわりの深い千葉氏の家紋「月星」を配置しました。そして、土やぐら城は監視所として機能していたと考えられることから、櫓をイメージし、表現しました。

 

販売場所
道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)

休業日:年末年始(1月1日~1月2日)  



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2021年5月23日 (日)

ツアーの様子・エリート情報誌

多古のツアーを記事にしていただきました。
色んな場所でツアーやっていきたいですね♪
⇓  ⇓  ⇓  ⇓  ⇓  
http://www.elite-joho.com/elite_bk/elitejoho_eb/210522EjohoNeb/HTML5/pc.html#/page/2

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2021年5月14日 (金)

KKR松汀園ツアーのお知らせ

KKR松汀園さんの新しいツアーのお知らせ。
お申し込みは松汀園さんにお電話してくださいませ。
ご飯付きのツアーです。
お食事はとても美味しいですよ♡
別途料金で、宿泊することもできまーす✨



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下総国・森山城ツアー


香取市森山城で地元の方限定ウォーキングツアー✨地元の方向けの住んでる場所の魅力再発見ツアー!
暖かく迎えていただきました🙌

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原氏の屋敷跡→中島砦→布野砦→森山城→原氏の屋敷跡というコース。
東庄町や小見川の付近にあった荘園東荘。東荘を領地とした千葉胤頼が苗字の地として東氏を名乗ります。
(この胤頼は頼朝の旗揚げの時に三浦義澄とともに側近だった人物!なので、勝手に親近感✨

その後、須賀山城が築城され、その西側に隣接するように森山城が築かれ拡大整備されていきました。
ちなみに森山城は香取市、隣り合わせの須賀山城は東庄町になります。
須賀山城もまたツアーやりたいな😆

全国に広がっていた東氏は郡上八幡にも領地を。享徳の乱になって、千葉氏の内紛が起こると、郡上八幡の東常縁が関東に派遣され、森山城に入りました。

その後は千葉氏は北条氏に属して、森山城も戦国の城として整備されていったと思われます。


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一瞬マスクを取って笑顔でパチリ。
歴史&山城を通して、地元を好きになってくれると嬉しいですね✨


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千葉日報さんに書いていただきましたよ。


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2021年5月 9日 (日)

新企画始動!!むつみ×のあたび

はい!ついに始まります!
新企画の始動です!
去年から一緒に企画をやらせていただいてる旅行会社のあたび✨
またまた楽しい企画を考えました!
のあたびさんと下見に行ったり、意見を言い合いながらも企画が完成しました!
わーい✨

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まりますので、ドラマに合わせたコースです。
これで、大河ドラマが待ち遠しくなる!もっと楽しめちゃう!そんな素敵な企画です♡

三浦一族の話もたくさん出てきますし、鎌倉幕府を取り巻く色んな歴史を楽しみたいと思います。

こんな企画はなかなか他ではありませんぞ笑
「むつみ×のあたび」ならではの個性的な素晴らしいコースです✨(自画自賛)
もう10弾くらいまで構想中!一緒に楽しみましょう~


新企画はコチラをクリック!
↓  ↓  ↓
鎌倉殿の13人先取りシリーズ | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

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