2020年10月26日 (月)

新聞・御城印の記事

千葉日報と産経新聞に御城印の記事。
こうやって取り上げていただくのは嬉しいですね。
城があることを知るきっかけになりますように。


産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/73e8a71bffd165b7dee2e4e427c576605ad05982

千葉日報
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/734149






 

 

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2020年10月23日 (金)

NEW御城印「土橋城」「国府台城」「花輪城」「前ヶ崎城」

新しい御城印をまたデザインさせていただきました。説明文も担当しましたー。
10月24日からすべて販売開始です。
今回の4城は歴×トキのサイトで通信販売もしまーす。


千葉県香取郡多古町「土橋城」

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土橋城は千葉一族の内乱の舞台となった場所です。
宗家である千葉貞胤と分家の千葉胤貞が戦った土橋合戦が繰り広げられました!

名前がややこしい!
簡単に言うと、千葉の本家は元寇の時に九州に防衛に赴き、そこで戦死。その間に本領の千葉にいた分家が大きくなり、本家分家の争いが起きたのです。
本家は南朝、分家は北朝、そうして多古の地では南北朝の動乱が起こったのです。


・道の駅多古 あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)
※御城印キャンペーンの投票箱が設置されている2階の情報センターは午前10時~午後6時(但し9月~3月は午後5時まで)
休業日:年末年始(1月1日~1月2日)


千葉県市川市「国府台城」
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旧利根川水系である太日川(現江戸川)沿いの重要な場所に位置する国府台城は何度も戦いの舞台になりました。
小弓公方足利義明と北条氏綱が戦った第一次国府台合戦、北条氏と里見氏が戦った第二次国府台合戦という有名な戦いにより房総の戦国史が転換期を迎えるわけですがそんな大事な戦いの舞台になるのがここ国府台城なのです。
それ以外にも、太田道灌勢力が陣を敷いたりと常に重要な拠点として使われました。



・市川観光・物産案内所
千葉県市川市市川1-1-1
047-324-7751
午前10時~午後4時
休業日:毎月第1月曜日(祝日にあたるときは直後の平日)
年末年始


・道の駅いちかわ
千葉県市川市国分六丁目10番1号
047-382-5211
平日9:00~19:00
土日祝日9:00~20:00


千葉県流山市「花輪城」

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詳細は一切不明ながらも、小さな障子堀や土橋が発掘調査で出ており、水運の要衝である花輪城のなんらかの軍事施設が置かれたことが分かっています。
高城氏の支城と見られ、街道や水上交通をおさえるポイントに築かれました。


・流山鉄道「流山駅」
千葉県流山市流山1丁目264
04-7158-1010
販売時間:始発から終電まで



千葉県流山市「前ヶ崎城」

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本土寺過去帳に「前崎討ち死に」と書かれてるように、戦いの舞台となった前ヶ崎城。
台地の突端に位置し、高城氏の根木内城、小金城を守るように配置されています。
太田道灌が長尾景春に与同した千葉自胤(のりたね)と戦った境根原合戦の前哨戦がこの前ヶ崎城で繰り広げられたと考えられており、軍事上とても重要な城でした。


・流山鉄道「平和台駅」
千葉県流山市平和台4丁目483
販売時間:始発から終電まで

 

どれもカッコよく仕上がってますので、ぜひ現地に行ってみてくださいね。
遠方の方など、行けない方は歴×トキのサイトにて通販でご購入出来ます。




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正解発表!!多古城郭保存活用会「お城あてキャンペーン」

多古城郭保存活用会主催の次に出る御城印を当てるクイズ!

次に出るのはどこの城?お城あてキャンペーン!!

本日発表となります。
ジャジャン!!

正解は
「土橋城」です!!

ということで、10月24日発行のお城は『土橋城』でした。
当たった方の中から抽選で土橋城の御城印お届け!
外れた方の中から、多古の名産品をお届け!!
どちらも発送を当選に替えさせていただきます。

来月発行の御城印あてもすでに始まってますので、道の駅多古あじさい館に足をお運びください。

2階の情報発信コーナーに投票箱がありますよ。

 

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動画撮影は南房総市の宮本城の麓からでした〜。

 

 

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2020年10月 9日 (金)

千葉日報掲載のお知らせ

千葉日報に掲載していただきました。

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yahooニュースの記事も。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201001-00010007-chibatopi-l12

多古町をはじめとして色んな所で歴史やお城を大切にしてくれるようになりますように。
私も頑張りまーす!

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2020年10月 6日 (火)

はじめてのオンラインツアー宣伝動画公開

作っていただきました!
オンラインツアーの宣伝用の動画です。


https://youtu.be/tEn5f4F0isM

かっこいいー
素敵な動画にしてもらいました。

一緒に歩いてるような気分になってもらえるように撮影しました。

はじめてのオンラインツアー初日は11月15日(日)です。
申し込みはこちらから。

https://online-tour.jp/

 

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2020年10月 4日 (日)

松汀園・10月&11月歴史ウォーキングイベントのお知らせ

またまた逗子のKKR松汀園にて歴史ウォーキングイベント開催いたします!
好評いただきまして、しばらくシリーズ化?させていただくことになりました♡

ウォーキングのあとは逗子のKKR松汀園にてお食事付きのコースです。
大正浪漫のお宿で、とっても美味しい懐石料理を食べて解散となります。

日帰りでもOK!もちろん宿泊もできます!(宿泊は別途宿泊料金)

申込みは下の写真の電話番号へお願いしますね。


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はじまりの鎌倉&おわりの鎌倉!!
面白いテーマです。
ぜひご一緒しましょう~。

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2020年10月 3日 (土)

新ツアー「のあたび」のお知らせ

神奈川県藤沢市にある旅行会社「のあたび」さんにて、ツアーをやらせていただくことになりました。

とても素敵なツアーを開催してる会社で、ホームページも可愛い!!
わたしのツアーページもとても楽しく可愛く作ってくれました♡

まずは第一弾!!
鎌倉殿の13人を先取りしましょう〜。

https://noatabi.co.jp/goto-kamakura13-part1/

なんと、GOTOキャンペーンでものすごい安い!!
びっくり!!

古民家レストラン「なるせ」の昼食付きです。

ありがたいことに予約が埋まりそうとのこと。検討中のかたはお急ぎください。
和田義盛の弟が所領にしてた南深沢エリアをたっぷり歩きます。

GOTO歴史探検の旅へ!!

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2020年9月26日 (土)

「御城印」一宮城・高藤山城・宿内砦・謙信一夜城

9月26日に新しい御城印が販売になります。
千葉県長生郡一宮町から「一宮城」「高藤山城」
千葉県佐倉市から「宿内砦」「謙信一夜城」

すべてデザイン担当させていただきましたー!
今回もカッコいいぞー!自分で言う(笑)


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一宮城は水陸の交通の要衝地にあたり、上総国一宮である玉崎神社も置かれています。
そのため、色んな勢力がぶつかる地で、戦国時代には何度も戦いの舞台になりました。
一宮城は一宮正木氏の城として整備され、同族の勝浦正木氏との戦いの舞台にもなりました。さらには、小田喜正木氏(大多喜)との関係や、里見氏、北条氏も絡み、何度も戦火にさらされました。城下に発給された禁制も残っています。

平安時代から鎌倉時代には上総氏が領地としていたといい、頼朝の鎌倉幕府設立に尽力した上総広常が一宮周辺を治めていました。

頼朝の武運を祈って一宮玉前神社に鎧を奉納したといいます。
御城印はその伝承に因んで鎧をモチーフに、さらに上総氏、正木氏、里見氏の家紋を配置しました。



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高藤山城は上総広常の居城と伝わりますが、今に残る城の遺構は戦国期のものです。
御城印は上総広常の絵図をモチーフにしました。

高藤山城の城の由来は不明ですが、一宮城と連携して戦国時代には取り立てられ整備されたと思われます。

販売場所のご案内。

一宮城と高藤山城は以下の1か所での販売です。

・一宮駅前観光物産直売所
千葉県長生郡一宮町一宮2738-1

℡ 0475-47-2100
8:30~16:30 (火曜定休) 

通販は歴×トキで取り扱います。
https://www.rekitoki.com/shop





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宿内砦は臼井城の支城として整備されたと考えられています。
他にも臼井城支城砦群として4つの砦がありましたが、遺構がのこっているのは宿内砦だけです。

上杉謙信(輝虎)が臼井城を攻めるものの、臼井城は落ちず、上杉軍は撤退しました。
御城印は臼井城や宿内砦から出撃して上杉軍と戦った城兵の絵をモチーフにしました。
謙信一夜城は城兵に攻撃されて逃げていく謙信の軍勢をデザインし、2枚でシンクロして楽しめるようになってます。



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謙信一夜城は臼井城を攻めるために上杉謙信(輝虎)が築いた陣城と伝わります。
御城印は臼井城からの攻撃に逃げていく謙信の軍勢をモチーフにしました。
宿内砦の御城印は臼井城や宿内砦から出撃して上杉軍と戦った城兵の絵をモチーフにしてあり、2枚でシンクロして楽しめるようになってます。


宿内砦と謙信一夜城は以下の3か所での販売です。

・京成佐倉駅前観光案内所
千葉県佐倉市栄町8番地7(佐倉市観光協会内)
043-486-6000
8:30~17:00
年中無休(年末年始は除く)

・JR佐倉駅前観光情報センター
千葉県佐倉市六崎169-17
043-485-9700
9:00~17:00
休業日:12月29日~1月3日

・ふるさと広場売店「佐蘭花」
千葉県佐倉市臼井田2714
午前9時~午後5時
※休業日 年末年始(2018年12月29日(土)から2019年1月3日(木))のみ

〇ネット販売
 下記ネットショップにて販売しております。(歴×トキでは通販の取り扱いは致しません)
 https://sakurakankou.thebase.in
上記のネット通販は、1枚400円(税込)※別途送料100円がかかります


宿内砦、謙信一夜城の通販に関するお問い合わせは、
◆問い合わせ
公益社団法人佐倉市観光協会
043-486-6000

現地にも足を運んでくださいね。
どのお城も歴史たっぷり楽しめます♡

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2020年9月22日 (火)

OMOオンラインツアーのお知らせ

なかなかウォーキングイベントなどができないこともあり、新しいことを取り入れてみました。
オンラインを使って、なにか面白いことをやりませんか?と声をかけていただきまして作戦START!
やっとツアー開催が決まりました。

現地のレポートVTRと、オンラインのリアルタイムでのつながりを生かした新しいツアーです。
ただ画面を見てるだけではなくて、オンラインで話したり、クイズに答えたりと参加型のツアーです。
(もちろん見てるだけでもOKです)

お土産付きのツアーになってますので、コースを選んでいただくと商品がご自宅に届きます。
行った気分になって、おうちでビールを飲んだりしながらツアーをお楽しみいただけます。
人数限定で、スタジオ鑑賞&懇親会付きのコースもあります。

いつもとちょっと違うツアー、一緒にいかがですか?

https://online-tour.jp/

シリーズ1作目は、高野&長窪切通しと六国見山です。
リアルウォーキングイベントに参加した方もきっとお楽しみいただけます。
遠方の方もオンラインなので全国全世界どこからでも参加できますのでぜひぜひ♡

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いざ、神津島へ!

はじめての神津島!
神津島は大火で燃えてしまい史料などが残ってないものの、延喜式に定められた式内社が2社もあります。
とても歴史深い島なのです。

山城じゃないけど、歴史を使って神津島の魅力をさらに発信しようというようなお仕事をいただいて行ってきました😊
天気に恵まれ、夜は天の川も見れて最高でした

 

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前浜の景色。
神津島の集落はこの前浜地区しかありません。
なので、島の人はほとんど顔見知りとのこと。

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物忌奈命神社。ものいみなのみこと神社。式内社(明神大社)。
式内社とは、延喜式に列せられた格式の高い神社のこと。
延喜式とは、朝廷が定めた律令の細則のこと。

簡単に言うと、朝廷が定めた法律があって、そのなかに細かい色んな決め事があって、神社の項ではいくつかの神社が明神大社として格の高い社として登録されてて。その登録されてる一つがここ物忌奈命神社なのです。

この神社の創建は不詳ですが、840年に神階が上がったとされています。
神階が上がった理由は、838年に神津島が噴火した際、その音が京都まで聞こえたといい、あまりの噴火の凄さに理由を占った結果、噴火の原因が阿波神の怒りだということが分かりました。
なぜ、阿波神が怒ったかというと…。
実は832年に三嶋神とその後妃である伊古奈比咩命の両神が名神になりましたが、本后である阿波神は名神にしてもらえませんでした。それに対する怒りで神津島は噴火したと占われたのです。

その占いを受けて、阿波神とその息子の物忌奈神の神階が上がったと言われています。


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ちなみに東京都で明神大社に列せられてるのはこの物忌奈命神社と、同じく神津島にある阿波命神社のみ!
神津島ってすごい!ますます神津島の歴史が興味深いですね。

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神津島は江戸時代には幕府の流刑地でしたので、思想犯政治犯などが流されてきました。
この十字架のジュリアは小西行長が朝鮮出兵の時に連れ帰ってきた朝鮮貴族の娘で、そのあと江戸城大奥に入りましたが棄教しなかったために神津島へ流されました。
そのジュリアの供養祭を今でも島で行ってます。ただ、神津島がジュリア終焉の地ではなく、島を出て他の場所に移ったという記録が近年出てきたそうです。
他にも日蓮宗不受不施派の僧侶たちも神津島には流されてきました。

 

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838年の噴火でできた山が天上山!
写真の奥の大きな山が天上山です。
何とその爆発までは、存在しない山だったのです。まだまだ若い山なんですね。

手前の湾が三浦湾、奥の湾が多幸湾です。

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手前の三浦湾の岸壁を少しアップに…。
洞穴があります。
黒曜石を取りにきた人たちが使ったんでしょうか。
中世に倉庫や舟の収納などには使ってなかったんでしょうか。

そもそも、神津島に「三浦湾」という湾があることを知って是が非でも来てみたかったんです!!
三浦一族は全国各地の湊を押さえていた一族で海の一族です。
中世には八丈島に三浦氏の代官がいたことも記録に残っています。八丈島、さらには神奈川湊の利権を伊豆の伊勢氏と争っています。八丈島より手前にある神津島に三浦氏の痕跡があってもおかしくないなとずっと気になってたのです。


神津島は大火で文献が焼失してしまってるので、詳しいことは分からないけど考えることはとても楽しいですね。
なにか面白いことが分かったらまた報告します!

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三浦湾からは三宅島(左)と御蔵島(右)が見えます。

 

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湾に下りてみます。民家の裏手から。最近は湾まで下りる人もいないようで草ボーボー。
有り難いことに前田村長が案内してくれました。


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三浦湾。流紋岩がゴロゴロとしてます。波に削られた玉石が転がってるのは、神津島ではここだけ。
風が強いときに風待ち湾として良さそうな湾です。


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三浦湾お隣の多幸湾。
ここも白砂で美しい。
天上山が崩れて、さらに風にさらされて白砂を生み出してます。

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流紋岩由来のガラス質の砂。
キラキラしてる。

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多幸湾には湧水が。
冷たくておいしい!ペットボトルに入れて持って帰っても数日は味が変わらず美味しいまま!ほのかに甘くて最高!

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どんどん湧いてきてます。

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実は利島の神様のおかげで、神津島では美味しい水が湧きます。
この寝っ転がってるのが利島の神様。

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神津島に、それぞれの島の神様が集まって話し合いをしました。
そのため「神集島」とも言われたりします。元は「上津島」とも書いたようです。
集まった島々の神様たちは、貴重なお水を分けるために話し合いをしました。その話し合いに送れてきた利島の神様が自分の島の分の水が少ないことに怒り、水を蹴散らしてしましました。その水は神津島のあちこちに飛んでいき、それが神津島の湧き水となって今も流れ出てるといいます。


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こちらが前述した阿波命神社。三嶋の神様の本妃です。こちらも式内社です。

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もともとの社殿の石垣。この石垣は東京都の指定史跡になってます。

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こちらは赤崎海岸。島の一番北側に位置して、夜は真っ暗になる星空ビュースポットです。
同じく天上山の流紋岩で海岸が形成されてますが、温度の違いなのか赤い岩が多いです。なので、「赤崎」と呼ばれているそうです。

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海賊のアジトのようなアスレチック的な感じ。飛び込み台があったりと、大人も子供も楽しめる海岸です。


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電灯の付け替え中につき、先っぽの電灯が外されています。
星空保護区申請につき、島の電灯の付け替えが行われました。
星空保護区になるには、光が空に向かって発光される電灯はNGです。そのため光が下向きにしか行かない電灯に付け替えなくてはいけないのです。


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抗火石を使った歩道の整備。流紋岩の一種である抗火石(コーガ石)をスライスして、タイルのようにしてます。
島の石を使った素晴らしい整備ですね。

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温泉。塩分たっぷりの源泉かけ流し。水着で入ります。ぬるめで最高でした。

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hyugaブルワリーのあしたばビール3種。
どれも美味しくて❤苦いのかなと思ったら、後味がほんのり甘くて。
お土産にもどうぞ。


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集落のある前浜エリアを歩くと、お地蔵さんや猿田彦がたくさん祀られています。
辻々に猿田彦が祀られていて、入り組んだ集落をフラフラしてるだけで楽しい。


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同じく集落にある資料館には黒曜石や縄文時代の遺跡からの出土品などが展示されてます。

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ただし、中世については何も史料がなく残念。

 

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神津島には江戸時代に坂東札所、秩父札所、西国札所めぐりが設置されて、島の人たちの信仰が垣間見えます。
上の写真は秩父山にある秩父札所の巡礼地。

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秩父山にある月待塔。
「月待」とは特定の形の月が出るのを待つ信仰。神津島では「二十三夜」を待って祈っていたそうです。



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これは、庵屋堂という坂東札所の巡礼地。

では、最後に天上山へ。
838年の爆発で出来た山です。
まだまだ若い山であること、西風が常に吹きつけることなどにより山頂付近には砂漠もあり、生態系も特殊だそうです


 

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これは山頂の裏砂漠。
一面真っ白の砂。白砂の海岸ともちろん同じガラス質の砂です。
流紋岩が風化して砂になるので、砂漠の砂も減ることなく一面真っ白。


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山頂には流紋岩がゴロゴロと転がってます。

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いくつか人工的に列にして石を積んでいる箇所が見受けられます。
誰が何のために?
案内板には「おろしやの石塁」と書かれていて、ロシア船が近郊で出没するようになった幕末期に、その対策として積まれたと書かれていますが…。



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山頂からは三宅島が。
ちょうど竹芝桟橋を昨日の夜に出発したサルビア号が入ってきました。

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そして、向きを変えると…。ものすごい!!
これが今回一番感動した景色!!

式根島、新島、大島、利島などなど。
何て美しい!!
この島々の間を縫って、古代から船が行き交ってたと思うと感動です。

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天上山山頂572m。

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不動池には不動明王が祀られています。
修験道の言い伝えもあるそう。

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窪んでるところが、噴火口かと言われてるところ。
ここに島々の神が集まったらしい。

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ツツジの枝や葉の隙間に砂が積もる。それがこんもり山になる。しかも、西から強風が吹くため、風よけにするために松が東側に生殖する。ツツジと松がそうやって共存してる。
面白い光景!



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なんだろう。積んである。
大正期の治山工事のときか、それともいつ?…
丸い半径3mくらいのスペースを石で囲むように。それもパッと見たところ、5つくらい。
なんなのか、全くわからないらしい。

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最後は多幸湾からの絶景を。
風が強いと、前浜の神津港ではなく、多幸湾からジェット船が出港。今回も多幸湾から東京へ戻りました。

神津島のちょっとした歴史MAPなどを作ります。
完成したらまたお知らせしますので、ぜひ神津島にお出かけくださいませ❤


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2020年9月20日 (日)

タウン誌「エリート情報」掲載のお知らせ

千葉県のタウン誌「エリート情報・成田版」に紹介していただきました。
多古町城郭保存活用会の活動が取り上げられ、私もアドバイザーとして紹介していただきましたー!!

多古町では御城印キャンペーンもやってるし、並木城も素晴らしい整備で見学しやすくなったし、これからどんどん盛り上がっていきます!!
これは多古町に行かないと!ですね(^^)

 

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2020年9月10日 (木)

多古城郭保存活用会アドバイザー就任&キャンペーンのお知らせ

千葉県香取郡多古町の多古城郭保存活用会さまからお声掛けいただきまして、アドバイザーに就任させていただきました!!
多古町は、ミネラルたっぷりの「多古米」などの美味しい農産物が有名ですが、今回は「お城で多古を盛り上げよう!」というそんな素敵な動きが多古町で高まってきているのです!!
なんて素敵♡お声かけいただいて光栄です✨


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アドバイザーにしていただいて、多古城、並木城、志摩城の御城印パネルにサインさせていただきましたよ。
多古町コミュニティプラザに展示してありまーす!

そもそもは多古城郭保存活用会が御城印で町を盛り上げよう!と、多古城、並木城、志摩城の御城印発行を開始したのが始まり。
御城印を買いに来た方に、お城を見に来てくれた方に、少しでも多古の城郭の素晴らしさを知ってもらおう!と、会の皆さんが並木城の整備を始めたのです。会のボランティアの草刈りや整備の甲斐があり、なんと、並木城が500年の眠りから目を覚ました。


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きれいに整備された並木城の空堀

 


多古は今も美しい水田が一面に広がっていますが、昔は湿地帯でした。栗山川や借当川が流れ、谷を作り、それらを水運として利用しながら地域は栄えました。多古は「多湖」、並木は「浪来」、志摩は「島」というように、水、水運、水上交通との関連が言われています。
そんな多古は南北朝時代には谷ごとに各勢力が存在蟠踞し、川を挟んで目と鼻の先の距離同士で「船いくさ」が繰り広げられました。

名門千葉一族の宗家が、猪鼻城を急襲されて最後に逃げてきたのも多古です。平安時代からの名族千葉氏の宗家が、諸家である馬加氏(まくわり)に滅ばされたのが、ここ多古なのです。多古には素晴らしい歴史が埋もれているのです!すごい!!

なので、多古には城郭がたくさん!
なんと35を超える城郭が県の調査で確認されています。

と、いうことで多古町御城印プロジェクトが始動~。
こんな素晴らしい地域の「城」という資源をフル活用しちゃいましょう~
エイエイオーッ!!


そのプロジェクトとは
「多古町御城印プロジェクト・次に出るのはどこの城?お城予想大作戦!」

主催は多古城郭保存活用会で、町一丸となってお城で多古町を盛り上げちゃいますよ♡



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今、多古町のお城の御城印は多古城、並木城、志摩城の3城が出ていますが、あと9城の御城印が発行されることになりました。
毎月1城ずつ発行され、2021年6月までに9城が発行予定、今までに出ている3城と合わせて12城となる予定です。
そこで、その毎月発行される御城印はどこのお城かを予想していただき、当たった方や予想してくれた方に素敵な景品が当たるというキャンペーンを開始します!



お城当て大作戦のルールは簡単に言うと、
”たくさんある多古のお城の中から、毎月発行される城を予想する”
”見事的中した方の中から抽選で毎月3名様に当該月発行の御城印をプレゼント”
”予想が外れても、なんと予想してくれた方の中から毎月3名様に抽選で多古町の名産品をプレゼント”
”多古町の名産は何が当たるかはお楽しみ、当選結果は商品の発送をもってかえさせていただきます”
”予想の応募は多古町のあじさい館2階の応募箱『タコバコ』1か所のみで受け付けてます”
”毎月おひとり様1回の応募とさせていただきます”

というものです。
多古町の道の駅あじさい館2階に、多古のお城MAPと応募用紙、応募箱「タコバコ」が設置してあります。
あじさい館にて、お城MAPを見ながら予想して、応募箱『タコバコ』に応募用紙を入れてください。
毎月応募しなきゃソンソン!!あじさい館2階には多古のお城MAP、一覧表などが掲示されてますのでそれを見て応募してくださいね。

9月12日(土)お城予想大作戦スタート!!
応募は道の駅 多古あじさい館2階情報コーナーにて。

詳細はコチラ

ダウンロード - e5a49ae58fa4e794bae5bea1e59f8ee58db0e38397e383ade382b8e382a7e382afe38388efbcb0efbcafefbcb0.pdf


こんな感じで、多古町のお城はこれから盛り上がっていきますのでぜひ足をお運びください。
あじさい館には美味しい多古の名産がたくさん売ってますよー!

あと、多古町コミュニティプラザには、多古城郭保存活用会が作成した並木城の鳥観図や、縄張図、多古町から出土した丸木舟などの展示もあります。合わせてお立ち寄りください。

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多古町コミュニティプラザ


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私の紹介も載せてくれました♡


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多古町のアイドル「ふっくらたまこ」ちゃん!かわゆい♡

ぜひぜひ、多古町に遊びに来てね!道の駅あじさい館にたくさんも名産品があるのでお土産にタンマリと買って帰ってね✨
お城当て予想はあじさい館の2階!ぜひ、ご応募くださいね♡

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2020年9月 7日 (月)

三浦一族研究会と芦名氏

三浦一族研究会の機関誌が届きました
私が担当した講座の記事も掲載されました。

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全国に広がって活躍した三浦氏の、各地の城を紹介させていただきました。
越後江上館、黒川城、鳥坂城
これは和田氏が越後の地頭になったことに始まり、戦国時代まで三浦一族の系統が続きました。そして上杉氏の家臣になり、そのまま米沢へと移りました。

会津向羽黒山城
こちらは、三浦一族佐原氏の系統が奥州の戦国大名蘆名氏となり、築いたのが発端の城です。
他にもそんな三浦氏ゆかりの城を紹介させていただきました。

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ぜひ、三浦一族研究会にもご入会くださいね。年間1000円ととってもお得です。


≪お問い合わせ・入会申し込み≫



文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階

電話番号:046-822-8116



 

この前、カルチャースクールで横須賀市芦名に行ったのでそのご紹介。
この「芦名」こそが、戦国大名「蘆名氏」の名前のもとになった地名です。

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この山が芦名氏の城と伝わります。
その真偽はともかくとして、この麓には「御館」という字名が残り、いまは大楠小学校になってます。
三浦義明の弟、芦名為清から始まるとされる芦名氏が領地としていたエリアです。
このエリアには、今でも佐島マリーナがあり、湊となっていた中世の姿が容易に想像できます。


芦名には三浦一族の氏神「十二天」が祀られていた神社も残り、三浦氏との繋がりが今でも現地に残っています。

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頼朝の子、頼家が生まれる際には佐原義連が神馬を奉納したりと、三浦一族の中でも重要な神社だったことが分かります。



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そんな芦名、佐島エリアを歩くとこんなお魚にも出会えます。
豊かな漁港町だったことが偲ばれて、散策するにも楽しいところです。


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2020年9月 4日 (金)

久留里城・御城印デザインさせていただきました!

千葉県君津市の久留里城の御城印デザインさせていただきました。
9月12日から現地販売開始です。
こちらの御城印は通販での取り扱いはしてません!
現地でお求めくださいませ。

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現地販売場所は
・君津市久留里観光交流センター
 君津市久留里市場195-4
 0439-27-2875
 9:00-17:00
 休館日は月曜(月曜が祝日の場合は翌日が休館)


久留里城は明治まで使われたお城ですが、今回の御城印は中世の歴史満載の図柄にしてあります。
江戸湾沿岸部の佐貫などの城で、北条氏の備えようとした里見氏ですが、北条氏の勢力に押される形で内陸部の久留里城に拠点を移しました。

そして、久留里城も北条氏の軍勢に攻められることになるのです。久留里城の発掘調査では、中世の柱穴も見つかっており、里見氏の痕跡が土の中に埋もれています。御城印には里見氏段階の建物が建っていた可能性のある基壇を描きました。江戸時代以前の城の姿を想像して楽しんでもらえたらいいなと思います。

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≪告知≫京急百貨店カルチャースクールCOTONOWA・10月から12月

少しずつカルチャースクールや講座なども再開になってます。
コロナ対策&熱中症対策しながら楽しく歩いてます。


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この前は横浜市都筑区の茅ヶ崎城と弥生時代の環濠集落と墓地である大塚歳勝土遺跡へ。
暑かったけど、早淵川の入江を想像しながら楽しく歩きました。


COTONOWAさんの新しいパフレット出たのでお知らせします。
https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

サイト内の検索は「山城ガールむつみ」で検索ください。
10月27日(火)住吉城

11月24日(火)寺尾城
12月22日(火)小机城

申込お問い合わせは上大岡京急百貨店COTONOWAまで!
 
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2020年8月29日 (土)

≪新作完成≫山城ガールむつみデザイン御城印販売開始のお知らせ

8/29日から新たな御城印の販売が決まりました。
全て1枚300円です。(税込み)

千葉県安房郡鋸南町
「勝山城」「妙本寺砦」

千葉県富津市
「飯野陣屋」

この3城です。すべて私がデザイン&説明文を担当させていただきました。

勝山城と妙本寺砦は、ともに対北条氏用に築かれた里見氏の城、要害です。


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勝山城は直下にある湊をモチーフにしました。

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妙本寺砦は、いまの妙本寺の山門をモチーフに。現地に立つと、地形を利用した要害だということが分かりますので聳え立つ砦のイメージで作りました。



勝山城と妙本寺砦の販売場所は
・鋸南町観光協会 保田駅前観光案内所 9:00~17:00(火曜定休)

    千葉県安房郡鋸南町保田249 

    ℡0470-55-1683

    


   

飯野陣屋は譜代大名保科氏の陣屋です。1万7000石になった時点で築城されたので、横矢や水堀、土塁などを設け、城郭の構えになってます。
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飯野陣屋のシンボルである水堀を強調するデザインにしました。

飯野陣屋の販売場所は以下の2か所です。

・平野青果 
富津市下飯野895-1 
電話 0439-87-0386
 

・飯野ラーメン 11:00~20:30(木曜定休)
富津市下飯野330-3 
電話 0439-87-1535


3城とも歴×トキにて通販でも対応しています。HPの問い合わせから、お申し込みください。
https://www.rekitoki.com/shop








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2020年8月28日 (金)

≪告知≫KKR逗子松汀園イベント

逗子にある大正ロマンの宿「KKR逗子松汀園」で、食事付きのイベントです。
こちらもぜひ♡

9月28日(月)
鐙摺城と長柄桜山古墳へ!
申込お問い合わせはKKR逗子松汀園 へ。

046-871-2042


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2020年7月22日 (水)

≪新作完成≫山城ガールむつみデザインの御城印と御城印帳

新しく私がデザインした御城印帳と御城印が販売開始となります。
下記はすべて7月23日から販売開始です。

今回も楽しくデザインさせていただきました。またこれをきっかけに歴史を楽しんでいただけたらと思います。

・南総里見八犬伝の御城印帳 3,850円(税込み)

源氏の名門新田氏に繋がる里見氏は戦国期には房総半島にて勢力を広げていきました。南総里見八犬伝に描かれる里見氏の姿と、実像の戦国大名里見氏。表と裏の世界観の違いを楽しんでいただけたら嬉しいです。

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表面は江戸湾をまたにかけて活躍した里見氏をイメージし、海に浮かぶ船をデザインしました。

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裏面には南総里見八犬伝の世界を描きました。伏姫の周りには八匹の犬、頭上には八個の玉が妖しく輝いています。

里見氏の虚と実の世界、ぜひ楽しんでください。販売場所は以下の三か所です。

枇杷倶楽部 http://www.biwakurabu.jp/
千葉県南房総市南房総市富浦町青木123-1

道の駅三芳村鄙の里 https://www.hinanosato.jp/
千葉県南房総市川田82-2


道の駅ちくら潮風王国 https://shiokaze-oukoku.jp/

千葉県南房総市千倉町千田1051



・鶴舞城
御城印 300円(税込み)

明治に入ってからつくられた日本最後の城下町鶴舞。鶴のような地形から名付けられました。
鶴と城主井上家の家紋をモチーフにしました。廃校になった鶴舞高校の家紋も配置、鶴舞の歴史が地元の誇りとして顕彰されていきますように。

 

千葉県市原市鶴舞303
つるまいホープラザにて販売。
0436-88-4001

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・美濃山口城御城印 300円(税込み)

古田織部の生誕地とも言われる山口城。古田織部の絵と古田氏の家紋を配置しました。
織部焼の中でも代表的な青織部をイメージした青緑のカラーでデザインしました。

販売場所は以下の3か所です。

・道の駅織部の里もとす
http://www.motosukankou.gr.jp/02_sightseeing/02_02.html

・道の駅うすずみ桜の里
http://www.motosukankou.gr.jp/02_sightseeing/02_01.html

・モレラ岐阜観光案内所
https://malera-gifu.com/facilities/

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里見八犬伝の御城印帳と鶴舞城の御城印は通販にて取り扱ってます。(山口城は通販取り扱いはありません。)
ご注文はコチラから

https://www.rekitoki.com/shop

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2020年6月24日 (水)

ときがわ町「小倉城ツアー」開催のお知らせ

埼玉県ときがわ町の小倉城・大築城の御城印と、慈光寺の御朱印の発行が決まりました。
2020年7月23日(祝)です。
地元産の楮(こうぞ)100%の素晴らしい和紙を使った御城印&御朱印です。

これにより、素晴らしい地域の歴史が注目されるといいですね!
ときがわ町観光協会では、記念イベントを開催します。

和紙の手すき体験や書道家の直筆御城印などの企画がたくさん!
ぜひ足を運んでみてください。

私も発売開始日に小倉城ツアーを行います。7月23日の海の日は一緒に山城に行きましょう~。
事前予約30名先着です。予約はお早めに!!

この前、久しぶりに小倉城に行ってきました。下見がてら。

色々と分かって、楽しくて、ツアーが待ち遠しいです♡
参加申し込みお待ちしてます。

https://www.tokigawa-kankou.com/


詳細&申込問い合わせは、ときがわ町観光協会まで。


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2020年6月19日 (金)

東京中日スポーツ&神奈川新聞

東京中日スポーツと神奈川新聞に御城印の件で記事を載せていただきました。
どちらもカラーで、渾身の御城印デザインが映える!!綺麗です♡

各地で御城印の発行が相次いでいますが、乱発するのではなく地元と購入者の架け橋になれるような御城印が増えればいいなと思います。
ちゃんと地域の想いを汲み取った上で、素晴らしい商品となり、各地の城を知っていただくキッカケとなりますように。

私も各地にお邪魔しながら、色んな所で協力させていただく予定です。
お楽しみに!!

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2020年6月15日 (月)

KKR松汀園のツアー開催

逗子KKR松汀園のウォーキングツアー開催が決まりました。
こんな時期なのでどうなるかなぁと思ってましたが、開催決定&たくさんの申し込みとのことで嬉しいですね。

感染防止の意識を持ちながら、楽しく健康的に歩こうと思います。
詳細は下の写真をご覧ください。

お問合せ、申し込みは松汀園まで。
大正ロマンの素敵な宿です。
お泊りもできますし、日帰りでももちろんOKです。

懇親会もありまして、旅館の夕食付というお楽しみ満載のプランです♡


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2020年6月 2日 (火)

上総池和田城の御城印プロデュース!!の巻

ささやかながら、千葉県市原市にある池和田城の御城印づくりに協力させていただきました。
千葉日報さんの6月1日朝刊に載せていただきました~。

https://www.chibanippo.co.jp/news/local/694512

 

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池和田城の御城印発行に当たり、御城印デザインと説明文を任せていただくことになりました。
今回のコロナ禍の中、「おうちでお城を楽しもう」ということを掲げて、通販などで各地の御城印を取り扱わせていただいてますが、そんな中、通販をご依頼いただいてる市原市の佐是城の御城印を発行した光福禅寺さんからお話をいただいたのがキッカケです。

光福禅寺さんは町づくりの一環として御城印を発行されています。
私としても、歴史や城を使った町づくりは一番望むところ!願ったり叶ったり!!
ということで、張り切って現地に赴き、池和田城周辺の歴史を勉強しながら、デザインなどを提案させていただきました(^^)

歴史を活かした町おこしのご依頼をいただくのは、歴史コンサルティングとしての一番の喜びです。
歴史の楽しさや山城の魅力を発信、さらには御城印という新たな商品を使った町づくり、地域活性化、そんな色々を贅沢に盛り込んで、今後も各地の町おこしにかかわっていきたいと思っています♡

 

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カッコよく仕上がりました!!
池和田城は、鎌倉時代から三浦一族和田氏の伝承があり、三浦一族とも縁がある城。
三浦氏は、房総半島にもたくさん所領を持ってましたので、さもありなんですね。
私としても三浦のにおいがする地域は楽しいです。

中世は多賀氏が入り、里見氏が第二次国府台合戦で北条氏に敗れると、北条氏に追いかけられて池和田城まで攻められました。その後、北条方の城になると、今度は秀吉の小田原攻めの軍勢に攻められ落城。
戦いの歴史が盛りだくさんの戦国の城です。

ぜひ、行ってみてください。
小湊鉄道でピュンと行けます。
上総鶴舞駅から歩いて15分くらいです。
ぜひぜひ。




 

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2020年6月 1日 (月)

三浦一族御城印帳が販売開始!!

三浦一族御城印帳

価格:3,500円(税込み)

40ポケットの蛇腹タイプ


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​遂に完成しました!やっと発売開始です。
我ながら、なんてカッコいいデザインなんだ!!自画自賛です♡

​表面と裏面が異なるデザインなので、ひっくり返して何度でも楽しめます。
一粒で二度おいしい御城印帳の完成です。
大好きな三浦一族に想いを込めてデザインしました!!

三浦一族御城印取り扱い店のCool Clan URAGAでお求めいただけます。

​通販でも購入いただけますので、当サイトの「通信販売」ページで詳細をご覧になってからお申込みください。
※送料は「通信販売」ページに詳細の記載してあります。
通信販売ページはこちらをクリック!


表面
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キャー!素敵!

江戸時代に書かれた各家の家紋紹介の
文書に、三浦氏の家紋カラーは「黄紫紅(きむらご)」と書かれています。
それをもとに表紙は「きむらご」のカラーにしました。

表面デザインは笠懸の武士をモチーフにし、三浦一族の家紋「三引き両」を的に見立てました。
三浦一族は武芸に秀でた一族でした。吾妻鏡には笠懸の射手を務めるなどの栄誉に預かった場面がたびたび登場します。

ひよどりごえの逆落としの佐原義連のエピソードをはじめ、三浦一族は馬も弓もお得意だったんでしょうね。




裏面

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​キャー!素敵!


三浦氏は馬術にも優れていましたが、水軍を率いる海の一族でもありました。
守護や地頭として、全国の湊を押さえ、勢力を拡大していったのです。
その一族を先導するのは妖狐「九尾の狐」です。三浦義明の殺生石伝説をモチーフにしました。
怪しげな光を放つ妖狐に導かれるように一族が全国各地に飛び出して行き、歴史上稀に見る一族へと発展していったのです。

御城印帳は蛇腹タイプで、40ポケットです。
裏はポケットがないので、城と縁のある寺社の御朱印をいただいたりするのもいいかもしれませんね!!

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ぜひお買い求めいただき、お手元でニヤニヤしながら楽しんでください。

あと、御城印帳を入れる御城印袋も同時発売です。
私が布を選んで、作っていただきました。
こちらもとても素敵です♡

いまのところ、デザインは2種類。どちらも税込み1000円です。

①龍
一点ずつ手作りのため、商品によって若干柄の違いがあります。ご容赦ください。
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②城(ブルー)
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サイズ感はこんな感じです。
和服にも合うので、ポーチとしても使えそうです。

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2020年4月30日 (木)

神奈川新聞に掲載されました!!

4月30日の神奈川新聞朝刊に記事が載りましたー!!
蒔田城のツアーに同行してくれた砂田記者が書いてくれました!

山城を切り口にした歴史ツアーの様子、なんでこういう活動をしているのかなどなど…。
ぜひ神奈川新聞を買って読んでみてください。


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2020年4月21日 (火)

御城印発行・タウンニュースに掲載していただきました!

4月17日発行のタウンニュースにて、御城印の記事が掲載されましたー!!
予定通り、4月24日から、浦賀の「Cool Clan URAGA」にて販売開始となります。
ただ!!こんな時期ですので、
しばらくの間、郵送対応もさせていただいております。

タウンニュースのオンライン記事はコチラ
https://www.townnews.co.jp/0501/2020/04/17/524769.html


郵送希望の方は
rekitoki@rekitoki.com
まで。折り返し、詳細をご連絡いたします。

おうちで手に取って楽しんで下さい♡

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2020年4月17日 (金)

祝!!御城印発行記念!!!!

令和2年3月に
三浦一族城郭保存活用会という会を立ち上げました。
三浦一族の素晴らしい歴史を城を通して知ってもらおうという会です。
そして、歴史の楽しさを伝えながら、地域の財産である城を大事にし、何とか活用して地域を盛り上げたいと思っております。

そんな思いで活動を開始しましたが、第一弾の大きな試みとして、
「御城印」
を発行することにしました!!
地元の名族三浦氏への顕彰のため、三浦半島から全国展開して活躍した三浦一族を広く知ってほしいという思いから御城印発行を企画いたしました。地元の人に三浦氏の素晴らしさを知っていただくのはもちろんですが、全国に飛び出して活躍した三浦氏の足跡を全国に向けて発信していきたいと思っております。

「御城印」の販売は全国の城ファンに向けて絶好のアピールになると考え、さらには地元の方たちの三浦氏の功績の気付きになるのではないかと考えております。

 

御城印(ごじょういん)とは来城記念証のことで、城を訪れた人が土産として購入する商品です。
現在、全国で240城以上の御城印が発売されています。葉書サイズの用紙に、各城の揮毫、城主の名前や家紋などが描かれています。御朱印と違い、宗教的な意味はなく、記念品として自宅に飾ったり、絵葉書として利用したり、お土産として人にプレゼントすることもできます。

私がデザインいたしました♡
かっこいいです!!

衣笠城と怒田城を合わせると三浦氏の家紋になります!

浦賀城と三崎城を合わせると安宅船が出現します!!

我ながら素敵なデザイン♡

個別包装となっていて、説明文プリントも添付してあります。説明文も私が担当いたしました。

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販売スケジュール

御城印種類:「衣笠城」、「怒田城」、「浦賀城」、「三崎城」の4城を同時に発行

販売予定日:令和2年4月24日(金)
※新型コロナの影響で、販売日と場所が変更になる場合があります。
変更の際は当ブログでお知らせいたします。


販売価格:1枚300円(税込み)A6サイズ・説明文付き


販売場所:
新型コロナの影響を受けまして、しばらくの間、郵送対応いたします。
この機会に郵送注文いただき、おうちでお城をお楽しみ下さい!!

問い合わせ先:歴×トキ
https://www.rekitoki.com/
rekitoki@rekitoki.com
注文メールいただきましたら、折り返しご連絡いたします。

Cool Clan URAGA様
https://www.facebook.com/coolclanuraga/

横須賀市浦賀1-8-3

月火木金11:00-19:00

土日祝11:00-21:00

水曜定休

提携駐車場・浦賀駅前Kパーキング

 

 

それでは、販売開始までお楽しみに!!

 

 

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2020年4月13日 (月)

歴×トキ・山城ガールむつみのHP完成!!祝!!

歴×トキとして開業しましたので、ホームページをつくりました!!
50時間かかった力作です(笑
せひ覗いてみてください。

HPからブログにもリンクしますので、そこからココに入れます。
各ページごとに楽しい気持になってもらえるように作りましたので、こんな時期ですがぜひHPにお立ち寄り、すこし気分を上げてみてください♡

https://www.rekitoki.com/

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2020年4月 7日 (火)

TABICA新コースのお知らせ・クーポン付!!

TABICA新コースできました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を先取りできるコースです。
よろしかったら見てみてください。

先着5名様のクーポン券つきです!
楽しいコースになってます♡

https://tabica.jp/coupons/TC20585?utm_medium=email&utm_source=notification&utm_campaign=new_travel_coupon

https://tabica.jp/coupons/TC20767?utm_medium=email&utm_source=notification&utm_campaign=new_travel_coupon

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2020年4月 2日 (木)

歴×トキ!!「第一弾企画、いざ、玉縄城へ!の巻」参加者募集中♡

歴×トキ(レキトキ)
この名前で屋号登録しました!
会社ではなく個人事業主ですが、これからもたくさん勉強して、歩いて、山城登って、探検して、歴史の楽しさを伝えていきたいなと思っております。

歴史とトキメキ、歴史でトキメクなどの意味から「レキトキ」と読みます。
×(カケル)という記号には、「掛ける」という意味の他に
・歴史で時を翔ける
・歴史で今と過去を繋ぐ橋を架ける
・歴史の舞台を駆ける
・私の想いを懸ける
という意味を込めました。

さらに
三浦一族城郭保存活用会を立ち上げました。会長として、三浦半島はもとより、各地に飛び出して大活躍した全国の三浦氏ゆかりの城を視野に入れながら活動を広げていきたいと思います。
三浦一族の素晴らしさを全国に広めながら、今後も楽しく元気に活動していきたいと思ってます。
よろしくお願いします♡

早速、第一弾のウォーキングイベント!
玉縄城に行きます。
清泉女学院には入れませんので、諏訪壇の見学はしませんが、楽しく玉縄城を感じられるコースになってます。

参加連絡お待ちしてます!

歴×トキ記念として、先着50名の方に記念品のプレゼントがあります♡
あと、スタンプラリーの50個クリアした方用の粗品も完成いたしました。
いろいろとお楽しみに!!

rekitoki623@gmail.com
090-8517-4753
山城ガールむつみまで。

なお、以前からのメールアドレスに連絡いただいてもちゃんと届きますが、アドレスを追加しましたので上記いたしました。どちらでもOKです。

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2020年3月29日 (日)

武蔵蒔田城と平子氏&石川氏エリアを探検!!の巻

いざ、平子氏ゆかりのエリアへ!を開催しました。
楽しいコースでしたので、追加募集です。

4月12日(日)
チラシをご覧ください。

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コースの記事も載せておきます。
読んでから歩いても、歩いてから読んでも楽しめる内容になってるはずです。

今回のテーマは「海」!
江戸時代初期に行われた吉田新田の開発まで、蒔田には入江が入り込んでいました。

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桜木町とフランス山を両端の河口として、上のプリント②の弘明寺の手前まで入江となっていました。
海を意識すると、弘明寺があそこにある理由が分かりますね。入江の突き当たりに当たり、水路でやってきた修験者は、弘明寺の山を目印にしてやってきたことでしょう。

③にはかつて真言宗寺院の増徳院がありました。
明治になったから⑭に移されていますが、かつては海の守りのために蒔田湾の入口に置かれていたと考えられます。
この寺は戦国期にも後北条氏に厚く保護されてました。


⑦は蒔田城にあたり、やはり蒔田湾を意識すると、なぜここに城が置かれたかが分かりますね。入江を見下ろす位置に築かれました。そして、対岸の④の水天宮のあたりと水路の渡しで結ばれていたそうです。

⑥には太田道灌が陣屋を構えたと言います。三浦道寸の娘と道灌の息子資康は婚姻関係にあったので、道灌と三浦氏は同じ扇谷上杉氏の家臣として、縁深い関係でした。道灌が三浦半島と江戸城の間に当たるこの地に陣屋を構えたのも頷けます。
そして、この陣屋から尾根道を越えると保土ヶ谷駅方面へ抜けられ、東海道に繋がります。

⑤は北条政子が立ち寄ったと言われる井戸で、その真偽のほどは分かりませんが、そんな伝説があるということは近くに鎌倉みちが通っていたと推測でき、このエリアと陸路、そして水路のルートが浮かび上がります。

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⑫から蒔田湾方面を望む。弘明寺の山と蒔田城がこんもりと見えます。
右手には蒔田湾の河口、桜木町やランドマーク方面が見えます。



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江戸湾沿岸には、南に三浦半島、六浦湊、本牧湊、神奈川湊、品川湊、江戸城と最重要の水運ルートが繋がります。
そのような要衝の地に平子氏が領地を持っていたのです。


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磯子駅近くの国道16号からの眺め。
断崖が聳え、かつては海だったことが偲ばれます。昭和20年代までは、道は砂混じりで、貝殻も転がっていたそうです。

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磯子森浅間神社より東京湾を望む。
今は埋め立てられて海岸線が遠くなってしまっていますが、それまではすぐ近くに海が来ていて、対岸の房総半島も間近に見えていました。戦国期には里見氏への備えとして、屏風浦駅の近くに間宮氏の屋敷が構えられていました。

頼朝がこのあたりの海岸線を見て、屏風のように美しいと言ったから屏風ヶ浦という地名になったと言われますが、このあたりは鎌倉からもアクセスのいい場所でした。そんな磯子や蒔田、本牧を領地としていた平子氏は頼朝の上洛には随伴するなど度々、吾妻鏡にも登場します。



平子氏の系図は諸々ありますが、早い段階で三浦一族の本家から分家して、久良岐郡禅馬郷を領地としたとされます。
そして、さらに分家して一族は石川氏を名乗りました。
平子氏は南側の江戸湾沿岸部、石川氏は南側の蒔田湾側にそれぞれ領地を持ったと考えられます。駅の名前にもなっている石川氏、JR石川町駅は三浦氏ゆかりの名前ということになります。

平子氏は眞照寺を、石川氏は宝生寺をそれぞれ菩提寺としました。

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眞照寺の毘沙門天。
眞照寺は平子氏の菩提寺で、平子有長がつくらせたと伝わる毘沙門天が残っています。
ずんぐりむっくりした像は、曽我兄弟が仇討ちの際に、頼朝の陣屋に襲いかかった曽我祐成と切り合い、大けがをした平子有長の肖像と伝わります。
眞照寺には平子氏の屋敷が隣接していたようで、さらに腰越山と呼ばれる山に詰城があったと伝わります。
磯子旧道沿いには下屋敷も置かれていたといいます。



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石川氏の菩提寺である宝生寺。
宝生寺には最古の「横浜」という地名が出てくる史料が残っています。(1442年)
さらにここには太田道灌の礼状も!
道灌が小机城を攻める際の祈祷を宝生寺に頼み、その祈祷をしてもらったことに対して出した礼状だといいます。

ご本尊の大日如来は鎌倉の太楽寺、覚園寺と渡り、のちに宝生寺に安置されたとのこと。鎌倉太楽寺は「たいらく」の字の通り、平子氏のゆかりの寺です。その縁で、大日如来が宝生寺に置かれることになったと思われます。


鎌倉時代に三浦氏が滅びた後も、戦国期に再び三浦氏が滅びた後も数百年にわたり、この地に根を張った平子一族ですが、戦国期になるとこの地域の史料から姿を消します。
平子氏がいなくなった理由は、後北条氏が相模武蔵の国に進出してきたことと思われます。



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ただ、宝生寺の周辺には「石川」さんのお家がたくさん!!
お墓にも三浦氏の家紋である三つ引両の石川さん!!
今でも子孫の方が住んでるんですね!!

石川氏は江戸時代に入ると名主となり、ペリーが来たときは食事などを用意する饗応係を任されました。
今でも元町に名主石川家の長屋門が残っています。



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後北条氏は武蔵に侵攻すると、元から世田谷城にいた名門吉良氏を蒔田城に移しました。
それにより、平子氏は蒔田の地から出て行くことになったと思われます。

平子氏は鎌倉時代に越後山田荘と周防仁保荘の地頭に任ぜられてますので、この親戚を頼って移住していったと考えられています。
ちなみに相模武士の中で地頭職の下し状が残ってるのは、同じく三浦一族和田氏の越後奥山荘の地頭職と、この平子氏のみです。越後に行った平子氏と和田氏が残した史料のおかげで、研究が進みたくさんの事実が分かってきたのです。

越後和田氏と越後平子氏は最後は上杉謙信、景勝の配下に加わり、米沢に移り、明治の世を迎え現在に至ります。
周防平子氏は大内氏、毛利氏の家臣となり、やはり今に続きます。
三浦一族の壮大な歴史ストーリーですね。




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蒔田城の尾根続きの高台。出城と伝わり、武田信玄が小田原に攻めかかった際には、ここに鉄砲隊を配備したとか。


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浅間神社にかわいい板碑。


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とってもいいコースでした。
4月12日に来れる方は連絡ください。


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090-8517-4753

 

 

 

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2020年3月17日 (火)

いざ、洲崎合戦へ!を開催

2月は2日間連続で、鎌倉イベント開催しました。
今回のテーマは、鎌倉の内側の防衛線にあたる大仏、化粧坂、巨袋谷、佐助に繋がる尾根道の探索です。
外から攻め手が押し寄せた時、どういうふうに守るのか、そしてどういうルートで攻め入ってくるのか?
そんなことを考えながら探検しよう!と思って、今回はコースを作りました。

前回は藤沢遊行寺方面から洲崎古戦場までの鎌倉みちを探したのでその続きにもあたるコースでした。

新田義貞軍の進軍、さらには関東動乱期の上杉禅秀の乱などの戦いの経緯をお話ししながら、7時間くらいの楽しいウォーキング。

 

湘南モノレール西鎌倉駅をスタートして、まずは三浦党和田氏の所領である南深沢へ。
ここは和田義盛の弟の和田宗実が所領にもらったエリアです。
宗実はほかにも越後国奥山荘の地頭職にも任命され、戦国期を生き抜き、今に繋がっています。
越後では和田氏が分家し改名し、「中条氏、黒川氏、関沢氏」を名乗りました。そこに伝わる文書によって、南深沢の所領をもらった歴史がわかるのです。



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今の住所では「手広」と呼ばれる当たりは、かなりの丘陵地帯。
南側には相模湾からの川の流れが入り込み、「津」という地名が残ります。

三浦氏の屋敷「津村の屋敷」もこのあたりにあり、要衝地だったと推測できます。

和田姓が多く残るので、私は勝手に「和田の郷」と呼んでいます。
三つ引両の家紋や、和田の表札があると嬉しい!!


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切通し。
江戸時代以降でしょうか。
この上には明確な尾根道が残っています。

 


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やぐら。
中には和田さんの現代のお墓があります。
このやぐらの上の尾根が中世の道だったと推測します。



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そして、尾根越えの道の途中には鉄塔。怪しげな平場が広がります。

山の中に分け入ると、いろんな痕跡が残ってて楽しい!
新たな気づきもあり、ますます歴史が立体的に浮かび上がってくる感じがします

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手広には「鎖大師」と呼ばれる青蓮寺があり、真言宗の古刹として知られています。
この丘陵地帯を越えるにが大変なため、切通しが造られました。
江戸時代以降の切通しと思われる「谷戸坂の切通し」です。
中世段階では、この切通しと平行に伸びる尾根道が通行に使われていたと思います。


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和田の郷の一番突き当りには、このような景色!!
一番奥には怪しげな平場があるではないですか!
どうしてもそこに行きたいので、回り込んで行ってみます。


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すると、こんな感じ。
この写真の奥が、一枚上の撮影場所です。
屋敷があったとしか思えません。
和田氏の屋敷、そしてそのあとはここから鎌倉山に伸びる尾根を押さえていた人物の屋敷があったのでしょうか。

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鎌倉山を抜けて、鎌倉党の笛田梶原エリアへ。
鎌倉山ロータリーに建つこの石碑は関東大震災で倒れた鶴岡八幡宮の三の鳥居です。

 

 

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まずは笛田エリア。梶原景時の嫡男、景季ゆかりのエリアです。
ここにも怪しい場所がたくさん。三島大社に登ると…。

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ひな壇上の地形が確認できます。
ここは笛田公園のある山の一部です。
笛田公園自体が、ここから伸びる尾根の防衛戦だったと私は思っていますので、ますます怪しく感じます。

 

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笛田山仏行寺。
ここは梶原景季の片腕が埋められていると伝わる源太塚があるお寺。
景季の奥さんの信夫が、景季の死の知らせを受けて笛田公園で自害したとも伝わり、この寺は笛田公園の目の前に位置します。


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見事な庭園で、そこらに五輪塔や宝篋印塔などが残っています。



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境内には、たくさんのやぐら!
鎌倉時代から、御家人屋敷もしくは寺があったと思われ、梶原景季の伝承が真実味を帯びてきます。
目の前の笛田公園には、分け入ると…
なんと!!平場が山の中に残っていて、砦か何かあったと思われます。
鎌倉の内側の尾根道の対しての何かしらの防衛施設だと思います。


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休場山等覚寺。
梶原御霊神社も近くにあり、このあたりが梶原景時ゆかりの梶原エリアです。
もとは小学校の近くにあったとされますが、裏山一帯の山肌にたくさんのやぐらが残り、この一帯が鎌倉時代の有力者の領地だったと考えられます。
そして、寺の裏側に回ると、たくさんの五輪塔が。

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この近くで合戦があった証拠です。
新田軍の鎌倉攻め、関東動乱期のいろんな戦い、そして北条早雲(伊勢宗瑞)の相模攻めの際にこのあたりは合戦が起きていますので、それらの戦死者を供養するものだと思われます。

同じ梶原エリアの大慶寺の阿弥陀様は北条軍の戦火に焼かれました。


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同じく梶原エリアの駒形神社。
この裏山には、化粧坂に続くと思う尾根が伸びていて、幅が5mほどあります。
ここが洲崎で合戦が起きた理由であり、当時の道だと思います。
駒形神社の社が建つ平場に、この尾根道に対する防衛施設があったのではないでしょうか。


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大慶寺に残る宝塔。
左が鎌倉時代末期。右はそれより少し新しい感じ。

洲崎古戦場の脇には尾根の張り出しが少し残ってる箇所があります。
そして、その肌にはやぐら。上には平場。
ここが柏尾川を渡河してくる敵に対するゲートのような見張りがあった場所だと感じます。
ここを突破されると、先ほどの駒形山の尾根に繋がり、化粧坂まで一直線ですから。
かなり大事な防衛地点に当たり、そのため赤橋守時の決死の防衛戦の舞台になったと考えられます。


ここから徒歩10分ほどの柏尾川沿いの小山に天満宮があります。
天神山と呼ばれる山です。大きな平場がひな壇上に広がっているので、想像するのが楽しい山です。

今回は、このあと「せいしく橋」へ抜けて、北鎌倉に向かいました。
北鎌倉のあたりは、鎌倉の北の境。
四角四鏡祭の際は、儀式がこのあたりで行われ、一遍もここから鎌倉のなかへは進ませてもらえませんでした。
北畠顕家の進軍誘導ルートとされる山へも繋がるこのエリアはまた今度ツアーで探検してみたいと思います。

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まず今回はこのへんで。
天気にも恵まれ、楽しいイベントになりました。
ありがとうございました。

 

 

 

 

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2020年3月13日 (金)

告知「COTONOWA・4月からの新講座」

春からの新講座の受付が開始目前となりましたので、お知らせいたします。
春からは2枠の講座が決まりました。
チラシ添付しますので、ご覧ください。

 

 

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申し込みは京急百貨店COTONOWAネット予約、もしくは京急百貨店サービクカウンターにて!

春からも元気に楽しく歩きましょう!!

2020年3月14日AM10時から受け付け開始です

 

https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WKozaKensaku.do#program-list-table

 

 

 

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2020年3月11日 (水)

告知「激動の幕末!上野のお山、上野戦争の痕跡を探す」京急百貨店カルチャースクールCOTONOWA

緊急告知です。
急遽、上野の歴史ツアーが決まりましたのでお知らせします。

上野は「おやま」と言われるだけあり、断崖上の要害の地となってます。
幕末には上野戦争の舞台となりました。

そんな「おやま」の痕跡を探しながら、ブラブラ歩きます。
申し込みはCOTONOWAさんのホームページの予約サイトからお願いします。
キーワード検索がシステムエラーになってるようなので、キーワードのところに「08-18」という講座番号を入れると、予約ができるそうです。よろしくお願いしまーす。
もしくは上大岡京急百貨店のサービスカウンターでも申し込めます。

詳細はCOTONOWAまで。

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https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WWebTopicsShosaiHyoji.do?webTopicsId=2550

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2020年3月 8日 (日)

告知「いざ、蒔田城&平子氏の本拠地へ」の巻

 

3月のイベントのお知らせです。
屋外のウォーキングイベントなので、免疫力をつけるべく、楽しく元気に歩きましょう!!

日にち
2020年3月22日(日曜)
2020年3月28日(土曜)

集合時間
10時

集合場所
JR磯子駅

参加費
2000円

解散場所
京急黄金町駅


今回は蒔田城と平子エリアに出陣します。
江戸時代に吉田新田が開拓されるまで、このあたりには入り江が入り込み、蒔田湾が形成されていました。
まさに水運の要衝地だったのです。

鎌倉時代から、戦国時代にかけてこの地には三浦一族の平子氏と石川氏がいました。
そして、小田原北条氏が勢力を伸ばしてくると、平子氏は越後へ移り、蒔田城には吉良氏が入りました。

歴史満載のエリアを楽しく歩きましょうー!!

詳しくはチラシをご覧ください。

参加連絡お待ちしてます。お気軽にメールください。


heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2020年2月17日 (月)

武蔵国寺尾城

鶴見れきぶん祭2020が開催されました。
今回のメインになるお城は「寺尾城」!
史料の乏しく謎の多い城址です。分かってないからこそ、楽しい!
そんなワクワクする城です。
少ない情報を手に、実際に現地を歩いて自分なりに想像して考えるのが面白い城です。

午前は私が担当する寺尾城ウォーキングツアー、午後は鶴見サルビアホールにて、シンポジウムが開催されました。
寺尾城ツアーは40人で大盛り上がり!!

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まずは建功寺に集合!!
戦国期にこの地を治めた諏訪氏の菩提寺である建功寺を起点に、2時間ちょっとの冒険の旅のスタート!
初めてお会いする方もたくさん参加いただきましたが、終始わきあいあいと楽しい雰囲気で歩きました。


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40人の大所帯でスタート。

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当日はyouTVの取材カメラにも来ていただきました。

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まず、寺尾城を考える上で鍵になるのは「海」。水運です。

今の寺尾の場所は内陸のイメージがありますが、沿岸部が埋め立てられるまでは今よりずっと海が近くにありました。
かつては江戸湾と水路で繋がっていたと思われます。
水陸の要衝地である江戸、品川湊、神奈川湊に挟まれ、さらに南下すると本牧湊、六浦湊、三浦半島へと繋がります。

寺尾城の南西には入江が入り込み、江戸湾と寺尾を結ぶことができます。その入江の名残りが入江川です。


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下の地図で、赤く囲んである所が寺尾城の城山エリアです。
舌状台地の突端南側に位置し、最高所に寺尾城の石碑が建っています。
寺尾城に行ったときは、石碑だけ写真を撮って帰ってしまったらもったいない!
丁寧に歩くと、城の姿が浮かんできます。


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地図のピンクの線が入江川の流れです。江戸湾から入りこんでいた入江です。
湾から内陸へと入り、右手に折れた場所に寺尾城があります。城山の手前には二つの山が!
建功寺と松蔭寺です。まるで、海からのゲートのように感じます。

さらに進むと城山の南側にも山があります。これが白旗神社です。
この立地だけで、ここに城を築いた意図が分かります。

周囲の位置関係が分かった上で、早速ウォーキング開始です。
何度も下見した上で、一番、寺尾城を感じられるコースを作りました。
「寺尾城って何もないじゃん」なんて言わせません!笑

この記事を見て、行ってみようという方はぜひ同じコースで回ってください。
わざと遠回りしたり、上ったり下りたりすることによって、地形が感じられるようになってます。



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徳雄山瑞雲院建功寺。曹洞宗のお寺で、諏訪氏の菩提寺です。
瑞雲という院号は、北条早雲の「宗瑞」と「早雲」からつけられ、忠誠を誓ったと伝わります。
そこからさらに整備され、諏訪氏5代目の諏訪三河守右馬之助の武勇を偲ぶため、功績をもって建立した寺ということから「建功寺」とされました。山号の「徳雄」は、当初は武勇を讃える「徳勇」だったということです。


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山門から中に入ると、高低差があり、山だということが感じられます。
建功寺が建てられる前のこの地に何があったのかは分かっていません。さらに創建当時は別の場所にあったとも言います。
ますます、建功寺がここに建てられる前に、ここに何があったのかが気になります。

現在、本堂は改修工事中で入ることができません。

中世の寺尾城にタイムスリップする前に、まずは江戸時代の長屋門を見に行きましょう。

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ここには江戸時代の名主、澤野家の屋敷がありました。
いまは母屋などは残っておらず、公園になっています。


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1855年に建てられた長屋門。通称「馬場の赤門」
名字帯刀を許され、長屋門を赤く塗ることを許された家柄です。

門の前には旧道が通り、奥へ進むと「湾前」と呼ばれていた場所があります。地元の人は「わんめ」と呼んでいたそうです。2-30年前くらいでも、かなりの湿地帯で田舟に乗って、耕作を行ったと言うほど。
地名から、このあたりの中世の姿が浮かんできます。

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昭和32年の赤門の写真です。


次は建功寺の南側の山、松蔭寺へ向かいます。
建功寺と松蔭寺の二つの山に挟まれた谷には、いまでは「せせらぎ緑道」が流れています。
散歩にはもってこいの気持ちのいい小川が流れる散策路です。
これこそが、水運の名残りです。


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せせらぎ緑道と平行して旧道が通っています。
そして、その旧道に「ハネキ」という屋号を持つ旧家があります。
立て看板には、「船で荷を運んで、荷を下ろした、荷をはねた所だからハネキ」と書かれています。
他にも、水門を設けた所とか、橋をハネて敵を防いだ所などという伝承が残ります。
いずれにせよ、川を使った水運があったということになります。


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ハネキの看板を過ぎたら、一本目の路地を左に曲がります。
かなりの坂になっています。松蔭寺の建つ場所もかなりの山だということを体感できます。
坂を登り切ると、いい景色!!

ランドマークタワー、マリンタワーが目の前に見えます。

高い建物が建つ数十年前までは、房総半島が見えたと言います。
江戸湾を通じて、房総半島とも繋がる要衝地だと言うことが分かります。
沿岸部が埋め立てられる前は、かなりの近さで海が見えたことでしょう。



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仙鶴山松蔭寺。臨済宗建長寺派。
ここは金沢文庫にある建長寺正統庵領武蔵国鶴見寺尾郷絵図で有名。

建武元年1334年の絵図。荘園の境界などを画いたものと思われる絵図です。その絵図に「寺」と書かれてる寺が、この松蔭寺の前身に当たると言われてます。


境内には北条氏の家紋、三鱗の紋。
そして、本堂の横には里見義高の慈眼堂と言われるお堂があります。
元は近くの駒形神社にあったそうですが、神仏分離により、松蔭寺に移されたといいます。

里見義高は里見義頼の子として誕生。徳川秀忠から「忠」の字をもらって、忠重と名乗ったこともある人物。
慶長18年に職務怠慢を理由に改易され、浪人生活を送る。親戚などを頼って転々とし、その後仏門に入り、鶴見にて隠棲したといわれています。そのときに、病気に苦しむ民衆を救うために発願し、地元では慈眼堂にて今でも祀られてるそうです。

ただ、この件に関しては戦国期の里見義尭と混同する記載や本があるため、ちょっとよく分からないので今後引き続き調べてみます。



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松蔭寺から、城山の背後に建つ「ネギ坊主」が見えます。昭和12年に造られた配水塔です。
今は使われてませんが、「ネギ坊主」の愛称で、地元では親しまれています。どこから見ても目立つランドマークです。そのあたりに「馬場」という地名が残り、配水塔が建つ前から平場が広がっていたと推測できます。

城山の尾根の背後にあたるので、ネギ坊主を目印に歩くとすぐに城山の位置を見つけることができます。



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松蔭寺の麓は谷地形になっていて、寺と連携する施設が建っていたと考えられます。



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次は白旗神社の山に向かいますが、バス通りに出て、東高校をチラッと眺めます。
ここが城山の東側の突端部分に当たります。この高低差からここも城山の一部であったことが分かります。



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白旗神社が建つ山は、山全体が公園になっています。
平場がたくさんあります。ひな壇状の平場が並びます。一つ一つが広いです。


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どう見ても城と連携してるように見えます。
城の南側の防御、そして駐屯地のように思います。



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白旗神社から城山を臨む。
正面の山の白い家が見えるあたりが、城山の最高所に当たります。
位置的には正面でバッチリ。



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白旗神社。
珍しくも、祭神が足利尊氏です。
鎌倉幕府滅亡後、北条高行の遺児である北条時行を奉じて旧幕府勢力が起こした中先代の乱。そのときに諏訪氏は旧幕府勢力の中心人物として、足利政権に対して反旗を翻しました。

そして、諏訪氏は敗北。自害します。そのとき、三浦氏も旧幕府勢力の中心にいました。

 

そんな背景がもしかしたら祭神に足利尊氏を祀っていることと関係があるのかもしれません。まさに忖度?!

 

その辺も寺尾城の謎を解くための鍵になりそう!
面白いです。


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城山を囲む三つの山を歩き終わったので、ここからやっと城山に向かいます。
正面に城山が見えてきました。
「城が浮かび上がってきました?」の問いかけに、

「城が見えてきた!」と嬉しいリアクション。

そうなんです。じっくり歩いていくと、だんだんイメージが湧いてくるんです。
 

 

このあたりは「鍛冶屋敷」と呼ばれているエリア。
白旗神社の山の麓にログハウスがありますが、その北に小池があって、鍛冶の時にその水を使っていたと伝わります。

その職人が住んでたのが鍛冶屋敷と呼ばれるこのエリアです。鉄屑が出てるそうです。

刀、馬具なんかをつくってたといい、屋号が鍛冶屋敷という旧家が今も残ります。

 

 


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城山の麓に建つオレンジ色の屋根のマンション。
実はその敷地内に土塁として保存されている区画があります。
上の写真がその土塁の写真です。
戦国期の土塁だと思われますが、立ち入り禁止のため、今回のツアーでは入ることができませんでした。
城山の下の屋敷の土塁かなぁという感じ。


 

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やっと到着しました殿山公園です。
発掘調査が行われ、公園として整備されています。
土塁と空堀、そして瀬戸焼の壺、古銭が出土しています。1900枚強。
出土は唐の開元通宝、北宋、南宋、明の宣徳通宝となり、15世紀以降ということ。

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この城山は舌状台地の突端にあり、三方を低湿地に囲まれる立地です。
堀の角度は50-70度、地表面から底までが3m、上幅が5m、底幅が1m。
竪堀のように下に向かって掘られており、両側に土塁が盛られています。
堀の左右に曲輪が配置されてたんでしょうか?ちょっと珍しい縄張です。

堀は宝永の火山灰が上の方にあったので、1707年にはかなり埋まってたことが分かるとのこと。この調査によって、この場所に城があったと考古学的に裏付けられたわけです。

 

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ほんのり土塁が見て取れます。


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ほんのり空堀が見て取れます。


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…わかりにくい!笑


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柵が邪魔です~…

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堀を追いかけていくと、徐々に山頂へと道が延びます。
そして、住宅街の頂上にヒッソリと寺尾城址の石碑が建っています。
このあたりが本曲輪と伝わりますが、完全に崩されてしまい、いまは石碑だけです。
ただ、南側を見ると目の前に先ほどの白旗神社が見えます。
ますます白旗神社の山が城山と連携していただろうとの推測が強まります。



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石碑から一段下りると馬場稲荷。諏訪氏の当主がここにお参りをして、馬上手になることを祈ったと伝わります。
江戸時代は観光の名所になりました。


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寺尾城址の石碑が建つあたりが、本曲輪、ようは城の一番大事な場所と私が確信した景色がコレ。
富士山と大山が見えます。重なって見えるのです。
必ず、城には聖地のような信仰の対象があるはずです。

この景色が見えるのは、このあたりではココだけ。まさに信仰の対象を目の前に拝むことができる一番大切な場所。それが今でも本曲輪と伝わる場所と一致しています。

やっぱりココなんだなと、感動を覚える景色でした。


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さて、2時間半くらいかけてじっくりと城山周辺を回りました。
最後は殿山バス停付近の坂の途中にある寺尾城の看板前で解散となります。
上の写真はその看板の場所から、道を渡ったところから撮ったのものです。
このあたりは、大山街道が通り、さらに城山のある舌状台地の基部に当たる所。一番、尾根が狭くなっている場所です。
この辺に尾根を分断する堀切が入ってたようです。はっきりとは分かりませんが、家々が建つ高低差になんとなく、そういう雰囲気を見て取ることができます。



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今回のツアーでは時間がなくて寄れませんでしたが、これまた謎解きの鍵になりそうなお寺を紹介します。

殿山公園の東、歩いて3分にある愛宕山宝蔵院延命寺。
鎌倉時代以前の創建かと思われるこの地域で一番古そうな寺。
なんとここから承元4年(1210)の板碑が出土しています!!すごい!

と、いうことはここのその時代に鎌倉幕府ゆかりの誰かがいたということ。これが寺尾の消えてしまった歴史を考える上でとても重要になりそう!


宝蔵院の裏山には愛宕社があったそう。

愛宕社があった愛宕山も城と連携する出城だったと、地元では言い伝えられています。

この寺の過去帳には永享7年(1435)に亡くなった住職の記録があって、それがこの寺最古の記録です。

でも、板碑があることからもっと遡って、鎌倉時代からの古刹かと推測してよさそう。

諏訪氏がそこに繋がるのか、はたまた全く関係ない一族なのか。

 


最後にまとめると、寺尾は面白いということ。

神奈川や埼玉、川越の他の寺尾という地名。これを調べると、諏訪氏が絡んできます。寺尾という地名同士の繋がりはいかに?

白旗神社の祭神が尊氏という理由はいかに?
鎌倉時代の板碑は誰に関連するのか?
諏訪坂にある諏訪氏の館跡と呼ばれる場所には誰がいた?城とどう連携してた?
さらにその近くにある秋田城介、安達義景の屋敷跡との関係は?
貝の介台と呼ばれる伝達役を想像させる地名との連携は?

などなど、色んな時代に渡り上書きされてきた土地ならではのモヤモヤ感がタマりません。
 
寺尾城は史料は少ないですが、承元4年の板碑からも推測できるように、鎌倉時代から鎌倉幕府の御家人が領地とし、少なくとも永享年間には諏訪氏が寺尾に入り関東動乱を生き抜き、そして小田原北条氏の家臣となり、菩提寺を建て、当地を治めました。
江戸時代に入ると、幕府の直轄地となり、代官が置かれました。

寺尾という地は水運が鍵となり、いつの時代においても重要な地となったと思われます。 

 

寺尾城は1570年前後に使われなくなったと言われてて、戦いで落ちたのか、必要なくなったのかなどよく分かっていません。
1569年の武田信玄の小田原攻めで、攻められたとも、必要なくなり廃城になったとも言われてます。
1575年に廃城になったとの説もあります。

そんなふうに歴史が上書きされる中で、色んな時代の痕跡が寺尾には残っています。
土塁だ、堀だという単に城の遺構だけではなく、
寺尾という地、全体で捉えて全体で見ることによって寺尾城という城が浮き上がってくるのではないでしょうか。

寺尾全体にかなり広範囲に配置して、拠点として作り込んでる印象を持ちました。
頼朝が上洛い同行した武士の中に寺尾氏の名も見えますし、畠山重忠の乱の時に参戦した鶴見氏の主人は安達氏…。諏訪坂の近くに安達氏の屋敷があるので、この辺も繋がりそうです。
承久の乱の時の幕府側の負傷者の中に、寺尾氏、鶴見の沿岸部に屋敷があった潮田氏の名前も見えます。
鎌倉幕府4代将軍頼経が安達の鶴見屋敷に宿泊し、鶴見神社に立ち寄っています。
あげるとキリがないくらい、鶴見、寺尾は重要な場所として歴史に登場します。鶴見合戦という大きな戦いもすぐ近くの鶴見川で起きています。

調べれば調べるほど面白い寺尾城。ぜひ、行ってみて自分なりに思いを馳せてみてください。


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萩原さちこさんと、いなもとかおり(ちょめ)さん。


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下見で、さちこさんとドローン撮影。楽しかった!!


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打ち上げでお城ジオラマ復元堂/城ラマの二宮博志さん、写真家の畠中和久さん、小田原城館長の諏訪間順さん、いなもとかおり(ちょめ)さんと。



参加者の方、登壇者の方、スタッフの方、関係者の皆様、お疲れ様でした。
引き続き、寺尾について調べていきたいと思います。
寺尾という場所は歴史的にとっても面白い!!!





 

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2020年2月 1日 (土)

絶賛募集中「大人の遠足!バス旅行・いざ、金山城&足利館へ!」の巻

バス旅行のお知らせ

群馬県太田市の金山城と栃木県足利市の足利館へ!!
おいしいランチ「武士御膳」も楽しめます。

2月29日(土)です。

以前にも告知しましたバス旅行ですが、残数わずかとなってきました。ありがとうございます!!
申し込もうか迷い中の方いましたら、ぜひお申込みください(^^)


よろしくねがいしまーす💛
申込みは下のリンクからネットでできます。
店頭の場合は、上大岡京急百貨店内のコロンビアショップか、日本旅行上大岡店で申し込み出来ます。


https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

ものすごく楽しいコースになってますので、申込み済みの方はお楽しみに~!!


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2020年1月28日 (火)

TABICA新コース・先着5名様クーポン「いざ、権現山城へ!」

TABICAで新しいコース作りました。
5名様限定のクーポン券があるので、添付します。

コースの内容もクーポン券をクリックしてもらえると、見れるようになってますので詳細もご覧ください。

早い者順なので、なくなってしまったらごめんなさい。
よろしくお願いしまーす。

 

https://tabica.jp/coupons/TC18747

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2020年1月24日 (金)

「いざ!洲崎から北鎌倉・山内エリア!」の巻

2月のイベントのお知らせです。
2020年2月23日(日)・2月24日(祝月)
両日同じ内容で開催しまーす。

場所は鎌倉です。
モノレールの西鎌倉駅からJR北鎌倉駅に向かいます。
鎌倉を西から北へ縦横無尽に歴史ロマンを求めて歩き回ります♥

洲崎古戦場の近くには、面白い痕跡がたくさん!!
さらに手広地域にも、すごい秘密のスポットがあります!!
乞うご期待!♥
一緒に楽しく歩きましょう~。

詳しくはチラシをご覧ください。

参加申込みは各SNSか、

heart.blue.heart.blg@gmail.com
まで連絡ください~。


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2019年12月19日 (木)

《告知&募集》「いざ、深見城へ!!」の巻

新年最初のウォーキングイベントのお知らせです。

日にち
令和2年
1月18日(土曜)・1月26日(日曜)

※両日同じ内容で開催します。

集合場所と時間
10時
相鉄線「瀬谷駅」
※詳しい場所は参加者の方に後日ご連絡します

参加費
2,000円
(保険・資料代・諸経費)

解散場所
相鉄線「瀬谷駅」

瀬谷駅をスタートして、史跡に立ち寄りながら、世谷原の古戦場や深見城、四万坂の古戦場に出陣します。
楽しく歩いて、一年を元気に気持ちよくスタートさせましょう~!!

瀬谷は鎌倉街道の上道が通り、交通の要衝です。
鎌倉攻めに向かう新田義貞軍はもちろん、ほかにもいくつもの合戦の舞台になりました。
そんな歴史を探しながら歩きましょう!


詳しくは写真のチラシをご覧ください~。

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申込み&問い合わせは
heart.blue.heart.blg@gmail.com
までご連絡くださいな💛


最近は新田義貞を追いかけるような企画が続いております。
そんなコースをより楽しく歩くには、安部龍太郎さんの「義貞の旗」がおすすめです。
歴史歩きがググっと楽しくなりますよ。


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2019年12月 3日 (火)

【告知】鶴見れきぶん祭「いざ、寺尾城へ!」

 2020年2月11日
横浜市鶴見区でイベントがあります。
私の担当は午前中の寺尾城ツアー!
一緒に出陣しましょう!

寺尾城の詳細は不明だけど、ちゃんとじっくり歩くと面白い!
まわりを歩くと、うんうんなるほど!という感じに、想像が止まらない!!
と、いうことでぜひご参加ください。

申込みは下のサイトから!
午後は、小田原城館長の諏訪間さんをはじめ、萩原さちこさん、二宮博志さん、いなもとかおりさん、枡野俊明さんら豪華なメンバーの講演会があります。私のツアーの後でも講演会は間に合いますので、ぜひ併せてご参加ください。

各申込み方法等は下のサイトでご確認ください。
よろしくお願いします(^^)



https://tsurumirekibun.wixsite.com/home




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2019年11月29日 (金)

パシフィコ横浜「図書館総合展2019」にて


パシフィコ横浜で行われた図書館総合展2019でお話しさせていただきました。

ずばりフォーラム「城×図書館」
私は「郷土資料が果たす役割は無限大」というテーマでお話ししました

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城めぐりや三浦一族ゆかりの地をまわるときは、現地の図書館に必ず立ち寄ります📕...
現地でしか手に入らない情報、郷土資料が図書館にはたくさんあります。
それぞれの自治体で編纂した県史や市史、郷土史家が著した書物、同好会や研究会が発行した機関誌んどなど、そんな
郷土資料というのはその地域の宝です。
アマゾンや本屋では手に入らない貴重な情報です。


そんな郷土資料を活かして、地域の歴史をその土地の人に、さらには外からくる訪問者に向けて発信して伝えて欲しいと思います。その土地の歴史と人々をつないでほしい、入口になってほしいと思います。


図書館は大学図書館も含めると全国で5000館もあるそう。
お城も何万もありますが、3万個とすると…
なんと、図書館1館につき、お城が6城!!
1館につき、6つのお城が観光資源、土地の財産として利用できるのです。すごー!


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土地の人とさらにはそこに来る旅人、城好き、歴史好き、そんな人たちに「おらが村」の自慢をして、どんどん発信して欲しいと思います。
まさに郷土の歴史&郷土資料は価値が無限大!です。

埋もれてる歴史や城は地域の財産です。
観光資源です。
消えてしまわないように何とか掘り起こしたい!

そんな感じのお話をさせていただきました😊


あとは、自分の足でまわる大切さを。


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足と目と耳と、五感を働かせて、想像して考えた情報はまさに生きた情報。
郷土資料に書かれている情報はまさにそういう貴重な情報です。
私が考える歴史を学び、楽しみ、伝える上で一番大事なものは
「足」!!

現地で感じて考える、そういう歴史の楽しみ方をこれからもご案内していきたいと思います(^.^)

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ちゃんと三浦一族のPRもしてきました。
こんなに全国に守護地頭国司となって飛び出しt活躍してます。
そんな三浦一族を追いかけて、私も西へ東へ!
これからも各地の図書館にどんどん立ち寄りたいと思いまーす📚

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2019年11月21日 (木)

「告知&募集」いざ!遊行寺&村岡城へ!」の巻

今年最後のウォーキングイベントのお知らせです。

日にち
12月8日(日曜)・12月21日(土曜)
※両日同じ内容で開催します。

集合場所と時間
10時
JR藤沢駅
※詳しい場所は参加者の方に後日ご連絡します

参加費
2,000円
(保険・資料代・諸経費)

解散場所
湘南モノレール・湘南町屋駅 

藤沢をスタートして遊行寺、藤沢御殿、白旗神社などに立ち寄ります。
箱根駅伝を目前にして、難所遊行寺の坂を駆け上がりましょう~(笑)
その後は三浦一族の始まりの地でもある村岡城に寄り、最後は柏尾川を渡り鎌倉へ!
新田義貞軍の進軍コースを歩いて、柏尾川を渡河し、洲崎に攻めかかります。
洲崎古戦場で地形を楽しみながら思いを馳せ、一年の締めくくりにしたいと思います。


詳しくは写真のチラシをご覧ください~。

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我ながら今回もとても楽しいコース!
これは参加しないと!
しかも年末ジャンボ宝くじ並みの出血大サービス!
なんと!!!
スタンプシール5枚!!
わー!すごい!笑

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藤沢宿なども楽しく歩きましょう。
写真は曇り空ですが、きっと当日は気持ちよく晴れるはず!!



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白旗神社には新しい義経&弁慶の銅像が建ちました。


ということで、参加連絡お待ちしてます。
メールかコメントなどで連絡ください(^^)

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2019年11月 8日 (金)

お知らせ「日帰りバス旅行!上大岡京急百貨店COTONOWA」

上大岡京急百貨店COTONOWAカルチャーにて、日帰りバス旅行企画が決まりましたー!!!
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申し込み&お問い合わせは
〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

手続きは店頭、もしくはネットからとなってます。
ドシドシご応募ください!お待ちしてマース。

https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

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2019年10月27日 (日)

【告知&募集】いざ、関戸城へ!の巻

次回のイベントのお知らせです。
前回の分倍河原合戦の続きで、関戸合戦に出陣します。

前回のおさらいからスタートするので、分倍河原合戦に参加してない方でももちろん大丈夫です(^^)


2019年11月23日(土)・11月24日(日)

※両日同じ内容です

10:00
JR南武線「分倍河原駅」集合


16:30頃
京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」解散



参加費2000円(資料代・保険代・諸経費込み)

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださーい。
詳細はチラシをご覧ください!

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関戸城は「霞ノ関」と呼ばれる関所があったところです。
多摩川を押さえる交通の要衝でした。


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地形や城、関所、砦の名残りを探しながら楽しく歩きましょう~!
参加連絡お待ちしてます★

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2019年10月24日 (木)

講演・三浦一族研究会入門講座「三浦一族ゆかりの城跡」

10月6日に横須賀ヴェルクにて、三浦一族研究会入門講座が行われました。
今回は研究会の会員じゃない人も受講できる入門講座。もっとたくさんの方に三浦一族を、三浦一族研究会を知ってもらおうという企画です。

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募集が40人のところに80人近い応募がありました!嬉しい!
「三浦一族ゆかりの城跡」というテーマでお話させていただきました。


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大矢部衣笠の本拠地エリアと古久里浜湾の関係、怒田城の地形と重要性、その他の三浦半島の城跡…。
などなど、そんなお話をいたしました。
他にも一般的な山城の説明をしつつ、全国に広がる三浦一族ゆかりの城を。
会津若松城、向羽黒山城、美作高田城、越後黒川城、越後奥山荘城館群…。
たくさんありますね、全国にも三浦一族の足跡!

お城に絡めながら、三浦一族の活躍&面白さも存分に盛り込みました。
前で話しながらも会場の盛り上がりや熱気みたいなものを感じられて、とても嬉しく楽しい90分でした。

これからも研究会の方でも、どんどんイベントを企画していきたいと思います(^^)


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城EXPO2019

お城EXPO2019!!
今年もパシフィコにて開催されます。
2019.12.21(土).22(日)の2日間です。

▼お城EXPO 2019
http://www.shiroexpo.jp/  


今年は、「栄枯盛衰 豊臣から徳川へ」というテーマのもと、講演やセミナーなどが開催されるようです。
そして、城好きの交流会「プレミア前夜祭」も開催されるとのこと!

みんなで「いざ、城EXPO2019へ!」
私も22日の午後から参戦予定です。
見かけたら声かけて下さい♪

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2019年10月12日 (土)

《随時募集中》オトナの遠足「カルチャーセンターさいかや横須賀店」


2018年4月から、カルチャーセンターさいかや横須賀店にて、歴史めぐり「出陣のススメ」講座をやってます。
早いもので、もう一年半も経ちました。
少人数で、和気あいあいとかなり楽しい講座です。
多少の入れ替わりはあるものの、10人前後の大人の遠足サークルという感じ。

月に二回のスクールで、1回目は座学、2回目は出陣します。
三浦半島に限らず、鎌倉、横浜、ときには東京まで攻めあがります(笑)

随時、募集してます。
体験もできますので興味ある方は、下記チラシのカルチャーセンターさいかや横須賀店までお問い合わせください。

忘年会なども有志で行い、とっても楽しいですよ(^^)
元気に楽しく歴史で遊びましょう💛

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2019年10月 5日 (土)

上大岡京急百貨店COTONOWA・秋~冬

上大岡の京急百貨店カルチャースクールCOTONOWAさんにて開催中の講座「出陣のススメ」新コースのお知らせです。
申込みが始まりましたので、もしよろしければ!
今回は幕末の台場や横浜駅周辺の歴史をブラブラ歩いて解き明かします(^^)

横浜駅すぐ近くには江戸湾の要衝の神奈川湊がありました。
その大事な地では、戦いも繰り広げられ、中世から幕末まで歴史が盛りだくさんです!!

11月26日
神奈川台場

1月21日
権現山城

3月24日
品川台場


申し込み&お問い合わせは
〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

手続きは店頭、もしくはネットからとなってます。
店頭の場合は、上大岡京急百貨店7階の総合サービスセンターにて。
ネットの場合は「コトノワ」で検索するとコトノワさんのサイトが出てきますので、サイト内で「山城ガール」と検索してください。

ドシドシご応募ください!お待ちしてマース。
下の写真をクリックすると拡大されますので、見てみてください。

なんと、2月にはバス旅行もありますよ!
また告知しますね。
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2019年9月26日 (木)

《告知》ヨコスカキッズWeek

秋めいてきました!
山城シーズン到来ですね。

どんどんイベントやりたいと思います。
まずはキッズイベントのお知らせです。

横須賀市のキッズウィークイベントの協力店として、横須賀グリーンゴルフさんでキッズ向けのイベントが開催されます。
その中で私も歴史イベントやります。

お子さんと!お孫さんと!親戚のお子さんと!
などなど、キッズと大人が一緒に参加する楽しいイベントです。

詳細はグリーンゴルフさんのチラシをご覧ください。
10/4のタウンニュースにも詳細が掲載される予定です。

この前、小学校で講義はしましたが、キッズ向けのイベントは初めて!!
楽しみ~♡

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2019年9月20日 (金)

告知&募集「またまたやるよ!いざ、分倍河原の合戦へ!」の巻

告知&募集「いざ、分倍河原合戦へ!の巻」

9月の時点で満員でお断りしたのと、雨の振替えのため、10月も同じ内容で開催します!!

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2019年9月21日(土)・9月29日(日)

2019年10月13日(土)・10月19日(日)

※両日同じ内容です

10:00
JR南武線「南多摩駅」集合


16:30頃
JR南武線「西府駅」解散



参加費2000円(資料代・保険代・諸経費込み)

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

詳細はチラシをご覧ください!



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多摩川。交通の要衝であり、相模と武蔵をつなぐ水運!!
この川沿いには城がゴロゴロ!!

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大丸城。なんとなく雰囲気が残ってて楽しめる~。

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武蔵国府。楽しいジオラマ。
なんでここに国府が置かれたの?相模国と武蔵国の関係は?
などなどブラブラ歩いて解き明かしましょう~。
ちなみに国府の跡には家康も御殿を建てたましたよ。家康の井戸も見に行こう~。

ということで、参加連絡お待ちしてます💛

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2019年9月14日 (土)

新コラボ企画!!「レキシ面白クラブ・歴史で遊ぼう!!」の巻


歴遊旅さんとコラボで新企画です。
レキシ面白クラブの初代ブ長に任命されました!!
ますます楽しく歴史を歩きましょう

軽食での懇親会つきでーす。
イベントで飲み会付きは初めてなので楽しみ💛
お酒やソフトドリンク片手にお話ししましょう。

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レキシ面白クラブサイト内の「今すぐ予約する」から詳細が見れます(^^)

https://www.rekiyutabi.com/レキシ面白クラブ/

さらに!!
「山城ガールむつみ」の新しいアイコンを作っていただきました(^^)
元気いっぱいで可愛い💛嬉しいー!
デザイナーさんはヨシザキアサコさんです

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以下は「歴遊旅」さんのサイトからの引用です。

【レキシ面白クラブ】
歴史をもっと面白く楽しくをテーマに歴史好きの仲間が集う「歴史のクラブコミュニティ」を開設しました。

▼仕組みは簡単
登録不要!会費不要!...
参加したいイベントに参加費をお支払いして頂き、参加して遊ぶだけの簡単システムです。


【第1弾企画】
「歩け!登れ!山城ガールむつみと出陣する大船の変」

日本全国の遺構を渡り歩き歴史を教えるインストラクター「山城ガールむつみ」さんが、初代ブ長としてイベントを行います。
三浦半島中心に大人気の歴史プレイヤーさんです。

「歩いてよし」「聞いてよし」「食べてよし」の歴史満腹企画に参加して一緒に楽しみましょう🎶

第1回
10月20日(日)

第2回
11月17日(日)

第3回
12月14日(土)

座学・懇親会の会場は、湘南エリアを中心に大注目の「NEKTON大船」さんを利用させて頂きます。

▼お申込みはこちらから
https://www.rekiyutabi.com/レキシ面白クラブ/

 

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2019年9月 7日 (土)

お知らせ「上大岡京急百貨店COTONOWAカルチャースクール新講座」

上大岡京急百貨店COTONOWAカルチャーのコースが決まりましたので掲載します。
申し込み&お問い合わせは
〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

手続きは店頭、もしくはネットからとなってます。
ドシドシご応募ください!お待ちしてマース。

https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do


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2019年8月24日 (土)

告知&募集「いざ、分倍河原合戦へ!の巻」

2019年9月21日(土)・9月29日(日)

※両日同じ内容です

10:00
JR南武線「南多摩駅」集合


16:30頃
JR南武線「西府駅」解散



参加費2000円(資料代・保険代・諸経費込み)

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

詳細はチラシをご覧ください!

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多摩川を渡ったり、戻ったりしながら楽しく歩きましょう。
何度も合戦の舞台になった多摩川沿いの分倍河原!
三浦一族も少し登場します。
さらには古墳やら神社なども立ち寄りながら、盛りだくさんのコースです♥

 

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分倍河原駅前の新田義貞像。

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熊野神社古墳のチョイ見せ。

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解散の西府駅。
少し涼しくなってるかな?一緒に歩きましょう~。

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2019年8月 2日 (金)

告知&募集「寺子屋スペシャル・いざ、衣笠城へ!の巻」

 

またまた寺子屋スぺシャルやります!
暑いので、午前中は座学にしてウォーキングは半日だけ。
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横須賀市浦賀駅徒歩1分にある「クールクランカフェ」にて、寺子屋スペシャルを開催しまーす。

今回は座学のあと、美味しいランチを食べてから三浦一族の本拠地大矢部エリアと衣笠城へ出陣!

2019年8月31日(土)

10:15受付開始
10:30座学スタート
11:30頃ランチ
12:30頃衣笠城へ出陣
17:00衣笠城址バス停にて解散
※浦賀駅から北久里浜駅へは電車で移動。交通費は各自負担です。

参加費3500円(ランチ・資料代・満昌寺拝観料・保険代・諸経費込み)
※荒天でウォーキング中止の場合は座学とランチで2000円とさせていただきます。

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

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2019年7月29日 (月)

寺子屋スペシャル「三崎城へ!」

浦賀のクールクランカフェさんで寺子屋スペシャルを開催しました。
今回は座学やって、ランチを食べた後、三崎城へと出陣しました。

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ランチはキーマカレー。ゲンコツほどの唐揚げとサラダが付いてボリュームたっぷり!おいしかったー!
満腹で大満足のあとは、電車で三崎口に移動して三崎城へと向かいました。

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三崎城へ向かう途中には油壺の新井城を攻めた北条氏の陣場や、北条軍の進軍を防ぐための引き橋と言われる谷があります。
三浦氏は3年もの間、新井城に籠城しました。この谷地形こそが北条軍を足止めした防衛線です。
みんなで谷をのぞき込みながら、これじゃ3年も攻めあぐねるよね…などなどと当時の光景を想像しながら進みました。

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裏道や農道を使ってどんどん進みます。
大通りのバスルートでは体感できない素敵な光景&地形がこのルートにはあります。

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ここで一気に台地を降ります。
このアップダウンが三崎城の秘密ですー!
北条湾の入江の名残りがこの高低差なのです。なので、入江の跡をつたって北条湾へと向かいます。


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北条湾にでると、頭の上に城山がそびえ立ちます。
すぐ真上には物見櫓が!!
櫓は現地にはもちろんないので想像で楽しみます(笑


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物見櫓の曲輪には堀切&土橋。
みんなで目を凝らして、当時の様子を思い浮かべて盛り上がりました。


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右手の土の塊は土塁です。
当時はもっともっと高かったはず。

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立派な門があったであろう大手門もあたり。


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ここが私は大手だと思ってる。
そうすると、上の段の曲輪の土塁も生きるし、両サイドの平場も生きるし、横矢もバッチリなのだ!


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海南神社に裏から入る。
まぐろみくじで盛り上がる。
楽しい遠足♪


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エリアが変わって、隣の山へ。
ここは徳川船出奉行の向井水軍の屋敷があった所。
三浦按針もたびたび訪れ、海が一望でき、まさに水軍の将にふさわしい場所!


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少しだけ西側い移動すると、景色が一気に変わる。
このあたりは頼朝の桃の御所があったされる場所。
桜の御所、桃の御所、椿の御所と3つの別荘を使って楽しんでたとされる頼朝。そんなに3つもいる!?なんて思ったけど、実際現地に来るとよく分かる。同じ三崎なのに、全然景色が違うのです。どの景色も甲乙つけがたく、これじゃ3箇所も別荘作って季節ごとに楽しむのも分かるなぁと納得。なんて贅沢だ!



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向井氏の墓がある見桃寺の境内へ。


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ゴールは歌舞島。
ここは夕日がとても美しい所。頼朝をはじめとする御家人達がやってきて宴を楽しんだ島。もてなしたのは三浦一族。埋め立てられてしまってるけど、素敵な景色だったであろう当時の景色が容易に想像できます。


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と、いうことで台風予報も覆し、とっても楽しいイベントになりました。
参加者の皆様、ありがとうございました!
次回のイベントは8月31日(土)を予定。
近日中に告知しまーす。

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2019年7月18日 (木)

いざ、衣笠小学校へ!出前授業の巻

横須賀市立衣笠小学校に招かれて、三浦一族の話やお城の話をしてきました
小学六年生のクラス。みんな、とっても真剣な表情で聞いてくれました。
質問もたくさん出て、三浦一族や城、地域の歴史への関心の高さを感じました。

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話してるときも子供たちはずっとメモを取って真剣に聞いてくれましたー!
あんなたくさん生徒さんを目の前にお話したのは初めてだったけど、熱心に聞いてくれたのでホッとしました。

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60分の中で、三浦一族の歴史の話だけではなく、歴史を知ることの大切さ、それを自分なりに調べて伝えることの面白さも話しました
そしたら子供たちから、
何を勉強したら上手に人に伝えられますか?とか、
なんでこういう活動をしてるんですか?とか、伝える側に興味を持った質問が出てきました。
とても嬉しい質問でした。

歴史が消えていくことはとても寂しく、悲しいことだから、まずは自分が興味を持って身近な人にお話ししてあげてくださいと話しました。
講義で聞いたことを家に帰って家族に話してくれたら、最高に嬉しいな。

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お話しした図書館の窓からは小矢部城の城山も見えます。みんなで立ち上がって城山を見たり、衣笠合戦のことを話したり、とても楽しんで聞いてくれてるように見えました🙌

小学生用に作ったパワポもバッチリだったし、担任の先生方も校長先生もとても熱心に聞いてくれたしで、私もとてもイイ刺激をいただきました💛

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2019年6月20日 (木)

寺子屋スペシャル!「いざ、三崎城へ!」の巻

久しぶりに寺子屋が復活!

横須賀市浦賀駅徒歩1分にある「クールクランカフェ」にて、寺子屋スペシャルを開催しまーす。
今回は座学のあと、美味しいランチを食べてから三崎城へ出陣!

2019年7月28日(日)

10:45受け付け開始
11:00座学スタート
12:00ランチ
13:00三崎城へ出陣
17:00三崎港バス停にて解散
※浦賀駅から三崎口駅へは電車で移動。交通費は各自負担です。

参加費3500円(ランチ・資料代・保険代・諸経費込み)
※荒天でウォーキング中止の場合は座学とランチで2000円とさせていただきます。

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

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城山の三浦市役所。
城の平場を利用して、学校や市役所、駐車場がつくられています。


三崎城は三崎港を見下ろす山に築かれた城です。
今に残る姿は小田原北条氏が築いた三崎城で、
対岸の房総半島の里見氏との戦いの舞台となりました。
目の前の城ヶ島には、攻めてきた里見氏がたびたび上陸しました。まさに三崎城は戦国時代に戦いの最前線だった城なのです。
里見氏との戦いに備えて、三崎の地を守ろうとした当時の人々の必死な想いの痕跡を一緒に探しませんか?

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丁寧に見ていくと当時の遺構を見ることができます。
土塁の名残もちゃんと残ってます。


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「北条湾」という当時を感じる名の残る湾。


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バス停にも「北条」の名が。


そんな歴史を楽しくご案内します。
現地で自分の肌で足で、歴史や地形を楽しみましょう。
きっと一緒に歩くと、妄想想像が広がり、戦国時代にタイムスリップ!
城ヶ島を目の前に望む風光明媚な三崎城!一緒に出陣しましょう。

その昔、三崎の地は三浦一族が 治めていました。
頼朝の山荘を建て、おいしい食事を用意してもてなしました。
中世から戦国期、そして江戸時代、現代と続く三崎の歴史を自分の足で歩いて楽しんでいただきたいと思います。

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バスや車では見ることができない、のどかで素敵な景色を見ながら歩きましょう。
三浦一族の食料庫であっただろう田園風景が広がります。


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天気が良ければ、こんな絶景も楽しめます!
参加申込みお待ちしてまーす。




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2019年5月21日 (火)

【イベント告知】「いざ、本牧・平子郷へ!」の巻

6月のイベントのお知らせです。

日にち
6月9日(日曜)
6月22日(土曜)
両日同じ内容です。

参加費
2,000円
(保険料・資料代・諸経費など)


集合時間
10時

集合場所
みなとみらい線・元町中華街駅

解散場所
JR根岸駅
※元町中華街駅の細かい待ち合わせ場所(出口番号)などは、参加者の方に後日ご連絡いたします。

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今回の出陣は横浜・本牧方面です。
みなとみらい線元町中華街駅をスタートして、JR根岸駅へと向かいます。

三浦一族の平子氏(たいらこ)が本拠にしていた本牧平子郷へ!
「和田」の名を残す和田山や十二天神社などを歩き、足跡を探します。
ほかにも三浦氏と繋がる地名がゴロゴロ!

山手エリアでは貝塚から洋館まで見所満載!
本牧台場跡などにも立ち寄り、地形などから色々と想像して現地で楽しみたいと思います^_^
このあたりは高低差も細い道も堪能できる楽しいエリアです


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坂がそれぞれ風情があって素敵です。

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階段もいい感じです!

さらにさらに、根岸競馬場や馬の博物館も含まれた盛りだくさんコースです!

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詳しくはチラシをご覧ください(^^)
参加連絡お待ちしてまーす。
SNSもしくは「heart.blue.heart.blg@gmail.com」にメールください。

 

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2019年5月 8日 (水)

【イベント告知】「いざ!住吉城&鐙摺城へ!」の巻

おかげさまで定員に達しましたので、受付を締め切らせていただきます。

次回のイベントのお知らせです。

日にち
令和元年5月19日(日)・5月26日(日)
※両日同じ内容で開催します。

集合時間
10時

集合場所
JR鎌倉駅西口時計台広場

参加費
2000円

住吉城や鐙摺城に立ち寄りながら、周辺を歩きます。
小坪合戦や北条早雲の来襲など、想像しながら楽しく歩きましょう!
遺構は残ってなくとも、思いを馳せながら楽しく歩けるコースになってます。

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鐙摺城の遠景。
小坪合戦のときはここに三浦義澄が!



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鐙摺城からの景色。



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住吉城に建つマンション。大きな平場があったのが分かりますね。


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住吉城の隧道。

参加連絡はブログの書き込みでも、メールでも各SNSでも何でもOKです。
連絡お待ちしてまーす。




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2019年4月 4日 (木)

スタンプカード完成💛「一緒にお城100コ行こう!」

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オリジナルスタンプカードを作りました!
題して、「一緒にお城100コ行こう!」です。

100コ?!
と思うかもしれませんが、一度のウォーキングで2~4個は行ってます。
なので、結構どんどんスタンプ増えていきます💛

今まで参加していただいた城も、遡ってすべて押します。
既に過去の参加者の方のスタンプカード200人分が完成してまーす。
それぞれの参加記録から、作りました~。
次にお会いしたときに渡しますのでお楽しみに!!

また参加したい!また歩きたい!
とか、
まだ参加したことないけど、参加してみたい!
など、そんなきっかけになればいいなと思ってます。
なので、お城の定義はかなりゆるい。いいんです、歴史を楽しむきっかけになれば。

手作り感満載のかわいいカード💛
奮ってご参加くださいまし。

スタンプの対象は、山城ガールむつみのウォーキングイベント、TABICA、カルチャースクールさいかや横須賀、カルチャースクール上大岡京急百貨店COTONOWAとします。
TABICAの単発イベントで、行きそびれてしまった場所にご参加いただくのもいいかもしれませんね(^^)

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2019年3月25日 (月)

≪告知≫TABICA



Tabica

4月からTABICAというサイトでイベントをやらせていただくことになりました。

いつものウォーキングイベントと違うところは
・少人数制
1人から10人程度。だいたい3~4人くらいです。

・距離と時間が短い
3時間程度で5km~7kmくらいです。

・同じコースで日にち設定が数日ある
同じコースで、開催日が5日ほどあるので、都合のいい日が選びやすくなってます。


・TABICAのサイトから直接申し込み、決済ができる
気が向いた時にネットで簡単に予約できます。

・予約の締め切りがギリギリまで受け付け可能
前日の夜まで予約の申し込みができるので、急に時間が空いたときなどフラリとご参加いただけます。

https://tabica.jp/

TABICAのサイトで「むつみ」で検索してもらうと、私のイベントが出てきます。
アカウント作って登録できます。フォローだけでもしていただけると嬉しいです(^^)
これから、どんどんコースを追加していきますのでお楽しみに!

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TABICA専用バッジも作りましたよ。
ぜひとも、ゲットしてください(^^)


今までのイベントで行きそこねた!
もう一度いってみたい!!
明日暇になったので、歩きたい!
などなど、そんな感じで利用していただけると使い勝手がいいかなと思います。

ちなみに、行きたいところや、希望日など気軽に連絡いただければ、要望に沿えるように調整しますので、連絡ください。

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下にクーポン券、貼り付けておきますのでよかったらお使いください。

 https://tabica.jp/coupons/TC7895 怒田城

 https://tabica.jp/coupons/TC7893 高野&長窪切通し

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2019年3月15日 (金)

《告知》上大岡京急百貨店カルチャースクール講座のお知らせ

上大岡京急百貨店のカルチャースクール「COTONOWA」にて、4月から5回連続講座をやることになりました。

午前中2~3時間で、三浦半島の山城をまわります。
行きそこねた!もう一度行ってみたい!などなど。短期講座なので、気軽にご参加いただけます。

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4月23日(火)怒田城

5月28日(火)大矢部城と大矢部の史跡

6月25日(火)衣笠城と大矢部の史跡

7月16日(火)浦賀城

9月24日(火)三崎城

となってます。
申込みはWEBか店頭申込みです。
問い合わせ等ありましたら、私にも気軽に連絡ください。

単発で一つ一つの申し込みもOKですのでお気軽のご参加ください。

下記のURLからはCOTONOWA公式HPです。
サイトの中の検索で「むつみ」で探していただければ、私の講座が出てきまーす。


https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

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2019年3月 8日 (金)

山城ガールむつみの寺子屋FINALの巻

平成31年2月26日(金)は2年半、16回にわたり開催させていただいた「山城ガールむつみの寺子屋」最終回でした。
会場の浦賀にあるクールクランカフェの一時閉店に伴い、急遽「寺子屋FINAL」ということでやらせていただきました。

突然の開催、平日の火曜日にもかかわらず、満員御礼!
たくさんの方に来ていただきました。

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今回は最後なので、話しそびれてたノロシのはなしとか、城と郭の話とか、古代国家プロジェクトとか、いろんな話を。
最後は、「ここがすごいぞ!三浦一族コーナー」をたっぷりと。
今までのダイジェストと新ネタと。

三浦一族というのは、郷土史という言葉にはおさまらないほどの活躍をしています。中世の日本史において、かなりのキーマン。三浦一族を通して見る日本の歴史、そんな切り口で、これからも楽しくお伝えしたいと思います。
三浦一族という素晴らしい歴史資源、もっと活用しないともったいない!

ということで、長々と書くのもアレなんで、箇条書きで一気にいきましょう。簡単にね。
はい、スタート!「ここがすごいぞ、三浦一族コーナー!!」

・1221年の承久の乱では後鳥羽上皇側の中心人物は三浦義村の弟の胤義だった。
・一族の津久井高行も後鳥羽上皇側について戦って討ち死に。津久井高行は後鳥羽上皇の西面の武士に選ばれるほどの弓上手だった。
・承久の乱のあとの戦後処理、軍功の沙汰をしたのは三浦義村。
・義村は京都の一等地、いまでいう四条の高島屋のあたりに屋敷を構えてた。
・三浦一族は北は青森、南は福岡、鹿児島まで所領を持っていた。
・外国との貿易に大事な場所、宗像や壱岐も三浦氏が預所などをしていた。

・各地で活躍した三浦一族の子孫たちもそのあと活躍を続ける。
・会津の戦国大名の蘆名氏も三浦一族。今の会津若松城はもともとは三浦蘆名氏の黒川城が築かれていた。
・越後奥山荘、現在の新潟県胎内市も三浦氏ゆかり。和田義盛の弟の義茂がその地をもらい、越後和田氏、中条氏、黒川氏などと分かれ、戦国大名となっていった。そして上杉氏の家臣となり、米沢へ。
・美作三浦氏は、高田城を尼子氏と対等統治していた。月山富田城でも尼子氏と一緒に戦った。

・江戸時代になっても、三浦一族は伝説化して語り継がれていた。
・「鶴は千年、亀は万年~三浦大介(義明)106つ」という数え歌があった。三浦氏の活躍を詠い、さらに長寿でめでたいとされていた。
・与謝蕪村も掛け軸で三浦大介義明図を描いている。祝いものだった。
・江戸時代に入ると、いろんな大名が三浦氏の系図につなげる系譜を作成した。名門の三浦氏の家系が欲しかった。信憑性如何は別として、当時、三浦一族がそのように求められる存在、名門という認識が持たれていたということが分かる。

・徳川家康の10男頼宣(水戸藩の祖)、11男の頼房(紀州藩の祖)を生んだお万の方は正木氏の娘。正木氏は三浦氏だという伝承あり。後にお万の方の兄、為春は家康から許され、正木姓から三浦姓にした。その後、紀州藩の家老となり、1万5千石をもらい貴志城を築城し、明治まで続く名門となった。その子孫が大正時代に祖先の地三浦半島を訪れ、顕彰碑などを建てた。
正木氏の系図の真偽は別としても、三浦氏の名前、ネームバリューがこれほどまでにあるという事実が面白く、大事なこと。

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他にもいろいろとお話ししました。
地図を見てると、三浦一族のいろんな足跡が見えてきます。自分なりに考えて推理するとワクワクします。そんな地図のお話を。
ここでは伝わりにくいので割愛(笑


こんな感じで全16回、楽しくお話しさせていただきました。
たくさんの研究者さんの本で勉強させてもらいました。
それを簡単に楽しくお伝えするのが、自分の役割だと思ってます。
これからも、たくさん勉強して、楽しく優しく伝えていければなと思います。

Img_1035気づけばたくさんある城あと。
一緒に歩きながら、自分の足で肌で楽しさを感じてもらえたら嬉しいなと思い、始めましたが、寺子屋を通して、少しずつ輪が広がってきたことを嬉しく思います。
埋もれてしまっている歴史を掘り起こすことで何かが見えるかもしれない、ワクワクする世界が広がるかもしれない。五感をフルに使って楽しむ歴史、そんな素敵な時間をこれからも一緒に楽しんでいけたらなと思います。


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いつも本の紹介コーナーで1冊紹介していましたが、いつか最終回が来たらコレ!と決めてました。私の活動の原点!
永井路子さんの「相模のもののふたち」です。

こんなに愛情あふれた歴史エッセイは読んだことがありません。
エッセイと言っても、かなり内容は濃く、しっかりしています。勉強にも、もってこいの一冊です。
永井路子さんは著書などで、研究者の方の苦労と努力に感謝するお話をされています。その研究に、永井先生が息吹を吹き込む。
私はこの本を読んだ時、そんな風に感じました。
研究書はやはり難しいので、興味のない人がすんなりと読める内容ではありません。なので、その間に入って、面白さを伝えたい、そう思ったきっかけの本、私にとっては原点の一冊です。


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こんなお花までいただき、感激です♡
最後は記念撮影を。

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わたしをはじめ、最初はみんなが初対面同士のなか、回を重ねるごとに、和気あいあいとした雰囲気になっていきました。ウォーキングイベントなどで一緒に歩くごとに、どんどん顔見知りが増えて、話をしたり挨拶をしたり。
今では、前からの友だちのように話してる人たちもいたりして。
こんなに素敵な会になるとは思いもせずに始めた寺子屋。最終回の寺子屋が始まる直前、なんだかとても幸せな気持ちになりました。

私自身もたくさん勉強させていただきました。
面白いと思って、来てくださった方に本当に感謝です。
また違う形で寺子屋を不定期でやりたいなと考えてますので、またそのときはよろしくお願いします。

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全16回、お一人だけ皆勤賞の方がいらっしゃいました。
他にもみなさんたくさん来てくれたんですが、皆勤賞ということでスペシャルバッジをプレゼントさせていただきました。

これからも楽しいこと、どんどん考えまーす。
お楽しみに!!

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2019年3月 5日 (火)

【告知】「いざ!高麗山城&平塚城へ!」の巻

歩いてると、だんだん春の香りをあちこちで感じるようになってきました。
花粉症が辛いけど、いい季節になってきましたね。

と、いうことでウォーキングイベントやりましょう!
きっと歩くとあちこちで桜も他の花も綺麗なことでしょう♥




日にち       2019年3月30日(土)・31日(日)
           ※両日同じ内容です



攻めるお城    高麗山城・住吉要害・平塚城・中原御殿


約12kmの楽しい楽しいウォーキング!


詳しくは下のチラシをごらんください。
途中、疲れたり、急用ができたりしたときに抜けられるショートカットポイントも用意してありますので、距離が心配な方も安心してお越しください。

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高麗山城と住吉城は、北条早雲(伊勢宗瑞)が相模に攻めるための足がかりとして、築いた城です。そしてそこから、三浦道寸の岡崎城、逗子の住吉城と一気に攻め、三浦氏は三浦半島の突端へと逃げ込むことになるのです。

そんな三浦一族にも因縁深い高麗山城&住吉要害!
ぜひ一緒に歩いてみましょう!

事前予約制となってます。
メール、コメント、なんでもいいので参加申込みお待ちしてます。




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ウォーキングの参加者の方には、山城ガールむつみオリジナルバッジをプレゼントしてました。全10カラー。コンプリートすると、秘密のスペシャルバッジがもらえます。
ぜひ、10カラーコンプリートしてくださいね。

今回から新企画!
「お城100コ行こう!!」
を始めます。一緒に100コ、お城に行きましょう!
オリジナルスタンプ帖を作ってお待ちしてます♥

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2019年2月19日 (火)

≪告知≫「いざ!寺子屋FINAL!」の巻

かれこれ2年半にわたり、開催させていただいてた寺子屋がついにFINALを迎えます。
会場だった浦賀のクールクランカフェさんが悲しくも閉店してしまうのです!

次回開催は3月の予定でしたが2月いっぱいで閉店ということで、急遽2月26日に「寺子屋FINAL」をやらせていただきます。

今まで来ていただいた方に、最後のご挨拶をするとともに、今後の楽しい計画なんかもお話ししたいと思います。

クールクランカフェさんの美味しいごはんとビールを楽しみながら、最後の寺子屋。
是非、お越しください(^^)


2019年2月26日(火)
19時
寺子屋FINAL♡

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2019年1月 8日 (火)

イベント告知「いざ!権現山城から幕末&文明開化へ」の巻

あけましておめでとうございます。
今年もよろしく願いします。

今年最初のイベントの告知です。
今回は横浜駅周辺へ。
山の中ではなく、珍しく都会へ行きます!

2019年2月2日(土)・2月10日(日)
※両日同じ内容です。

集合     10時に京急仲木戸駅
参加費   2,000円
※高校生以下は無料
※保険料・資料代・諸経費込み




立ち寄るところ
権現山城
・青木城
・神奈川台場
・アメリカ、フランス、イギリス領事館跡
・高島嘉右衛門関連史跡
・神奈川宿
・近代化関連史跡
などなど。
疲れたら、何か急用ができたりしたときに途中で抜けられるショートカットコースも用意してありますので、歩く距離が心配な方もご参加いただけます。





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三浦一族を滅ぼした北条早雲。
今回行く権現山城でも、北条氏との合戦が繰り広げられました。
三浦氏もたくさん出陣したことでしょう。
ここでの戦いがきっかけとなり、6年後に三浦氏は油壺で滅びることとなるのです。
そんな権現山城へ出陣したいと思います。


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今は公園となっている権現山城。
神奈川台場を造るときや、造成により、当時の地形とは変わってしまっていますが、現地に行くと要害だったことが十分に分かり楽しめます。



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この高さ。周囲は絶壁となってます。


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幕末に異国の脅威への備えとして築かれた神奈川台場。


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石垣がひっそりと残っています。


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今回のコースにおすすめの本。
読んでから行くと、楽しさ倍増かもしれません。


今年最初のウォーキング、一緒に楽しく歩きましょう!
知ってる場所も丁寧に歩くと、たくさんの発見が!!

メール、ブログへのコメント、FB、インスタ、ツイッター、なんでもいいので申込み連絡お待ちしてます♥

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2018年11月22日 (木)

【告知&募集】「出陣のススメ!三崎城」グリーンゴルフイベント

2018年を締めくくるイベントのお知らせです。
楽しく歩いて、新年を、迎えましょう~!

今回は三崎城へ出陣します。
頼朝も三浦一族も愛した三崎の地。
綺麗な景色を見ながら、思いを馳せましょう~。

詳しくは以下のチラシを。
申込みは横須賀グリーンゴルフさんまで。

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三浦市役所の高低差。これもお城の名残ですよ!
ぶらぶら歩いて解き明かしましょう~笑


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下見行ってきました。三崎の町は行くたびに活気づいてる気がします。
マグロみくじなる物もできてました!

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左の釣り竿で釣るんです。


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釣れたー!!
きゃー!猫ちゃんが狙ってる-!
大吉でした。これでイベントの成功間違いなし(^^)


と、いうことで参加お待ちしてます!!

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2018年11月 9日 (金)

お城EXPO

今年も開催されます。
お城EXPO!!

2018年12月22日~12月24日までの3日間。
パシフィコ横浜にて。
時間は10:00~18:00(最終日17:00まで) ※最終入城30分前まで


各地域の色んな城ブースをまわって、城めぐり気分を味わうもよし、トークショーや講演を聴くのもよし、ひこにゃんと触れ合うのもよし。(ひこにゃん来るのかな?)

私の一番の楽しみは、明智光秀に関する新史料「明智秀満書状」!!
他にも、関東初公開の織田信長や豊臣秀吉らの制札や朱印状など、天下統一への道のりをうかがえる史料が展示されるんですって。楽しみですね。

詳しくは、こちらをポチっとどうぞ。http://www.shiroexpo.jp/
聖なる夜をお城EXPOで!(昼だけど)

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2018年10月31日 (水)

≪イベント告知≫「名越切通し&まんだら堂を抜けて、いざ!鎌倉へ!」

次回のイベントのお知らせです。

2018年11月23日(祝)・12月1日(土)
逗子駅から、名越切通しを抜けて鎌倉を目指すウォーキングイベントを開催しまーす。
両日とも全く同じ内容です。

名越切通しにある「まんだら堂」はいつもは閉鎖されてますが、ちょうど秋の公開期間!
ということで、今回は名越切通しに出陣します。

詳細は下のチラシをご覧ください。

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今回はそんなにアップダウンはないと思います。
今までの中でも楽チンなコースとなってます。(多分…)

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名越切通しのお猿畠の大切岸。


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こんな景色も見れるかも!?
雨降りませんように。



ではでは、参加連絡お待ちしてまーす。
ブログへの書き込み、Facebook、インスタ、ツイッター、メール…
どの方法でもいいので連絡ください。
どちらの日にちに参加かも書き込んでくださいね。

では、秋のウォーキング、楽しく歩きましょう!!

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2018年10月 4日 (木)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十三

9月28日は浦賀のクールクランカフェにて、「山城ガールむつみの寺子屋」でした。
13回目。なんと、3年目に突入なのです!!(隔月開催なので)
身近な歴史を知る楽しみをお伝えしたくて始めたこの寺子屋。おかげさまで、3年目を迎えることが出来ました。

回を追うごとに、参加者の方々も顔見知りになって、和気あいあいととても良い雰囲気。
いつも楽しくお話させていただいてます。

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次回のイベントに絡めて、鎌倉の話などを。
鎌倉は縄文時代あたりはかなりの範囲が海でした。
入江が深く入り込んでました。なので、その名残りから「やつ」と言われる谷地がたくさん存在します。
洗馬谷遺跡のお話をしました。住所でいうと鎌倉市関谷。栄光学園の近くです。玉縄城の近くです。
その遺跡は古墳時代のお墓と思われますが、壁には盾をもって船に乗っている武人のような絵が描いてあるのが発見されています。埋葬された人の功績をたたえて壁画が描かれたのではないかという事。近くまで海が来ていたことと関係ありそうな壁画ですね。

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城址のいろんな整備のお話なども。
写真は千葉県の本佐倉城です。上が整備前、下が整備後。
いろいろと考えさせられます…。

ここがすごいぞ、三浦一族コーナーでは、相模原の津久井と三浦の津久井氏の繋がりを。三浦義澄の館が引地川沿いにあったこと、義村の館が相模川沿いにあったこと、そんな面白い話もお話しました。

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大庭城の発掘現場の話や仙台に行ったときのミヤゲ話など、今回もいろんな時代、いろんな場所に飛びながらお話ししました。
伊達政宗が隠居後の屋敷にと建てた若林城の話は結構盛り上がりましたね。
今は宮城刑務所。ある意味、難攻不落のお城です。悪いことすれば、若林城の中に入れるかもしれませんけど(笑

若林城の跡地を買い上げた明治政府は宮城収監所として国事犯などを収監しました。陸奥宗光が収監された独房もあったそうな。
そういった経緯で今は刑務所に。周りをぐるりと堀の跡が残っています。
若林城にあった伊達政宗当時の山門は松音寺というお寺に移築されていて、今も見ることが出来ます。仙台に行ったときは、仙台城だけではなく、そんなとこにも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?


次回は11月30日(金)19時から、浦賀のクールクランカフェで。
お待ちしてます♡

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2018年9月28日 (金)

イベント中止&日にち変更のお知らせ

9月30日(日)に予定していたウォーキングイベントは、台風のため中止とさせていただきます。

振替日として10月8日(月)と21日(日)の2日間を設定させていただきます。
両日とも同じ内容になります。
ご都合つきましたら、ぜひご参加ください。

参加連絡お待ちしてます!!


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2018年9月 9日 (日)

《イベント告知》「高野切通しを抜けて、いざ!鎌倉!」

次のイベントのお知らせです。
前にすこしご案内した高野切通しからのウォーキングイベントです(^^)
こんな感じの気持ちのいい道です。途中、険しいところもありますけど…(^^:)
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日にち
2018年9月30日(日曜)

集合
10時・JR大船駅笠間口改札

参加費
1,000円(諸経費・保険料込み)

持ち物
お弁当・飲み物など


※17時ごろ、鎌倉駅にて解散予定です。
※15kmくらいのコースになってます。

コース概要
ちょっとマイナーな高野切通しを抜けて、尾根道を歩いて鎌倉へ進みます。鎌倉に抜けたら、宝治合戦で負けた三浦宗家と家臣たちが自害した法華堂など、三浦氏ゆかりの史跡に立ち寄りながら鎌倉駅に向かいます。

詳細はチラシをご覧ください!
参加連絡お待ちしてます。既に連絡を頂いてる方は、申込み不要でーす。
25人くらいで締め切らせていただきます。

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永福寺も池が復元されて、とても美しくなっていました。
当日が楽しみです。

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2018年9月 6日 (木)

【募集】カルチャースクール「出陣のススメ」

㈱カルチャーの横須賀店で、4月から12回連続講座として「出陣のススメ」をやらせていただいてましたが、10月からも継続させていただくことになりました。

今後は回数や期間などを決めず、参加者がいてくれる限り続けていきたいなと思ってます。
少人数で和気あいあいと楽しくやってます。
途中からの参加でも、問題なし!楽しく盛り上がれると思います(^^)

月に2回、第1水曜、第3水曜にスクールがあります。
(祝日などで月によって変わることもあります)

第1回目は座学!
教室で、次回の出陣に関するちょっとしたお勉強を。全く難しくありません!!
この予習により、現地でも楽しさが倍増します。

第3回目はお待ちかね!現地への出陣!
資料や地図を見ながら、現地で当時に思いを馳せます。
3時間ほどのウォ-キングです。


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先日の出陣の模様です。津久井城(横須賀市津久井浜)に行ってきました。
三浦一族の津久井氏の祈祷所だった東光寺ではオリジナルのクリアファイルをいただきました!!やったー!
こんな感じでとても楽しい会です。(現在は8名)

美しい景色や見たり、気持ちのいい風を感じながら、歴史のかけらを一緒に探してみませんか?

出陣する場所は三浦半島が中心です。たまに、横浜、東京まで足を伸ばす回もあります。座学は㈱カルチャー横須賀店。横須賀イオン5階です。

オトナの遠足、一緒に楽しみましょう♡
たくさんの楽しいコースを既に考えてあります。
あんなとこや、こんなとこ。うっふっふふ(^^)


くわしいことは下のURLをポチっとしてください。㈱カルチャーのページです。

http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/topicsview_96_19230.html

申込みは㈱カルチャー横須賀店まで。
お待ちしてます!!

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2018年8月 9日 (木)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十二

2018年7月27日(金)19時から浦賀のクールクランカフェにて、隔月定例の「山城ガールむつみの寺子屋」を開催しました。

雨の日も風の日も暑い日も寒い日も来てくださる方々に感謝です。おかげさまで、もう12回目!だんだん、参加者の皆さん同士も顔見知りになってきて、かなりアットホームなイイ感じの雰囲気で、私も楽しませていただいてます(^^)
もちろん、初参加の方も大歓迎です!どしどしお越しください。

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今回もビール飲みながら気軽に楽しめるお話しを。


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まず、最近話題の「赤色立体地図」から。
この地図は、高低差とか傾斜の表現に特化した地図で、もとは土砂崩れの起きやすい山を調べるため、防災用に開発されたもの。
飛行機から、地面にレーダーを当てて、跳ね返ってくる時間から凹凸などの正確な数値を割り出す仕組み。なんと、精度は10cm単位とのこと!!すごっ!
これによって、こんもりとした山の中に埋もれてる地形が赤裸々に分かってしまうのだ!すごっ!

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NHKの「サイエンスゼロ」で、この地図を使った山城探しをやってたので、その話を。
こんなふうに赤裸々に見えちゃうんです!


尼子と毛利が戦った郡山合戦のとき、援軍で駆けつけた大内の陣がこの地図により見つかったとのこと。
今まで、文献では
「毛利側が3000で籠城、それを囲むのは尼子3万の兵。大軍相手に毛利は3か月くらい籠城、劇的な大勝利を遂げた!」
なんて感じになってて。まぁ、大内の援軍が来たんだろうけど、実際の所、どうやって勝ったんだろう?と思ってました。
そしたら、この地図によって、大内1万の軍の陣が発見されたらしいです!!すごい!
大内軍は尼子の側面を突くように南側に陣を取ってたらしい。
この地図で、もっとワクワクするような事実が今後も見つかりそうで楽しみですね。


あとは、最近の新コーナー。「近世城郭の裏の顔」笑
お城に行って、天守閣だけ見て帰ってくるのではもったいないよ、ということで、裏の顔を紹介してます。



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例えば宇和島城。


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ここは現存天守なので、天守閣は有名ですが、まわりをじっくり歩くと、こんな感じの険しい山城の顔が浮かぶ上がってきます。まさに裏の顔!!


お次は岡崎城。岡崎城と言えば、家康!と言いたくなりますが、家康がいた頃はこんな天守閣も城下町もまだできてません。
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原型を築いたのは小田原合戦あとに秀吉の家臣の田中吉政が入ってから。そのあと、徳川の本多氏が入って、城郭が整えられていきました。



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そんな岡崎城の裏の顔。
こんなに深い空堀!

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このアングル、一番好き。
行ったらぜひ、空堀も堪能してくださいね!



あと、竪穴式住居の話も。色んな時代にどんどん飛びますね。



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竪穴式住居って、茅葺きだと当たり前に思い込んでたけど、根拠がないんですって。びっくり。最近では土屋根の竪穴式住居の復元が増えてるらしいですよ。茅葺きだと、茅に含まれるガラス質の物質が出てこなきゃおかしいんだけど、発掘現場からは出てきてないとのこと。ふーん、そうなんだ。

と、いうことで今回も色んな話をさせていただいて盛り上がりました。猫の話もしましたしね。

次回は9月28日(金)19時です。



そして、
次回のウォーキングイベントの告知!
まだ、コース詳細は未定ですが、日にち、集合場所、参加費等を決めましたので、とりあえず告知します。

日にち
9月30日(日)

集合場所
10時にJR大船駅笠間口改札

参加費
1,000円(資料代・保険・諸費用込み)



概要
ちょっとマイナーな高野切り通しを抜けて、鎌倉に向かう山並みをハイキング。
鎌倉に抜けたら、宝治合戦で滅びた三浦一族宗家ゆかりの史跡に立ち寄りたいと思います。法華堂とか。
お弁当持参。どこかでみんなで食べます。解散は鎌倉駅16時から17時くらいの予定です。
下見してコースを完璧に決めたら、また告知しますが興味ある方、予定空けといてください。

参加連絡はFacebookでも、インスタでもツイッターでもメールでも、なんでもOK!
よろしくお願いします。

メール
heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年7月13日 (金)

オトナの遠足「いざ!品川台場へ!」の巻

山城も草ボーボーのオフシーズンになってきました。
今回は、衝動的に恵比寿にあるヱビスビール工場の見学ツアーを予約してしまったので、オトナの遠足を企画して友人たちと出かけました。

9:00JR田町駅集合→レインボーブリッジを歩いて渡る→品川第三台場→潮風公園にて続100名城スタンプの押印→ゆりかもめで汐留駅→築地でランチ→佃島→メトロ月島駅から恵比寿にワープ→ヱビスビール工場見学&試飲♥→打ち上げ

という素敵なオトナのコースとなってます。
途中、史跡に立ち寄りながら街中を行軍しました。

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最初に見つけたのは、南極探検隊の石碑。
日本初の南極探検は明治43年、白瀬隊長以下27名によるものだったそうです。

芝浦港から出発して帰港したので、ここに石碑が建てられました。

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見渡すとペンギンさん!
本物かと思うくらい、よくできてました。

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これが南極探検隊の船!
…では、ない。

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これは砕氷艦しらせのスクリュープロペラです。
本物ですって。


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レインボーブリッジを見上げる。
遊歩道入口から入る。
遊歩道からの素晴らしい景色を写真に取り忘れるという大失態。

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レインボーブリッジのノースコースから、サウスコースに渡る途中の橋のお腹。


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橋の下からフジテレビが見える。

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やっとお目当ての第三台場が見えて大はしゃぎ!
レインボーブリッジから見る景色は格別!!

ペリーが来航した翌年の1853年に着工して、1年3ヶ月の間に6基が完成したとのこと。今は第三、第六台場しか残ってません。


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こちらは第六台場。立ち入りできません。

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レインボーブリッジを渡り終えて、第三台場に上陸。
広いですね。三度目ですが楽しいところ。景色もいいし、風も気持ちいいし、公園になってるのでのんびりできます。


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中央にある陣屋の跡。


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弾薬庫の跡。


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かまど跡。レプリカらしい。


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近づいてみるとこんな感じ。
この穴にお釜を置くのかしら?なんて思ったけど、ご飯の煮炊きようではなくて、発火する用の火種を燃やす竈とのこと。
ですよね~。


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大砲オブジェではしゃぐ大人たち。




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波止場から入った入口。
この辺に木戸が設けられてたらしい。


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第三台場から臨む第六台場。


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続100名城スタンプを押しに潮風公園に向かう途中で、水陸両用バスkABAを発見!
ちょうど海にザブンと行くところだった。結構楽しそう~。
それにしても、第三台場から、スタンプまで遠い!!!!
歩いて30分もかかりました。


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台場駅から、ゆりかもめに乗って、汐留に移動。築地に向かう途中にかわいい踏切を発見。


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築地へ続く電車の名残りらしい。


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ここが線路だった。
ここから美味しいお魚さんが各地に運ばれていったのかな。


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そして贅沢丼をどん!!
大トロとウニです♥
こんなに美味しいものは初めてです。4500円なり!奮発~。


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そして、別腹の鯛焼きならぬマグロ焼き。
皮がぱりぱりで美味しい~。



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場内行くと、吉野家第一号店。
へぇ、そうなんだ。


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そして、築地本願寺。
酒井抱一のお墓を発見!



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築地から、佃島渡船場跡に向かう途中に浅野内匠頭邸跡を発見。
浅野内匠頭が切腹したのは、田村右京太夫邸なので、ここではありませんね。田村右京太夫の上屋敷は、新橋にありました。新橋4丁目交差点の所に「浅野内匠頭終焉の地」という石碑があります。
ちなみにその近くには、新正堂という老舗の和菓子屋さんがあります。そこの名物は「切腹最中」です。ネーミングにびっくり。仕事でお詫びに行くサラリーマンに人気なんだとか。




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浅野内匠頭邸にある「芥川龍之介生誕の地」の案内板。
ここには耕牧舎という牧場があり、そこの経営者の息子として芥川龍之介は生まれたんですね。



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シーボルトの銅像。
ここが蘭学と関わりの強い場所とのことで、江戸における蘭学の発展に貢献したシーボルトの像が造られたとのこと。

このあたりには、「○○発祥の地」という案内板がたくさん。
「蘭学事始の地」…ここ明石町にあった中津藩奥平家の屋敷で、前野良沢たちが解体新書が完成させたから。

「慶應義塾大学発祥の地」…福沢諭吉が中津藩奥平家の屋敷で、慶應義塾の前身となる蘭学塾を開いたから。

「電信創業の地」…当地にあった運上所(今の東京税関)から横浜裁判所へ、日本初の公共電信が敷かれたから。

「指紋研究発祥の地」…イギリスの宣教師ヘンリー・フォールズが日本の拇印の習慣に注目して、指紋の研究を始めたから。

他にもいろいろ。明治学院大学、立教大学の発祥地でもあるようです。外国人居留地があったので、文明開花の中心地になったんでしょうね。


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今回のオトナの遠足の目的の一つでもあった塩瀬のお饅頭~!
日本三大饅頭とのこと。

・塩瀬総本家「志ほせまんじゅう」東京

・柏屋「薄皮まんじゅう」福島

・大手饅頭伊部屋「大手まんじゅう」岡山

だそうです。



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そして、橋を渡り佃島へ。
今は跡形もありませんが、ここにも砲台が設けられていました。当時の地図と照らし合わせるとなかなか面白いです。
佃島の砲台は品川台場の完成から10年後の1864年のこと。造られたのは、1863年の薩英戦争や下関砲撃事件がきっかけになったようです。



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佃島散策。
小さな路地がたくさん。この奥に地蔵尊があるようです。


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これが入口。
肝心のお地蔵さんを撮り忘れました…。
佃島はただ橋を渡ってきただけなのに、それだけなのに何だかトリップ気分を味わえました。小旅行したような感じ。住吉神社もあり、人足寄場跡なんかもあり、いい雰囲気でした。

佃島は摂津国の漁師さんたちが幕府の許可を得て、築いた漁村でした。
本能寺の変が起きたとき、家康が逃げる途中で困ったときに船を出して助けてくれたのが佃村(現大阪府西成区佃)の漁師だったといいます。その恩に感謝して、家康は江戸近海で特権的に漁ができるように取りはからったそう。そのときに埋め立てたのが今の佃島。住吉神社を分霊して、佃村の漁師たちは佃島に移り住んだそうです。



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そして、今回の最終目的地である恵比寿のヱビスビール工場へ。
試飲付の見学ツアーを予約してあったので、この楽しみを目標に炎天下の下、27kmほど、頑張って歩きました。
工場見学では終始、ヱビスビールの歴史のお話し。ホップがどうこうという話は一切なし。キリンとかサントリーに行くと、製造過程の話がほとんど。それだけに、ヱビスビールがいかに歴史があるかというのを感じました。

「ヱビスビールあります」
誰もが目にしたことのあるこのフレーズ。
キャッチコピーとして、秀逸。シンプルで小気味いい。
ヱビスビールが高級品として扱われ、主に贈答用のイメージが強く、庶民の日常のビールとして普及していなかった頃、それを逆手に他のビールと違う「ヱビスビールあります」と謳ったこのキャをッチコピー。
ヱビスビールを扱ってるお店は、料理にもこだわりを持ってるお店が多い傾向にあったので、店先に貼ったようです。このお店は料理もビールも美味しいよ、という意味を込めて。
そして、日常飲むビールとして「ヱビスビールあります(あなたのそばに)」と。
何十年経っても色あせないフレーズですね。

上の写真は恵比寿神社。
撮影者は、徳川慶喜公。
一日中、歩いて、美味しい物を食べて、飲んでと楽しいオトナの遠足でした。

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2018年7月 6日 (金)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十一

5月25日(金)19時から、横須賀市浦賀駅から徒歩2分のクールクランカフェにて、山城ガールむつみの寺子屋11回目を開催しました。

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間違えて写真を消してしまい、寺子屋画像はこれ一枚しかない…。
写真はパラグアイの前原城です。

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拡大するとこちら。
パラグアイにある三層四階の天守閣。城主”は広島県福山市出身の前原弘道さん。

前原さんは1958年、20歳の時に家族七人でパラグアイへ移住したそう。
今はパラグアイの養鶏王と呼ばれて、パラグアイ国内に流通する卵の七割を出荷する会社の社長とのこと。パラグアイの日本人会連合会の名誉会長もされてるそうです。

亡くなったお父さんが、望郷の念に駆られて、移住先のパラグアイに日本の城を建てるのが夢だったとのこと。その思いを引き継いでついに天守閣を完成させたのです。

千葉の館山城、愛媛の川之江城を参考にして設計したとのことで、1996年に着工。築城予定地に公園や道を造るところから始め、10年かけて完成。
熊本城、会津若松城などの復元を手掛けた職人を日本から呼んだり、何度も日本に来て打ち合わせしたり。瓦は750年の歴史と伝統をもつ、愛媛の菊間瓦を使用。伊予松山城や今治城とかに使われてる瓦だそうです。
日本から15000枚の瓦がコンテナで運ばれたとのこと。
天守閣はは日本人移民の資料館になっているようです。

パラグアイのお出かけの際はぜひ寄ってみてください(笑
総費用は1億円とのことです。

 

 

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続きまして、これはどこでしょうか?鳥居と国旗が見えますね~。

これは所変わって、ブラジルです。
ブラジルのアサイ市に2018年5月1日に完成した天守閣風の建物。
「旭城」と名づけられたこの建物は、4階建てで石垣も含めた高さは約25メートルという立派なもの。
ここアサイ市は日本人4大移住地の一つ。今でもたくさんの日系人が住むこの町に、市が移民100周年行事として計画し、日本円で約9000万円をかけ、完成しました。
非日系市長は大変な親日家で、日本人の功績を形として残すとともに、アサイ市のシンボルとして観光のためになればと話してました。
天守閣内には日本移民史料館などがあり、日本移民の歴史を発信する役割も担っているそうです。

アサイ市は1932年、ブラジル拓殖組合によって開拓され「旭移住地」と名づけられた。しかし、ブラジルが日本と国交を断絶した1942年以降、公の場での日本語使用が禁止になりました。地名としての日本語も許されず、「Asahi」を止め、微妙に変えてポ語に見えなくもない「アサイ(Assai)」に変更したのだそう。つまり今回の城の命名で、戦後73年にしてようやく本来の「アサヒ」に戻した形になるのです。

 

と、こんなちょっと面白い海外の天守閣のお話をしました。


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他にもいろいろと他愛のない話をしましたが、もう一つだけご紹介。
「ここがすごいぞ、三浦一族コーナー」の中から。

三浦一族は中世の早い段階から、そして江戸時代になっても伝承伝説で語り継がれていました。江戸時代には、色んな大名家が自分の家系を三浦氏に繋げるなど、英雄扱いされ、名族だと認識されていました。
いつもこんな話をしてますが、今回は九尾の妖狐のお話を。
南北朝時代の文献にすでに書かれて、伝説化されていたお話。

 

時は鳥羽院の世。
平安時代末期、1140年から1150年頃のお話です。
鳥羽院があるとき病に倒れました。陰陽師に占わせると、院の寵愛している玉藻の前という絶世の美女が、なんと九尾の狐の化身だったのです。
九尾の狐とは、古来、中国などで国を滅ぼすと言われている妖狐です。

これは大変!と、祈祷を行うと玉藻の前は正体を現し、九本の尾を揺らしながら天高く逃げていきました。

この妖狐を退治すべく命を受けたのが、我らが三浦大介義明と上総介広常でした。
逃げた先は下野国那須野。那須野へ駆けつけた義明は矢を放ち、見事、九尾の狐を退治しました。
那須野には今でも殺生石と呼ばれる石があり、ゴーゴーと有毒ガスを吐き出しています。それこそが、矢の刺さった九尾の狐が落ちたとされる場所であり、妖狐の怨念が今でも残っているのです。長きにわたり、近づく人を殺したと言われています。


今は観光地となってる那須野の殺生石。那須塩原温泉でも人気の観光地です。ここが塩原温泉の湯本。と、いうことは那須温泉をつくったのは三浦義明?!
なんとも面白い伝説ですね。

ちなみにこの話には、たくさんのパターンが生まれていますが、三浦一族、義明という存在が武家社会の中で伝説となるほどに高い地位を確立してた、そしていかに英雄的存在だったかということが分かって興味深いですね。


次回もこんな感じに色んな話をしていきたいと思います。

7月25日(金)19時
浦賀 クールクランカフェにて

よろしくお願いしまーす。

 

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2018年6月20日 (水)

【イベント告知】いざ!石垣山城へ!

もうすぐ夏休みに突入ですね!
(まだ梅雨真っただ中なので少し気が早いけど…)

と、いうことでウォーキングイベントやりましょう!
元気に歩いて、猛暑を迎え撃ちましょう~!!


今回は小田原へ。石垣山城に行きたいと思います。
多少の坂道がありますが、気持ちのいい汗をたくさん流しましょう!
熱中症には気をつけましょうね。

小田原の北条氏を攻めるために、豊臣秀吉が築いた石垣山城!別名「一夜城」。続100名城にも選ばれた、素晴らしいお城です。



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石垣山城では、たくさん休憩時間を取りますので、お弁当を食べたり、じっくりお城を見学したり、目の前にある「一夜城ヨロイヅカファーム」で買い物したり、スイーツを楽しんだりできます。

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天気が良ければこんな絶景が楽しめます。
帰り道に石切り場にも立ち寄る楽しいコースになってます。

参加者募集中です。
楽しい大人の遠足、一緒にいかがですか?
もちろん、お子様も大歓迎ですよ。


参加希望の方、連絡お待ちしてます。
コメント、もしくはメール等で連絡ください(^^)

heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年6月11日 (月)

【またまた募集】出陣のススメ!グリーンゴルフ主催

6月10日に雨の中、横須賀グリーンゴルフにて「出陣のススメ」第5弾を開催しました。結構な土砂降りでしたが、なんとかゴールのしょうぶ園まで到着しました。

みなさん、雨をもろともせず、最期まで楽しく歩いてくださりました!(^^)
ありがとうございました。

今回は予備日を設けていたので、中止にしようかと思ったんですが、
「予備日はどうしても都合がつかないのでコース変更してでもやってほしい!」
と、いう熱い言葉をいただきましたので、強行開催させていただきました。
そんな経緯もあり、都合がつくかたは17日に振り替えていただくことに。
と、いうことで2週連続開催することになりました(^_^*)

6月17日(日曜日)
再度同じ内容のイベントを開催します!
もし、ポッカリとお時間空いてる方!是非ご参加ください(^_^*)
ゴールのしょうぶ園では、しょうぶと紫陽花が見事ですよ。

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2018年5月17日 (木)

≪告知≫「出陣のススメ!第5弾!」横須賀グリーンゴルフ主催

次回のイベントのお知らせです。
横須賀グリーンゴルフ主催の「山城ガールむつみの出陣のススメ!第5弾!」です。

流れとしては、座学⇒ランチ⇒出陣というかんじです。

今回は佐原城、衣笠城、平作城に行きます。
途中、満昌寺さんに立ち寄り、宝物館を拝観させていただきます。
ゴールは、しょうぶ園。
しょうぶやアジサイなど、綺麗な頃です。

参加費は4000円。
資料代、保険、満昌寺宝物館拝観料、しょうぶ園入園料すべて込みです。


お城としての遺構は、ほぼ残ってませんが、三浦一族の本拠地を回って、一緒に壮大な歴史の旅をしましょう~。


座学では、お城の全般的な話、山城の楽しみ方、三浦一族のお話など…。出陣して現地で楽しめるお話をしたいと思います。


申込みは横須賀グリーンゴルフさんまでお願いします。
初参加、おひとりでの参加、大歓迎です!
和気あいあいと楽しく歩きましょう!!


くわしいことは、下のチラシをご覧ください。
クリックすると拡大できますので。

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2018年5月 5日 (土)

「寺子屋スペシャル第二弾!多々良城を探せ!」の巻 

寺子屋スペシャル第2弾!!「多々良城を探せ!」を横須賀市浦賀のクールクランカフェにて開催しました。
前日から、春の大嵐!!
どんな天気でもやります!と、参加者の皆さんに無謀なメールをしました。そしたらなんと、欠席者なく、全員来てくれました~!嵐の中、ありがとうございます。みんなの想いが通じ、寺子屋が始まると青空が!昼過ぎには、カンカン照り~!!晴れ女も我ながらビックリするほどの晴天になりました。

今回の主役の多々良氏は三浦一族です。本拠地にしてたのが横須賀市鴨居の辺りというのは分かってますが、多々良氏館がどこにあったかが分かっていません。それを文献、伝承の手がかりや、地形などを見ながら推理していこうというのが今回の企画!

答えは出ないというか、正解はないので、それぞれが考えて楽しんでもらえばいいと思います。では、寺子屋スペシャルスタートです!!


まず、最初に「多々良」という言葉。
「タタラ」は、日本古来の製鉄法をさしたりしますが、元来、踏み鞴(ふいご)を指します。鞴は風を送る道具で、それを踏んでやるのが踏み鞴。 

最初は踏み鞴のことをタタラと言いましたが、だんだん製鉄自体、さらには鉄を製鉄する炉のこともタタラと言うようになりました。なので、蹈鞴、踏鞴、鑪、鈩…これら、ぜんぶタタラと読みます。

 

 

余談だけど、日本書紀には神武天皇の后で、媛蹈鞴五十鈴姫命という方がいます。この姫は出雲出身の姫。出雲と言えば、鉄の産地。こういうのも面白いですね。

 

「たたら」という言葉は渡来語です。朝鮮半島から製鉄の技術が入ってきて、言葉も入ってきたようです。

 

もとの由来は、ダッタン語の「タタトル」燃えさかる火、猛火って意味だとか、サンスクリット語で「タータラ」、熱という意味だったりとか言われてます。 

いずれにせよ、外来語で火とか熱とかを意味する言葉って感じですかね。

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寺子屋ではそんな話から、山城のお話を。平安末期から鎌倉時代にかけての館や城の話など。イメージ湧かないと探せませんからね。南北朝時代に城が爆発的に増える前の、館や城のイメージ、豪族の開発領主としての姿などもお話ししました。

横須賀市鴨居の多々良という地は、果たして製鉄と関係があるのか?
と、いうことで製鉄と関係ありそうな文書を簡単に内容紹介します。

真継家という公家の家に残る小田原北条氏からの手紙です。
この真継家は全国の鋳物師を管理支配する家だったようです。
内容は、伊豆韮山の斉藤三郎次郎っていう商人がそっちに商売に行くから、三浦郡鴨居の小松なにがしと、三浦郡津久井の須藤なにがしよろしく言っといて。っていうもの

北条氏が全国の鋳物師を管理支配する真継家に頼んでるんだから、鴨居の小松さんも、津久井の須藤さんも鋳物師と推測されます。斎藤三郎なんちゃらさんは、きっと、鋳物製品の商人で、その人が三浦に商売に行くから現地の鋳物師によろしく伝えてねっていう手紙と思われますね。ということは、鴨居に鋳物師がいたということになります。鋳物を作ってたんでしょうか。やはり、鴨居多々良は、鍛冶とか製鉄とかやってた場所なんでしょうか?

さらに1589年、小田原が秀吉に攻められる前年に、北条氏は20挺の大筒を相模国内の14人の鋳物師に大至急作れと命じたんですが、その中に、やっぱり三浦鴨居の小松なにがしという名前が出てきます。三浦半島を代表する鋳物師だったようです。多々良、鴨居に製鉄の施設があって、職人がいたんでしょうか。

 

  

ちなみに、同じ小田原攻めの時に逗子の沼間村(沼浜村)に出したお触書みたいなので、「町人、商人、細工人に至るまで、弓槍あるいは鉄砲などを用意し、命令によって戦うように」という文書。現に近くの神武寺が戦火で焼けてるから、あのあたりは合戦があったようです。

戦国時代に商人、職人に至るまで弓槍鉄砲を持って戦えっていっても、普通の商人や職人は鉄砲なんて持ってないので、やっぱり、逗子にも戦国時代にそういう鋳物職人がいたのかななんて思いました。

 

この逗子の沼間というのも、やっぱり鎌倉時代から鍛冶職人がいた土地。三浦氏の時代も、逗子の沼間に、刀や鎧をつくる鍛冶職人がいたようです。三浦義明の太刀をつくったのは沼間の鍛冶職人と言われてます。さらに当時、ここには頼朝のお父さん、義朝の館があったんですが、義朝の息子の義平の刀もここの職人が造ったと言われています。

 

 

まとめると、鍛冶とか鋳物とか特殊な職人がいる場所って、そんなに変わらないんじゃないかと。逗子沼間、横須賀鴨居もそういう職人たちが平安末期もしくはもっと前からいたのかも。これが鴨居の多々良と製鉄を連想させる材料。これくらいしかないけど、面白いですね。

 

ということで、横須賀のタタラという地名の由来は、やっぱり製鉄、鍛冶とかに関係がありそうだという私の推測です。

 

 

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そりゃそうでしょ、と思う所なんですが、私が気になったのは、千葉にあるタタラという地名。中世は、多々良荘なんて荘園もあって。今も富浦に多々良という地名が残ってます。横須賀の多々良から目と鼻の先。海を挟んで目の前です。多々良氏、三浦一族と関係してる思われます。長狭城で討ち死にした杉本義宗は、和田義盛のお父さんに当たりますが、この人は、今の金谷とか鋸山とかのあたりを領地にしてて、その中に多々良荘がある。なので、三浦一族の多々良氏と、房総の多々良は関係があるはずだと思ったわけです。

そうなると、どっちの多々良が名字の由来になったのかなーと思って。

 

例えば、朝比奈。横須賀横浜道路のインターの名前にも、切り通しの名前にもなってますが、和田義盛の息子の朝比奈義秀は千葉の館山の方の朝夷奈郡を領地としたから朝比奈を名乗りました。なので、朝比奈もとは千葉の地名なんです。さらに言うと、朝夷奈郡和田という地名で、和田っていう三浦一族縁の名前も向こうに残ってます。千葉には他に三浦氏がらみの地名がいくつも残ってます。

 

 

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さてさて、美味しいランチを食べたら、ミステリーツアーに出発です。
バッチも新色です。10個集めたら、スペシャルバッチをプレゼントしますので、頑張って集めてください。

多々良氏は現時点で全国で3000人くらいいるとのこと。へぇ。多いのか少ないのか、よく分からないけど…。

この多々良氏は、三浦一族の中で、鎌倉幕府の中でどんな存在だったんでしょうか。多々良氏の祖、多々良義春の「義」という字に注目。三浦氏は「義」という字を後三年の役で源義家から恩賞として授かりました。三浦義継から、宗家の通字となりました。
多々良義春は宗家ではありませんが、「義」の字をもらってるので、三浦氏の中でもが重んじられていたのでしょうか。

 

ちなみに、宗家の三浦義村を境に「義」の字がが付かなくなります。義村のあとは泰村に変わる。「泰」この字は、要はこれは執権北条泰時からもらった字。これによって、政治権力が源氏から執権北条に変わったことを暗示してますね。面白いですね。

あんまり多々良氏の記録は残ってないんだけど、平家物語によると、一の谷の合戦の佐原義連の鵯越の逆落としの場面に、多々良義春と多々良光義の名前が登場したり、年の頼朝の初上洛のときに、多々良明宗がお供として登場したりします。多々良氏は頼朝の信頼も厚かったようです。この明宗は優秀だったようで、和田義盛の子ども(胤長)と笠懸の射手を務めたりと、三浦氏という武芸の家に恥じない活躍を多々良氏もしてた。

 

 

他には多々良重春は小坪合戦で討ち死したとのこと。石橋山の合戦に間に合わず、衣笠城に引き返す途中で起きた小坪合戦で、重春と重春の郎党、石井三郎が討ち死を遂げました。重春のお墓は鎌倉材木座の来迎寺にあります。

 

 

ではでは、そろそろ謎を解く手掛かりを。
まず、多々良、鴨居のあたりは走水が近いので街道に近い重要な地というのもポイント。走水はヤマトタケルが房総半島に渡ったとされる場所。古東海道は走水から上総に続いてましたので、海上交通のルートに近かった多々良、鴨居の地は当時重要だったと思われますね。


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いくつかの手がかりマップ。あやしいエリアマップです。

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まずは西徳寺。
寺伝によると1560年に開かれたお寺。4つにお寺が合併して、西徳寺になったようです。そのせいか、それ以前にこの山が何だったのか全く分からず。
山頂には幕末に海防のために移住してきた会津藩士のお墓があり、裏山には弥生時代から古墳時代にかけての上ノ台遺跡があります。140棟の竪穴式住居が出ています。
さらに上ノ台遺跡裏側の能満寺の本尊は1399年の虚空蔵菩薩ということなので、鎌倉時代末期それ以前にも、このあたりには寺院などがあり、人も多く生活していたエリアだと思われます。

私の中でもかなりの有力候補地です。会津藩士の墓のある平場に上に、明らかに削平された平場があり、腰曲輪のような人工的な平場スペースもあるんです!!怪しい~。


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ここが会津藩士の墓の上の本曲輪っぽいところ。



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推定本曲輪から見下ろすと、とっても見にくいけど腰曲輪!結構広いんです。


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西徳寺には和田氏ゆかりの史跡があります。和田地蔵や和田義盛の剃刀塚など。
義盛の弟が現在の新潟県胎内市の奥山荘という荘園の地頭でした。その奥山荘の三浦和田家の家臣に多々良氏の名前が残っています。
多々良氏は和田氏とともに奥山荘に移ったようです。このことからも、和田氏と多々良氏は一族の中でも繋がりが強かったことが分かりますので、多々良エリアに和田氏の史跡があるのも納得です。


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西徳寺の前には和田川。和田義盛がこの川に、先ほどの地蔵を流して戦いの吉凶を占ったと伝わっています。お寺の話では、お地蔵さまはそこまで古いものじゃないということですが…。

和田氏には名字の地とされる由来地が数か所あります。横浜の相鉄線の和田町の駅のあたりや、横浜市金沢区の六浦2丁目にも和田という場所があります。でもきっと由来となったのは、三浦市の和田だと思います。館跡などもありますし。
横浜市金沢区と言って思い出すのは、朝比奈切通し。和田義盛と朝比奈義秀は親子。さらに朝比奈切り通しを抜けると、鎌倉の杉本寺。あそこは和田義盛のお父さんの杉本義宗がいたとされる杉本城です。
と、なると…。
六浦の港からの鎌倉へのルートを和田一門が押さえてた!と、言えるのではないでしょうか。六浦の大道小学校のあたり和田の里というらしいですし。

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話は逸れましたが、これまた、あやしいスポットです。
西徳寺前にある真言宗醍醐派不動院。
なぜ怪しいかというと、「浦賀誌録」によると、「鳥が崎から浦賀へかけて大室という漁家の2.3軒ほどのところに不動堂があり、本尊は多々良の守護仏と伝え、背後の城山は多々良氏の柵(城)であった」とのこと!!
大室というのは西徳寺から、もっと浦賀城寄りです。そのあたりに不動堂があったとのことですが、見つからない。その不動堂の背後が多々良の柵とのことですが、その辺は小山がいくつかあるので、不動堂の場所が特定できないのでどっちが背後なのかわからない(泣


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で、とりあえず、私は近くのお不動様を探してみました。
すると、この不動院があったというわけです。
おばあちゃんが一人で住んでる不動院。話を聞いてみましたが、京都の醍醐寺にゆかりがあるお寺ということしかわかりませんでした。
中を見せていただくと、立派な玉眼の不動明王!!なんとも古そうにみえますが残念ながらよく分からない。また調べてみようと思います。

そんなこともあり、この西徳寺エリアも多々良氏館と城の候補の一つです。

このエリアには、頼朝の命で多々良義春が勧請した鴨居八幡神社などもあり、多々良氏の公式の施設があったんじゃないかなーなどとも思います。



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次に進み、通り道にある若松屋です。
護岸の石垣が当時の姿を彷彿とさせてくれます。会津藩の陣屋を世話してた豪農の高橋家は会津藩との縁から屋号を若松屋としました。その後、今の横須賀中央のあたりを買って埋め立て、若松町と名付けたんですね。



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腰越地区。このあたりには会津藩の陣屋や藩校がありました。
この案内板には、亀崎の山の麓に位置するからと書いてありますが、これまた怪しい~。城の腰じゃないの?この腰越はまたあとででてきますので覚えといてくださーい。

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腰越エリアにある会津藩士のお墓。鴨居と三崎に陣屋を建てたので、三崎と鴨居には会津藩のお墓がたくさんあります。
陣屋を建てるときに、このあたりから五輪や刀などが出てきたそうで、多々良氏の墓所ではないかとのことです。ちなみに、この辺の谷は「三昧堂(さめど)」と呼ばれ、念仏三昧や法華経三昧などから連想される名前のようで、墓所というのが確かにしっくりきます。


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ちょっと休憩してから、次は多々良という名の残る多々良浜から観音崎公園に向かいます。

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至る所に、切通し。陸軍が山全体を要塞化したので、名残りがたくさんあります。 横須賀出身でいながら、観音崎をじっくりしっかり見たの初めてかも。子どもの時は遊びに来たけど、ただの公園だとしか思ってなかったし。城塞、要塞という目では見てないので、下見の時に一人で回って、とっても面白かった。明治26年には15の砲台があったそう。関東大震災でほとんど崩壊しちゃたらしいけど。

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眼鏡橋から見下ろす切通し。陸軍が資材運搬用に切り通したってことなんだけど、尾根を切って遮断してるように見える。

一番細い尾根を切ってて、まさに堀切の役目をしてるように見えます。

 

 

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下から見るとこんな風に、堀切に木橋がかかってるように見える。ちょっと木が邪魔なんだけど。こんなところがあったとは知らなかった―!!

 

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砲台跡。この麓は三軒谷というエリア。「三浦古尋録」によると、三軒谷に多々良館跡ありと記述があります。そして、同村に石井塚というものがあり、小坪合戦で討ち死にした多々良氏の郎党、石井五郎の墓としています。
このあたりも候補地ですが、住宅街になっていてまったく面影がありません。


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砲台跡の地下にある観測室。

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砲台跡にある見張所にいく切通しの道。
だんだんと明治の軍施設めぐりみたいになってきた!

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観音崎公園の残る山道。大体が舗装されてるので珍しい。ところどころ、尾根を人工的に補足してるように見える箇所もある。




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またまた砲台跡。ラピュタみたい。

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まるで、タイムスリップしそうな切通しを抜て、観音崎公園から海辺へ向かう。


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観音崎には名前の由来になった観音寺がありました。奈良時代に行基の彫った十一面観音が御本尊でした。1880年に陸軍が山を要塞にするまではここにこんな立派なお寺がありました。お茶屋や料亭などもあったようです。


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行基が観音様を彫って納めたとされる洞窟。

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またワープしてしまいそうなトンネルを抜けて、多々良浜に戻る。

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そして、これ!下見をしてたら、私の中でかなり怪しく浮かび上がってきました!!ここは小さな岬、亀崎です。さっき、腰越がお城の腰なんじゃないの?と言った腰越がこの写真の左手に当たります。ね?怪しいでしょ?
このお城に見える山容!そして、腰越という地名。さらにさらに…

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この亀崎には観音寺があったんです。さっきの観音崎にあった観音寺は、軍にどけられて、ここの移設されました。1986年に火事で全焼、十一面観音も焼失…
いまは、こんなにこじんまりとしてしまってます。
ここに観音寺が移されたということは、もともと何かがあった?城跡かしら?なーんて考えてみたわけです。

多々良氏がいつまで、この本拠にいたのかはわかりませんが、他の土地で多々良氏は戦国時代もずっと続いていきます。前述の新潟県胎内市、奥山荘で三浦和田氏は戦国時代をも生き抜き、多々良氏もまたその家臣として、戦国時代を生き、血脈は続いていきました。

 

多々良氏の血脈は紀伊半島にも。
南北朝時代に南朝についた「紀伊の官軍多々良3家」と呼ばれた野上氏、ニエカワ氏、江川氏。この3家も多々良重範から続く多々良氏の家系です。


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今回のミステリーツアーもここが最終地点。
自分なりの多々良城は探せたでしょうか?
とりあえず、多数決を取ってみました。笑
和気あいあいと今回も楽しい旅になりました。
謎解き目線になると、またいつもと違う光景が浮かび上がってきますね。


また機会があったら、謎解きのツアーを考えたいと思います。
次回の寺子屋は5月25日(金)19時からです。

 

 

 

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2018年4月23日 (月)

≪告知≫「いざ!小机城へ!」参加者募集中

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次回のイベントのお知らせです。
2018年5月13日(日)に横浜線沿線の山城めぐりをします。詳細は上のプリントをご覧ください。クリックすると大きくなります。

10時に中山駅を出発して、新横浜駅を目指して歩きます。
参加費は1000円です。
大体、12キロちょっと、というところでしょうか。
お弁当持参でお願いしまーす。

山城が初めての方でも、楽しく歩けると思います。
小机城は私の大好きなお城!
ここを見れば、山城が一目瞭然!!おすすめのコースです。初めての方、ぜひご参加ください。


参加申し込みはブログへの書き込み、メール、Facebook、インスタ…
なんでもいいので連絡ください。楽しく歩きましょう~♡

メール
heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年4月 8日 (日)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十

寺子屋其の十!
記念すべき第10回を3月23日(金)にやらせていただきました。
今回も満員御礼!どうもありがとうございます。

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先月行ってきた鹿児島旅行の土産話(土産はない(笑))などから。
薩摩藩主の別邸の仙厳園がいかに美しかったかとか、大河ドラマの西郷どんのロケとかに絡めながら、ツラツラとお話し。
鹿児島城の大手門が平成32年に向けて、復元されるとのこと。7億ですって!ちなみに、逗子市は7億の赤字ですって。


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この写真は鹿児島城の大手門の石垣。西南戦争で大砲や鉄砲を撃ち込まれた痕です。左上から右下にかけて、痕跡がびっしりとついてます。
他にも土産話をいくつかさせてもらいました。



他には、時代区分を見直しましょうなんて提言した学者さんがいて、そんな話がニュースになってたんですよなんて話とか。
この時代区分見直しの提案は、今までの
「縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸」
では、場所なのか、文化の名前なのかよくわからなくて統一されてないから見直そうという話が出たらしい。


じゃ、何にしようというのかというと、
「古墳・大和・山城・北条・足利・織豊・徳川」
にしましょうというもの。うーん…。どうでもよくない?いまさら…という感じ。
ヨーロッパとか中国に倣って、王権の名前にしようということらしいけど、それってどうなの?そんなこと言ったら、日本なんて、王権ずっと変わってないじゃん。
そもそも、「北条」って。源氏はどこに行ったの??
「山城」って、結局王権の名前じゃなくて、場所じゃん。「織豊」に至っては、織田と豊臣混ざっちゃってるし。
こういう感覚で歴史を教えようとするから、歴史苦手な子が育つんだよ~と、自分が歴史嫌いだったので歴史嫌いな人の気持ち、よくわかりますので。

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今回は戦国大名のお城の庭園の話なんかもしました。戦うという側面だけじゃなくて、ハレとケの場所がつくられるような公式な役割や庭園という、軍事と違うお城の顔。とくに津久井城で発掘された庭園と小田原城の御用米曲輪の話などを。

津久井城は小田原北条氏の家臣の内藤氏が城主。そこに庭園があったというのは驚き。庭園の池に水を引き込む導水路遺構が発掘されたんです。家臣クラスでも北条氏の城には庭園があったんだ!!とビックリ。今後の研究が楽しみですね。


あとは先日行ってきたシラス台地のお城のお話し。志布志城とか知覧城とか。これは、近々ブログで書きます!必ずや!(最近全然、ブログ更新してない…)

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鹿児島城にある博物館「黎明館」の志布志城の模型!!凄すぎて、どひゃーですね!


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志布志城の土塁の高さったら!
わたしがコビトに見える~!!


今回の三浦半島のお城紹介は「津久井城」。これは相模原の津久井城ではなく、横須賀市津久井浜のほうにある津久井城。三浦義明の弟の義行が「津久井氏」を名乗ったのが始まりです。その次男の高行が横須賀の津久井を継ぎました。その長男の為行が相模原の津久井に行ったんですね。なので、相模原の津久井は元は三浦の津久井ということになるんです~。すごいぞ、三浦一族!!しかも面白いのが、この為行は「矢部為行」と書かれてる文献もあるということ。
「矢部」といえば、横須賀の「大矢部、小矢部」。三浦一族の本拠地です。もしかしたら、相模原の矢部、横浜線の駅でもある「矢部」というのも三浦から持ってった名前かも!!なんて、考えると面白いですね。すごいぞ、三浦一族!!

ちなみに、北鎌倉の円覚寺の寺伝によると、1332年に北条高時が円覚寺に法堂を新設するときの材木を奥三保から調達したとのこと。奥三保とは、まさに相模原の津久井のあたり。鎌倉幕府と関係が強い土地ということになり、鎌倉の有力御家人の三浦氏が関係してても何ら不思議はないですね~。
こういうことを考えるのが歴史を楽しむ醍醐味ですね。

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あとは三浦氏の海外貿易の話とか、福岡県の宗像を三浦氏が抑えてた時の話とか、そんな話をしつつ、今回の本の紹介コーナーは「猫の日本史」。
日本最初の猫ブログともいうべく猫日記を書いたのは、宇多天皇なんですよとか、千姫と猫の少し切ないお話をしたりと、今回もいろんな話をさせてもらいました。

では、次回は5月25日(金)19時から!!よろしくおねがいします!

追伸
4月15日(日)の寺子屋スペシャル「多々良城を探せ」は定員オーバーしましたので、募集を締め切りまーす。晴れますように。

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2018年3月15日 (木)

≪告知!≫寺子屋スペシャル!第二弾!!

寺子屋スペシャル第二弾!決まりましたー!

題して
「多々良城を探せ!!」
日にち       2018年4月15日(日)
受付開始     10:30
寺子屋開始    11:00
ランチ       12:15頃
出陣        13:00頃

参加費      2,000円(小学生まで1,000円)

※おいしいランチが付きます♡
ランチの内容は2種類から、当日選んでいただきまーす。


内容
三浦一族の多々良氏の地と伝わる鴨居周辺を歩きます。多々良氏ゆかりの鴨居八幡神社や多々良浜、観音崎あたりをみんなで楽しくウォーキング!!

多々良氏の城(館)がどこにあったか、正確な場所は分かっていません。
地形や史跡を見ながら、自分なりの推理をしてみませんか?

今回はお城の遺構のようなものは期待できませんが、風光明媚な景色を楽しみながら一緒に歩いてみませんか?何も残ってなくとも、多々良氏がいた多々良の地、思いを馳せて歩くだけで楽しいかもしれませんね。


寺子屋スペシャルは完全予約制になってますので、このブログへのコメント、メール、電話、Facebook、インスタなど何でもいいので、ご連絡ください。



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会場となるクールクランカフェさん
とても素敵な外観です!


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ランチ一例です。ドリンクもつきますよ!!


参加連絡お待ちしてまーす!
先着20名様です。


メールアドレス
heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年2月20日 (火)

≪告知≫カルチャー教室講座やります

新しい活動のお知らせでーす。
4月から、横須賀カルチャースクールで講座をやらせていただきます。

横須賀カルチャーさんのHPはこちら。
http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/index.html


第一、第三水曜の午前中です。
第一週は座学、第三週はフィールドワークで山城に行きます!!
くわしい内容はこちらを!!
http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/topicsview_96_16174.html


連続講座ということでいつもとはまた違う雰囲気になりそうで楽しみです。
寺子屋や他のイベントとも内容が重複することもあるかもしれませんが、きっと楽しんでいただけると思います。
寺子屋などよりも少人数で、いろんなお話が出来そう。

興味ある方は横須賀カルチャーに問い合わせてみてください~。
是非一緒に楽しい時間を過ごしましょう!



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2018年2月 5日 (月)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の九

1月26日(金)は、新年最初の寺子屋でした。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


電車で浦賀に向かいながら、去年の最初の寺子屋で何を話したかなーなんて考えてました。確か、おみくじの話をしました。私は大吉が出るまで、おみくじを引き続けます。と、言ってもその場で引くわけじゃなく、いろいろとお出かけついでに、ここぞという神社で引きます。そんな話をしながら、明智光秀のおみくじの話をしました。

本能寺の変の前に愛宕山で光秀はくじを引きました。一度じゃなくて二度三度引いたと言われてます。今までは、凶だったから引き直したとか、願い事がたくさんあったなんて言われてましたが、認知症説ってのが最近はありますよなんて雑談をしました。
岩井三四二さんの「光秀耀変」というほんを紹介しました。あれから、1年。…まだ1年って感じがします。おかげさまで去年は充実してたんでしょうね。
どうでもいい話なんですが、年末に手帳にやることリストを書きました。そこに「年賀状」と書き込みました。早く出さないと、元旦に届かないので、忘れないようにと思って書き込みました。あとになって見てみたら、なんと、「年賀城」!!「状」が「城」になってるー!頭の中、お城でいっぱいの一年だったようです。

ちなみに、去年は20か所くらいでおみくじを引いたけど、結局一度も大吉が出ず。中吉どまりでした。今年は1月2日に八幡宮で引いたら大凶!!ガーン!大吉カモン!


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ということで、今回もお城なんだか歴史なんだかという感じでお話を。
最近は小学生の女の子がメモを取りながら熱心に聞きに来てくれます。その子がなんと城好きの友達を連れてきてくれました。かわいらしい女の子がいると、場が華やぎますね。嬉しいです。


始まったばかりの大河ドラマ「西郷どん」。一話目に牛久城が出てきました。私は牛久城大好きなので見逃しませんよ(笑)
鹿児島の城山にいた西郷少年たち、追いかけられて山の中へ。その駆け回ってるのが牛久城でした。私の大好きな牛久城の土橋!映ってました!
渡辺謙さん演じる島津斉彬公と西郷少年が出会ったのも牛久城の平場でした。そんなタイムリーなネタ話をして、ちょっと盛り上がってみたり。

あとは、この前行ってきた福岡県の大野城の話。水城や基肄城などで、大宰府を守ってます。まさに城郭都市。律令制におけるお城のイメージ。壁です。大野城自体には堀はなく、土塁を積んで囲んでます。水の手などは補強として、石を積んでます。「城」という概念の変化なども簡単にお話ししました。「キ・ジョウ」と読んでたのが「シロ」になったとされる説など、ちょっと真面目にお話。

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あとは、志賀島の金印のニセモノ説や、横須賀市鴨居にある多々良氏の館のお話なども。多々良氏は三浦一族の中で少し影が薄いかもしれませんが、すごい活躍してるんですよーなんてお話。義経や義連たちと一の谷の合戦にも出陣してます。



と、いうことで次回の寺子屋スペシャルの日程が決まりました。
4月15日(日)です。また詳細は後日。コースは浦賀のクールクランさんを出発して、鴨居方面に行きます。
題して、「多々良城を探せ!」(笑)
ちょっと大げさですが、多々良城というか館は、あった場所が分かってません。このへんだろうなー的な感じ。なので、答えは出ませんが、候補地を巡り、考えながら歩こうかなーと。とりあえず、細かく計画してみます!!カミングスーン!!!

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2018年1月24日 (水)

「歴史ウォーキング!怒田城」横須賀グリーンゴルフ主催

1月21日(日)は横須賀グリーンゴルフさん主催の歴史ウォーキングイベントでした。今回が第4回目です。
25名応募の所、29人もの参加申し込みがありました。せっかく申込みいただいたんだから、断らずに参加してもらおう!ということで、かなりの大所帯でのイベントとなりました。

午前はお話をして、午後は怒田城をメインとした歴史巡りの旅に出陣。
午後に行くコースにまつわるお話をさせてもらいました。

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いつもどおり、お城=天守閣ではないですよーという感じの話から。初めての方が8割くらいいたので、とりあえずそんな感じの所からお話を。



恒例の大河ドラマネタとしては、「西郷どん」の第一話で出てきたロケ地は牛久城ですよなんて話も。桜島の見える城山を走ってた子供たちが迷い込んだのがなんと牛久城!随分ワープしましたねなんて言いながら。

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大河ドラマの場面。
で、これが牛久城の土橋。

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ほらー。同じ。
この場面で土橋が映った時に、一瞬で牛久城だと分かった私もなかなかやるな(笑)かなり好みの土橋なもんで(笑)

話の後半は三浦半島と三浦一族の話を。
さらっと三浦氏の系図のおさらいをして、今日の怒田城が歴史の舞台となる衣笠合戦付近の歴史を年表で追っていきました。

ざっとお話しすると、1180年8月、平家軍が衣笠城に攻めてきます。三浦党は籠城しますが、持ちこたえられず。棟梁の義明だけを残して、夜陰に紛れて、怒田城へと脱出します。隠しておいた船に乗り、安房へ渡り、頼朝一行と合流するのです。

三浦一族と合流した頼朝は鎌倉入りを果たすことになります。三浦氏がいなければ、鎌倉幕府の成立も危うかったんじゃ?と、いうくらい歴史の分岐となるお城なのです。すごーい。


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怒田城は残念ながら、半分が開発で破壊されています。
ま、もっとも平安末期から鎌倉時代の怒田城は文献に出てきますが、それ以降の怒田城は全く登場しないので分かりません。上の写真の規模だと、室町、戦国などで使ってるような気がしますし…。残念ながら、


今回は鎌倉、逗子、横浜からも参加していただいたので、少し三浦一族の自慢もしました。いかに全国で活躍してたか。六波羅探題近くの一等地に屋敷を構えてた三浦氏。鎌倉幕府の中枢を担っていたことがわかりますね。
三浦一族である戦国大名の蘆名氏は、なにか奉納するときには「三浦蘆名氏」と署名し、いかに三浦氏ということを誇りに思ってたかが分かります。すごいぞ、三浦一族!


この日はちょうど、中島三郎助まつりが別の場所で開催されてました。
横須賀は、歴史と言えば幕末が人気で、中世の歴史はあまりに地元の人たちに知られていません。幕末の歴史も大事ですが、中世の三浦半島はとても面白いです。三浦半島の一豪族ではなく、全国で想像以上の活躍をしていた三浦氏。知ってしまったら、中世を学ばずにはいられません。それほど、面白いです。なので、一人でも多くの人に三浦氏のすごさを伝えたいと思います。
竜馬やおりょうさんもいいけど…。

幕末の横須賀は確かに歴史の舞台になりました。黒船も来ましたし、重要な土地でした。でも、竜馬やおりょうさんには、三浦半島の血は流れていません。紆余曲折があったものの、500年に渡って、脈々と繋がった三浦氏の歴史も、幕末の歴史と並行してちゃんと伝えていかないといけないと思います。歴史は、ぶつ切りではないのですから。


おやおや、真面目な話になってしまいました。
ということで、今回のランチも横須賀ハイランドにあるザクロさんでした。ここのパンは本当においしい!生地がたまりませんよ!
さらに今回は私からのお土産と言うことで、横須賀シフォンさんのカップシフォンケーキを。これまたおいしいー!

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満腹で動くのも億劫になったところで、午後の部スタートです。
今回も山城ガールむつみのオリジナルバッチをプレゼントです。かなり好評でした。他のイベントで配った違うカラーのバッチを持ってる人が羨ましがられるほどに!嬉しいなー。どんどんイベントやろうっと。
すでに7色まで用意してるし(笑)
欲しい方はウォーキングイベントに参加くださいね。


まずは定番の佐原城へ。

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佐原城。看板が薄くて汚くて、読めん!!
横須賀市さん…お願いしますよー!!会津に怒られますよ。向こうは蘆名氏にすごい力を入れてるってのに!っもう!

鵯越の逆落としで有名な佐原義連がこの地に住んで「佐原氏」を名乗ったと言われてます。この佐原氏が宝治合戦で三浦宗家が滅んだ後も、三浦の血をつないで、蘆名氏へと続くんですね。


台地になってる地形から、何となく何かを感じる程度だけど。意外と高さがあるなーと、実際に現地に行くと感じます。
発掘によると、16世紀の遺物が出てるので、北条氏が三浦氏の新井城を攻めてきたときに、何かしら使われてるはずとの事。

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お次は慈眼院。山の上に建ってますが、ここは縄文時代の茅山貝塚でもあります。話によると、昭和天皇もいらっしゃったんだとか!
階段が急!誰か落ちてきたら、みんなアウトー!!


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この山の対岸が怒田城です。ここから怒田城までの1kmちょっとの幅が中世では入江、完全に海でした。この山も何かしら使ってただろうな。砦とかさ。


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ここから向こうまで、全部海だなんてシンジラーレナイ!
右手2kmほどの河口から攻めてくる敵を怒田城や佐原城、もしくはこの山から見張り、守ってたんでしょうね。
そんなことを妄想しつつ、次へ。


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正業寺。ここは、砂村新左エ門さんのお墓があります。この人が、さっきの入江を内川新田として開発した人です。
越前国三国の生まれのスーパー土木技術者、スーパーコンサル。
なんと、1601年生まれ。関が原の戦いの一年後に生まれてる。そんな時代に新田開発したんですね。すごい。
信心深い人で、各地で新田開発するたびに神仏を勧請しました。この正業寺も荒れ果ててたのを新左エ門さんが中興したそうです。
ちなみに、私の実家のお墓もあります。新左エ門さんのお墓の後ろ3mほどのところに。歴史ネタってのは、本当に身近にあるんですね、しみじみ…。
久里浜の子供たちが七五三をやる久里浜天神社も新左エ門さんの創建です。


新左エ門さんは東京の江東区にある砂村新田も手がけました。
昔は「砂村町」って名前が残ってたみたいだけど、今は「南砂」とか「砂」の一文字を残すのみ。東西線には「南砂町」って駅がありますね。あれがそうです。

内川往還を抜けて、進みます。今の久里浜商店街のアーケードのある通りが、旧道内川往還です。今の大通りは軍が開いた物資運搬の道。

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お次は宗円寺。 久比里にある寺。このあたりは、「臼井さん」て名字が多い。小学校、中学校のクラスには何人も臼井さん、臼井くんがいました。
「臼井」は千葉氏なんですよ。向こうから来たんですね。へぇー。
いかに三浦半島と房総半島が近い関係か分かりますね。

このお寺に寄ったのはここに鎌倉権五郎景政の彫ったと伝わる両面地蔵があるからです。鎌倉党は三浦為通の兄弟が鎌倉郡をもらって、鎌倉氏を名乗ったのが始まり。なので、いわば、三浦氏と同族です。 ちなみに長江氏は鎌倉氏からの分かれたものです。

それにしても、本堂の上の崖すごい!このあたりも昔は海だったんだろうな~。


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景政は後三年の役で、右目を射られました。一緒に戦っていた三浦
義継が矢を抜こうとしましたが、突き刺さった矢は抜けませんでした。そこで、義継は足で景政の顔を踏んで押さえて、矢を抜こうとしました。すると、景政は、「こんな顔を踏まれるなんて辱めを受けるくらいなら、死んだほうがましだ!」とか何とか、そんなようなことを言ったようです。それに感動した義継はひざまずき、両手で丁寧に矢を抜いたんだとか。
その後、失明した景政が彫ったと伝わる両面地蔵がここにあるんです。

御霊神社といえば、景政をまつる神社ですが、佐原にもあるんです。この宗円寺が平安時代末期には何だったか全くわかりませんが、ここに景政ゆかりのものがあるというのが面白いですね。三浦党と鎌倉党のつながりを感じますね。



今日のメイン!怒田城へ!

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みんなで、城山を眺めて妄想中!!右手が下がってるように見えますが、実は右側に一番標高の高い城山の一部がありました。


佐原城もそうだけど、古い鎌倉時代の方が文献に残り、室町、戦国時代に関しては、怒田城と佐原城がどうだったのかが全く不明。タイムマシンが欲しいです。

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空堀。発掘調査の後、埋め戻し。
堀底の土を化学分析したところ、12世紀から13世紀との結果が出てるようです。堀の幅は4.5-5m、薬研堀との事。

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わざわざ貝を抜き取って、堀の断面を仕上げてたらしい、なので、臨時的というよりも、恒常的な利用をしてたのかな?


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土塁をコンクリートで固めないで~!と、言って、みんなみ笑われてるところ。


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怒田城からいったん、御林を抜けて、真福寺へ。
ここはとてもいい道!!インスタ映えする~(笑)

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庚申塚とかもある。浦賀道なので。切通して、すてきな旧道の雰囲気むんむん。


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最後は真福寺。

ここには波の伊八の欄間があります。波の伊八は「関東に行ったら波を彫るな」と全国の彫師に言わしめた天才彫師。北斎さえもその影響を受けたとされます。鴨川、いすみ市の生まれで作品はその辺りに集中してます。特に行元寺の欄間は必見です。それを見て、衝撃を受けた北斎が富嶽三十六景の神奈川沖浪裏を彫ったとされています。
千葉以外の伊八作品は、あんまりないんだけど、なんとこの吉井の山奥の真福寺に伊八作品があるんです!
今は少し辺鄙(ごめんなさい)な場所ですが、ここは昔は浦賀道として、浦賀奉行所へと続く重要な道でした。このあたり一帯は御用林として、江戸幕府の直轄林でした。
このお寺にはマリア観音と呼ばれる珍しい観音様もいます。
キリシタンの匂いがするお寺です。

実はこの欄間を見る予約をしてたんですが、住職さん、まさかの度忘れ!!でかけちゃってました(泣)残念です。みなさま、ごめんなさいでした(泣)



ちなみに伊八は4代目が柴又帝釈天の欄間を彫りました。有料で見れますのでぜひ。6代目はハンコ屋さんになったとかならないとかという風の噂。真偽のほどは分かりません。


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真福寺から怒田城の逆側をぐるりと歩く。この指さしてる山裾が怒田城の際に当たります。



全行程を終え、もう一度、怒田城の上に上がり、クイズの正解者の中から抽選で、横須賀海軍カレーをプレゼント!盛り上がりました。
そして、JR久里浜駅にて今日の集合写真のプレゼントをお渡しして解散となりました。
結構、楽しんでもらえたんじゃないかなーと思います。
次いつやるの?早く企画してよ…なんて嬉しい言葉もいただきました。




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実はこれは私の実家。10年前まで家族で住んでましたが、引っ越すので売りに出しました。売りに出してる時の画像です。木がボーボーだ。8年前くらいの写真。
この家は怒田城の真下にありました。どんぐり山と呼んで走り回ってた山が、城跡だったんですね。大人になってそれを知って、いかに歴史が身近にあるのかと感動しました。


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土地が売れて、建売が建ち始めたところ。5年くらい前の写真。
手前にもう一軒建ちました。住んでた家に真新しい家が建つというのは、センチメンタルな気持ちになりますね。

そんなことはさておき、天気も良くとても楽しいイベントになりました。
参加者の皆様、ありがとうございました。では、また。

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2018年1月15日 (月)

【バスツアー募集】「いざ!三崎城へ!」

はじめてのバスツアーのお知らせです。

横須賀カルチャーセンター主催のイベントがあります。横須賀ショッパーズプラザ…今はイオンですね。ついつい、ショッパーズと言ってしまいます。
イオンに集合してバスで三崎へ向かいます。三崎城や頼朝の三崎の御所へ。
三崎の御所というのは、頼朝のいわゆる別荘です。桃の御所、桜の御所、椿の御所という名前でした。鎌倉から三崎は疲れを癒す小旅行にピッタリの距離だったようです。
今はお寺となってる御所跡を回り、お昼はマグロ丼のランチ付!! 
メインの三崎城は例によって、建物も何も残ってませんが、地形や少しの名残りから思いを馳せたいと思います。



話は変わりますが…
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先日、小和田哲男先生と少しだけお話させていただきました。歴史界のスパースターです。何十冊と先生の本を読んで勉強している私からすると、神様のような方。とてもやさしくて素敵な方でした。その小和田先生から、三浦一族はとても大事だから頑張って!と言っていただきました。モリモリとパワーが湧いてきました!今年も頑張りたいと思います!

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ちらしの画像が見にくいので、くわしいことはカルチャーセンターのHPで。

http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/index.html

http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/topicsview_96_15070.html

日にちは2018年2月17日です。
いつものイベントとまた違って、大型バスやマグロ丼もあり、旅行気分になれるかもしれませんね。
問い合わせはカルチャーセンターにお願いいたします!

バスガイド初体験!楽しみです。

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2018年1月11日 (木)

≪満員御礼≫「歴史ウォーキング!怒田城」横須賀グリーンゴルフ

有難いことに満員御礼のお知らせです。1月21日の横須賀グリーンゴルフさんでの歴史ウォーキングイベントは満員になりましたので締め切らせていただきます。25人定員の所、30人も参加申込みいただきました。

昨日、下見に行ってきました。また新しい発見!!ワクワクしました。きっと、当日も楽しんでいただけると思います。

また他のイベントも計画してますので、乞うご期待!!



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グリーンゴルフさんにて。入り口に大きなポスター貼ってくれてました。


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下見途中のお寺にて。晴れますようにと願掛け。左下に注目!
きっといい天気になる事でしょう。

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2017年12月27日 (水)

「いざ!浦賀城!寺子屋スペシャル」の巻!

横須賀市浦賀のクールクランカフェにて、初めての寺子屋スペシャル開催!!
いつもの寺子屋は奇数月の第4金曜の夜だけど、今回は日曜の昼間っから!なんて健康的!朝日がまぶしい!!
午前は寺子屋スペシャル座学編。

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いつもは夜にビール飲んでやってますが、ほら、この健康的なこと!なんていい休日の過ごし方なんでしょう。
今回は浦賀城の案内に加えて、里見氏、正木氏と三浦氏の関係や、房総半島にある里見氏の城の話もしました~。満載~。

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おいしいランチを食べて、いざ出陣。
記念すべき第一回目は、お近くの浦賀城へ。途中の寺社仏閣の立ち寄りながら、進みます。石垣とかジーッと見て少し怪しい集団(笑

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浦賀城城山の麓にある「圓城山」という山号の法幢寺へ。城という字が山号に入ってることからも、浦賀城とのつながりを感じますね。
浦賀城は、小田原北条氏が1516年に三浦一族を滅ぼしたあとに、VS里見氏対策として築城したなんて言われています。でも、きっとそれ以前から三浦氏の何らかの施設があったはず。この法幢寺の開基が1493年。となると、もちろん三浦氏の時代です。当時は一つの城に少なくとも一つの寺。なので、法幢寺を開基したときに浦賀城が築かれたか、もしくは大改修されたのでは?
すぐ真裏が多々良ですし、使われていたはずです。
そのため、お寺の境内を行ったり来たり。一番際まで行って、浦賀城を見上げてみたり。
さらに怪しい集団(笑


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そして東叶神社から浦賀城に登ります。
今回は当時の城道を意識して回りました。この山は明神山と言いますが、平安時代から修験の山。鎌倉時代には頼朝が石清水八幡宮を勧請しました。昔から信仰の対象の大事な山だったんですね。

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浦賀城の東側からは掘っ立て小屋の柱穴が出ています。船倉跡と伝わり、船着き場があったようです。中世の土器などが出土しています。

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大勢の参加者さんと最高の天気!とても楽しいイベントになりました。
また寺子屋スペシャル開催したいですね。

次の通常の寺子屋は1月26日(金)19時からです。


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なんと!!オリジナル缶バッジを作りました!!
かわいい!!かなり好評でした。また色違いで作ろうっと。
イベントで違うカラーのバッジを作るので、ぜひご参加ください~。

ちなみにこの缶バッジは「UCANBADGE」というお店で作りました。対応が親切&迅速!あっという間に届いてビックリしました。すっごく可愛いし♥
お店のURLはwww.u-canbadge.comです。おススメですよ。

Img_3533次のイベントはこれ!!
横須賀グリーンゴルフにて、1月21日(日)です。
申し込みは直接グリーンゴルフへ。
12月27日現在で残り枠は3名様!!申し込みはお急ぎください~。


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では、またイベントでお会いしましょう。

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2017年12月12日 (火)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の八

山城ガールむつみの寺子屋、第8回目!
満席御礼!ありがとうございます!!
しかも、今回は小学校の担任の先生が見に来てくれました~。緊張したぜ!(笑)

半分くらいが初めてのお客さんだったので、常連さんには復習になっちゃうとこもあるんだけど、いろんな話を織り交ぜながら。
「ここどこでしょうクイズ」とかやってみたり。
山城跡に建ってるマンションを見せてクイズ。景品は出ないけど。
交通量の多い道路から見える景色だから、ほとんどの三浦半島人は通ってるし、目にしてる光景。まさか、あそこが城あとだったなんて!!てな感じに、クイズにして盛り上がりました~。もとい、盛り上がった気がしました~。
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私の目には、土橋がとても艶やかで、色っぽく見えます。
とか、意味不明なことを口走って、あきれられたりしながら、あっという間の1時間。15分くらいオーバーしましたね。

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天守の写真を表紙にしてたら、珍しいね、どうしちゃったの?と突っ込まれました。
ふっふっふ。天守の話をするかと見せかけて、天守の話は一切しません。土の話だけ(笑)
ずーっと土の塊の写真だと、あまりにも地味なので彦根城の天守を今回の表紙にしてみました~。

今回は中世の「城」のイメージというか、言葉の持つ意味というか、南北朝以前の城は臨時的、バリケード的な感じだったとかそんな話もしました。「シロ」ではなく、「キ・ジョウ」と呼ばれてて。なんで、「シロ」と読むようになったのかなんて話とか。また次回も、同じような話もしながら、いろいろと新しい話もしようと思います。

いまさら、初参加しづらいな~とか思ってる方!大丈夫です。初めてでも楽しめるような内容にしてます。(してるつもり)是非、来てみてください!!!

次回の通常の寺子屋は1月26日(金)19時です。
ご参加お待ちしてまーす!!

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2017年12月11日 (月)

「いざ!行かん、歴史の旅へ!」最終回の巻(タウンニュース連載記事)

2016年7月から始まったタウンニュースの連載も今回が最終回です。
あっというまの1年半でした。全部で16個のお城を紹介させてもらいました。
まだまだ城址はあります。館、砦を含めると、あと倍近くあるかもしれません。でも、とりあえず、三浦半島の山城めぐりの旅は、ここらでひと区切り。
読んでくださった方々、ありがとうございました!!

いろんなところで、反響をいただきました。
全然知らなかった!行ってみたい!という声がどんどん増えていったことが一番うれしかったです。

今後もまた楽しいイベントなど、どんどん企画していきたいと思います。
連載で書いたコラムは、いつか「三浦半島山城ガイドブック」的な感じで出版したいなーと考えてます。

ではでは、これからも楽しい歴史めぐり、一緒に楽しみましょう!!

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2017年11月27日 (月)

≪告知≫寺子屋スペシャルのお知らせ!!

クールクランカフェ Presents!!
寺子屋スペシャル!!

やりますよ~!
いつもは、2か月に一度、第四金曜の夜7時から開催している「山城ガールむつみの寺子屋」ですが、今回はスペシャルと銘打って、休日の昼間に開催しまーす。
しかもなんと!ウォーキング付き!みんなで出陣します。
記念すべきスペシャル第1回目は浦賀城に出陣しますよ。

張り切っていきましょう~!
エイエイオーッ!!

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概要
クールクランカフェにて、寺子屋開催。
山城の話、お城の話、浦賀城の話など。
初めての方でも楽しめる内容です!

ランチを食べてから、歩いて浦賀城へ。
帰りは、ぽんぽん舟に乗って、浦賀駅へ。(ぽんぽん舟代¥200は各自実費負担)


日にち            2017年12月17日(日)
受付場所          クールクランカフェ 2階
受付開始時間       10:30
寺子屋開始時間     11:00
参加費           ¥2,000 (ランチ代込み)※小学生までは¥1,000です。



※受付は10:50までにお済ませください。
※ランチメニューは受付の際にお選びいただきます。

こんな感じの流れになってます。
今回は完全予約制とさせていただきます。

FB、インスタ、メール、電話等でご予約下さい。
クールクランカフェの電話番号は
046-845-9106 です。

参加連絡お待ちしてます!
定員20名とさせていただきます。
※12月11日現在で21名の参加連絡をいただいてます。定員になりましたが、若干名追加で受付いたします!お待ちしてまーす!

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2017年11月16日 (木)

「いざ!浦賀城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

今回で17回目のタウンニュース連載コラム「出陣のススメ」は浦賀城です!
クリックどうぞ!!


↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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「浦賀」というと、
黒船!ペリー!勝海舟!!…などと、幕末のキーワードが浮かびがち。
でもでもでも!浦賀には中世の山城があるのですよ。
中世以前の歴史を追っていかないと、幕末の浦賀の姿も見えてこないんじゃないでしょうか!?
ということで、浦賀城いってみよー!

まず、浦賀城の城山は東浦賀の東叶神社の裏山にあたります。浦賀の町は浦賀湾を挟んで、西と東に分かれてます。西浦賀と東浦賀。西浦賀には西叶神社がありますよ。
西と東の行き来はポンポン船がおススメです。小さいころから、慣れ親しんだポンポン船。当時は50円だったような。今は200円です。

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素敵な風景ですね。これに乗って浦賀城に向かうと、ググッと遠足気分に!
正面の山が浦賀城です。まさに岬の突端です。標高は55mほど。

浦賀城が正確にいつできたのかは分かりません。
でも、古来重要な場所というのは変わらないので、浦賀は昔から要衝の地だったと思われます。浦賀城の裏側の鴨居は三浦一族の多々良氏の館や城があったと言われているので、浦賀城も関連施設があったり、なんかしら連携してたかもしれませんね。
三浦一族である横須賀氏の拠点だったとも言われてます。


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浦賀城の目の前には浦賀水道が走ってます。房総半島は目と鼻の先!当時は「向かい地」と呼び合うほどの距離感でした。今は車も電車もあるし、陸路を頭に浮かべちゃうけど昔は断然海路水路の方が便利で早かったんですね~。


北条早雲は1516年に油壺の新井城で三浦道寸&義意父子を追い込み、三浦一族を滅ぼしました。それにより、相模国を平定した北条氏は、房総半島へ目を向けました。
江戸湾(東京湾)の海上交通を掌握するためには房総半島に拠点を置く必要があったんですね~。

房総半島の敵というと、里見氏ですが里見氏はたびたび三浦半島に攻めてきます。
城ヶ島を占拠されたり、大船あたりに攻め込まれたりと大変!
イイ感じの潮の流れに乗って、あっというまに攻めてきたんですね~。そんな情勢の中、三崎城の支城として浦賀城は築かれました。前面を城ヶ島で守られて、奥に湾がある三崎城が防御型だとすると、岬の突端に築かれた浦賀城は攻撃型!襲いかかる里見氏に攻撃するための城だったとのこと。


海の写真
※海の写真を貼り付けるはずが、写真がない!すみません。想像で読み進めてください。

晴れた日には、目の前に広がる大海原の青がまぶしいくらいキレイです。
こんな美しい海で実はすごい争いが繰り広げられてたのです。浦賀城は最前線の基地だったのです。

北条水軍の拠点になってたんですね。ちなみに北条水軍には三浦水軍の残党が取り込まれました。結構良い待遇で迎えられたようです。
浦賀城には三浦水軍だけじゃなく、高給で雇った水軍なども入り、一大水軍拠点になりました。舟方は諸役を免除されて、里見氏に備えたようです。

江戸湾と浦賀水道の制海権争いは、なかなかに白熱。抜き差しならない状況になってました。合戦記録に残ってないような小競り合いなんかは、この浦賀城の目の前でしょっちゅうあったのかもしれませんね。


浦賀の地は江戸湾の入り口!まさに要の場所なんですね。
江戸時代に浦賀が小田原の次いで栄えていたのも、交通の便という要素があったからですね。家康も浦賀を国際貿易港として開港したり。

浦賀城の城山である明神山と、対岸の愛宕山に囲まれた天然の良港だったんですね。なんと、800~1000艘もの船が碇泊可能だったとのこと!

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ある日の浦賀城でのイベントの風景。
主郭の奥に遺構が残ってます。
階段上がって疲れちゃって、主郭しか行かないで、海だけ見て帰ってきたという話をよく聞きます。奥に堀切がありますのでね!



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こんな堀切が残ってますよ!主郭の東奥をガサゴソと進むと現れます。


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こんなかんじでガサゴソと進みますよ。参加者の皆さん、苦笑い。蜘蛛の巣だらけ。
堀切や急傾斜の切り岸からも当時の緊迫感を感じますね。


浦賀城の東側の谷からは発掘調査で柱穴が多数見つかってるらしいです。船倉跡じゃないかとのこと。城のまわりには広範囲にわたって「~腰」という城を連想させる地名が残ってます。


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井戸もありますよ。この井戸があるところは自然地形かな?窪地、鞍部になってますね。なんだか不思議な空間。



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これまたイベント風景。
東叶神社から頂上に上がる階段は結構急です。息が切れます。途中に勝海舟断食の碑があります。そこからも頂上の主郭に向かって階段は続くんだけど、当時の登城路は石碑の奥に続く道だったと思います。ぐるりと回って虎口に入る感じ。

階段を上がり切った場所は主郭とされる広い平場。
そこからの景色は絶景!本当に房総半島が近く見えます。当時の里見氏の城、造海城も見えます!見えると言っても、場所が分かるという程度だけど。造海城は「つくろうみ城」と読みます。
元は真里谷氏の城だったんだけど、里見氏の支配下に入ってからは里見氏方の正木氏が入りました。正木氏は三浦氏と血縁も濃いですね。
この造海城は幕末に浦賀城と同じように海防の拠点となり、台場が設けられました。やはり、浦賀城と同様に造海城も時代を通して、重要な場所にあったんですね。


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これは久里浜のペリー公園の資料館にあった絵図。様子がよく分かりますね!

このブログを書いてて、浦賀城の海の景色など、写真が全然ないことに気付きました…。ガビーン。
ぜひ、浦賀城にいって見てみてください。すみません…。
腰曲輪とかの写真もあったはずだったんだけど。おかしいな~。


1590年の秀吉の小田原攻めでは、浦賀城の城兵は三崎城に籠もって戦ったとのこと。その後は、廃城になったとのことです。北条水軍はそのあとは徳川水軍に組み込まれたようですね。


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安部龍太郎さんの「開陽丸、北へ」を読みました。
鳥羽伏見の戦いの後、開陽丸は大坂城を脱出した徳川慶喜を乗せ江戸へ向かいます。その後、品川沖にて新政府軍との交渉をするも、決裂。
榎本武揚、沢太郎右衛門の乗った開陽丸と他の何艘かの船、徳川艦隊が北へ向かうこととなるのです。
咸臨丸は勝海舟が艦長として太平洋を横断し、その名を世に知らしめた蒸気船ですが、老朽化のため、数年前から蒸気機関をはずされ、帆走のみになってました。そのため、船足が遅いので、馬力のある回天丸が曳航することになりました。
しかし、江戸湾を出発して早々に咸臨丸は観音崎沖にて座礁。
咸臨丸を曳き、前を走る回天丸が観音崎沖を大回りで進もうとしたんだけど、計算ミス、判断ミスにより、後ろの咸臨丸が思いのほか内側を通ってしまい、岩に引っかかってしまったんですね。

それにより遅れが出て、徳川艦隊は嵐に遭うことになるのです。勝海舟が浦賀城内で願掛けで断食して、咸臨丸で揚々と太平洋へと漕ぎ出してからたったの数年後のこと。観音崎沖・浦賀沖にはそんなドラマもあったんですね。

いろんな時代を感じることができる浦賀城。ぜひ、行ってみてください。
そうだ!12月17日(日)にイベントで浦賀城に行きますよ!
近いうちにイベント情報をアップしまーす。

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2017年11月 6日 (月)

《告知》お城EXPO2017

今回は『お城EXPO 2017』の告知です。
去年好評だったお城EXPOが今年も開催されます。

12月22日から12月24日の3日間!
パシフィコ横浜にて。
詳細は以下のURLにてご確認ください!

遷移先URL:http://www.shiroexpo.jp/


ワークショップや講演会なども盛りだくさん!
私のお目当ては「陸軍省城絵図」です。
陸軍が調査した絵図が10点ほど展示されるとか!楽しみです。

他にもジオラマや、城ラマ復元堂さんの城ラマなど見どころ満載です。
街はクリスマス真っただ中ですが、ジングルベルを聴きながらお城を楽しんでみませんか?
私はクリスマスイブに行く予定!
見かけたら声かけてくださいね~!!

チケットは絶賛発売中です。講演会のチケットは完売する可能性があるので、気になるものがありましたら、お早めに!!

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2017年10月23日 (月)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の七

第七回目の寺子屋!
土砂降りの中、なんとか開催。いつもより、少ない人数でしたがこの大雨の中、来てくださった方には感謝ですね。京浜急行も大幅に遅れるほどの大雨でした。

今回の寺子屋は祝1周年!
おかげさまです。それにしても、あっという間ですね~。


夏休みは青春18切符で山形から秋田に行ってたので、行ったお城の写真を見ながら土産話をしてみたり。
秋田でお土産を買うつもりが、電車の混雑ぶりがすごくて買えなかったので、なぜか三河のお土産を。家康やら信長がプリントされてるクッキーです。小学生が買うようなベタな土産だけど、致し方なし…。

また今回も初めての方がいたので、お城ってなぁに?って話から。
小学校の先生をしてる方が来てくれました。浦賀城とか全く知らなかったって言ってました。またぜひ参加してもらって、子供たちに地域の歴史を伝えてくれれば嬉しいですね。




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他には夏の旅行で色々とつながって面白いなと思った話を。

 

秋田の佐竹氏の久保田城に行ったときのこと。佐竹氏というと、今年の夏の初め頃、集中豪雨で川が氾濫して、住民が避難やなんやと大変だった時にゴルフしてて問題になった秋田知事を思い出します。あの知事は佐竹北家の血筋で、代々、角館藩主の家系。知事は佐竹北家の21代にあたるとのこと。結局、給料3か月とボーナスカットだなんて、かなり反省してる感じでしたね。

佐竹氏は源氏の名門。源頼義の子供で、八幡太郎義家らを兄弟にもつ新羅三郎義光が祖。常陸太田市に馬坂城という城があって、そこが佐竹氏発祥の地と言われてます。時代が下って、関が原では西軍について、その後は秋田に移って、久保田城を築くんですけど。実はこの佐竹が三浦氏とつながるんです。

 

南会津に伊達政宗のライバルと言われる蘆名氏という戦国武将がいました。摺上げが原の戦いで伊達政宗に負けるんだけど。で、この蘆名氏の最後の当主である蘆名義広が佐竹義宣の弟なんです。常陸の佐竹と南会津の蘆名は、対伊達氏のために連携を図って近しい関係だったので、佐竹から蘆名家に養子に行って当主になったんですね。
そもそも、この蘆名氏は実は元は横須賀の芦名氏。大楠小学校あたりの芦名に城館を構えて、「芦名」を名乗ったわけです。三浦義明の弟が祖で芦名為清を名乗ったのが最初です。

 

なので、直接じゃないけど見事につながってます。要は横須賀の三浦一族である蘆名氏の最後の当主が佐竹氏だということですね。なんだか、秋田県知事にも親近感~。

そうそう、蘆名氏と言えば、
会津若松城。別名鶴ヶ城。八重の桜で悲劇の舞台になりましたけど。あの城を最初につくったのが三浦一族である蘆名氏。そのころは会津黒川城って呼ばれてました。今の若松城と縄張りはあんまり変わってなくて、いまの城の下に蘆名時代の遺構が眠ってると思われます。あぁ、なんてロマン。


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それと、上野の国立博物館で開催される運慶展の紹介と見どころを。
運慶展のちらしには横須賀芦名の浄楽寺と伊豆の願成就院の仏さまが並んで写ってます。ありがたい仏様…と思ってると実は!そこには熾烈な権力争いが!!

 

三浦一族のライバルというと執権北条氏。浄楽寺の仏像は和田義盛、願成就院のは北条氏が願主なんですね。願成就院の像からは文治2年の札、浄楽寺の毘沙門天胎内から、文治5年の札。

  

仲良く同じような仏像を同じ時期に造った…わけじゃなくて、競い合うように造ったということ。いかに和田氏と北条氏が権力と財力を持ってたか。そして、運慶展ちらしのなかに鎌倉時代の壮絶な権力争いが垣間見れて面白いです。そんな見方をすると、展覧会もまた違った楽しみ方ができるかもしれんせんね。美術、芸術と歴史が結びついて面白いかなーと。

 

それにしても、運慶作が確定、もしくは限りなく運慶作っていうのは全国で31体。そのうちの5体が芦名の浄楽寺に。阿弥陀三尊、不動明王、毘沙門天。これってすごいこと!三浦一族の権力すごい!ということで、ぜひ行ってみてください。

 

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最後は恒例のむつみの本紹介コーナー。

 

時代、ジャンルを問わず、歴史ものっぽい本を勝手に紹介するコーナー。

 

今回は伊東潤さんの「義烈千秋 天狗党西へ」。水戸天狗党の小説です。私は幕末そんなに得意じゃないんですけど、天狗党側からの目線で幕末の流れを追ったら、いろいろと勉強になりました。この伊東潤さんは何を読んでも傑作です。

 

この本は藤田東湖の息子、藤田小四郎とかが中心人物。最初は尊皇攘夷、イコール倒幕のつもりはなくて、あくまで夷狄を打ち払うということで結成された天狗党。当初は、横浜港の開港を阻止するというのを目的に1864年に筑波山にて決起。

 

水戸藩も桜田門外の変とか坂下門外の変とかいろいろあって分裂してて。天狗党も当初の目的を果たそうにも藩からも幕府からも追われて、どうにもならなくなって。後の将軍になる一橋慶喜を頼ろうと京を目指すんだけど、最後は慶喜に切り捨てられて敦賀で処刑される。途中で主人公の小四郎は自分の気高い志が派閥争いにしかなってないことに気づいて愕然と。だけど、この国を正気に戻そう!と、捨て石になろうと覚悟を決めて進んでいく。結局、激戦を繰り返しながら水戸から進んだ道中は無駄足になる。だけど、その葛藤と志がすごく美しく切なく描かれてて、歴史を知るにも小説としてもとてもいい作品でした。

 

途中、いろんな藩の領地を通って行軍するとき、小さい藩は見て見ないふりするんですね。堂々と通るなら黙ってられないけど、脇道を通るなら、こっそりどうぞ…みたいな。例えば、栃木の黒羽城。18千石。前に行ったときに随分大きな城郭だなと思ったら、関ヶ原合戦の時に上杉景勝が来たときの押さえとして、こんな大城郭にしたらしいんですけど。そこを天狗党が通っていく。当たり前なんだけど、歴史が繋がってると言うことを痛感して、感動しました。
他にも高崎藩と熾烈な戦いを繰り広げるんだけど、その中に里見という名前が出てくる。里見というと、千葉のイメージあるんだけど、元は新田氏。だから、高崎あたりにも里見公園とか里見城址があるんです。いろいろと中世と幕末が重なって面白かった。
秋の夜長にいかがでしょうか?


 

次回の寺子屋は1124日(金)19時から。
よろしくお願いしまーす。



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2017年10月16日 (月)

「いざ!三崎城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースの連載も16回目になりました。
ではでは、今回は「三崎城」です。いってみよー!!
まずはタウンニュースノのコラムを!



↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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三崎城は今の三浦市役所があるあたりです。旧三崎中学校のところ。車で行くと、あまり気づきませんが、結構な高さがあります。歩いて市役所に向かうと、よくわかります。山になってます。標高は30mくらい。
三崎城の始まりはよくわからないけど、今に残る三崎城の姿は北条氏が三浦一族を滅ぼした後に拡大改修したものです。三崎の地は里見氏との国境に当たるため、房総への軍事行動の拠点になったんですね~。海路だと、房総半島は目と鼻の先ですね。

実際、里見氏は何回か攻めてきてて、1556年には兵船80隻で、目の前の城ケ島を占拠して三崎城へ上陸しようとしました。なんとか、三崎城と城ケ島の間の海上で戦って上陸は阻止!里見氏は上げ潮に乗ってヒットエンドラン戦法で、しょっちゅう攻めてきました。怖い怖い。これには北条氏もかなり手こずりました~。
時には迂回して、新井城に攻めてきたこともあります。その対策として北条氏は、攻撃の拠点にしようと浦賀城を築きました。三崎城はどっちかというと、守りの城って感じですもんね。


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エリア的には、こんな感じ。外堀が広い道路になってたり、当時の名残りが今でも十分に地形からも分かります。



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住宅の隙間から城山を見る。突き当たりの高台が城山。うん、結構な山になってますね。

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城山から下を覗くとこんな感じ。うんうん、高く感じます。
海南神社の脇から、城内へと向かいます。海南神社は三浦総鎮守です。
城山に上がって海南神社を見下ろすと、斜面が切り岸になって、がくんと落ちてるのが分かります。
海を見ると城ケ島が、どーんと横たわってます。城ケ島は防波堤にも、港の目隠しにもなったんですね。こうやって眺めると、よくわかりますね。

三浦氏の新井城が落ちた時、三浦の残党が城ケ島に籠って、三崎に入った北条氏をしばしば襲ってきたとの事。これには北条氏も手を焼いて、お寺が仲裁に入ったらしい。その後は、三浦の旧臣は北条氏について三崎十人衆として北条水軍に組み込まれました。三崎は玉縄城領に属し、三浦氏の旧臣は三浦衆として編成されたようです。



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そのまま三崎小学校の方に進むと、光念寺と本瑞寺が並んでます。ここは城の南西にあたり、光念寺と本瑞寺の間には、こんな感じの土塁があります。結構高いです。5mくらいかな?

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うんうん、遠目に見ても高い。
この本瑞寺は、いわゆる頼朝の三崎の三御所の一つ、「桜の御所」にあたります。ここで宴を開いたと吾妻鏡にも書かれてます。室町時代前期のものとされる梵鐘も本堂の中にあります。



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三崎小学校。ここももちろんお城の一部。曲輪があったところです。


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三崎小学校を通り過ぎて、大きな通りに出るところにこんな、こんも~りとした土の塊。これが土塁の一部です。
この大通りの向こう側が主郭にあたるので、空堀になってたと思われます。そこが今は道路になってるんですね。


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この土の塊は三崎市役所入り口の所。これもきっと土塁の名残りでしょうね。


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まずは主郭の北側の際を見ようと、旧三崎中学校の裏手へ。
ほらほら、怪しいじゃ~ん。なんですか!?がくんと落ちてますよ!


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ほら!ここだけ、不自然な感じで。お家が2列分だけ、落ちてます。空堀の底の名残りっぽく見えます!あぁ、楽しい。歩いてて、こういうの見つける感じが本当に楽しい。
三崎城は海側の防衛は堅いけど、北の陸続き側は弱いので3重の空堀を巡らせてたらしい。このガクンと落ちた空堀の名残りのようなものは、自然地形に人工の手を加えた空堀の名残りですね。

そして、旧三崎中学校のプールを通りすぎ、まっすぐ細い道へと向かいます。そうすると、右へ向かう坂道。これを上っていくと、お城の東端の曲輪に到着。




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こんな感じ。右が小さな曲輪。その下の湾の見張りのような位置。
堀切のようにも見える。主郭に向かう通路は土橋になってます。


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今はお堂が建ってる。下を覗くと断崖。標高30mとは思えないほど、高く見えます。下の入江が丸見え!

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下に見える入江はこんな感じ。この入江は「北条湾」という名前がついてます。
その先に、うっすらと見える城ヶ島。当時から今まで三崎港が良港だった理由が分かりますね。このあたりは軍船を留めていた場所です。城ケ島が上手に軍港を隠してくれました。
この入江はさらに奥まっていて、北条水軍の船を留めるには最適だったでしょう。
この港からは、中国からの輸入品の永楽銭が大量に見つかってるらしいです。北条氏にとって、貿易としても重要な港だったと言うことがわかりますね!すごいぞ、三崎城!!


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今は埋め立てて道路になり、さらには奥が住宅地になってますが、当時はもっと奥まで湾が入り込んでました。今でも道路や住宅の下には海が入り込んでます。


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埋め立てられた住宅地。当時はこの辺まで湾が入り込んでたんではないでしょうか?土地がとても低く感じます。

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ではでは、再び城内へ。さっそく横堀出現!結構なシロモノ!!
あぁ!写真では全く伝わらない!!




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そして土塁!!ぐるりと曲輪全体に!
本当は今回のタウンニュース、この土塁の写真にしたかったんだけどイマイチ分かりづらくて断念…。草木も邪魔だし、上手く撮れん!ガッデム!!


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土塁、結構な高さです。まだこのあたりが役場として整備されてない頃の写真を見ましたが、土塁の高さ8mくらいあったように見えました。今は5mってところかな。



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駐車場をぐるりと土塁!なんかイイ~。こういうの好き。


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旧三崎中学校のグランド。
ここには角馬出があったようですが、きれいさっぱりありません。ここが一番広い曲輪ですね。

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石碑。この裏側に土塁があって、角馬出に名残りか?なんて書かれてるんですが、たぶん曲輪の土塁の名残っぽいです。位置的に。
青少年会館、体育館などのまわりすべてに今でもうっすらと土塁の名残りがぐるりと。数十cm程度のとこもあるけど。分かる程度には残ってます。

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市役所の脇を通って行くと、こんな小道。うねうねと曲がりくねってます。これ、大手道かな。人さまの家の間をこっそりと進む。…別に不法侵入じゃないし、ちゃんとした道なんだけどあまりに道の細さに忍び足になってしまう。



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振り返るとこんな感じ。これが大手道っぽいですね。
こんな感じで、三崎城は馬出や枡形虎口とかの最先端の技術が使われてるんですね。北条氏の築城技術がたくさん散りばめられてる当時の粋を凝らしたお城だったんですね~。ちなみに、この大改修工事がほぼ完成したのは1577年ではないかという事。城主の北条氏規が「三崎之普請就出来申候」と記した資料があるらしいです。



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今度は南側の海の方へ。これがさっき上から眺めた北条湾です。いまでも船が係留してあって、なんか雰囲気ある!とてもいい!
三崎は頼朝の山荘があったように、風光明媚な場所でした。北条早雲や氏康たちも三崎を訪れて、景色などを楽しんだと言います。早雲もここに療養に来ていたらしい。



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湾の横のバス停、その名も「北条」!!こういうのを見つけるとテンション上がりますね!


三崎城は1590年の秀吉の小田原攻めにて降伏開城。
城主の北条氏規は韮山城主と兼務で韮山城で戦ったり外交に奔走してたし、城内の主だった人は小田原城に行ってた模様です。

北条が滅びた後は、徳川氏の所領となりました。そして、元武田水軍である徳川水軍の将、向井正綱の屋敷が建てられました。頼朝の三崎の三御所のひとつである見桃寺には、向井一族のお墓があります。桃の御所ですね。
三浦水軍も北条氏から徳川氏に受け継がれました。

江戸時代になると、三崎は天領となり幕府直轄の地となりました。奉行所や関所が置かれ、軍事だけでなく、商業、交通でとても重要な地になったんですね。浦賀とともに栄えたのです。
1811年には会津藩が海防の任につき、城山には陣屋が築かれました。城ケ島にはお台場が。頼朝の三御所の最後のひとつ、大椿寺には会津藩士の墓があります。椿の御所ですね。

三浦一族の時代から現代まで、ずっと重要な役目を果たした三崎。最近は観光客も増えて、にぎやかで楽しくなってきました。なんと、おしゃれカフェも何軒かできました。おいしいドーナツ屋さんも!!
観光がてら、ぜひ出かけてみてください。

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2017年10月 2日 (月)

日にち変更!!告知【募集】「いざ!歩こう!長井城へ!!」の巻

歴史ウォーキングのお知らせ

さてさて、気持ちのいい季節になってきました~!
ということで、行きましょう!歩きましょう!!いざ!GO!GO!
一緒に三浦一族の史跡を巡りながら、風光明媚な景色を楽しみませんか?

今回は長井城と和田城に行きます。と、言ってもお城の遺構などはないけど…。それでも、歩いていくと色々と感じるものがたくさんあります。行ったことのある場所でも、また違う姿が見えたり、新しい発見があります。地形や位置から、色々と感じるものがあります。

コースは三崎口の駅を出発して、和田義盛ら和田氏の里、和田氏と縁のある天養院を拝観して、海岸を歩き長井城へと向かいます。
距離は10kmちょっとでしょうか。
天養院では秘仏の薬師様を見せていただきます。

歴史が苦手な方でも、楽しめるコースになってますよ!三浦半島の中でも屈指の景勝地!風光明媚です!!
初めての方、お一人での参加の方大歓迎です。楽しく歩きましょう!


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日にち    平成29年10月22日(日)

台風のため、日にち変更です。

日にち    平成29年11月3日(祝)

集合場所  京浜急行「三崎口駅」改札

集合時間  10時!!

参加費    1000円(拝観料・資料代込み)

お弁当持参でお願いします。レジャーシートを持ってくることをおススメします。

歩きやすい服装・靴での参加をお願いします。
今回は山というより、海岸を少し長めに歩きます。
あとは自己判断でよろしくお願いします。

人数は10人から20人を予定してます。予約制とさせていただきますので、参加希望の方はメール、電話、FB、ブログへのコメント等、どの方法でもいいので連絡ください。

一部の方に集合を9時半と知らせてしまいましたが、お寺の御都合により、10時に変更させていただきます。すみません。
なお、お寺に急遽、法要が入ってしまった場合は拝観ができない可能性がありますのでご了承くださいませ。



楽しく気持ちよく歴史めぐりをしましょう!!ご連絡お待ちしてます。

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2017年9月25日 (月)

「いざ!山城さんぽ!」雑誌掲載の巻

雑誌に1ページだけ載せていただきました。



「クルマで行く 山城さんぽ」


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とてもかわいいネーミングですね。
車で行く八王子城の案内をはじめ、どの城も駐車場情報がきちっと載ってました。
結構、駐車場探しに苦労しますからね。
ただ、がっつり山城になると駐車場がないところが多いのが悩みの種ですね。

なんにせよ、秋めいてきてお出かけシーズン到来!!
山城シーズン到来!!!!
わーい!テンション上がる~!

まずはこの雑誌でも眺めながら、お出かけ計画を立ててみてはいかがでしょうか?


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わたしはてっきり山城専門の雑誌かと思い、おすすめの城をすべて山城…しかも石垣ナシの土の城にしてしましました。雑誌が届いたら、表紙が天守でビックリ!!
他のページも結構、天守が載ってるし!うひゃー!私のページだけ、写真が真っ茶色~!!地味~!!華がない~!
まぁ、いいや。だって土の城が好きなんだもん(^^♪

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2017年9月 9日 (土)

「いざ!新井城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースの連載も15回目!そんなにやったっけ?と、自分でもビックリです。
と、いうことで今回は「新井城」です!!新井城は歴史もドラマも満載!では行ってみようー!!



クリックどうぞ!タウンニュースのコラム記事です。

⇓   ⇓   ⇓   ⇓   ⇓   ⇓

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新井城は永正10年(1513年)から3年間に及ぶ北条早雲と三浦道寸の壮絶な決戦の場として、歴史の舞台に登場します。今見ることができるのはこの戦いの頃の城の姿です。
それ以前も三浦一族のなんらかの施設があったと思われます。1247年の宝治合戦で三浦宗家が滅びてから、生き残った佐原氏は三浦半島の南を所領としてますしね。何かしら使ってるはず。

ということでまずは場所から。新井城の場所はというと。ココです!
油壷と呼ばれて、マリンパークや温泉、海水浴場などのレジャー施設で賑わう観光スポットですね。下の写真のマリンパークのある小さな半島というか岬というか。


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上の写真のピンクの矢印。ここは「内引橋」と呼ばれる場所です。
城へ向かう道はここしかなく、ここに引橋が掛けられてたと思われます。掘り切って橋を架けておいて、有事の際は橋を引いて敵が攻めてこれないようにする仕掛け。矢印の先っぽがあるあたりが「横堀海岸」という名の海岸になってるのは、その名残りですね。


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ここを下りていくと横堀海岸です。ガクンと落ちてる感じ。掘り切られてるのがよく分かります!!


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その堀切の逆側がこんな感じ。


旧三崎高校、今は消防署のあるとこに「引橋」という交差点がありますが、あそこが「外引橋」です。車でビュンと通るとイマイチ分かりませんが、歩いて下を見下ろすと渓谷になってる感じがあります。新井城から約3km離れてたとこにあって、唯一の陸路での城へ続く道です。

ちなみにこの外引橋のあたりに「陣場」という字名が残ってるそうで、ここが北条勢の陣場だったと伝わります。北条早雲が相模の国を手中に収めようと相模に進出、そして三浦一族はその最後の障害、敵になるわけです。さっきから「北条早雲」と言ってますが、実はまだこの頃は早雲は「北条」を名乗ってなくて出自の「伊勢氏」を名乗ってました。

前は、早雲は一介の浪人で、それが下克上で…的なこと言われてましたが、最近では名門の血筋だと言うことが分かってます。桓武平氏の出である伊勢氏は足利氏の家臣で、3代将軍の義満のときに政所執事という役職に就き、以来その職を世襲してました。政所執事とは民事訴訟や徴税、金銭の出納などを管理する重要ポストだったんですね~。で、早雲はその分家の備中伊勢氏なんですね。
「北条」を名乗ったのは2代目の氏綱からです。



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油壷湾。今はヨットや船がとまってリゾート地のような雰囲気。壮絶な戦いが繰り広げられたとは思えませんね。海面も鏡のように見えるほど、凪いでいて美しい。

「油壺」の名前の由来もこの戦いに関係があるとかないとか。
この新井城の戦いで油壺湾にたくさんの戦死者が沈み、その血が海を赤く染め、海面が油を流したように見えたというとこから「油壺」という名前がついたという話があります。

でも、前に油壺湾の海底をさらって、調査したことがあるらしいんだけど。そのときは新井城の戦いのときの遺物は何も出てこなかったんだって。


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油壷は私も小さいときに良く行きました。マリンパークや新井浜の岩場で遊びました。その「油壷」という名前にまさかこんな由来があったとは!
他には、水面が鏡のように光って反射して見えることから、油を連想し、油壷と言ったという説もあります。

籠城して囲まれてるときって、蟻が出る隙間も無いほどなのかな?と思ってたんだけど、意外とそうでもないらしくて。
道寸は永正12年に母親が亡くなった際、供養のために自筆で記した法華経を奉納してます。籠城中に自ら筆を取って、しかるべき寺社に経を持ち出して奉納したんですね~。


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今は新井城のほとんどが東京大学の施設になってしまってますが、土塁や空堀などが綺麗にところどころ残ってます。施設の建ってる場所には「御殿跡」という名が残ってて、地名から名残りを感じることができますね。


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いつも立ち入りOKな通路から撮った空堀写真。

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いつもは立ち入り禁止の東京大学の施設側から撮った空堀写真。さっきの写真と同じ空堀の、あっちとこっち。
今は空堀や土塁を外から眺めることしかできませんが、年に一回、毎年5月の最後の日曜に開催される「三浦道寸まつり」で、東京大学の施設の中に入って、城内を見学することができます。空堀を内側から見たり、土塁など土の名残りを見ることができます。
供養祭や三浦一族のお家芸だった笠懸も催されます。


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施設が建っている城内の平場。ここが見れるのも年に一回の道寸まつりのときだけ。
新井城址は江戸時代頃までは「二の丸の草を家畜が食べたら死ぬ」とか、亡霊が出るという噂があったらしく荒れ放題だったとのこと。
明治30年くらいに三崎にあった臨界実験所が手狭&海が汚れてきたという理由から油壺に移転されることになりました。怖くて人が寄りつかない油壺は格好の場所だったんだとか。


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三浦一族のお家芸だった笠懸。奉納の儀式というよりは実践的なゲームのようなもの。
道寸まつりでも優勝者を決めたりと盛り上がりました。迫力満点でかっこいい!
和田義盛、三浦義澄をはじめ、三浦一族は頼朝の前とかで弓馬術の腕前を披露したりしてたんですね。


この新井城を舞台に繰り広げられたVS北条早雲との戦いで、三浦一族滅亡!となる訳です。まぁ、滅亡と言っても血筋はいろいろと受け継がれていきますが。
と、いうことで、ざっと歴史をおさらいすると…。

源氏復興&鎌倉幕府設立で功を挙げた三浦一族は1247年北条氏との戦い、宝治合戦で敗北。法華堂にて三浦宗家は自害。一族の佐原氏が北条氏についてたため、旧所領の一部をもらってお家は存続。だけど、いままでの本拠地の大矢部・衣笠の地はもらえず三浦半島の南の突端に移ります。そして、「三浦」の姓を復活させ、新井城で最期を迎える三浦道寸・義意父子へと繋がります。
道寸は養子です。もとは上杉高救の二男なんですね。この頃は三浦氏は扇谷上杉氏に従ってました。道寸は家督を継ぐと、息子の義意を新井城に、自分は平塚の岡崎城に入りました。
この頃、小田原の大森氏を追い出した早雲は相模国平定を目論みます。そして、道寸のいる岡崎城を攻めました。道寸は逗子の住吉城に退きます。ここでは道寸の弟の道香が北条軍を食い止めようとするも落城し、自害。逗子の延命寺境内にて自害したと伝わり、お墓があります。
この一連の戦いで、太田道灌の息子、資康も討ち死にします。道寸の娘婿でした。

さらに戦線は南下。佐原、秋谷、林などで戦うも道寸たちは新井城へと退くことになりました。そして、新井城に籠城することになるのです。


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下の浜を臨む。見張り台のような感じ。平場にもなってた。竪堀も入ってるように見えたし。


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きれいな海。船着き場かなと思いました。下の岩場もなんだか加工されてる感じがしたし。
戦時は水軍として三浦氏に属し、平時は海運を生業としてた三浦組っていうのがいたんだけど、三浦一族が負けた後も城ヶ島に渡って早雲に対する抵抗を続けてたらしい。
その両者の間に建長寺や円覚寺が入って和睦。三浦組は早雲に従うことになったとのこと。後に再編集されて、三崎十人衆として厚遇されたようです。

新井城の戦い当時の資料には「三崎要害」という言葉が出てきます。これが新井城のことのようです。新井城という名は後になって、今の三浦市役所のあたりに三崎城を取り立てるようになってから、そこと区別するために使われるようになったみたいです。いつから、新井城と呼ばれるようになったのかはわかりません。ただ、北条氏の時代には「油壺」という名前は使われてたようです。小田原合戦の直前に油壺に水軍を配置するように指示を出した書状が残ってるとのこと。


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城内に三浦道寸・義意のお墓があります。三浦氏の後裔の正木氏たちが建てたものと伝わります。
「三浦一族滅亡!」といっても、三浦の血筋は今までのブログにも書いたように、いろいろなところに受け継がれてます。蘆名、和田、多々良などなど。




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北条九代記に
「此の城の有り様、…(要約すると)周囲に垣をめぐらせ、東側だけ陸続き。三方は海。峯高い山坂があって、鳥じゃないと登るには厳しい。巌も厳しく、獣だって疲れるよ。100万の兵でも力攻めは難しいなぁ。千駄櫓って言う食糧庫もあるみたいだしね。でも、いくら道寸といえど度々の戦いで兵も減っちゃったし、後詰の援軍を待つしか策がないみたい。でもだからといって、すぐには攻められないから早雲は向かいに陣城をつくって3年も囲んでから決戦の日を迎えたんだよ」
という感じでしょうか。

後詰の上杉の援軍を頼みにしてたけど、早雲は先に手を打って援軍が来れないようにしてました。早雲は玉縄要害を改修して、玉縄城を築城。三浦半島への上杉勢の援軍を阻止したのです。


頼みの援軍も来ず、万策尽きた道寸と義意以下三浦一族は討って出るも大軍相手に力及ばず、自害。永正13年(1516年)7月11日、三浦一族のは最期の時を迎えました。

道寸は「討つものも討たるるものもかわらけよ くだけてあとは元の土くれ」という辞世の句を残しました。個人的には、とても好きな句です。無常観たっぷりで胸に迫ります。
道寸は和歌や書にも優れ、古今伝授をも受けていたと言います。古今伝授ってのは、古今和歌集の解釈を中心に歌学などの諸説・秘伝を師から弟子に伝る作法のこと。これは当代一流の文化人だった証です。


後日談ですが、江戸時代に成立した軍記物とかは新井城が落城して道寸たちが自害した日を「永正15年寅年」と書いてる。本当は永正13年なのに。
なんでかというと、豊臣秀吉の小田原攻めで北条が開城して、氏政と氏照が自害したのが天正18年寅年7月11日。三浦氏滅亡と同じ日の7月11日。軍記物は因果ものに仕立て上げたかったので「寅の年7月11日の寅の刻」として、年を2年ごまかしてコジつけたわけですね~。

三浦氏というのは江戸時代に入ってもこうやって話題に出たり、三浦氏の系図を欲しがる家が多かったりと、とても影響力の強い氏族だったんですね。
そんな三浦一族の最期の地、新井城。歴史を感じに行ってみてはどうでしょうか?
※海岸で物を食べてると、トンビに狙われます。わたしは100%の確立でサンドイッチやオニギリをさらわれてます(>。<)
お気を付けくださいまし。

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