2020年2月17日 (月)

武蔵国寺尾城

鶴見れきぶん祭2020が開催されました。
今回のメインになるお城は「寺尾城」!
史料の乏しく謎の多い城址です。分かってないからこそ、楽しい!
そんなワクワクする城です。
少ない情報を手に、実際に現地を歩いて自分なりに想像して考えるのが面白い城です。

午前は私が担当する寺尾城ウォーキングツアー、午後は鶴見サルビアホールにて、シンポジウムが開催されました。
寺尾城ツアーは40人で大盛り上がり!!

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まずは建功寺に集合!!
戦国期にこの地を治めた諏訪氏の菩提寺である建功寺を起点に、2時間ちょっとの冒険の旅のスタート!
初めてお会いする方もたくさん参加いただきましたが、終始わきあいあいと楽しい雰囲気で歩きました。


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40人の大所帯でスタート。

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当日はyouTVの取材カメラにも来ていただきました。

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まず、寺尾城を考える上で鍵になるのは「海」。水運です。

今の寺尾の場所は内陸のイメージがありますが、沿岸部が埋め立てられるまでは今よりずっと海が近くにありました。
かつては江戸湾と水路で繋がっていたと思われます。
水陸の要衝地である江戸、品川湊、神奈川湊に挟まれ、さらに南下すると本牧湊、六浦湊、三浦半島へと繋がります。

寺尾城の南西には入江が入り込み、江戸湾と寺尾を結ぶことができます。その入江の名残りが入江川です。


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下の地図で、赤く囲んである所が寺尾城の城山エリアです。
舌状台地の突端南側に位置し、最高所に寺尾城の石碑が建っています。
寺尾城に行ったときは、石碑だけ写真を撮って帰ってしまったらもったいない!
丁寧に歩くと、城の姿が浮かんできます。


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地図のピンクの線が入江川の流れです。江戸湾から入りこんでいた入江です。
湾から内陸へと入り、右手に折れた場所に寺尾城があります。城山の手前には二つの山が!
建功寺と松蔭寺です。まるで、海からのゲートのように感じます。

さらに進むと城山の南側にも山があります。これが白旗神社です。
この立地だけで、ここに城を築いた意図が分かります。

周囲の位置関係が分かった上で、早速ウォーキング開始です。
何度も下見した上で、一番、寺尾城を感じられるコースを作りました。
「寺尾城って何もないじゃん」なんて言わせません!笑

この記事を見て、行ってみようという方はぜひ同じコースで回ってください。
わざと遠回りしたり、上ったり下りたりすることによって、地形が感じられるようになってます。



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徳雄山瑞雲院建功寺。曹洞宗のお寺で、諏訪氏の菩提寺です。
瑞雲という院号は、北条早雲の「宗瑞」と「早雲」からつけられ、忠誠を誓ったと伝わります。
そこからさらに整備され、諏訪氏5代目の諏訪三河守右馬之助の武勇を偲ぶため、功績をもって建立した寺ということから「建功寺」とされました。山号の「徳雄」は、当初は武勇を讃える「徳勇」だったということです。


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山門から中に入ると、高低差があり、山だということが感じられます。
建功寺が建てられる前のこの地に何があったのかは分かっていません。さらに創建当時は別の場所にあったとも言います。
ますます、建功寺がここに建てられる前に、ここに何があったのかが気になります。

現在、本堂は改修工事中で入ることができません。

中世の寺尾城にタイムスリップする前に、まずは江戸時代の長屋門を見に行きましょう。

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ここには江戸時代の名主、澤野家の屋敷がありました。
いまは母屋などは残っておらず、公園になっています。


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1855年に建てられた長屋門。通称「馬場の赤門」
名字帯刀を許され、長屋門を赤く塗ることを許された家柄です。

門の前には旧道が通り、奥へ進むと「湾前」と呼ばれていた場所があります。地元の人は「わんめ」と呼んでいたそうです。2-30年前くらいでも、かなりの湿地帯で田舟に乗って、耕作を行ったと言うほど。
地名から、このあたりの中世の姿が浮かんできます。

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昭和32年の赤門の写真です。


次は建功寺の南側の山、松蔭寺へ向かいます。
建功寺と松蔭寺の二つの山に挟まれた谷には、いまでは「せせらぎ緑道」が流れています。
散歩にはもってこいの気持ちのいい小川が流れる散策路です。
これこそが、水運の名残りです。


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せせらぎ緑道と平行して旧道が通っています。
そして、その旧道に「ハネキ」という屋号を持つ旧家があります。
立て看板には、「船で荷を運んで、荷を下ろした、荷をはねた所だからハネキ」と書かれています。
他にも、水門を設けた所とか、橋をハネて敵を防いだ所などという伝承が残ります。
いずれにせよ、川を使った水運があったということになります。


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ハネキの看板を過ぎたら、一本目の路地を左に曲がります。
かなりの坂になっています。松蔭寺の建つ場所もかなりの山だということを体感できます。
坂を登り切ると、いい景色!!

ランドマークタワー、マリンタワーが目の前に見えます。

高い建物が建つ数十年前までは、房総半島が見えたと言います。
江戸湾を通じて、房総半島とも繋がる要衝地だと言うことが分かります。
沿岸部が埋め立てられる前は、かなりの近さで海が見えたことでしょう。



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仙鶴山松蔭寺。臨済宗建長寺派。
ここは金沢文庫にある建長寺正統庵領武蔵国鶴見寺尾郷絵図で有名。

建武元年1334年の絵図。荘園の境界などを画いたものと思われる絵図です。その絵図に「寺」と書かれてる寺が、この松蔭寺の前身に当たると言われてます。


境内には北条氏の家紋、三鱗の紋。
そして、本堂の横には里見義高の慈眼堂と言われるお堂があります。
元は近くの駒形神社にあったそうですが、神仏分離により、松蔭寺に移されたといいます。

里見義高は里見義頼の子として誕生。徳川秀忠から「忠」の字をもらって、忠重と名乗ったこともある人物。
慶長18年に職務怠慢を理由に改易され、浪人生活を送る。親戚などを頼って転々とし、その後仏門に入り、鶴見にて隠棲したといわれています。そのときに、病気に苦しむ民衆を救うために発願し、地元では慈眼堂にて今でも祀られてるそうです。

ただ、この件に関しては戦国期の里見義尭と混同する記載や本があるため、ちょっとよく分からないので今後引き続き調べてみます。



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松蔭寺から、城山の背後に建つ「ネギ坊主」が見えます。昭和12年に造られた配水塔です。
今は使われてませんが、「ネギ坊主」の愛称で、地元では親しまれています。どこから見ても目立つランドマークです。そのあたりに「馬場」という地名が残り、配水塔が建つ前から平場が広がっていたと推測できます。

城山の尾根の背後にあたるので、ネギ坊主を目印に歩くとすぐに城山の位置を見つけることができます。



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松蔭寺の麓は谷地形になっていて、寺と連携する施設が建っていたと考えられます。



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次は白旗神社の山に向かいますが、バス通りに出て、東高校をチラッと眺めます。
ここが城山の東側の突端部分に当たります。この高低差からここも城山の一部であったことが分かります。



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白旗神社が建つ山は、山全体が公園になっています。
平場がたくさんあります。ひな壇状の平場が並びます。一つ一つが広いです。


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どう見ても城と連携してるように見えます。
城の南側の防御、そして駐屯地のように思います。



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白旗神社から城山を臨む。
正面の山の白い家が見えるあたりが、城山の最高所に当たります。
位置的には正面でバッチリ。



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白旗神社。
珍しくも、祭神が足利尊氏です。
鎌倉幕府滅亡後、北条高行の遺児である北条時行を奉じて旧幕府勢力が起こした中先代の乱。そのときに諏訪氏は旧幕府勢力の中心人物として、足利政権に対して反旗を翻しました。

そして、諏訪氏は敗北。自害します。そのとき、三浦氏も旧幕府勢力の中心にいました。

 

そんな背景がもしかしたら祭神に足利尊氏を祀っていることと関係があるのかもしれません。まさに忖度?!

 

その辺も寺尾城の謎を解くための鍵になりそう!
面白いです。


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城山を囲む三つの山を歩き終わったので、ここからやっと城山に向かいます。
正面に城山が見えてきました。
「城が浮かび上がってきました?」の問いかけに、

「城が見えてきた!」と嬉しいリアクション。

そうなんです。じっくり歩いていくと、だんだんイメージが湧いてくるんです。
 

 

このあたりは「鍛冶屋敷」と呼ばれているエリア。
白旗神社の山の麓にログハウスがありますが、その北に小池があって、鍛冶の時にその水を使っていたと伝わります。

その職人が住んでたのが鍛冶屋敷と呼ばれるこのエリアです。鉄屑が出てるそうです。

刀、馬具なんかをつくってたといい、屋号が鍛冶屋敷という旧家が今も残ります。

 

 


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城山の麓に建つオレンジ色の屋根のマンション。
実はその敷地内に土塁として保存されている区画があります。
上の写真がその土塁の写真です。
戦国期の土塁だと思われますが、立ち入り禁止のため、今回のツアーでは入ることができませんでした。
城山の下の屋敷の土塁かなぁという感じ。


 

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やっと到着しました殿山公園です。
発掘調査が行われ、公園として整備されています。
土塁と空堀、そして瀬戸焼の壺、古銭が出土しています。1900枚強。
出土は唐の開元通宝、北宋、南宋、明の宣徳通宝となり、15世紀以降ということ。

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この城山は舌状台地の突端にあり、三方を低湿地に囲まれる立地です。
堀の角度は50-70度、地表面から底までが3m、上幅が5m、底幅が1m。
竪堀のように下に向かって掘られており、両側に土塁が盛られています。
堀の左右に曲輪が配置されてたんでしょうか?ちょっと珍しい縄張です。

堀は宝永の火山灰が上の方にあったので、1707年にはかなり埋まってたことが分かるとのこと。この調査によって、この場所に城があったと考古学的に裏付けられたわけです。

 

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ほんのり土塁が見て取れます。


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ほんのり空堀が見て取れます。


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…わかりにくい!笑


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柵が邪魔です~…

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堀を追いかけていくと、徐々に山頂へと道が延びます。
そして、住宅街の頂上にヒッソリと寺尾城址の石碑が建っています。
このあたりが本曲輪と伝わりますが、完全に崩されてしまい、いまは石碑だけです。
ただ、南側を見ると目の前に先ほどの白旗神社が見えます。
ますます白旗神社の山が城山と連携していただろうとの推測が強まります。



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石碑から一段下りると馬場稲荷。諏訪氏の当主がここにお参りをして、馬上手になることを祈ったと伝わります。
江戸時代は観光の名所になりました。


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寺尾城址の石碑が建つあたりが、本曲輪、ようは城の一番大事な場所と私が確信した景色がコレ。
富士山と大山が見えます。重なって見えるのです。
必ず、城には聖地のような信仰の対象があるはずです。

この景色が見えるのは、このあたりではココだけ。まさに信仰の対象を目の前に拝むことができる一番大切な場所。それが今でも本曲輪と伝わる場所と一致しています。

やっぱりココなんだなと、感動を覚える景色でした。


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さて、2時間半くらいかけてじっくりと城山周辺を回りました。
最後は殿山バス停付近の坂の途中にある寺尾城の看板前で解散となります。
上の写真はその看板の場所から、道を渡ったところから撮ったのものです。
このあたりは、大山街道が通り、さらに城山のある舌状台地の基部に当たる所。一番、尾根が狭くなっている場所です。
この辺に尾根を分断する堀切が入ってたようです。はっきりとは分かりませんが、家々が建つ高低差になんとなく、そういう雰囲気を見て取ることができます。



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今回のツアーでは時間がなくて寄れませんでしたが、これまた謎解きの鍵になりそうなお寺を紹介します。

殿山公園の東、歩いて3分にある愛宕山宝蔵院延命寺。
鎌倉時代以前の創建かと思われるこの地域で一番古そうな寺。
なんとここから承元4年(1210)の板碑が出土しています!!すごい!

と、いうことはここのその時代に鎌倉幕府ゆかりの誰かがいたということ。これが寺尾の消えてしまった歴史を考える上でとても重要になりそう!


宝蔵院の裏山には愛宕社があったそう。

愛宕社があった愛宕山も城と連携する出城だったと、地元では言い伝えられています。

この寺の過去帳には永享7年(1435)に亡くなった住職の記録があって、それがこの寺最古の記録です。

でも、板碑があることからもっと遡って、鎌倉時代からの古刹かと推測してよさそう。

諏訪氏がそこに繋がるのか、はたまた全く関係ない一族なのか。

 


最後にまとめると、寺尾は面白いということ。

神奈川や埼玉、川越の他の寺尾という地名。これを調べると、諏訪氏が絡んできます。寺尾という地名同士の繋がりはいかに?

白旗神社の祭神が尊氏という理由はいかに?
鎌倉時代の板碑は誰に関連するのか?
諏訪坂にある諏訪氏の館跡と呼ばれる場所には誰がいた?城とどう連携してた?
さらにその近くにある秋田城介、安達義景の屋敷跡との関係は?
貝の介台と呼ばれる伝達役を想像させる地名との連携は?

などなど、色んな時代に渡り上書きされてきた土地ならではのモヤモヤ感がタマりません。
 
寺尾城は史料は少ないですが、承元4年の板碑からも推測できるように、鎌倉時代から鎌倉幕府の御家人が領地とし、少なくとも永享年間には諏訪氏が寺尾に入り関東動乱を生き抜き、そして小田原北条氏の家臣となり、菩提寺を建て、当地を治めました。
江戸時代に入ると、幕府の直轄地となり、代官が置かれました。

寺尾という地は水運が鍵となり、いつの時代においても重要な地となったと思われます。 

 

寺尾城は1570年前後に使われなくなったと言われてて、戦いで落ちたのか、必要なくなったのかなどよく分かっていません。
1569年の武田信玄の小田原攻めで、攻められたとも、必要なくなり廃城になったとも言われてます。
1575年に廃城になったとの説もあります。

そんなふうに歴史が上書きされる中で、色んな時代の痕跡が寺尾には残っています。
土塁だ、堀だという単に城の遺構だけではなく、
寺尾という地、全体で捉えて全体で見ることによって寺尾城という城が浮き上がってくるのではないでしょうか。

寺尾全体にかなり広範囲に配置して、拠点として作り込んでる印象を持ちました。
頼朝が上洛い同行した武士の中に寺尾氏の名も見えますし、畠山重忠の乱の時に参戦した鶴見氏の主人は安達氏…。諏訪坂の近くに安達氏の屋敷があるので、この辺も繋がりそうです。
承久の乱の時の幕府側の負傷者の中に、寺尾氏、鶴見の沿岸部に屋敷があった潮田氏の名前も見えます。
鎌倉幕府4代将軍頼経が安達の鶴見屋敷に宿泊し、鶴見神社に立ち寄っています。
あげるとキリがないくらい、鶴見、寺尾は重要な場所として歴史に登場します。鶴見合戦という大きな戦いもすぐ近くの鶴見川で起きています。

調べれば調べるほど面白い寺尾城。ぜひ、行ってみて自分なりに思いを馳せてみてください。


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萩原さちこさんと、いなもとかおり(ちょめ)さん。


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下見で、さちこさんとドローン撮影。楽しかった!!


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打ち上げでお城ジオラマ復元堂/城ラマの二宮博志さん、写真家の畠中和久さん、小田原城館長の諏訪間順さん、いなもとかおり(ちょめ)さんと。



参加者の方、登壇者の方、スタッフの方、関係者の皆様、お疲れ様でした。
引き続き、寺尾について調べていきたいと思います。
寺尾という場所は歴史的にとっても面白い!!!





 

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2020年2月 1日 (土)

絶賛募集中「大人の遠足!バス旅行・いざ、金山城&足利館へ!」の巻

バス旅行のお知らせ

群馬県太田市の金山城と栃木県足利市の足利館へ!!
おいしいランチ「武士御膳」も楽しめます。

2月29日(土)です。

以前にも告知しましたバス旅行ですが、残数わずかとなってきました。ありがとうございます!!
申し込もうか迷い中の方いましたら、ぜひお申込みください(^^)


よろしくねがいしまーす💛
申込みは下のリンクからネットでできます。
店頭の場合は、上大岡京急百貨店内のコロンビアショップか、日本旅行上大岡店で申し込み出来ます。


https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

ものすごく楽しいコースになってますので、申込み済みの方はお楽しみに~!!


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2020年1月28日 (火)

TABICA新コース・先着5名様クーポン「いざ、権現山城へ!」

TABICAで新しいコース作りました。
5名様限定のクーポン券があるので、添付します。

コースの内容もクーポン券をクリックしてもらえると、見れるようになってますので詳細もご覧ください。

早い者順なので、なくなってしまったらごめんなさい。
よろしくお願いしまーす。

 

https://tabica.jp/coupons/TC18747

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2020年1月24日 (金)

「いざ!洲崎から北鎌倉・山内エリア!」の巻

2月のイベントのお知らせです。
2020年2月23日(日)・2月24日(祝月)
両日同じ内容で開催しまーす。

場所は鎌倉です。
モノレールの西鎌倉駅からJR北鎌倉駅に向かいます。
鎌倉を西から北へ縦横無尽に歴史ロマンを求めて歩き回ります♥

洲崎古戦場の近くには、面白い痕跡がたくさん!!
さらに手広地域にも、すごい秘密のスポットがあります!!
乞うご期待!♥
一緒に楽しく歩きましょう~。

詳しくはチラシをご覧ください。

参加申込みは各SNSか、

heart.blue.heart.blg@gmail.com
まで連絡ください~。


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2019年12月19日 (木)

《告知&募集》「いざ、深見城へ!!」の巻

新年最初のウォーキングイベントのお知らせです。

日にち
令和2年
1月18日(土曜)・1月26日(日曜)

※両日同じ内容で開催します。

集合場所と時間
10時
相鉄線「瀬谷駅」
※詳しい場所は参加者の方に後日ご連絡します

参加費
2,000円
(保険・資料代・諸経費)

解散場所
相鉄線「瀬谷駅」

瀬谷駅をスタートして、史跡に立ち寄りながら、世谷原の古戦場や深見城、四万坂の古戦場に出陣します。
楽しく歩いて、一年を元気に気持ちよくスタートさせましょう~!!

瀬谷は鎌倉街道の上道が通り、交通の要衝です。
鎌倉攻めに向かう新田義貞軍はもちろん、ほかにもいくつもの合戦の舞台になりました。
そんな歴史を探しながら歩きましょう!


詳しくは写真のチラシをご覧ください~。

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申込み&問い合わせは
heart.blue.heart.blg@gmail.com
までご連絡くださいな💛


最近は新田義貞を追いかけるような企画が続いております。
そんなコースをより楽しく歩くには、安部龍太郎さんの「義貞の旗」がおすすめです。
歴史歩きがググっと楽しくなりますよ。


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2019年12月 3日 (火)

【告知】鶴見れきぶん祭「いざ、寺尾城へ!」

 2020年2月11日
横浜市鶴見区でイベントがあります。
私の担当は午前中の寺尾城ツアー!
一緒に出陣しましょう!

寺尾城の詳細は不明だけど、ちゃんとじっくり歩くと面白い!
まわりを歩くと、うんうんなるほど!という感じに、想像が止まらない!!
と、いうことでぜひご参加ください。

申込みは下のサイトから!
午後は、小田原城館長の諏訪間さんをはじめ、萩原さちこさん、二宮博志さん、いなもとかおりさん、枡野俊明さんら豪華なメンバーの講演会があります。私のツアーの後でも講演会は間に合いますので、ぜひ併せてご参加ください。

各申込み方法等は下のサイトでご確認ください。
よろしくお願いします(^^)



https://tsurumirekibun.wixsite.com/home




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2019年11月29日 (金)

パシフィコ横浜「図書館総合展2019」にて


パシフィコ横浜で行われた図書館総合展2019でお話しさせていただきました。

ずばりフォーラム「城×図書館」
私は「郷土資料が果たす役割は無限大」というテーマでお話ししました

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城めぐりや三浦一族ゆかりの地をまわるときは、現地の図書館に必ず立ち寄ります📕...
現地でしか手に入らない情報、郷土資料が図書館にはたくさんあります。
それぞれの自治体で編纂した県史や市史、郷土史家が著した書物、同好会や研究会が発行した機関誌んどなど、そんな
郷土資料というのはその地域の宝です。
アマゾンや本屋では手に入らない貴重な情報です。


そんな郷土資料を活かして、地域の歴史をその土地の人に、さらには外からくる訪問者に向けて発信して伝えて欲しいと思います。その土地の歴史と人々をつないでほしい、入口になってほしいと思います。


図書館は大学図書館も含めると全国で5000館もあるそう。
お城も何万もありますが、3万個とすると…
なんと、図書館1館につき、お城が6城!!
1館につき、6つのお城が観光資源、土地の財産として利用できるのです。すごー!


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土地の人とさらにはそこに来る旅人、城好き、歴史好き、そんな人たちに「おらが村」の自慢をして、どんどん発信して欲しいと思います。
まさに郷土の歴史&郷土資料は価値が無限大!です。

埋もれてる歴史や城は地域の財産です。
観光資源です。
消えてしまわないように何とか掘り起こしたい!

そんな感じのお話をさせていただきました😊


あとは、自分の足でまわる大切さを。


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足と目と耳と、五感を働かせて、想像して考えた情報はまさに生きた情報。
郷土資料に書かれている情報はまさにそういう貴重な情報です。
私が考える歴史を学び、楽しみ、伝える上で一番大事なものは
「足」!!

現地で感じて考える、そういう歴史の楽しみ方をこれからもご案内していきたいと思います(^.^)

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ちゃんと三浦一族のPRもしてきました。
こんなに全国に守護地頭国司となって飛び出しt活躍してます。
そんな三浦一族を追いかけて、私も西へ東へ!
これからも各地の図書館にどんどん立ち寄りたいと思いまーす📚

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2019年11月21日 (木)

「告知&募集」いざ!遊行寺&村岡城へ!」の巻

今年最後のウォーキングイベントのお知らせです。

日にち
12月8日(日曜)・12月21日(土曜)
※両日同じ内容で開催します。

集合場所と時間
10時
JR藤沢駅
※詳しい場所は参加者の方に後日ご連絡します

参加費
2,000円
(保険・資料代・諸経費)

解散場所
湘南モノレール・湘南町屋駅 

藤沢をスタートして遊行寺、藤沢御殿、白旗神社などに立ち寄ります。
箱根駅伝を目前にして、難所遊行寺の坂を駆け上がりましょう~(笑)
その後は三浦一族の始まりの地でもある村岡城に寄り、最後は柏尾川を渡り鎌倉へ!
新田義貞軍の進軍コースを歩いて、柏尾川を渡河し、洲崎に攻めかかります。
洲崎古戦場で地形を楽しみながら思いを馳せ、一年の締めくくりにしたいと思います。


詳しくは写真のチラシをご覧ください~。

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我ながら今回もとても楽しいコース!
これは参加しないと!
しかも年末ジャンボ宝くじ並みの出血大サービス!
なんと!!!
スタンプシール5枚!!
わー!すごい!笑

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藤沢宿なども楽しく歩きましょう。
写真は曇り空ですが、きっと当日は気持ちよく晴れるはず!!



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白旗神社には新しい義経&弁慶の銅像が建ちました。


ということで、参加連絡お待ちしてます。
メールかコメントなどで連絡ください(^^)

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2019年11月 8日 (金)

お知らせ「日帰りバス旅行!上大岡京急百貨店COTONOWA」

上大岡京急百貨店COTONOWAカルチャーにて、日帰りバス旅行企画が決まりましたー!!!
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申し込み&お問い合わせは
〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

手続きは店頭、もしくはネットからとなってます。
ドシドシご応募ください!お待ちしてマース。

https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

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2019年10月27日 (日)

【告知&募集】いざ、関戸城へ!の巻

次回のイベントのお知らせです。
前回の分倍河原合戦の続きで、関戸合戦に出陣します。

前回のおさらいからスタートするので、分倍河原合戦に参加してない方でももちろん大丈夫です(^^)


2019年11月23日(土)・11月24日(日)

※両日同じ内容です

10:00
JR南武線「分倍河原駅」集合


16:30頃
京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」解散



参加費2000円(資料代・保険代・諸経費込み)

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださーい。
詳細はチラシをご覧ください!

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関戸城は「霞ノ関」と呼ばれる関所があったところです。
多摩川を押さえる交通の要衝でした。


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地形や城、関所、砦の名残りを探しながら楽しく歩きましょう~!
参加連絡お待ちしてます★

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2019年10月24日 (木)

講演・三浦一族研究会入門講座「三浦一族ゆかりの城跡」

10月6日に横須賀ヴェルクにて、三浦一族研究会入門講座が行われました。
今回は研究会の会員じゃない人も受講できる入門講座。もっとたくさんの方に三浦一族を、三浦一族研究会を知ってもらおうという企画です。

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募集が40人のところに80人近い応募がありました!嬉しい!
「三浦一族ゆかりの城跡」というテーマでお話させていただきました。


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大矢部衣笠の本拠地エリアと古久里浜湾の関係、怒田城の地形と重要性、その他の三浦半島の城跡…。
などなど、そんなお話をいたしました。
他にも一般的な山城の説明をしつつ、全国に広がる三浦一族ゆかりの城を。
会津若松城、向羽黒山城、美作高田城、越後黒川城、越後奥山荘城館群…。
たくさんありますね、全国にも三浦一族の足跡!

お城に絡めながら、三浦一族の活躍&面白さも存分に盛り込みました。
前で話しながらも会場の盛り上がりや熱気みたいなものを感じられて、とても嬉しく楽しい90分でした。

これからも研究会の方でも、どんどんイベントを企画していきたいと思います(^^)


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城EXPO2019

お城EXPO2019!!
今年もパシフィコにて開催されます。
2019.12.21(土).22(日)の2日間です。

▼お城EXPO 2019
http://www.shiroexpo.jp/  


今年は、「栄枯盛衰 豊臣から徳川へ」というテーマのもと、講演やセミナーなどが開催されるようです。
そして、城好きの交流会「プレミア前夜祭」も開催されるとのこと!

みんなで「いざ、城EXPO2019へ!」
私も22日の午後から参戦予定です。
見かけたら声かけて下さい♪

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2019年10月12日 (土)

《随時募集中》オトナの遠足「カルチャーセンターさいかや横須賀店」


2018年4月から、カルチャーセンターさいかや横須賀店にて、歴史めぐり「出陣のススメ」講座をやってます。
早いもので、もう一年半も経ちました。
少人数で、和気あいあいとかなり楽しい講座です。
多少の入れ替わりはあるものの、10人前後の大人の遠足サークルという感じ。

月に二回のスクールで、1回目は座学、2回目は出陣します。
三浦半島に限らず、鎌倉、横浜、ときには東京まで攻めあがります(笑)

随時、募集してます。
体験もできますので興味ある方は、下記チラシのカルチャーセンターさいかや横須賀店までお問い合わせください。

忘年会なども有志で行い、とっても楽しいですよ(^^)
元気に楽しく歴史で遊びましょう💛

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2019年10月 5日 (土)

上大岡京急百貨店COTONOWA・秋~冬

上大岡の京急百貨店カルチャースクールCOTONOWAさんにて開催中の講座「出陣のススメ」新コースのお知らせです。
申込みが始まりましたので、もしよろしければ!
今回は幕末の台場や横浜駅周辺の歴史をブラブラ歩いて解き明かします(^^)

横浜駅すぐ近くには江戸湾の要衝の神奈川湊がありました。
その大事な地では、戦いも繰り広げられ、中世から幕末まで歴史が盛りだくさんです!!

11月26日
神奈川台場

1月21日
権現山城

3月24日
品川台場


申し込み&お問い合わせは
〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

手続きは店頭、もしくはネットからとなってます。
店頭の場合は、上大岡京急百貨店7階の総合サービスセンターにて。
ネットの場合は「コトノワ」で検索するとコトノワさんのサイトが出てきますので、サイト内で「山城ガール」と検索してください。

ドシドシご応募ください!お待ちしてマース。
下の写真をクリックすると拡大されますので、見てみてください。

なんと、2月にはバス旅行もありますよ!
また告知しますね。
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2019年9月26日 (木)

《告知》ヨコスカキッズWeek

秋めいてきました!
山城シーズン到来ですね。

どんどんイベントやりたいと思います。
まずはキッズイベントのお知らせです。

横須賀市のキッズウィークイベントの協力店として、横須賀グリーンゴルフさんでキッズ向けのイベントが開催されます。
その中で私も歴史イベントやります。

お子さんと!お孫さんと!親戚のお子さんと!
などなど、キッズと大人が一緒に参加する楽しいイベントです。

詳細はグリーンゴルフさんのチラシをご覧ください。
10/4のタウンニュースにも詳細が掲載される予定です。

この前、小学校で講義はしましたが、キッズ向けのイベントは初めて!!
楽しみ~♡

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2019年9月20日 (金)

告知&募集「またまたやるよ!いざ、分倍河原の合戦へ!」の巻

告知&募集「いざ、分倍河原合戦へ!の巻」

9月の時点で満員でお断りしたのと、雨の振替えのため、10月も同じ内容で開催します!!

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2019年9月21日(土)・9月29日(日)

2019年10月13日(土)・10月19日(日)

※両日同じ内容です

10:00
JR南武線「南多摩駅」集合


16:30頃
JR南武線「西府駅」解散



参加費2000円(資料代・保険代・諸経費込み)

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

詳細はチラシをご覧ください!



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多摩川。交通の要衝であり、相模と武蔵をつなぐ水運!!
この川沿いには城がゴロゴロ!!

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大丸城。なんとなく雰囲気が残ってて楽しめる~。

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武蔵国府。楽しいジオラマ。
なんでここに国府が置かれたの?相模国と武蔵国の関係は?
などなどブラブラ歩いて解き明かしましょう~。
ちなみに国府の跡には家康も御殿を建てたましたよ。家康の井戸も見に行こう~。

ということで、参加連絡お待ちしてます💛

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2019年9月14日 (土)

新コラボ企画!!「レキシ面白クラブ・歴史で遊ぼう!!」の巻


歴遊旅さんとコラボで新企画です。
レキシ面白クラブの初代ブ長に任命されました!!
ますます楽しく歴史を歩きましょう

軽食での懇親会つきでーす。
イベントで飲み会付きは初めてなので楽しみ💛
お酒やソフトドリンク片手にお話ししましょう。

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レキシ面白クラブサイト内の「今すぐ予約する」から詳細が見れます(^^)

https://www.rekiyutabi.com/レキシ面白クラブ/

さらに!!
「山城ガールむつみ」の新しいアイコンを作っていただきました(^^)
元気いっぱいで可愛い💛嬉しいー!
デザイナーさんはヨシザキアサコさんです

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以下は「歴遊旅」さんのサイトからの引用です。

【レキシ面白クラブ】
歴史をもっと面白く楽しくをテーマに歴史好きの仲間が集う「歴史のクラブコミュニティ」を開設しました。

▼仕組みは簡単
登録不要!会費不要!...
参加したいイベントに参加費をお支払いして頂き、参加して遊ぶだけの簡単システムです。


【第1弾企画】
「歩け!登れ!山城ガールむつみと出陣する大船の変」

日本全国の遺構を渡り歩き歴史を教えるインストラクター「山城ガールむつみ」さんが、初代ブ長としてイベントを行います。
三浦半島中心に大人気の歴史プレイヤーさんです。

「歩いてよし」「聞いてよし」「食べてよし」の歴史満腹企画に参加して一緒に楽しみましょう🎶

第1回
10月20日(日)

第2回
11月17日(日)

第3回
12月14日(土)

座学・懇親会の会場は、湘南エリアを中心に大注目の「NEKTON大船」さんを利用させて頂きます。

▼お申込みはこちらから
https://www.rekiyutabi.com/レキシ面白クラブ/

 

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2019年9月 7日 (土)

お知らせ「上大岡京急百貨店COTONOWAカルチャースクール新講座」

上大岡京急百貨店COTONOWAカルチャーのコースが決まりましたので掲載します。
申し込み&お問い合わせは
〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

手続きは店頭、もしくはネットからとなってます。
ドシドシご応募ください!お待ちしてマース。

https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do


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2019年8月24日 (土)

告知&募集「いざ、分倍河原合戦へ!の巻」

2019年9月21日(土)・9月29日(日)

※両日同じ内容です

10:00
JR南武線「南多摩駅」集合


16:30頃
JR南武線「西府駅」解散



参加費2000円(資料代・保険代・諸経費込み)

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

詳細はチラシをご覧ください!

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多摩川を渡ったり、戻ったりしながら楽しく歩きましょう。
何度も合戦の舞台になった多摩川沿いの分倍河原!
三浦一族も少し登場します。
さらには古墳やら神社なども立ち寄りながら、盛りだくさんのコースです♥

 

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分倍河原駅前の新田義貞像。

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熊野神社古墳のチョイ見せ。

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解散の西府駅。
少し涼しくなってるかな?一緒に歩きましょう~。

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2019年8月 2日 (金)

告知&募集「寺子屋スペシャル・いざ、衣笠城へ!の巻」

 

またまた寺子屋スぺシャルやります!
暑いので、午前中は座学にしてウォーキングは半日だけ。
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横須賀市浦賀駅徒歩1分にある「クールクランカフェ」にて、寺子屋スペシャルを開催しまーす。

今回は座学のあと、美味しいランチを食べてから三浦一族の本拠地大矢部エリアと衣笠城へ出陣!

2019年8月31日(土)

10:15受付開始
10:30座学スタート
11:30頃ランチ
12:30頃衣笠城へ出陣
17:00衣笠城址バス停にて解散
※浦賀駅から北久里浜駅へは電車で移動。交通費は各自負担です。

参加費3500円(ランチ・資料代・満昌寺拝観料・保険代・諸経費込み)
※荒天でウォーキング中止の場合は座学とランチで2000円とさせていただきます。

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

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2019年7月29日 (月)

寺子屋スペシャル「三崎城へ!」

浦賀のクールクランカフェさんで寺子屋スペシャルを開催しました。
今回は座学やって、ランチを食べた後、三崎城へと出陣しました。

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ランチはキーマカレー。ゲンコツほどの唐揚げとサラダが付いてボリュームたっぷり!おいしかったー!
満腹で大満足のあとは、電車で三崎口に移動して三崎城へと向かいました。

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三崎城へ向かう途中には油壺の新井城を攻めた北条氏の陣場や、北条軍の進軍を防ぐための引き橋と言われる谷があります。
三浦氏は3年もの間、新井城に籠城しました。この谷地形こそが北条軍を足止めした防衛線です。
みんなで谷をのぞき込みながら、これじゃ3年も攻めあぐねるよね…などなどと当時の光景を想像しながら進みました。

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裏道や農道を使ってどんどん進みます。
大通りのバスルートでは体感できない素敵な光景&地形がこのルートにはあります。

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ここで一気に台地を降ります。
このアップダウンが三崎城の秘密ですー!
北条湾の入江の名残りがこの高低差なのです。なので、入江の跡をつたって北条湾へと向かいます。


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北条湾にでると、頭の上に城山がそびえ立ちます。
すぐ真上には物見櫓が!!
櫓は現地にはもちろんないので想像で楽しみます(笑


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物見櫓の曲輪には堀切&土橋。
みんなで目を凝らして、当時の様子を思い浮かべて盛り上がりました。


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右手の土の塊は土塁です。
当時はもっともっと高かったはず。

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立派な門があったであろう大手門もあたり。


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ここが私は大手だと思ってる。
そうすると、上の段の曲輪の土塁も生きるし、両サイドの平場も生きるし、横矢もバッチリなのだ!


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海南神社に裏から入る。
まぐろみくじで盛り上がる。
楽しい遠足♪


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エリアが変わって、隣の山へ。
ここは徳川船出奉行の向井水軍の屋敷があった所。
三浦按針もたびたび訪れ、海が一望でき、まさに水軍の将にふさわしい場所!


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少しだけ西側い移動すると、景色が一気に変わる。
このあたりは頼朝の桃の御所があったされる場所。
桜の御所、桃の御所、椿の御所と3つの別荘を使って楽しんでたとされる頼朝。そんなに3つもいる!?なんて思ったけど、実際現地に来るとよく分かる。同じ三崎なのに、全然景色が違うのです。どの景色も甲乙つけがたく、これじゃ3箇所も別荘作って季節ごとに楽しむのも分かるなぁと納得。なんて贅沢だ!



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向井氏の墓がある見桃寺の境内へ。


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ゴールは歌舞島。
ここは夕日がとても美しい所。頼朝をはじめとする御家人達がやってきて宴を楽しんだ島。もてなしたのは三浦一族。埋め立てられてしまってるけど、素敵な景色だったであろう当時の景色が容易に想像できます。


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と、いうことで台風予報も覆し、とっても楽しいイベントになりました。
参加者の皆様、ありがとうございました!
次回のイベントは8月31日(土)を予定。
近日中に告知しまーす。

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2019年7月18日 (木)

いざ、衣笠小学校へ!出前授業の巻

横須賀市立衣笠小学校に招かれて、三浦一族の話やお城の話をしてきました
小学六年生のクラス。みんな、とっても真剣な表情で聞いてくれました。
質問もたくさん出て、三浦一族や城、地域の歴史への関心の高さを感じました。

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話してるときも子供たちはずっとメモを取って真剣に聞いてくれましたー!
あんなたくさん生徒さんを目の前にお話したのは初めてだったけど、熱心に聞いてくれたのでホッとしました。

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60分の中で、三浦一族の歴史の話だけではなく、歴史を知ることの大切さ、それを自分なりに調べて伝えることの面白さも話しました
そしたら子供たちから、
何を勉強したら上手に人に伝えられますか?とか、
なんでこういう活動をしてるんですか?とか、伝える側に興味を持った質問が出てきました。
とても嬉しい質問でした。

歴史が消えていくことはとても寂しく、悲しいことだから、まずは自分が興味を持って身近な人にお話ししてあげてくださいと話しました。
講義で聞いたことを家に帰って家族に話してくれたら、最高に嬉しいな。

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お話しした図書館の窓からは小矢部城の城山も見えます。みんなで立ち上がって城山を見たり、衣笠合戦のことを話したり、とても楽しんで聞いてくれてるように見えました🙌

小学生用に作ったパワポもバッチリだったし、担任の先生方も校長先生もとても熱心に聞いてくれたしで、私もとてもイイ刺激をいただきました💛

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2019年6月20日 (木)

寺子屋スペシャル!「いざ、三崎城へ!」の巻

久しぶりに寺子屋が復活!

横須賀市浦賀駅徒歩1分にある「クールクランカフェ」にて、寺子屋スペシャルを開催しまーす。
今回は座学のあと、美味しいランチを食べてから三崎城へ出陣!

2019年7月28日(日)

10:45受け付け開始
11:00座学スタート
12:00ランチ
13:00三崎城へ出陣
17:00三崎港バス停にて解散
※浦賀駅から三崎口駅へは電車で移動。交通費は各自負担です。

参加費3500円(ランチ・資料代・保険代・諸経費込み)
※荒天でウォーキング中止の場合は座学とランチで2000円とさせていただきます。

定員25名。完全予約制となってます。
申込みは、
heart.blue.heart.blg@gmail.com
もしくはSNS等でご連絡くださいまし。

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城山の三浦市役所。
城の平場を利用して、学校や市役所、駐車場がつくられています。


三崎城は三崎港を見下ろす山に築かれた城です。
今に残る姿は小田原北条氏が築いた三崎城で、
対岸の房総半島の里見氏との戦いの舞台となりました。
目の前の城ヶ島には、攻めてきた里見氏がたびたび上陸しました。まさに三崎城は戦国時代に戦いの最前線だった城なのです。
里見氏との戦いに備えて、三崎の地を守ろうとした当時の人々の必死な想いの痕跡を一緒に探しませんか?

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丁寧に見ていくと当時の遺構を見ることができます。
土塁の名残もちゃんと残ってます。


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「北条湾」という当時を感じる名の残る湾。


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バス停にも「北条」の名が。


そんな歴史を楽しくご案内します。
現地で自分の肌で足で、歴史や地形を楽しみましょう。
きっと一緒に歩くと、妄想想像が広がり、戦国時代にタイムスリップ!
城ヶ島を目の前に望む風光明媚な三崎城!一緒に出陣しましょう。

その昔、三崎の地は三浦一族が 治めていました。
頼朝の山荘を建て、おいしい食事を用意してもてなしました。
中世から戦国期、そして江戸時代、現代と続く三崎の歴史を自分の足で歩いて楽しんでいただきたいと思います。

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バスや車では見ることができない、のどかで素敵な景色を見ながら歩きましょう。
三浦一族の食料庫であっただろう田園風景が広がります。


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天気が良ければ、こんな絶景も楽しめます!
参加申込みお待ちしてまーす。




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2019年5月21日 (火)

【イベント告知】「いざ、本牧・平子郷へ!」の巻

6月のイベントのお知らせです。

日にち
6月9日(日曜)
6月22日(土曜)
両日同じ内容です。

参加費
2,000円
(保険料・資料代・諸経費など)


集合時間
10時

集合場所
みなとみらい線・元町中華街駅

解散場所
JR根岸駅
※元町中華街駅の細かい待ち合わせ場所(出口番号)などは、参加者の方に後日ご連絡いたします。

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今回の出陣は横浜・本牧方面です。
みなとみらい線元町中華街駅をスタートして、JR根岸駅へと向かいます。

三浦一族の平子氏(たいらこ)が本拠にしていた本牧平子郷へ!
「和田」の名を残す和田山や十二天神社などを歩き、足跡を探します。
ほかにも三浦氏と繋がる地名がゴロゴロ!

山手エリアでは貝塚から洋館まで見所満載!
本牧台場跡などにも立ち寄り、地形などから色々と想像して現地で楽しみたいと思います^_^
このあたりは高低差も細い道も堪能できる楽しいエリアです


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坂がそれぞれ風情があって素敵です。

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階段もいい感じです!

さらにさらに、根岸競馬場や馬の博物館も含まれた盛りだくさんコースです!

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詳しくはチラシをご覧ください(^^)
参加連絡お待ちしてまーす。
SNSもしくは「heart.blue.heart.blg@gmail.com」にメールください。

 

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2019年5月 8日 (水)

【イベント告知】「いざ!住吉城&鐙摺城へ!」の巻

おかげさまで定員に達しましたので、受付を締め切らせていただきます。

次回のイベントのお知らせです。

日にち
令和元年5月19日(日)・5月26日(日)
※両日同じ内容で開催します。

集合時間
10時

集合場所
JR鎌倉駅西口時計台広場

参加費
2000円

住吉城や鐙摺城に立ち寄りながら、周辺を歩きます。
小坪合戦や北条早雲の来襲など、想像しながら楽しく歩きましょう!
遺構は残ってなくとも、思いを馳せながら楽しく歩けるコースになってます。

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鐙摺城の遠景。
小坪合戦のときはここに三浦義澄が!



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鐙摺城からの景色。



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住吉城に建つマンション。大きな平場があったのが分かりますね。


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住吉城の隧道。

参加連絡はブログの書き込みでも、メールでも各SNSでも何でもOKです。
連絡お待ちしてまーす。




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2019年4月 4日 (木)

スタンプカード完成💛「一緒にお城100コ行こう!」

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オリジナルスタンプカードを作りました!
題して、「一緒にお城100コ行こう!」です。

100コ?!
と思うかもしれませんが、一度のウォーキングで2~4個は行ってます。
なので、結構どんどんスタンプ増えていきます💛

今まで参加していただいた城も、遡ってすべて押します。
既に過去の参加者の方のスタンプカード200人分が完成してまーす。
それぞれの参加記録から、作りました~。
次にお会いしたときに渡しますのでお楽しみに!!

また参加したい!また歩きたい!
とか、
まだ参加したことないけど、参加してみたい!
など、そんなきっかけになればいいなと思ってます。
なので、お城の定義はかなりゆるい。いいんです、歴史を楽しむきっかけになれば。

手作り感満載のかわいいカード💛
奮ってご参加くださいまし。

スタンプの対象は、山城ガールむつみのウォーキングイベント、TABICA、カルチャースクールさいかや横須賀、カルチャースクール上大岡京急百貨店COTONOWAとします。
TABICAの単発イベントで、行きそびれてしまった場所にご参加いただくのもいいかもしれませんね(^^)

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2019年3月25日 (月)

≪告知≫TABICA



Tabica

4月からTABICAというサイトでイベントをやらせていただくことになりました。

いつものウォーキングイベントと違うところは
・少人数制
1人から10人程度。だいたい3~4人くらいです。

・距離と時間が短い
3時間程度で5km~7kmくらいです。

・同じコースで日にち設定が数日ある
同じコースで、開催日が5日ほどあるので、都合のいい日が選びやすくなってます。


・TABICAのサイトから直接申し込み、決済ができる
気が向いた時にネットで簡単に予約できます。

・予約の締め切りがギリギリまで受け付け可能
前日の夜まで予約の申し込みができるので、急に時間が空いたときなどフラリとご参加いただけます。

https://tabica.jp/

TABICAのサイトで「むつみ」で検索してもらうと、私のイベントが出てきます。
アカウント作って登録できます。フォローだけでもしていただけると嬉しいです(^^)
これから、どんどんコースを追加していきますのでお楽しみに!

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TABICA専用バッジも作りましたよ。
ぜひとも、ゲットしてください(^^)


今までのイベントで行きそこねた!
もう一度いってみたい!!
明日暇になったので、歩きたい!
などなど、そんな感じで利用していただけると使い勝手がいいかなと思います。

ちなみに、行きたいところや、希望日など気軽に連絡いただければ、要望に沿えるように調整しますので、連絡ください。

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下にクーポン券、貼り付けておきますのでよかったらお使いください。

 https://tabica.jp/coupons/TC7895 怒田城

 https://tabica.jp/coupons/TC7893 高野&長窪切通し

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2019年3月15日 (金)

《告知》上大岡京急百貨店カルチャースクール講座のお知らせ

上大岡京急百貨店のカルチャースクール「COTONOWA」にて、4月から5回連続講座をやることになりました。

午前中2~3時間で、三浦半島の山城をまわります。
行きそこねた!もう一度行ってみたい!などなど。短期講座なので、気軽にご参加いただけます。

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4月23日(火)怒田城

5月28日(火)大矢部城と大矢部の史跡

6月25日(火)衣笠城と大矢部の史跡

7月16日(火)浦賀城

9月24日(火)三崎城

となってます。
申込みはWEBか店頭申込みです。
問い合わせ等ありましたら、私にも気軽に連絡ください。

単発で一つ一つの申し込みもOKですのでお気軽のご参加ください。

下記のURLからはCOTONOWA公式HPです。
サイトの中の検索で「むつみ」で探していただければ、私の講座が出てきまーす。


https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

〒233-8556 神奈川県横浜市港南区上大岡西1-6-1 京急百貨店COTONOWA事務局
TEL:045-848-1111 (代表) 受付時間:午前10時~午後5時

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2019年3月 8日 (金)

山城ガールむつみの寺子屋FINALの巻

平成31年2月26日(金)は2年半、16回にわたり開催させていただいた「山城ガールむつみの寺子屋」最終回でした。
会場の浦賀にあるクールクランカフェの一時閉店に伴い、急遽「寺子屋FINAL」ということでやらせていただきました。

突然の開催、平日の火曜日にもかかわらず、満員御礼!
たくさんの方に来ていただきました。

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今回は最後なので、話しそびれてたノロシのはなしとか、城と郭の話とか、古代国家プロジェクトとか、いろんな話を。
最後は、「ここがすごいぞ!三浦一族コーナー」をたっぷりと。
今までのダイジェストと新ネタと。

三浦一族というのは、郷土史という言葉にはおさまらないほどの活躍をしています。中世の日本史において、かなりのキーマン。三浦一族を通して見る日本の歴史、そんな切り口で、これからも楽しくお伝えしたいと思います。
三浦一族という素晴らしい歴史資源、もっと活用しないともったいない!

ということで、長々と書くのもアレなんで、箇条書きで一気にいきましょう。簡単にね。
はい、スタート!「ここがすごいぞ、三浦一族コーナー!!」

・1221年の承久の乱では後鳥羽上皇側の中心人物は三浦義村の弟の胤義だった。
・一族の津久井高行も後鳥羽上皇側について戦って討ち死に。津久井高行は後鳥羽上皇の西面の武士に選ばれるほどの弓上手だった。
・承久の乱のあとの戦後処理、軍功の沙汰をしたのは三浦義村。
・義村は京都の一等地、いまでいう四条の高島屋のあたりに屋敷を構えてた。
・三浦一族は北は青森、南は福岡、鹿児島まで所領を持っていた。
・外国との貿易に大事な場所、宗像や壱岐も三浦氏が預所などをしていた。

・各地で活躍した三浦一族の子孫たちもそのあと活躍を続ける。
・会津の戦国大名の蘆名氏も三浦一族。今の会津若松城はもともとは三浦蘆名氏の黒川城が築かれていた。
・越後奥山荘、現在の新潟県胎内市も三浦氏ゆかり。和田義盛の弟の義茂がその地をもらい、越後和田氏、中条氏、黒川氏などと分かれ、戦国大名となっていった。そして上杉氏の家臣となり、米沢へ。
・美作三浦氏は、高田城を尼子氏と対等統治していた。月山富田城でも尼子氏と一緒に戦った。

・江戸時代になっても、三浦一族は伝説化して語り継がれていた。
・「鶴は千年、亀は万年~三浦大介(義明)106つ」という数え歌があった。三浦氏の活躍を詠い、さらに長寿でめでたいとされていた。
・与謝蕪村も掛け軸で三浦大介義明図を描いている。祝いものだった。
・江戸時代に入ると、いろんな大名が三浦氏の系図につなげる系譜を作成した。名門の三浦氏の家系が欲しかった。信憑性如何は別として、当時、三浦一族がそのように求められる存在、名門という認識が持たれていたということが分かる。

・徳川家康の10男頼宣(水戸藩の祖)、11男の頼房(紀州藩の祖)を生んだお万の方は正木氏の娘。正木氏は三浦氏だという伝承あり。後にお万の方の兄、為春は家康から許され、正木姓から三浦姓にした。その後、紀州藩の家老となり、1万5千石をもらい貴志城を築城し、明治まで続く名門となった。その子孫が大正時代に祖先の地三浦半島を訪れ、顕彰碑などを建てた。
正木氏の系図の真偽は別としても、三浦氏の名前、ネームバリューがこれほどまでにあるという事実が面白く、大事なこと。

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他にもいろいろとお話ししました。
地図を見てると、三浦一族のいろんな足跡が見えてきます。自分なりに考えて推理するとワクワクします。そんな地図のお話を。
ここでは伝わりにくいので割愛(笑


こんな感じで全16回、楽しくお話しさせていただきました。
たくさんの研究者さんの本で勉強させてもらいました。
それを簡単に楽しくお伝えするのが、自分の役割だと思ってます。
これからも、たくさん勉強して、楽しく優しく伝えていければなと思います。

Img_1035気づけばたくさんある城あと。
一緒に歩きながら、自分の足で肌で楽しさを感じてもらえたら嬉しいなと思い、始めましたが、寺子屋を通して、少しずつ輪が広がってきたことを嬉しく思います。
埋もれてしまっている歴史を掘り起こすことで何かが見えるかもしれない、ワクワクする世界が広がるかもしれない。五感をフルに使って楽しむ歴史、そんな素敵な時間をこれからも一緒に楽しんでいけたらなと思います。


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いつも本の紹介コーナーで1冊紹介していましたが、いつか最終回が来たらコレ!と決めてました。私の活動の原点!
永井路子さんの「相模のもののふたち」です。

こんなに愛情あふれた歴史エッセイは読んだことがありません。
エッセイと言っても、かなり内容は濃く、しっかりしています。勉強にも、もってこいの一冊です。
永井路子さんは著書などで、研究者の方の苦労と努力に感謝するお話をされています。その研究に、永井先生が息吹を吹き込む。
私はこの本を読んだ時、そんな風に感じました。
研究書はやはり難しいので、興味のない人がすんなりと読める内容ではありません。なので、その間に入って、面白さを伝えたい、そう思ったきっかけの本、私にとっては原点の一冊です。


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こんなお花までいただき、感激です♡
最後は記念撮影を。

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わたしをはじめ、最初はみんなが初対面同士のなか、回を重ねるごとに、和気あいあいとした雰囲気になっていきました。ウォーキングイベントなどで一緒に歩くごとに、どんどん顔見知りが増えて、話をしたり挨拶をしたり。
今では、前からの友だちのように話してる人たちもいたりして。
こんなに素敵な会になるとは思いもせずに始めた寺子屋。最終回の寺子屋が始まる直前、なんだかとても幸せな気持ちになりました。

私自身もたくさん勉強させていただきました。
面白いと思って、来てくださった方に本当に感謝です。
また違う形で寺子屋を不定期でやりたいなと考えてますので、またそのときはよろしくお願いします。

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全16回、お一人だけ皆勤賞の方がいらっしゃいました。
他にもみなさんたくさん来てくれたんですが、皆勤賞ということでスペシャルバッジをプレゼントさせていただきました。

これからも楽しいこと、どんどん考えまーす。
お楽しみに!!

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2019年3月 5日 (火)

【告知】「いざ!高麗山城&平塚城へ!」の巻

歩いてると、だんだん春の香りをあちこちで感じるようになってきました。
花粉症が辛いけど、いい季節になってきましたね。

と、いうことでウォーキングイベントやりましょう!
きっと歩くとあちこちで桜も他の花も綺麗なことでしょう♥




日にち       2019年3月30日(土)・31日(日)
           ※両日同じ内容です



攻めるお城    高麗山城・住吉要害・平塚城・中原御殿


約12kmの楽しい楽しいウォーキング!


詳しくは下のチラシをごらんください。
途中、疲れたり、急用ができたりしたときに抜けられるショートカットポイントも用意してありますので、距離が心配な方も安心してお越しください。

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高麗山城と住吉城は、北条早雲(伊勢宗瑞)が相模に攻めるための足がかりとして、築いた城です。そしてそこから、三浦道寸の岡崎城、逗子の住吉城と一気に攻め、三浦氏は三浦半島の突端へと逃げ込むことになるのです。

そんな三浦一族にも因縁深い高麗山城&住吉要害!
ぜひ一緒に歩いてみましょう!

事前予約制となってます。
メール、コメント、なんでもいいので参加申込みお待ちしてます。




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ウォーキングの参加者の方には、山城ガールむつみオリジナルバッジをプレゼントしてました。全10カラー。コンプリートすると、秘密のスペシャルバッジがもらえます。
ぜひ、10カラーコンプリートしてくださいね。

今回から新企画!
「お城100コ行こう!!」
を始めます。一緒に100コ、お城に行きましょう!
オリジナルスタンプ帖を作ってお待ちしてます♥

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2019年2月19日 (火)

≪告知≫「いざ!寺子屋FINAL!」の巻

かれこれ2年半にわたり、開催させていただいてた寺子屋がついにFINALを迎えます。
会場だった浦賀のクールクランカフェさんが悲しくも閉店してしまうのです!

次回開催は3月の予定でしたが2月いっぱいで閉店ということで、急遽2月26日に「寺子屋FINAL」をやらせていただきます。

今まで来ていただいた方に、最後のご挨拶をするとともに、今後の楽しい計画なんかもお話ししたいと思います。

クールクランカフェさんの美味しいごはんとビールを楽しみながら、最後の寺子屋。
是非、お越しください(^^)


2019年2月26日(火)
19時
寺子屋FINAL♡

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2019年1月 8日 (火)

イベント告知「いざ!権現山城から幕末&文明開化へ」の巻

あけましておめでとうございます。
今年もよろしく願いします。

今年最初のイベントの告知です。
今回は横浜駅周辺へ。
山の中ではなく、珍しく都会へ行きます!

2019年2月2日(土)・2月10日(日)
※両日同じ内容です。

集合     10時に京急仲木戸駅
参加費   2,000円
※高校生以下は無料
※保険料・資料代・諸経費込み




立ち寄るところ
権現山城
・青木城
・神奈川台場
・アメリカ、フランス、イギリス領事館跡
・高島嘉右衛門関連史跡
・神奈川宿
・近代化関連史跡
などなど。
疲れたら、何か急用ができたりしたときに途中で抜けられるショートカットコースも用意してありますので、歩く距離が心配な方もご参加いただけます。





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三浦一族を滅ぼした北条早雲。
今回行く権現山城でも、北条氏との合戦が繰り広げられました。
三浦氏もたくさん出陣したことでしょう。
ここでの戦いがきっかけとなり、6年後に三浦氏は油壺で滅びることとなるのです。
そんな権現山城へ出陣したいと思います。


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今は公園となっている権現山城。
神奈川台場を造るときや、造成により、当時の地形とは変わってしまっていますが、現地に行くと要害だったことが十分に分かり楽しめます。



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この高さ。周囲は絶壁となってます。


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幕末に異国の脅威への備えとして築かれた神奈川台場。


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石垣がひっそりと残っています。


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今回のコースにおすすめの本。
読んでから行くと、楽しさ倍増かもしれません。


今年最初のウォーキング、一緒に楽しく歩きましょう!
知ってる場所も丁寧に歩くと、たくさんの発見が!!

メール、ブログへのコメント、FB、インスタ、ツイッター、なんでもいいので申込み連絡お待ちしてます♥

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2018年11月22日 (木)

【告知&募集】「出陣のススメ!三崎城」グリーンゴルフイベント

2018年を締めくくるイベントのお知らせです。
楽しく歩いて、新年を、迎えましょう~!

今回は三崎城へ出陣します。
頼朝も三浦一族も愛した三崎の地。
綺麗な景色を見ながら、思いを馳せましょう~。

詳しくは以下のチラシを。
申込みは横須賀グリーンゴルフさんまで。

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三浦市役所の高低差。これもお城の名残ですよ!
ぶらぶら歩いて解き明かしましょう~笑


Photo



下見行ってきました。三崎の町は行くたびに活気づいてる気がします。
マグロみくじなる物もできてました!

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左の釣り竿で釣るんです。


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釣れたー!!
きゃー!猫ちゃんが狙ってる-!
大吉でした。これでイベントの成功間違いなし(^^)


と、いうことで参加お待ちしてます!!

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2018年11月 9日 (金)

お城EXPO

今年も開催されます。
お城EXPO!!

2018年12月22日~12月24日までの3日間。
パシフィコ横浜にて。
時間は10:00~18:00(最終日17:00まで) ※最終入城30分前まで


各地域の色んな城ブースをまわって、城めぐり気分を味わうもよし、トークショーや講演を聴くのもよし、ひこにゃんと触れ合うのもよし。(ひこにゃん来るのかな?)

私の一番の楽しみは、明智光秀に関する新史料「明智秀満書状」!!
他にも、関東初公開の織田信長や豊臣秀吉らの制札や朱印状など、天下統一への道のりをうかがえる史料が展示されるんですって。楽しみですね。

詳しくは、こちらをポチっとどうぞ。http://www.shiroexpo.jp/
聖なる夜をお城EXPOで!(昼だけど)

Oshiroexpo2018_banner250250


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2018年10月31日 (水)

≪イベント告知≫「名越切通し&まんだら堂を抜けて、いざ!鎌倉へ!」

次回のイベントのお知らせです。

2018年11月23日(祝)・12月1日(土)
逗子駅から、名越切通しを抜けて鎌倉を目指すウォーキングイベントを開催しまーす。
両日とも全く同じ内容です。

名越切通しにある「まんだら堂」はいつもは閉鎖されてますが、ちょうど秋の公開期間!
ということで、今回は名越切通しに出陣します。

詳細は下のチラシをご覧ください。

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今回はそんなにアップダウンはないと思います。
今までの中でも楽チンなコースとなってます。(多分…)

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名越切通しのお猿畠の大切岸。


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こんな景色も見れるかも!?
雨降りませんように。



ではでは、参加連絡お待ちしてまーす。
ブログへの書き込み、Facebook、インスタ、ツイッター、メール…
どの方法でもいいので連絡ください。
どちらの日にちに参加かも書き込んでくださいね。

では、秋のウォーキング、楽しく歩きましょう!!

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2018年10月 4日 (木)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十三

9月28日は浦賀のクールクランカフェにて、「山城ガールむつみの寺子屋」でした。
13回目。なんと、3年目に突入なのです!!(隔月開催なので)
身近な歴史を知る楽しみをお伝えしたくて始めたこの寺子屋。おかげさまで、3年目を迎えることが出来ました。

回を追うごとに、参加者の方々も顔見知りになって、和気あいあいととても良い雰囲気。
いつも楽しくお話させていただいてます。

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次回のイベントに絡めて、鎌倉の話などを。
鎌倉は縄文時代あたりはかなりの範囲が海でした。
入江が深く入り込んでました。なので、その名残りから「やつ」と言われる谷地がたくさん存在します。
洗馬谷遺跡のお話をしました。住所でいうと鎌倉市関谷。栄光学園の近くです。玉縄城の近くです。
その遺跡は古墳時代のお墓と思われますが、壁には盾をもって船に乗っている武人のような絵が描いてあるのが発見されています。埋葬された人の功績をたたえて壁画が描かれたのではないかという事。近くまで海が来ていたことと関係ありそうな壁画ですね。

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城址のいろんな整備のお話なども。
写真は千葉県の本佐倉城です。上が整備前、下が整備後。
いろいろと考えさせられます…。

ここがすごいぞ、三浦一族コーナーでは、相模原の津久井と三浦の津久井氏の繋がりを。三浦義澄の館が引地川沿いにあったこと、義村の館が相模川沿いにあったこと、そんな面白い話もお話しました。

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大庭城の発掘現場の話や仙台に行ったときのミヤゲ話など、今回もいろんな時代、いろんな場所に飛びながらお話ししました。
伊達政宗が隠居後の屋敷にと建てた若林城の話は結構盛り上がりましたね。
今は宮城刑務所。ある意味、難攻不落のお城です。悪いことすれば、若林城の中に入れるかもしれませんけど(笑

若林城の跡地を買い上げた明治政府は宮城収監所として国事犯などを収監しました。陸奥宗光が収監された独房もあったそうな。
そういった経緯で今は刑務所に。周りをぐるりと堀の跡が残っています。
若林城にあった伊達政宗当時の山門は松音寺というお寺に移築されていて、今も見ることが出来ます。仙台に行ったときは、仙台城だけではなく、そんなとこにも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?


次回は11月30日(金)19時から、浦賀のクールクランカフェで。
お待ちしてます♡

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2018年9月28日 (金)

イベント中止&日にち変更のお知らせ

9月30日(日)に予定していたウォーキングイベントは、台風のため中止とさせていただきます。

振替日として10月8日(月)と21日(日)の2日間を設定させていただきます。
両日とも同じ内容になります。
ご都合つきましたら、ぜひご参加ください。

参加連絡お待ちしてます!!


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2018年9月 9日 (日)

《イベント告知》「高野切通しを抜けて、いざ!鎌倉!」

次のイベントのお知らせです。
前にすこしご案内した高野切通しからのウォーキングイベントです(^^)
こんな感じの気持ちのいい道です。途中、険しいところもありますけど…(^^:)
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日にち
2018年9月30日(日曜)

集合
10時・JR大船駅笠間口改札

参加費
1,000円(諸経費・保険料込み)

持ち物
お弁当・飲み物など


※17時ごろ、鎌倉駅にて解散予定です。
※15kmくらいのコースになってます。

コース概要
ちょっとマイナーな高野切通しを抜けて、尾根道を歩いて鎌倉へ進みます。鎌倉に抜けたら、宝治合戦で負けた三浦宗家と家臣たちが自害した法華堂など、三浦氏ゆかりの史跡に立ち寄りながら鎌倉駅に向かいます。

詳細はチラシをご覧ください!
参加連絡お待ちしてます。既に連絡を頂いてる方は、申込み不要でーす。
25人くらいで締め切らせていただきます。

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永福寺も池が復元されて、とても美しくなっていました。
当日が楽しみです。

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2018年9月 6日 (木)

【募集】カルチャースクール「出陣のススメ」

㈱カルチャーの横須賀店で、4月から12回連続講座として「出陣のススメ」をやらせていただいてましたが、10月からも継続させていただくことになりました。

今後は回数や期間などを決めず、参加者がいてくれる限り続けていきたいなと思ってます。
少人数で和気あいあいと楽しくやってます。
途中からの参加でも、問題なし!楽しく盛り上がれると思います(^^)

月に2回、第1水曜、第3水曜にスクールがあります。
(祝日などで月によって変わることもあります)

第1回目は座学!
教室で、次回の出陣に関するちょっとしたお勉強を。全く難しくありません!!
この予習により、現地でも楽しさが倍増します。

第3回目はお待ちかね!現地への出陣!
資料や地図を見ながら、現地で当時に思いを馳せます。
3時間ほどのウォ-キングです。


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先日の出陣の模様です。津久井城(横須賀市津久井浜)に行ってきました。
三浦一族の津久井氏の祈祷所だった東光寺ではオリジナルのクリアファイルをいただきました!!やったー!
こんな感じでとても楽しい会です。(現在は8名)

美しい景色や見たり、気持ちのいい風を感じながら、歴史のかけらを一緒に探してみませんか?

出陣する場所は三浦半島が中心です。たまに、横浜、東京まで足を伸ばす回もあります。座学は㈱カルチャー横須賀店。横須賀イオン5階です。

オトナの遠足、一緒に楽しみましょう♡
たくさんの楽しいコースを既に考えてあります。
あんなとこや、こんなとこ。うっふっふふ(^^)


くわしいことは下のURLをポチっとしてください。㈱カルチャーのページです。

http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/topicsview_96_19230.html

申込みは㈱カルチャー横須賀店まで。
お待ちしてます!!

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2018年8月 9日 (木)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十二

2018年7月27日(金)19時から浦賀のクールクランカフェにて、隔月定例の「山城ガールむつみの寺子屋」を開催しました。

雨の日も風の日も暑い日も寒い日も来てくださる方々に感謝です。おかげさまで、もう12回目!だんだん、参加者の皆さん同士も顔見知りになってきて、かなりアットホームなイイ感じの雰囲気で、私も楽しませていただいてます(^^)
もちろん、初参加の方も大歓迎です!どしどしお越しください。

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今回もビール飲みながら気軽に楽しめるお話しを。


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まず、最近話題の「赤色立体地図」から。
この地図は、高低差とか傾斜の表現に特化した地図で、もとは土砂崩れの起きやすい山を調べるため、防災用に開発されたもの。
飛行機から、地面にレーダーを当てて、跳ね返ってくる時間から凹凸などの正確な数値を割り出す仕組み。なんと、精度は10cm単位とのこと!!すごっ!
これによって、こんもりとした山の中に埋もれてる地形が赤裸々に分かってしまうのだ!すごっ!

Photo

NHKの「サイエンスゼロ」で、この地図を使った山城探しをやってたので、その話を。
こんなふうに赤裸々に見えちゃうんです!


尼子と毛利が戦った郡山合戦のとき、援軍で駆けつけた大内の陣がこの地図により見つかったとのこと。
今まで、文献では
「毛利側が3000で籠城、それを囲むのは尼子3万の兵。大軍相手に毛利は3か月くらい籠城、劇的な大勝利を遂げた!」
なんて感じになってて。まぁ、大内の援軍が来たんだろうけど、実際の所、どうやって勝ったんだろう?と思ってました。
そしたら、この地図によって、大内1万の軍の陣が発見されたらしいです!!すごい!
大内軍は尼子の側面を突くように南側に陣を取ってたらしい。
この地図で、もっとワクワクするような事実が今後も見つかりそうで楽しみですね。


あとは、最近の新コーナー。「近世城郭の裏の顔」笑
お城に行って、天守閣だけ見て帰ってくるのではもったいないよ、ということで、裏の顔を紹介してます。



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例えば宇和島城。


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ここは現存天守なので、天守閣は有名ですが、まわりをじっくり歩くと、こんな感じの険しい山城の顔が浮かぶ上がってきます。まさに裏の顔!!


お次は岡崎城。岡崎城と言えば、家康!と言いたくなりますが、家康がいた頃はこんな天守閣も城下町もまだできてません。
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原型を築いたのは小田原合戦あとに秀吉の家臣の田中吉政が入ってから。そのあと、徳川の本多氏が入って、城郭が整えられていきました。



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そんな岡崎城の裏の顔。
こんなに深い空堀!

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このアングル、一番好き。
行ったらぜひ、空堀も堪能してくださいね!



あと、竪穴式住居の話も。色んな時代にどんどん飛びますね。



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竪穴式住居って、茅葺きだと当たり前に思い込んでたけど、根拠がないんですって。びっくり。最近では土屋根の竪穴式住居の復元が増えてるらしいですよ。茅葺きだと、茅に含まれるガラス質の物質が出てこなきゃおかしいんだけど、発掘現場からは出てきてないとのこと。ふーん、そうなんだ。

と、いうことで今回も色んな話をさせていただいて盛り上がりました。猫の話もしましたしね。

次回は9月28日(金)19時です。



そして、
次回のウォーキングイベントの告知!
まだ、コース詳細は未定ですが、日にち、集合場所、参加費等を決めましたので、とりあえず告知します。

日にち
9月30日(日)

集合場所
10時にJR大船駅笠間口改札

参加費
1,000円(資料代・保険・諸費用込み)



概要
ちょっとマイナーな高野切り通しを抜けて、鎌倉に向かう山並みをハイキング。
鎌倉に抜けたら、宝治合戦で滅びた三浦一族宗家ゆかりの史跡に立ち寄りたいと思います。法華堂とか。
お弁当持参。どこかでみんなで食べます。解散は鎌倉駅16時から17時くらいの予定です。
下見してコースを完璧に決めたら、また告知しますが興味ある方、予定空けといてください。

参加連絡はFacebookでも、インスタでもツイッターでもメールでも、なんでもOK!
よろしくお願いします。

メール
heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年7月13日 (金)

オトナの遠足「いざ!品川台場へ!」の巻

山城も草ボーボーのオフシーズンになってきました。
今回は、衝動的に恵比寿にあるヱビスビール工場の見学ツアーを予約してしまったので、オトナの遠足を企画して友人たちと出かけました。

9:00JR田町駅集合→レインボーブリッジを歩いて渡る→品川第三台場→潮風公園にて続100名城スタンプの押印→ゆりかもめで汐留駅→築地でランチ→佃島→メトロ月島駅から恵比寿にワープ→ヱビスビール工場見学&試飲♥→打ち上げ

という素敵なオトナのコースとなってます。
途中、史跡に立ち寄りながら街中を行軍しました。

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最初に見つけたのは、南極探検隊の石碑。
日本初の南極探検は明治43年、白瀬隊長以下27名によるものだったそうです。

芝浦港から出発して帰港したので、ここに石碑が建てられました。

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見渡すとペンギンさん!
本物かと思うくらい、よくできてました。

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これが南極探検隊の船!
…では、ない。

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これは砕氷艦しらせのスクリュープロペラです。
本物ですって。


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レインボーブリッジを見上げる。
遊歩道入口から入る。
遊歩道からの素晴らしい景色を写真に取り忘れるという大失態。

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レインボーブリッジのノースコースから、サウスコースに渡る途中の橋のお腹。


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橋の下からフジテレビが見える。

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やっとお目当ての第三台場が見えて大はしゃぎ!
レインボーブリッジから見る景色は格別!!

ペリーが来航した翌年の1853年に着工して、1年3ヶ月の間に6基が完成したとのこと。今は第三、第六台場しか残ってません。


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こちらは第六台場。立ち入りできません。

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レインボーブリッジを渡り終えて、第三台場に上陸。
広いですね。三度目ですが楽しいところ。景色もいいし、風も気持ちいいし、公園になってるのでのんびりできます。


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中央にある陣屋の跡。


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弾薬庫の跡。


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かまど跡。レプリカらしい。


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近づいてみるとこんな感じ。
この穴にお釜を置くのかしら?なんて思ったけど、ご飯の煮炊きようではなくて、発火する用の火種を燃やす竈とのこと。
ですよね~。


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大砲オブジェではしゃぐ大人たち。




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波止場から入った入口。
この辺に木戸が設けられてたらしい。


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第三台場から臨む第六台場。


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続100名城スタンプを押しに潮風公園に向かう途中で、水陸両用バスkABAを発見!
ちょうど海にザブンと行くところだった。結構楽しそう~。
それにしても、第三台場から、スタンプまで遠い!!!!
歩いて30分もかかりました。


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台場駅から、ゆりかもめに乗って、汐留に移動。築地に向かう途中にかわいい踏切を発見。


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築地へ続く電車の名残りらしい。


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ここが線路だった。
ここから美味しいお魚さんが各地に運ばれていったのかな。


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そして贅沢丼をどん!!
大トロとウニです♥
こんなに美味しいものは初めてです。4500円なり!奮発~。


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そして、別腹の鯛焼きならぬマグロ焼き。
皮がぱりぱりで美味しい~。



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場内行くと、吉野家第一号店。
へぇ、そうなんだ。


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そして、築地本願寺。
酒井抱一のお墓を発見!



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築地から、佃島渡船場跡に向かう途中に浅野内匠頭邸跡を発見。
浅野内匠頭が切腹したのは、田村右京太夫邸なので、ここではありませんね。田村右京太夫の上屋敷は、新橋にありました。新橋4丁目交差点の所に「浅野内匠頭終焉の地」という石碑があります。
ちなみにその近くには、新正堂という老舗の和菓子屋さんがあります。そこの名物は「切腹最中」です。ネーミングにびっくり。仕事でお詫びに行くサラリーマンに人気なんだとか。




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浅野内匠頭邸にある「芥川龍之介生誕の地」の案内板。
ここには耕牧舎という牧場があり、そこの経営者の息子として芥川龍之介は生まれたんですね。



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シーボルトの銅像。
ここが蘭学と関わりの強い場所とのことで、江戸における蘭学の発展に貢献したシーボルトの像が造られたとのこと。

このあたりには、「○○発祥の地」という案内板がたくさん。
「蘭学事始の地」…ここ明石町にあった中津藩奥平家の屋敷で、前野良沢たちが解体新書が完成させたから。

「慶應義塾大学発祥の地」…福沢諭吉が中津藩奥平家の屋敷で、慶應義塾の前身となる蘭学塾を開いたから。

「電信創業の地」…当地にあった運上所(今の東京税関)から横浜裁判所へ、日本初の公共電信が敷かれたから。

「指紋研究発祥の地」…イギリスの宣教師ヘンリー・フォールズが日本の拇印の習慣に注目して、指紋の研究を始めたから。

他にもいろいろ。明治学院大学、立教大学の発祥地でもあるようです。外国人居留地があったので、文明開花の中心地になったんでしょうね。


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今回のオトナの遠足の目的の一つでもあった塩瀬のお饅頭~!
日本三大饅頭とのこと。

・塩瀬総本家「志ほせまんじゅう」東京

・柏屋「薄皮まんじゅう」福島

・大手饅頭伊部屋「大手まんじゅう」岡山

だそうです。



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そして、橋を渡り佃島へ。
今は跡形もありませんが、ここにも砲台が設けられていました。当時の地図と照らし合わせるとなかなか面白いです。
佃島の砲台は品川台場の完成から10年後の1864年のこと。造られたのは、1863年の薩英戦争や下関砲撃事件がきっかけになったようです。



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佃島散策。
小さな路地がたくさん。この奥に地蔵尊があるようです。


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これが入口。
肝心のお地蔵さんを撮り忘れました…。
佃島はただ橋を渡ってきただけなのに、それだけなのに何だかトリップ気分を味わえました。小旅行したような感じ。住吉神社もあり、人足寄場跡なんかもあり、いい雰囲気でした。

佃島は摂津国の漁師さんたちが幕府の許可を得て、築いた漁村でした。
本能寺の変が起きたとき、家康が逃げる途中で困ったときに船を出して助けてくれたのが佃村(現大阪府西成区佃)の漁師だったといいます。その恩に感謝して、家康は江戸近海で特権的に漁ができるように取りはからったそう。そのときに埋め立てたのが今の佃島。住吉神社を分霊して、佃村の漁師たちは佃島に移り住んだそうです。



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そして、今回の最終目的地である恵比寿のヱビスビール工場へ。
試飲付の見学ツアーを予約してあったので、この楽しみを目標に炎天下の下、27kmほど、頑張って歩きました。
工場見学では終始、ヱビスビールの歴史のお話し。ホップがどうこうという話は一切なし。キリンとかサントリーに行くと、製造過程の話がほとんど。それだけに、ヱビスビールがいかに歴史があるかというのを感じました。

「ヱビスビールあります」
誰もが目にしたことのあるこのフレーズ。
キャッチコピーとして、秀逸。シンプルで小気味いい。
ヱビスビールが高級品として扱われ、主に贈答用のイメージが強く、庶民の日常のビールとして普及していなかった頃、それを逆手に他のビールと違う「ヱビスビールあります」と謳ったこのキャをッチコピー。
ヱビスビールを扱ってるお店は、料理にもこだわりを持ってるお店が多い傾向にあったので、店先に貼ったようです。このお店は料理もビールも美味しいよ、という意味を込めて。
そして、日常飲むビールとして「ヱビスビールあります(あなたのそばに)」と。
何十年経っても色あせないフレーズですね。

上の写真は恵比寿神社。
撮影者は、徳川慶喜公。
一日中、歩いて、美味しい物を食べて、飲んでと楽しいオトナの遠足でした。

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2018年7月 6日 (金)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十一

5月25日(金)19時から、横須賀市浦賀駅から徒歩2分のクールクランカフェにて、山城ガールむつみの寺子屋11回目を開催しました。

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間違えて写真を消してしまい、寺子屋画像はこれ一枚しかない…。
写真はパラグアイの前原城です。

Photo
拡大するとこちら。
パラグアイにある三層四階の天守閣。城主”は広島県福山市出身の前原弘道さん。

前原さんは1958年、20歳の時に家族七人でパラグアイへ移住したそう。
今はパラグアイの養鶏王と呼ばれて、パラグアイ国内に流通する卵の七割を出荷する会社の社長とのこと。パラグアイの日本人会連合会の名誉会長もされてるそうです。

亡くなったお父さんが、望郷の念に駆られて、移住先のパラグアイに日本の城を建てるのが夢だったとのこと。その思いを引き継いでついに天守閣を完成させたのです。

千葉の館山城、愛媛の川之江城を参考にして設計したとのことで、1996年に着工。築城予定地に公園や道を造るところから始め、10年かけて完成。
熊本城、会津若松城などの復元を手掛けた職人を日本から呼んだり、何度も日本に来て打ち合わせしたり。瓦は750年の歴史と伝統をもつ、愛媛の菊間瓦を使用。伊予松山城や今治城とかに使われてる瓦だそうです。
日本から15000枚の瓦がコンテナで運ばれたとのこと。
天守閣はは日本人移民の資料館になっているようです。

パラグアイのお出かけの際はぜひ寄ってみてください(笑
総費用は1億円とのことです。

 

 

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続きまして、これはどこでしょうか?鳥居と国旗が見えますね~。

これは所変わって、ブラジルです。
ブラジルのアサイ市に2018年5月1日に完成した天守閣風の建物。
「旭城」と名づけられたこの建物は、4階建てで石垣も含めた高さは約25メートルという立派なもの。
ここアサイ市は日本人4大移住地の一つ。今でもたくさんの日系人が住むこの町に、市が移民100周年行事として計画し、日本円で約9000万円をかけ、完成しました。
非日系市長は大変な親日家で、日本人の功績を形として残すとともに、アサイ市のシンボルとして観光のためになればと話してました。
天守閣内には日本移民史料館などがあり、日本移民の歴史を発信する役割も担っているそうです。

アサイ市は1932年、ブラジル拓殖組合によって開拓され「旭移住地」と名づけられた。しかし、ブラジルが日本と国交を断絶した1942年以降、公の場での日本語使用が禁止になりました。地名としての日本語も許されず、「Asahi」を止め、微妙に変えてポ語に見えなくもない「アサイ(Assai)」に変更したのだそう。つまり今回の城の命名で、戦後73年にしてようやく本来の「アサヒ」に戻した形になるのです。

 

と、こんなちょっと面白い海外の天守閣のお話をしました。


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他にもいろいろと他愛のない話をしましたが、もう一つだけご紹介。
「ここがすごいぞ、三浦一族コーナー」の中から。

三浦一族は中世の早い段階から、そして江戸時代になっても伝承伝説で語り継がれていました。江戸時代には、色んな大名家が自分の家系を三浦氏に繋げるなど、英雄扱いされ、名族だと認識されていました。
いつもこんな話をしてますが、今回は九尾の妖狐のお話を。
南北朝時代の文献にすでに書かれて、伝説化されていたお話。

 

時は鳥羽院の世。
平安時代末期、1140年から1150年頃のお話です。
鳥羽院があるとき病に倒れました。陰陽師に占わせると、院の寵愛している玉藻の前という絶世の美女が、なんと九尾の狐の化身だったのです。
九尾の狐とは、古来、中国などで国を滅ぼすと言われている妖狐です。

これは大変!と、祈祷を行うと玉藻の前は正体を現し、九本の尾を揺らしながら天高く逃げていきました。

この妖狐を退治すべく命を受けたのが、我らが三浦大介義明と上総介広常でした。
逃げた先は下野国那須野。那須野へ駆けつけた義明は矢を放ち、見事、九尾の狐を退治しました。
那須野には今でも殺生石と呼ばれる石があり、ゴーゴーと有毒ガスを吐き出しています。それこそが、矢の刺さった九尾の狐が落ちたとされる場所であり、妖狐の怨念が今でも残っているのです。長きにわたり、近づく人を殺したと言われています。


今は観光地となってる那須野の殺生石。那須塩原温泉でも人気の観光地です。ここが塩原温泉の湯本。と、いうことは那須温泉をつくったのは三浦義明?!
なんとも面白い伝説ですね。

ちなみにこの話には、たくさんのパターンが生まれていますが、三浦一族、義明という存在が武家社会の中で伝説となるほどに高い地位を確立してた、そしていかに英雄的存在だったかということが分かって興味深いですね。


次回もこんな感じに色んな話をしていきたいと思います。

7月25日(金)19時
浦賀 クールクランカフェにて

よろしくお願いしまーす。

 

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2018年6月20日 (水)

【イベント告知】いざ!石垣山城へ!

もうすぐ夏休みに突入ですね!
(まだ梅雨真っただ中なので少し気が早いけど…)

と、いうことでウォーキングイベントやりましょう!
元気に歩いて、猛暑を迎え撃ちましょう~!!


今回は小田原へ。石垣山城に行きたいと思います。
多少の坂道がありますが、気持ちのいい汗をたくさん流しましょう!
熱中症には気をつけましょうね。

小田原の北条氏を攻めるために、豊臣秀吉が築いた石垣山城!別名「一夜城」。続100名城にも選ばれた、素晴らしいお城です。



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石垣山城では、たくさん休憩時間を取りますので、お弁当を食べたり、じっくりお城を見学したり、目の前にある「一夜城ヨロイヅカファーム」で買い物したり、スイーツを楽しんだりできます。

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天気が良ければこんな絶景が楽しめます。
帰り道に石切り場にも立ち寄る楽しいコースになってます。

参加者募集中です。
楽しい大人の遠足、一緒にいかがですか?
もちろん、お子様も大歓迎ですよ。


参加希望の方、連絡お待ちしてます。
コメント、もしくはメール等で連絡ください(^^)

heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年6月11日 (月)

【またまた募集】出陣のススメ!グリーンゴルフ主催

6月10日に雨の中、横須賀グリーンゴルフにて「出陣のススメ」第5弾を開催しました。結構な土砂降りでしたが、なんとかゴールのしょうぶ園まで到着しました。

みなさん、雨をもろともせず、最期まで楽しく歩いてくださりました!(^^)
ありがとうございました。

今回は予備日を設けていたので、中止にしようかと思ったんですが、
「予備日はどうしても都合がつかないのでコース変更してでもやってほしい!」
と、いう熱い言葉をいただきましたので、強行開催させていただきました。
そんな経緯もあり、都合がつくかたは17日に振り替えていただくことに。
と、いうことで2週連続開催することになりました(^_^*)

6月17日(日曜日)
再度同じ内容のイベントを開催します!
もし、ポッカリとお時間空いてる方!是非ご参加ください(^_^*)
ゴールのしょうぶ園では、しょうぶと紫陽花が見事ですよ。

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2018年5月17日 (木)

≪告知≫「出陣のススメ!第5弾!」横須賀グリーンゴルフ主催

次回のイベントのお知らせです。
横須賀グリーンゴルフ主催の「山城ガールむつみの出陣のススメ!第5弾!」です。

流れとしては、座学⇒ランチ⇒出陣というかんじです。

今回は佐原城、衣笠城、平作城に行きます。
途中、満昌寺さんに立ち寄り、宝物館を拝観させていただきます。
ゴールは、しょうぶ園。
しょうぶやアジサイなど、綺麗な頃です。

参加費は4000円。
資料代、保険、満昌寺宝物館拝観料、しょうぶ園入園料すべて込みです。


お城としての遺構は、ほぼ残ってませんが、三浦一族の本拠地を回って、一緒に壮大な歴史の旅をしましょう~。


座学では、お城の全般的な話、山城の楽しみ方、三浦一族のお話など…。出陣して現地で楽しめるお話をしたいと思います。


申込みは横須賀グリーンゴルフさんまでお願いします。
初参加、おひとりでの参加、大歓迎です!
和気あいあいと楽しく歩きましょう!!


くわしいことは、下のチラシをご覧ください。
クリックすると拡大できますので。

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2018年5月 5日 (土)

「寺子屋スペシャル第二弾!多々良城を探せ!」の巻 

寺子屋スペシャル第2弾!!「多々良城を探せ!」を横須賀市浦賀のクールクランカフェにて開催しました。
前日から、春の大嵐!!
どんな天気でもやります!と、参加者の皆さんに無謀なメールをしました。そしたらなんと、欠席者なく、全員来てくれました~!嵐の中、ありがとうございます。みんなの想いが通じ、寺子屋が始まると青空が!昼過ぎには、カンカン照り~!!晴れ女も我ながらビックリするほどの晴天になりました。

今回の主役の多々良氏は三浦一族です。本拠地にしてたのが横須賀市鴨居の辺りというのは分かってますが、多々良氏館がどこにあったかが分かっていません。それを文献、伝承の手がかりや、地形などを見ながら推理していこうというのが今回の企画!

答えは出ないというか、正解はないので、それぞれが考えて楽しんでもらえばいいと思います。では、寺子屋スペシャルスタートです!!


まず、最初に「多々良」という言葉。
「タタラ」は、日本古来の製鉄法をさしたりしますが、元来、踏み鞴(ふいご)を指します。鞴は風を送る道具で、それを踏んでやるのが踏み鞴。 

最初は踏み鞴のことをタタラと言いましたが、だんだん製鉄自体、さらには鉄を製鉄する炉のこともタタラと言うようになりました。なので、蹈鞴、踏鞴、鑪、鈩…これら、ぜんぶタタラと読みます。

 

 

余談だけど、日本書紀には神武天皇の后で、媛蹈鞴五十鈴姫命という方がいます。この姫は出雲出身の姫。出雲と言えば、鉄の産地。こういうのも面白いですね。

 

「たたら」という言葉は渡来語です。朝鮮半島から製鉄の技術が入ってきて、言葉も入ってきたようです。

 

もとの由来は、ダッタン語の「タタトル」燃えさかる火、猛火って意味だとか、サンスクリット語で「タータラ」、熱という意味だったりとか言われてます。 

いずれにせよ、外来語で火とか熱とかを意味する言葉って感じですかね。

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寺子屋ではそんな話から、山城のお話を。平安末期から鎌倉時代にかけての館や城の話など。イメージ湧かないと探せませんからね。南北朝時代に城が爆発的に増える前の、館や城のイメージ、豪族の開発領主としての姿などもお話ししました。

横須賀市鴨居の多々良という地は、果たして製鉄と関係があるのか?
と、いうことで製鉄と関係ありそうな文書を簡単に内容紹介します。

真継家という公家の家に残る小田原北条氏からの手紙です。
この真継家は全国の鋳物師を管理支配する家だったようです。
内容は、伊豆韮山の斉藤三郎次郎っていう商人がそっちに商売に行くから、三浦郡鴨居の小松なにがしと、三浦郡津久井の須藤なにがしよろしく言っといて。っていうもの

北条氏が全国の鋳物師を管理支配する真継家に頼んでるんだから、鴨居の小松さんも、津久井の須藤さんも鋳物師と推測されます。斎藤三郎なんちゃらさんは、きっと、鋳物製品の商人で、その人が三浦に商売に行くから現地の鋳物師によろしく伝えてねっていう手紙と思われますね。ということは、鴨居に鋳物師がいたということになります。鋳物を作ってたんでしょうか。やはり、鴨居多々良は、鍛冶とか製鉄とかやってた場所なんでしょうか?

さらに1589年、小田原が秀吉に攻められる前年に、北条氏は20挺の大筒を相模国内の14人の鋳物師に大至急作れと命じたんですが、その中に、やっぱり三浦鴨居の小松なにがしという名前が出てきます。三浦半島を代表する鋳物師だったようです。多々良、鴨居に製鉄の施設があって、職人がいたんでしょうか。

 

  

ちなみに、同じ小田原攻めの時に逗子の沼間村(沼浜村)に出したお触書みたいなので、「町人、商人、細工人に至るまで、弓槍あるいは鉄砲などを用意し、命令によって戦うように」という文書。現に近くの神武寺が戦火で焼けてるから、あのあたりは合戦があったようです。

戦国時代に商人、職人に至るまで弓槍鉄砲を持って戦えっていっても、普通の商人や職人は鉄砲なんて持ってないので、やっぱり、逗子にも戦国時代にそういう鋳物職人がいたのかななんて思いました。

 

この逗子の沼間というのも、やっぱり鎌倉時代から鍛冶職人がいた土地。三浦氏の時代も、逗子の沼間に、刀や鎧をつくる鍛冶職人がいたようです。三浦義明の太刀をつくったのは沼間の鍛冶職人と言われてます。さらに当時、ここには頼朝のお父さん、義朝の館があったんですが、義朝の息子の義平の刀もここの職人が造ったと言われています。

 

 

まとめると、鍛冶とか鋳物とか特殊な職人がいる場所って、そんなに変わらないんじゃないかと。逗子沼間、横須賀鴨居もそういう職人たちが平安末期もしくはもっと前からいたのかも。これが鴨居の多々良と製鉄を連想させる材料。これくらいしかないけど、面白いですね。

 

ということで、横須賀のタタラという地名の由来は、やっぱり製鉄、鍛冶とかに関係がありそうだという私の推測です。

 

 

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そりゃそうでしょ、と思う所なんですが、私が気になったのは、千葉にあるタタラという地名。中世は、多々良荘なんて荘園もあって。今も富浦に多々良という地名が残ってます。横須賀の多々良から目と鼻の先。海を挟んで目の前です。多々良氏、三浦一族と関係してる思われます。長狭城で討ち死にした杉本義宗は、和田義盛のお父さんに当たりますが、この人は、今の金谷とか鋸山とかのあたりを領地にしてて、その中に多々良荘がある。なので、三浦一族の多々良氏と、房総の多々良は関係があるはずだと思ったわけです。

そうなると、どっちの多々良が名字の由来になったのかなーと思って。

 

例えば、朝比奈。横須賀横浜道路のインターの名前にも、切り通しの名前にもなってますが、和田義盛の息子の朝比奈義秀は千葉の館山の方の朝夷奈郡を領地としたから朝比奈を名乗りました。なので、朝比奈もとは千葉の地名なんです。さらに言うと、朝夷奈郡和田という地名で、和田っていう三浦一族縁の名前も向こうに残ってます。千葉には他に三浦氏がらみの地名がいくつも残ってます。

 

 

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さてさて、美味しいランチを食べたら、ミステリーツアーに出発です。
バッチも新色です。10個集めたら、スペシャルバッチをプレゼントしますので、頑張って集めてください。

多々良氏は現時点で全国で3000人くらいいるとのこと。へぇ。多いのか少ないのか、よく分からないけど…。

この多々良氏は、三浦一族の中で、鎌倉幕府の中でどんな存在だったんでしょうか。多々良氏の祖、多々良義春の「義」という字に注目。三浦氏は「義」という字を後三年の役で源義家から恩賞として授かりました。三浦義継から、宗家の通字となりました。
多々良義春は宗家ではありませんが、「義」の字をもらってるので、三浦氏の中でもが重んじられていたのでしょうか。

 

ちなみに、宗家の三浦義村を境に「義」の字がが付かなくなります。義村のあとは泰村に変わる。「泰」この字は、要はこれは執権北条泰時からもらった字。これによって、政治権力が源氏から執権北条に変わったことを暗示してますね。面白いですね。

あんまり多々良氏の記録は残ってないんだけど、平家物語によると、一の谷の合戦の佐原義連の鵯越の逆落としの場面に、多々良義春と多々良光義の名前が登場したり、年の頼朝の初上洛のときに、多々良明宗がお供として登場したりします。多々良氏は頼朝の信頼も厚かったようです。この明宗は優秀だったようで、和田義盛の子ども(胤長)と笠懸の射手を務めたりと、三浦氏という武芸の家に恥じない活躍を多々良氏もしてた。

 

 

他には多々良重春は小坪合戦で討ち死したとのこと。石橋山の合戦に間に合わず、衣笠城に引き返す途中で起きた小坪合戦で、重春と重春の郎党、石井三郎が討ち死を遂げました。重春のお墓は鎌倉材木座の来迎寺にあります。

 

 

ではでは、そろそろ謎を解く手掛かりを。
まず、多々良、鴨居のあたりは走水が近いので街道に近い重要な地というのもポイント。走水はヤマトタケルが房総半島に渡ったとされる場所。古東海道は走水から上総に続いてましたので、海上交通のルートに近かった多々良、鴨居の地は当時重要だったと思われますね。


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いくつかの手がかりマップ。あやしいエリアマップです。

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まずは西徳寺。
寺伝によると1560年に開かれたお寺。4つにお寺が合併して、西徳寺になったようです。そのせいか、それ以前にこの山が何だったのか全く分からず。
山頂には幕末に海防のために移住してきた会津藩士のお墓があり、裏山には弥生時代から古墳時代にかけての上ノ台遺跡があります。140棟の竪穴式住居が出ています。
さらに上ノ台遺跡裏側の能満寺の本尊は1399年の虚空蔵菩薩ということなので、鎌倉時代末期それ以前にも、このあたりには寺院などがあり、人も多く生活していたエリアだと思われます。

私の中でもかなりの有力候補地です。会津藩士の墓のある平場に上に、明らかに削平された平場があり、腰曲輪のような人工的な平場スペースもあるんです!!怪しい~。


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ここが会津藩士の墓の上の本曲輪っぽいところ。



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推定本曲輪から見下ろすと、とっても見にくいけど腰曲輪!結構広いんです。


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西徳寺には和田氏ゆかりの史跡があります。和田地蔵や和田義盛の剃刀塚など。
義盛の弟が現在の新潟県胎内市の奥山荘という荘園の地頭でした。その奥山荘の三浦和田家の家臣に多々良氏の名前が残っています。
多々良氏は和田氏とともに奥山荘に移ったようです。このことからも、和田氏と多々良氏は一族の中でも繋がりが強かったことが分かりますので、多々良エリアに和田氏の史跡があるのも納得です。


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西徳寺の前には和田川。和田義盛がこの川に、先ほどの地蔵を流して戦いの吉凶を占ったと伝わっています。お寺の話では、お地蔵さまはそこまで古いものじゃないということですが…。

和田氏には名字の地とされる由来地が数か所あります。横浜の相鉄線の和田町の駅のあたりや、横浜市金沢区の六浦2丁目にも和田という場所があります。でもきっと由来となったのは、三浦市の和田だと思います。館跡などもありますし。
横浜市金沢区と言って思い出すのは、朝比奈切通し。和田義盛と朝比奈義秀は親子。さらに朝比奈切り通しを抜けると、鎌倉の杉本寺。あそこは和田義盛のお父さんの杉本義宗がいたとされる杉本城です。
と、なると…。
六浦の港からの鎌倉へのルートを和田一門が押さえてた!と、言えるのではないでしょうか。六浦の大道小学校のあたり和田の里というらしいですし。

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話は逸れましたが、これまた、あやしいスポットです。
西徳寺前にある真言宗醍醐派不動院。
なぜ怪しいかというと、「浦賀誌録」によると、「鳥が崎から浦賀へかけて大室という漁家の2.3軒ほどのところに不動堂があり、本尊は多々良の守護仏と伝え、背後の城山は多々良氏の柵(城)であった」とのこと!!
大室というのは西徳寺から、もっと浦賀城寄りです。そのあたりに不動堂があったとのことですが、見つからない。その不動堂の背後が多々良の柵とのことですが、その辺は小山がいくつかあるので、不動堂の場所が特定できないのでどっちが背後なのかわからない(泣


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で、とりあえず、私は近くのお不動様を探してみました。
すると、この不動院があったというわけです。
おばあちゃんが一人で住んでる不動院。話を聞いてみましたが、京都の醍醐寺にゆかりがあるお寺ということしかわかりませんでした。
中を見せていただくと、立派な玉眼の不動明王!!なんとも古そうにみえますが残念ながらよく分からない。また調べてみようと思います。

そんなこともあり、この西徳寺エリアも多々良氏館と城の候補の一つです。

このエリアには、頼朝の命で多々良義春が勧請した鴨居八幡神社などもあり、多々良氏の公式の施設があったんじゃないかなーなどとも思います。



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次に進み、通り道にある若松屋です。
護岸の石垣が当時の姿を彷彿とさせてくれます。会津藩の陣屋を世話してた豪農の高橋家は会津藩との縁から屋号を若松屋としました。その後、今の横須賀中央のあたりを買って埋め立て、若松町と名付けたんですね。



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腰越地区。このあたりには会津藩の陣屋や藩校がありました。
この案内板には、亀崎の山の麓に位置するからと書いてありますが、これまた怪しい~。城の腰じゃないの?この腰越はまたあとででてきますので覚えといてくださーい。

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腰越エリアにある会津藩士のお墓。鴨居と三崎に陣屋を建てたので、三崎と鴨居には会津藩のお墓がたくさんあります。
陣屋を建てるときに、このあたりから五輪や刀などが出てきたそうで、多々良氏の墓所ではないかとのことです。ちなみに、この辺の谷は「三昧堂(さめど)」と呼ばれ、念仏三昧や法華経三昧などから連想される名前のようで、墓所というのが確かにしっくりきます。


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ちょっと休憩してから、次は多々良という名の残る多々良浜から観音崎公園に向かいます。

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至る所に、切通し。陸軍が山全体を要塞化したので、名残りがたくさんあります。 横須賀出身でいながら、観音崎をじっくりしっかり見たの初めてかも。子どもの時は遊びに来たけど、ただの公園だとしか思ってなかったし。城塞、要塞という目では見てないので、下見の時に一人で回って、とっても面白かった。明治26年には15の砲台があったそう。関東大震災でほとんど崩壊しちゃたらしいけど。

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眼鏡橋から見下ろす切通し。陸軍が資材運搬用に切り通したってことなんだけど、尾根を切って遮断してるように見える。

一番細い尾根を切ってて、まさに堀切の役目をしてるように見えます。

 

 

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下から見るとこんな風に、堀切に木橋がかかってるように見える。ちょっと木が邪魔なんだけど。こんなところがあったとは知らなかった―!!

 

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砲台跡。この麓は三軒谷というエリア。「三浦古尋録」によると、三軒谷に多々良館跡ありと記述があります。そして、同村に石井塚というものがあり、小坪合戦で討ち死にした多々良氏の郎党、石井五郎の墓としています。
このあたりも候補地ですが、住宅街になっていてまったく面影がありません。


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砲台跡の地下にある観測室。

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砲台跡にある見張所にいく切通しの道。
だんだんと明治の軍施設めぐりみたいになってきた!

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観音崎公園の残る山道。大体が舗装されてるので珍しい。ところどころ、尾根を人工的に補足してるように見える箇所もある。




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またまた砲台跡。ラピュタみたい。

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まるで、タイムスリップしそうな切通しを抜て、観音崎公園から海辺へ向かう。


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観音崎には名前の由来になった観音寺がありました。奈良時代に行基の彫った十一面観音が御本尊でした。1880年に陸軍が山を要塞にするまではここにこんな立派なお寺がありました。お茶屋や料亭などもあったようです。


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行基が観音様を彫って納めたとされる洞窟。

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またワープしてしまいそうなトンネルを抜けて、多々良浜に戻る。

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そして、これ!下見をしてたら、私の中でかなり怪しく浮かび上がってきました!!ここは小さな岬、亀崎です。さっき、腰越がお城の腰なんじゃないの?と言った腰越がこの写真の左手に当たります。ね?怪しいでしょ?
このお城に見える山容!そして、腰越という地名。さらにさらに…

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この亀崎には観音寺があったんです。さっきの観音崎にあった観音寺は、軍にどけられて、ここの移設されました。1986年に火事で全焼、十一面観音も焼失…
いまは、こんなにこじんまりとしてしまってます。
ここに観音寺が移されたということは、もともと何かがあった?城跡かしら?なーんて考えてみたわけです。

多々良氏がいつまで、この本拠にいたのかはわかりませんが、他の土地で多々良氏は戦国時代もずっと続いていきます。前述の新潟県胎内市、奥山荘で三浦和田氏は戦国時代をも生き抜き、多々良氏もまたその家臣として、戦国時代を生き、血脈は続いていきました。

 

多々良氏の血脈は紀伊半島にも。
南北朝時代に南朝についた「紀伊の官軍多々良3家」と呼ばれた野上氏、ニエカワ氏、江川氏。この3家も多々良重範から続く多々良氏の家系です。


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今回のミステリーツアーもここが最終地点。
自分なりの多々良城は探せたでしょうか?
とりあえず、多数決を取ってみました。笑
和気あいあいと今回も楽しい旅になりました。
謎解き目線になると、またいつもと違う光景が浮かび上がってきますね。


また機会があったら、謎解きのツアーを考えたいと思います。
次回の寺子屋は5月25日(金)19時からです。

 

 

 

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2018年4月23日 (月)

≪告知≫「いざ!小机城へ!」参加者募集中

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次回のイベントのお知らせです。
2018年5月13日(日)に横浜線沿線の山城めぐりをします。詳細は上のプリントをご覧ください。クリックすると大きくなります。

10時に中山駅を出発して、新横浜駅を目指して歩きます。
参加費は1000円です。
大体、12キロちょっと、というところでしょうか。
お弁当持参でお願いしまーす。

山城が初めての方でも、楽しく歩けると思います。
小机城は私の大好きなお城!
ここを見れば、山城が一目瞭然!!おすすめのコースです。初めての方、ぜひご参加ください。


参加申し込みはブログへの書き込み、メール、Facebook、インスタ…
なんでもいいので連絡ください。楽しく歩きましょう~♡

メール
heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年4月 8日 (日)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の十

寺子屋其の十!
記念すべき第10回を3月23日(金)にやらせていただきました。
今回も満員御礼!どうもありがとうございます。

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先月行ってきた鹿児島旅行の土産話(土産はない(笑))などから。
薩摩藩主の別邸の仙厳園がいかに美しかったかとか、大河ドラマの西郷どんのロケとかに絡めながら、ツラツラとお話し。
鹿児島城の大手門が平成32年に向けて、復元されるとのこと。7億ですって!ちなみに、逗子市は7億の赤字ですって。


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この写真は鹿児島城の大手門の石垣。西南戦争で大砲や鉄砲を撃ち込まれた痕です。左上から右下にかけて、痕跡がびっしりとついてます。
他にも土産話をいくつかさせてもらいました。



他には、時代区分を見直しましょうなんて提言した学者さんがいて、そんな話がニュースになってたんですよなんて話とか。
この時代区分見直しの提案は、今までの
「縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸」
では、場所なのか、文化の名前なのかよくわからなくて統一されてないから見直そうという話が出たらしい。


じゃ、何にしようというのかというと、
「古墳・大和・山城・北条・足利・織豊・徳川」
にしましょうというもの。うーん…。どうでもよくない?いまさら…という感じ。
ヨーロッパとか中国に倣って、王権の名前にしようということらしいけど、それってどうなの?そんなこと言ったら、日本なんて、王権ずっと変わってないじゃん。
そもそも、「北条」って。源氏はどこに行ったの??
「山城」って、結局王権の名前じゃなくて、場所じゃん。「織豊」に至っては、織田と豊臣混ざっちゃってるし。
こういう感覚で歴史を教えようとするから、歴史苦手な子が育つんだよ~と、自分が歴史嫌いだったので歴史嫌いな人の気持ち、よくわかりますので。

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今回は戦国大名のお城の庭園の話なんかもしました。戦うという側面だけじゃなくて、ハレとケの場所がつくられるような公式な役割や庭園という、軍事と違うお城の顔。とくに津久井城で発掘された庭園と小田原城の御用米曲輪の話などを。

津久井城は小田原北条氏の家臣の内藤氏が城主。そこに庭園があったというのは驚き。庭園の池に水を引き込む導水路遺構が発掘されたんです。家臣クラスでも北条氏の城には庭園があったんだ!!とビックリ。今後の研究が楽しみですね。


あとは先日行ってきたシラス台地のお城のお話し。志布志城とか知覧城とか。これは、近々ブログで書きます!必ずや!(最近全然、ブログ更新してない…)

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鹿児島城にある博物館「黎明館」の志布志城の模型!!凄すぎて、どひゃーですね!


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志布志城の土塁の高さったら!
わたしがコビトに見える~!!


今回の三浦半島のお城紹介は「津久井城」。これは相模原の津久井城ではなく、横須賀市津久井浜のほうにある津久井城。三浦義明の弟の義行が「津久井氏」を名乗ったのが始まりです。その次男の高行が横須賀の津久井を継ぎました。その長男の為行が相模原の津久井に行ったんですね。なので、相模原の津久井は元は三浦の津久井ということになるんです~。すごいぞ、三浦一族!!しかも面白いのが、この為行は「矢部為行」と書かれてる文献もあるということ。
「矢部」といえば、横須賀の「大矢部、小矢部」。三浦一族の本拠地です。もしかしたら、相模原の矢部、横浜線の駅でもある「矢部」というのも三浦から持ってった名前かも!!なんて、考えると面白いですね。すごいぞ、三浦一族!!

ちなみに、北鎌倉の円覚寺の寺伝によると、1332年に北条高時が円覚寺に法堂を新設するときの材木を奥三保から調達したとのこと。奥三保とは、まさに相模原の津久井のあたり。鎌倉幕府と関係が強い土地ということになり、鎌倉の有力御家人の三浦氏が関係してても何ら不思議はないですね~。
こういうことを考えるのが歴史を楽しむ醍醐味ですね。

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あとは三浦氏の海外貿易の話とか、福岡県の宗像を三浦氏が抑えてた時の話とか、そんな話をしつつ、今回の本の紹介コーナーは「猫の日本史」。
日本最初の猫ブログともいうべく猫日記を書いたのは、宇多天皇なんですよとか、千姫と猫の少し切ないお話をしたりと、今回もいろんな話をさせてもらいました。

では、次回は5月25日(金)19時から!!よろしくおねがいします!

追伸
4月15日(日)の寺子屋スペシャル「多々良城を探せ」は定員オーバーしましたので、募集を締め切りまーす。晴れますように。

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2018年3月15日 (木)

≪告知!≫寺子屋スペシャル!第二弾!!

寺子屋スペシャル第二弾!決まりましたー!

題して
「多々良城を探せ!!」
日にち       2018年4月15日(日)
受付開始     10:30
寺子屋開始    11:00
ランチ       12:15頃
出陣        13:00頃

参加費      2,000円(小学生まで1,000円)

※おいしいランチが付きます♡
ランチの内容は2種類から、当日選んでいただきまーす。


内容
三浦一族の多々良氏の地と伝わる鴨居周辺を歩きます。多々良氏ゆかりの鴨居八幡神社や多々良浜、観音崎あたりをみんなで楽しくウォーキング!!

多々良氏の城(館)がどこにあったか、正確な場所は分かっていません。
地形や史跡を見ながら、自分なりの推理をしてみませんか?

今回はお城の遺構のようなものは期待できませんが、風光明媚な景色を楽しみながら一緒に歩いてみませんか?何も残ってなくとも、多々良氏がいた多々良の地、思いを馳せて歩くだけで楽しいかもしれませんね。


寺子屋スペシャルは完全予約制になってますので、このブログへのコメント、メール、電話、Facebook、インスタなど何でもいいので、ご連絡ください。



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会場となるクールクランカフェさん
とても素敵な外観です!


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ランチ一例です。ドリンクもつきますよ!!


参加連絡お待ちしてまーす!
先着20名様です。


メールアドレス
heart.blue.heart.blg@gmail.com

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2018年2月20日 (火)

≪告知≫カルチャー教室講座やります

新しい活動のお知らせでーす。
4月から、横須賀カルチャースクールで講座をやらせていただきます。

横須賀カルチャーさんのHPはこちら。
http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/index.html


第一、第三水曜の午前中です。
第一週は座学、第三週はフィールドワークで山城に行きます!!
くわしい内容はこちらを!!
http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/topicsview_96_16174.html


連続講座ということでいつもとはまた違う雰囲気になりそうで楽しみです。
寺子屋や他のイベントとも内容が重複することもあるかもしれませんが、きっと楽しんでいただけると思います。
寺子屋などよりも少人数で、いろんなお話が出来そう。

興味ある方は横須賀カルチャーに問い合わせてみてください~。
是非一緒に楽しい時間を過ごしましょう!



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2018年2月 5日 (月)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の九

1月26日(金)は、新年最初の寺子屋でした。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


電車で浦賀に向かいながら、去年の最初の寺子屋で何を話したかなーなんて考えてました。確か、おみくじの話をしました。私は大吉が出るまで、おみくじを引き続けます。と、言ってもその場で引くわけじゃなく、いろいろとお出かけついでに、ここぞという神社で引きます。そんな話をしながら、明智光秀のおみくじの話をしました。

本能寺の変の前に愛宕山で光秀はくじを引きました。一度じゃなくて二度三度引いたと言われてます。今までは、凶だったから引き直したとか、願い事がたくさんあったなんて言われてましたが、認知症説ってのが最近はありますよなんて雑談をしました。
岩井三四二さんの「光秀耀変」というほんを紹介しました。あれから、1年。…まだ1年って感じがします。おかげさまで去年は充実してたんでしょうね。
どうでもいい話なんですが、年末に手帳にやることリストを書きました。そこに「年賀状」と書き込みました。早く出さないと、元旦に届かないので、忘れないようにと思って書き込みました。あとになって見てみたら、なんと、「年賀城」!!「状」が「城」になってるー!頭の中、お城でいっぱいの一年だったようです。

ちなみに、去年は20か所くらいでおみくじを引いたけど、結局一度も大吉が出ず。中吉どまりでした。今年は1月2日に八幡宮で引いたら大凶!!ガーン!大吉カモン!


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ということで、今回もお城なんだか歴史なんだかという感じでお話を。
最近は小学生の女の子がメモを取りながら熱心に聞きに来てくれます。その子がなんと城好きの友達を連れてきてくれました。かわいらしい女の子がいると、場が華やぎますね。嬉しいです。


始まったばかりの大河ドラマ「西郷どん」。一話目に牛久城が出てきました。私は牛久城大好きなので見逃しませんよ(笑)
鹿児島の城山にいた西郷少年たち、追いかけられて山の中へ。その駆け回ってるのが牛久城でした。私の大好きな牛久城の土橋!映ってました!
渡辺謙さん演じる島津斉彬公と西郷少年が出会ったのも牛久城の平場でした。そんなタイムリーなネタ話をして、ちょっと盛り上がってみたり。

あとは、この前行ってきた福岡県の大野城の話。水城や基肄城などで、大宰府を守ってます。まさに城郭都市。律令制におけるお城のイメージ。壁です。大野城自体には堀はなく、土塁を積んで囲んでます。水の手などは補強として、石を積んでます。「城」という概念の変化なども簡単にお話ししました。「キ・ジョウ」と読んでたのが「シロ」になったとされる説など、ちょっと真面目にお話。

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あとは、志賀島の金印のニセモノ説や、横須賀市鴨居にある多々良氏の館のお話なども。多々良氏は三浦一族の中で少し影が薄いかもしれませんが、すごい活躍してるんですよーなんてお話。義経や義連たちと一の谷の合戦にも出陣してます。



と、いうことで次回の寺子屋スペシャルの日程が決まりました。
4月15日(日)です。また詳細は後日。コースは浦賀のクールクランさんを出発して、鴨居方面に行きます。
題して、「多々良城を探せ!」(笑)
ちょっと大げさですが、多々良城というか館は、あった場所が分かってません。このへんだろうなー的な感じ。なので、答えは出ませんが、候補地を巡り、考えながら歩こうかなーと。とりあえず、細かく計画してみます!!カミングスーン!!!

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2018年1月24日 (水)

「歴史ウォーキング!怒田城」横須賀グリーンゴルフ主催

1月21日(日)は横須賀グリーンゴルフさん主催の歴史ウォーキングイベントでした。今回が第4回目です。
25名応募の所、29人もの参加申し込みがありました。せっかく申込みいただいたんだから、断らずに参加してもらおう!ということで、かなりの大所帯でのイベントとなりました。

午前はお話をして、午後は怒田城をメインとした歴史巡りの旅に出陣。
午後に行くコースにまつわるお話をさせてもらいました。

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いつもどおり、お城=天守閣ではないですよーという感じの話から。初めての方が8割くらいいたので、とりあえずそんな感じの所からお話を。



恒例の大河ドラマネタとしては、「西郷どん」の第一話で出てきたロケ地は牛久城ですよなんて話も。桜島の見える城山を走ってた子供たちが迷い込んだのがなんと牛久城!随分ワープしましたねなんて言いながら。

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大河ドラマの場面。
で、これが牛久城の土橋。

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ほらー。同じ。
この場面で土橋が映った時に、一瞬で牛久城だと分かった私もなかなかやるな(笑)かなり好みの土橋なもんで(笑)

話の後半は三浦半島と三浦一族の話を。
さらっと三浦氏の系図のおさらいをして、今日の怒田城が歴史の舞台となる衣笠合戦付近の歴史を年表で追っていきました。

ざっとお話しすると、1180年8月、平家軍が衣笠城に攻めてきます。三浦党は籠城しますが、持ちこたえられず。棟梁の義明だけを残して、夜陰に紛れて、怒田城へと脱出します。隠しておいた船に乗り、安房へ渡り、頼朝一行と合流するのです。

三浦一族と合流した頼朝は鎌倉入りを果たすことになります。三浦氏がいなければ、鎌倉幕府の成立も危うかったんじゃ?と、いうくらい歴史の分岐となるお城なのです。すごーい。


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怒田城は残念ながら、半分が開発で破壊されています。
ま、もっとも平安末期から鎌倉時代の怒田城は文献に出てきますが、それ以降の怒田城は全く登場しないので分かりません。上の写真の規模だと、室町、戦国などで使ってるような気がしますし…。残念ながら、


今回は鎌倉、逗子、横浜からも参加していただいたので、少し三浦一族の自慢もしました。いかに全国で活躍してたか。六波羅探題近くの一等地に屋敷を構えてた三浦氏。鎌倉幕府の中枢を担っていたことがわかりますね。
三浦一族である戦国大名の蘆名氏は、なにか奉納するときには「三浦蘆名氏」と署名し、いかに三浦氏ということを誇りに思ってたかが分かります。すごいぞ、三浦一族!


この日はちょうど、中島三郎助まつりが別の場所で開催されてました。
横須賀は、歴史と言えば幕末が人気で、中世の歴史はあまりに地元の人たちに知られていません。幕末の歴史も大事ですが、中世の三浦半島はとても面白いです。三浦半島の一豪族ではなく、全国で想像以上の活躍をしていた三浦氏。知ってしまったら、中世を学ばずにはいられません。それほど、面白いです。なので、一人でも多くの人に三浦氏のすごさを伝えたいと思います。
竜馬やおりょうさんもいいけど…。

幕末の横須賀は確かに歴史の舞台になりました。黒船も来ましたし、重要な土地でした。でも、竜馬やおりょうさんには、三浦半島の血は流れていません。紆余曲折があったものの、500年に渡って、脈々と繋がった三浦氏の歴史も、幕末の歴史と並行してちゃんと伝えていかないといけないと思います。歴史は、ぶつ切りではないのですから。


おやおや、真面目な話になってしまいました。
ということで、今回のランチも横須賀ハイランドにあるザクロさんでした。ここのパンは本当においしい!生地がたまりませんよ!
さらに今回は私からのお土産と言うことで、横須賀シフォンさんのカップシフォンケーキを。これまたおいしいー!

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満腹で動くのも億劫になったところで、午後の部スタートです。
今回も山城ガールむつみのオリジナルバッチをプレゼントです。かなり好評でした。他のイベントで配った違うカラーのバッチを持ってる人が羨ましがられるほどに!嬉しいなー。どんどんイベントやろうっと。
すでに7色まで用意してるし(笑)
欲しい方はウォーキングイベントに参加くださいね。


まずは定番の佐原城へ。

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佐原城。看板が薄くて汚くて、読めん!!
横須賀市さん…お願いしますよー!!会津に怒られますよ。向こうは蘆名氏にすごい力を入れてるってのに!っもう!

鵯越の逆落としで有名な佐原義連がこの地に住んで「佐原氏」を名乗ったと言われてます。この佐原氏が宝治合戦で三浦宗家が滅んだ後も、三浦の血をつないで、蘆名氏へと続くんですね。


台地になってる地形から、何となく何かを感じる程度だけど。意外と高さがあるなーと、実際に現地に行くと感じます。
発掘によると、16世紀の遺物が出てるので、北条氏が三浦氏の新井城を攻めてきたときに、何かしら使われてるはずとの事。

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お次は慈眼院。山の上に建ってますが、ここは縄文時代の茅山貝塚でもあります。話によると、昭和天皇もいらっしゃったんだとか!
階段が急!誰か落ちてきたら、みんなアウトー!!


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この山の対岸が怒田城です。ここから怒田城までの1kmちょっとの幅が中世では入江、完全に海でした。この山も何かしら使ってただろうな。砦とかさ。


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ここから向こうまで、全部海だなんてシンジラーレナイ!
右手2kmほどの河口から攻めてくる敵を怒田城や佐原城、もしくはこの山から見張り、守ってたんでしょうね。
そんなことを妄想しつつ、次へ。


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正業寺。ここは、砂村新左エ門さんのお墓があります。この人が、さっきの入江を内川新田として開発した人です。
越前国三国の生まれのスーパー土木技術者、スーパーコンサル。
なんと、1601年生まれ。関が原の戦いの一年後に生まれてる。そんな時代に新田開発したんですね。すごい。
信心深い人で、各地で新田開発するたびに神仏を勧請しました。この正業寺も荒れ果ててたのを新左エ門さんが中興したそうです。
ちなみに、私の実家のお墓もあります。新左エ門さんのお墓の後ろ3mほどのところに。歴史ネタってのは、本当に身近にあるんですね、しみじみ…。
久里浜の子供たちが七五三をやる久里浜天神社も新左エ門さんの創建です。


新左エ門さんは東京の江東区にある砂村新田も手がけました。
昔は「砂村町」って名前が残ってたみたいだけど、今は「南砂」とか「砂」の一文字を残すのみ。東西線には「南砂町」って駅がありますね。あれがそうです。

内川往還を抜けて、進みます。今の久里浜商店街のアーケードのある通りが、旧道内川往還です。今の大通りは軍が開いた物資運搬の道。

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お次は宗円寺。 久比里にある寺。このあたりは、「臼井さん」て名字が多い。小学校、中学校のクラスには何人も臼井さん、臼井くんがいました。
「臼井」は千葉氏なんですよ。向こうから来たんですね。へぇー。
いかに三浦半島と房総半島が近い関係か分かりますね。

このお寺に寄ったのはここに鎌倉権五郎景政の彫ったと伝わる両面地蔵があるからです。鎌倉党は三浦為通の兄弟が鎌倉郡をもらって、鎌倉氏を名乗ったのが始まり。なので、いわば、三浦氏と同族です。 ちなみに長江氏は鎌倉氏からの分かれたものです。

それにしても、本堂の上の崖すごい!このあたりも昔は海だったんだろうな~。


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景政は後三年の役で、右目を射られました。一緒に戦っていた三浦
義継が矢を抜こうとしましたが、突き刺さった矢は抜けませんでした。そこで、義継は足で景政の顔を踏んで押さえて、矢を抜こうとしました。すると、景政は、「こんな顔を踏まれるなんて辱めを受けるくらいなら、死んだほうがましだ!」とか何とか、そんなようなことを言ったようです。それに感動した義継はひざまずき、両手で丁寧に矢を抜いたんだとか。
その後、失明した景政が彫ったと伝わる両面地蔵がここにあるんです。

御霊神社といえば、景政をまつる神社ですが、佐原にもあるんです。この宗円寺が平安時代末期には何だったか全くわかりませんが、ここに景政ゆかりのものがあるというのが面白いですね。三浦党と鎌倉党のつながりを感じますね。



今日のメイン!怒田城へ!

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みんなで、城山を眺めて妄想中!!右手が下がってるように見えますが、実は右側に一番標高の高い城山の一部がありました。


佐原城もそうだけど、古い鎌倉時代の方が文献に残り、室町、戦国時代に関しては、怒田城と佐原城がどうだったのかが全く不明。タイムマシンが欲しいです。

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空堀。発掘調査の後、埋め戻し。
堀底の土を化学分析したところ、12世紀から13世紀との結果が出てるようです。堀の幅は4.5-5m、薬研堀との事。

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わざわざ貝を抜き取って、堀の断面を仕上げてたらしい、なので、臨時的というよりも、恒常的な利用をしてたのかな?


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土塁をコンクリートで固めないで~!と、言って、みんなみ笑われてるところ。


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怒田城からいったん、御林を抜けて、真福寺へ。
ここはとてもいい道!!インスタ映えする~(笑)

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庚申塚とかもある。浦賀道なので。切通して、すてきな旧道の雰囲気むんむん。


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最後は真福寺。

ここには波の伊八の欄間があります。波の伊八は「関東に行ったら波を彫るな」と全国の彫師に言わしめた天才彫師。北斎さえもその影響を受けたとされます。鴨川、いすみ市の生まれで作品はその辺りに集中してます。特に行元寺の欄間は必見です。それを見て、衝撃を受けた北斎が富嶽三十六景の神奈川沖浪裏を彫ったとされています。
千葉以外の伊八作品は、あんまりないんだけど、なんとこの吉井の山奥の真福寺に伊八作品があるんです!
今は少し辺鄙(ごめんなさい)な場所ですが、ここは昔は浦賀道として、浦賀奉行所へと続く重要な道でした。このあたり一帯は御用林として、江戸幕府の直轄林でした。
このお寺にはマリア観音と呼ばれる珍しい観音様もいます。
キリシタンの匂いがするお寺です。

実はこの欄間を見る予約をしてたんですが、住職さん、まさかの度忘れ!!でかけちゃってました(泣)残念です。みなさま、ごめんなさいでした(泣)



ちなみに伊八は4代目が柴又帝釈天の欄間を彫りました。有料で見れますのでぜひ。6代目はハンコ屋さんになったとかならないとかという風の噂。真偽のほどは分かりません。


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真福寺から怒田城の逆側をぐるりと歩く。この指さしてる山裾が怒田城の際に当たります。



全行程を終え、もう一度、怒田城の上に上がり、クイズの正解者の中から抽選で、横須賀海軍カレーをプレゼント!盛り上がりました。
そして、JR久里浜駅にて今日の集合写真のプレゼントをお渡しして解散となりました。
結構、楽しんでもらえたんじゃないかなーと思います。
次いつやるの?早く企画してよ…なんて嬉しい言葉もいただきました。




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実はこれは私の実家。10年前まで家族で住んでましたが、引っ越すので売りに出しました。売りに出してる時の画像です。木がボーボーだ。8年前くらいの写真。
この家は怒田城の真下にありました。どんぐり山と呼んで走り回ってた山が、城跡だったんですね。大人になってそれを知って、いかに歴史が身近にあるのかと感動しました。


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土地が売れて、建売が建ち始めたところ。5年くらい前の写真。
手前にもう一軒建ちました。住んでた家に真新しい家が建つというのは、センチメンタルな気持ちになりますね。

そんなことはさておき、天気も良くとても楽しいイベントになりました。
参加者の皆様、ありがとうございました。では、また。

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2018年1月15日 (月)

【バスツアー募集】「いざ!三崎城へ!」

はじめてのバスツアーのお知らせです。

横須賀カルチャーセンター主催のイベントがあります。横須賀ショッパーズプラザ…今はイオンですね。ついつい、ショッパーズと言ってしまいます。
イオンに集合してバスで三崎へ向かいます。三崎城や頼朝の三崎の御所へ。
三崎の御所というのは、頼朝のいわゆる別荘です。桃の御所、桜の御所、椿の御所という名前でした。鎌倉から三崎は疲れを癒す小旅行にピッタリの距離だったようです。
今はお寺となってる御所跡を回り、お昼はマグロ丼のランチ付!! 
メインの三崎城は例によって、建物も何も残ってませんが、地形や少しの名残りから思いを馳せたいと思います。



話は変わりますが…
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先日、小和田哲男先生と少しだけお話させていただきました。歴史界のスパースターです。何十冊と先生の本を読んで勉強している私からすると、神様のような方。とてもやさしくて素敵な方でした。その小和田先生から、三浦一族はとても大事だから頑張って!と言っていただきました。モリモリとパワーが湧いてきました!今年も頑張りたいと思います!

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ちらしの画像が見にくいので、くわしいことはカルチャーセンターのHPで。

http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/index.html

http://www.culture.gr.jp/detail/yokosuka/topicsview_96_15070.html

日にちは2018年2月17日です。
いつものイベントとまた違って、大型バスやマグロ丼もあり、旅行気分になれるかもしれませんね。
問い合わせはカルチャーセンターにお願いいたします!

バスガイド初体験!楽しみです。

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2018年1月11日 (木)

≪満員御礼≫「歴史ウォーキング!怒田城」横須賀グリーンゴルフ

有難いことに満員御礼のお知らせです。1月21日の横須賀グリーンゴルフさんでの歴史ウォーキングイベントは満員になりましたので締め切らせていただきます。25人定員の所、30人も参加申込みいただきました。

昨日、下見に行ってきました。また新しい発見!!ワクワクしました。きっと、当日も楽しんでいただけると思います。

また他のイベントも計画してますので、乞うご期待!!



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グリーンゴルフさんにて。入り口に大きなポスター貼ってくれてました。


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下見途中のお寺にて。晴れますようにと願掛け。左下に注目!
きっといい天気になる事でしょう。

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2017年12月27日 (水)

「いざ!浦賀城!寺子屋スペシャル」の巻!

横須賀市浦賀のクールクランカフェにて、初めての寺子屋スペシャル開催!!
いつもの寺子屋は奇数月の第4金曜の夜だけど、今回は日曜の昼間っから!なんて健康的!朝日がまぶしい!!
午前は寺子屋スペシャル座学編。

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いつもは夜にビール飲んでやってますが、ほら、この健康的なこと!なんていい休日の過ごし方なんでしょう。
今回は浦賀城の案内に加えて、里見氏、正木氏と三浦氏の関係や、房総半島にある里見氏の城の話もしました~。満載~。

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おいしいランチを食べて、いざ出陣。
記念すべき第一回目は、お近くの浦賀城へ。途中の寺社仏閣の立ち寄りながら、進みます。石垣とかジーッと見て少し怪しい集団(笑

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浦賀城城山の麓にある「圓城山」という山号の法幢寺へ。城という字が山号に入ってることからも、浦賀城とのつながりを感じますね。
浦賀城は、小田原北条氏が1516年に三浦一族を滅ぼしたあとに、VS里見氏対策として築城したなんて言われています。でも、きっとそれ以前から三浦氏の何らかの施設があったはず。この法幢寺の開基が1493年。となると、もちろん三浦氏の時代です。当時は一つの城に少なくとも一つの寺。なので、法幢寺を開基したときに浦賀城が築かれたか、もしくは大改修されたのでは?
すぐ真裏が多々良ですし、使われていたはずです。
そのため、お寺の境内を行ったり来たり。一番際まで行って、浦賀城を見上げてみたり。
さらに怪しい集団(笑


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そして東叶神社から浦賀城に登ります。
今回は当時の城道を意識して回りました。この山は明神山と言いますが、平安時代から修験の山。鎌倉時代には頼朝が石清水八幡宮を勧請しました。昔から信仰の対象の大事な山だったんですね。

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浦賀城の東側からは掘っ立て小屋の柱穴が出ています。船倉跡と伝わり、船着き場があったようです。中世の土器などが出土しています。

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大勢の参加者さんと最高の天気!とても楽しいイベントになりました。
また寺子屋スペシャル開催したいですね。

次の通常の寺子屋は1月26日(金)19時からです。


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なんと!!オリジナル缶バッジを作りました!!
かわいい!!かなり好評でした。また色違いで作ろうっと。
イベントで違うカラーのバッジを作るので、ぜひご参加ください~。

ちなみにこの缶バッジは「UCANBADGE」というお店で作りました。対応が親切&迅速!あっという間に届いてビックリしました。すっごく可愛いし♥
お店のURLはwww.u-canbadge.comです。おススメですよ。

Img_3533次のイベントはこれ!!
横須賀グリーンゴルフにて、1月21日(日)です。
申し込みは直接グリーンゴルフへ。
12月27日現在で残り枠は3名様!!申し込みはお急ぎください~。


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では、またイベントでお会いしましょう。

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2017年12月12日 (火)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の八

山城ガールむつみの寺子屋、第8回目!
満席御礼!ありがとうございます!!
しかも、今回は小学校の担任の先生が見に来てくれました~。緊張したぜ!(笑)

半分くらいが初めてのお客さんだったので、常連さんには復習になっちゃうとこもあるんだけど、いろんな話を織り交ぜながら。
「ここどこでしょうクイズ」とかやってみたり。
山城跡に建ってるマンションを見せてクイズ。景品は出ないけど。
交通量の多い道路から見える景色だから、ほとんどの三浦半島人は通ってるし、目にしてる光景。まさか、あそこが城あとだったなんて!!てな感じに、クイズにして盛り上がりました~。もとい、盛り上がった気がしました~。
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私の目には、土橋がとても艶やかで、色っぽく見えます。
とか、意味不明なことを口走って、あきれられたりしながら、あっという間の1時間。15分くらいオーバーしましたね。

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天守の写真を表紙にしてたら、珍しいね、どうしちゃったの?と突っ込まれました。
ふっふっふ。天守の話をするかと見せかけて、天守の話は一切しません。土の話だけ(笑)
ずーっと土の塊の写真だと、あまりにも地味なので彦根城の天守を今回の表紙にしてみました~。

今回は中世の「城」のイメージというか、言葉の持つ意味というか、南北朝以前の城は臨時的、バリケード的な感じだったとかそんな話もしました。「シロ」ではなく、「キ・ジョウ」と呼ばれてて。なんで、「シロ」と読むようになったのかなんて話とか。また次回も、同じような話もしながら、いろいろと新しい話もしようと思います。

いまさら、初参加しづらいな~とか思ってる方!大丈夫です。初めてでも楽しめるような内容にしてます。(してるつもり)是非、来てみてください!!!

次回の通常の寺子屋は1月26日(金)19時です。
ご参加お待ちしてまーす!!

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2017年12月11日 (月)

「いざ!行かん、歴史の旅へ!」最終回の巻(タウンニュース連載記事)

2016年7月から始まったタウンニュースの連載も今回が最終回です。
あっというまの1年半でした。全部で16個のお城を紹介させてもらいました。
まだまだ城址はあります。館、砦を含めると、あと倍近くあるかもしれません。でも、とりあえず、三浦半島の山城めぐりの旅は、ここらでひと区切り。
読んでくださった方々、ありがとうございました!!

いろんなところで、反響をいただきました。
全然知らなかった!行ってみたい!という声がどんどん増えていったことが一番うれしかったです。

今後もまた楽しいイベントなど、どんどん企画していきたいと思います。
連載で書いたコラムは、いつか「三浦半島山城ガイドブック」的な感じで出版したいなーと考えてます。

ではでは、これからも楽しい歴史めぐり、一緒に楽しみましょう!!

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2017年11月27日 (月)

≪告知≫寺子屋スペシャルのお知らせ!!

クールクランカフェ Presents!!
寺子屋スペシャル!!

やりますよ~!
いつもは、2か月に一度、第四金曜の夜7時から開催している「山城ガールむつみの寺子屋」ですが、今回はスペシャルと銘打って、休日の昼間に開催しまーす。
しかもなんと!ウォーキング付き!みんなで出陣します。
記念すべきスペシャル第1回目は浦賀城に出陣しますよ。

張り切っていきましょう~!
エイエイオーッ!!

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概要
クールクランカフェにて、寺子屋開催。
山城の話、お城の話、浦賀城の話など。
初めての方でも楽しめる内容です!

ランチを食べてから、歩いて浦賀城へ。
帰りは、ぽんぽん舟に乗って、浦賀駅へ。(ぽんぽん舟代¥200は各自実費負担)


日にち            2017年12月17日(日)
受付場所          クールクランカフェ 2階
受付開始時間       10:30
寺子屋開始時間     11:00
参加費           ¥2,000 (ランチ代込み)※小学生までは¥1,000です。



※受付は10:50までにお済ませください。
※ランチメニューは受付の際にお選びいただきます。

こんな感じの流れになってます。
今回は完全予約制とさせていただきます。

FB、インスタ、メール、電話等でご予約下さい。
クールクランカフェの電話番号は
046-845-9106 です。

参加連絡お待ちしてます!
定員20名とさせていただきます。
※12月11日現在で21名の参加連絡をいただいてます。定員になりましたが、若干名追加で受付いたします!お待ちしてまーす!

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2017年11月16日 (木)

「いざ!浦賀城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

今回で17回目のタウンニュース連載コラム「出陣のススメ」は浦賀城です!
クリックどうぞ!!


↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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「浦賀」というと、
黒船!ペリー!勝海舟!!…などと、幕末のキーワードが浮かびがち。
でもでもでも!浦賀には中世の山城があるのですよ。
中世以前の歴史を追っていかないと、幕末の浦賀の姿も見えてこないんじゃないでしょうか!?
ということで、浦賀城いってみよー!

まず、浦賀城の城山は東浦賀の東叶神社の裏山にあたります。浦賀の町は浦賀湾を挟んで、西と東に分かれてます。西浦賀と東浦賀。西浦賀には西叶神社がありますよ。
西と東の行き来はポンポン船がおススメです。小さいころから、慣れ親しんだポンポン船。当時は50円だったような。今は200円です。

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素敵な風景ですね。これに乗って浦賀城に向かうと、ググッと遠足気分に!
正面の山が浦賀城です。まさに岬の突端です。標高は55mほど。

浦賀城が正確にいつできたのかは分かりません。
でも、古来重要な場所というのは変わらないので、浦賀は昔から要衝の地だったと思われます。浦賀城の裏側の鴨居は三浦一族の多々良氏の館や城があったと言われているので、浦賀城も関連施設があったり、なんかしら連携してたかもしれませんね。
三浦一族である横須賀氏の拠点だったとも言われてます。


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浦賀城の目の前には浦賀水道が走ってます。房総半島は目と鼻の先!当時は「向かい地」と呼び合うほどの距離感でした。今は車も電車もあるし、陸路を頭に浮かべちゃうけど昔は断然海路水路の方が便利で早かったんですね~。


北条早雲は1516年に油壺の新井城で三浦道寸&義意父子を追い込み、三浦一族を滅ぼしました。それにより、相模国を平定した北条氏は、房総半島へ目を向けました。
江戸湾(東京湾)の海上交通を掌握するためには房総半島に拠点を置く必要があったんですね~。

房総半島の敵というと、里見氏ですが里見氏はたびたび三浦半島に攻めてきます。
城ヶ島を占拠されたり、大船あたりに攻め込まれたりと大変!
イイ感じの潮の流れに乗って、あっというまに攻めてきたんですね~。そんな情勢の中、三崎城の支城として浦賀城は築かれました。前面を城ヶ島で守られて、奥に湾がある三崎城が防御型だとすると、岬の突端に築かれた浦賀城は攻撃型!襲いかかる里見氏に攻撃するための城だったとのこと。


海の写真
※海の写真を貼り付けるはずが、写真がない!すみません。想像で読み進めてください。

晴れた日には、目の前に広がる大海原の青がまぶしいくらいキレイです。
こんな美しい海で実はすごい争いが繰り広げられてたのです。浦賀城は最前線の基地だったのです。

北条水軍の拠点になってたんですね。ちなみに北条水軍には三浦水軍の残党が取り込まれました。結構良い待遇で迎えられたようです。
浦賀城には三浦水軍だけじゃなく、高給で雇った水軍なども入り、一大水軍拠点になりました。舟方は諸役を免除されて、里見氏に備えたようです。

江戸湾と浦賀水道の制海権争いは、なかなかに白熱。抜き差しならない状況になってました。合戦記録に残ってないような小競り合いなんかは、この浦賀城の目の前でしょっちゅうあったのかもしれませんね。


浦賀の地は江戸湾の入り口!まさに要の場所なんですね。
江戸時代に浦賀が小田原の次いで栄えていたのも、交通の便という要素があったからですね。家康も浦賀を国際貿易港として開港したり。

浦賀城の城山である明神山と、対岸の愛宕山に囲まれた天然の良港だったんですね。なんと、800~1000艘もの船が碇泊可能だったとのこと!

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ある日の浦賀城でのイベントの風景。
主郭の奥に遺構が残ってます。
階段上がって疲れちゃって、主郭しか行かないで、海だけ見て帰ってきたという話をよく聞きます。奥に堀切がありますのでね!



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こんな堀切が残ってますよ!主郭の東奥をガサゴソと進むと現れます。


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こんなかんじでガサゴソと進みますよ。参加者の皆さん、苦笑い。蜘蛛の巣だらけ。
堀切や急傾斜の切り岸からも当時の緊迫感を感じますね。


浦賀城の東側の谷からは発掘調査で柱穴が多数見つかってるらしいです。船倉跡じゃないかとのこと。城のまわりには広範囲にわたって「~腰」という城を連想させる地名が残ってます。


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井戸もありますよ。この井戸があるところは自然地形かな?窪地、鞍部になってますね。なんだか不思議な空間。



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これまたイベント風景。
東叶神社から頂上に上がる階段は結構急です。息が切れます。途中に勝海舟断食の碑があります。そこからも頂上の主郭に向かって階段は続くんだけど、当時の登城路は石碑の奥に続く道だったと思います。ぐるりと回って虎口に入る感じ。

階段を上がり切った場所は主郭とされる広い平場。
そこからの景色は絶景!本当に房総半島が近く見えます。当時の里見氏の城、造海城も見えます!見えると言っても、場所が分かるという程度だけど。造海城は「つくろうみ城」と読みます。
元は真里谷氏の城だったんだけど、里見氏の支配下に入ってからは里見氏方の正木氏が入りました。正木氏は三浦氏と血縁も濃いですね。
この造海城は幕末に浦賀城と同じように海防の拠点となり、台場が設けられました。やはり、浦賀城と同様に造海城も時代を通して、重要な場所にあったんですね。


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これは久里浜のペリー公園の資料館にあった絵図。様子がよく分かりますね!

このブログを書いてて、浦賀城の海の景色など、写真が全然ないことに気付きました…。ガビーン。
ぜひ、浦賀城にいって見てみてください。すみません…。
腰曲輪とかの写真もあったはずだったんだけど。おかしいな~。


1590年の秀吉の小田原攻めでは、浦賀城の城兵は三崎城に籠もって戦ったとのこと。その後は、廃城になったとのことです。北条水軍はそのあとは徳川水軍に組み込まれたようですね。


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安部龍太郎さんの「開陽丸、北へ」を読みました。
鳥羽伏見の戦いの後、開陽丸は大坂城を脱出した徳川慶喜を乗せ江戸へ向かいます。その後、品川沖にて新政府軍との交渉をするも、決裂。
榎本武揚、沢太郎右衛門の乗った開陽丸と他の何艘かの船、徳川艦隊が北へ向かうこととなるのです。
咸臨丸は勝海舟が艦長として太平洋を横断し、その名を世に知らしめた蒸気船ですが、老朽化のため、数年前から蒸気機関をはずされ、帆走のみになってました。そのため、船足が遅いので、馬力のある回天丸が曳航することになりました。
しかし、江戸湾を出発して早々に咸臨丸は観音崎沖にて座礁。
咸臨丸を曳き、前を走る回天丸が観音崎沖を大回りで進もうとしたんだけど、計算ミス、判断ミスにより、後ろの咸臨丸が思いのほか内側を通ってしまい、岩に引っかかってしまったんですね。

それにより遅れが出て、徳川艦隊は嵐に遭うことになるのです。勝海舟が浦賀城内で願掛けで断食して、咸臨丸で揚々と太平洋へと漕ぎ出してからたったの数年後のこと。観音崎沖・浦賀沖にはそんなドラマもあったんですね。

いろんな時代を感じることができる浦賀城。ぜひ、行ってみてください。
そうだ!12月17日(日)にイベントで浦賀城に行きますよ!
近いうちにイベント情報をアップしまーす。

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2017年11月 6日 (月)

《告知》お城EXPO2017

今回は『お城EXPO 2017』の告知です。
去年好評だったお城EXPOが今年も開催されます。

12月22日から12月24日の3日間!
パシフィコ横浜にて。
詳細は以下のURLにてご確認ください!

遷移先URL:http://www.shiroexpo.jp/


ワークショップや講演会なども盛りだくさん!
私のお目当ては「陸軍省城絵図」です。
陸軍が調査した絵図が10点ほど展示されるとか!楽しみです。

他にもジオラマや、城ラマ復元堂さんの城ラマなど見どころ満載です。
街はクリスマス真っただ中ですが、ジングルベルを聴きながらお城を楽しんでみませんか?
私はクリスマスイブに行く予定!
見かけたら声かけてくださいね~!!

チケットは絶賛発売中です。講演会のチケットは完売する可能性があるので、気になるものがありましたら、お早めに!!

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2017年10月23日 (月)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の七

第七回目の寺子屋!
土砂降りの中、なんとか開催。いつもより、少ない人数でしたがこの大雨の中、来てくださった方には感謝ですね。京浜急行も大幅に遅れるほどの大雨でした。

今回の寺子屋は祝1周年!
おかげさまです。それにしても、あっという間ですね~。


夏休みは青春18切符で山形から秋田に行ってたので、行ったお城の写真を見ながら土産話をしてみたり。
秋田でお土産を買うつもりが、電車の混雑ぶりがすごくて買えなかったので、なぜか三河のお土産を。家康やら信長がプリントされてるクッキーです。小学生が買うようなベタな土産だけど、致し方なし…。

また今回も初めての方がいたので、お城ってなぁに?って話から。
小学校の先生をしてる方が来てくれました。浦賀城とか全く知らなかったって言ってました。またぜひ参加してもらって、子供たちに地域の歴史を伝えてくれれば嬉しいですね。




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他には夏の旅行で色々とつながって面白いなと思った話を。

 

秋田の佐竹氏の久保田城に行ったときのこと。佐竹氏というと、今年の夏の初め頃、集中豪雨で川が氾濫して、住民が避難やなんやと大変だった時にゴルフしてて問題になった秋田知事を思い出します。あの知事は佐竹北家の血筋で、代々、角館藩主の家系。知事は佐竹北家の21代にあたるとのこと。結局、給料3か月とボーナスカットだなんて、かなり反省してる感じでしたね。

佐竹氏は源氏の名門。源頼義の子供で、八幡太郎義家らを兄弟にもつ新羅三郎義光が祖。常陸太田市に馬坂城という城があって、そこが佐竹氏発祥の地と言われてます。時代が下って、関が原では西軍について、その後は秋田に移って、久保田城を築くんですけど。実はこの佐竹が三浦氏とつながるんです。

 

南会津に伊達政宗のライバルと言われる蘆名氏という戦国武将がいました。摺上げが原の戦いで伊達政宗に負けるんだけど。で、この蘆名氏の最後の当主である蘆名義広が佐竹義宣の弟なんです。常陸の佐竹と南会津の蘆名は、対伊達氏のために連携を図って近しい関係だったので、佐竹から蘆名家に養子に行って当主になったんですね。
そもそも、この蘆名氏は実は元は横須賀の芦名氏。大楠小学校あたりの芦名に城館を構えて、「芦名」を名乗ったわけです。三浦義明の弟が祖で芦名為清を名乗ったのが最初です。

 

なので、直接じゃないけど見事につながってます。要は横須賀の三浦一族である蘆名氏の最後の当主が佐竹氏だということですね。なんだか、秋田県知事にも親近感~。

そうそう、蘆名氏と言えば、
会津若松城。別名鶴ヶ城。八重の桜で悲劇の舞台になりましたけど。あの城を最初につくったのが三浦一族である蘆名氏。そのころは会津黒川城って呼ばれてました。今の若松城と縄張りはあんまり変わってなくて、いまの城の下に蘆名時代の遺構が眠ってると思われます。あぁ、なんてロマン。


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それと、上野の国立博物館で開催される運慶展の紹介と見どころを。
運慶展のちらしには横須賀芦名の浄楽寺と伊豆の願成就院の仏さまが並んで写ってます。ありがたい仏様…と思ってると実は!そこには熾烈な権力争いが!!

 

三浦一族のライバルというと執権北条氏。浄楽寺の仏像は和田義盛、願成就院のは北条氏が願主なんですね。願成就院の像からは文治2年の札、浄楽寺の毘沙門天胎内から、文治5年の札。

  

仲良く同じような仏像を同じ時期に造った…わけじゃなくて、競い合うように造ったということ。いかに和田氏と北条氏が権力と財力を持ってたか。そして、運慶展ちらしのなかに鎌倉時代の壮絶な権力争いが垣間見れて面白いです。そんな見方をすると、展覧会もまた違った楽しみ方ができるかもしれんせんね。美術、芸術と歴史が結びついて面白いかなーと。

 

それにしても、運慶作が確定、もしくは限りなく運慶作っていうのは全国で31体。そのうちの5体が芦名の浄楽寺に。阿弥陀三尊、不動明王、毘沙門天。これってすごいこと!三浦一族の権力すごい!ということで、ぜひ行ってみてください。

 

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最後は恒例のむつみの本紹介コーナー。

 

時代、ジャンルを問わず、歴史ものっぽい本を勝手に紹介するコーナー。

 

今回は伊東潤さんの「義烈千秋 天狗党西へ」。水戸天狗党の小説です。私は幕末そんなに得意じゃないんですけど、天狗党側からの目線で幕末の流れを追ったら、いろいろと勉強になりました。この伊東潤さんは何を読んでも傑作です。

 

この本は藤田東湖の息子、藤田小四郎とかが中心人物。最初は尊皇攘夷、イコール倒幕のつもりはなくて、あくまで夷狄を打ち払うということで結成された天狗党。当初は、横浜港の開港を阻止するというのを目的に1864年に筑波山にて決起。

 

水戸藩も桜田門外の変とか坂下門外の変とかいろいろあって分裂してて。天狗党も当初の目的を果たそうにも藩からも幕府からも追われて、どうにもならなくなって。後の将軍になる一橋慶喜を頼ろうと京を目指すんだけど、最後は慶喜に切り捨てられて敦賀で処刑される。途中で主人公の小四郎は自分の気高い志が派閥争いにしかなってないことに気づいて愕然と。だけど、この国を正気に戻そう!と、捨て石になろうと覚悟を決めて進んでいく。結局、激戦を繰り返しながら水戸から進んだ道中は無駄足になる。だけど、その葛藤と志がすごく美しく切なく描かれてて、歴史を知るにも小説としてもとてもいい作品でした。

 

途中、いろんな藩の領地を通って行軍するとき、小さい藩は見て見ないふりするんですね。堂々と通るなら黙ってられないけど、脇道を通るなら、こっそりどうぞ…みたいな。例えば、栃木の黒羽城。18千石。前に行ったときに随分大きな城郭だなと思ったら、関ヶ原合戦の時に上杉景勝が来たときの押さえとして、こんな大城郭にしたらしいんですけど。そこを天狗党が通っていく。当たり前なんだけど、歴史が繋がってると言うことを痛感して、感動しました。
他にも高崎藩と熾烈な戦いを繰り広げるんだけど、その中に里見という名前が出てくる。里見というと、千葉のイメージあるんだけど、元は新田氏。だから、高崎あたりにも里見公園とか里見城址があるんです。いろいろと中世と幕末が重なって面白かった。
秋の夜長にいかがでしょうか?


 

次回の寺子屋は1124日(金)19時から。
よろしくお願いしまーす。



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2017年10月16日 (月)

「いざ!三崎城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースの連載も16回目になりました。
ではでは、今回は「三崎城」です。いってみよー!!
まずはタウンニュースノのコラムを!



↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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三崎城は今の三浦市役所があるあたりです。旧三崎中学校のところ。車で行くと、あまり気づきませんが、結構な高さがあります。歩いて市役所に向かうと、よくわかります。山になってます。標高は30mくらい。
三崎城の始まりはよくわからないけど、今に残る三崎城の姿は北条氏が三浦一族を滅ぼした後に拡大改修したものです。三崎の地は里見氏との国境に当たるため、房総への軍事行動の拠点になったんですね~。海路だと、房総半島は目と鼻の先ですね。

実際、里見氏は何回か攻めてきてて、1556年には兵船80隻で、目の前の城ケ島を占拠して三崎城へ上陸しようとしました。なんとか、三崎城と城ケ島の間の海上で戦って上陸は阻止!里見氏は上げ潮に乗ってヒットエンドラン戦法で、しょっちゅう攻めてきました。怖い怖い。これには北条氏もかなり手こずりました~。
時には迂回して、新井城に攻めてきたこともあります。その対策として北条氏は、攻撃の拠点にしようと浦賀城を築きました。三崎城はどっちかというと、守りの城って感じですもんね。


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エリア的には、こんな感じ。外堀が広い道路になってたり、当時の名残りが今でも十分に地形からも分かります。



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住宅の隙間から城山を見る。突き当たりの高台が城山。うん、結構な山になってますね。

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城山から下を覗くとこんな感じ。うんうん、高く感じます。
海南神社の脇から、城内へと向かいます。海南神社は三浦総鎮守です。
城山に上がって海南神社を見下ろすと、斜面が切り岸になって、がくんと落ちてるのが分かります。
海を見ると城ケ島が、どーんと横たわってます。城ケ島は防波堤にも、港の目隠しにもなったんですね。こうやって眺めると、よくわかりますね。

三浦氏の新井城が落ちた時、三浦の残党が城ケ島に籠って、三崎に入った北条氏をしばしば襲ってきたとの事。これには北条氏も手を焼いて、お寺が仲裁に入ったらしい。その後は、三浦の旧臣は北条氏について三崎十人衆として北条水軍に組み込まれました。三崎は玉縄城領に属し、三浦氏の旧臣は三浦衆として編成されたようです。



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そのまま三崎小学校の方に進むと、光念寺と本瑞寺が並んでます。ここは城の南西にあたり、光念寺と本瑞寺の間には、こんな感じの土塁があります。結構高いです。5mくらいかな?

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うんうん、遠目に見ても高い。
この本瑞寺は、いわゆる頼朝の三崎の三御所の一つ、「桜の御所」にあたります。ここで宴を開いたと吾妻鏡にも書かれてます。室町時代前期のものとされる梵鐘も本堂の中にあります。



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三崎小学校。ここももちろんお城の一部。曲輪があったところです。


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三崎小学校を通り過ぎて、大きな通りに出るところにこんな、こんも~りとした土の塊。これが土塁の一部です。
この大通りの向こう側が主郭にあたるので、空堀になってたと思われます。そこが今は道路になってるんですね。


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この土の塊は三崎市役所入り口の所。これもきっと土塁の名残りでしょうね。


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まずは主郭の北側の際を見ようと、旧三崎中学校の裏手へ。
ほらほら、怪しいじゃ~ん。なんですか!?がくんと落ちてますよ!


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ほら!ここだけ、不自然な感じで。お家が2列分だけ、落ちてます。空堀の底の名残りっぽく見えます!あぁ、楽しい。歩いてて、こういうの見つける感じが本当に楽しい。
三崎城は海側の防衛は堅いけど、北の陸続き側は弱いので3重の空堀を巡らせてたらしい。このガクンと落ちた空堀の名残りのようなものは、自然地形に人工の手を加えた空堀の名残りですね。

そして、旧三崎中学校のプールを通りすぎ、まっすぐ細い道へと向かいます。そうすると、右へ向かう坂道。これを上っていくと、お城の東端の曲輪に到着。




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こんな感じ。右が小さな曲輪。その下の湾の見張りのような位置。
堀切のようにも見える。主郭に向かう通路は土橋になってます。


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今はお堂が建ってる。下を覗くと断崖。標高30mとは思えないほど、高く見えます。下の入江が丸見え!

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下に見える入江はこんな感じ。この入江は「北条湾」という名前がついてます。
その先に、うっすらと見える城ヶ島。当時から今まで三崎港が良港だった理由が分かりますね。このあたりは軍船を留めていた場所です。城ケ島が上手に軍港を隠してくれました。
この入江はさらに奥まっていて、北条水軍の船を留めるには最適だったでしょう。
この港からは、中国からの輸入品の永楽銭が大量に見つかってるらしいです。北条氏にとって、貿易としても重要な港だったと言うことがわかりますね!すごいぞ、三崎城!!


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今は埋め立てて道路になり、さらには奥が住宅地になってますが、当時はもっと奥まで湾が入り込んでました。今でも道路や住宅の下には海が入り込んでます。


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埋め立てられた住宅地。当時はこの辺まで湾が入り込んでたんではないでしょうか?土地がとても低く感じます。

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ではでは、再び城内へ。さっそく横堀出現!結構なシロモノ!!
あぁ!写真では全く伝わらない!!




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そして土塁!!ぐるりと曲輪全体に!
本当は今回のタウンニュース、この土塁の写真にしたかったんだけどイマイチ分かりづらくて断念…。草木も邪魔だし、上手く撮れん!ガッデム!!


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土塁、結構な高さです。まだこのあたりが役場として整備されてない頃の写真を見ましたが、土塁の高さ8mくらいあったように見えました。今は5mってところかな。



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駐車場をぐるりと土塁!なんかイイ~。こういうの好き。


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旧三崎中学校のグランド。
ここには角馬出があったようですが、きれいさっぱりありません。ここが一番広い曲輪ですね。

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石碑。この裏側に土塁があって、角馬出に名残りか?なんて書かれてるんですが、たぶん曲輪の土塁の名残っぽいです。位置的に。
青少年会館、体育館などのまわりすべてに今でもうっすらと土塁の名残りがぐるりと。数十cm程度のとこもあるけど。分かる程度には残ってます。

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市役所の脇を通って行くと、こんな小道。うねうねと曲がりくねってます。これ、大手道かな。人さまの家の間をこっそりと進む。…別に不法侵入じゃないし、ちゃんとした道なんだけどあまりに道の細さに忍び足になってしまう。



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振り返るとこんな感じ。これが大手道っぽいですね。
こんな感じで、三崎城は馬出や枡形虎口とかの最先端の技術が使われてるんですね。北条氏の築城技術がたくさん散りばめられてる当時の粋を凝らしたお城だったんですね~。ちなみに、この大改修工事がほぼ完成したのは1577年ではないかという事。城主の北条氏規が「三崎之普請就出来申候」と記した資料があるらしいです。



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今度は南側の海の方へ。これがさっき上から眺めた北条湾です。いまでも船が係留してあって、なんか雰囲気ある!とてもいい!
三崎は頼朝の山荘があったように、風光明媚な場所でした。北条早雲や氏康たちも三崎を訪れて、景色などを楽しんだと言います。早雲もここに療養に来ていたらしい。



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湾の横のバス停、その名も「北条」!!こういうのを見つけるとテンション上がりますね!


三崎城は1590年の秀吉の小田原攻めにて降伏開城。
城主の北条氏規は韮山城主と兼務で韮山城で戦ったり外交に奔走してたし、城内の主だった人は小田原城に行ってた模様です。

北条が滅びた後は、徳川氏の所領となりました。そして、元武田水軍である徳川水軍の将、向井正綱の屋敷が建てられました。頼朝の三崎の三御所のひとつである見桃寺には、向井一族のお墓があります。桃の御所ですね。
三浦水軍も北条氏から徳川氏に受け継がれました。

江戸時代になると、三崎は天領となり幕府直轄の地となりました。奉行所や関所が置かれ、軍事だけでなく、商業、交通でとても重要な地になったんですね。浦賀とともに栄えたのです。
1811年には会津藩が海防の任につき、城山には陣屋が築かれました。城ケ島にはお台場が。頼朝の三御所の最後のひとつ、大椿寺には会津藩士の墓があります。椿の御所ですね。

三浦一族の時代から現代まで、ずっと重要な役目を果たした三崎。最近は観光客も増えて、にぎやかで楽しくなってきました。なんと、おしゃれカフェも何軒かできました。おいしいドーナツ屋さんも!!
観光がてら、ぜひ出かけてみてください。

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2017年10月 2日 (月)

日にち変更!!告知【募集】「いざ!歩こう!長井城へ!!」の巻

歴史ウォーキングのお知らせ

さてさて、気持ちのいい季節になってきました~!
ということで、行きましょう!歩きましょう!!いざ!GO!GO!
一緒に三浦一族の史跡を巡りながら、風光明媚な景色を楽しみませんか?

今回は長井城と和田城に行きます。と、言ってもお城の遺構などはないけど…。それでも、歩いていくと色々と感じるものがたくさんあります。行ったことのある場所でも、また違う姿が見えたり、新しい発見があります。地形や位置から、色々と感じるものがあります。

コースは三崎口の駅を出発して、和田義盛ら和田氏の里、和田氏と縁のある天養院を拝観して、海岸を歩き長井城へと向かいます。
距離は10kmちょっとでしょうか。
天養院では秘仏の薬師様を見せていただきます。

歴史が苦手な方でも、楽しめるコースになってますよ!三浦半島の中でも屈指の景勝地!風光明媚です!!
初めての方、お一人での参加の方大歓迎です。楽しく歩きましょう!


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日にち    平成29年10月22日(日)

台風のため、日にち変更です。

日にち    平成29年11月3日(祝)

集合場所  京浜急行「三崎口駅」改札

集合時間  10時!!

参加費    1000円(拝観料・資料代込み)

お弁当持参でお願いします。レジャーシートを持ってくることをおススメします。

歩きやすい服装・靴での参加をお願いします。
今回は山というより、海岸を少し長めに歩きます。
あとは自己判断でよろしくお願いします。

人数は10人から20人を予定してます。予約制とさせていただきますので、参加希望の方はメール、電話、FB、ブログへのコメント等、どの方法でもいいので連絡ください。

一部の方に集合を9時半と知らせてしまいましたが、お寺の御都合により、10時に変更させていただきます。すみません。
なお、お寺に急遽、法要が入ってしまった場合は拝観ができない可能性がありますのでご了承くださいませ。



楽しく気持ちよく歴史めぐりをしましょう!!ご連絡お待ちしてます。

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2017年9月25日 (月)

「いざ!山城さんぽ!」雑誌掲載の巻

雑誌に1ページだけ載せていただきました。



「クルマで行く 山城さんぽ」


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とてもかわいいネーミングですね。
車で行く八王子城の案内をはじめ、どの城も駐車場情報がきちっと載ってました。
結構、駐車場探しに苦労しますからね。
ただ、がっつり山城になると駐車場がないところが多いのが悩みの種ですね。

なんにせよ、秋めいてきてお出かけシーズン到来!!
山城シーズン到来!!!!
わーい!テンション上がる~!

まずはこの雑誌でも眺めながら、お出かけ計画を立ててみてはいかがでしょうか?


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わたしはてっきり山城専門の雑誌かと思い、おすすめの城をすべて山城…しかも石垣ナシの土の城にしてしましました。雑誌が届いたら、表紙が天守でビックリ!!
他のページも結構、天守が載ってるし!うひゃー!私のページだけ、写真が真っ茶色~!!地味~!!華がない~!
まぁ、いいや。だって土の城が好きなんだもん(^^♪

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2017年9月 9日 (土)

「いざ!新井城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースの連載も15回目!そんなにやったっけ?と、自分でもビックリです。
と、いうことで今回は「新井城」です!!新井城は歴史もドラマも満載!では行ってみようー!!



クリックどうぞ!タウンニュースのコラム記事です。

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新井城は永正10年(1513年)から3年間に及ぶ北条早雲と三浦道寸の壮絶な決戦の場として、歴史の舞台に登場します。今見ることができるのはこの戦いの頃の城の姿です。
それ以前も三浦一族のなんらかの施設があったと思われます。1247年の宝治合戦で三浦宗家が滅びてから、生き残った佐原氏は三浦半島の南を所領としてますしね。何かしら使ってるはず。

ということでまずは場所から。新井城の場所はというと。ココです!
油壷と呼ばれて、マリンパークや温泉、海水浴場などのレジャー施設で賑わう観光スポットですね。下の写真のマリンパークのある小さな半島というか岬というか。


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上の写真のピンクの矢印。ここは「内引橋」と呼ばれる場所です。
城へ向かう道はここしかなく、ここに引橋が掛けられてたと思われます。掘り切って橋を架けておいて、有事の際は橋を引いて敵が攻めてこれないようにする仕掛け。矢印の先っぽがあるあたりが「横堀海岸」という名の海岸になってるのは、その名残りですね。


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ここを下りていくと横堀海岸です。ガクンと落ちてる感じ。掘り切られてるのがよく分かります!!


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その堀切の逆側がこんな感じ。


旧三崎高校、今は消防署のあるとこに「引橋」という交差点がありますが、あそこが「外引橋」です。車でビュンと通るとイマイチ分かりませんが、歩いて下を見下ろすと渓谷になってる感じがあります。新井城から約3km離れてたとこにあって、唯一の陸路での城へ続く道です。

ちなみにこの外引橋のあたりに「陣場」という字名が残ってるそうで、ここが北条勢の陣場だったと伝わります。北条早雲が相模の国を手中に収めようと相模に進出、そして三浦一族はその最後の障害、敵になるわけです。さっきから「北条早雲」と言ってますが、実はまだこの頃は早雲は「北条」を名乗ってなくて出自の「伊勢氏」を名乗ってました。

前は、早雲は一介の浪人で、それが下克上で…的なこと言われてましたが、最近では名門の血筋だと言うことが分かってます。桓武平氏の出である伊勢氏は足利氏の家臣で、3代将軍の義満のときに政所執事という役職に就き、以来その職を世襲してました。政所執事とは民事訴訟や徴税、金銭の出納などを管理する重要ポストだったんですね~。で、早雲はその分家の備中伊勢氏なんですね。
「北条」を名乗ったのは2代目の氏綱からです。



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油壷湾。今はヨットや船がとまってリゾート地のような雰囲気。壮絶な戦いが繰り広げられたとは思えませんね。海面も鏡のように見えるほど、凪いでいて美しい。

「油壺」の名前の由来もこの戦いに関係があるとかないとか。
この新井城の戦いで油壺湾にたくさんの戦死者が沈み、その血が海を赤く染め、海面が油を流したように見えたというとこから「油壺」という名前がついたという話があります。

でも、前に油壺湾の海底をさらって、調査したことがあるらしいんだけど。そのときは新井城の戦いのときの遺物は何も出てこなかったんだって。


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油壷は私も小さいときに良く行きました。マリンパークや新井浜の岩場で遊びました。その「油壷」という名前にまさかこんな由来があったとは!
他には、水面が鏡のように光って反射して見えることから、油を連想し、油壷と言ったという説もあります。

籠城して囲まれてるときって、蟻が出る隙間も無いほどなのかな?と思ってたんだけど、意外とそうでもないらしくて。
道寸は永正12年に母親が亡くなった際、供養のために自筆で記した法華経を奉納してます。籠城中に自ら筆を取って、しかるべき寺社に経を持ち出して奉納したんですね~。


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今は新井城のほとんどが東京大学の施設になってしまってますが、土塁や空堀などが綺麗にところどころ残ってます。施設の建ってる場所には「御殿跡」という名が残ってて、地名から名残りを感じることができますね。


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いつも立ち入りOKな通路から撮った空堀写真。

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いつもは立ち入り禁止の東京大学の施設側から撮った空堀写真。さっきの写真と同じ空堀の、あっちとこっち。
今は空堀や土塁を外から眺めることしかできませんが、年に一回、毎年5月の最後の日曜に開催される「三浦道寸まつり」で、東京大学の施設の中に入って、城内を見学することができます。空堀を内側から見たり、土塁など土の名残りを見ることができます。
供養祭や三浦一族のお家芸だった笠懸も催されます。


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施設が建っている城内の平場。ここが見れるのも年に一回の道寸まつりのときだけ。
新井城址は江戸時代頃までは「二の丸の草を家畜が食べたら死ぬ」とか、亡霊が出るという噂があったらしく荒れ放題だったとのこと。
明治30年くらいに三崎にあった臨界実験所が手狭&海が汚れてきたという理由から油壺に移転されることになりました。怖くて人が寄りつかない油壺は格好の場所だったんだとか。


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三浦一族のお家芸だった笠懸。奉納の儀式というよりは実践的なゲームのようなもの。
道寸まつりでも優勝者を決めたりと盛り上がりました。迫力満点でかっこいい!
和田義盛、三浦義澄をはじめ、三浦一族は頼朝の前とかで弓馬術の腕前を披露したりしてたんですね。


この新井城を舞台に繰り広げられたVS北条早雲との戦いで、三浦一族滅亡!となる訳です。まぁ、滅亡と言っても血筋はいろいろと受け継がれていきますが。
と、いうことで、ざっと歴史をおさらいすると…。

源氏復興&鎌倉幕府設立で功を挙げた三浦一族は1247年北条氏との戦い、宝治合戦で敗北。法華堂にて三浦宗家は自害。一族の佐原氏が北条氏についてたため、旧所領の一部をもらってお家は存続。だけど、いままでの本拠地の大矢部・衣笠の地はもらえず三浦半島の南の突端に移ります。そして、「三浦」の姓を復活させ、新井城で最期を迎える三浦道寸・義意父子へと繋がります。
道寸は養子です。もとは上杉高救の二男なんですね。この頃は三浦氏は扇谷上杉氏に従ってました。道寸は家督を継ぐと、息子の義意を新井城に、自分は平塚の岡崎城に入りました。
この頃、小田原の大森氏を追い出した早雲は相模国平定を目論みます。そして、道寸のいる岡崎城を攻めました。道寸は逗子の住吉城に退きます。ここでは道寸の弟の道香が北条軍を食い止めようとするも落城し、自害。逗子の延命寺境内にて自害したと伝わり、お墓があります。
この一連の戦いで、太田道灌の息子、資康も討ち死にします。道寸の娘婿でした。

さらに戦線は南下。佐原、秋谷、林などで戦うも道寸たちは新井城へと退くことになりました。そして、新井城に籠城することになるのです。


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下の浜を臨む。見張り台のような感じ。平場にもなってた。竪堀も入ってるように見えたし。


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きれいな海。船着き場かなと思いました。下の岩場もなんだか加工されてる感じがしたし。
戦時は水軍として三浦氏に属し、平時は海運を生業としてた三浦組っていうのがいたんだけど、三浦一族が負けた後も城ヶ島に渡って早雲に対する抵抗を続けてたらしい。
その両者の間に建長寺や円覚寺が入って和睦。三浦組は早雲に従うことになったとのこと。後に再編集されて、三崎十人衆として厚遇されたようです。

新井城の戦い当時の資料には「三崎要害」という言葉が出てきます。これが新井城のことのようです。新井城という名は後になって、今の三浦市役所のあたりに三崎城を取り立てるようになってから、そこと区別するために使われるようになったみたいです。いつから、新井城と呼ばれるようになったのかはわかりません。ただ、北条氏の時代には「油壺」という名前は使われてたようです。小田原合戦の直前に油壺に水軍を配置するように指示を出した書状が残ってるとのこと。


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城内に三浦道寸・義意のお墓があります。三浦氏の後裔の正木氏たちが建てたものと伝わります。
「三浦一族滅亡!」といっても、三浦の血筋は今までのブログにも書いたように、いろいろなところに受け継がれてます。蘆名、和田、多々良などなど。




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北条九代記に
「此の城の有り様、…(要約すると)周囲に垣をめぐらせ、東側だけ陸続き。三方は海。峯高い山坂があって、鳥じゃないと登るには厳しい。巌も厳しく、獣だって疲れるよ。100万の兵でも力攻めは難しいなぁ。千駄櫓って言う食糧庫もあるみたいだしね。でも、いくら道寸といえど度々の戦いで兵も減っちゃったし、後詰の援軍を待つしか策がないみたい。でもだからといって、すぐには攻められないから早雲は向かいに陣城をつくって3年も囲んでから決戦の日を迎えたんだよ」
という感じでしょうか。

後詰の上杉の援軍を頼みにしてたけど、早雲は先に手を打って援軍が来れないようにしてました。早雲は玉縄要害を改修して、玉縄城を築城。三浦半島への上杉勢の援軍を阻止したのです。


頼みの援軍も来ず、万策尽きた道寸と義意以下三浦一族は討って出るも大軍相手に力及ばず、自害。永正13年(1516年)7月11日、三浦一族のは最期の時を迎えました。

道寸は「討つものも討たるるものもかわらけよ くだけてあとは元の土くれ」という辞世の句を残しました。個人的には、とても好きな句です。無常観たっぷりで胸に迫ります。
道寸は和歌や書にも優れ、古今伝授をも受けていたと言います。古今伝授ってのは、古今和歌集の解釈を中心に歌学などの諸説・秘伝を師から弟子に伝る作法のこと。これは当代一流の文化人だった証です。


後日談ですが、江戸時代に成立した軍記物とかは新井城が落城して道寸たちが自害した日を「永正15年寅年」と書いてる。本当は永正13年なのに。
なんでかというと、豊臣秀吉の小田原攻めで北条が開城して、氏政と氏照が自害したのが天正18年寅年7月11日。三浦氏滅亡と同じ日の7月11日。軍記物は因果ものに仕立て上げたかったので「寅の年7月11日の寅の刻」として、年を2年ごまかしてコジつけたわけですね~。

三浦氏というのは江戸時代に入ってもこうやって話題に出たり、三浦氏の系図を欲しがる家が多かったりと、とても影響力の強い氏族だったんですね。
そんな三浦一族の最期の地、新井城。歴史を感じに行ってみてはどうでしょうか?
※海岸で物を食べてると、トンビに狙われます。わたしは100%の確立でサンドイッチやオニギリをさらわれてます(>。<)
お気を付けくださいまし。

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2017年8月17日 (木)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の六

2017年7月28日(金)19時
第六回目の寺子屋が開催されました~。
前にほかのイベントでお会いした方も来てくださり、ほぼ満席の中楽しい時間になりました。
今回の話としては、前に少し話した山城における発掘調査の有効性と、出てきた遺物の話を。

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お城、館跡で出土する遺物で一番多いのは陶磁器。出てきた陶磁器でレベルというか階層がわかるんですよーなんて話を。戦国大名クラスになると、中国製の天目とか貿易による海外の陶磁器。国衆程度だと瀬戸美濃とかの国産陶磁器だったり。
その発掘された陶磁器の中で8割がたを占めるのが「かわらけ」というものです。素焼きの10cmくらいの土器。タールが淵についてるのもあって、それは灯明皿です。でも、ほとんどの「かわらけ」は飲酒、儀式に使われてたので一回使って終わりだったのですなんて話をサラッと。皿だけに。うひゃー!

ということで。
かわらけはすべて割ったということじゃないようで、完全な形のものも多数出てるようです。

かわらけは室町時代、足利将軍家で儀式で使われ、ろくろではなく手づくねでした。戦国時代のかわらけは、既に、ろくろの技術があったけど、地方の守護や戦国大名は、あえて将軍家の模倣で手づくねにしてました。あえての手づくね。それが、みやびであり、権威を持ってる人のできる特権のような。

八王子城の御主殿から手づくねのかわらけが発掘されてるらしいです。城下の武家屋敷エリアはろくろのかわらけ。要は城主の氏照のみが手づくねのかわらけを使えたとのこと。まさに権威の象徴。平安時代以来の京、都の儀式をそうやって真似てたんですね。
そんな話をさせていただきました。

あとは、土塁の話を。土塁にはざっと言うと、たたき土塁と芝土塁というのがありますよ。芝は香附子、麦門冬、冬芝、小笹を入れるといいと林子平は言ってますよーとか、土塁の敷は何間、芝土塁は何間。勾配は何度だとか軍学者は言ってますよーなんて話を。
まぁ、そんなもんでしょうかね。話したことは。
あと、この前、静岡県の薩た峠に行ってきたので、陣城の話を。由比のPAの裏手の山です。浮世絵にも描かれてる風光明媚な所。陣城ってのは、戦いの時に臨時で作るお城。城の用途には、そういうものもあるんですよーとか。
あとは、戦いが起きる、軍がぶつかる場所ってのは大体同じなんですよと。
木曽川、関が原、瀬田の唐橋しかり。

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あとは和田氏と多々良氏の話を少々。
和田氏は1213年の和田合戦で、義盛をはじめたくさんの死者が出ます。だけど、滅びたわけではなく、脈々と血はつながれていきました。
義盛の弟の義茂は奥山荘(今の新潟県胎内市)の地頭となっていたので、そっちに移って、黒川氏、中条氏を名乗りました。それで、上杉の家臣になり、上杉が会津に移ったときも一緒に会津へと行きました。
多々良氏は同じ一族の中でも和田氏と関係が濃かったようで、和田氏について奥山荘に移ったようです。奥山荘の文書に多々良氏の名があるようなので家臣になってたみたいです。

今書いてて、ふと思ったことが。
蘆名氏が会津に移って、城を築いたのが「黒川城」。これはのちの会津若松城なわけですが。奥山荘の和田氏が名乗ったのが「黒川氏」。関係あるのかな?ちょっと調べてみることにしますね。

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今回の本紹介コーナーは、遠藤周作の「戦国夜話」。
意外にも遠藤周作は山城好きなんですね。山城で、その時の人々の姿を想像すると胸がうずくと書いてありました。講演のたびに地方の山城を巡っていたようです。文章も素晴らしいので、ぜひ読んでみてください。

ということで、次回の寺子屋は9月22日(金)19時です!!

 

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2017年8月11日 (金)

「いざ!芦名城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュース連載14回目!!
今回は横須賀市芦名にある「芦名城」でーす。

さっそくタウンニュースのコラムを。クリックどうぞ!!

  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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「あしな」は吾妻鏡には「葦名」と書かれ、戦国期には「蘆名」と書かれました。ここの地名の漢字表記「芦名」となったのは江戸時代以降だそうです。

芦名城は今の大楠小学校のあたりです。小学校の正門前の山が城山です。
小学校の場所に館があって、城山が詰城という感じでしょうか。小学校のあたりには「御館(みたち)」いう名が残ってます。

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これが小学校正門です。なんてことない普通の学校なんだけど、裏に回ると…


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はい!どんっ!
水路でーす!
……え?だから何って?これはきっと、当時の防衛用の堀の名残りだと思われますのよ。ぐるりと、川で囲まれてるのです。


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ほら、ピンクの矢印。水路です。こんな感じで。守られてる感がありますね。
まぁ、散々、大楠小学校と言いながら地図上では「大楠幼稚園」と出てますが、同じ敷地内にあるのでお気になさらず。「館」と書いておきました。

さっきの写真は、上の地図の北側の水路に当たります。館の背後を守ってた感じですね。南側の川は城山の背後に流れてます。緑に塗ってあるところが、城山。かなり、ザクッと大胆に塗ってありますけど。
その川の写真がこちら!



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あ、その前に城山の写真を。これが北側から見た城山。
うんうん!っぽいですね!何っぽいって、城山っぽい!
この麓に川が流れてます。この写真だと、下までこんもりし過ぎてわかりませんが、こんな感じ。はい、どんっ!


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川でーす。芦名川です。
付近は水田、湿地だったようでこの川と一緒に防衛に一役かっていたんでしょうね。

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「はしど」という地名も残り、この北側には「からいけ」という名も残ります。城内への橋が架かっていたのかな?

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「はしどばし」全景。右側に行くと城山。
城山は明治に入ると石切り場になったようで、当時の姿は分かりません。今はマンションが建って、私有地なので中に入れません。
でも、何となく山肌に人工的な切岸のようなものを感じます。なんとなくね。


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城山に建ってるマンションの隙間から、一生懸命に名残りを探すも、全然わからん…。
芦名城は元は三浦義明の弟の為清が居を構え、「葦名」を名乗ったことが始まりだと言われてます。葦名氏は、阿波国久千田荘(いまの徳島県阿波町)の地頭になってたようです。


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城山の北?西?には切通のような道があります。
こんな感じ。

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クネクネと道は続く。



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麓には庚申塚。もとは城山の上にあったらしいです。ここに唯一、「芦名城址」と書かれてます。これ以外に案内板や説明板、石碑等はありませーん。

タウンニュースにも書いたけど、「あしな」と言えば摺上原で伊達政宗と戦った蘆名氏を思い浮かべる方も多いのでは?そうです!そうですとも!ここの「あしな」ですとも!!
ざっと経緯を説明すると…
まず、奥州合戦で武功を立てた佐原義連が会津を所領にもらいました。どうもこの頃には横須賀の芦名も佐原氏が管理してたみたいです。で、宝治合戦で三浦宗家が滅びる中、北条方について生き残った佐原氏は義連の孫の光盛の時に「あしな」を名乗ります。そして、直盛の代に会津に移り住み、黒川城を築城します。なんとなんと、これが後の会津若松城となるのです!すごーい!!
ちなみに、義連-盛連-光盛-泰盛-盛宗-盛員-直盛という感じです。


本当に横須賀と会津は縁があるもんで、横須賀中央の「若松町」、これは会津若松から名を取ったんです。多々良城の回で少し書きましたが、幕末に会津藩が海防でこっちに来たときに世話をした高橋勝七さんが「若松屋」を号しますが、その後、今の若松町あたりの埋め立て事業をします。で、「若松町」と命名したんですね~。なんだか、逆輸入って感じですね。



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話を戻して、芦名城の周辺へ。
細い道。いい感じです。いろいろと想像・妄想できます。
あ、そうそう。会津を領したという話ですが、だいぶ広い範囲だったようで。
義連の子供や孫たちはそれぞれの場所をもらって、蜷河氏、猪苗代氏、新宮氏などを名乗ったんですね。三浦一族は全国津々浦々に広がって、色んな所に登場してきますね。




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最後に、今の靴の流通センターの横にある庚申塚。ここが旧道だったのがわかりますね。
そして、このあたりは「長坂古戦場」と呼ばれてます。三浦道寸が新井城に退く途中にこのあたりで北条軍と一戦交えたと、「北条五代記」には書かれてます。

そういえば、芦名城の近くに「ノッコシ」という名が残ってます。ここからは奈良時代の窯跡群が見つかってます。「乗越遺跡」と名付けられました。古墳時代後期以降の横穴墓1基、奈良時代の窯跡8基があったとのこと。ここでは、瓦や須恵器を焼いていたようで、奈良時代に建立された海老名市の相模国分寺の屋根瓦と同じ文様の瓦が見つかったそうな!この頃に本格的な瓦の生産拠点がここにあったんですね~。それで、ここから相模川などを伝って約40km先の国分寺まで船で運ばれていたんですね!!このあたりの水運の様子が少し分かりますね!

と、いうことで、芦名城を取り巻くお話はこんな感じです。
たいした遺構が残ってないけど、なんやかんや楽しめます。ふらりと出かけてみてはいかがでしょうか?

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2017年8月 8日 (火)

「いざ!歩け!神武寺から鐙摺城へ!」の巻(ガイド編)後編

さてさて、神武寺から鐙摺城までの歩け会。後半戦に突入でーす!!
前半戦では東逗子から神武寺を抜けて、逗子の延命寺まで来ました。ではここから、寄り道しながら鐙摺城を目指しまーす!!
レッツゴー!!

今回はちゃんと手書きプリントを用意しました!ん?なんか、久々の手書きプリント。最近、すこしサボってしまってました~。
ではでは、クリックどうぞ!
是非、これを持ってお出かけくださいませ。PDFになってまーす。

↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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まずは最初は「三浦胤義遺狐碑」。
あれれ?写真がない…。ま、いっか。

三浦胤義は三浦義澄の子。なので、三浦義村の弟に当たりますね。
その胤義の遺児、義有、高義、胤泰がこの田越川あたりで、斬首されたという石碑です。
1221年の承久の乱で、義村は幕府側につき、弟の胤義は後鳥羽上皇側について敵対したんですね。で、幕府側が勝って、胤義は死ぬことになるんだけど。そのときに胤義の子供たちがこの田越川辺りで殺されてそれを記した碑がこれということなんだけど…。

でも、吾妻鏡には処刑されたはずの胤義の子供たちが宝治合戦で泰村と自害したとの記述あり。だから、きっとここで殺されたってのは後世の作り話っぽいですね。

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この橋、個人宅専用になってる!!おもろーい!


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川沿いに行くと石碑が。
徳富蘆花と国木田独歩の文学碑です。蘆花が住んでたゆかりの地に建てられた石碑。ちなみにお兄さんの蘇峰のお孫さんの家がいまでもすぐ脇に。この辺は「徳富」さんが多いです。逗子は浪子不動をはじめ、蘆花とゆかりの深い地ですね。
国木田独歩も蘆花と同じ貸家に住んでたりと、ゆかりの深い人です。


さらに川沿いを。
お次は「六代御前の墓」。お不動さんを祀る護摩堂も。このお不動さんも今回御開帳です。



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六代御前は平正盛からの六代目。正盛-忠盛-清盛-重盛-維盛-御前(名は不明)。
平家滅亡後に六代御前は仏門に入るも、田越川沿いにて処刑されました。その遺臣たちがここに堂を建て墓守したとのこと。

田越川は以前は葦が生い茂って、うっそうとして、血なまぐさいエピソードも頷けるような地だったとのこと。



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六代御前から少し山に登り、公園方面へ。脇村邸をチラリとみて、進む。脇村邸は昭和9年の日本建築。元は三井物産の藤瀬氏の別荘だったのを東大教授の脇村さんが買ったもの。逗子市の文化財。あれれ?脇村邸の写真もない…。ま、いっか。

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さらに葉山方面に進むと、「鐙摺不整合」と呼ばれる地層があります。
簡単に説明すると、三浦半島で一番古い2500万年前の地層の上に1500万年前の地層が乗ってる?…そんな感じ。つまり地殻変動によって押し上げられた層が1000万年の間、地表に出てて、そのあとまた海の中に沈んだ…まぁ、そんな感じです。
ここの写真もないため、近くの断層の写真を。

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なかなかのもんですな。断層、よくわからないけど見てるのは好き。


と、いうことでお待ちかねの鐙摺城~。
日影茶屋前のこんもりした山が鐙摺城です。

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日影茶屋。
こんな階段を上る。滑りそうだ。

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道路をつくるので、結構削られちゃってる模様。旗立山とも軍見山とも呼ばれる小山。東際に「木戸際」なんて名も残ってます。
ここからは富士山も大海原も見える風光明媚な場所。三浦道寸が攻めてくる北条早雲の軍をここから見たとの伝承もあります。
今は曲輪しか残ってないし、城道なども分からないけど色々と想像できて楽しい。

鐙摺城がいつからあったのかは正確にはわからないけど、三浦義明3男の大多和義久がここを押さえて、海側の道の守りを固めてました。三浦義澄もここに拠ってたようです。
1180年の由比ガ浜合戦では、和田義盛が三浦義澄にここに籠るように勧めたとの話も見られます。
そんな感じで、重要な場所にあるお城なんですね。

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曲輪内には伊東祐親の供養碑もあります。
義澄がここで祐親を頼朝から預かってたらしいです。祐親はいわば頼朝の舅。頼朝は伊豆にいたときに祐親の娘と子をつくってしまいます。祐親はこれに怒り、子供を殺してしましました。さらには頼朝のことも殺そうといました。
頼朝の挙兵の際に平家方についた祐親は捕えられ、ここに。そのあと、許されるも自ら自害してしまいました。そんな縁があるため、ここに供養碑があるんですね。

景色や当時の想像をして楽しんだ後は、住宅街を通り、すこし浜辺を歩き、桜山古墳へ。

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砂浜、見てる分にはキレイなんだけど疲れた足にはキツイ…


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トンネルの上の階段、関係者用の急階段かと思いきや、ちゃんとした古墳への390段もある階段なのです~。旅の終わりに390段?!

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悲鳴と怒号が聞こえましたが、構わず登ります。ひとり、またひとりと登ってくる皆さんとハイタッチ!なんとか、みんなで登り切りました!そして、この夕方、最後にここに来たかったのは理由があるのです。

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じゃじゃん!!今日のご褒美の景色!これが今日の疲れを取ってくれますね。
おおー!江の島も見える~。

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そして、みんなの後姿がかっこいいぞ!!


小休憩で景色を堪能した後は古墳へ。1号、2号、二基あります。


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この古墳沿いの道は古東海道。古くから重要な場所だったんでしょうね。
古墳があるのは分かってたらしいんだけど、平成11年に地元の愛好家が埴輪片を発見したのをきっかけに発掘が行われて、二基の前方後円墳があることが分かりました!!すごーい!愛好家の執念ですね。
綺麗に前方後円墳の形をしてて、こんな山の中にあることに感動しました。

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山の中を抜けて逗子駅に。途中こんな廃墟もあり、盛り上がった。

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そんなこんなで、とてもハードな充実したコースとなりました。
参加者の皆様、お疲れさまでした。

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2017年7月20日 (木)

「いざ!歩け!神武寺から鐙摺城へ!」の巻(ガイド編)前編

今回は4月30日の歴史ウォーキングイベントのお話を。また随分と更新がおくれましたが…。
平成29年4月28日から5月28日までの1か月、三浦半島では132年に一度の大開帳がありました。三浦薬師とお不動さんが同時に御開帳の年なのです!!
ちなみに薬師さんは33年に一度、お不動さんは12年に一度です。それが同時なのが132年に一度なのでございます!次の132年後は生きてないし、33年後も微妙?!
と、いうことで今回のウォーキングでもいくつかお参りすることにいたしました。



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集合はJR東逗子駅。
ではスタートです!!
まずは神武寺へ。と言いながら、しょっぱなから寄り道。沼浜城へ。今は法勝寺となってるあたりが源義朝の館があったと伝わってます。義朝は頼朝のお父さんですね。ここから、鎌倉の亀谷山(今の寿福寺)に館を移したんです。

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「鎌倉郡沼浜郷」だったこの地は、いつしか「沼間」という名に変わりましたが、近くには「馬場橋」なる橋や「堀の内」という屋号をもつ家が残っていたりと、名残りが楽しめます。



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このあたりは、田越川が流れていて、沼浜という地名からも湿地だったことが伺えます。海からの入江、そして田越川を通り、横須賀市の船越へと向かうルート。「田越」「船越」という地名からでも十分に当時の道が連想できます。古東海道がこのあたりを通っていたんでしょうね。







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この法勝寺は少し高いとこにあります。詰城的な意味合いがあったかもしれませんね。


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裏手に回ると怪しげな地形もあり。ムフフな感じ。


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こんなとことか~。キリないから先に進みます。


寄り道でかなり時間を使ってしまいました~。
では、神武寺へ向かいます。薬師如来と脇侍の日光月光菩薩は33年ぶりの御開帳です!



入り口はここ。
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ここにかつては山門があったんだけど、軍の要請で山の上に移されたそうです。


神武寺は縁起によると、聖武天皇の勅願により724年に創建。修験道の道場でした。
ここで、たくさんの学僧が育ったんですね。
ふ~む、頼朝がここで平家追討の祈願をしたのか~。実朝もお参りに来たりしてたのか~。ゾワゾワ。そんな雰囲気がいまだ色濃く残ってますね。


山火事で山門を残して焼失したのを北条氏直が再建。だけど、秀吉の小田原攻めで焼き討ちにあってすべての伽藍をまたまた焼失。そのあと、家康がまた再建してくれたみたい。
家康、ありがとう~。

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山門の横に怪しげな平場。城っぽーい。砦っぽーい。
上から下の道が丸見えの位置!!
戦火で焼けてるくらいだから、僧兵が武装してたことは容易に想像つきますね。



さてさて山道を抜けて、山の反対側へ。

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小川のせせらぎがいい感じ。下見の時は、ぬかるんでて滑って転んで手首痛めたけど…。



そして、池子石の石切り場へ。
とても素敵な山道を抜けて。
池子石は人気がありましたが、鎌倉石と同様に関東大震災で被害を受けてから廃れてしまいました。

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それにしてもここはすごい。もっとここをみんなに知ってもらうべきだと思うけど。認知度低すぎて、もったいない!!

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そして、裏道裏道小道を駆使して池子運動公園に到着。お腹がすいたから、お弁当タイムです。そして、腹ごしらえを済ませたら、超ハードな後半戦に突入~!!

ふふふふ。ここからが本番。神武寺の山道で、ふぅふぅ言ってる場合じゃないっすよ。
まずは延命寺。御開帳のお不動さん、28番札所。ここは三浦氏→北条氏→徳川という感じに保護を受けました。
ここは「逗子」という地名発祥の地らしいです。
石碑の写真撮り忘れた~。
行基が延命寺を創建したときに、地蔵菩薩を安置したんだけど、その厨子を弘法大師が置いたから。「逗子」という漢字になったのは江戸時代からとの事。
まぁ、ほかにも役人である図師の住まいがあったからとか、「辻」が訛ったとか諸説あります。

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ここには三浦道香らの供養塔があります。道香は三浦道寸の弟。平塚の岡崎城の攻められた道寸は三崎の新井城に逃げます。
道香はこの延命寺近くの小坪住吉城を守ってましたが、北条勢に攻められて深手を負い、道寸と合流することなく、ここで自害しました。その菩提を家臣であった菊地家が弔いました。この辺は菊地あんというお家がたくさんあります。しかも、どこも豪邸です。道香の家臣の子孫の方々なんですね。


では、ここから葉山方面に向かいます。
かなり長くなってしまったので、続きは後編として後日書きまーす。
長いと最後まで読み気がなくなりますしね。
と、いうことで「いざ!歩け!神武寺から鐙摺城へ!」の巻(ガイド編)前編、終了です。
手書きのプリントも次回の後編に添付しまーす。

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2017年7月14日 (金)

「いざ!長井城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

さてさて早いものでタウンニュースの連載も13回目!なんと、知らないうちに1年が過ぎました。おめでとう!ありがとう!
ということで、今回は「長井城」です。
早速、タウンニュースの記事に行ってみましょう~。ポチっとな。

↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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長井城は今の荒崎公園あたりが推定地と伝わります。横須賀市だけど、三浦市との境ですね。すぐ隣は和田義盛ら和田氏の郷。
で、長井城は、ココ。小さな岬になってるところ。赤い丸がついてるとこ。

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なんて雑な…。

それで、小さな岬を拡大するとこんな感じ。
この辺一帯が多分、長井城。

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なんて大雑把な…。

航空写真の岬の付け根の「P」。ここは今の駐車場なんだけど、このあたりは、城山から比べると低地になってます。で、「城口」という名前が残ってるんです。この辺は館のエリアなのかな~。門でもあったのかなーと。その名残で、ある程度、平場になってたとこを駐車場にしたっぽいしね。


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さらに城山だけ拡大すると…。
「潮風の丘」が城山です。ピンクの丸が「どんどんびき」と呼ばれる入り江。
黄色だか黄緑だかの丸が今の駐車場「城口」から城山に向かう通路。
これがね、面白いの。テンション上がるの。


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どどどん!土橋!…っぽくない?
この両サイドは切り立った崖になってます。自然地形というよりも手を加えたような感じよ。この奥が城山です。
どんどんびきから、この土橋を見ると…

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このピンクのマークのあたり。
(我ながら、なんてゆるい写真加工…)

さらにこのあたりには平場。
どんどんびきの入江と土橋を見張るかのよう!



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平場、どんっ!!
わかりにくいけど、キレイに平らになってました。広さは20畳くらいかな。
この平場はどこにあるかというと…

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ここでーす。
とってもいい位置ですね。


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城山を西側の夕日の丘から写すとこんな感じ。
岩礁がまるで城山を守るかのように囲んでます。



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この岩礁は三浦半島が海の底だった頃に堆積した砂岩と凝灰岩で形成されてるらしい。数千万年前ですってよ。鎌倉時代どころの騒ぎじゃありませんよ。

この鬼の洗濯板のような景色は、難しく説明すると、
「この凹凸の特殊な地形は、岩石の硬軟の差により起こる水や風などの浸食だけじゃなく、水分を吸って膨張収縮しやすい砂岩と、吸いにくい凝灰岩層との間で長い時間をかけて変化したと思われる」とのこと。
むずかしい~。こういう話は苦手~。

まぁ、とにかく城山の周囲は断崖絶壁。しかもこんな歩きにくそうなゴツゴツデコボコした岩場がぐるりと。なかなか堅固な詰城ですね。
『三浦郡誌』によると、「周囲は暗礁も多く、相模灘第一の危険地帯です」って。さもありなん。


西側の丘は今では「夕日の丘」と呼ばれてます。さぞかし、夕日がきれいに見える事でしょうよ。江の島も見えるし、最高の景色でしょうね。


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城山から見た夕日の丘。
お城としてどう使ってたのかは分からないけど、幕末、ここに彦根藩が砲台を築きました。なので、お城の遺構としてある程度の削平地になってたのかな。だから、砲台を築く場所として選ばれたのかな。
横から見ると綺麗に削平されてるのが分かる。真横に平らになってますね。


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ここが砲台跡。
いまは公園広場になってます。
城山のまわりで当時を偲ぶものはこんな感じ。
あとは、東側の丘。そこは「くらかけ」という地名が残ってるらしい。「鞍掛」かな?



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十文字と呼ばれる洞窟。中で洞窟が交差してるから、「十文字」と呼ばれてるらしい。ここが食糧庫とも伝わるけど、詳細は不明でーす。

城山が長井の浜のエリア「浜長井」、その内側には「岡長井」と呼ばれるエリア。ここは広大な台地で戦時中には飛行場が設置されたとのこと。「浜」と「岡」の対比も長井の面白いところですね。

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岡長井と呼ばれてたあたりは、こんな感じに畑が広がってます。当時も穀倉地帯としての役割もあったんでしょうね。




長井城は三浦義明の5男、義季がこの地をもらって長井氏を名乗ったと伝わってます。
長井氏に関しては文献が乏しいけど、吾妻鏡にちょこっと登場します。
例えば、一の谷の戦いに向かった平家追討軍の中に長井氏の名があったり、頼朝の初上洛のときや、実朝の正室を迎えるために上洛したメンバーにも名前が入ってます。他の三浦一族に負けないくらいの活躍をしてたことが伺えますね~。


長井義季の弟の杜戸重行は名の通り、今の葉山の森戸海岸あたりを領地にしました。
長井、森戸、鐙摺(あぶずり)と海岸沿いに配置して連携してる感じがよく分かりますね。

長井城は長井氏の館とも、三浦義澄の館とも、はたまた宝治合戦後に佐原氏が館を築いたとも伝わります。
結構、こういう伝承は馬鹿にできない。地元に語り継がれてる話って真実が隠れたりしてるから面白い。
どれが正解とかじゃなくて、全部正解かも。みんなで順繰りに住んで、時期的にズレてるからそういう伝承になったのかもしれないしね。




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ちなみに、長井中学校のあたりに「屋形」という地名が残ってます。地図上のピンクの丸のところ。下の丸は城山です。
この「屋形」のあたりは、台地になってて平地。佐原氏が宝治合戦後に住んだとしたらこの辺なんじゃないかな。近くに、執権北条氏の史跡もあるし。
海の城山は長井氏と義澄ゆかりなんじゃないかな。義澄に関しては、鐙摺城にも縁があるから、長井城も何となく頷けるし。


「屋形」という地名が残る長井中学校ちかくにある史跡。
やっぱり、執権北条とつながりのある地だから、北条家に味方した佐原氏がここに移って住んでたとしても、あり得る気がしますね。
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4代執権北条経時の宝篋印塔。
3代執権北条泰時の孫に当たります。なので、イコール矢部禅尼の孫ということですね。泰時の前妻は矢部禅尼なので。5代時頼も矢部禅尼の孫にあたります。

矢部禅尼は北条泰時と離縁しますが、その後に佐原盛連と再婚し、光盛、時盛、時連を産み、その血が会津蘆名氏へと続いていくんですね。

なんだか、ややこしくなってきましたが、とにかく4代執権経時の宝篋印塔があるよというお話です。



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不断寺の屋根の三つ鱗。

やっぱり、このあたりは宝治合戦後に、北条氏側についた佐原氏が館を築いたという伝承があるように、北条氏とゆかりがある地のようです。

矢部禅尼の再嫁先の佐原氏は、宝治合戦では北条氏側につき戦いました。矢部禅尼と5代執権の時頼が祖母と孫という関係性もあったので。
ちなみに、矢部禅尼は三浦義村の娘なので、宝治合戦で敗れて法華堂で自害した三浦泰村、光村とは兄弟なのに敵味方に分かれたということになりますね。
でも、それによって結果的に三浦の血は絶えずに、会津蘆名氏などに受け継がれていくことになるんですね。


今回はタウンニュースのコラムを書くに当たって、久しぶりに荒崎に来ました。数十年ぶり。父と来た記憶の中でも、荒崎の海はとても輝いているけど、大人になって訪れた荒崎はもっともっと美しく感じました。透き通った海や屈曲した海岸線はもちろん、山も遠くに見える大島もトンビの鳴き声も心地よく吹く風も、心に身体に浸みました。

そして、荒崎は楽しい。三崎口駅を出発して、ハイキングコースを歩くと、こんな秘密の通路があったり…

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こんな抜け穴があったり…
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さらには石でできた土橋!…なんのこっちゃ。
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そうだ。
今度歩け会で、このコース使いたいからこれ以上は内緒~。
まぁ、とにかく15kmコースで一日まわって楽しめるコースです。
ぜひ、きれいな景色を見ながらの城めぐりを楽しんでみてください

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2017年7月 2日 (日)

「いざ!思い出の渋谷城へ!」(母娘で行く過去への旅編)

今回は東京にある渋谷城のお話を。同時に母娘の思い出のお話を。言うなれば、母の歴史をたどる旅。大学卒業後、女優になりたくて、三重県からひとり上京してきた母の若かりし日の物語。


母は何年かに一度、「渋谷に行きたい」と、ふと思い出したように言うことがあるんです。その「渋谷」が指す場所は「若者の町!渋谷!」(←この言い方で年が分かる)ではなく、母が夢をいっぱい抱えて上京し、初めてのひとり暮らしをした渋谷区東1丁目のアパートと、父と結婚して住んだ東2丁目のアパート界隈のこと。その付近を思い出に浸りながら歩きたいという意味なわけです。

母は劇団に入って舞台に出る傍ら、居酒屋などのバイトを掛け持ちして、一生懸命頑張っていたようです。結構有名な劇団に所属してたんだけど、だからと言って、役者として食べて行けるわけでもなく…。そんな中、父と出会い結婚。劇団を続けるも、私を授かり、苦渋の決断の末、退団。それで、私が1歳の時に父の実家の横須賀に引っ越したというわけです。

思い出と叶わなかった夢の詰まった地を母娘で、たま~に散策するのです。
私を乗せたベビーカーを押しての散歩コースが渋谷区東2丁目付近、氷川神社や金王八幡宮あたり。大人になって歴史を好きになってから知ったんだけど、実はその金王八幡宮が渋谷城だったんですね。
横須賀の実家の裏山が怒田城だったように、お城と縁がありますね。

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まずは母が上京後にひとり暮らしをしてた渋谷1丁目のアパートへ。と、言ってもアパートは取り壊されてて、残ってないけど。4畳半一間で、お風呂トイレ共同のアパートの跡地には今は白い立派なおうち。

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お次は、結婚した父と母が一緒に住んだアパートへ。ここも取り壊されて、立派なマンションが建ってます。ここは最初のアパートと徒歩5分くらいの距離。引っ越しの時には三重県からおじいちゃん(お母さんのお父さんね)が出てきて、リヤカーでエッチラオッチラと荷物を運んだんだって。想像すると、かわいくて笑える。


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この階段の右側にアパートがあったらいし。階段は当時のままですって。変わってないって。この新しいマンションの横に40年前と同じ階段。名残り探しは面白い~。わーい、ブラタモリならぬ、ブラムツミだ~と、楽しんでたら、「あなた、この階段、覚えてないの?」と母。さすがに生後半年の記憶はないです…。


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通ってた銭湯。わたしも来たことあるんだって。改装して、今風になってるけど、こんな都会に銭湯が残ってるんだ!?と感動。



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渋谷川。渋谷城の防衛ラインだったんでしょうね。そうそう、今回は渋谷城の話が書きたくて、わざわざ思い出話に花を咲かすに至ったわけで。と、いうことで渋谷城へ!!


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ここね、渋谷城。渋谷3丁目にある金王八幡宮です。渋谷氏が創建し、鎮守とした八幡宮です。このあたりが中心地で、近くに館があったと伝わります。渋谷警察、ヒカリエあたり一帯が城域だったんですね。
鎌倉道と、大山街道が通ってて、周りを渋谷川が囲んで、さらには北東には黒鍬谷と言われる谷地があったので、かなりの天然の要害になってたんですね。今は渋谷が要害って言われると、なかなかピンと来ないけど、道玄坂、スペイン坂、宮益坂とか気づけば「坂」がやたらあるじゃないか!!と改めて驚く。
この城は1524年に後北条氏に焼き討ちされてます。氏綱が攻めてきたらしい。当時は扇ガ谷上杉氏の城だったみたい。その辺のことも文献にはなく、それ以上のことは分かりません。残念~。


元はと言えば、桓武平氏秩父氏から出た渋谷氏の領地。渋谷氏は相模国高座郡の渋谷荘をもらって、渋谷を名乗ったんですね。そのあとに、今の東京の渋谷も領地にしたので両方とも今でも「渋谷」という名前が残ってるんですね。なので、今では東京の渋谷の方が都会ですが「渋谷」の地名は神奈川の高座渋谷の方が先ということですね。あと、一つ補足すると、高座豚という神奈川のブランド豚、とてもおいしいです。
ちなみに神奈川県の川崎。市の名前にもなってますが、ここも秩父平氏と縁のある地名。秩父一族が今の川崎駅周辺を領地にして、「河崎氏」を名乗ったんですね。

じゃ、金王八幡宮っていうけど、金王って何?
これは渋谷金王丸常光のこと。金王丸は渋谷(河崎)重家の子と伝わります。


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八幡宮境内には金王丸御影堂もあり、金王丸17歳初陣のときに、母に贈るために自分の姿を彫らせた木像が納められているそうです。金王丸が持っていたと伝わる毒蛇長太刀も宝物館に収められています。この宝物館は、お宝モリモリ!しかも無料~!!

この金王丸は、17歳で源義朝について保元の乱に出陣。武功をたて、1159年の平治の乱でも義朝と一緒に戦いますが、義朝は敗れ、東国へ落ち延びようとします。しかし、なんてこったい。尾張国野間で義朝は裏切りにより、長田忠致に討たれてしまいます!オーマイガッ!

金王丸は義朝を守れなかったことを悔やみ、菩提を弔うため出家し、土佐坊昌俊と名乗った。…との伝承もありますがこれに関しては資料で確証は取れず、金王丸と土佐坊が同一人物だったかどうかはちょっと分かりません。
土佐坊昌俊というと、頼朝の命を受けて義経追討に向かったと言われる人物。京都堀川の義経邸を襲撃するも捕えられ、六条河原で刑に処されてしまいました。


尾張国野間と聞いて思い出すのは、織田信長3男の信孝の辞世の句。
「むかしより主をうつみの野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」
この壮絶な句です。

柴田勝家が賤ヶ岳の戦いで敗れた後に、信孝の兄の信雄が岐阜城の開城と、秀吉との和議を求めてきました。それにより、尾張国に向かった信孝。しかし、野間の内海大御堂寺着いた途端に信雄より切腹との沙汰が来て、自害に追い込まれました。完全に信雄と秀吉にハメられましたね。
信孝は切腹のとき、腸をつかみ出して、床の間の掛け軸に臓物を投げつけたと言われてます。
なので、辞世の句は、昔、源義朝が長田忠致に同じ野間で討たれたことと掛けてるんですね。壮絶ぅ~。

ちなみに長田忠致は平家に義朝の首を差し出したけど、恩賞をもらえなかったんです。で、打倒平家に立ち上がった頼朝に味方しました。頼朝の実父である義朝を殺したにもかかわらず、頼朝から「懸命な働きがあれば、美濃尾張をやる」と言われました。まぁ、なんて寛大な頼朝さん!!
その言葉通り懸命に働きました。では、どんな恩賞に預かったんでしょうか?
まぁ、美濃尾張をもらうなんて、そうは問屋がおろしませんぜ!ということで、平家追討後に頼朝から

「ミノオワリ」

をもらいました。「身の終わり」…要は打ち首にされましたとさ。
こわーい!うまいけど、こわーい!
昔、怪談だか、面白い話だかで、キャンプとかで話しませんでした?
「恐怖の味噌汁」=「今日麩の味噌汁」
「面白い話があるのね…」=「あるところに真っ白な猫がいました。手も足も白くて、尾も白い…」
みたいな?そんな感じですね。

この信孝の話でオススメなのは
岩井三四二さんの短編集「死んだのか信長」の中の「最後の忠臣」
これがシュールで面白すぎます。ぜひ読んでみてください。

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渋谷氏で面白いのは薩摩にいった渋谷氏の一族。
向こうに行ってから東郷氏、鶴田氏、入来院氏、高城氏、祁答院氏にさらに分かれていくんだけど、この東郷氏から東郷平八郎が出たんですね。なので、その祖先の地に、ということで渋谷に東郷神社があるんですね。

秩父平氏はもちろん三浦氏とも縁があるので、調べれば調べるほど面白いです。衣笠城に攻めてきたのも秩父平氏の畠山、江戸、河越氏ですしね。姻戚関係も濃いですし。


そんなかんじで、私の赤ちゃんの頃の散歩コース渋谷城のお話でした。
渋谷氏ゆかりの城、神奈川県綾瀬市の早川城もオススメ。結構テンションあがるほどに残ってます。また機会がある時にご紹介しますね。そういえば、早川城に「統合元帥祖先発祥の地」という石碑がありましたね。

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オマケ
最後に金王八幡宮の脇の公園。お母さんがホームシックにときに揺られてたブランコ。
夜中に一人で揺られてたかと思うと笑える。

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2017年6月29日 (木)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の五

あっというまに5回目の「山城ガールむつみの寺子屋」が5月26日(金)19時から開催されました。今回は逗子の花火大会と重なってしまい、数人の方から
「ごめん!天秤にかけて、花火を取ります!」という連絡あり…。致し方なし。だって、逗子市の花火大会ってすごいんですよ。ラスト10分の花火の上がり方ったら。誤って暴発したとしか思えないくらいに、ドカンドカンと上がります。笑いが止まりません。私だって、花火行きたかった!…おっと。口が滑りました。

 

と、いうことで席がガラガラかとビクビクしながら来ましたが、今回もたくさんの方に来ていただきました。ありがとうございます。


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いつも通り、城って何?山城って何?という話をサラっとした後は、考古学がお城の研究に取り入られるようになって、城郭研究がどう発達したかというようなお話を。
お城の研究は江戸時代前からされてるけど、当時は文献や絵図による研究でした。明治に入って、軍事施設ってことから陸軍が調査をするようになって。そこから縄張図の研究とかが始まったわけで。そのころから、城郭研究には考古学的調査が有効だとは言われてたけど、発掘調査された中世の城は安土城くらいで。古代だと、東北の柵や九州の古代山城。
それが1970年代の日本列島大改造論でどこもかしこもが開発開発という時代になって、それに伴って発掘調査が行われました。
そうしたら、出るわ出るわ!いろんな新しい発見があったのです!
例えば「落城」って簡単に言うけど、落城にもいろいろあるわけで。攻められて、業火に包まれて落ちた城、和睦で明け渡しになった城、ひとくちで「落城」と言っても大違いですね。発掘が行われる以前は、それすらも分かってなかったわけなんです。

そして、結果わかったのは焼け落ちた城は思いのほか少ないということ。
例えば、ドラマとか映画で、小谷城はゴーゴー燃えて描かれてるけど実際は焼け落ちてないし。こういう風に文献だけでは分からなかったことが見えてくるんです。
あとは、掘りだされた陶磁器とかいろんな遺物も歴史を紐解く手がかりになりますね。

さらには山城の曲輪から見つかった礎石!発掘調査がされるまでは、生活は山頂ではなく麓の根小屋で…というような話だったけど、掘ってみると臨時的な建物ではなく恒久的な礎石建物が建ってたことが分かりました。生活用の陶磁器なんかも見つかったりして。山頂に住んでたっぽいぞ!ということになった。守護大名クラスは山頂で生活してたみたいだぞ!と。こうやってだんだん、当時の実像が見えてくるんですね。今後の研究がますます楽しみですね。



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続いて、今回は東京にある渋谷城のお話を。
わたしは小さいころ渋谷に住んでて、ベビーカーでの散歩コースが金王八幡宮だったんです。記憶ないけど…。実はそこが渋谷城だったんです。横須賀に引っ越してきて、どんぐり山って呼んで、駆けずり回って遊んでた裏山が実は怒田城だったように、お城に縁がある…と、いうか、いかにお城というものが身近にあるかってことですね。そのへんにゴロゴロあるわけです。
もっと詳しく書こうと思ったんだけど、渋谷城の話は長くなるので、次のページで書くことにします。


今回の横須賀のお城紹介は公郷にある神金城。「かりがね」と読みます。
前にブログで詳しいこと書いたのでそちらをご覧いただければと思います。
ほぼ、何も残ってないけど、現地に行くと意外と楽しい。たいした高さはないけど、その辺まで来てた入江が想像でき、街道も見下ろせて想像するのが楽しい。こっそり入ったお寺の敷地には平場があったりして、思いのほか楽しめる城址だと、そんな話をしました。


Photo_2             神金城全景

ここで一番話したいのは「宗元寺」について。
今は横須賀高校の奥に「曹源寺」っていう寺がありますけど、かつては横須賀高校のあたり一帯に大伽藍を持つ、一大寺院「宗元寺」がありました。四方が100m以上の土塀で囲まれてて、出土した瓦から推測すると、時代は奈良時代まで遡るらしいんです。伽藍は法隆寺様式と同じって言われてるけど、確かなことは分かってない。ただここが奈良時代の三浦半島の中心地なんです。天平年間、聖武天皇が諸国に国分寺を建てた頃ですね。

大規模な寺院を建立できたということは、平作川流域や周辺一帯を支配する有力豪族が存在し、中央政権に対して忠誠を誓っていたということだと考えられます。

 

門前には、衣笠栄町方面から大津方面へかけて古東海道が延び、屋敷や役所が建ち並んでいたと想像されています。古東海道に沿って、相模と上総を結ぶ陸橋的な役割を果たした三浦半島の中心だったんですね~。

 

付近から土師器、須恵器も多数出土。かなりの数の人が生活してたよう。
 
「横須賀市史」によると…
 
出土した須恵器の中にはかなりの高級品も混ざってて、地位の高い人たちが住んでたと考えられる。豪族・役人のの居住地、役所のような建物が集まる栄えた場所だったのではないか…とのこと。

鎌倉時代までは、創建以来の伽藍がそのままあったと伝えられ、源頼朝が神馬を奉納するなどもあったとのことです。その後は衰退の一途をたどりました。1331年に鎌倉幕府がなくなる時の一連のゴタゴタで焼失してしまいました。

 

その後、1628年に代官、長谷川長綱が再建。いまの曹源寺はかつての宗元寺の薬師堂に建ってるんですね。

 

さっき出土した瓦から時代は奈良時代にさかのぼるって、簡単に私言いましたが、この瓦奈良時代のものだってわかったのにはすごい苦労があって。

 

 

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横須賀高校辺りから瓦が出土しました。花をデザインした二種類の模様の瓦。これを研究したのは赤星直忠先生って言う考古学者。三浦半島城郭史っていう三浦半島の歴史研究の礎をつくったような方。明治35年に横須賀市で生まれて、88歳で亡くなるまで、縄文時代から中世の城郭、やぐらまで、神奈川県全体の研究をしてた素晴らしい方です。

この人の赤星ノートって言われる資料は神奈川県埋蔵文化センター、馬車道の県立博物館にも収蔵されてます。
この赤星先生は、瓦の出所が分かれば、三浦半島の歴史が見えてくるんじゃないか?ということで、リュックにたくさんの瓦を詰めて、奈良京都の古い寺をしらみつぶしに調べてみることにしたんですね。涙が出るほどの情熱!!
どれくらいの時間がかかったのか分からないけど、結構な時間がかかったはず。熱意が実って、奈良県の西安寺っていうお寺の跡地から見つかった瓦と一致した。これによって、片方の瓦が奈良時代の終わり、もう片方の種類が平安時代初め。宗元寺は規模が大きいから、時間をかけて、法隆寺のような伽藍を完成させたことが分かったんですね。

 

 

 

ここの寺は仏像が素晴らしいのです。

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なんとかレンジャーみたい。「かっこよすぎる仏像」ってニュースになってました。薬師様の横にいる12神将。まさにナントカ戦隊!この12神将は国立博物館所蔵です。国の重要文化財。建久年間(1190-99)に制作されたらしい。今、お寺にある12神将はレプリカです。黒ずんでてすごくよくできてる。
ぜひ、本物を上野まで見に行ってみてください。常設されてます。

 

勝手に本紹介のコーナー。
今日はこの本を紹介。岩井三四二さんの「光秀曜変」を。

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この人の小説はシュールなんです。ブラックユーモアというか。ちょっと面白い切り口の歴史小説で私は好き。

 

 例えば、忍者というか忍びを書いた「竹千代を盗め」って小説があるんだけど、徳川家から大きな仕事を頼まれた落ちぶれた忍者の話。大きい仕事で嬉しいんだけど、落ちぶれすぎて部下がいない。慌てて親戚や知り合いを頼って集めるんだけど、文句ばかり言われる。で、徳川家からは話が違うほどの難題を持ってこられたりして、また部下に文句を言われる。板挟みの中間管理職みたいな感じ。なんかシュールでクスリと笑ってしまう。でも、歴史の背景とかもきちんとしてて楽しめる。

 

 他に「とまどい関ヶ原」っていう短編集があるんだけど。それは関ケ原の戦いにかかわった人たちが自分のすべき事、進む道をワタワタと、とまどいながら模索しながら戦いに参加してく話。そこには断固とした思いを持ってる武士もいれば、巻き込まれて泣きそうになってる人たちもいたり、いろんな目線から描いててこれもオススメ。表舞台と裏舞台の色んな人がそれぞれ迷って、とまどってて。その中に野心や策略やいろんなドラマ。その中でも「敵はいずこに」っていう徳川秀忠の話がわたしは一番好き。よかったら読んでみてください。

 

 で、今日紹介するのは光秀の話。

 

 本能寺の変を起こすに至るまでに、光秀に何があったのかという話。まぁ、これだけ聞くとありきたり。
世の中にはたくさん本能寺の変がらみの本が出てますからね。いろんな検証する本も。野望説、怨恨説、黒幕説とかいろいろ言われてますし。
実は、
そもそも光秀の生まれた年もはっきりわかってないんですね。いろんな書物によると、本能寺の変の時の光秀の年齢は、55歳、57歳、63歳、67歳とバラバラで。最近は67歳ってのが注目されて取り入れられてるらしい。その根拠は「当代記」。江戸時代初期、軍記ものではなく編纂もの。

 

この小説では本能寺の変を起こした要因の一つに、認知症を挙げてます。光秀は認知症を患ってたんじゃないかと。もちろん他にも今まで言われてきたような複合的な理由もあるんだけど。
光秀のいろんなおかしい行動として、笹のちまきを笹の葉を取らずに食べたとか、
二度三度くじを引いたとか、他にも妖しい行動が確かにある。これが小説としてとてもうまく面白く書かれてる。

 

 色んな人の目線から、光秀の行動や言動、想いをあぶりだすように描いて物語が進んでいく。登場人物の中で、光秀との昔の話をする人物も出てくるから、光秀の半生も丁寧に追っていける仕組みになってる。読み進めると、光秀の気持ちが憑依してきて切なくてやりきれなくなる。

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今までにない光秀像として、ぜひ読んでほしい。これとあわせて、「死んだのか、信長」という短編集も。同じ岩井三四二さんの作品です。本能寺の変外伝的な小説なんだけど、一作だけ、「本能寺の変に黒幕はいたか」っていう歴史エッセイが収録されてます。ここで、端的にまとめられてるからこれも読んでみるといいと思います。私はこの人のタイトルの付け方のセンスも好き。これは光秀の年齢の検証とかも資料を例にとって書いてあるから、「光秀曜変」のあとに読むといいかも。

 

 

 

ということで、こんな感じで今回の寺子屋は無事に終了。次回もお待ちしてます!
次回は728日(金)19時!!



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5回皆勤賞の方々と。「5回!」のポーズですが歌舞伎みたいになってる~。ここには写ってませんが他にも毎回来て下さる方は何人かいらっしゃいます。ありがたいですね。


 

 

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2017年6月16日 (金)

「いざ!花園城・鉢形城へ!」の巻

最近は三浦半島の話題ばかりだったので、久しぶりに他県の山城めぐりのお話を。
Facebookには小まめにアップしてるんだけど、ブログだと、じっくりしっかり書かなきゃと思い後回しになってしまう…。
記事を貯めるより、とりあえずサラっと書こう!という、やる気満々な感じで紹介するのは「花園城」と「鉢形城」!埼玉県寄居町です。

今回は友人9人でお城めぐり。寄居駅に10時に集合して出発です。

まずは正龍寺へ。
ここには北条氏邦夫妻・藤田康邦夫妻の宝篋印塔などがあります。
花園城のあたりはもともとは鎌倉時代から続く藤田氏の所領。藤田氏は武蔵七党のひとつ、猪俣党の出。山内上杉氏の重臣だったんだけど、河越合戦の後に北条方に。
それで、藤田康邦が北条氏邦を婿にして、それ以降、藤田氏の嫡流は氏邦が継ぐことに。で、藤田康邦の子たちは用土氏を名乗ったそうな。

それにしても、氏邦、康邦ってややこしい。ここに氏康とか入ってくると、ますますややこしい!!
このあたりの住所は「藤田」。こうやって藤田という名は残ってるんですね~。

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この正龍寺は山門から立派!!本堂には北条の家紋の入った駕籠もありました!
あと、飛天もたくさん!

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他にも、北爪氏の武勲を賞し、氏邦から三ツ鱗の家紋を許されたとの碑。北爪家に伝わる氏邦の感状も。ぜひ、お立ち寄りください。





お次は花園城へ。諏訪神社の裏手を登っていきます。


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とくに道はない。と、いうか分からなかった。草ぼうぼうで、道らしくものが見つからん…。9人それぞれが思い思いに草をかき分けながら斜面を登るも、どれが道かわかんないー!誰の進む道が正解?
とにかく草を掴んで上るのみ!

うーん、私の勘だと、そろそろ竪堀が出現するはずなんだけどな…
あっ!!あったー!やっぱり~。と、二本の竪堀を発見!!
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これ、竪堀ですよ!横堀じゃないんですよ!!なのにこの写真写りの良さったら!!肉眼はもっとすごいです!これが横並びで二本!!叫び声上げました。

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そして、おびき寄せられるように進むと石積みの行き止まり!!
しまった!罠に嵌った!!!…ってな感じ。


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この石積みは正面にドバンと。大手道かな?
かなり埋まってるけど、掘ったらかなりの石積みがでてきそう!!
石積みに当てられて、進路を右へ。

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石積みの左手には横堀が入ってます。


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おっと!虎口!繁りすぎてて、めちゃ分かりにくいけど。
木の中に入ると良好な感じで残ってることが確認できました!


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角度がすごい!結構深いぞ!岩盤だ!うーん、ここは堀底が道なのかな?
…とキョロキョロすると発見~。

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あれに見ゆるは橋脚台じゃありませんか?
上ってみよう!


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ほーら。ビンゴ!!
ここに橋を渡してたと思われます!

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曲輪の上の土塁を歩く人たち。下には腰曲輪が続いてる。

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石碑もあった!

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本曲輪の横堀。これが竪堀に繋がっていくのかな。岩盤がっつり。

西側の斜面がどうなってるか見たくて、みんなでガソゴソ進む。迷彩のズボン履いてる人もいるもんだから、自衛隊みたい。迷彩色は森の中に入ると、まったく見つけられない。ゲリラ部隊のようで笑える!!

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ひとり、またひとりと藪の中に消えていく…


結局、道なき道を突き進み、雨上がりのため泥だらけになり、服もビショビショ。やっと出たと思ったら思い切り民家の庭。リビングで寛いでる家主と目が合い、頭を下げながら庭を突っ切らせてもらいました。
山の中ってのはなぜこんなに楽しいのか。全員、童心に帰ってましたね。



氏邦は永禄年間(1558-70)には鉢形城に移ってるらしい。豊臣軍に鉢形城は落とされたとき、花園城はどうなったのかな?攻撃されたのかな?
発掘されてないから、今のところは不明点が多いですね。
このお城はかなり面白い!石積みをなぞって行くと、気づくとおびき込まれてたりとワクワクドキドキ!またいい時期に来たいな~。


近くには伝藤田氏館もあり、その隣にも中世の館跡である箱石遺跡も見つかってます。それらを鑑みると、詰城としての花園城と居館の関係が見えて来るとの事。
by「関東の名城を歩く・南関東編」


と、いうことで次は鉢形城に。歩くこと、1時間。
素晴らしい荒川の渓谷が見えてきます。キャンプをやってる姿も見え、美しい景勝地です。
美しい景色とは裏腹にお城の北側は断崖絶壁!
「鳥も窺い難し」と言われたほどの天然の地形を利用した要害です。

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荒川の水運は昔から使われてて、この地が重要とされたのも舟運が発達してたからでしょうね。
長尾景春がここで主君の上杉顕定に反旗を翻して、鉢形城が歴史の舞台に出てくるわけで。なんやかんやあって、太田道灌に鉢形城が落とされて、ここは山内上杉氏の拠点になっていきます。さらに、なんやかんやあって、鉢形城は北条氏のものになり、氏邦が入って大改修を行い、今のような城になったんですね。

当時の文献から、鉢形・八王子・小田原を結ぶ道が明らかになってるらしい。すごく重要な街道ですね。そして、鉢形城も要衝地なんですね!


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本曲輪。自衛隊がいる!


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二の曲輪。ほんのりと畝堀。横矢もかかる。

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伝秩父曲輪の馬出のとこ。

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馬出の内側。石積みは補強の為かな?

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こっちも石積み。排水溝も完備。

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歴史館に行った後は外曲輪経由で馬出をみて帰路へ。
スマホの電池切れにより、全然写真が撮れず…。がびーん。
諏訪神社あたりもすごかったのに!悔やまれる~。

好戦派だった氏邦は鉢形城に籠るも、前田&上杉軍などに攻撃され開城。
氏邦は前田利家預かりになり、能登へ。鉢形城はまもなく廃城に。


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スマホの最後のひと頑張りで、記念撮影。
大宮で終電まで飲んで帰りましたとさ。楽しかったです。

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2017年6月 9日 (金)

「いざ!和田城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュース連載12回目!!
早いもので12回目…ということは、1年が経ちました!あっとゆーま!!
ということで、今回は「和田城」です。

ではでは早速タウンニュースの記事を!!
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

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和田城址は三浦市初声和田にあります。「あります」といっても、遺構は何もありません。
この辺にあったのかなぁ?館くらいのものだったのかな?どんな感じだったのかな?当時の地形はどうだったんだろう?というような、みなさんの逞しい想像力が頼りです!!

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正確な位置も分かってませんが、国道134号の「和田」交差点を曲がると、「和田義盛旧里碑」があります。
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アップにするとこんな感じ~

さらのその目の前の坂を上がると「和田城址碑」があります。


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眩しい!字が読みづらい!


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今の地形はこんな感じ。右上に「和田義盛旧里碑」があって、赤い印のとこが「和田城址碑」。ここから、長浜海岸の方に下りてく道が続く。航空写真を見ると、一帯が台地になってるのがわかりますね。

付近には「城戸脇・空池・門後・出口・入口」などの当時を連想させる字名が残っています。「殿屋敷」という名も残り、それが上の航空写真の赤い印のあたり。「和田城址碑」のあたりとのこと。平塚農業高校初声分校…。ほら、怪しい。だいたいね、学校になってるところは怪しいんですよ。なんか、ニオウぞ。くんくん。

右下に「初声町入江」の文字。ここは文字通り入江だったので、臨海高校のあたりは完全に海の中ですね。
ふむふむ。航空写真を見てると、なんだか、雰囲気がちょっぴりイメージできるぞ。このあたりは新田開発されるまで、海が深く入り込んでて一面は水田でした。大穀倉地帯!大事な食糧庫に当たるわけです。三浦一族の屋台骨を支えていたんですね。

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旧里碑の目の前の坂を上ると、台地になってる、ちなみにこの道は明治になってからの道らしい。天王坂っていうんですって。


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坂の上にはこんな光景が広がります。延々と続く畑。どこを見てもキャベツ!キャベツ!キャベツ!
当時もこんな風景だったのかなと思わせてくれます。

和田義盛は三浦義明の孫です。お父さんは義明の嫡男。最初は怒田城に入って、そのあと鎌倉の杉本城に入りました。それで、「三浦」ではなく「杉本」を名乗りました。鎌倉の杉本城、いまは杉本寺として人気の観光地。そこに拠ったために杉本義宗を名乗りました。

義宗は安房国長狭城の戦いで若くして死んでしまったので、義盛が家督を継ぎました~。で、初声の和田の地にやってきたわけです。それで「和田」を名乗りました。ちなみに、義宗が死んだあとの杉本城には義盛の弟の義茂が入りました。

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杉本城の遠景。釈迦堂切通に向かう途中の道からの撮影。ここは釈迦堂切通も近く、抜ければ三浦半島。三浦氏にとって大事な地。

三浦義明からの武勇に優れた血は、杉本義宗、和田義盛&義茂兄弟、さらには義盛の子どもの朝比奈義秀まで、受け継がれていったんですね~。

和田義盛は頼朝の挙兵の時、義澄らと一緒に石橋山に向かいましたが、川の増水に阻まれて、衣笠城に戻って来ます。由比ガ浜で畠山軍とぶつかりそうになったとき、せっかく和議が成ったのにもかかわらず、弟の義茂の早とちりでドンパチ開始してしまったり、義明が衣笠城に立て籠もろうとした時に、義盛が「怒田城の方が堅固だからあっちにしようよ」と言ったりと和田兄弟の存在感は抜群!目立つわ~。

そして、侍別当に任じられ、幕府の要職を担っていくことになるわけですが建暦3年(1213年)5月2日、和田合戦が起こります。執権北条氏との全面戦争。横山党や渋谷氏などと、兵を挙げるも敗北。義盛は息子の義直の戦死に大声で泣き、敵陣に突っ込み討ち死にを遂げたと言われます。
この時の朝比奈義秀の政所門破りの武勇は後世に語り継がれてます。浮世絵とかにも描かれてますね。

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江ノ電の和田塚駅にある石碑。
数か国にわたる首謀者の広がり、死傷者の数、戦後の都や西国の動揺などを考えると、義盛の北条義時に対する私怨だけではなさそう。幕府に対する不満が全国的に広がってて、それによるクーデターという感じ。


和田義盛は人間味があって剛毅なイメージ。三浦一族の中でも、時代を問わず、愛されました。武勇伝はもちろんですが、ちょっと可愛らしいエピソードにも事欠かない彼は、生き生きと人物像を浮かび上がらせてくれます!!

永井路子さんは著書の中で、「鎌倉時代の幕開けとともに三浦半島は歴史の重要な舞台となったわけだが、その中でも千両役者は三浦義明と和田義盛なのである」と書いてます。この文章だけでワクワクしてきます。さすが、永井路子さんです!!


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こんな景色を見て、何を考えていたのかな?心休まる時はあったのかな?
越後国奥山荘、現在の新潟県胎内市ですがここは和田氏が地頭となっていました。
和田合戦で敗れた和田氏ですが、その後も和田の血脈は奥山荘にて、受け継がれていったのです!!
奥山荘には三浦一族の多々良氏の名前も見えるので、一緒に移ったようですね。


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長浜海岸。海が深く入り込み、近世まで湊があったとのこと。水運の要地でもあったことがわかりますね。

初声和田の地には義盛ゆかりの史跡がゴロゴロ。
和田の里の北側にあった安楽寺は鬼門として建てられたそう。そこの薬師三尊像は廃寺になってからは天養院に移されました。なんと藤原様式初期とのことで、三浦半島現存の仏像の中で最も古いかも!?ということ。
先日、33年に一度の大開帳で見てきましたが、たおやかで美しかったです!!
ちなみに天養院には和田義盛の位牌と、像があります。江戸時代に作られたとのことですが、位牌に「建暦3年5月3日」と和田合戦での義盛の命日が刻まれてるのを見たときは鳥肌が立ちました!!

他にも芦名の浄楽寺をはじめ、三浦半島には義盛ゆかりの寺仏がたくさんあります。
不器用ながらも一生懸命に一族を守り、祈った、そんな義盛の足跡をたどってみてはいかがでしょうか?

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2017年6月 6日 (火)

「いざ!歩け!佐原城&衣笠、小矢部城へ!」の巻(GGガイド其の参)

ありがたいリクエストにお応えして、横須賀グリーンゴルフにて3回目の歴史イベントです。今回も同じように三浦一族の本拠地の大矢部周辺をめぐりました。

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1回目と2回目は土曜日に開催でしたが、今回は日曜日。そのせいか、ほとんどが初めてのお客様でした。
初めての方が多いと緊張するー!!
ということで、張り切ってお話させていただきました。

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まず最初はスクリーンを使って、たくさんの写真を交えての山城のお話。

「山城という言葉を聞いたことある方?」
意外と多くの方が手を挙げてくださいました。

「お城って全国にいくつあると思いますか?」
などなど、そんな話からスタート。
建物の残ってないお城の楽しみ方、山城に散りばめられた仕掛けの見方など…山城に行ったときに楽しめるように、参考になるように、そんな話をしました。

後半は三浦半島の歴史のお話。
桓武平氏だった三浦氏と、源氏、頼朝との関係。そして、鎌倉幕府設立に向けての三浦氏の尽力、功績。日本の歴史にどんなに深く関わっていたかなどなど。
三浦氏は単なる三浦半島の一豪族ではないんですよ!日本の歴史においても素晴らしい功績を残し、今でも全国で活躍し、今でも色んなところで脈々と血が受け継がれてるんですよ!…なぁ~んて、まるで自分のことのように自慢げに力説しちゃったりして。

今日のウォーキングのメインになる衣笠城が舞台となった合戦のお話も。頼朝の挙兵から石橋山合戦、そして由比ガ浜から衣笠城とザザっとですが物語的に話させてもらいました。
あとは、衣笠城問題も。
衣笠城は城じゃないと言われる昨今ですが、たとえ城郭じゃなくても三浦の精神の拠り所だったわけで。聖地です。とても意味のある山なんです。
それを踏まえて、午後のウォーキングコースの説明なんかもしました。予定より、時間オーバーするほどたっぷりお話させてもらいました!

そして、鶴ジュンさんのキネシオテープ講座。
このテープは本当に魔法のテープのようです。貼ると、筋肉のこわばりが一瞬で緩和されて腰、ひざ、肩などの痛みがなくなります。青あざも消えます。
いつも、どなたかに実演してもらいますがまるでサクラ?かと思うくらいの効果がその場で現れます。四十肩の人が貼った瞬間に腕が上がるようになるんですよ!すごーい!貼ったら死人までも生き返るくらいの勢い(笑

そんなこんなで、横須賀で大人気のパン屋さん「Zacro」のサンドイッチランチを食べて出発です。

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クイズ用紙を配って、出陣なり!正解者の中から抽選でプレゼント!という楽しい企画。


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佐原城にて地形から、なんとなく当時の名残りを探す。ガクンと落ちてる感じが分かり、ただの丘だけど意外と高さのあることを実感。

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大矢部城。今日は上には登らないけど、今度行ってみてねと勧めてみたり。


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三浦義明の菩提を弔うために頼朝が建てた満昌寺。住職の永井さんと一緒に撮影。


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33年に一度の御開帳の薬師如来。本当は数日前に閉帳だったのにもかかわらず、開けて待っていてくれました!感謝!!

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衣笠城の「追手門」の石碑。みんなで、「ちっちゃ!こんなん気付くかいっ!?」と、ツっ込んでるところ。

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旗立岩に登らせてもらう。いつもご厚意で敷地内に入れていただいてます。

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物見岩。磐座。

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道が狭まり、ワクワク感が増してきた!!
ゾロゾロと隊列を組んで。


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衣笠城址から衣笠公園まで結構な階段を上ったあとのご褒美の景色。
横須賀ってなんて美しいんだー!!
疲れが吹き飛びますね。やっほー!!


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最後は小矢部城。今は、見事にただのマンションだけど、盛り上がりました!見る気になると、見えてくるものですね。
と、言うことで朝早くから夕方まで、かなり楽しく和気あいあいとしたイベントになりました。関係者各位、参加いただいた皆様、ありがとうございました~。



タウンニュースのコラム「出陣のススメ」をスクラップしてくださってる方もいて、ビックリ!嬉しい!こういうイベントは読んでくれてる方の顔が見えるから嬉しいですね。

次回は秋口かな?また何か企画考えます!それまで、お楽しみに!!!!

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2017年5月18日 (木)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の四

2017年3月24日
山城ガールむつみの寺子屋!第4回!開催されました~。
またまたたくさんの方に来ていただき感謝です。
初参加の方もチラホラ。嬉しいですね。

まず、マクラがわりにちょっと前に行った静岡の旅のお話を。
お土産の直虎クッキーも振舞いました。THEおみやげって感じのクッキーでしたが、美味しかった~。

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そして、お城ブームにかこつけて松江城のお話を。
知ってます?松江市って大手門の復元に当たって、懸賞金出してるんですよ、500万!!
大手門を復元するから、当時の姿の分かる絵図か写真に500万!!
平成28年4月から1年間の期間で募ってたんだけど、期間終了の現在でもまだ見つかってないらしい。
みなさん!松江に知り合いか親戚いませんか?蔵を持ってればなおよし!チャンスですよ!と、ハッパをかけさせていただきました(笑
松江城は2015年に国宝になった時も500万の懸賞金懸けてるんですね。築城年が書かれた祈祷札に500万!すぐに神社から見つかって、晴れて国宝になりました。その時の500万を神社側が辞退したので、今回の大手門復元にその懸賞金が回されたんですね。
ちなみに松江城の祈祷札は見つかって、慶長16年(1611年)って文字は書いてあったけど、「松江城」って文字が入ってなかった。状況証拠から言ったら、松江城のものに間違いなく、1611年に松江城が築かれたってことになるんだけど決定的な証拠にならない。そこで、関係者総出で松江城の隅から隅まで探したんですって。その祈祷札と形が一致する痕があるはずだと。そしたら、地下の井戸の横の柱にピタッと一致する痕が!!
それが晴れて決定的な証拠となり、国宝になりましたとさ。ちゃんちゃん。

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そんな話をしながら、たまに山城の話を。
ほんとうに山城の話はたまに挟むだけという雑談会。
今回は大矢部城の話をして、本の紹介コーナーでは磯田道史さんの「歴史の愉しみ方」を。わたしは磯田さんが大好きです。歴史を見る目が、切り口がとても暖かくて優しい。こんな風に歴史を感じる人がいたんだ、という嬉しい気持ちになり、感動します。

前にNHKの「達×達」という、違うジャンルの達人たちが対談をするという番組で磯田さんとさかなくんが対談してました。なんて異色の二人!!この二人を選んだスタッフもすごい!

その中で、磯田さんが「僕とさかなくんの共通点は無償の遊戯性を持ってることだと思う」と言ってました。要は、好きなことをやってたら楽しくて楽しくて仕方がなくなり、これを人に伝えたい!この楽しさを知ってほしい!という想いから今ここまで来たと。最初は自分が楽しければそれでよかったのに、突き詰めれば突き詰めるほど自己満足じゃ済まなくなったと、そういうことだと私は解釈しました。
なんだか磯田さんの人柄を表してるような言葉に思えて、とても心がくすぐられました。
好きだからやる、それがスタートだと改めて励まされてような気分。ちなみに私は、さかなくんも大好きです。

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話が逸れましたが、今回紹介の本は磯田さんの歴史コラム、読売新聞の「古今おちこち」の連載をまとめた本です。
忍者の子孫の古文書を調べた話や、古文書から読み解く地震や防災の話。
一番のお気に入りは東京発の新幹線の車窓から見るお城の楽しみ方。しかも、お城も楽しみつつ、関ケ原に向かう家康の気持ちも味わおうという、一粒で二度おいしい歴史の愉しみ方!帰り道は東に向かう石田三成の気持ちを味わいつつ帰路に着く。

面白いんですよ。「どこどこ駅を過ぎたら、進行方向右の席に行け」とか、「どこどこ川を越えたらデッキに行け」とか言って、新幹線からの楽しみ方を指南してくれる。結構、本当に実践するとかなり怪しげな行動も含まれますが…(笑
そんな可愛くも楽しい歴史の愉しみ方。よかったら読んでみてください。

次回の寺子屋は5月26日(金)。ご参加お待ちしてます!!

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2017年5月12日 (金)

「いざ!多々良城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュース連載11回目!!
ということで、今回は「多々良城」です。

ではでは早速タウンニュースの記事を!!
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多々良城は多々良氏の居館だったと思われます。城というより、館ですね。
この多々良氏は三浦義明の4男、義春がこの多々良の地をもらって「多々良氏」を名乗ったと言われてます。
横須賀市鴨居に「たたら浜」という海岸があります。学生時代、よくBBQをやりました!きれいな海岸です。
このあたりに居館があったと伝わりますが正確な場所は分かっていませーん。

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とんびがすごいんですよ。なぜかいつも私だけ攻撃されるので本当に苦手。そんなに、どんくさそうに見えるんでしょうか。


横須賀の鴨居は浦賀と観音崎の間辺りに位置する、とても風光明媚な場所。近くには深い歴史を持つ走水もあります。走水はヤマトタケルが房総に渡ったとされる場所ですね。弟橘媛が身を挺してヤマトタケルを助けた哀しい話でも知られてます。古東海道は走水から上総に延びていたんですね。


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たたら浜から500mの鴨居八幡神社は源頼朝の命を受けて、多々良義春が鶴岡八幡宮より勧請したと伝わっているので、このあたりが多々良氏と縁が深いのは確かだと思われますね。
※タウンニュースに「鴨居八幡宮」と書いてしまいました!!!ごめんなさい!!なんてこったい!!


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多々良氏は三浦氏の中で、少し存在が薄いかな。でもでも、実はとても活躍したんです!
平家物語の一の谷の合戦のとこに、義経や佐原義連、三浦義澄らとともに多々良義春の名が見えます。彼らと一緒に戦ったのか~と、目を細めてしまいます。


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境内には立派な銀杏の木も。


吾妻鏡によると、多々良義春の子の重春と明宗は、頼朝の挙兵の時に、三浦義澄らとともに石橋山に向かったようです。酒匂川の増水により、三浦に引き返す途中に由比ガ浜で畠山軍と衝突。果敢に戦うも重春は果敢に戦い討ち死。
その後、重春の弟の明宗は鎌倉の勝長寿院の落慶供養に参列。
勝長寿院は頼朝が父の義朝の菩提を弔うために建てたお寺で、三浦義澄ら三浦氏を代表する面々が居並ぶ中、明宗も参列したんですね~。
ちなみに重春のお墓は鎌倉の来迎寺にありますよ。

ほかにも、頼朝の上洛に供として付いて行ったり、さらには由比ガ浜で笠懸の射手をも務めました!すごい!
笠懸の射手はとっても名誉なこと!しかも、上洛のお供まで!頼朝の信頼を受けていたことがわかりますね~。
笠懸(かさがけ)ってのは流鏑馬みたいに馬から弓で的を射るんだけど、流鏑馬がかなり儀礼的だったのに対して、笠懸は略式というか余興的な感じ?流鏑馬より難易度が高くて、実践的というか。競ったり、ゲーム感覚でやったりと。ま、ともかく上手い人しかできない大変名誉なものだったのでございます!!
三浦義澄、和田義盛とか、三浦一族は弓上手として知られてたらしいです。笠懸は三浦一族のお家芸。今も年に一回、新井城の海岸で開催される三浦道寸まつりで見ることができます!!今年は5月28日!行かなくちゃ-!
弓馬術っていうと、あとは犬追物ってのもありますね。

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たたら浜の公園の奥には大規模な大規模な古墳時代の横穴墓群が見つかっていたり、近くでは弥生時代の集落も発見されているので、古来、人が集まっていた土地だったんですね。
いまではたくさんの家族連れで賑わってます。
この削平っぷりは戦時中の経緯からくるものかな?軍の演習で浜を使ってたみたいなので。会津藩がこのあたりに陣屋を築いたりもしてますしね。


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多々良館のあった場所の手がかりと言えば…。
「新編相模国風土記」によると、
石井塚と呼ばれる塚があって、それが由比ヶ浜の合戦で重春と一緒に討ち死にした石井五郎の墓と伝わるとのこと。そのあたりを館跡としてます。観音埼灯台のあたりかな。
このあたりは、砲台が築かれたりとだいぶ地形が変わってるので、全くわかりません。

ほかにも、「三浦古尋録」には、
三軒谷が屋敷跡か?などとも書かれています。三軒谷は昔は「三軒家」と書いたらしく観音崎のバス停のあたりです。
ま、とにかくどっちにしろ全くわかりません。

ほかの手がかりと言えば、多々良氏のお墓?っていうのが出土。会津藩が江戸末期に海防のために陣屋を建てたとき、五輪、骨、刀とかが出てきたらしい。浦賀誌録では多々良氏のお墓と推察してる。

あと、怪しいなと感じる物があるのは、西徳寺というお寺。鴨居八幡神社から、歩いて2分。

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西徳寺境内。裏手に裏山に登る道。
さらに上には上の台遺跡があります。今は中学校になっちゃってるけど。
上の台遺跡からは縄文時代の土器や弥生時代の竪穴式住居139棟が発掘されています!
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この変の地形が怪しい。
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登り切ると平場になってて、お墓が。これは会津藩のお墓。こっちに海防とかで来て、亡くなった人のもの。


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和田地蔵。和田義盛が戦勝を祈願したと伝わる!このお寺の前の川に流して、川下、川上のどっちに流れるかで戦勝を占ったとも伝わる。


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この川かな?


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さらに境内には和田義盛の剃刀塚なる物もあります。義盛が月代を剃った剃刀を埋めたとも伝わる物の詳細不明。こんもりしてるー。
西徳寺は1560年に鎌倉の光明寺の末寺として開かれたらしいんだけど。じゃ、その前は何だったの?ってことで。
なぜ、こんなにここに和田関連の物が?!
和田氏は新潟の奥山荘を領地としてもらいますが、その奥山荘の文書の中にも多々良の名前が見えます。和田氏と多々良氏は同族の中でも近しい間だったんですね。
まぁ、とにかく、この西徳寺あたりも怪しい場所です。


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剃刀塚の所にはこんな祠も。


散々、たたらたたらと言ってきましたが、「たたら」というと思い浮かべるのは製鉄でしょうか?日本で発展した製鉄方法ですね。たたらというのは製鉄するときに火力を強めるために使う鞴(ふいご)を指します。
「ふいご」と言えば、職場で11月8日に鞴祭りをやります。鋳鉄とか扱う仕事なので。
お神酒や餅、みかんなどを供えて、鉄をカンカンとみんなで打って、
「いや~さか、いや~さか」と唱えるんですね。「いやさか(弥栄)」です。
商売道具である鞴の労をねぎらって、火の安全と仕事の繁栄を祈願するんですね。
仕事中にお酒が飲めるという楽しい日です。

旧暦のころから11月8日は、鞴を使う鍛冶屋、刀工、鋳物師たち職人の祭日でした。この日は仕事を休んで神社に詣でて、ふいご祭りを行ったんですね~。


話が逸れましたが、「たたら」というとそんな感じのことを思い浮かべます。
三浦一族の鍛冶が、たたら浜あたりに住んでたりしたんでしょうか?古代から製鉄が行われていた場所だったのかもしれませんね。
ちなみに三浦義明の太刀をつくったのは沼浜の鍛冶職人と言われてます。沼浜とは今の逗子市沼間のことです。当時、沼浜には頼朝のお父さん、義朝の館があったと伝わります。現在の法勝寺のあたりです。
このように三浦半島にはいくつかの鍛冶が存在したんですね。
なので、多々良に鍛冶職人が存在していた可能性は大いにありますね。
しかも、戦国時代には鴨居で大筒(大砲)が造られていたようです。

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とにかく、たたら浜に立って思うのは房総半島が近い!ということ。久里浜の海岸で見るより、近い!しかも景色が全く違う。久里浜の海岸から見慣れた富津の火力発電所がない!こんなにも景色が違うんだ?ということに上手く理由は言えないけど驚いた!
館跡がどこであれ、こんなに海の目の前で房総が近いんだからきっと水運水軍的な要素でも使われてたのは間違いないはず。
たたら浜の砂浜は白砂でとても美しい。
お散歩がてら出かけて海を見ながら思いを馳せるのもいいですね。

おまけにもう一つ。
歩いてたらこんな案内板を。
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横須賀中央のあたりの「若松町」は会津若松から来てるんですね。いまでもこの絵のような名残りがあり歩いててとても楽しい道でした。

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2017年4月21日 (金)

「いざ!津久井城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュース連載10回目!!もう10回?!早いですね。
ということで、今回は「津久井城」です。

ではでは早速タウンニュースの記事を!!
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津久井城は京浜急行の津久井浜駅から歩いて15分くらい。
いちご狩りで有名な場所ですね。
サツマイモ掘りでも良く行きました!幼稚園のときは大量のサツマイモを母にスイートポテトにしてもらいました。おいしかったな~。この前、久しぶりに母にリクエストしたら「めんどくさいからヤダ」ですと…。

津久井城は三浦富士や武山が望める風光明媚な場所にあります。駅から三浦富士に向かう道沿いです。比高20mくらいの丘ですね。まわりには苺のビニールハウスが。

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イチゴ狩りのたびに前を通ってたけど、ただの丘としか思ってませんでした。ここが城あとだったとは!地元ではこの丘は「峯屋敷」と伝わる場所です。

三浦義明の弟、義行がこの津久井の地に住んで「津久井氏」を名乗りました。
義行-高行-義道-高重と4代に渡り、居館にしたとのことです。

頼朝の挙兵の時に津久井一族は何をしてたかというと。
吾妻鏡では、三浦義澄たちと石橋山に向かったとなってて、延慶本平家物語では、伊豆にて頼朝の挙兵に加わったことになってる。津久井氏はその後の一連の戦いにおいても動向がイマイチ明らかじゃないらしい。

後鳥羽上皇が西面の武士を置いたときに10人の強者を求めたんだけど、その中に津久井高重が入ってたらしい。すごーい!ツワモノですね。誇らしいですな。
ただ、その後の承久の乱で討ち死にしてしまいました。

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城址から500mのところに東光寺というお寺さんがあります。この寺は横須賀の高野山とも言われる真言宗のお寺です。
奈良時代に行基によって開山されたとのこと。
行基は夢のお告げにしたがって、 薬師如来と日光・月光菩薩、12神将の像を彫刻し、一宇を建立したそうです。 

ところが、何百年かが経ち、荒廃してしまった東光寺。それを中興したのが津久井義行だったのであります!!じゃじゃーん!!(効果音)
そして、義行は東光寺を治国理民の祈祷所と定めたのであーります!じゃじゃじゃーん!(効果音)
ということで、この津久井の地が津久井氏のとても大事な場所だったのです。東光寺には、津久井次郎義行公の碑と一族の五輪塔があります。門前には石碑も。
ちなみにこの薬師如来像は4月28日からの1か月間33年に一度の御開帳です!行かなくちゃ!三浦薬師如来霊場第21番札所です。

あ、そうそう。相模原に津久井って地名がありますが、元はこっちの「津久井」が先です。津久井城ってういう戦国時代の後北条氏のの山城がありますが、あれも元をただせば義行の子の為行が築城したと伝わってます。ちなみに相模原の「矢部」という地名。あれも横須賀の矢部(大矢部・小矢部)と関係ありと思われますね。

さて、ではでは出陣!まずは北側から上っていきました。

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上に上がるとこんな感じ。手前が住宅街になってて、「住民以外立ち入り禁止」の看板が。とりあえず、最頂部の畑周辺をうろつく。
写真の木々の奥は崖になってました。さらに西側は相当な崖に!!
が、しかし!写真撮り忘れた…。がびーん。


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さらにはキャベツがゴロゴロしてます。おいしそうー!春キャベツですね。

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下に下りていくとこういう雰囲気。


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こういう感じ大好きです。わくわくどきどき。
人はあまり通らないようで、ここ最近人が歩いたであろう形跡なし。

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下りきると東側には平地が広がり、土木系の会社の置き場のようになってました。

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さっきの最頂部の木々の裏側の崖の下がこんな感じ。
うーん。あやしいぞ。あやしいニオイがするぞ!

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ほらほら、ムズムズするぞ!ミゾミゾするぞ!!

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そして、怪しい地形のど真ん中にアパート。ピンクが目立ちます!
この辺に館でもあったのかなぁ。うーむ…。
そもそも、津久井城は城というより館の様な感じだったと思います。
タウンニュースのコラムでは、「津久井城」と書かせていただきました。「いざ!津久井館へ!」っていうと少し締まらないですからね~。ま、実際のところ館、城、砦とかの定義って何よ?って話になると難しいし、つまらなくなりますから。別にこんな感じでいいじゃん?ってとこです。


こんな感じでぐるり一周。
感じたのは軍事というよりも、経済や生活というような人の営み。いまは畑が広がっていますが、当時は水田だったとのこと。このあたりを含め、三浦半島の南側は三浦一族にとって大事な食糧庫。穀倉地帯です。開墾開拓、津久井城はそれに伴う拠点のような役目があったんじゃないかな。
今までとはまた違うお城の姿を見た気がします。毎日戦いの危険にさらされてる訳じゃない。でも、日々の生活は切れ目なく続くわけで。
のどかな風景の中になんとなく当時の姿が想像できた気がします。

ということで。今回はこのへんで。次はどこを書こう。だんだんネタが…。



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2017年3月 9日 (木)

「いざ!平作城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュース連載9回目!!
今回は「平作城」です。
ではでは早速タウンニュースの記事を!!
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「平作」という地名は三浦半島に住む人にはとても馴染みが深く、涙が出るほどに郷土愛を誘うキーワードです。(本当か?!)
なぜなら、三浦半島を縦断する平作川は三浦半島に住む人のソウルリバーだからです。(嘘つけ!)
「平作川」は、さしずめ、エジプト人のナイル川、ロシア人のアムール川、アメリカ人のミシシッピ川と言ったところでしょうか。横須賀出身の演歌歌手も「平作川の流れ」という歌を歌っているとかいないとか。
ま、冗談はさておき…。
平作川ってのは本当に馴染み深い川で、クラスに必ず一人は夏休みの自由研究で、「平作川の源流を探せ」みたいな企画をやる男子がいたほど。

平作川の源流は大楠山にあって、その大楠山の山脈に連なってるような連なってないような感じの丘陵に平作城はあったと伝わります。今のしょうぶ園があるあたりです。
いまでもその辺りは横須賀市平作っていう地名です。ただ、平作エリアは広いので厳密にどこに城があったかは分からず。誰が築城したのかも分からず。
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しょうぶ園。しょうぶが咲いてない時期は入園無料。
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しょうぶ園の前の大池。このあたりが「城の腰」と昔から呼ばれてるあたり。
昔はもっと広い範囲で沼地、湿地だったんでしょうね。

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平作城を偲ぶ唯一の石碑。しょうぶ園内にあり。


元々は「平佐古」という地名があって、そこに三浦義明の弟の為清さんの孫の為重さんが所領をもらって、「平佐古氏」を名乗ったと言われてます。
うーん、ややこしい。まとめると、平佐古為重は三浦義明の弟の孫ですね。
なんていうの?自分の兄弟の孫って。大孫かな?祖父母の兄弟って、大叔父とか大叔母って言うもんね?…ま、いっか。
ちなみに為清さんは「芦名氏」の祖。

平佐古為重は源頼朝が山木兼隆の館を襲って挙兵したときに、一緒にいたとも伝わっており、その後は義経とともに平家追討の為に西に向かってます。鵯越の坂落としのときも佐原義連とともに義経の軍勢の中にいたとされてて、なかなかの武者っぷりが想像できます。断崖絶壁を義経と共に駆け下りた若武者たち!
義連と一緒に、「なんのこれしき!我らが三浦党にとっては、ただの馬場ぞ!」とか「全然余裕だよね~。だって三浦半島って山と坂ばっかだもんね~」とかなんとか言っちゃたりしてさ。

その平佐古為重の館もこのあたりにあったんだろうけど、正確な場所はわからず。今回の平作城は標高30mくらいの山に築かれてて、時代的には鎌倉期以降でしょうね。場所的には、衣笠・大矢部の搦手にあたり、西へ行けば芦名へとつながるわけです。

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城山の山頂と思われるところに建ってる妙昭寺。


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このお寺のあたりが最頂部。妙昭寺。「平佐古山」
中腹にはテニスコートがあって、平場の名残りかな~なんて。

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山頂周辺には古い道が残ってます。色々と彷彿とさせてくれます。

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地形的にはお寺の裏側がガクンと落ちて、谷間になってます。
上の写真は妙昭寺を裏側から撮ったもの。

そして、谷間から衣笠方面に伸びる山道が。
この道が面白かった!!この道、今度、歩け会で使おうっと。なので、まだ詳細は秘密。え?こんなとこに出るの?ここに行けるの?みたいに盛り上がる事、請け合い。ふっふふ、楽しみ。
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なんと!こんなところに!?…これ以上は秘密♡


山道を衣笠方面に小走りで向かうと、臨場感たっぷり!まさに伝令になった気分!歩け会で小走りしたら、みんな嫌がるだろうけど…。
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わーい!楽しい!
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虎口のようなとこもあったり、面白し!!

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階段も出現!
やーい!冒険だーい!
と盛り上がってるうちに衣笠城の裏側に到着します。平作城から山道を歩くこと40分くらいかな。気軽に行けて楽しい歴史散歩ですね。


途中の道にこんな秘密の通路も発見!!Img_3160かがまないと通れません。行ってみよう!
続く草藪をかき分けて進むと…

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ん?配水池のような…

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おっと!立ち入り禁止の裏側に出た!立ち入り禁止区域の中にすでに入ってるという、よくあるパターン。


ということで。(なにが「ということ」か分からないけど)
平作城の楽しみ方は、しょうぶ園で唯一の石碑を見て、何となく沼、湿地帯の名残りの分かる大池を見て、城山に登る。で、テニスコートでテニスをする元気なおじいちゃんたちから元気をもらい、城山まわりの古い細い道を練り歩き、谷に下りて衣笠方面の山道へ。
そして、山道を間者になった気分で進む。(小走りじゃなくても良い)
衣笠城址搦手へ到着したら、大矢部方面に向かうもよし、芦名方面へ向かうもよし。丸一日楽しめますね。
ぜひ、でかけてみてください。




PS.Img_3205
途中の山道に置いてあったベビーカー。道中誰にも会わず。ここはベビーカーで来れるような道ではない…。しかも、前から置かれてる感じじゃなく、さっき誰かがここにきてたという感じのベビーカー。
さっきまで飲んでましたというような、ペットボトルと赤ちゃんのお菓子も…。
まわりの竹やぶや草むらを探すも、人っ子一人いないし、気配もゼロ。
ひぃーっ!!!!

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2017年3月 7日 (火)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の参

あっという間に第三回目となりました!山城ガールむつみの寺子屋!!
奇数月の第4金曜の19:00から開催しておりますよ。
小一時間くらいの楽しいお話会です。
場所は浦賀駅徒歩2分の「クールクランカフェ」です。


金曜の夜にこんなにたくさんの物好きの方に来ていただき感謝。
始まる10分前に3人しか参加者がいなかったので、これはヤバイ!!…と青ざめていたら、なんとなんと満員御礼~!「ホッ」とひといき。
嬉しいことに毎回初参加の方が数名います。こうやってどんどん増えて行ってくれたら嬉しいな。歴史の楽しさをどんどん伝えられたらいいな。

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またまた山城の説明したり、雑談したり、本の紹介したり、三浦半島の中世の説明と山城の紹介したり。あとは日帰りで行ける山城めぐりのコース紹介したりと盛りだくさん!
基本小難しい話はナシ。歴史初心者…というより、まったく歴史に興味ない人、学生の時に歴史が大嫌いだった人にも聞いてもらえるように心がけてます。私自身が大学まで歴史大嫌いだったので気持ちわかるし。

今回の横須賀の城の紹介コーナーは「小矢部城」でした。
横須賀市民の5%くらいしか認知度がないであろう城址。開発される前の城の名残りがほんのりと分かる写真を見せながら紹介しました。結構、「へー…。ほー…。」と興味を持ってくれたような反応があり、よかったよかった。
城址だと言う認知度を上げないと、どんどん史跡破壊が進みますからね。まずは声を大にして吉田市長にお願いしようっと!この前、「自分の住んでる近くの山が山城に見えてきました」って言ってくれたので。


今回からの勝手に新コーナー。「山城ガールむつみのオススメの一冊」
私は子供のころから、本が大好きだったので、ぜひ本の紹介コーナーをやりたかったのです。ただ、「寺小屋」ということなので一応、歴史がらみの本を紹介しようと思います。さすがにハードボイルドや推理小説じゃ、ちょっとね…。
記念すべき一冊目は「横浜をつくった男 高島嘉右衛門の生涯(高木彬光著)」!!
これ、めちゃめちゃ面白いです。
冒険談のようなワクワクする歴史小説でした。高島嘉右衛門の若き頃の熱意と情熱。易聖・高島嘉右衛門のイメージをいい意味で覆す熱い小説になってます。
高島嘉右衛門の商人の部分をあまり知らなかったので勉強にもなりました。
当たり前だけど、明治につながる流れが江戸時代から脈々と続いてるんだなという人の繋がりや、出来事の連なり…また違う側面から歴史が見えてきたような。とてもいい小説でした。
後日談ですが、数人の方から買ったよ!とか、読んだらすごく面白かった!なんて連絡をいただきました。本が大好きだから、こういうの嬉しいな。次は何を紹介しよう!?と楽しみが増えました。

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今回はサプライズで何年も会ってなかった高校の友達が子供を連れて来てくれました。嬉しすぎてビックリ!しかも、子供さん(名前はノノちゃん)は小学2年生の女の子なんだけど、メモとってるーーー!!きゃー、緊張する~。終わった後にノノちゃんのメモを見せてもらったら、「山城は山全部がお城。仕掛けがいっぱい。面白そう、行ってみたい」と書いてあり、なんか感動!!ちゃんと楽しさが伝わってる!
高校の友達はバリバリの理系女子なんだけど、「歴史全く興味ないけど、面白かった。ついつい引き込まれて聞いちゃった」だなんて最高の御言葉。泣ける~。

さらにまた別の数年会ってない友達も来てくれました!サプライズが重なりビックリ!
彼女は元吉本興業の芸人さんで、元相方は有名な女芸人です。持つべきものは友達だ。

ということで、今回も笑いあり涙ありで楽しい一時間でした。

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次回の開催は3月24日(金)19:00からです。
奮ってご参加くださいまし。

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2017年2月10日 (金)

「いざ!大多和城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュース連載も気づけば8回目!!早い!あっという間の「其の八」です。
今回は「大多和城」です。
ではでは早速タウンニュースの記事を!!
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

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大多和城は横須賀市太田和にあります。今の地名は「太田和」と表記しますが、城名、名字は一般的には「大多和」と書きますね。
この太田和には地元ではとても有名な幼稚園があります。
実はこの幼稚園、知る人ぞ知るイルミネーションの名所なんです!!クリスマスシーズンになると、地元のみならず、遠くから人がわんさか訪れるほど!!
幼稚園全体が魔法の国のようにキラキラ!
ここは夢の国?と思わんばかりにイルミネーションで光り輝きます。しかもまわりは何もなくて真っ暗なもんだから余計にビックリするほどに目立ちます。
※これだけ言いながらイルミネーションの画像はありません。あしからず…

と、まぁ地元の人からすれば「太田和なんてイルミネーション以外何もないでしょ?」と。
でもでもでも!お城があるんですよ。
じゃじゃん!これが大多和城だい!

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はい。いつもどおりただの山な感じですね。標高20mちょっと。
それにしても青空きれい~。
今は山頂に福祉施設ができてしまって半分くらい壊されてしまいました。
まだ残ってる部分にガシガシ入っていきましたが、遺構はわからず。
ここは平安末期から鎌倉時代に大多和義久が築城したと伝わっています。義久は三浦義明の子です。なので、三浦義澄や佐原義連とは兄弟ですね。
義久はここの地をもらったので「大多和」を名乗りました。
ほかの兄弟は義春が「多々良」、義季が「長井」、義連が「佐原」、重行が「杜戸(森戸)」をもらってそれぞれ名乗りました。多々良は鴨居の浜に多々良浜ってありますがあそこですね。森戸は葉山ですね。


Img_1520現地にはこんな石碑と、

Img_1513こんな棒…もとい、標柱しか残ってません。何もないよりはいいけど。
ヤジロー山って呼ばれてるらしい。「矢城山」「弥二郎山」「矢次郎山」とか表記してる資料などあり、意味は不明。「矢」っていうと本拠地の「矢部」が浮かぶけど…。義澄は「矢部次郎」って呼ばれてたし…。うーむ…。


Img_1523山裾を流れる川。小田和川と言うらしい。
城山のまわりは田んぼ、湿地になっててこの川とともに防衛の役割だったんでしょうね。
城山の前の道路はまっすぐ三浦氏の本拠地、衣笠・大矢部に繋がってます。たった4km!ここがいかに重要な守りの要であったことが分かりますね。
この大多和義久は葉山の鐙摺城にも居を構えてたとされ、鐙摺城から海沿いを経て大多和城のあたりのルートを押さえていた感じかな。
ちなみに鐙摺城は葉山日影茶屋の目の前の山です。日影茶屋はサザンの歌にも出てきて有名でオシャレな感じですが、その目の前が実は城址だったんですね~。

この鐙摺城は頼朝の愛妾「亀の前」が逃げ込んできた場所として有名。
亀の前は吾妻鏡さえも絶賛したほどの人だったらしいですね。亀の前は伏見広綱の館にいたんだけど、正妻の政子に襲撃されて命からがら鐙摺城に逃げ込んだとのこと。
このことからも義久と頼朝の信頼関係も見えてくるような。
ほかにも頼朝が逗子の岩殿寺に参拝したときや、逗子の海に遊びに来たときも食事を出したりしたそうな。三浦義澄や佐原義連も一緒だったんだって。なんか想像すると楽しい。




Img_1514城山のまわりは今でもこんな感じに小川が。

吾妻鏡では、衣笠合戦の時に中陣に布陣したとされる義久。この大多和城がいつ築城されたかの詳細は不明だけど、衣笠合戦に向かうときにここで戦支度をしたかもしれないし、家臣たちに色んな指示を出したかもしれない。城の目の前から衣笠にまっすぐ伸びてるこの道を胸を熱くして進んだかもしれない。
なーんてことを想像して、こっちの胸も熱くなるのはやはり現地に行ってこそ。
ぜひ、ふらりと出かけてみてください。


ちなみにこの大多和氏。時代が下って、太平記に「大多和」の名が出てきます。兵6000を率いて、分倍河原の戦いで新田義貞に加わって勝利に導いたと。
大多和氏は和田義盛の乱と宝治合戦で北条方について生き残ってるからあり得なくもないような気がしてワクワクしちゃいます。
ほかにも横須賀の名家、永島家との関係もいろいろと面白くて。
その辺はまたの機会に。

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2017年1月31日 (火)

「いざ!歩け!佐原城&大矢部へ!」の巻(GGガイド其の壱)

横須賀市佐原にあるグリーンゴルフさんで、山城トーク&ガイドをやらせていただきました。
グリーンゴルフさんから、

「ウォーキングはゴルフと同じで健康にいい!しかもそこに山城&歴史が加わることによって、体力も知力もアップ!!一石二鳥!!なんてすばらしいんだ!!これぞ、一挙両得!!!ぜひ、うちでイベントをやってくれないか?!!」

…的な感じで声をかけていただきました。
ちょっとニュアンスは違ったかもしれませんが、私にはこんな風に聞こえました。嬉しいですね。

Img_0174左からグリーンゴルフの担当の西尾さん、私、キネシオテープ協会の鶴さん!!
…目が開いてない。朝早すぎるんですもの…。家を6時半に出たんですよzzzz



土曜の朝9時開始。たくさんの方に来ていただきました。30人!!
ありがたいです~。
今回はほぼ全員が初めて参加頂く方だったので、またまた山城ってなんぞや?みたいな話をしました。なんだかんだ、盛り上がって楽しんでいただけたような気がします。
「お姉ちゃんも随分と、けったいなもん好きなんやな~」
と笑われながら。(ま、ぞんな関西弁ではなかったけれども)

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今回は指し棒を忘れて、ゴルフクラブで進行しました。結構重くて、危うくスクリーンを傷つけるとこでしたが、ゴルフ場ならではの演出!!

ま、そんなかんじで1時間話しをさせてもらいました。


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そのあとのウォーキングの前に、キネシオテープというテーピングの講座がありました。
普通のテーピングと違い、固定して動かないようにするのとは違い、あえて筋肉と骨に隙間を作るらしい。で、血流をよくして、筋肉を保護するとの事。
アオアザが魔法のように消える!!すごい!!
いま、世界ではこのテーピングが主流になってきてるんだって。
そういえば、オリンピックで卓球の愛ちゃんがピンクのテープしてた。このキネシオテープってやつだったらしい。
私もジョギングとかテニスやるときに取り入れてみることにしよーっと。疲労が軽減されるらしいので。ま、体力が有り余ってるからあんまり必要ないような気も…。

と、いうことで歩け歩けスタート。
佐原城から満願寺、大矢部の史跡を巡り、大矢部城をチラ見して、グリーンゴルフに戻ってきました。


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「近くに住んでるけど、全然知らなかったよ」とかいう言葉ももらい、盛況のもとにイベントも終了しました~。

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次回は4月8日(土曜)に開催予定。詳細は未定!!カミングスーン!!

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2017年1月23日 (月)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の弐

横須賀の浦賀にあるクールクラン・カフェにて「山城ガールむつみの寺子屋」其の弐を開催させていただきました!!

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ハナキンの19:00!ビールの一番おいしい時間ですね。飲みながら聞いてる方も多数いらっしゃいました。私も飲みたいけど、終わるまで我慢我慢!

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初めて参加頂く方も半分くらいいたので、また「お城って何?」みたいな話をツラツラと。
あとは、山城で派手に転んだ話やなんだかんだ話して、あっという間の1時間。
途中、なぜか筋肉自慢の話になり、やたらと筋トレの話をしてしまいました。ま、膝の痛み予防にはスクワットしかないですからね!!スクワットさえやってれば、体は年を取りません!!
…脱線しすぎ!!

Img_0077次回の開催は
平成29年1月27日(金)19:00です。予約不要でフラリとおいでなさいまし。
よろしくおねがいしまーす。

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2017年1月13日 (金)

「いざ!神金城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースにて連載の三浦半島のお城シリーズ!!

新年一発目は…
さてさてどこのお城かな?

発表します。ジャジャーン!!
神金城!!!!

「神金」と書いて「かりがね」と読みますよ。
まずは、タウンニュースの記事を。

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神金城は横須賀市公郷にある城あとです。妙真寺の裏山。
ここ丘陵の南側の突端にあたって、このあたりじゃ一番高い部分です。
東西に谷戸が入り込んで、背後の丘との間は堀割ったようにガクっと落ちてます。

余談ですが、東側の谷戸は昔は屠牛場だったらしいです。このあたりには、「古敷谷畜産」があります。横須賀のみならず、たくさんのお肉を卸してます。昔、BBQのときとかお世話になりました。(ちなみに私の高校時代の部活の後輩が古敷谷畜産のお嬢さんでした)
このあたりがかつて屠牛場だったなんて知らなかったけど、それを聞くとここに古敷谷畜産があるのもなんとなく納得~。


すぐ近くにある県立横須賀高校には、かつての大寺院「宗元寺」がありました。
この公郷のあたりは久里浜湾に注ぐ平作川の流域で古代から交通の要衝でした。南側には古東海道が通ってたんですね~。
宗元寺は出土した軒瓦から推測するに、時代は奈良時代まで遡るとのこと!!!!
大寺院で伽藍は大和の寺々や国分寺とかと同じ方式と言われてるけど、確かなことは分かってないらしい。

ちなみに瓦が出土したのは現在の曹源寺や横須賀高校の敷地から。
さらにさらに、付近から土師器、須恵器も多数出土。かなりの数の人が生活してたよう。
「横須賀市史」によると…
出土した須恵器の中にはかなりの高級品も混ざってて、地位の高い人たちが住んでたと考えられる。豪族・役人のの居住地、役所のような建物が集まる栄えた場所だったのではないか…とのこと。

そんな立地に残る神金城の現在の姿は……
こちらっ!!
じゃじゃん!!
Img_1510_2これは西側の丘陵の公園から見たところ。はいはい、ただの山ですとも。


そして、これが石碑!!じゃじゃん!!Img_1507_2地元の人は城山を大事に思ってて、ちゃんと石碑を建てたんですね。


Img_1481妙真寺墓地から見た景色。どうせ、何も残ってないだろうとタカをくくって登ると、思いのほか、いい景色!!(曇ってたので写真は悪いけど)
あの盆地になってるあたりまで入江になってたんだ!!なんだか、一気に想像が膨らむ!!

Img_1484平場。明らかな人口の平場がひな段状になってる。

Img_1486この平場の下は街道。見張りの櫓台のよう。


Img_1498街道には庚申塚。横須賀で一番古いとのこと。


Img_1501西側の丘陵。ここを登り切ったあたりにも昔は広めの平場があったとのこと。


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城の最高部へと続く道。

Img_1512_003西側。昔は一面が湿地帯、水田だったらしい。


墓地からの直登は難しく、以前は入れたっぽい山道が「立ち入り禁止」で塞がれてました。草木もすごくて、こっそり入ることもできず…。

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北側は掘り切った感じでガクっと凹んでる。自然地形っぽい。その谷間に集落があって、なんだか不思議な雰囲気。そこだけタイムスリップしたような。畑になってる平地がなんだか怪しいし。残念ながら写真だと伝わらず…。ここは谷間になってて、両側は切り立った崖になってます。



Img_1499東側には水路~。ずっと続いてるであろうお屋敷も城山のふもとに。


Img_1490城の前には「神金豆腐屋さん」!!!!
「神金造園屋さん」などもあり、まだ「神金」の名が残ってることに感動。
字名では残ってるけど、地域に根付いて、生活の中に名残を見ると嬉しくなりますね。
お豆腐、おいしかったです。

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最後に現在の曹源寺に伝わる仏像を。建久年間(1190-99)に制作されたらしい。上野の国立博物館に展示されてました!

以前の大寺院、宗元寺は「南大門をくぐり中門を入ると金堂と三重塔が相対してそびえ、講堂が威容を誇り、これに連なって回廊があり、東面と北面に僧坊が建っていました。さらに北門を抜けると、高台に薬師堂があった」とされています。
まさに大大大寺院!!
でも、1333年に兵火を受け焼失。その後は衰退したそうです。それを1628年に再建したのが現在の曹源寺なんですね。

神金城に行くときはぜひ曹源寺にも立ち寄ってくださいね。

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2017年1月 6日 (金)

「いざ!歩け!小矢部城・衣笠城へ!」の巻(ガイド編)

またまた小矢部城・衣笠城コースを頼まれたのでガイドしてきました。
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小矢部城の脇の県道は横須賀の人なら、しょちゅう通ってる道。
なので、「実はあれが小矢部城です!」というと、「えーっ!?毎日通ってるけど知らなかったー!!」って、かなりいい感じにリアクションしてくれます。むふふふ。

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小矢部城はマンションになってるし、遺構なんかもないけど、私のお気に入りの城址。
なんだか好き。切り取られ方も、ほんのりと雰囲気が残ってる感じも、なんだか好きです。
かなり、丁寧に案内しちゃうので近くに住んでる人たちが、
「この人たちは団体で何を見に来てるんだろう?」
と、訝しがったりしてて。それもまた面白い。

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小矢部城の後は衣笠城へ。
今日は衣笠合戦の当日!!いざ!出陣!!
って、テンションでみんなでガシガシ歩きました。
「ロマンだね~」て喜んで来れる人もいて、和気あいあい。

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衣笠城でお弁当を食べ、満昌寺さんへ。
永井住職が忙しい中、本堂に上げてくれてお話ししてくれました。本尊の薬師如来は平成29年に34年ぶりの御開帳だとのこと。ちなみにこの薬師さんは薬王寺にあったご本尊。廃寺になった後に満昌寺に移されてんですね。

いつも通りに三浦義澄の墓、近殿神社などに立ち寄って解散となりました。
お疲れさまでした~。


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「いざ!2016城EXPOへ!!」パシフィコ横浜の巻

2016年12月23日から25日までの3日間、パシフィコ横浜にてお城EXPOが開催されました~。なんとクリスマスのスリーデイズ!!世の中にはこんなにクリスマスと無縁の人がいるのか?!と驚くほどの大盛況!!かく言う私もイブ、クリスマスと2日間も会場に行ってきました。

1階から5階までジオラマやパネルや各城団体のブース、講演会やワークショップまで熱気溢れて大賑わい!!大盛り上がり!!

城のキャラクターもたくさん来てて、子供連れも大喜び。やっぱり、ひこにゃん人気がすごいな。さすが。


Img_1305_2和歌山城!


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高知城からの…

Img_1332苗木だい!!
とくに意味はない。たくさんのジオラマから上手く撮れてたやつをピックアップ!!



まず最初のお目当てはトークショー。1階のホールにて。大盛況の満員御礼!
テレビなどでもお馴染みの千田先生、そして昇太師匠!&萩原さちこさん。
「山城の魅力を語る」ということで山城好きのあるある的な話とか大爆笑で大盛り上がり。
それにしても千田先生面白すぎます。師匠と漫才みたいでしたよ。
「ぼくたち顔が似てませんか?」とか言って。言われてみたらすごい似てるもんだから吹き出しちゃいました。この前も間違えられたとの事で、山城好きの正しい顔の系統はコレですって言ってました(笑

Img_1283崩れた熊本城の石垣から見つかった絵柄。見えるかな?薄いかな?
他にはニコちゃんマークみたいなのも見つかり、何の意味があるかわからないとの事。
積んじゃうとわからないとこに描いてあったらしい。
落書きみたいでカワイイ。



午後の講演は駿河大学の黒田基樹先生による「秀吉の小田原攻めの意義と背景」
黒田先生は真田丸の時代考証やってる方。黒田先生は、北条氏政が20回以上もドラマに登場したことを記念すべきことと言ってました。わたしはいつも頬にご飯粒をつけてる氏政がイヤだったけど、前半はかなり北条が重要なポイントを占めてたので言われればすごいことかも。全国的にも知名度が上がったのは間違いないな。

北条氏は西の人から見ても名門の巨大王国だったそうで。
小田原が秀吉に攻められて開城したとき、奈良の僧侶の日記に「うそだ、そんなわけない。きっとウソに違いない」って書かれるほど強大な一族だったらしい。
江戸時代の各藩の領国運営のシステムもそんなのとっくに北条氏は行ってたわけで。
内容の濃い講演でした。

最後はフォーラム「小田原攻めの実態に迫る」。
コーディネーターは黒田先生。出演は小和田先生、小田原城館長の諏訪間順先生、そして私の大好きな作家の伊東潤先生!豪華絢爛!!

諏訪間先生からは最新の小田原城の発掘報告など。発掘により当時の北条の状況や考えも見えてくるわけで。御用米曲輪の池と通路は本当に面白い。まるでローマの庭園のよう。元蔵堀で発見された階段も面白い!

小和田先生からは攻めた秀吉側の話。秀吉は大号令をかけることによって参陣するかを試し、それにより奥羽仕置が行われたんですね。
韮山城に関しては、秀吉側はそんなに本気で攻めてきてないと言ってました。包囲して抑えとけばよかったと。

伊東先生からは北条氏の領国内の反北条勢力の話。
佐竹氏、結城氏、里見氏、宇都宮氏など。完全に傘下に入れることができなくて小田原合戦に響いたとの事。ただ、それ以外はほとんどの国人が主力を連れて小田原城に入ってたので領国経営は上手くいってたとの見方。

そして、この伊東先生の話を受けて黒田先生が「今の話を聞いてこれから考えなきゃいけないなとハッとしたのは、彼ら国人衆は何が一番大事で戦ってたかという事。主力が小田原に来ている国人衆は、自分の国を守るというより主家さえちゃんとしてれば何とかなると思ってたかもしれない。その辺りを今後考えたい」と言ってました。
なるほどなるほど。とっても勉強になりました。


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講演の合間に会場をぐるぐると回ってると…
「ぽち城」というブースが。「ぽちっと東国の城」というアプリがあるそうな。復元イラストで城を楽しむアプリだとのこと。ただの雑木林も想像力をもってすれば、たちまちワンダーランドに早変わり!!ということで、このアプリをもって土の城にいってみよう!!というやつです。
精巧な復元図を拡大したりしながら楽しめるので、現地でもってこいですね。
こんなオリジナルグッズもいただいてしまいました!!
わーい。

Img_1411パンフレットがたくさん。見てるだけで旅行気分ね。



ということで、二日間にわたり楽しんできました。いろんな方に紹介していただき、またまたたくさんの城仲間が増えました!感謝感謝!みなさん、とても精力的に頑張ってて刺激になりました。

Img_1412神奈川も楽しいパンフがいっぱい!!

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「いざ!城郭検定!!」準一級の巻

城郭検定を受けてきました。

第九回 準一級です。もう9回もやってるんですね。
前から気になってはいたものの、よし!受けるぞ!という気合が入らず…。
やっと受ける気になったので。とりあえず、準一級を。

なかなか勉強するのにいい機会でした。
思ってたよりも知らないことが山盛りで、勉強になりました。

私は建築関係が苦手なので、
どこどこの門はどこの城から移築されたものか?
L字型をした特異な二重櫓はどれか?
現存する最小の三重櫓はどれか?
などなど。こういうの苦手~。

でも、城郭以外にも歴史の問題も多くて楽しみながら勉強できました。日頃、知ってるつもりで実は覚えてない事とか結構あるから、ちゃんと真面目に勉強できてよかったです!!

準一級に受からないと一級は受験できない仕組み。
いつか一級も受けてみよーっと。


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2016年12月20日 (火)

「いざ!歩け!浦賀城から怒田城へ!」の巻(ガイド編)

今回は歩け会のお話。
先日、20人で浦賀城~怒田城、そしてペリー公園を歩く会のガイドをさせていただきました。途中、点々と史跡めぐりをしながら15kmほどのウォーキングになりました。見どころ満載!!立ち止まり立ち止まり、和気あいあいと進みました。

まずは浦賀城を目指し出発。途中、乗誓寺→東耀稲荷→専福寺→法幢寺と立ち寄りました。

乗誓寺の開基は了源。あの仇討ちで有名な曽我十郎祐成のと虎御前の子だそうです!!元は平塚にあったけど、1469年ごろに戦火を逃れて浦賀へと移ったとのこと。そして、その後も曽我一族が代々住職を継承し今は25代目に当たるとの事です!!
すごーい。

Img_8421_3境内には本願寺第八世蓮如のお手植えの樹と伝わる大きな銀杏の木もありまーす。


お次は東耀稲荷。こじんまりとした社は1782年に建てられました。もとは裏手の顕正寺にあったそうです。ここは瓦と格天井などの彫刻に注目です!!
Img_8408瓦の上に大黒様と恵比寿様が乗ってます。なんとまぁ、かわいい。


商人商業の町であり、小田原に次ぐ都市だった浦賀。腕のいい彫師を呼んで彫らせた彫刻や鏝絵などが点在していて、みどころ満載です。
鏝絵は左官職人が使う鏝で漆喰を盛ったり塗ったりして描いた漆喰芸術です。「伊豆の長八、三浦の善吉」と呼ばれ称された石川善吉の鏝絵も多数残っているのでーす!


東耀稲荷の裏山がすでに浦賀城です。見上げてるだけでワクワクしてきます。城は何回来ても楽しいですね。結局、私がガイドしながら一番テンションがあがってます~。


Img_8406専福寺には小林一茶の初恋の人のお墓があったそうです。一茶も墓参りに来ていて、一茶の日記にもそのことが書かれています。今はその墓が残ってないので、石碑だけが境内にあります。
一茶、芭蕉、広重なども浦賀にはたびたび来ていて、交通の要所だっただけでなく、文化や芸術も盛んだったことがわかりますね~。


法幢寺で鏝絵を見て、浦賀城へとずんずん進みます。
法幢寺、東林寺辺りは浦賀城の曲輪の一部として機能してたと思われます。


お待ちかね!!浦賀城です!!
じゃじゃーん。東叶神社から登っていきます。対岸の西叶神社から、1692年に分かれました。元は修験道の山だったとの事。境内には源頼朝寄進の蘇鉄もあります。
さてさて、お参りを済ませたら一気に階段を上りますよ!!


結構、のぼり甲斐があります。何段あったんだろう?途中まではいつも数えてるんだけど…。みなさん、息を切らせながら登ってきてくれました。標高50m程度ですが、上まで休みなしだと結構疲れますね。でも、汗かきながらみんな楽しそう。


天気も最高で、里見の房総が丸見えですぞ!
…すごいいい景色の写真撮ったのに見つからない(泣)

本当はこの下あたりに、幕末の浦賀台場があったんだけど今は跡形もなし。砲台を設置する前にこの台場は場所が変更になってます。ちなみにペリーの応接所は久里浜のペリー公園じゃなくて、当初はここに浦賀応接所を設ける計画だったとの事。
Img_8688ペリー公園の資料館にあった浦賀応接所の計画図。



勝海舟断食碑の裏から浦賀城探索開始!
足場が悪いので、行ける方だけ行きましょう!と声掛けしたら、ほぼ全員ついてきてくれました。みなさん健脚で素晴らしい!!
と、いうことで自然地形を生かしたような谷に下りて、井戸を見てから堀切へ。
ここは私の大好きなスポット。美しい!この堀の断面が美しすぎる~。手作り感がたまりません!
言葉は不要です。写真をご覧じあれ!!
Photoわーい!


2うひょー!




ということで、ある程度うろちょろして下山。
今度はワクワクのポンポン船で対岸に渡ります。200円であっという間に向こう岸へ。
何回乗っても楽しい渡し舟。このルートって水路じゃなくて横須賀市道なんですよ。おもしろーい。
2_2



陸軍引き揚げ桟橋、船番所跡、為朝神社、川間町内会館の鏝絵、浦賀奉行所、十六天神社の鏝絵を見てから愛宕山へ。

3戦争が終わって、数十万人が引き揚げてきた桟橋です。向こう側は浦賀城。




1浦賀奉行所の堀、水路。




6当時使ってた伊豆石。現地案内板には「今となれば当時の名残りは表門の端に使っていた4~5枚の伊豆石」との表記。その後、さらに見つかったのか「7~8枚」に訂正されたそう。でも、10枚ちょっとあったけど?おかしいな…ま、いっか。





愛宕山でお弁当タイム。……ちゃんと整備してくださいよ。ここから咸臨丸を眺めて無事を祈った場所ですよ。与謝野晶子もここから当時を思って詩を詠んだんですよ。
全く海が見えませんがね。木が邪魔や!海に向かって置いてあるベンチが宝の持ち腐れや!!
もったいなさすぎ。しかもここ、横須賀市最古の公園ですよ。明治24年、浦賀園として開園したんですよ。史跡扱いしてよー。
と、文句言いながらおにぎりを3つも食べました。
Img_8392_2雰囲気のある入り口。明治24年当時は「浦賀園」って言ったんですね。




さて、次は西叶神社→東福寺→常福寺→御林→真福寺と抜けて、怒田城へと向かいます。

Img_8681ラッキー!!廻船問屋の宮井商店にて、「ペリーの鍋と水牛の角」を見れました。開けてくれてる時と開いてない時があるので見れたらラッキー!!ブラタモリでも紹介されてましたね。


西叶神社では後藤利兵衛の彫刻が堪能できます。
力士やフクロウなどの彫り物もあるので探してみてくださいね。
あと、柱に隠れたカワイイ狛犬も探してみてね。
社務所には鏝絵もあり、ここは三浦半島の「ええじゃないか」が端を発した場所でもあり、みどころいっぱい。

さてお次は東福寺。東福寺は浦賀奉行が交代すると必ず参拝に来ていたお寺。
本堂には鏝絵がどーん!これ彫刻じゃないんですよ。漆喰を盛ってこんなに立体的に!すごいなぁ。
4鏝絵。


5本堂の中には酒井抱一の亀の絵。抱一は姫路酒井家の次男で、琳派の祖ですね。私も大好きな絵師です。
稲荷堂の龍の彫刻は後藤利兵衛、観音堂の龍は波の伊八として有名な武志伊八郎信由と言われています。
すごい迫力!!
伊八は宮大工、利兵衛は仏師なので伊八は木目を隠して繊細、利兵衛は木目を強調して豪快といった感じに甲乙つけがたいほどの龍でした。

少し行くと浦賀奉行の交代式をした常福寺。その手前にはその式の時に渡ったと伝わる橋があります。


当時の水路の名残りなどを見ながら御林へ。
ここは江戸幕府の直轄林で、古くからの古道「うらがみち」でもあります。今でも切通のような雰囲気のある道が残っっています。

Img_8032



御林を抜けると真福寺。
マリア観音と伊八の彫刻があります。(拝観は要予約)

そして、後半の目玉!怒田城へ。
お城推定範囲だったところをグルリと歩いて登城。
地図と縄張り図をみなさんに配りました。これで、妄想開始の準備万端!
詳しいことは、当ブログの怒田城の巻を参照くさいませ。

みんなで下を見下ろして、いろんな想像をしました。当時は一面が海だったこと、衣笠・大矢部方面から三浦一族がこの怒田城に逃れてここから安房に向かったこと。そんな話をしながらあたりを見渡すと当時の姿が浮かび上がってくるような感覚を覚えました。
縄張り図片手にいろいろと感じ入っていただいたようで、わたしも嬉しく楽しくなりました。思ったより、夢想コーナーでは盛り上がりましたよ!

Img_8697天気も良く楽しかったです。若い参加者も増えて嬉しいですね。


そして本日の歩け会も終盤戦へ。
まずは宗円寺へ。ここでのお目当てはが鎌倉景正が彫ったと伝わる両面仏です。後三年の役で目を射抜かれて失明した景正が治癒を願い、彫ったとされる石仏です。触るとご利益があるそうな。



Img_8037_2そして、最終目的地のパリー公園へ。無料の資料館があります。
結構、展示内容がいいのでオススメですよ。

と、いうことで今日の旅はここでおしまいです。
18km、28000歩でした。みなさま、お疲れさまでした!!


実はこのガイドの前日にお城仲間とほぼ同じコースを回りました。みんな都内などから片道2時間くらいかけてきてました。それで、浦賀城をはじめ史蹟を楽しんでくれました。歴史・城めぐりに慣れてる人たちでも喜んでくれる素晴らしい史蹟が三浦半島にはあるんだなーと再確認しました。もっともっと、地元の人にも遠くの人にもたくさん知ってもらえるように頑張ろうと決意を新たにしました(^^)v

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2016年12月 8日 (木)

「いざ!小矢部城へへ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースにて連載の三浦半島のお城シリーズ!!
今回はジャジャーン!!
小矢部城!!!!
ではでは、ドキドキワクワク!クリックどうぞ! 

タウンニュース連載記事でーす
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Image1


今回は小矢部城。ここは地元でもかなりの難度!全然知られてないの。
友達に聞いても誰も知らなかったな~
という私も横須賀に住んでるときは知らなかったし…


衣笠十字路から衣笠インター方面にテクテク歩くと左手にポツンと残った山が見えます。白っぽいマンションが建ってて。

 

Img_0119
これです。

これが小矢部城。小矢部城の名残りです。3分の1くらいしか残ってない感じ。
ま、普通に見たらただの山です。ではでは、遺構を探しに行こう~

ここは昭和40年ごろまで良好な状態で遺構が残ってたそう。写真を見ましたが、見事に5段に平場が造られてました!!しかも今残ってるマンションの建つ丘が一番低い側の平場。だん!だん!だんっ!と高い平場が続いてたとは…想像するとゾクっときます。

その平場に建ってるマンションは「城山ハイツ」って名前なわけなんですが、どうしてもその残ってる平場の具合が見たくて、登ってきましたよ。マンションに。ん?不法侵入?どうか、内密に。
そしたら、やはり残ってるじゃないですか?!異様な光景が広がってるじゃないですか?!
このマンションは4階建てなんだけど、4階まで上がると目の前に平場!目の前に平の空間!え?だからなに?
いやいや、だからね、ここは4階なわけなんですよ。なのにまるでお庭のような空間が目の前にあるわけです。

Img_2608_2
びっくりしました~。感動です。
草がボーボーで、なんとなく平場な感じがわかるくらいなんですけどね。それでも十分テンションあがります。




Img_2609_2
4階の廊下から見た平場。ね?なんか変でしょ?

Img_2615_2
水路。

Img_2604_2

くねくねと幾重にも折れ曲がる細い道。楽しいぞー!



周りをぐるりと歩くと、怪しげな水路あり、細いクネクネした道もあり。ググっと高まりますね。
周りには「的場」という小字も残り、「木戸ぎわ」、「もとやしき」と呼ばれる地名も残ってるとの事。かつての城山の頂部には、凹状の土塁で囲まれた狼煙台、櫓台のようなものも確認されてるらしいです。

今は残ってないけど、「さわせき」と呼ばれる池があったようで、それが堀の名残りだったんだとか。歩いてみたけど残念ながら名残は分かりませんでした。
よくもまぁ、と思うほどに切り崩されて住宅地になってます。

細かいことは不明ですが駅も近いしフラリと巡るには楽しい城です。ぜひ、行ってみてくださいね。

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2016年12月 5日 (月)

「いざ!逆井城、下妻城、結城城、飛山城へ!」の巻(日帰り出陣編)

日帰りで行く茨木・栃木あたりの城めぐり!
車でピューンと行ってきました!日帰りだけど、お城たくさん回れましたよ!!
ドキドキワクワク!クリックどうぞ!
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Ibarakitochigi


早起きして、まず向かうは逆井城。「さかさい城」と読みますよ。きれいに整備されてて、とても評判のいい逆井城。来よう来ようと思ってましたがやっと来れました~。

Img_8718_2中世城郭の櫓の復元は珍しいので見ていて楽しいですね。そしてこの堀も垂涎もの!!



逆井氏はもとは小山氏。逆井氏を名乗ってここに城を建てたわけ。古河公方に仕えてたんだけど、1536年に北条側に攻められて落城ということになってます。で、北条氏繁が大改修していまのかたちになったそうです。
このとき、藤沢から大鋸引き職人を呼び寄せて作業にあたらせました。藤沢に「大鋸(だいぎり)」という地名が残ってますから、あそこから来たんでしょうね~。ちなみに氏繁は玉縄城主でもあり、奥さんはあの七曲殿ですね。玉縄城にある七曲坂のあたりに屋敷があったんですね。

関八州古戦録によると、風魔小太郎の孫右衛門が配下300人を連れてこの城にいたとかいなかったとか。

とにかく、復元整備が素晴らしいですね。ちゃんと、時代に合わせた復元の仕方で、中世の城と観光の希望が持てる感じに仕上がってますね。
変な天守とか建てずに誠実だわ💛


Img_8725井楼櫓も!!



Img_8737虎口。

Img_8754_2堀とかも整備されてて見やすい!一部の土塁、堀は手つかずで当時のままの姿だとか!すごい!うねうねとした土塁、堀は攻撃性も抜群!

Img_8753土橋~



Img_8790本曲輪の堀!!


Img_8752_2堀底。「鐘堀池」というらしい。逆井氏が後北条側に攻められたとき、先祖代々の釣り鐘を抱えて飛び込んで自害したとか。


Img_8733土塁~。櫓台のような箇所もあり。



Img_8740北側には当時は飯沼が南北30kmにも広がって城を囲んでおり、後堅固の城だたんでしょうね~。今は川になってます。





お次は下妻城へ。…と思ったら、気になる看板発見。
「日本3大新長谷寺」
ふむふむ、行ってみることにしよう。

Img_8818_2
案内板によると、結城朝光が1332年に鎌倉から持ち帰った十一面観音を安置するために建立したそうな。見たーい!
ということで、受付と書いてある小屋のインターホンを押すも応答なし。お守りとか売ってて、ドアも開いてるけど人の気配なし…。残念。旅路を急ごう。


車で10分くらい行くと、道沿いに堀が!!すごい立派な堀と土塁!!え?なになに?寺?
ということで、また寄り道ね。

Img_8825_3突然の堀の出現に大興奮!!

Img_8832土塁も!!!!

Img_8822_2東持寺。「中世武家屋敷跡・山河氏館」って書いてある~!ラッキー!いいとこ見つけましたね。
結城氏初代朝光の4男、重光が山河氏の祖。
ここが居館だったんですね。鎌倉幕府の有力御家人だったそうです。
居館の大きさは南北172m、東西134m!
堀と土塁がいい感じに残ってます!!
1565年に綾戸城を築いて移ったと案内板には書いてありました。鎌倉時代の板碑などもあり、名家だったことがわかりますね。


Img_8834_2参道が馬場だったとのこと。ここで馬の稽古をしてたらしい。



やっと、下妻城に到着。
地元では多賀谷城と呼んでるらしい。多賀谷氏の居城。
かなり広い城域を持ってた下妻城。南北2.5キロ、東西1.5キロですって!
常陸国西部最大の都市だったんだってー!
いまはかつての城の中心部が公園になってます。公園内は石碑が建つのみで遺構はなし。相原山の方に土塁が少し残ってるらしいけど、時間がないので次へ向かう。

Img_8708_2多賀谷城と書かれた石碑のみ。



次に向かうはここもずっと来たかった結城城!!!!
結城合戦の舞台!それと、前に結城秀康の小説を読んでからずっと来てみたかったのだ!あんまり遺構はないのかなーと思ってたら、なになに!残ってるじゃーん!
空堀がどーんと!

Img_8836_2西館との間の堀!!広い!


Img_8847虎口かな?


Img_8849_2進んでみるとやっぱり虎口!

Img_8840堀は途中で切られて道路が作られて、ポンプ場になってました。


空堀は一部がポンプ場になっちゃってるのは残念だけど、台地に残ってる城あとを十分楽しめます。ここで幕府・上杉軍相手に一年ちょっとも戦ったのか~。
ぐるりとまわりを歩くと空堀!!!!

Img_8852_2これはすごい!がしかし!写真じゃわからん!
竹とか切ればものすごい空堀が絶景なのにな~。もったいないお化けが出るよ。


低湿地に囲まれて、大堀に囲まれて櫓も建ってたらしい結城城。
整備されてる城址公園で、コーヒー飲みながら、しばしホケーっとしてしまいました。
いかんいかん、日が暮れちゃう。次へ移動!

ちなみに秀康が越前に移封された後は廃城になるも、この地に入った水野氏が城の再興を願い出て再築城されました。幕末、佐幕派が結城城に籠り、新政府軍に攻められ落城しましたとさ。



びゅーんと栃木までひとっ飛び!
着いた先は飛山城。ひとっ飛びして着いたのが飛山城!ウケる~。
ふざけてる場合じゃなくてね、この城は整備されててすごいです!!
歴史体験館の展示も充実。お願いすると、7分間くらいの映像も観せてもらえます。しかもこの歴史館は無料。よっ!太っ腹!!
トイレもきれいで助かりますね。
ボランティアの方がガイドもしてくれますよ。今回はせっかく声かけていただいたのに、時間がないので断ってしまいました。ごめんちゃ。


Img_8859歴史体験館にあった模型。

Img_8864_2さらにジオラマ!楽しい~




鬼怒川沿いの丘の上に築かれてるこの飛山城は古来、重要な水運の要衝でした。常滑甕が出てたりもしてます。芳賀高俊が13世紀後半に築城したと伝わり、出土する遺物と一致してるらしいです。
芳賀氏は宇都宮氏の重臣。
宇都宮氏は坂東一の弓取りとうたわれ、楠正成は「紀清両党は、戦場で命を捨てることを何とも思わない」といって戦いを避けたと太平記は書いてます。きなみに「紀」は益子氏、「清」は芳賀氏のこと。


Img_8894_2虎口。きれいに整備され美しい。

Img_8893_2櫓台。


Img_8895ぐるりと空堀。

Img_8907_2二重の空堀の内側の堀。


Img_8919_2復元の掘立小屋と土塁。


Img_8925_2堀と土橋。


Img_8936_2ほんのり堀。これは発掘前の堀の状態らしい。廃城時に埋められた様子のままあえて復元せずに残してる。面白い。


Img_8964_2規模が大きい~!見知らぬチャリ人が余計に規模の大きさを引き立たせてくれてラッキー!


Img_8965_2ひゃー!!楽しい!


1341年に南朝軍に攻められ、落城。そのあともいろいろあって…。
今残ってる城の姿は1557年に佐竹義昭が5000の兵を率いて在陣したときに整備したものですって。宇都宮城が北条側に取られて、それを取り返すために佐竹義昭が飛山城に入ったそうな。今の遺構はこの時のものと考えられるらしい。
1590年小田原征伐後に廃城。

Img_8950向こうには日光連山、那須連峰も見えて絶景なり!もう雪の帽子が…。え?見えない?写真が下手すぎ…。
なんと、富士山まで見えるって!(今回は見えなかったけど)
そして、見下ろす鬼怒川も絶景なり!
おー!向こうに勝山城も見える~!
景色観てるだけでも楽しいですね。この城、とても気に入りました!!


ちょっと行ったところに同慶寺というお寺があります。飛山城築城の際に一緒に建てられたお寺らしいです。支城、居館、詰城なんて言われてて、飛山城と深いつながりがあることが推察できますね。芳賀氏のお墓もあります。


Img_8966堀とかあんまりわからなかった…残念。



暗くなってきたので、最終目的地の宇都宮城へ。
日光街道と奥州街道が通る要衝に位置する宇都宮。
宇都宮城は日光参拝に行く将軍の宿泊場になり、本丸には御成御殿がありました。
戊辰戦争では戦地となって城下町ともども焼失しちゃいました。
今の復元は本丸の一部。この下の模型の左部分です。
Img_8971土塁の城ですが、門には石垣を使ってたんですね。絵図にしたがって復元してるらしく、本丸の大きさも土塁もほぼ当時のままとか。でも。土塁にエレベーターつくるなら枡形を復元してほしかったな。復元に35億かかったんだって。

Img_8981土塁の上の櫓は好みです。少し暗くなってきて、本当に土塁が美しかった!!

Img_8987駐車場近くにあった当時の堀の名残り。


朝五時に出発したのでたくさんのお城に行けました。
帰りはベタに宇都宮で餃子を食べて帰ろうかと思ったけど、自転車ロードレースのJAPANCUPの開催日でどこも長蛇の列で餃子は断念…。冷凍餃子を買って帰りましたとさ。

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2016年11月11日 (金)

「いざ!三浦一族の聖地、衣笠城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

 

タウンニュースにて連載の三浦半島のお城シリーズ!!
今回はジャジャーン!!
衣笠城!!!!
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Kinugasa


タウンニュース連載記事です!
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Photo_2


衣笠城址というと、地元の人は花見客で賑わう衣笠山公園を思い浮かべますが、あの桜の名所は城址ではありません。衣笠城があったのは衣笠山公園より衣笠インター方面に1キロほどの衣笠山です。
横浜横須賀道路の衣笠インターを下りると「衣笠城址前」という信号があります。まだ歴史にも城にも全く興味がなかった若かりし頃の私は「城址?なにこれ、お城なんてないじゃん。変なの」と思ったものです。

でも、衣笠城は日本城郭史上有数の名高いお城なんですよ。源平争乱
期に登場するし、草創期のお城を考えるうえで極めて重要なお城なんですね。
重要な城なのは確かなんだけど、重要な城だけにいろんな説が飛び交ってまして、わたしの頭と心もモヤモヤ&ザワザワするわけで。
 

Img_0495_8山頂にある石碑



まず、今まで語られてきた衣笠城のお話を。
山の中腹にある大善寺の縁起によると、衣笠城は前九年の役で源義朝に従って功をあげた平為朝が三浦の地を与えられて城を築いたということになってます。

衣笠城が歴史の舞台に登場するのは1180年源頼朝が伊豆で挙兵したとき。
挙兵に応じて石橋山に向かった三浦一族は途中で暴風雨のせいで合流できず、本拠衣笠に引き返します。その途中で畠山重忠軍と遭遇し合戦に及ぶも競り勝ち、無事に衣笠に戻ってきます。しかし、畠山重忠らが攻めてくるとのことで衣笠城に臨時の防御を施し、迎え撃つことになったのです。

そのときの守りのフォーメーションは…。
大手に当たる東木戸口は三浦義澄、佐原義連。西木戸口は和田義盛、金田頼次。中陣は長江義景、大多和義久。
と、まぁ豪華な面々。
だけど、奮戦するも力及ばず。
すわ!落城か!
というときに棟梁の三浦義明を残し一族は脱出し、安房にて頼朝と合流するわけです。一族を無事に城外に逃がした義明は城で壮絶な討ち死にしました。


吾妻鏡によると、衣笠合戦の経緯はザッとこんな感じ。
さらに、「源平盛衰
記」によると、もっと詳しく楽しく描かれてて。

「木戸を三重にしろ!一の堀には橋を広く渡せ!中の堀には細い橋を。二の堀には逆茂木を立てろ!」
なんて感じに盛り上がってます。臨時的に防御施設を整えようとした感じですね。



Img_4764_5大手道を上がっていきます。源平盛衰記の一節を思い浮かべながら歩いていくと、ゾクゾクしますね。段々になってて、とてもそそられます。


Img_0466大手道途中、なんだか怪しい感じね。



Img_0461_2旗を立てたと伝わる大岩。民家の庭の奥にありますが威容を誇ります。



Img_4751_2中腹にある大善寺。三浦一族とゆかりの深い寺。



そもそもこの衣笠山は信仰の対象の山だったんですね。大矢部方面から見ると山の形が綺麗なので、それで聖なる山に選ばれたのかな?
大正8年には物見岩の周辺から経塚が発掘されて、経筒や鏡、中国製の白磁の合子とかいろんなものが出てきました。高級な舶来品であることから、三浦氏が経塚を造ったのは間違いなさそう。このあたりは平安期の金峯蔵王権現社や不動堂があり、まさに三浦の聖なる地なわけですね。

Img_0497経塚が見つかった物見岩周辺。岩の周りには堀切と言われれば堀切っぽいものが。




Img_0502物見岩の上には祠。


では、衣笠城を語る上で何が問題かというと…。
なんと、衣笠城址に城郭遺構が残ってないということが問題なんです。
えーーーーっ!!そうなの?
そのため、最近では「伝衣笠城」などど書かれることもあり、伝承の域を出ないという扱いに変わりつつあるんです。今までの定説では三浦半島のほかの城たちは、「衣笠城を守るように馬蹄型に配置された支城群」なんて言い方をされてたんですけど、そもそも衣笠城って城なの?ってことになってきてる訳なんです。

Img_0480平場も何だか微妙…土塁と言われてるものは城郭遺構っぽくなく、寺の名残りか公園の整備をしたときのものっぽいな。


Img_0479大善寺から上がる階段。


Img_0508一応、搦手と言われてるあたり。



ざっと大まかに説をあげると

①三浦一族の本拠地衣笠城だ!!

②あくまで信仰の山だ。だけど、衣笠合戦ではここに籠り、防御施設をつくり、畠山軍を迎え撃ったんだ!恒常的な城ではないけど、合戦地なんだ!

③衣笠山は信仰の山だ。衣笠合戦もここではなく、大矢部の地だ!
…などなど。というかんじに入り乱れてます。


いろいろ読んだり調べたり、「軍機密」って書かれた地図を見たり、何度も現地に行ったりして考えたけど、私としては衣笠城はやはり信仰の山であり、城ではないと思う。だけど、衣笠合戦で籠ったのは衣笠城址と言われてる衣笠山なんじゃないかなと思います。逆茂木程度の簡単な防御を築いて迎え撃ったんじゃないかな。

大矢部が本拠地の三浦一族。
大矢部の今の清雲寺の台地に三浦の館があったとして、そこで立て籠もって戦ったのなら、あのあたりの場所を吾妻鏡は「衣笠城」って言わない気がします。衣笠山に臨時的に籠って戦ったから「衣笠城」って言葉ができたんじゃないのかな。そんなことをつらつら考えて今年も暮れていきますね。
どこで戦ったんだろう。あー!タイムスリップして見てみたい!!タイムマシーン、プリーズ!!!!!


先日、ある会のガイドで、横須賀のとある博物館を訪れて、学芸員の方のお話を聞かせてもらった時の事。
その学芸員の方が、衣笠城の模型の前で、「衣笠城は城って言いたくない!城郭に見えないもん!」と言い放ってました。そして、その一言だけ言うと、衣笠城の話は何一つせずに、終わり……。
事情が分かってる人は言ってる意味が分かりますが、そのときその場にいたのは「山城って何?天守閣がなくてもお城なの?よくわからないけど、山城めぐるりしてみようかしら」みたいな、今から山城を廻ってみようとしてる人ばかりだったので、みなさん困惑してました。
え?城あとじゃないの?じゃ、ただの山なの?歴史的に意味がないの?どうゆうこと?って。

なんだか愛のかけらもない言い方に聞こえて悲しくなりました。
だって、「城郭」じゃなくても衣笠山に歴史があったのは確かな訳で。三浦一族の信仰の山であり、衣笠合戦のときにもあそこに立て籠もった可能性は大いにあるし。城郭として否定するなら、あんな言い方じゃなくて、ちゃんと初めての人たちにもわかるように経緯を説明してほしかったな。
「城郭」かどうかだけではなく、ちゃんと歴史があったことを。
歴史の楽しさを伝えないから歴史に興味のない日本人が増えちゃうんだと思う。…と、ブツブツ言ってみたりして。

と、まぁそんなこんなで、衣笠城&大矢部城の周辺のガイドコースをご紹介して終わりとしますね。
コースの詳しい内容は一番上の手書きプリントをご参照くださりませ。
この辺りを歩いてるとゾクゾクしてきますよ!ぜひ、お出かけください。



JR衣笠駅

衣笠城

小矢部城

衣笠城

摩崖仏

満昌寺

近殿神社

三浦義澄墓

清雲寺

大矢部城

腹切松公園

京急北久里浜駅





 

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2016年10月23日 (日)

「いざ!お城EXPO2016へ!!」の巻

お城好きの皆様、イベントの告知です!
さてさて、2016年12月23日~25日までの3日間、パシフィコ横浜にて「お城EXPO2016」が開催されます。
世間はクリスマスシーズンの真っただ中ですが、城好きにはそんなものナンセンス!!!!
サンタなんて関係なし!!かわりに昇太が来ます(笑)

お城大好きの春風亭昇太さんがお城の魅力を語ってくれます。
他にも豪華ゲストの先生たちが勢ぞろい!!
あんな先生やこんな先生まで!すごすぎます!!

このイベントは最近城の魅力に憑りつかれた方から、コアなファンまで一緒に楽しめるオススメのイベントです。
ぜひとも、お城EXPOにいざ出陣!!

詳しくはこちらをクリック!!ぽちっとな。
↓  ↓  ↓  ↓

http://www.shiroexpo.jp/



【『お城EXPO 2016』概要】

名  称:お城EXPO 2016

開催日時:20161223日(金・祝)~1225日(日)10時~18時(入城は17:30まで)

開催会場:パシフィコ横浜 会議センター(神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1

内容:

<テーマ展示>

・浮世絵に見る攻城戦展

・厳選城絵図&お城模型展示

・日本100名城写真展

・熊本城復興支援コーナー

・お城シアター

・お城EXPO検定

・城めぐり観光情報ゾーン

・城下町 特産・名産品即売会

・お城EXPOフォトコンテスト

・ワークショップ   ほか

<厳選プログラム>

お城のスペシャリストたちが登壇するここでしか聞けない貴重な講演会・フォーラム・トークショーなどの厳選プログラム。1224日(土)に開催するトークショーでは、春風亭昇太さんにご参加いただき、城郭考古学を専門とする考古学者の千田嘉博さん、城郭ライターの萩原さちこさんとともに、お城について熱く語っていただきます。

 

主  催:お城EXPO実行委員会、公益財団法人日本城郭協会、株式会社ムラヤマ、

株式会社東北新社、パシフィコ横浜

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2016年10月21日 (金)

「山城ガールむつみの寺子屋!」の巻 其の壱

始まりましたよ!!
山城ガールむつみの寺子屋!!
奇数月の第4金曜の19:00から開催されることになりました。
小一時間くらいの楽しいお話会です。
場所は浦賀駅徒歩2分の「クールクランカフェ」です。


ビールを飲んでる人も、オムライスを食べてる人も、ケーキを食べてる人もいます。
真剣にメモを取ってる人もいますよ。熱心で有難いことです。
ハナキンに歴史会に参加してくださるみなさんに感謝です!
贅沢を言えば私もビール飲みながらお話ししたい…なんちゃって、えへ。

Img_8074


話の内容は、まぁいつもな感じです。カフェなので、いつもより砕けた感じで笑いあり、涙あり。(…涙はないか)
いろんな山城の写真を見せたり、雑談したり。ま、ほとんどが雑談ですね。
シリーズ企画なので、ネタ切れしないように小出しに小出しに。(え?せこい?)
もっと勉強して、興味深いお話ができるように頑張りまーす!!
一応、最後に三浦半島の城を一つ二つ紹介するつもりです。
一回目の今回は怒田城の説明をさせてもらいましたよ。

Photo


それにしても、30人ほどの参加者!!なんと、満席!!すごーい、うれしー!!
次回以降、ガラガラだと寂しいのでまた来てくださいね。予約なしでフラリと来ていただいて大丈夫なので、ぜひともご参加くださいまし。

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次回の開催は11月25日(金曜)19:00ですよ!!
奮ってご参加おまちしてまーす!!!!!!!!

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「いざ!ラジオの世界へ!!」の巻(ラジオ出演編)

今回は「祝ラジオ出演!!」のお話です。
先日、FMブルー湘南(78.5MHZ)にて山城の魅力をお話しさせていただきました。
ラジオで山城?!すごーい!しぶーい!!

DJの金子初音さんは「灯織」さんという名前で、シンガーソングライターとしても活躍されている方です。いろんなところで、ライブやイベントをされてます。素敵な歌を歌う歌手さんです。
歌も素晴らしいですが、話術が素晴らしい!声も素敵!
さすがです。

私はと言うと…
初めてのラジオ局、初めてのラジオ出演で緊張しまくり。
打ち合わせがたった15分で、生放送なもんで、不安で胸がいっぱい!心臓がバクバク!
心臓があんなにはち切れるかと思ったのは生まれて初めて。絶対に寿命が縮んだと思います。短時間ですが、かなり酷使しましたよ。

ドキドキドキ、バクバクバク…と、ものすごい音。マイクが鼓動を拾ってしまうんじゃないかと本当に焦りました。

そんなこんなで、最初は緊張してましたが、DJの初音さんはさすがの話術!死にそうな私の緊張をほぐしてくれました~。なんとか無事に30分の放送を終えることができました。
放送事故が起きなくてよかったです。

調子のいい私は、あんなに緊張してたくせに途中からなんだか楽しくなっちゃって、25分経過の頃にはもっと話したいな、楽しいぞとテンションが上がってきてしまいました。
楽しい体験でした。また出たいな。出させていただこうっと。うししししし。




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2016年10月14日 (金)

「いざ!大矢部城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースにて連載の三浦半島のお城シリーズ!!
おかげさまで人気急上昇中!!(ほんとか?)

今回は早くも第三弾!!
さてさてどこのお城かな?

発表します。ジャジャーン!!
大矢部城!!!!

………え?そんな城あったの?すごい地味なんですけど。

そう言うなかれ。すごく興味深いんですよ、大矢部城は。
ではでは、恒例のドキドキワクワク!クリック…あ、今回はクリックなしです。
次号の城と一緒に手書きプリントを書きますのでお楽しみに。(手抜きじゃないよ)
Img_8664_3まずは、タウンニュース連載記事を。クリックすると拡大しまーす。




三浦一族の本拠地大矢部の奥まった山が大矢部城です。今は市営墓地の敷地内になります。ここは近くまで入江が入り込んだり、湿地帯になっていたので昔から要害の地でした。日本陸軍の火薬庫なり、米軍の弾薬庫になり…そのため、思うような発掘調査もできなかったんですね~。
遺構としては空堀、土橋などが残ってますよ。


大矢部のこのあたりは三浦一族の史跡がゴロゴロ!!
歩いてると、あら、こんなところに!あらま、またここにも!!ってな感じで至る所で目にします。
三浦義明の菩提を弔うために建てられたと伝わる満昌寺、三浦義澄を祀る近殿神社、和田義盛創建の薬王寺跡、三浦氏三代の墓や瀧見観音のある清雲寺…。ほかにもゴロゴロしてます。
まさにここが三浦一族の本拠地だというのを肌で感じます。
三浦義澄を矢部次郎や矢部の別当などと呼んだりするのも、この大矢部の地にいたからなんですね~。
目をつむって当時の光景を想像、妄想してみたりして…むふふふふ。


Img_2623_2_3そりゃ、そうですよ。こんな感じにしか残ってないから想像&妄想するしかないのです。空堀。現地で肉眼で見ると、もっとちゃんと分かりますよ。



Img_2633_3連郭式の縄張りで、曲輪を土橋で結んでいます。残念なことに土橋のコンクリート固めなり!!よかれと思って整備したんでしょうけど…無念。
連郭式っていうのは一列に曲輪を配置するパターン。




この大矢部城、調べれば調べるほど興味深い。
要はね、分かってないことが山ほどあるの。分かってないことだらけなの。
築城時期も築城主も、なんのために建てたのかも不明。
調べ甲斐があるじゃないか!想像し甲斐があるじゃないか!推理のし甲斐があるじゃないかーーーー!!

と、言う感じに面白いのですよ。

一応、一般的には鎌倉時代の衣笠城の支城として語られることが多い大矢部城。よく、「衣笠城を取り巻く馬蹄型の支城群」なんて言ったりします。
だけども、そもそも衣笠城の存在自体が謎に包まれてる訳で。
とにかく考え始めると止まらない!興味が尽きない!!



まず築城時期、鎌倉時代にしては山が高すぎる印象あり。
標高70mくらいあるのかな。
城郭自体も戦国期の印象を受けます。
怒田城、佐原城と大矢部城では、想定してる敵への防衛ラインが違う気がします。
佐原城から16世紀の遺物が出てるし、後北条の新井城攻めのときに佐原城で戦闘があったとの伝承からも、1kmちょっとしか離れてない大矢部城も関係がある可能性が濃い気がします。


Img_2632_3土橋コンクリート固め第二弾!!無念じゃ。



いろいろと調べたり考えたりして思ったのは、今の市営墓地の土地にある大矢部城址は鎌倉期ではなくて戦国期のものじゃないかなーと思いました。
鎌倉期の城というか城館というか館は、今、大矢部城址とされてる山より少し低い、現在の清雲寺のあたりにあったのかなーと。
そのあたりを「上の道」という当時の主要道路が通ってて、芦名の方に抜けられたみたい。なにやら怪しいぞ。

これより詳しく書こうとすると、衣笠城ってどこ?とか、城って何?じゃ城郭って何?とか、衣笠城が信仰の山なのは分かるけど、じゃ衣笠合戦はどこでやったの?とか、城の定義?とかって話になってしまうので、もっと調べてまたの機会に少しずつ書いていきたいなと思います。

「タイムマシーンがあったらどこの時代に行きたい?どこを見たい?」とかって昔からよく考えては一人で悩むんだけど。
最近はこの近辺のことを考えて調べては分からなくてモヤモヤ。
なので、今一番、当時の姿を見たい場所は三浦の本拠地ここ大矢部のあたり!!もしタイムマシーンで過去を見れるなら絶対に大矢部!!
平安末期から鎌倉時代!三浦の本拠地をぐるりと囲むこのエリアをこの目で見たい!!!!!!
考えたら興奮してきたので、今回はこのへんで終わりにします。

おすすめコースは次回のお城と一緒にご紹介します。(手抜きじゃないよ)
乞うご期待!

それにしても今回は写真が少ない……









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2016年9月 9日 (金)

「いざ!佐原氏はじまりの城、佐原城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースにて連載の三浦半島のお城シリーズ!!
第二弾に選ばれたのは…
ジャジャーン!!
佐原城!!!!
ではでは、ドキドキワクワク!クリックどうぞ!

クリックすると拡大しまーす!PDFになってます。

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タウンニュース連載記事です!こちらもお読みくださいまし!
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 JR久里浜駅、京急久里浜駅、京急北久里浜駅からスタスタ歩きで20分ちょっとのところに佐原城はあります。住宅街のほうにズンズン歩いていきます。案内板もなにもないので、わかりにくいです。目印としては「横須賀グリーンゴルフ」さんの方へ向かいます。向かって右手にある小山が佐原城址です。


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この奥の山が佐原城です。住宅街の中にポツンと取り残されたような小山。標高は20mちょっとかな。30年くらい前までは少々の尾根も残ってたみたいだけど、今は当時を偲ぶものは石碑のみ。


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現在は小山の上は大半は畑になってます。発掘調査によると、堀跡が見つかったみたいだけど現地ではよく分かりません。
でも、なんとなくね。

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ひな段のような高低差のある段々がなんだかね、お城だったときの名残りを感じさせてくれます。




城郭と言うより、防衛機能のある屋敷程度だったかもしれないけど、この城址に立つと、自分たちの生活や文化、経済を守ろうとした想いのようなものを感じます。実際にここには自分たちの大事な領地を守ろうとした意思が存在したんですね。想像するとなんだか、グっときますね。


三浦城郭史をはじめとする城郭資料には、
「衣笠城を守る馬蹄型に配置される支城群の大手の役目を担ってる」
と書いてあります。でも、最近では衣笠城も遺構の確認ができないとのことで、「伝衣笠城」と書いてある本も目にします。
その辺は衣笠城のくだりでお話しすることとして…。


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それにしてもこの石碑ひどい…。いまの農道と向きが違う方向いて建ってるし、蜘蛛の巣だらけだし。かわいそうな石碑。しかも、木に覆われて隠れてるから、石碑を探すのにグルグル回ってしまいましたよ。


昔は西裾の家を「トノイリ」、北裾の家を「コシマキ」と呼んでたみたい。両方とも城址に関係が深いものと思われるけど、今はどの家がそれに当たるのかわかりませんでした。


近くまで海が入江のようになっていて、このあたりも湿地帯でした。水田が広がっていたようです。
海を挟んで対岸には怒田城があり、まるで海からの入り口を佐原城と怒田城で守ってるように感じますね。



『鎌倉九代後記』には「佐原山が伊勢宗瑞(早雲)に攻められた」との記述もあります。その真偽は分からないけど、この城址に立って想像・妄想するには楽しい材料ですね。



佐原城を築城したのは佐原義連(よしつら)。三浦義明の子です。
この佐原の地に住んだので佐原氏を名乗りました。名門佐原氏の始まりです。
佐原氏は遠江の守護をはじめ、各地に所領を持っていました。三浦氏は三浦半島の一豪族ではないんですね。おいおい話しますが、まさに全国で活躍した中世史を代表する一族なんですね。
すごーい!


1247年の宝治合戦で、三浦宗家は滅びますが、唯一生き残った佐原氏が「三浦」を引き継ぎました。その血統が三浦道寸に繋がるわけですね。
さらにさらに!!
会津の蘆名氏にも繋がり、三浦の系統は戦国時代をも生き抜いていくんですね~。
ドキドキしますね!ワクワクしちゃう!!


そして、佐原城とセットで必ず寄ってほしいのが「満願寺」
開基は佐原義連。平家追討に向かう前に戦勝祈願したそうです。自分の等身大の観音像を彫らせて、平家追討に出発しました。
その観音像の美しいこと!!少し、頬がふっくらしてあどけなさの残る感じ。優しい表情なんだけど、負けん気の強そうな目。
226センチの観音像は迫力満点!必見です!要予約。拝観料300円なり。


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戦いに勝って「願いが満ちた」ということで、「満願寺」という名前になったそう。
整然としててとても綺麗な境内でした。発掘調査によると、当時はいまの数十倍の広さを誇ったそうな!!

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境内には義連のお墓もあります。


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迫力満点の文化財をとくとご覧じあれ!!


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境内にある中島三郎助の揮毫のある句碑が建ってます。
「まづたのむ 椎の木もあり 夏木立 」by松尾芭蕉

幕末の英雄はどんな思いでこのお寺にきて義連を、そして三浦一族を偲んだんでしょうか。



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発掘調査を終えた後、畑として利用されています。この平場の感じもなんとなく当時の名残りを感じさせてくれますね。
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一瞬、「おっ」っと思いましたが、これは当時の名残りではなく新しく作られた農道の模様。


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うんうん。なんだか感じますよ。



佐原城址に立つと、北側から風が吹き抜けます。当時もこんな風が吹き抜けたのかな?
そんなことを思うと楽しくなってきます。
北側は佐原インター方面に車も通れるほどの幅の道路が通っています。その道の向こうは満願寺方面です。当時はどうだったんだろう?こっちが大手だったんでしょうか?

怒田城方面に目をやると、うっそうと繁った木が視界を阻みます。だけど、不思議と怒田城を感じ、想像することができます。
佐原城の近く、どの辺まで海が迫っていたんだろう?
想像して思いを馳せることに全く退屈しません。
何も分かってないからこそ、何も残ってないからこその楽しみ方。
これが山城の醍醐味ですね!



では、最後に周辺のオススメコースのご紹介!!
詳しいことは上の手書きプリントに書いてありますので見てみてくださーい。



久里浜駅(京急でもJRでも可)



長安寺



八幡神社



正業寺



御滝神社



滝ノ井戸



等覚寺



茅山貝塚



慈眼院



佐原城



満願寺

↓ 

京急北久里浜駅

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2016年9月 7日 (水)

「いざ!山城の世界へ!」の巻(横須賀市自然人文博物館編)

今回は先月やらせていただいた山城講演会のお話し。

場所は横須賀市自然人文博物館。
まず、展示室に入ると三浦半島で発見されたマンモスのお出迎えがあります。
そして、三浦半島の歴史や海の生物など多岐にわたって展示されています。
無料で楽しめるので、ふらりと来るにはいい博物館ですね。

さて、今日の会の趣旨は、
「おとなと子どものための自由研究」です。
横須賀市議会議員の永井まさと先生と小幡沙央里先生により、毎年夏休みに開催されているそうです。
今回は私と堀込孝繁さんがお話をすることになりました。

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タウンニュースでも告知記事を出していただいたので、40人の方に来ていただきました。
大盛況!お盆の真っただ中なのに。
みなさん、お墓参りは大丈夫ですか?と、心配してみたりして。



堀込さんは「二宮金次郎像の七不思議」
なんとも夏休みっぽいお題ではないですか?!
七不思議って聞くと、無性にワクワクします。
二宮金次郎が今でいう凄腕の名コンサルだという話に始まり、全国の二宮金次郎像の紹介など楽しいお話をしてくれました。


私は「山城めぐりの楽しさと三浦半島の城」を。
いつものように「山城ってなんぞや?」という話から始めて、三浦半島のお城の紹介や、歴史の雑談を1時間ほど。
今回は会場が実験室で広かったため、和気あいあいというより淡々と話してしまいました。少し反省…。
でも、笑いもあったし、おかげさまで楽しい時間になりました。感謝感謝。

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PPTでアニメーションで作ってみました。子供さんが来てくれたらウケるかなーと。攻めてきた兵士が山城の仕掛けで、攻めあぐねるような。
でも、残念ながらお子さんの参加はありませんでした…。がーん。
優しい大人たちはちゃんと笑ってくれました!よかったよかった!


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レーザービーム!?魔法使いサリーちゃんみたい。
サリーちゃんて、こんなの使ってませんでしたっけ?

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主催者の焼き鳥竜馬におまかせの斉藤さん、堀込さん、私、市会議員の小幡先生、同じく永井先生です。

思い切り、マイクを落とす場面もありましたが、なんとか無事に終わりました。
どうもありがとうございました!!

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2016年8月12日 (金)

「いざ!三浦水軍の基地、怒田城へ!」の巻(タウンニュース連載記事)

始まりました!タウンニュースにて三浦半島のお城シリーズ!!
記念すべき第一弾に選ばれたのは…
ジャジャーン!!
怒田城!!!!「ヌタ」と読みますよ。
ではでは、ドキドキワクワク!クリックどうぞ!


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Nuta





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Nutatown_news



久里浜駅から徒歩15分、京浜急行の線路沿いのこんもりとした山が怒田城です。
地元の人にもあまり馴染みのない地味なお城です。
「吉井貝塚」と言ったほうがピンと来る人が多いかもしれませんね。

私の生まれ育ちはこの山のふもと。子供の頃、どんぐり山と勝手に呼んで駆け回っていました。まさかそのどんぐり山がお城だとは、つゆ知らず…
その昔はお城で、はるか昔は貝塚だったなんて!
まさかまさかですよ!
学校で吉井貝塚の見学には行ったけど、お城だなんて教えてもらわなかったような…。
ね?身近なところにお城がいっぱい!

しかもここはすごいお城なんですよ!
このお城がなかったら、鎌倉時代の幕開けはなかった!!……かも?

ということで、今日は怒田城とその周辺の歩け歩けコースをご紹介します。

まずは怒田城のお話。
三浦一族の水軍の城です。水軍と言うと、戦いのイメージがありますが、言うなれば海上交通の要の城という意味ですね。
え?水軍?海なんてどこにも見えませんけど?
まぁ、確かに…。ちょっと、お待ちなさいよ。今から説明しますって。

怒田城は平安末期に衣笠城の出城として築かれたと伝わってます。三浦義明の末弟の義実は平塚の岡崎を領して、岡崎氏を名乗るわけなんだけど、岡崎に行く前にこの怒田城にいて、そのあと義明長男の義宗に譲ったんですって。義宗は後に鎌倉の杉本城に移って、杉本氏を名乗ってますね。

怒田城は、なんと2千坪あったらしい!残念ながら京急線敷設のため、半分以上が削られてしまいました。

お城への登城口は公園として整備されているものの、細くて、頭の上には木が生い茂ってて、うっそうとした感じ。馬一頭通れるか通れないかの道幅は想像を掻き立てます。
右手には、ひな壇状の地形も確認できます。
ただ、草木で分かりにくい!草を刈ってくれ~。
1分ほどで削平地に到着。結構広い。


Img_2114_2城址にある案内板。これが削られる前の写真。すごい!大きい!お城の形がよくわかる!これを見に来るだけでも来る価値あり!!


源平盛衰記には「怒田の城は三方は石山高うして馬も人も通い難き悪所なり。一方は海口に道ひとつ開けたれば善き兵2百人有らば、たとひ敵何万騎寄すとも、たやすく攻め落とすべからず」と書かれた怒田城。
衣笠合戦の時には、和田義盛が義明に、衣笠城ではなく、ここ怒田城への籠城を薦めたと言うほど。

衣笠合戦で敗色歴然となった三浦一族は義明だけを残して、義澄以下全員で衣笠城を脱出。そして、ここ怒田城から安房へ向かいました。石橋山の戦いで敗れた頼朝と合流すべく船を出したのです。そのとき、三浦側は頼朝の無事を知らなかったと言います。頼朝が生きていることを信じて、本懐を遂げようとしたんですね。
安房に向かった義澄たち一行は海上で、北条時政、義時父子、岡崎義実らと遭い、頼朝の生存を知り、泣いて喜びました。
そして、頼朝の鎌倉入りとなるわけです。三浦一族の力なくしては、成せなかったと思います!!
ね?この城が鎌倉時代の幕を開けたと言っても過言じゃないでしょ。

そもそも三浦一族は三浦半島の小豪族なんかじゃないんですよ!支配地は北は陸奥、南は筑前まで広がってるんですよ!すごいのですよ。
まぁ、そういう話はおいおいするとして…。


Img_2125_2登城口から登ってくると、もう一段高くなってる曲輪があります。空堀を掘って、土橋で渡るようになってます。渡るとまた広い削平地。端まで行って見下ろすと、京急の線路や自動車学校、久里浜の街並みが見えます。

想像してください。実は、ここは全部海の中です。当時は見渡す限り、海だったんです。久里浜湾が入り込んんだ入江になってたんですね。
ここに三浦水軍の船が泊まっていました。ここから義澄らは安房に向かったんです。
今も「舟倉」という地名が残ってることが当時を物語ってますね。そう思ってみると、足元に海が迫ってくるようです!

当時の東海道は今のような陸路ではなく、三浦半島を横断して、海路で房総へと向かいました。まさにここが玄関口のような役目をしてたのかもしれません。
三浦水軍の要衝の地だったわけですね!
そんなことを考えてたら、標高たった20mほどのこの小山が、ものすごい存在感を放ってるような気がしてきました。

ここからは佐原城や衣笠城方面が見えます。いろいろと想像しながら、その位置関係などを見るのも面白いです。
空堀の発掘調査で、12世紀末から13世紀初頭という年代観も分かり、戦国期以前の城の様相を残す貴重な城址でもあります。遺構はほとんど残ってなくとも、とてもワクワクすることができました。周辺のオススメスポットと合わせて、ぜひ足を運んでみてくださいね。


Img_2119_2発掘調査によると、空堀の底は「V字」になってる薬研堀で、幅4.5m、深さ1.7mとのこと。貝塚の層を掘って空堀を作ってます。貝層が崩れやすいから貝を抜き取って泥岩の塊で置き換えられていたそうです。仕事が丁寧ですね~。


Img_2122_2結構な高低差あり!空堀後は発掘後に埋め戻されちゃってるから分かりにくいけど、堀底から左手の曲輪まで、当時は高低差4mくらいはあったでしょうね。



では、周辺のオススメ紹介です。詳しいコースは上の手書きプリントに書いてあるので見てみてくださーい。


久里浜駅(京急でもJRでも可)

若宮神社

宗円寺

怒田城

真福寺

御林

高坂貝塚

常福寺

西叶神社

浦賀駅

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2016年8月 9日 (火)

「いざ!歩け!朝比奈切通しから鎌倉城へ!」の巻(ガイド編)後半戦

朝比奈ウォーキング後半戦です。
今回は歩け歩けツアーで何回かガイドしたコースをご紹介!!
鎌倉朝比奈切通しから鎌倉に抜ける道をご案内します!
資料は前半戦にアップしてあるので、よかったら参考にしてください。

それでは後半戦!張り切っていってみよー!
後半戦のスタートは十二所神社からです。
前半戦は金沢八景の駅をスタートして、朝比奈の切通を抜けてきました。
切通しを抜けて、ビュンビュンと車の往来する県道に出ると、まるでタイムスリップしたような気分ですね!


十二所神社はもともとは光触寺の境内にあった熊野十二所大権現です。神仏分離により、こちらに移りました。これにより、ここの地名が「十二所(じゅうにそ)」になったと言われてます。
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ここのオススメは兎の彫り物。珍しいですね。ここは八幡宮の真東に当たります。だから卯なのかな?

そして、左手に見えるこんもりとした怪しげな地形を横目で見つつ、光触寺(こうそくじ)へと向かいます。
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ここは時宗のお寺。時宗の僧は、従軍僧なので戦場で念仏を唱えたり、救助したり、討ち死にした人を連れ帰ったりしました。光触寺の奥のやぐらからは、たくさんの白骨が見つかりました。きっと鎌倉幕府が滅亡した戦いの際のものでしょう。

この寺の境内には「塩嘗め地蔵」さんがいます。
昔、旅の安全を願って塩をお供えしたところ、帰り道に寄った時には塩がなくなってたことからこの名前がつきました。なんともかわいらしい逸話ですが、このことからも朝比奈ルートが塩の道とされてたのがうかがえますね。

さてさて、10人以上の予約じゃないと見せてもらえない重要文化財の頬焼阿弥陀さまと、後醍醐天皇宸の「光触寺」と書かれた勅額をみせてもらったあとは、どんどん鎌倉中心部へと進んでいきます。
それにしても後醍醐天皇の勅額の字がね、なんだかすごかったですよ!必見!


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テクテク歩いていくと、大江広元邸の石碑。このあたりに邸宅がありました。かなり広い土地で、石碑の裏山広範囲にわたって敷地だったようです。幕末に毛利家が買おうとするも値段の折り合いがつかず断念したほど。
大江広元の3男が厚木の毛利荘を与えられて毛利の祖となったので、毛利家は祖ということで大江邸宅を手に入れたかったんでしょうね。

さて、お次は明王院。
4代将軍藤原頼経創建。鎌倉市内で唯一現存する、将軍の発願で建立された寺院です。茅葺の本堂が趣きがあります。
お庭がとても綺麗で、人も少ないので穴場ですよ。



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次なる石碑を発見いたしました。「足利公方邸跡」と書かれてます。
ここは足利氏の邸宅跡です。尊氏もここに住んでいました。すごい!
室町幕府が開かれると、ここに鎌倉府が置かれました。鎌倉府の長官を鎌倉公方といいます。鎌倉公方と関東管領の話になると大変長くなるので今回は割愛!

と、いうことで脇道から奥に進みます。
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おっ!なにやら駐車場の奥にやぐらがみえてきましたぞ。
さて、このやぐらはなんだったでしょうか?聞きたい?聞きたい?

正解は…
御馬冷場!
なんじゃい、そりゃ!?
現代でいうと、洗車場です。馬を洗っていたところですね。あのやぐらには水が溜まっていたみたいですね。いまもぬかるんでます。頼朝の馬もここで洗ってたらしいですよ。へぇ~。

なーんて、裏ガイドしながらずんずん進む。
杉本寺に到着。
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ここは坂東三十三箇所の第一番札所。観光客もたくさん来てます。
ここね、実は山城なんですよ。うふ。
三浦義明の子、義宗がここに居を構えて築城したんです。そして、杉本氏を名乗りました。
ここは、朝比奈・六浦道を抑える要衝の地に当たり、さらに目の前には釈迦堂切通し。この釈迦堂切通しは、三浦氏の拠点、三浦半島へ抜ける道です。すごい立地ですね。道を抑えたもん勝ちです。
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杉本城遠景。
ほぼ、遺構は残ってないけど、遠目にみたこんもりとした山が山城っぽさを醸し出してますよ。

では一気に鎌倉に街に攻め込みましょう!
まずは大倉幕府跡。よく、鎌倉幕府ってどこにあったの?と聞かれます。ここです。清泉小学校が建ってるところです。
ここに最初の幕府、御所が置かれました。今は石碑を残すのみですが、西と東に門がありました。
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この大倉のあと、宇都宮辻子幕府、若宮大路幕府と移ったんですね。


では、筋替橋を通り、宝戒寺へ。
この筋替橋は宝治合戦で激しい戦闘が繰り広げられた場所です。
宝戒寺は別名「萩の寺」。ただ、萩に限らず、一年中、何かしらの花が楽しめるので人気のお寺です。
でもね、花よりなにより忘れちゃいけないのは、ここが鎌倉北条氏の邸宅跡だという事!
門に北条氏の家紋の三鱗。ここのは背が高い紋です。高いのは鎌倉北条氏、少し背が低い三鱗は小田原北条氏のものです。

鎌倉幕府滅亡の際、北条一族郎党は迫ってくる戦火に覚悟を決めて、この裏山の東勝寺へと逃げました。そして、腹を切り、鎌倉時代が終わりを迎えたのです。
菩提を弔うために、後醍醐天皇が尊氏に命じてこの宝戒寺を建てさせたんですね。
怨霊が一番怖いですからね。

境内に咲き誇る花を見ていると、その綺麗さがまた切なさを誘います。鎌倉幕府倒幕の軍勢が鎌倉の地に雪崩れ込んできたその日を思うと…

と、胸に痛みを感じながら、今回のツアーのクライマックス、東勝寺跡へと向かいます。

少し進むと滑川が見えてきました。青砥藤綱の石碑もあります。
太平記によると、この青砥藤綱さんはこの川に10文を落としちゃったんですね。探したけど、夜だから見つからない。仕方ないので50文払って松明を買って探したら、めでたく見つかった。めでたし、めでたし。

ん?でも待てよ?10文探すのに50文払ったらマイナスじゃーん!バカじゃーん!
と、藤綱さんにツッこんでみたところ、
「10文なんて、はした金だから拾うのやーめたなんて言って、10文を探さないで川の底に落としたままにしたら世の中にお金が回らないでしょ。たとえ損したとしても、50文かけて10文を拾えば10文も50文も世の中に回るでしょ。お金が回れば、天下のためになるじゃん。俺はそこまで考えてるんだよ。小さくセコイこと言いなさんな。けったいな奴やな」
と、青砥藤綱さんが言ったとか言わないとか。

落語みたいな情景を思い浮かべてニヤニヤしながら、橋を渡ります。
小さな橋です。木立の間から光が差して、キラキラして、とても綺麗な川です。もう河口が近いのに水も少なく、穏やかな流れです。すぐそこの小町通りの喧騒が嘘のようです。

この橋の位置を覚えておいてくださいね。もう少し上ったあたりで、かなり切ない妄想ポイントになりますので…。
そして、山の方へどんどん進みます。結構、上ります。先ほどの北条邸跡から見ると、やはり詰めの城のような位置にありますね。
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東勝寺跡は広い平場を残すのみ。見たところ、三段の平場になってます。
向かいには鎌倉市の放置自転車管理所があります。管理所の奥の方に、やはり怪しい地形。このあたり一帯全部が東勝寺の敷地だったんだろうな~。
そしてさらに奥に向かうと、腹切りやぐらです。
入り口には「霊所浄域につき、参拝以外立ち入り禁止」の看板。心なしか、一瞬にして、空気がひんやりとした気がします。
やぐらの前に立つと、若宮大路方面、そして海方面が見渡せます。
だんだんに火の手が上がって迫ってくる模様が一望できたことでしょう。
御家人たちは、さっきの橋のあたりで必死に敵を食い止めたと言います。
最後のひと働きと命を賭して戦ったのでしょう。北条一族が腹を切る時間を稼いだのです。

この場所からは遺骨は見つかってません。他の場所に運んで供養したのでしょう。
あまりの出来事に、当時の人々の感情に想像が追いつきません。ただただ、胸が苦しく詰まります。

さて、今日のツアーの終わりも近づいてきました。
1236年-1333年の滅亡まで幕府が置かれてた若宮大路幕府跡、1225年-1236年までの幕府が置かれてた宇都宮辻子幕府跡に立ち寄りました。今は石碑しか残ってません。
この二つは歩いて数十mほどの位置。先に立ち寄った大倉幕府だけが少し離れてます。北条氏が権力を握ったあと、大倉の地から離れることによって、色々と一新したかったのかもしれませんね。



今日の行程は10kmちょっと。ちょうど、6時間の旅でした。
おわり。
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