金谷城&勝山城ガタゴトバスツアー募集開始
2月26日(日)金谷城、勝山城、妙本寺にガタゴトバスでGO!
募集開始になりました✨
結構早く埋まってしまうので、興味ある方はお申し込みご検討下さい♪
今回は袖ケ浦バスターミナル・金谷港・JR浜金谷駅の3カ所での集合です。
ご都合良い集合場所から城めぐりにGO!!
2月26日(日)金谷城、勝山城、妙本寺にガタゴトバスでGO!
募集開始になりました✨
結構早く埋まってしまうので、興味ある方はお申し込みご検討下さい♪
今回は袖ケ浦バスターミナル・金谷港・JR浜金谷駅の3カ所での集合です。
ご都合良い集合場所から城めぐりにGO!!
去年までは鎌倉殿の13人を追いかけるツアーを展開してきましたが、今年からは戦国時代&山城を巡ります✨
大河ドラマの完全追いかけではありませんが、家康が生きた時代とリンクする歴史を見て歩きます。
今年も楽しみましょう♡
家康めぐり戦国あるき | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
横須賀市大矢部小学校6年2組のお芝居「三浦一族と源頼朝」を鑑賞してきました。
総合学習のゲストティーチャーをやらせていただいた縁で、お芝居の脚本を書かせていただきました!
頼朝の旗揚げから、石橋山合戦、小坪合戦、衣笠合戦、そして安房への脱出と、三浦一族の栄誉の足跡をみんなが力いっぱい演じてくれて感無量です✨
子どもたちの頑張りと、楽しんでる気持ち、充実感、やる気がビシビシ伝わってきて心が震えました。
私がこのクラスに 授業に行くことになったキッカケは子どもたちでした。
去年大河が始まって、衣笠商店街や近所のお寺などに三浦一族の幟がはためいているのを目にして三浦一族に興味を持った子たちが、ネット検索する中で私を見つけてくれたのです。
子どもたちが「むつみさんに学校に来てもらいたい!」と先生に言ったことにより、大矢部小学校6年2組で授業やらせていただくことになったのです✨
担任の石渡先生が情熱と優しさに溢れた方で素晴らしくて!
子どもたちの自主性を大事にしつつ、興味を存分に引き出してくださいました。
ご自身も「三浦一族面白い!」と仰ってくださって、衣笠商店街のパネル展のギャラリートークなどにも来てくれました。
そんな中で、「せっかく子どもたちが興味を持ったから、卒業までに三浦一族への理解をもっと深めたい。お芝居をやりたいと思ってます」と石渡先生。
それ聞いたら、嬉しくてウズウズしちゃって。
「はい!私が脚本書きます!」と、お芝居計画がスタートしました笑
子どもたちも、三浦一族のお芝居に大賛成だったとのこと!
お芝居するなら、衣笠合戦の舞台衣笠城を見なきゃ!ということで、子どもたちと衣笠城フィールドワークもやりました。
そして、迎えたお芝居本番。もう素晴らしくて。みんながカッコよくて。
冒頭から感無量でウルウル。
終わった後の感想も、感極まってうまく話せないほどに感動しました(T-T)
背景の写真やBGM、舟や小道具などもすべて子どもたちのアイディアで取り組んだそうです。
みんなで協力し合った素晴らしい思い出とともに、いつかふと、三浦一族ってすごいんだな、自分が住んでるところにはたくさんの歴史があったんだな…などと、思い出してくれたら良いなと思います。
頼朝が韮山で挙兵。
「狙うは山木兼隆の首!」と山木館を襲撃した場面。
頼朝の元に向かう三浦一族。酒匂川の増水で渡れない!の場面。
石橋山で頼朝方が負けたと知った三浦一族は本拠衣笠に戻ります。
しかし、途中の由比小坪で畠山重忠とぶつかり小坪合戦が繰り広げられました。
小坪合戦でなんとか畠山軍を退けた三浦一族は、衣笠に戻ることができました。
頼朝の敗北や、自分たちの戦いの経過を棟梁の大介義明に報告している場面。
そして、ついに衣笠合戦が起きました。
旗を立てたと伝わる巨石を背景に。
それと、壇上と壇下をうまく使っていて面白かったです。
戦いの臨場感と山から戦況を見ている大介義明の姿が印象的でした。
衣笠合戦は三浦一族が敗北を喫しました。
そして、夜陰に紛れて、怒田城へ。舟に乗って安房へ漕ぎ出しました。
舟が工夫されていて面白かったー!
安房に渡った三浦一族が、頼朝を待ち受けるところ。
こんな手紙まで♡
じっくり読みます✨
嬉しい!
嬉しいしか言葉が出てこないー
お手紙の束の裏に三ツ引両の家紋。
タウンニュースさんに記事にしていただきました。
素敵な記事!嬉しい!
子どもたちも掲載されて大喜びだった模様。
石渡先生、全員にコピーしたって連絡くれた♡
大矢部小6年生 郷土史伝える“ミニ鎌倉殿” 三浦一族テーマに学習発表会 | 横須賀 | タウンニュース (townnews.co.jp)
東京新聞さんにも記事にしていただきました。これまたみんな喜ぶだろうな✨
いつも素敵な記事をありがとうございます!!
三浦一族の衣笠合戦 横須賀の大矢部小・6年生30人が熱演 「地域の歴史 身近に感じた」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
小川新聞店のYouTube「レキトビラ」に出演させていただきました✨
関ヶ原町の玉城に行ってきました。
大河ドラマなどでの時代考証でおなじみの広島大学名誉教授の三浦正幸先生と西村知穂アナと楽しく城めぐりしてきました♪
玉城は竹中氏の領地の西に位置する、いわば境目の城。
西側にドーンと入る堀切がものすごい!
撮影、楽しかったなぁ。
いつか、小川新聞店さんと玉城ツアーも企画させていただくと思いますのでお楽しみに〜✨
https://www.youtube.com/watch?v=rccTjalOSYE
今月は千葉県東金市「田間城」の御城印が発行されます。
デザインと同封説明文を手がけました✨
お近くに行った際は田間城に立ち寄り、よかったら御城印もお求め下さい♪
【田間城】千葉県東金市
田間城は九十九里平野に向かって伸びる標高約50mの丘陵に築かれました。現在、城山の南東麓には田間神社が鎮座しています。城山は急崖に囲まれた天然の要害となっていて、城下には街道が通り、交通の要衝地にあたります。
田間城は東金酒井氏の支城と考えられています。東金酒井氏の本城東金城が南西約2kmに位置し、東金城と田間城が密接に連携しながら機能していたことが分かります。
東金酒井氏は『鎌倉大草紙』によると、享徳の乱によって起きた千葉氏の内紛をうけて、美濃から下向した東常縁(とうつねより)が部下の浜春利を東金城に入れたことにはじまるとされますが、東金城の築城年代など詳細は不明です。
その後、東金城の支城として築かれた田間城も築城等の詳細は不明です。伝承では、永正6年(1509年)に酒井定隆が築城したともされますが、史料では確認できません。
いずれにしろ、東金酒井氏の支城かつ東金城の北方の防衛施設として、田間城は築かれたと考えられます。
東金酒井氏は、里見氏と北条氏の争いが激化すると、両勢力に挟まれ政治的な判断を迫られました。そして、最終的には北条氏に属し、天正18年(1590年)の小田原の役を迎えました。東金城は、小田原の役まで東金酒井氏の本城として機能していたとわかっていることから、田間城も東金城の支城としてその頃まで機能していた可能性が高いと思われます。
【御城印のご説明】
田間城は東西約500m、南北約240mが城域と考えられ、主郭の他、複数の曲輪が形成されています。堀や土塁などが良好に残る田間城の御城印には縄張図をデザインしました。
合わせて、東金酒井氏の家紋「右巴(右巻の巴)」をデザインしました。さらに、城下を通る街道や宿、そして本城東金城との位置関係が分かる地図をモチーフにしました。現地から街道を見下ろすと、いかに田間城が街道筋に対し意識的に築かれていたかを感じることができることから、御城印には街道を見張る城のイメージで門を描きました。
街道がよく見え、東金城に向かう街道を押さえる役目があったことが推察できます。
販売場所
〇道の駅みのりの郷東金
千葉県東金市田間1300-3
0475-53-3615
午前9時~午後6時
休業日:年末年始(1月1日~1月3日)その他臨時休業あり
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
○田間神社
〒283-0005
千葉県東金市田間2126
0475-52-3059
営業時間 9時~16時
朝日新聞さんに記事にしていただきました✨
海城サミットについての記事なんですが、ブラタモリのような私のツアーや地域の歴史の楽しみ方にも触れていただき、素敵な記事にしてくださいました。とても嬉しいです!!
蔵波城は開発で半分以上が崩されてしまいましたが、城下には中世の雰囲気が残り素晴らしい歴史を感じることができます。
なにもないと思われがちな場所こそ、楽しみ方によっては地域の宝に変身します。
そして、こういう場所こそ私は大得意!衣笠BASE vol.2のお店が決まりました✨
詳細は以下です。
ご都合よろしければお越しください♪
すみません。満席になりました!
3月の詳細決まりましたらまた告知します!!
1時間程度のトークショーと、1時間程度の懇親会を予定しています。
軽食が付きます。ソフトドリンク、アルコールお飲みの方は別途個別会計となります。
三浦一族にまつわる話や、楽しい歴史トークをさせていただきます。
ぜひ、ご参加下さい。
鎌倉殿の13人は最終回を迎えましたが、衣笠は今年も熱く盛り上がりますよ🔥
衣笠BASE vol.2
日時:2023年2月15日(水)19時~21時
会場:桃の木(衣笠駅から徒歩5分)
https://tabelog.com/kanagawa/A1406/A140601/14060769/
会費:3000円(税込み)
※要予約。予約はコチラ⇒rekitoki@rekitoki.com
(お申し込みはメールのみの受付とさせていただきます。お名前と電話番号を教えてください)
※当日現金払い
募集チラシはこちらから
ダウンロード - e8a1a3e7aca0basee38381e383a9e382b7e291a1.pdf
海城サミットのお知らせ。
前にもご案内しましたが、2023年1月1日から3月19日までの間、千葉県内房エリアで海城に関連する色々な企画が開催されます。江戸湾を挟んで熾烈な戦いが繰り広げられたエリアなので、歴史もお城も満載✨
海に面した丘陵にはたくさんの海城が築かれました。
内房線の活性化を狙い、周遊して遊べる「デジタルスタンプラリー」が開催されます。
ぜひ、お出かけ下さい♪
とくにデジタルスタンプラリーは駅から歩いて行ける城を巡るスタンプラリーです。
内房線に揺られながら、内房の歴史と城を楽しんで下さい♡
詳細はこちらのサイトを。
塚原緑地研究所 Webサイト (tsukahara-li.co.jp)
試しにやってみました。
こんな感じ。
ぜひぜひ、やってみてくださいね✨
アプリ「spot tour」をインストールしてお楽しみいただきます。
各スポットのGPS範囲内に行くと、「GET STAMP」となります。
スタンプが押されるとこんな感じに一覧で見れます。
全部クリアすると、ステッカーがもらえます♡
詳細は上記サイトでご確認ください。
そして、中国新聞さんに記事にしていただきました。
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/257945
井原市役所の皆さま、そして保存会のみなさま達はとても素晴らしい活動をされています。
今後、わたしも関わらせていただければ良いなと思っています。
まずは、3月のツアーをお楽しみに。
詳細決まり次第、お知らせします✨
THEMIS(テーミス)2023年1月号に掲載いただきました。
ノンフィクション作家の神山典士さんに記事にしていただきました。
神山典士さんとは去年開催された匝瑳市での初代地方創生大臣の石破茂氏をお招きしてのシンポジウムでご一緒して、有意義な意見交換などをさせていただいた関係でもあります✨
今回の記事は私のツアーをご取材いただき、山城や歴史が地域にどういう化学反応を起こしたかを書いてくださいました。
「地方創生へ」という連載コーナーに、
「埋もれた歴史を発掘し「山城ツアー」で関係人口&観光客増加へ」
というタイトルで書いていただきました♪
嬉しいです。
小さな試みや活動ではありますが、地道に少しずつ輪が広がっていけば良いなと思います。
これからも自分の足であちこちにお邪魔して、進んで行きたいなと思います✨
今月は講演2つやらせていただきます。
両方とも千葉県の講演です。
ご都合よろしければお越し下さい✨
〇千葉県香取郡多古町
去年台風で中止になってしまった講演会
千葉一族と多古町周辺の城や歴史のお話します。
【振替講演決定‼】多古町生涯学習文化講演会の開催について | 多古町ウェブサイト (town.tako.chiba.jp)
〇千葉県旭市
椿の海の講演会
江戸時代初期まで存在した「椿の海」。中世においては水上交通の要衝地だったため、たくさんの城が築かれました。周辺には戦いの痕跡も色濃く残る遺跡がたくさんあります。
大原幽学記念館の学芸員猪野さんとのトークショーもあります。
椿の海と歴史を語る講演会&トークショー/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば- (maruchiba.jp)
ガタゴトバスツアーは本日から募集開始になります。
ツバメのマークの路線バスでまわります。
今回は千葉県内房エリアへGO!
楽しくガタゴト回りましょう
2023年が始まりました。今年もどうぞよろしくお願いします。
今年も精力的に色々と活動していこうと思います。
歴史と城をテーマにした地域活性の取り組みを今年も積極的にやっていくつもりです。
自治体との連携や小学校授業、商店街との取り組みなどやりたいことがたくさん!
この活動は歴史や城をもっと楽しむために一番大切な活動で、私の活動の根幹だと思っています。
ただ『楽しい』だけでなく、さらなる魅力を掘り起こし継承するために今年も色々な地域にお邪魔したいと思います。
もちろん、ツアーや講座も去年と同様にやっていくつもりですのでまたご参加下さい✨
そうそう、去年とても嬉しいお話いただきまして、新年早々岡山県に行ってきます。
またお知らせできるときにお話します。すごくワクワクするお話しいただきました♪
楽しみー!
初詣は赤坂日枝神社に行ってきました。
江戸重継が山王社を勧請したことにはじまると伝わるこの日枝神社は、星ヶ丘城という城だったという伝承が残ります。
扇谷上杉氏の城とも伝わり、江戸城と連携していたとも考えられます。
水上交通の要衝地なので、重要な拠点として中世期に使われていたと思われます。
そもそもこのあたりは、秩父党の江戸氏の拠点となったエリアで、秩父方面と繋がる水路の入口にあたる場所。
古くから誰もが押さえたいエリアであったことは明白です。
日枝神社の境内には遺構はほとんど残っていませんが、一部残る土塁は戦国期のものでかなりの規模です。
北条氏の段階でも使っていたと思われるほど。
土塁。柵の外からの写真。
中に入りたい!
土塁。
堀跡を利用したと思われる切り通し。
今年はこのあたりのツアーもやりたいなと思ってるので、初詣がてら下見してきました。
ツアー造成できたらお知らせしますね。
では、今年も元気に楽しくみなさまとご一緒できるのを楽しみにしています✨
よろしくお願いします!!
今年も残すところあとわずかですが、来年も横須賀を三浦一族で盛り上げたいと思います!!
先日のお城EXPOでも、三浦一族ブースを出展。これで3年連続出展です。
今年は横須賀市観光協会も出展してくれて、隣同士で三浦一族をPRしてきました✨
EXPOサロンでも講演させていただき、たくさんの方にお立ち寄りいただきました♡
とても有意義な出展となりました!
来て下さった方、ありがとうございます。
また、衣笠駅前看板の記事とタウンニュースの三浦一族総括記事を書いていただいたので添付します。
とても素敵な記事で嬉しいです✨
あわせて、城EXPO2022の三浦一族ブース写真も添付。
楽しかったので、同じような写真ですがたくさん載せておきます笑
衣笠観光の新たな「旗印」 駅前の案内板リニューアル 三浦一族ゆかりの地を紹介:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
https://www.townnews.co.jp/0501/2022/12/23/656654.html
満員御礼でした!!
萩原さちこさんも三浦一族の冊子を持ってくれました♡
昭和のアイドルポーズ笑
稲本香(ちょめ)さんまで三浦一族冊子持ってくれました(T-T)
感動~。嬉しい✨
はじまります!!
山城ガールむつみの「衣笠BASE」!
これは三浦一族の本拠地(BASE)衣笠で開催するトークイベントです✨
2023年1月13日(金)!
記念すべき第1回目を開催します。
満員御礼いただきました✨
次回は2月15日(水)を予定しています。
決まり次第ご案内いたします。
衣笠商店街には、知られざる名店がたくさん♪
美味しいお店、素敵なお店を皆さんに知っていだきたいと、商店街のみなさまと企画いたしました♡
毎月違うお店でトークショーを開催する予定です。
毎回、衣笠駅から徒歩10分前後のお店をチョイスするつもりです。
1時間程度のトークショーと、1時間程度の懇親会を予定しています。
軽食とお茶が付きます。アルコールお飲みの方は別途個別会計となります。
三浦一族にまつわる話や、楽しい歴史トークをさせていただきます。
ぜひ、ご参加下さい。
鎌倉殿の13人は最終回を迎えましたが、衣笠は来年も熱く盛り上がりますよ🔥
vol.衣笠BASE
日時:2023年1月13日(金)19時~21時
会場:コリアンキッチンsora
(衣笠駅から徒歩5分)
ホーム | sora (sorayokosuka.wixsite.com)
会費:3000円(税込み)
※要予約。予約はコチラ⇒rekitoki@rekitoki.com
(お申し込みはメールのみの受付とさせていただきます。お名前と電話番号を教えてください)
※軽食とお茶付
※当日現金払い
この日は実は衣笠城&怒田城ツアーもあります♡
あわせてお越し下さい。
ツアーはコチラからのお申し込みになります✨
お昼&和菓子付♪
●【たびコトツアー】三浦一族ゆかりの地・いざ!衣笠(きぬがさ)城・怒田(ぬた)城 日帰り(SB364)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
YouTube新作公開のお知らせです✨
今回は「三浦一族津久井氏と承久の乱」後編です。
津久井氏は三浦義明の弟義行からはじまる三浦一族の系統です。
三浦半島の「津久井」に屋敷を構えました。武勇に優れた津久井氏でしたが、承久の乱では朝廷方に味方し、滅亡しました。
津久井氏は承久の乱ではどのように戦ったのでしょうか?その足取りを追う旅に出陣です!
https://youtu.be/fj_3sKm_uRE
このことに触れたタウンニュース掲載記事もコチラに添付しまーす✨
12月17日、18日に毎年恒例のお城EXPOが開催されます✨
歴×トキも今年も出展します✨
今年は横須賀市観光協会さんも出展しますので、隣同士で三浦一族PRさせていただきます♡
掲示パネルも新調したので、去年よりパワーアップ!!
ぜひ、ブースにお立ち寄り下さい。
「歴×トキ/三浦一族城郭保存活用会」ブースです。
新井城の御城印もブースにて新発売です✨
出演情報はコチラ♪
〇お城EXPOサロン講演時間
12月17日(土)
12:00-13:00「三浦一族ゆかりの城」
15:00-16:00「多古の山城の魅力」
12月18日(日)
12:00-13:00「多古の山城の魅力」
14:30-15:30「城組トークショー」
※すべて無料講演ですが、整理券が配布されますので事前にEXPOサロン整理券配布窓口(1F案内カウンター)でお求めください。
oshiroexpo2022_program_omote_B のコピー
〇お城シアター
「
「山城ガールむつみと巡る 志摩城と島の魅力」
この2本が上映されますが、時間は未定です。
三浦一族の戦国時代の本城、新井城の御城印が完成しました。
新井城があった油壺は、小網代の森やマリンパーク(現在は閉園)として市民の憩いの場でしたが、城や歴史はほぼ忘れ去られているという状況にありました。
現在も主郭周辺は東京大学の関連施設のため、立ち入り不可です。
それでも、現地に行けば地形から城を感じられますし、主郭周辺に入らなくても圧巻の土塁や空堀を楽しむことができます。
さらに、三浦道寸の墓がある高台は中世の櫓台が良好に残り、神奈川県を代表する城だと私は思ってます。
そんな中、新井城の素晴らしさを伝えるツアーを何度もやってきました。
新井城の面白さは、新井城が築かれた岬の突端付近を歩くのではなく、もっと広範囲に周辺を歩いて合戦の痕跡や、なぜここに築かれたかという立地を考えることだと思っています。
なので、三崎口駅から歩いて丁寧に当時の様子をそれぞれの頭と心で浮かび上がらす…そんな切り口で開催してきました。
このたび、御城印によって新井城の歴史を多くの方に発信できることは何よりの喜びです✨
【新井城のご説明】神奈川県三浦市
新井城は三浦半島の西側、小網代湾と油壺湾の間に突き出た半島状の岬を利用して築かれました。標高26mの城山の南北には湾が入り込み、海に囲まれた自然地形を活かした堅固な要害となっています。
現在、東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所の敷地になっている付近が主郭にあたるとされ、その周囲には櫓台、空堀、土塁などの遺構が良好に残っています。実験所の敷地には普段は自由に立ち入ることができないものの、敷地の外からでも空堀と土塁を見ることができます。さらには、城の北側に祀られている三浦道寸の墓は櫓台を利用して建てられていて、周囲には堀切や土橋状の通路が良好に残っています。
新井城は戦国時代に三浦道寸、義意父子が伊勢宗瑞(北条早雲)と壮絶な戦いを繰り広げた三浦氏の本城です。
享徳の乱(1454年)以降、関東が戦国時代に入ると、室町幕府の命を受けた宗瑞が関東に下向しました。やがて、宗瑞は関東管領上杉氏らと対立し、独自の軍事路線を展開していきます。一方、三浦氏はおもに扇谷上杉氏に属し、小田原大森氏、上総武田氏らと姻戚関係を結びながら勢力を広げていきました。そのような状況下で、宗瑞は大森氏の居城小田原城を奪い、そこを足がかりに相模国へと進出しました。
そして、ついに宗瑞は永正9年(1512年)8月、三浦道寸の岡崎城(平塚市・伊勢原市)を攻撃します。岡崎城は落城し、道寸は住吉城(逗子市)を経て、義意の守る新井城まで退きました。新井城を宗瑞の軍勢が攻め囲み、三年に及ぶ籠城戦になりました。永正13年(1516年)7月11日、援軍の望みも絶たれた三浦勢は討って出ましたが、奮戦するも敵わず、三浦一族は最期の時を迎えました。道寸、義意父子は自害したとも壮絶な討ち死にを遂げたとも伝わります。
【御城印のご説明】
新井城の御城印には三浦一族の家紋「三つ引き両」、そして三浦氏のお家芸ともされる笠懸を描きました。毎年4月には道寸祭りとして新井浜で笠懸が開催されています。
当時の城の様子が想像できる地形図をモチーフにしました。新井城には防衛のため、「内引橋」と「外引橋」が設けられていたと伝わっています。内引橋は横堀海岸付近の岬のくびれた台地上に、外引橋は現在の「引橋」という交差点付近に掛けられていたと考えられています。外引橋付近には宗瑞の軍勢が陣を敷いたと伝わる「陣場」という地名が残っています。あわせて、新井城は三方を海に囲まれた海城であることから、海に浮かぶ船を描き、三浦一族の水軍拠点である湊をイメージしました。
販売場所
CoolClanURAGA
〒239-0822
神奈川県横須賀市浦賀1-8-3
℡046-845-9530
販売時間:11:00-21:00 定休日:水曜
※歴×トキにて通信販売します
※お城EXPOの三浦一族城郭保存活用会ブースにて販売します
また、今回は別バージョンの御城印も販売されます。
こちらは中世三浦歴史探検隊の発行で地元限定です。
こちらの会とは御城印発行に関しても連携し、今後も連携しながら新井城の発信をしていこうと思います。
まずはこの2枚の御城印で内外に向けて新井城をPRしていきます✨
栃木県那珂川町ツアーのお知らせ✨
巨大な空堀が残る武茂城へ!宇都宮一族の武茂氏の居城です。
これまた、楽しい歴史が埋もれていてワクワクします♡
【先行仮予約】
2月11日(祝)・3月4日(土)両日同じ内容、両日とも限定8名のみ
集合場所 道の駅ばとう
参加費 5000円(昼食代・保険料等込み)
申込方法 那珂川町観光協会にメール申込み(メール以外の申込は不可・先着順)
メール受付後、仮予約の可・不可を観光協会から1週間以内を目処に連絡いたします。
その後、仮予約ができた方にはJTB本申込用URLをメールで送信いたします。
そのサイトにて必要事項の入力、決済を完了していただいて本予約完了となります。
那珂川町観光協会 nakagawa-kanko@nactv.ne.jp
ツアー詳細は添付写真をご覧下さい。
このツアーは「道の駅ばとう」に集合解散です。
公共交通機関でのご集合が厳しい場所ですのでお気を付け下さい。
神武寺ツアーのお知らせです。
2023年1月21日(土)
午前午後同じ内容で2回開催です。
主催は逗子市観光協会さんです。
12月12日の8:30から申込フォームにて申込開始です✨
詳細は以下をご覧下さい。
集 合: ①JR東逗子駅 9:00出発~12:00 (8:30受付開始)
②JR東逗子駅 13:00出発~16:00 (12:30受付開始)
コース: JR東逗子駅—表参道—神武寺(こんぴらやぐら・薬師堂など)—五霊神社—法勝寺—光照寺—海宝院—JR東逗子駅
参加費: 2,000円(保険代・ガイディングレシーバー代込)
定 員: ①午前、②午後、各30名(抽選)
申込み: 12月12日(月)8:30~21日(水)17:00
申込み方法:申込フォームからお申し込み下さい
https://www.zushitrip.com/form/rekisimeguri/
※お申込みは①午前、②午後のどちらか1回限りとし、両方お申込みの場合は無効となります
※申込み期間外のお申込みは無効となります
問合せ:逗子市観光協会
〒249⁻8686 逗子市逗子5-2-16
千葉県旭市でJRバス関東さんと千葉城郭保存活用会のコラボツアー『ガタゴトバスツアー』第3弾を開催しました。
すでに3回目ということで、募集開始から即満員御礼いただきました✨
今回も空港第2ビル駅をスタートしてガタゴトGO!
貸切路線バスでまわるので、ローカル感満載でほのぼのツアーとなってます♪
旭市観光物産協会さんがお煎餅の差し入れをしてくれたり♪
もちろん運転手は秋葉さん。バスは22年選手のバス太くん。
あいにくの雨模様でしたが、鏑木城、長部城、大原幽学記念館、見広城、佐貫城、網戸城とめぐりました。
雨でも無事に全行程クリアすることが出来、お見せしたい旭市の色んな歴史を楽しんでいただけたかと思います♡
鏑木城は千葉一族鏑木氏の城とされ、戦国時代まで存続しました。小田原の役の段階では「かぶらぎの城 300騎」と書かれていることから、そのときまで機能していたことが分かります。
城下には宿、根古屋が形成され、椿の海に面した交通の要衝地にあたります。
周辺を歩くと、当時の雰囲気を想像することができて楽しい城です。
長部城は千葉一族松澤氏の城と伝わり、詳細不明ながらも遺構が良好に残ります。
特に主郭奥の堀は見事。
現在は大原幽学記念館になっているので、あわせて見学しました。
大原幽学は尾張藩士の家柄とされ、大道寺氏を出自とするとされています。大道寺政繁の子どもの系統らしい。
若いときに勘当され、諸国を回り、「性学」の教えを説いていました。
その中で、長部村に縁ができ、農村指導者として村の農業改革を行ったのです。
そのときに教導所として居を構えたのが長部城の跡地でした。
要害地形が気に入り選んだとされています。
それにより、人を集めて洗脳し、立て籠っていると疑われ、5年にわたる厳しい取り調べを受けました。
失意の中、幽学は自害しましたが、長部村には幽学が行った農業改革の痕跡が残っています。
見広城は椿の海に面した高台に築かれ、水上交通を抑える役目を担っていたと考えられます。
代々島田三河守なる一族が領していたと伝わっています。
ヤマトタケルの父、景行天皇の伝説も残っていることから、古代から発達した地域だったことも推察できます。
堀や土塁、雛壇状の曲輪なども確認でき、遺構の残りも良好です。
佐貫城は源義経に付き従った片岡常春の伝承が残る城です。
現在は波に削られ、台地ごと消失してしまっていますが、かつては岬状に張り出した海城だったと考えられています。
戦国期には海上氏の支城だったとも推察されています。
網戸城は木曽義昌の城です。木曽義仲から19代後裔にあたる義昌は、武田信玄の娘を妻とし、その後は徳川家康に属しました。家康が関東に入ると網戸に移封され、網戸城を築き善政を敷いたと地元に伝わります。
義昌は網戸に入って5年で亡くなってしまいましたが、遺言により椿の海に水葬されました。
このように、今回もとても濃い楽しいツアーになりました✨
ガタゴトバスツアー第4弾は1月です。
告知開始次第、お知らせしますね♪
お楽しみにー!
関ヶ原ツアーの翌日は玉城で動画撮影でした✨
ツアーと同じく、小川新聞店さんの企画。
三浦正幸先生、西村知穂さんとご一緒させていただきました🎬
玉城は前回下見で訪れて以来、いつかツアーやりたい!と思ってましたが、今回でさらにツアーやりたい欲求が高まりました。西側の大堀切と腰曲輪をぶつ切る堀がすごい!
三浦先生と玉城について色々とお話しさせていただいて(三浦一族のお話も盛り上がりました😆)、勉強になったし、何より楽しかった♡
西村知穂さんとも堀や腰曲輪でキャッキャと盛り上がり、これまた最高に楽しかったです♡
知穂さんは山城をお好きとのこと。
またぜひご一緒したい!とても素敵な方でした。
関ヶ原では2日間にわたり、とても貴重な経験させていただきました✨
いつか玉城ツアーやらせていただきたいと思います。お楽しみにー!
YouTube新作公開しましたのでお知らせいたします。
今回は「三浦一族津久井氏!いざ、承久の乱!」(前篇)です。
鎌倉殿の13人も残すとこあと数回。
クライマックスの承久の乱が近づいてきました。
それに先駆け、三浦一族津久井氏がそのように承久の乱を戦ったのか、動画で足取りを追いましょう♪
三浦義明の弟義行から始まるとされる津久井氏。
一説には相模川沿いに領地を広げ、相模原の「津久井」を領したことから、現在も相模原に「津久井」の地名が残っているともいわれています。
三浦半島の津久井を発祥地として、水上交通での舟運を使い、発展した津久井氏。
今回はその足取りを追うべく、静岡県、愛知県に行って撮影してきました✨
良かったらご覧下さい。
ついに!
衣笠駅前店観光案内板が新しくなります🙌
衣笠観光協会によって、40年ぶりのリニューアルです✨
案内板が一新されます✨
文字が見にくく、木に隠れて、ひっそりと佇んでいた案内板。
もはや案内板の役目を成しておらず、下手すると立っていることすら気づかれなくなっていたこの子が新しくなりますよー💨
デザインと内容含め、やらせていただきました😌
子供の時から見ていた看板なので感無量😭
せっかくの大河の盛り上がりを消してはいけない!と、来年以降も継続的に三浦一族の魅力を発信し続けるべく、設置していただけることになりましたヽ(^。^)丿
やったー!衣笠観光協会&関係者の皆様、ありがとうございます♡
18日(金)10時にお披露目です❤️
私も現地に行きます♪
特に何をするわけではありませんが、お披露目会です✨
お近くの方、もし良かったらフラリと見に来てください(^^)
もちろん、18日以降も案内板はずっと設置されてますのでぜひいつか見に行って下さい♪
先日のお城開きで、面白い遺構が出てきました!今まで、よくわかんないなぁと思っていた箇所の謎が解けたかも?!
やぶ刈りしたら、ますます並木城が面白くなってきました。
それもこれも、城開きで参加者が整備してくれたおかげです。
去年に続き、今年もちょっぴり多古の歴史を掘り起こすことができました。
あぁ、楽しかった。
そして、それを産経新聞の高橋記者が記事にしてくれました。
素敵な記事。嬉しいな✨
千葉・多古の「並木城」 お城イベントで新発見 大改修示す地形か(産経新聞) - Yahoo!ニュース
11月5日は千葉県匝瑳市で「歴史を活かしたまちづくり」のシンポジウムでした。パネルディスカッションに登壇させていただきました。
最初は石破茂さんの講演、続いて元竹田市長の首藤勝次さんの講演がありました。
どちらも、地域の歴史の大事さ、それによるシビックプライドの醸造、物事に感動することの素晴らしさを熱く語っていただき、今までやってきた取り組みが間違ってなかったんだなと、熱いものが体の奥から湧いてくるようなそんな嬉しく有り難い時間でした。
パネルディスカッションは司会小室裕一さん(千葉城郭保存活用会代表)、パネラー石破茂さん、首藤勝次さん、神山典士さん(ノンフィクション作家)、都祭広一さん(匝瑳市議会議員)、高坂恭子さん(多古町議会議員)でした。
パネルディスカッションでは、どうして「城」を使って活動しているのか、「歴史」がどうして地域に大事なのか、今後何ができるのか…などを、今までやってきたことを元にお話しさせていただきました。
こういうことをお話しする良い機会をいただいたことに感謝です。
どんな取り組みにしろ、地元が動かないとどうにもならない。民間が動いて、そのパワーで行政が動きだして連携できれば一気に物事が動く。目的を見失わないように進もうと、再確認するいい機会でした。
この3年間、自分なりにやってきたけど、もどかしいことも山ほどあって…。
どうしよう、どうしたらいいんだ!と、焦る気持ちが募る時期もあって。
今回、首藤さんがパネルディスカッションの中で、「焦りを感じる。でも、それは良質な焦りだからいいんだよ。良質な焦りはパワーを生むよ」と言ってました。本当にそうだなと、気が楽になりました。とにかく、小さな成功を積み重ねていくしかないから。
学び多く、たくさん勇気づけられて、貴重な時間でした。
石破さんの講演もとっても熱く面白く楽しかったです✨首藤さんも「こんなに民間が頑張ってるなら、俺が市長、町長になりたいよ」とも言ってくださいました✨
さらに嬉しかったのは、シンポジウム終わって匝瑳城郭保存活用会のみなさんとお話していたときに、
「地元の素晴らしさを再確認した」「もっと匝瑳を輝かせたい」「気持ちが熱くなった」「シンポジウムやってくれて良かった」などの言葉をもらいました。地元の人がそう言ってくれるなら大成功だったんだなと、とても嬉しい気持ちになりました♡
シンポジウムのあと、萬町のお囃子の練習見学に。
すごい!かっこいい!匝瑳は古くからのお祭りの町!伝統が息づいてる!
8月4日、5日が祭らしい。
コラボイベントやろうかな。
東照宮。東金御殿から逃げた家康の鷹が匝瑳に飛んできたらしい。捕まえてあげたことから、東照宮を建ててもらったとのこと。そんな歴史も面白い。
次の日は歴史ツアー。たくさんの方に参加していただいて、こちらも大盛り上がり✨
ますます匝瑳が熱くなりそう🔥
関ケ原でツアーやらせていただきます。
今後どんどん広く深くやらせていただきますが、まずはお得なモニターツアーが開催されますのでこの機会にご参加ください✨
関東からでも、名古屋から東海道線で40分で行けちゃうので日帰りも可能です。
なんと、関ヶ原バージョンの山城ガールむつみも誕生❤かわいい!
11月23日(祝)
お昼とおやつ尽き♪
関ケ原の戦い以外の関ケ原の魅力もお届けしますー
お申込みはこちらから。
山城ガールむつみと巡る、秋の関ヶ原ツアー(限定モニターツアー) | 歴史ツアー,関ケ原町 | 戦国武将、歴史グッズの「小川新聞店」通販サイト (ogawashinbunten.com)
大変遅くなりましたが、六国見山&高野切り通しコースYouTube後篇を公開しました。
ツアーと同じコースをたどって、じっくり歩きました✨
良かったらご覧下さい。
一緒に歩いている気分になっていただいたら嬉しいです♡
https://youtu.be/HAnVcvxViuA
今月も新しい御城印をデザインさせていただきました。
香取郡佐原市小見川の「下小川城」です✨
里見軍に対峙した小見川城粟飯原氏の家臣成毛氏が臨時に築いた城とされています。
寺を急場作りの城郭にした感じ。
下小川城の詳細はコチラ。
こちらの同封御城印説明文も書かせていただきましたー✨
【下小川(しもおがわ)城のご説明】
下小川城の詳細は不明ですが、小見川城主粟飯原氏の重臣成毛宗親の城と伝わります。現在、東光院血当寺が建っている場所が下小川城とされ、周辺には「堀之内」、「蔵屋敷」などの地名が残っており、周りを水田に囲まれた微高地となっています。
下小川城の北方約3kmには千葉一族粟飯原氏の小見川城があり、里見氏の侵攻を防ぐために、急遽、従前の寺院を改修して小見川城を守るために城郭として整えたと考えられています。
永禄3年(1560年)の上杉謙信(長尾景虎)の関東出陣に呼応し、里見軍の将である正木時忠が下総国に侵攻しました。正木氏は「橋向城」と呼ばれる陣城を現在の小見川中央小学校の場所に築き、小見川城を攻撃し、永禄9年(1566年)まで在城したと伝わります。その際に小見川城を守るため、里見軍の橋向城に対峙するように築かれたのが別名「川向城」と呼ばれる下小川城と考えられています。
血当寺は里見軍撤退後の永禄10年(1567年)に、城としての役目を終えた下小川城の跡地に成毛宗正が父宗親のために創建したと伝わります。
【御城印デザインのご説明】
下小川城の御城印には小見川城と里見軍正木氏の陣城「橋向城」、そして下小川城の位置関係がわかる地図をデザインしました。
あわせて、血当寺に残る「明応4年」(1495年)と読み取れる文字が記された貴重な頭部山形双塔板碑をモチーフにしました。頭部山形双頭板碑は下総地方特有のものといわれる大変貴重な板碑です。しかしながら、現地に残る板碑は摩耗が激しいため、御城印には復元イメージした板碑を描きました。そして、千葉宗家の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」、小見川城主粟飯原氏の家紋「三本竹」を配置しました。
販売情報はコチラ。10月22日(土)からの販売です。
※歴×トキでは通販は取り扱いません。
販売場所
〇道の駅水の郷さわら
千葉県香取市イ3981-2
電話0478-50-1183
営業時間 8時から18時 年中無休
〇寺嶋陶苑(てらじまとうえん)
千葉県香取市小見川268
電話0478-82-2322
営業時間 8時30分から18時30分 水曜日定休
〇まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
ネット販売
〇しすいノいいモノ
https://tsuku2.jp/shisuinomono
問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810
翌日の6日(日)には山城ガールむつみさんによる匝瑳のお城巡りバスツアーを開催します。
前日のシンポジウムの参加者はセット価格の料金内容となっております。
<山城ガールむつみとともにまわる匝瑳のお城巡りバスツアー>
令和4年11月6日(日)午前9時から午後1時
集合場所時間:八日市場公民館 午前8時50分
コース 八日市場公民館➡八日市場城(山城ガールむつみによる60分程度の説明ウォーキング)➡飯高寺(通常非公開の本堂内見学)➡飯高寺本堂奥の飯高城主郭及び周辺城館群の山城ガールむつみによる説明ウォ―キング及び見学(一部車中よりの説明)➡午後1時頃、八日市場公民館にて解散
参加料:一人前売り2000円(消費税込み)当日2500円(消費税込み)
シンポジウムとセットの場合、前売りセット価格で4500円(消費税込み)
なお、本ツアーに参加いただきました方には、御城印をデザインした山城ガールむつみ氏サイン入りの八日市場城、飯高城の匝瑳市が誇る2つのお城のオリジナル御城印をセットでプレゼントさせていただきます✨
お申込み先 sosajokaku@gmail.com
ガタゴトバスツアーin旭市!!
募集開始となりました✨
11/26(土)です。
空港第2ビルに集合して、路線バスを貸し切ってガタゴトと出陣します。
お城も歴史も満載のツアーです🙌
今回は千葉県旭市のお城に出陣。
旭市はかつて椿の海が広がり、そして九十九里の海岸線に囲まれた海上交通の要衝地にあたるため、沿岸部にはたくさんのお城が築かれました。
今回は鏑木城、見広城、そして長部城といった千葉県内でも屈指の山城や、源義経の伝承の残る佐貫城、さらには木曽義仲にもゆかりのある網戸城といった盛りだくさんの内容で歴史ロマンの旅をお届けします!
ぜひ、一緒に歴史探訪ツアーに出陣しましょう♡
山城ガールむつみ隊長とゆく千葉の山城ツアー♪「旭市」をめぐろう! | ジェイアールバス関東 (jrbuskanto.co.jp)
関ケ原にロケハン行ってきましたー!
年内にツアーやります。そして来年以降、定期的にツアーやらせていただきます✨
関ケ原は「関ケ原の戦い」がもちろん有名ですが、戦いが起きた理由があるわけで。
その理由を考えながら歩くのが、関ケ原の歴史の楽しみ方だと思います。
古くからの様々な歴史が埋もれています。
そこで、「関ケ原の関ケ原の戦いじゃない魅力を掘り起こそうプロジェクト」が始動です!
勝手に私がネーミングしただけですけど…(笑)
でも本当に、関ケ原という場所は「関ケ原の戦い」がすべてになってしまっている感じがありますが、それ以外の歴史も満載です。
なので、その面白さをたくさんの方に知っていただきたく、単発のツアーではなくて、中長期にわたって定期的にツアーやイベントをやりたいなと思います。まずは下見して、その点をつないで線にして、面にして立体にして地域の魅力を浮かび上がらせたいと思います✨
今回の下見では、見たかった歴史スポットをたくさん回らせていただいたので、これをストーリーにして紡ぐツアーコースの造成をさせていただきたいと思います。
ウキウキワクワク♡腕が鳴ります✨
どんな楽しい歴史があるのかは写真で少しだけ紹介します。
ツアーの告知などは決まり次第、お知らせします。ぜひ、お越しください♪
関東からも近い!名古屋から40分くらいで行けちゃいます。
駅に降りると、垂れ幕やら看板やらがたくさん。
笹尾山。石田三成の陣。ここからは、地形が一望できるので、最初にここから見渡すのがオススメ。
周りにたくさん陣はあるけど、やはり石田三成の笹尾山に行ったら大谷刑部の陣とお墓参り。
大谷吉継の墓の麓には平塚為広の石碑。
三浦一族ともいわれているし、ツアーでも立ち寄りたいな。
合戦地は車や自転車で回ってしまいがちだけど、何回目かに訪れた時にはゆっくり歩いて踏みしめたいところ。
最初の訪問の時は、わたしも自転車で回ってしまったけど。それ以降は、歩いて回ってます。そうすると、位置関係や地形がわかるので面白い。
合戦地の紹介はキリがないので、ツアーでご一緒できればと思います。
合戦以外の魅力をチラリとお届け。
こちらは、ずっとお参りに来たかったお墓!!
春王丸と安王丸の墓。
鎌倉公方足利持氏の遺児たち。永享の乱で足利持氏が自害した後に、結城合戦でこの二人を擁立するも敗れてしまって、京に送られる途中に処刑されました。
このあたりは処刑場だったのでしょうか。五輪塔などがゴロゴロしてました。
関ケ原の戦いではここは池田輝政の陣に。
ここにあった金蓮寺は垂井の町中に移されているので、そちらに移動。
現在の金蓮寺。
処刑の地の石碑。本堂には二人の木造が祀られています。
話が変わって、こちらは義経らのお母さんの常盤御前の墓。
周辺には五輪塔もたくさんありました。街道筋なので、いろんな伝承が残っています。
美濃国一之宮と分離される前は神宮寺として一体だった真禅院。
ここには北条政子寄進の鉄塔。そのご、室町時代に土岐氏によって改鋳されたらしいですが、県の重要文化財になってます。
街道筋のため、ヤマトタケルの伝承もこの地域のあちこちに残ってます。
ここは腰掛石。
腰掛石に行くには、日本軍の作ったトンネルをくぐる。
いろんな歴史がありすぎて、なんかすごい。
腰掛石。
これは日本軍の見張り所。交番みたいなもの。
近くには日本最大の弾薬庫があったのとのこと。
垂井町と大垣町の境には美濃国国府、国分尼寺、国分寺が。
写真は国分寺。
国府があった地域。美濃国はここが中心なのです。だから、古来からの歴史が満載!
壬申の乱の開戦も関ケ原から。
この川を挟んで、大海人皇子と大友皇子が戦いを開始しました。
不破関もここです。
歴史がたくさんありすぎて、ツアーが何本も作れそう。楽しみ。
さらに垂井町は竹中氏の領地。
竹中半兵衛ゆかりの地。その子、重門の陣屋。
竹中半兵衛の銅像。町内に3つあるんだって。
そして、平塚為広の居館とされる垂井城。
竹中氏も相模鎌倉党を出自とし、平塚氏も相模三浦党を出自とするとも伝わります。
いろいろとつながって面白いですね。
関ケ原町と垂井町は山城もたくさん。
写真は玉城。
他にも菩提山城や松尾山城なども、ツアーやりたいな。
ということで、以上が下見の簡単なレポートでした。
ぜひ現地でご一緒しましょうー♡
毎月開催している逗子松汀園イベントのお知らせ✨
逗子松汀園は大正時代の建物を利用した宿です。
素敵な雰囲気のお宿なんですが、毎月イベントやってます。
13時に集合⇒歴史ツアー⇒逗子松汀園にて夕食
という、最高のツアーです。
料理もお酒も美味しい♡
かなり好評をいただいているツアーなので、すぐに満席というありがたい企画です。
そのため、日程追加でご案内してます。
冊子などに載らないシークレットの日にちや企画があります。
以下のツアーは私のブログやSNSのみでの追加募集になりますので、良かったらお申し込み下さい。
金額や逗子松汀園の情報、大体のツアースケジュールは写真を参考にしてください。
夕食とツアー料金あわせて6800円!
お得すぎます♡料理は写真参照。とにかく豪華でおいしい♪
〇10月12日(水)
大江広元ゆかりのスポット&明王院などの鎌倉幕府ゆかりの史跡巡り
13時に鎌倉駅集合
〇11月14日(月)・30日(水)
いざ、化粧坂切り通しを歩こう!
13時に鎌倉駅集合
〇12月12日(月)・19日(月)
いざ、和田合戦へ!
13時に江ノ電極楽寺駅集合
お申し込みは逗子松汀園までお電話ください。
046-871-2042
9月24日に新しい御城印が発行されます。
またデザインと同封説明文をやらせていただきました✨
千葉県香取郡多古町の大島砦です。
お城の詳細と販売情報は以下をご覧下さい。
通販は3ヶ月限定で歴×トキでも取り扱います。
【大島砦のご説明】千葉県香取郡多古町
大島砦は標高32mの丸山及びそこに繋がる北西側台地の基部に築かれました。現在、丸山の山頂には熊野神社が鎮座しています。城郭遺構は確認できないものの、東側先端には人工的な平場があり、栗山川を見下ろす位置に当たることから、櫓台の可能性も考えられます。
大島砦の詳細は不明ですが、千葉胤貞による築城とも伝わっています。平安末期から、多古は「千田荘」という荘園の中心地で平家一門の藤原親政(ふじわらのちかまさ)の領地を経て千葉氏の領地となります。千葉氏は源頼朝に助力し、鎌倉幕府の成立に大きく貢献、そして勢力を拡大していきました。
しかし、鎌倉幕府が滅亡すると、千葉一族も足利尊氏派(北朝)と後醍醐天皇派(南朝)に別れて戦いました。「千田殿」と呼ばれ、千田荘を本拠とした千葉胤貞は尊氏派に、胤貞の従兄弟の貞胤は後醍醐天皇派につき、一族は対立して戦うことになったのです。多古は争乱の舞台となり、鎌倉時代から南北朝時代にかけて多くの城が築かれました。そのような状況の中で、大島砦も築かれたと考えられます。
大島砦の北方わずか1.5kmには、志摩城が築かれた「島」があります。島は中世割符(さいふ)布取引(為替取引)が当時の金沢称名寺領であった茨城県久慈との間で行われていたことが、文献上も明らかとなっている全国的にも珍しい場所であり、中世期の商業的繁栄が推測される場所です。享徳の乱に端を発した千葉一族のお家騒動の際は、このように重要であった志摩城に千葉宗家当主胤直が籠城し、その後、志摩城城内にあったと思われる妙光寺(現正覚寺)にて自刃したとされています。
千葉氏にとって志摩城は重要な城であり、その志摩城の前面の防衛の役目を担っていたのが大島砦であるとともに、栗山川を中心とする水運の監視所として、重要視されたことが推察できます。
【御城印のご説明】
大島砦の東側を流れる古代からの水運の大動脈である栗山川は、大島砦付近で多古橋川に分岐、さらに志摩城付近で借当川に分岐します。まさに、大島砦と志摩城は3本の河川を掌握する場所に位置しており、古代からこの地域の水上交通の要衝地であったと思われます。大島砦の御城印は、大島砦、志摩城の位置や、多古橋川、借当川、栗山川および明治時代においても残っていた湖沼(現在の多古光湿原)がわかる地形図をモチーフにしました。
栗山川流域は古くから水上交通が発達していたため、たくさんの丸木舟が出土しています。そのため、御城印には丸木舟をデザインしました。栗山川、借当川流域における縄文時代の丸木舟の出土数は全国の5割を占めているといいます。あわせて、千葉一族の家紋「九曜」「月星」をデザインしました。
販売場所
〇道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)
休業日:年末年始(1月1日~1月2日)
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
〇ネット販売
・「しすいノいいモノ」
https://tsuku2.jp/shisuinomono
問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810
新作YouTube公開しました✨
ツアーの下見で埼玉県比企郡小川町の青山城に行ってきました。
下見光景、少しだけ動画にしました。
よかったらご覧下さい。
(1082) 山城ガールむつみとツアー下見にGO!in青山城 - YouTube
あわせて、10月8日のツアーもまだ残席ありますのでお越し下さい♡
山城ガールむつみの小川町出陣のススメ いざ、青山城&腰越城へ!~遺構が良好に残る戦国の山城を楽しむ~ | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)
のあたびツアー10月、11月の両コースが募集開始になりましたのでお知らせです。
10月は伊豆韮山へ!
今回は北条義時ゆかりの地「江間」へ。北条寺や豆塚神社をまわります。
あわせまして、頼朝が石橋山の合戦の後に隠れたと伝わる「しとどの窟」、頼朝を助けた土肥実平の屋敷ともされる「城願寺」も。
韮山と湯河原、2つのエリアを回る盛りだくさんツアーです✨
いざ、江間小四郎ゆかりの地!しとどの窟 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
11月は相模国をたっぷり贅沢にまわります♪
畠山重忠が幕府軍と戦った二俣川の戦い、和田義盛ゆかりの初声(三浦市)、そして鎌倉。
このシリーズの最後はやはり鎌倉をもう一度みなさんと一緒に歩きたい!という想いから、最後は鎌倉に立ち寄ります。
実朝暗殺、そして比企氏滅亡。
さらに、ドラマで描かれている時代の後には、鎌倉でどんなことが起きたのか?
そんな話も取り混ぜながら、モリモリ盛りだくさんの歴史の旅を楽しんでいただければと思います。
いざ、鎌倉&二俣川合戦へ!畠山重忠首塚・和田城跡・鶴岡八幡宮 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
お城開き2022in多古のお知らせ
今年もお城開きやりますので、もしよろしければご参加下さい!
今年のお城は並木城です。
お城の整備をしながら、並木城を楽しむ企画です。
地域の宝である歴史と城✨
未来に残すために、みんなで楽しく守っていければと思います。
先着順なので早めにお申し込みくださいませ。
●10月29日(土)
●集合時間場所:午前11時30分 道の駅多古あじさい館
※空港第二ビルからシャトルバスでお越しの方は11時00分発のバスに乗っていただければ間に合います。
●参加費:無料 (当日の保険料は多古城郭保存活用会で負担いたします)
●募集人数:先着30名
●スケジュール
11時40分 道の駅多古あじさい館出発
12時00分 並木城到着 昼食
12時30分 整備開始
16時30分頃 道の駅多古あじさい館にて解散
●注意事項:
・当日は動きやすい服装、スニーカー、肌を露出しない長袖長ズボン等
でお越し下さい。また、軍手をご持参下さい。
・現地までの交通費は各自ご負担下さい。
・雨天中止といたします。
●主催:多古城郭保存活用会
●後援:一般社団法人多古町観光まちづくり機構、千葉城郭保存活用会、匝瑳城郭保存活用会
●お申し込みメールアドレス:takojokaku@gmail.com
お名前、電話番号、ご住所、ご年齢をメールにご記入ください。
詳細は以下をご覧ください。
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/21474
10月25日(火曜)
唐沢山城&川越城に行くツアーです✨
京急百貨店上大岡COTONOWAの企画です。
上大岡発着のバスツアーです。
唐沢山城では3時間くらいかけて、お城を見て回ります。
ツアーでこんなとこまで行くの?!という感じになるくらい、堪能していただきます♡
川越城周辺の遺構や仙波東照宮などを見て歩きます。
良かったらお申し込み下さい。
お昼は「6月のオーベルジュ」という素敵なレストランとのこと。
これまた楽しみ♪
申し込みは上大岡京急百貨店総合サービスカウンターです。
もし、ご来店が難しいならCOTONOWA事務局にお電話ください。
電話での仮申し込みの後に、書類での正式申し込みとなります。
045-848-7294
https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/jsp/web/cotonowa/base/pdf/2022_vol18.pdf
上記はCOTONOWAのパンフレットです。
唐沢山城ツアーはP3に記載。
その他の私のツアーはP11に記載されています。
どちらも募集中です。
なお、P11に記載されているツアーは以下のサイトから申し込み可能です。
公式サイト - COTONOWA-京急百貨店がお届けする新しいコト体験‐コトノ
キーワードに「むつみ」と入れてもらえれば出てきますのでぜひお申し込み下さい✨
来月初旬までのツアーなどのお知らせです。
良かったらお越し下さい✨
・9月13日(火)
梶原景時ゆかりの地&洲崎合戦場へ
https://helloaini.com/travels/20767?prcd=meXA
・9月14日(水)、17日(土)
のあたび「八田知家ツアー」
いざ、八田知家ゆかりの地!小田城跡・宝篋山ハイキングコース | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
・9月24日(土)
東京ビッグサイト「ツーリズムEXPO」
阪急交通社ブースにて15:00-15:30ミニ講座。先着20人。(予約不要)
楽しそうなイベントですのでぜひチェックしてみてください。EXPO入場券は事前予約です。
https://www.t-expo.jp/public/about
・9月27日(火)
菊名城&三浦義村の墓など
https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=475262
・10月8日(土)
埼玉県小川町ツアー「青山城&腰越城」
https://ogakuru.jp/introduce/aoyama
・その他
9月12日(月)、26日(月)夕食付きツアー・朝比奈切り通し
※詳細問合せKKR逗子松汀園
046-871-2042
新しい講座の募集が始まりましたのでご案内します。
横須賀市市民大学の講座です。
横須賀市民、横須賀在勤、横須賀通学の方が優先とのことですが、良かったらお申し込み下さい。
横須賀市市民大学後期講座 | まなびかん | 横須賀市生涯学習センター (manabikan.net)
28の講座が私です。
(27は私じゃないですが、きっと面白いと思います)
今月も御城印をデザインさせていただきました。
東京都荒川区の石浜城、埼玉県小川町の腰越城、千葉県我孫子市の中峠城です。
詳細や販売情報は以下です。3城とも8月27日(土)販売開始です。
今回も現地に何度かお邪魔して、気持ち込めてデザインと説明文を書きました✨
腰越城は10月8日にツアーやりますので、こちらもぜひ!!
ツアーでプレゼントされますので、参加の方はツアーの日までお楽しみにしててください♡
山城ガールむつみの小川町出陣のススメ いざ、青山城&腰越城へ!~遺構が良好に残る戦国の山城を楽しむ~ | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)
【腰越城のご説明】埼玉県比企郡小川町
腰越城は蛇行する槻川に三方を囲まれた天然の要害を利用して築かれました。標高216m地点を中心に築かれた山城で、大小あわせて17を超える郭が残っています。城山の麓には「北城山」「南城山」といった小字名とともに、「榎木戸」「根古屋」といった城郭に関連する地名が残ります。
『関八州古戦録』によると、腰越城は青山城とともに松山城の支城として松山城主上田氏が築城したとされ、上田氏の重臣山田伊賀守が城主だったといわれています。本郭からは南に青山城と中城、北に四ツ山城、北西に安戸城を望むことができ、腰越城はそれらの城と連携しながら機能していたと考えられます。
発掘調査によると、堀切、竪堀、横堀、虎口などを組み合わせた技巧的な造りをしていて、改修した形跡はなく、現地にはそれらの遺構が良好に残っています。また、火災にあった形跡が見つかっていて、腰越城での戦闘の可能性も指摘されています。
江戸時代から腰越城の一帯は石灰岩の採石が行われたため、その影響を受けて南側が大きく崩されています。『腰越村川欠見取絵図(寛政4年・1792年)』には二つの頂が描かれていることから、この南側も城域で現存よりもっと広かった可能性も指摘されています。なお、腰越城は埼玉県指定史跡となっています。
【御城印のご説明】
腰越城の本城である松山城主上田氏は、もとは扇谷上杉氏に仕え、その後、小田原北条氏に属しました。御城印には、扇谷上杉氏と小田原北条氏の家紋をデザインしました。
腰越城の西には「大河原谷」と呼ばれる谷が入り込み、谷の一番奥には上田氏の菩提寺である浄蓮寺があります。境内には上田政広、朝直、長則の墓があり、上田氏にとってこの谷が重要な地であったことが分かります。それらの位置関係や谷を走る街道がわかる地図と、技巧的で遺構が良好に残る腰越城の縄張図をモチーフにしました。
販売店
〒355-0328
埼玉県比企郡小川町大塚47-3
おいでなせえ小川町駅前店
電話0493-59-6988
営業時間10:00-18:00
定休日なし
ネット販売
おいでなせぇ
https://hiki-gojouin.stores.jp
【石浜城のご説明】東京都荒川区
石浜城は隅田川(古利根川)沿いの水上交通の発達した地域に築かれました。かつては、橋場(荒川区・台東区)、今戸、待乳山(台東区)周辺一帯が広く「石浜」と呼ばれていたといいます。石浜城の比定地については諸説ありますが、現在の石濱神社(荒川区南千住三丁目)が石浜城の有力候補地とされています。
石浜周辺は武蔵国と下総国の境に当たり、古代東海道上に位置し、川を渡る「渡し」があり、水陸交通の要衝で都市的な場として発展しました。鎌倉時代には江戸氏の拠点であり、室町時代には江戸庶家である石浜氏の本拠地だったと考えられます。石浜城の築城年代や築城主などは不明ですが、交通の要衝の地に築かれたと推察されます。
南北朝時代文和元年(1352年)には、足利尊氏と新田義貞の遺児である南朝方の新田義興との武蔵野合戦で、石浜に逃れた尊氏がここで立て直しをはかり、南朝方の新田軍を破りました。
享徳の乱(1454年)に端を発した千葉一族の内紛が起きると、当主千葉胤直ら千葉宗家が傍流である馬加康胤らに襲われ、多古(千葉県香取郡多古町)に逃げ込む事態となりました。馬加康胤らはさらに多古を攻め、胤直と子の宣胤は自刃、胤直の弟胤賢も自刃しました。このとき、胤賢の子である実胤、自胤(これたね(※1))は市河城に脱出しましたが、市河城も落とされ、武蔵国に逃れました。扇谷上杉氏の家宰太田道灌の支援を受け、実胤が赤塚城に、自胤が石浜城に入り、武蔵千葉氏となりました。(※2)しかし、勢力をそがれた武蔵千葉氏の石浜の維持は困難であったと思われます。そのため、扇谷上杉氏の庇護のもと、千葉宗家奪還を目指し、本佐倉城を拠点とした下総千葉氏と戦いましたが下総への復帰は叶いませんでした。
その後、武蔵千葉氏は小田原北条氏に属し、北条氏から養子を迎えています。天正18年(1590年)に北条氏が豊臣秀吉に攻められて滅亡すると、同時に武蔵千葉氏も没落し、石浜城も廃城となったと思われます。
※1:自胤の読みに関しては、『千学集抜粋』に読みが書かれており、それによって「これたね」と読むことが定説となっています。
※2:『鎌倉大草子』などの書物では、実胤が石浜城に、自胤が赤塚城に入城したとされますが、研究の結果、この内容は否定されています。
【御城印のご説明】
石濱神社は神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願で創建され、鎌倉時代以降は武家から篤い信仰を受け、江戸時代は東都の名所として知られました。「神明さん」と親しまれ、ご祭神は伊勢神宮と同じ天照大御神・豊受大御神です。『江戸名所図会』に描かれた境内の俯瞰図をデザインしました。
石浜城付近にあった渡しは、「隅田の渡し」、「橋場の渡し」と呼ばれていました。治承4年(1180年)、石橋山の戦いで平家軍に敗れた源頼朝は、安房国上陸後に鎌倉を目指して進軍しますが、その際にこの付近に浮橋を架けて渡ったとされ、これが「橋場」の地名伝承となっています。そのことから御城印は、隅田川を渡る頼朝の錦絵『江戸名所古跡伝』モチーフにしました。
千葉氏伝来の宝珠を祀った石濱神社内の真崎稲荷に関する故事、武運守護を宝珠に祈願する千葉胤直の姿を描いた『東京開化名勝之内 千葉介胤直石浜神明之古筆』をモチーフにしました。胤直は傍流の馬加康胤に攻められ戦死しましたが、甥の自胤、実胤が武蔵国に逃げ、自胤が石浜城に入ったことから、無念の死を遂げた胤直が一族の存続と繁栄を真崎稲荷の祭神に祈るという場面が錦絵に描かれたのかもしれません。あわせて千葉宗家及び、武蔵千葉氏の家紋を配置しました。
なお石浜城の御城印は、石濱神社職員の書家鈴木明空(めいくう)様にご揮毫いただきました。
販売場所
〇石濱神社
〒116-0003
東京都荒川区南千住3-28-58
TEL : 03-3801-6425
営業時間9:00-16:00
無休
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
〇ネット販売
・「しすいノいいモノ」
https://tsuku2.jp/shisuinomono
問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810
【中峠(なかびょう)城のご説明】千葉県我孫子市
中峠城は利根川と手賀沼に挟まれた標高20mほどの湖北台地に築かれました。南北西の3方向は急崖となっていて、東側のみが台地続きとなっています。別名「芝原城」ともいい、かつてこの地が芝原村という村だったことに因みます。周辺は開発によって崩されてしまったものの、現在は「古利根公園 自然観察の森」として一部が保存整備された公園になっていて、堀や土塁の痕跡が確認できます。
東側の台地上に「下根古屋」、西側の台地の下から法岩院にかけて「上根古屋」という地名が残っています。この「根古屋」という地名が残ることから、中峠城が戦国期に使用されていたことが推察されています。
『湖北村誌』によると、中峠城は千葉一族である河村氏の居城で、天文10年(1540年)に河村出羽守が古城を改修整備して「中峠城」と命名したとされています。詳細は不明ながらも、河村氏は主家の千葉氏を通して北条氏に属したと考えられ、同じく北条氏に属していた小金城(松戸市)の高城氏の支配下にあったとされています。天正18年(1590年)の小田原合戦で河村氏は小田原城に詰め、その留守中に中峠城が落ちたと伝わっています。
上根古屋地区にある法岩院は河村氏の菩提寺とされ、江戸時代に造立された河村一族の墓がいまもなお残っています。
【御城印のご説明】
中峠城の御城印には、城下を通る街道や地形が分かる地図をデザインしました。中峠城の北側直下は、旧利根川の名残りである古利根沼となっていて、この地が水運の要衝だったことがわかります。中峠城の東側に「海老宿」という宿地名があることから、城下に宿が形成されていたと思われ、まさにこの地は水陸交通の結節点にあたると推察されます。
中峠城からは、かわらけが10点出土しています。そのうち7点は、堀底に一群にかたまった状態で見つかっていて、残り3点は黒いシミが付いていたことから灯明皿として使用されていたと考えられています。中峠城では柱穴は見つかっておらず、居住性は認められませんでしたが、堀や土塁が現地で確認できることや、かわらけなどの遺物が出土していることから当時を偲ぶことができます。
さらに、河村氏の出自とされる千葉一族の家紋「九曜」と、小田原北条氏の家紋「三つ鱗」をモチーフにしました。
販売場所
〇アビシルベ
〒270-1151
千葉県我孫子市本町2丁目1番10号
TEL : 04-7100-0014
休館日: 年末年始(12月29日から翌1月3日)
営業時間: 9:00〜18:00
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
〇ネット販売
・「しすいノいいモノ」
https://tsuku2.jp/shisuinomono
問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810
横須賀衣笠が盛り上がってます。
開催中の三浦一族パネル展は9月4日まで。最終日前日の3日(土)は終日会場にいます。ぜひ、ふらりと寄って下さい。ギャラリートークもありますよ。
パネル展の監修させていただきました。
会場では、三浦一族の紹介動画も流れてます✨
会場入口。
中に入ると結構広くて、展示が充実してることに驚きます✨
配布物も充実!
衣笠駅前のかながわ信用金庫さんの屋上には、三浦一族の幟がヒラヒラ。
かっこいい!!
垂れ幕も!
駅にも垂れ幕!
あちこちに垂れ幕!
かながわ信用金庫さんのショーウィンドウには、こんなパネルも!
このお二人と並べていただいて感動ですー♡
ずらりと!
衣笠商店街では9月4日まで歴史クイズラリーも開催。
こちらも監修させていただきました。
小一時間で回れます。商店街が楽しい町なので、ラリーにはもってこいです。
さらに、お店でお買い物をするとプレゼントがもらえるイベントも開始になりました!
1店で缶バッジ1個、3店でマウスパッド、5店でトートバック✨
自分が欲しかったのでアイディア出させてもらいましたが、実現して嬉しいです笑!
こんな素敵なお土産もありますよ。
たくさん買い物して、喫茶店ハーバーライトで休憩✨
レトロでカワイイお店なのです♡
三浦一族ツアーは2つ申し込み受付中。
・三浦一族オープントップバスツアー
8月24日です。この日が最終日なので最後のチャンスです!
衣笠城、浄楽寺、運慶展へ。まだ多少お席があるとのことなのでぜひぜひ❤
横須賀市内をバスで走ると、あちこちに三浦一族の痕跡があります。楽しすぎて移動中もわたしずっと喋ってます笑
申し込みは横須賀市観光協会まで。
・怒田城ツアー
9月11日です。8月29日申し込み締切です。衣笠観光協会までお申し込み下さい。
衣笠観光協会で怒田城に出陣します。
はじまりの鎌倉、小坪合戦、衣笠合戦と開催してきたこのシリーズ。
4回目は怒田城です。
申し込みは8月29日まで。
多数の場合は抽選です。
ツアーは9月11日。午前午後の2回開催。
はい、わたしはダブルヘッダーです笑
【参加者募集】歴史体験ウォーキングツアー「三浦一族の足跡を終え!(第4回)」 - 衣笠観光協会 (yokosuka-kanko.com)
どしどしお申し込み下さい✨
新しいツアーのお知らせです。
埼玉県比企郡小川町ツアーやります。
今回の出陣は青山城と腰越城です。
どちらも関東の戦国史を語るの欠かせない素晴らしい山城です✨
今回は2つの城をタップリご紹介。
昼食は国指定有形文化財になっている「吉田屋住宅」です。
国指定でありながら、ご飯が食べれる貴重なお食事処ですよ♪
ぜひお申し込み下さいませ!!
今から私も楽しみ!!
山城ガールむつみの小川町出陣のススメ いざ、青山城&腰越城へ!~遺構が良好に残る戦国の山城を楽しむ~ | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)
今回は埼玉県比企郡小川町の青山城と千葉県袖ケ浦市の川原井里見城と小坪館が販売開始になりました。
お城の情報や販売情報は以下をご覧下さい。
今回もかっこよく完成しました✨
【青山城のご説明】埼玉県比企郡小川町
青山城は仙元山の南側に位置する丘陵に築かれました。標高は265mで、西側には小川町の市街地がある盆地から谷が入り込み、東側は槻川が蛇行して流れています。
青山城の南東約3km地点の小倉城とは、途中「物見山」を経て、尾根続きとなっています。このことから、青山城と小倉城は連携して機能していたことが推察されます。
三方の尾根が交わる自然地形を巧みに利用し、その頂点に主郭が置かれています。それらの尾根からの侵入を遮断するように、堀切、竪堀などを多用した技巧的な山城です。
『関八州古戦録』の記述から、永禄5年(1562年)に小田原北条氏が松山城に上田暗礫斎(上田朝直)と上田朝広を置き、青山、腰越の砦とともに守らせたことが分かります。この青山の砦が青山城とみられ、青山城が東方約20kmに位置する松山城の守りとして機能していたことが推察されます。
山麓には集落が形成されていないことからも、青山城は生活空間や居住性は重視されておらず、あくまで松山城の支城として軍事的な役割のみをもった城であることが指摘されています。
【御城印デザインのご説明】
「青山」の由来は、この山が青色をした緑泥石片岩(青石)で形成されている「青い山」であるためにその名が付いたといわれています。青山城の麓には、板碑(いたび)の採石地である下里・青山板碑製作遺跡(国指定史跡)があります。このことから、青山城の御城印は緑泥石片岩のカラーをイメージしました。二の曲輪西側の土塁上には、緑泥石片岩の石積みが残り、小倉城のように緑泥石片岩を多用した石積みが想定されています。
青山城の本城である松山城城主上田氏は、もとは扇谷上杉氏に仕え、その後、小田原北条氏に属しました。御城印には、扇谷上杉氏と小田原北条氏の家紋をデザインしました。
あわせて、技巧的で遺構が良好に残る青山城の縄張図をモチーフにしました。
【川原井(かわはらい)里見城のご説明】千葉県袖ケ浦市
川原井里見城は小櫃川の支流松川によって形成された谷津に面した標高80mの丘陵に築かれました。里見亦四郎の居城という伝承を持ち、「ジョウヤマ(城山)」の字名が残っています。現在、「ジョウヤマ」と呼ばれる最高地点はゴルフ場となっていますが、かつては80m×50mの区画と、西側に堀が存在したとされています。さらに周辺には「軍坪(いくさつぼ)」「番所」「番所谷」「番所前」「長堀」などの地名が残っています。
また、番所谷北側の高台には土塁に囲まれた空間があったことが見て取れ、最高所の「ジョウヤマ」とその下に位置する区画とが一体になり機能していた可能性が考えられます。
川原井里見城の詳細は不明ですが、松川とそれに沿うように通る街道を押さえる役目を担っていたと考えられます。この地域は近くに鎌倉街道も走り、また松川は川原井付近の最上流部から丘越えをすれば、養老川水系に繋がり、交通の要衝です。城山麓の北西を流れる大月川の対岸の真光寺の台地からは平安時代を中心とした遺跡が存在することからも、この地域は古くから往来があり、開けた大事な場所だったことが推察されます。
山を越えた西方に真里谷武田氏、里見氏、小田原北条氏いずれかの築城と考えられている川原井城があることからも、この付近が諸勢力の入り交じる重要な場所であったことが分かります。
【御城印デザインのご説明】
川原井里見城の城下には美しい谷津の風景が残っています。また、谷を見下ろすように築かれた物見台跡と思われる平坦面が残るなど、当時の面影を感じることができます。それらの谷津や大月川の対岸にある真光寺、そして松川や街道などがわかる地図をモチーフにしました。
大月川に面した丘陵部には礫石(つぶていし)が集積されていたと伝わることから礫石をデザインし、物見台から周囲を見張る兵士をイメージしました。あわせて、里見氏の家紋を配置しました。
【小坪(おつぼ)館のご説明】千葉県袖ケ浦市
小坪館は南に小櫃川、北に松川が流れる標高約1.5メートルから2mの自然堤防上に築かれました。現在の中川小学校付近が小坪館の推定地とされています。周辺には小坪館との関係も考えられる「榎戸」という小字名、「中溝」という伝承地名も残っています。
小坪館の詳細は不明ですが、鎌倉時代前期には、横田郷の在地領主と考えられる「横田悪四郎入道」なる人物が上総国御家人として記録されています。戦国期になると横田郷は真里谷武田氏の支配を受け、武田氏の流れをくむと言われる葛田氏が在地領主となっていた可能性があります。葛田氏の初代とされる信恒は、里見義尭と戦ったのち里見氏の軍門に下り、横田郷を与えられたと伝わります。
小坪館の全体構造については不明ですが、小坪館の中心地と思われる中川小学校東南には横田神社が鎮座していて、そのまわりには土塁や堀の痕跡にも見える跡があることから、横田神社も小坪館の一部であった可能性が考えられます。
小坪館北側には戦国期には存在したと考えられる街道(久留里街道)が通り、街道沿いには上宿・中下(宿)の地名が残ります。葛田家に伝わる古文書からは、天正8年(1580年)横田に新宿が立てられ、里見氏がこれについて「不入」を承認するとともに市の開催を要請したことがわかっています。
さらに、小坪館の北西には横田郷へ入る北の入口を意味すると思われる「北口城」があります。北口城は松川、小櫃川の両河川の水運及び街道の往来を直接押さえる機能を担っていたと思われます。小坪館は北口城と連携し、横田郷の中心的城館の役目を担っていたと思われます。
小坪館の北を流れる松川は、遡航すると川原井城や川原井里見城へと繋がるとともに、最上流部より丘越えすると養老川水系等へと繋がる重要な水上交通網でした。小坪館はそれらの城とも連携していた可能性があり、小櫃川はもとより、松川における水上交通網は中世期においては小櫃川同様の重要性を持っていたと思われ、小坪館を考える上で欠かせない鍵になるといえます。
【御城印デザインのご説明】
小坪館が築かれた横田郷は、中世期には上総国畔蒜荘の荘園が広がっていたことが調査により分かっています。これにより、15世紀前半の横田郷の姿が具体的に復元されました。御城印は横田郷の復元鳥瞰図(笹生衛氏作成)をモチーフにするとともに、街道や地形の分かる地図をデザインしました。
あわせて、戦国期には真里谷武田氏、続いて里見氏の支配下にあったと推察されることから武田氏と里見氏の家紋を配置しました。小坪館の城主と伝わる武田一族葛田氏も武田氏の家紋「四ツ菱」を使用しています。
販売情報
〇青山城 7月23日(土)から販売開始
おいでなせえ小川町駅前店
〒355-0328
埼玉県比企郡小川町大塚47-3
電話0493-59-6988
営業時間10:00-18:00定休日なし
※ネット販売
おいでなせぇ小川町御城印屋
https://hiki-gojouin.stores.jp
〇川原井里見城・小坪館 7月23日(土)から販売開始
※観光協会のみ7月25日(月)から販売開始
※ネット販売
しすいノいいモノ (地域に愛される酒々井プレミアム・アウトレットの目の前まるごとしすい) (tsuku2.jp)
●(一社)袖ケ浦市観光協会
千葉県袖ケ浦市坂戸市場1-1(市役所新館5階)※8/8~(市役所南庁舎2階)
電話0438-62-3436
営業時間9:00~16:00
休業日 土日、祝日、年末年始
●FARM COURT袖ケ浦
千葉県袖ケ浦市袖ケ浦駅前1-39-12
電話0438-97-7855
営業時間10:00~18:00
休業日 年末年始
●袖ケ浦公園 レストハウス菖蒲
千葉県袖ケ浦市飯富2360
電話0438-63-2118
営業時間10:00~16:00
休業日 水曜、年末年始、悪天候
●Yショップつるや
千葉県袖ケ浦市蔵波26-1
電話0438-62-8516
営業時間6:00~19:00
休業日 日曜、祝日、年末年始
●曹洞宗真光寺
千葉県袖ケ浦市川原井634
電話0438-75-7365
営業時間9:00~17:00
休業日 なし
●まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
電話043-376-6810
営業時間9:00-18:00
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
阪急交通社の駿府城ツアーが募集開始になりましたー✨
このツアーは駿府城だけではなく、賤機山城に登ります!!
少しハードですが、賤機山城は遺構の残りもいいですし、なんといっても家康が入る前の駿府を考える上で大事な城です。
汗かいて、息をきらせて、一緒に歴史ロマンを楽しみましょう♡
やはり自分の足で歩かなきゃ!ですね。
駿河国の中心駿府!今回は今川氏の詰城の賤機山城と家康の駿府城をあわせてめぐります。駿府という土地の重要性や歴史の移り変わりを見ながら歴史を紐解きたいと思います。山城としても見応え十分な賤機山城と、駿府城散策や発掘調査現場まで楽しめる歴史と城満載のツアーです。しかも、昼食のお店が素敵♡
横浜発着はコチラ
●【たびコトツアー】<横浜駅発着バス利用>徳川家康ゆかりの地めぐり「いざ!駿府城&賤機城」へ 日帰り(SB279Y)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
東京発着はコチラ
●【たびコトツアー】<東京駅発着バス利用>徳川家康ゆかりの地めぐり「いざ!駿府城&賤機城」へ 日帰り(SB279)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
新しいツアーのお知らせです✨
阪急交通社たびコトツアーで関東動乱の舞台をまわるツアーです。
今後もコース拡大予定!
各地の歴史、一緒に楽しみましょう❤
まずは2コースが今日から募集開始です。
いざ、高麗山城へ!
高麗山城は北条早雲ゆかりの山城です。
上杉謙信もすぐ近くまで攻め寄せたという面白い歴史が埋もれてます。
高麗山城は遺構もバッチリで、ハイキングコースでありながら戦国時代にタムスリップできる楽しい山城です✨
この地域は古くからの街道筋に当たるため、様々な歴史や伝承が残っています。
大河ドラマでも話題になった曾我兄弟の伝説も残ってます。いろんな話をしながら楽しく歩きたいと思います。
是非一緒に歴史ロマンを楽しみましょう!
こちらは現地集合現地解散で、バスを使わないツアーです。
詳細はサイトからご覧下さい。
●【たびコトツアー】関東動乱の舞台を行く!いざ「高麗山城」へ 日帰り(SB286)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
千葉一族を楽しむ旅・いざ、千葉城&多古の山城へ!
頼朝の挙兵に味方した名族千葉一族ゆかりの地をめぐります。千葉市街地に残る伝承や痕跡をたどることで、千葉氏の歴史を知り、楽しみましょう。千葉氏は関東を代表する武家となりますが、戦国時代には一族で内紛が起きました。それによって、千葉城が戦いの舞台となり、脱出先の多古でも大きな合戦が起きました。今回はバスで千葉氏の歴史をたどります。我々も千葉から多古へと、歴史ロマンの旅に出陣します!
こちらはバスツアーです。
東京発着と横浜発着の2コースとなってます。ご都合よろしい方にお申し込みください♪
東京発着はコチラ
●<東京駅発着>千葉一族の本拠地「千葉」・お家騒動の合戦の舞台「多古」の戦国山城へ 日帰り(SB287)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
横浜発着はコチラ
●【たびコトツアー】<横浜駅発着>千葉一族の本拠地「千葉」・お家騒動の舞台「多古」の山城へ 日帰り(SB287Y)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
7/6〜9/4
衣笠商店街にて三浦一族研パネル展やります!
前回好評いただきましたので、パワーアップして再開催!✨
またまた監修させていただきました。
前と少し違う展示になってます。装飾も素敵に🙌
そのうち以下の2日間、私が終日在廊しますのでお立ち寄りください(^^)
7/15(金)、9/3(土)の2日間
開館から閉館までずっといます。
(開館時間はおそらく10:00-16:30です)
11:00~、12:00~、13:00~、14:00~、15:00~の各15分間(計5回)はギャラリートークなどいたします。
いつでもフラリとお越しください✨
※事前予約不要、会場内が混雑したときは入場制限あり
あわせまして連動企画!
横須賀美術館の「鎌倉幕府と三浦一族~運慶~」展、衣笠城、浄楽寺、観音崎京急ホテルのランチという盛りだくさんのバスツアーです。
しかもオープントップバスで行きますよ♪
2コースありますが、私は歴史コースのナビゲーターです。
詳細申し込みは以下の横須賀市観光協会HPから。
【7月・8月限定】オープントップバスでゆく!歴史・文化体感ツアー – 横須賀市観光協会 (yokosuka-kanko.com)
(以下、HP引用)
<コース 詳細 >
①歴史コース:三浦一族の浪漫を探してwith山城ガール
【開 催 日】2022年 7月8日(金)、22日(金)、8月4日(木)、24日(水)
【集合場所】ヴェルニー公園内ティボディエ邸前 (9:00集合)
【定 員】40名 *先着予約順 *最少催行人員25名 *7月22日のみ25名様
【代 金】通常価格 大人@9,800円のところ・・・2,000円OFF!
大人(高校生以上)@7,800、中学生@5,900、小学生@4,900、未就学児@1,900
※未就学児とは4歳~小学校入学前のお子さまです。
(0歳~3歳のお子さまは、バス座席や食事は付きません。)
【コース】ヴェルニー公園9:00集合/9:10発 = 衣笠城址 = 浄楽寺 = 観音崎京急ホテル(昼食) = 横須賀美術館 = ヴェルニー公園16:30頃 解散
※ヴェルニー公園最寄り駅:京急 汐入駅、JR 横須賀駅より徒歩10分
今月も御城印のデザイン&プロデュースさせていただきました。
千葉県匝瑳市の松山城です✨
2022年6月25日(土)の販売開始です。
販売情報は一番下に描いてありますので、よろしくお願いします。
☆松山城の説明
松山城は松山神社が鎮座する台地上に築かれました。「松山」「中台」という大字にまたがり広範囲に渡って城郭や家臣屋敷などが置かれ、集落が形成されていたと思われます。かつては台地を取り囲むように施された土塁の断片が見て取れたといい、現在、松山神社周辺に曲輪や空堀、土塁らしきものが残ります。
さらに、「御門」「大木戸」「馬場」「蔵屋敷」「殿ノ内」「花輪」「堀ノ下」「松葉(的場の転訛とみられる)」などの城郭に関連する地名が周辺に残っていることからも、台地上の広範囲に渡り築かれた城であることが推察できます。
松山城は千葉一族の松山氏の居城と伝わります。松山氏は千葉常胤の弟椎名胤光の子の胤平を祖としており、椎名氏は千葉荘椎名を領していました。
頼朝による木曽義仲討伐軍、平家討伐軍の中に椎名胤平(松山胤平)の名前が見え、胤平が頼朝に従って戦っていたことがわかります。それらの功により、椎名氏は南条荘(匝瑳市)を与えられ、胤平は松山に入ったと考えられています。
その後も松山は中世を通じて松山氏の領地として続き、戦国期には松山の台地上に城が築かれました。詳細は不明ですが、松山氏は戦国時代末期には主家である千葉氏を通じて小田原北条氏に属していたと思われます。
【御城印デザインのご説明】
松山城が築かれた台地には、八日市場、生尾、吉田、佐倉を結ぶ街道が通っています。江戸時代には「上宿」「中宿」「下宿」「横宿」の存在が確認でき、それらの宿の形成は中世に遡る可能性も指摘されています。このように松山の台地は、古くからの交通の要衝でした。
街道を取り込むように築かれた松山城の御城印は、街道と集落をイメージしました。そして、この地域の中心であり、平安時代の創建と伝わる松山神社の光景をモチーフにしました。江戸時代において、松山神社は徳川幕府より扶持米が下される格式を有する神社であり、このような地位の神社は下総国では銚子市の猿田神社と松山神社のみです。
あわせて御城印には、千葉一族の家紋「月星」と、千葉一族を出自とする松山氏の家紋「九曜」を配置しました。
販売場所
○そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時
年中無休
○まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
鎌倉殿の13人もどんどん盛り上がってきてます!
今回もドラマにまつわる楽しいツアーのご案内です。
横須賀市観光協会主催の「オープントップバスツアー」です!
いつもと違う目線の高さで、横須賀を回ってみませんか?
もちろんバスの中でもたくさんお話させていただきます♡
三浦一族ゆかりの貴重な仏像が勢揃い!
なんと、国指定重要文化財が17体も!
三浦一族ってすごい!ほんとスゴイ!
【7月・8月限定】オープントップバスでゆく!歴史・文化体感ツアー – 横須賀市観光協会 (yokosuka-kanko.com)
申し込みは横須賀市観光協会HP。電話でも大丈夫です。
以下は横須賀市観光協会HPより引用。
「オープントップバスでゆく!歴史・文化体感ツアー」は、横須賀ゆかりの氏族「三浦一族」が生きた時代の歴史と文化を、オープントップバスでめぐりながら「見て、学んで、体感」するツアーです。下記2コースからご興味のあるコースをお選びください♪(両方参加も大歓迎!)
また、当ツアーは通常代金から2,000円OFFの夏季限定特別価格でとってもお得!
お友達、ご家族で、この機会に皆さまお誘いあわせのうえご参加ください★
◆歴史コース◆ 三浦一族の浪漫を探してwith山城ガール
「三浦一族」の歴史をテーマに、スペシャルツアーガイドの山城ガールむつみ氏と一緒に「三浦一族」の本拠地 衣笠城を訪ね、歴史を体感します。歴史が苦手な方も分かりやすく楽しめるガイドが評判です!
< 詳細 >
①歴史コース:三浦一族の浪漫を探してwith山城ガール
【開 催 日】2022年 7月8日(金)、22日(金)、8月4日(木)、24日(水)
【集合場所】ヴェルニー公園内ティボディエ邸前 (9:00集合)
【定 員】40名 *先着予約順 *最少催行人員25名 *7月22日のみ25名様
【代 金】通常価格 大人@9,800円のところ・・・2,000円OFF!
大人(高校生以上)@7,800、中学生@5,900、小学生@4,900、未就学児@1,900
※未就学児とは4歳~小学校入学前のお子さまです。
(0歳~3歳のお子さまは、バス座席や食事は付きません。)
やっと、YouTube新作がアップできました!
前編公開からかなり時間が経ってしまいましたが、よかったら観てみてください✨
撮影したのは1年前。その後に、この撮影コースは何度もツアーをやったのでなんだか懐かしい感じ。
またツアーやりたいな。
(846) ~鎌倉殿の13人!三浦一族&源頼朝、房総半島に脱出の巻~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!いざ、安房国へ!(後編)』 - YouTube
やっと、YouTube新作がアップできました!
前編公開からかなり時間が経ってしまいましたが、よかったら観てみてください✨
撮影したのは1年前。その後に、この撮影コースは何度もツアーをやったのでなんだか懐かしい感じ。
またツアーやりたいな。
(846) ~鎌倉殿の13人!三浦一族&源頼朝、房総半島に脱出の巻~『山城ガールむつみの出陣のススメ!!いざ、安房国へ!(後編)』 - YouTube
4回講座のお知らせです。
座学1回・FW3回です。
もしよろしければご参加下さい✨
いざ、「武家の都」鎌倉!鎌倉歴史歩き(全4回) - カルチャープラザ平塚|平塚市、ららぽーと平塚、湘南周辺で趣味・習い事をお探しなら (culture.gr.jp
6/18・6/24 八重姫物語!伊東氏ゆかりの地めぐりと伊豆山権現詣り | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
告知が遅くなりましたが、今月もバスツアーのあたび鎌倉殿の13人ツアーやります♪
まだ申し込めますのでよろしければ!
今回は満願寺からスタート。
佐原義連開基と伝わるお寺。国重文の地蔵菩薩、観音菩薩を拝観しました。
義連ゆかりの仏像と伝わります。
高僧俊芿(しゅんじょう)がこの寺の創建に関わったと思われます。
寺域は今の数倍あったのでしょうね。
ここでは、三浦一族佐原系の歴史をお話。
矢部禅尼と北条泰時、そして、再嫁先の佐原盛連。
その子供たちから始まる、三浦一族シーズン2✨
タップリお話しさせていただきました。
満願寺の後は佐原城へ。ここでは地元の手作り甲冑隊がおもてなししてくれました。
写真がなくてすみません。紙面に甲冑隊の方々との記念写真が載ってます♪
地元の愛情をいただき、次のスポットへ!
お次は茅山貝塚。現在は慈眼院です。
ここは縄文時代の貝塚ですが、そのあと15世紀に寺が創建されたと伝わります。詳細は不明ですが、立地的に私は砦のようなしかるべき施設ではないかと思っております。
なぜなら、対岸は怒田城。海からのルートの最重要地です。
しかも、貝塚。怒田城も吉井貝塚です。ということは、古くから人が集落を構えていた台地です。
上書きされて中世も何らかの形で使われたのではないでしょうか?
ちなみに山裾からは、今での大量の貝が出てきて面白いです✨
正業寺に寄ってから怒田城へ。
今回は結構歩きます。かつての海をまたいで対岸へ。最終的には4時間で17000強。
歩いたー!という心地よい疲れあり。
正業寺は砂村新左衛門のお墓があります。かつての古久里浜湾が入り込んでいた湿地をで時代の頭に干拓した、幕府のスーパー技術者です。干拓されて、内川新田となりました。
なので、怒田城から、それ以前の海や湿地だった様子、船が行き交うようなそんな景色を想像して皆で思いを馳せました。
ここでは、石橋山の戦い、小坪合戦、衣笠合戦。
そして、衣笠城から脱出して、この怒田城から船で安房に渡る経緯をタップリとお話ししました。
大河ドラマではあまり描かれませんでしたが、日本の歴史を左右するほどの大事件がココで起きていたのです✨
今回は対岸から歩いてきたので、いつもよりもさらに想像力がパワーアップ。
だれの眼にも、この景色が青々とした海が入り込み、三浦一族の船が行き交う光景が浮かんだことでしょう。
今回も大盛り上がりで楽しいツアーでした♡
今月も新しい御城印が販売になります。
千葉県八千代市の吉橋城と米本城です。
どちらのお城も面白いです。
歴史も満載なので、周辺を歩いて当時に想いを馳せてみてください。
お城の詳細は以下です✨
【吉橋城のご説明】千葉県八千代市
吉橋城は印旛沼水系である桑納川の南に位置する台地の先端に築かれました。現在、貞福寺がある台地一帯が吉橋城の城域とされています。貞福寺は真言宗の寺で、応永元年(1394年)に創建されたとされます。江戸時代に書かれた『貞福寺文書』には吉橋城に関わる記載があったといわれますが、残念ながら現存していないため詳細は不明です。
吉橋城が築かれた台地の付け根には八幡神社が建っていて、この場所に「大木戸」があったと伝わっています。他にも周辺には「花輪」など、城の存在を連想させる地名が残っています。
築城年代や城主等の詳細は不明ですが、高木(高城)伊勢守胤貞が城主だったと伝わっています。高木(高城)氏は小金城主高城氏との繋がりが指摘されています。小金城主高城氏は千葉氏の庶流である原氏の家臣であることから、高城氏に繋がる高木(高城)氏が原氏の居城であった臼井城の西方の防衛として吉橋城に入ったことが推察されます。
貞福寺の北側には土塁で囲まれた曲輪があり、周囲には空堀、櫓台も残っていて、城域はかなりの広さだったと思われます。吉橋城はこの地域の中心的な城郭として、東方2kmの距離にある同じく原氏の家臣村上氏の米本城と連携して機能していたことが考えられます。
【御城印デザインのご説明】
吉橋城の御城印には、千葉一族の家紋「月星」と「九曜」をデザインしました。吉橋城の周辺には、千葉一族が信仰した「妙見」が祀られ、「妙見橋」などの名が残ります。それらのことからも、伝承の通り、千葉一族の系統と称する高木(高城)氏が城主だった可能性が高いです。
あわせて、吉橋城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。桑納川などに囲まれた要害であることがわかります。
吉橋城にはいくつかの落城伝説や合戦の伝承があります。詳細は定かではないものの、地元ではそれらの伝承を大切にしてきました。そのひとつに、吉橋城落城の際にたくさんの血が流れ、それらの戦死者を弔うために祀られたという「血流地蔵」の伝説があります。御城印はその伝承をモチーフにし、お地蔵様の姿を描きました。
【米本城のご説明】千葉県八千代市
米本城は新川の東岸に位置する舌状台地に築かれました。後世の土取りによって、先端は原型をとどめていないものの、土塁、土橋、櫓台などの遺構が良好に残っています。
米本城の東側には「上宿、中宿、下宿」の地名が残っていて、これらの宿の形成は中世まで遡ると思われます。このことからも、米本城が街道に面した要衝に築かれたことが分かります。
米本城の南西にある根小屋集落の先には、「城橋」の地名が残り、新川を渡る橋が架けられ、渡河点であったことが推察されます。まさに米本城が陸路と水路の結節点を押さえる役目を担っていたことが分かります。
米本城の築城等の詳細は不明ですが、村上氏の城と伝わっています。村上氏は千葉氏の庶流である原氏の家臣であることから、原氏の居城である臼井城の防衛の役目を担い、米本城に入ったと考えられています。村上綱清が城主のときに落城し、綱清が討ち死、もしくは自害したという伝説も残っています。それらの真偽は定かではありませんが、城内から炭化米が出てきたことや、新川を挟んだ対岸に太田道灌が陣を敷いたという言い伝えがあることなどから米本城がなんらかの戦いの舞台になったことが推察されます。
米本城はこの地域の中心的な城郭として、西方2kmの距離にある同じく原氏の家臣高木(高城)氏の吉橋城と連携して機能していたことが考えられます。
【御城印デザインのご説明】
米本城の御城印には、千葉一族の家紋「月星」と「九曜」をデザインしました。米本城主村上氏は、鬼門に米本神社、裏鬼門に七百余所神社を置きました。どちらも妙見信仰です。村上氏は千葉一族の出自ではないとされているものの、主筋にあたる原氏の信仰のシンボルを城内に置いたと思われます。村上氏は信濃国村上一族を出自とするとも伝わるため、信濃国村上氏の家紋をデザインし、あわせて飯綱権現をモチーフにしました。米本城と新川を挟んだ対岸に飯綱神社があり、信濃国村上氏は飯綱権現とゆかりが深いことから、信濃国村上氏と米本城主村上氏の繋がりを感じることができます。また、この飯綱神社は太田道灌が陣を置いたという伝承がのこる場所です。
そして、米本城城山の地形が分かる地図をデザインしました。新川などに囲まれた要害であることがわかります。
販売情報はコチラ
※5月28日(土)販売開始
○まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
※5月27日(金)販売開始
○八千代市観光協会
千葉県八千代市八千代台東2-8-1
047-407-0192
営業時間 10時~15時 火曜・金曜のみ営業
歴×トキの通販でも取り扱います。
通信販売 | 歴×トキ (rekitoki.com)
ツアー募集開始になりましたのでお知らせです✨
6月5日(日)
衣笠城に出陣!
今回は午前座学、午後衣笠城へ。
丸一日楽しめるツアーです♪
きっと何度歩いても楽しいです。
なぜなら100回以上衣笠城の周辺を歩いてる私でも毎回楽しいから笑
申し込み締め切りは5月16日。応募多数の場合は抽選です。
詳細は衣笠観光協会HPもしくはチラシをご覧下さい。
【参加者募集】歴史体験ウォーキングツアー「三浦一族の足跡を追え!(第3回)」 - 衣笠観光協会 (yokosuka-kanko.com)
とても嬉しいのでご報告!!
あの吉川弘文館さんの『本郷』に寄稿させていただきました✨
「歴史のヒーローヒロイン」というコーナーです。
私が書いた人物は”矢部禅尼”です。
三浦義村の娘で、北条泰時と結婚して北条家嫡男である時氏を生みました。
時氏の子、経時と時頼が4代、5代の執権になりました。
時氏は早世してしまいましたが、矢部禅尼の孫たちが執権になったのです。
矢部禅尼と泰時は離縁しますが、彼女はその後、同じ三浦一族の佐原盛連と再婚しました。
そのことから、1247年に起きた三浦氏と北条氏が戦った宝治合戦で三浦宗家は滅びましたが、佐原氏は北条氏に味方して、その命脈を繋ぎ、三浦宗家を継ぎました。さらには、会津の蘆名氏へとその血が繋がっていきます。
そんな矢部禅尼を三浦一族にとってのヒロイン、そして私にとってのヒロインとして書かせてもらいました。
よろしければ、お買い求めください。200円ですが、内容がものすごいです。
執筆されてる先生方の豪華なこと!!
4月23日(土)から新しい御城印が販売されますのでお知らせです。
千葉県香取郡東庄町の和田城、千葉県山武市の松尾城と埴谷城の3城です。
またデザインと同封説明文を担当させていただきました。
詳細はこちら。
【和田城のご説明】千葉県香取郡東庄町
和田城はかつての椿の海から入り込んだ入江左岸の丘陵に築かれました。周辺を湿地に囲まれた要害だったと思われ、「舟戸」の地名が残ることから、水運と密接に繋がっていたことが分かります。谷を挟んで南方には桜井城、入江を挟んで北東に大友城があることからこの地域の重要性が分かります。さらに、須賀山城、森山城、小見川城などの主要城郭へ続く北進する街道が付近を通っていて、まさに水陸の要衝地です。
和田城の築城等の詳細は不明ですが、千葉一族である上代(かじろ)氏の居城だったと伝わり、城内には千葉神社が鎮座しています。千葉神社の北方直下には三日月形の横堀が掘られ、さらに一段下に横堀が入り、そこから雛壇状の曲輪が続いています。その下は根小屋集落が形成されていたと考えられ、今でも当時の雰囲気を色濃く残しています。
和田城は主要な2つの曲輪で形成され、その曲輪を守るように横堀、土塁、腰曲輪が施されていて、戦国時代の城郭の姿を良好に残しています。
【御城印デザインのご説明】
千葉一族である上代氏の居城と伝わる和田城の御城印には、千葉氏の家紋「月星」、「九曜」をデザインしました。そして、椿の海へと続く水上交通の要衝地だったと思われることから、近くを船が行き交う様子を描きました。
和田城には合戦が行われた伝承が残っています。真偽のほどは定かではありませんが、正木氏の下総侵攻の際にこの地域がかなり緊迫した状況下に置かれたことが推察され、戦死者を祀ったと伝わる「左右大神」などが残ることから、和田城周辺で何らかの戦闘があったことが推測できます。そのため、御城印には和田城で奮戦する上代氏とその家臣団をイメージしました。
なお、東庄町発行の和田城の御城印は、日本のみならず海外でご活躍の英国王立美術協会の名誉会員でもある岩井颯雪様にご揮毫いただきました。
和田城のご購入はコチラ
○東庄町役場
千葉県香取郡東庄町笹川い4713-131
0478-86-6075(東庄町観光協会事務局)
○東庄町観光会館
千葉県香取郡東庄町笹川い580-1
0478-86-6075(東庄町観光協会事務局)
○まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
【松尾城のご説明】千葉県山武市
松尾城は明治2年に築かれた松尾藩の城です。明治元年に徳川家が駿河、遠江に移封になったことを受けて、遠江国掛川藩は上総国に国替えとなりました。当初は芝山観音経寺(山武郡芝山町)を仮藩庁としたため、柴山藩と称していましたが、その後、大堤村、猿尾村、八田村、田越村の村域に新たに城郭を築き、藩庁と城下町を建設することになりました。新たな城郭は、九十九里浜を望む木戸川東岸の台地に占地され、西洋の稜堡式多角形要塞の建築が始まりました。
そして、掛川城本丸の南にあった「松尾池」、その南の「松尾曲輪」に因み、城名を「松尾城」としました。明治3年に藩庁(現松尾自動車学校)と藩主の居館である御住居地(現松尾中学校)、そして城下町が完成すると、柴山から移り、藩名を「松尾藩」に改称し、太田資美を藩主とする松尾藩5万石が成立しました。
しかし、明治4年に廃藩置県を迎えたため、松尾藩はその他の諸藩とともに松尾県に組み込まれ、松尾城は未完のまま廃城となりました。
松尾城は当初の計画では四稜郭の予定でしたが、地形等の制約により、最終的には三稜郭となりました。三稜郭は日本では松尾城が唯一となる貴重な遺跡です。
【御城印デザインのご説明】
松尾城の御城印には、松尾藩主太田氏の家紋「丸に桔梗」をデザインしました。松尾藩が成立したときの当主資美から数えて15代前の当主が道灌(資長)にあたります。道灌は桔梗紋を好んだと伝わっています。あわせて、「違い鏑矢」の家紋もデザインしました。この家紋は桔梗紋よりも古い時期から太田家で使われていたともいわれています。
そして、「臨時築法四稜城之図」をモチーフにしました。これは松尾城の計画絵図と考えられていましたが、調査の結果、16世紀初頭にオランダが植民地に築いた城塞とほぼ同じであることが判明しました。この絵図の入手経路などは不明なものの、松尾城築城には蘭学が大きな影響を及ぼしたことが分かる貴重な図面といえます。
さらに御城印には掛川城の天守をデザインしました。掛川城から移封になりながらも、新たな城名と藩名に「松尾」の名を付けた藩主と藩士らの想いが偲ばれます。
【埴谷城のご説明】千葉県山武市
埴谷城は山武市内を南北に流れる境川の左岸に広がる台地上に築かれました。標高は40mほどですが、周囲はかつて水田となっていて、湿地に囲まれた要害です。
台地の突端を利用し、地形に沿った五角形の単郭構造となっていて、腰曲輪が周りを囲んでいます。折れを伴う土塁や堀の痕跡が見て取れます。
築城等の詳細は不明ですが、上杉禅秀家臣の埴谷氏や、千葉一族宍倉氏との関連が指摘されています。
埴谷氏は、秩父平氏を出自とすると伝わり、関東管領を務める家柄の犬懸上杉氏の執事だったといわれています。犬懸上杉氏は上総国守護を務めていたため、埴谷氏がいずれかの段階で上総国埴谷に入植したと考えられます。重氏の代に、主人である犬懸上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方足利持氏に対して反乱を起こした「上杉禅秀の乱(1416年)」が勃発しました。翌年、乱は鎮圧され、禅秀は鎌倉で自害しましたが、上総国内で禅秀方の残党が処遇に対する不満から上総本一揆とよばれる一揆を形成し、鎌倉府の軍勢と戦いました。その上総本一揆の拠点のひとつが埴谷城だったと考えられています。
【御城印デザインのご説明】
埴谷城の御城印には、千葉氏の家紋「月星」、千葉一族宍倉氏の家紋「九曜」と、埴谷氏の主家である上杉氏の家紋「竹に雀」をデザインしました。埴谷氏は「鍋かむり日親」で有名な、日蓮宗の高僧日親(1407年-1488年)を輩出した家です。日親は、埴谷城下の妙宣寺で修行したといいます。
あわせて、埴谷城の築かれた台地の地形が分かる地図と、上総本一揆の拠点のひとつだった埴谷城に集まった埴谷重氏をはじめとする上杉禅秀の残党の姿をイメージしました。
松尾城と埴谷城のご購入はコチラ
○わがまち案内処(山武市観光協会)
〒289-1345 千葉県山武市津辺361-13
0475-82-2071
営業時間9:00~16:00
休館日12月29日から翌年1月3日
○道の駅あずの里いちはら
市原市浅井小向492-1
TEL 0436-37-8891
営業時間 午前9時~午後6時 ※一部営業時間が異なります。
定休日 毎月第2火曜日(祝日の場合は翌日) 、1/1~1/3
○千葉ポートタワー
千葉市中央区中央港1丁目
電話:043-241-0125
[6月~9月]
9:00~21:00(毎日)
[10月~5月]
9:00~19:00(月~金)
9:00~20:00(土日祝)
※最終入館は閉館時間の30分前までになります。
休館日12月28日~1月4日、2月28日(月)
※安全上において、強風等により臨時休業する場合があります。
○まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
新しいツアーのお知らせです♪
いざ、修善寺へ!修善寺では源範頼&源頼家をめぐります。そしてなんと、さらに安達盛長も!
という満載コース。さらに伊豆の国大河ドラマ館と箱根権現も✨
モリモリツアーです。よろしかったら一緒に歴史の旅へ♪
5/28・5/31 いざ、修善寺へ!伊豆の国大河ドラマ館と箱根権現詣り | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
6月は伊東をめぐります。日にちだけお伝えすると、6月18日(土)、6月24日(金)の2日程です。
よかったらご予定開けといてください✨
それと、頼朝の足跡を追う房総半島ツアーもあります。
6月11日(土)
いざ、上総国へ! 上総氏ゆかりの一之宮玉前神社詣と千葉氏ゆかりの亥鼻城 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)
一緒にたくさん楽しみましょうー♡
下見では下里分校にあるカフェにも立ち寄り。
おしゃれで素敵なお店が小川町にはたくさん
月刊Will増刊YouTubeに登場させていただきました。
以前本誌の方で、外川先生とのお城めぐり企画に登場させていただきましたが、このたび外川先生の本が発売となりましたので本の紹介や、お城のお話をしてます。良かったら、ご覧下さい✨
https://www.youtube.com/watch?
★外川淳 著『近世城郭 見尽くし、撮り尽くし』購入はコチラ!
・Amazon
近世城郭 見尽くし、撮り尽くし | 外川 淳 |本 | 通販 | Amazon
ガタゴトバスツアーなどを記事にしていただきました。
取り上げていただくのは嬉しいですね✨
もっともっと色んな場所にスポットが当たりますように。
千葉日報
東京新聞
産経新聞
大河で注目 千葉常胤と上総広常 御城印帳の表紙に 山城ガールむつみさんデザイン:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
2022年4月6日(シロの日)に、萩原さちこさんと
『一般社団法人 城組』
を設立いたしました。
「しろぐみ」と読みます。
かわいい響き。親しみやすく、楽しそうな団体名にしました。
城組さーん!はーい!…と言いたくなる感じ笑
ロゴも最高です✨
やっとYouTubeアップしました。ラジオ鬨の声です。多古町ガタゴトバスツアーの話とかしてます。
ぼーっとしたいときに、ぼーっと聴いていただけると嬉しいです♪
https://youtu.be/DPuIcRhPOcI
おすすめアイテム詳細は、YouTube概要欄をご覧下さい。
房総半島後編はもう少しお待ちください(汗)
千葉県東庄町で、歴史&山城ツアーやらせていただきました。
主催は東庄町観光協会さんで、千葉城郭保存活用会と歴×トキの協力イベントでした。
私がナビゲーター✨
東庄町は、鎌倉時代以降は千葉一族「東(とう)氏」の領地になりました。
千葉常胤の6男胤頼を祖とする東氏は、千葉一族を代表する氏族です。
胤頼は、源頼朝の旗揚げのときに、三浦義澄と頼朝と3人で挙兵の相談をしていた人物です。
すごい重要人物!(大河ドラマに登場して欲しかったな。希望するキャストは岡田将生さん)
胤頼から始まった東氏は、この東庄を拠点にして勢力を拡大していきました。さらに美濃国山田荘も領地として、美濃でも強力な武家となり、東常縁を輩出します。そんな東氏はじまりの東庄で歴史ロマンの旅を楽しんできました♪
今回は中型バスでGO。
コースは、沼闕城⇒和田城⇒磯山観光農園⇒須賀山城⇒解散という流れ。
沼闕城は椿の海に張り出すように築かれ、和田城は椿の海の北側の入江をのぞむ位置に築かれました。
須賀山城は、この2つの北方に位置し、香取の海に面するような立地です。
永禄の正木氏による下総侵攻などで、このエリアは戦いの舞台になったと思われます。和田城周辺には、合戦の伝承がたくさん残っています。
今回まわった3つの城はそれぞれ遺構の残りもよく、地形や立地などから存分に楽しんでいただける城です。
参加者の方々にとっても喜んでいただけて、東庄町の方々もとても喜んでました。
また東庄ツアー、いつかできる日を楽しみにしてます✨
沼闕城。背後には八丁堰と水田。その奥がかつての椿の海。
空堀と土塁がぐるり。方形居館の跡が残ります。
いまは本丸部分には黄檗宗福聚寺がたっています。椿の海の干拓に貢献した鉄牛和尚の寺です。奥には鉄牛和尚のお墓もあります。
下りていくと、高さがよく分かります。
見上げると高い!下りて腰曲輪を歩くと、数本の竪堀が見て取れます。
県民の森にとして公園になっている沼闕城ですが、城域はかなり広いと思われます。
ところどころに櫓台のような高まりがあったり、腰曲輪があったりします。
お弁当。東庄町で有名なとんかつや「いなよし」さん♪
豪華!!!
午後は和田城へ。
谷が美しいです。近くまで船で着けられる場所だったことが想像できます。
地権者の方のご厚意で入らせていただきました。地権者の方が数人いらっしゃいますので、見学の際は要注意です。
とても綺麗に整備してくださっていて、本当に感謝です。草刈りとか、今後なにかお手伝いイベントとかできればいいな。
和田城は、根小屋集落の雰囲気や、谷の景色、そして城の遺構と素晴らしいです。
わたしも皆もテンション上がりすぎて大興奮でした✨
主郭横の堀。
箇所によっては、空堀と土塁が2重に取り囲んでいます。さらに、腰曲輪を数段に重ねて施して厳重に。とにかくかっこいいです!
大満足の城攻め部隊。
見学させていただきましてありがとうございました。
最後は須賀山城へ。
旗もはためいてましたー。
須賀山城は香取の海に面しています。椿の海を水路できて、そこから上がって陸路を取って、ちょうど香取の海に出てきた場所にあるのです。なんて重要な場所。
西側の台地には森山城が築かれています。須賀山城と連携しながら戦国時代の終わりまで機能していたと思います。
須賀山城の麓の西福院は方形居館になっています。ここが屋敷地かなと思ってみたり。
堀が大きーい。
竪堀がガッツリー。
どどーんと下まで。
と、いうことで今回も楽しんできました。
磯山観光農園ではイチゴパフェをいただきました🍓最高ー♡甘すぎず絶妙!!
東庄町では沼闕城と須賀山城の御城印発行を契機として、城と歴史をテーマに町の活性化という動きが始まりました。
沼闕城には、かわいい標柱を立ててくれたり、整備や活用などの計画が進んでいます。
そして、ついにツアーも開催に至りました。
御城印を出してそれで終わりではなくて、それをスタートとして長く何かご一緒できればいいなと思います。
今後は学校の課外授業などもいいなと思います。展開が楽しみです。
和田城に完成ホヤホヤの標柱。素敵♡地元の誇りですね♪月星がまぶしい✨
和田城は千葉一族上代氏の居城とされています。「かじろ」と読みます。
さらには地権者の方のご厚意で駐車場まで!!!!(T-T)
感動。涙。
すごすぎます。
和田城の御城印の販売まで、もう少々お待ちくださいね♪
5月に河村城ツアーやります。
河村城はツアーやるの初めて。楽しみ✨
阪急交通社さんの「たびことツアー」で開催です。
もしよければお申し込み下さい♪
【たびことツアー】相模・甲斐・駿河の国境に築く小田原北条氏の支城・いざ「河村城」へ 日帰り(SB216B)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
4月は小机城と茅ヶ崎城もあります。
ガイディングレシーバーあるので、前に参加して下さった方も、たくさん話が聞けるのでまた新しい発見があるかもしれませんね。
小机城
【たびコトツアー】小田原北条氏最後の城へ出陣!神奈川屈指の山城・いざ「小机城」へ 日帰り(SB216)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
茅ヶ崎城
【たびことツアー】多田行綱から後北条氏へ出陣!中世城郭史の傑作の山城・いざ「茅ヶ崎城」へ 日帰り(SB216A)|国内旅行・ツアー|阪急交通社 (hankyu-travel.com)
新しい御城印が完成しました。すべて3月26日(土)から販売開始です。通販もすべて取り扱います。
神奈川県南足柄市 「岩原城」「沼田城」
千葉県匝瑳市 「飯高城」「天神砦」「飯高砦」
埼玉県比企郡小川町 「四ツ山城」
各お城の説明と販売場所情報は以下です✨
四ツ山城はツアーあります。もしよろしければ。
山城ガールむつみの「四ツ山城」出陣のススメ!〜鎌倉街道上道と神秘の板碑工房も〜 | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)
南足柄市観光協会(南足柄市役所内)
〒250-0192
南足柄市関本440
℡0465-73-8031
取り扱い御城印:岩原城、沼田城
販売時間:午前8時30分~午後5時 定休日:土曜日 日曜日 祝日
伊豆箱根鉄道大雄山線大雄山駅
〒250-0105
南足柄市関本592
℡0465-74-2058
取り扱い御城印:岩原城
販売時間:始発から終電まで 定休日:なし
【岩原城のご説明】神奈川県南足柄市
岩原城は足柄平野の西部に位置する岩原に向かって延びた舌状台地の突端に築かれました。岩原城南側の尾根を挟んで沼田城があります。
岩原城の東端に鎮座する岩原八幡神社は源頼義創建と伝わり、頼朝も富士の巻狩の際に立ち寄り、社殿を改修したといいます。八幡神社の麓には甲州道が通っていて、岩原城の築かれた地が古くから交通の要衝であったことがわかります。開発前は北側が深い沢、南側は急崖となっていて、さらに周辺は広範囲に渡り湿地だったと思われ、まさに天然の要害でした。
岩原城は複数の郭で構成され、周囲を空堀が取り囲んでいたといいます。開発で削られたり、畑地になっているものの、空堀の痕跡の一部が確認できます。さらに、周辺には「的場」「清泉」など、城に関連する地名が残り、大森氏頼(寄栖庵)の墓と伝わる石塔も残ります。
岩原城の築城等についての詳細は不明ですが、大森氏の城と伝わっています。大森氏は駿河国を出自とし、応永23年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱をきっかけに相模国に勢力を広げました。相模国に入った大森氏は小田原城を本拠としますが、足柄峠の麓に位置し、足柄平野への入口にあたる岩原城を小田原城と同じように重要視したと考えられます。
大森氏は家臣加藤氏を岩原城の城代としていたと伝わりますが、その後、大森氏頼が岩原城を居城にしたといいます。享徳の乱(1454年)以降、氏頼は扇谷上杉氏の重臣として活躍し、扇谷上杉氏、三浦氏と姻戚関係を結ぶなどし、勢力を拡大しました。
しかし、明応3年(1494年)に氏頼が死去すると、小田原城を伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ、大森氏は衰退しました。その後の岩原城については不明ですが、小田原北条氏による改修も指摘されています。
【御城印のご説明】
岩原城は『新編相模国風土記稿』に城絵図が描かれています。その絵図には、東を通る甲州道、そしてそれに沿うように町場が描かれていて、岩原城や八幡神社が街道に接している当時の様子がよく分かります。その『新編相模国風土記稿』に描かれた絵図を御城印のモチーフにしました。
そして、大森氏の家紋「二つ巴」と、岩原城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。
大森氏頼は西相模の雄として戦国時代にその存在を刻みました。その勇姿をイメージし、武者の姿を描きました。
南足柄市観光協会(南足柄市役所内)
〒250-0192
南足柄市関本440
℡0465-73-8031
取り扱い御城印:岩原城、沼田城
販売時間:午前8時30分~午後5時 定休日:土曜日 日曜日 祝日
伊豆箱根鉄道大雄山線相模沼田駅
〒250-0115
南足柄市沼田68
℡0465-34-4089
取り扱い御城印:沼田城
販売時間:午前7時~午後10時 定休日:なし
【沼田城のご説明】神奈川県南足柄市
沼田城は明神岳からの尾根が足柄平野に向かって延びた突端の小丘に築かれました。沼田城北側の尾根を挟んで岩原城があります。沼田城周辺には甲州道が通り、古くからの交通の要衝であったことがわかります。
沼田城の築城等についての詳細は不明ですが、松田、河村、沼田、大友周辺に勢力を広げていた波多野氏の庶流である沼田氏の城だったとも伝わります。沼田氏は応永23年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱で、禅秀に味方し、衰退したといわれています。その際、禅秀の乱を鎮圧しに相模国に入ったのが大森氏と考えられています。
大森氏は駿河国を出自とし、上杉禅秀の乱をきっかけに相模国に勢力を広げました。相模国に入った大森氏は小田原城を本拠としますが、足柄平野への入口に当たる足柄峠の麓に沼田城をはじめとするいくつかの城を築城ないしは改修整備して、小田原の防衛としたと推測されます。北側に築かれた岩原城は大森氏頼(寄栖庵)が晩年の居城としたと伝わり、この地域を重要視していたことが分かります。
享徳の乱(1454年)以降、氏頼は扇谷上杉氏の重臣として活躍し、扇谷上杉氏、三浦氏と姻戚関係を結ぶなどし、勢力を拡大しました。
しかし、明応3年(1494年)に氏頼が死去すると、小田原城を伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ、大森氏は衰退しました。その後の沼田城については不明ですが、小田原北条氏による改修も指摘されています。
【御城印のご説明】
沼田城の御城印は『新編相模国風土記稿』に描かれている絵図をモチーフにしました。絵図には、怒田(沼田)村や酒匂川が描かれています。
そして、大森氏の家紋「二つ巴」と、沼田城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザインしました。
大森氏頼は西相模の雄として戦国時代にその存在を刻みました。その勇姿をイメージし、槍を持った武者の姿を描きました。沼田城西側の坂には「槍持坂」という名が残っています。
そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時
年中無休
【飯高城のご説明】千葉県匝瑳市
飯高城は借当川北岸の標高約36mの丘陵に築かれました。現在の飯高寺(はんこうじ)周辺が城域とされていて、南方には飯高城の支城とされる飯高砦、新砦、さらに東方には天神砦が築かれています。これらのことから、広義の飯高城はかなり大規模であると考えられ、台地全体を城郭化することで連携して飯高城の防衛に当たっていたと推察されます。
鎌倉時代中期から南北朝期において、当地は千葉一族である飯高氏の本貫地でした。そのため、飯高氏が築城したとの伝承もありますが詳細は不明です。
戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。平山氏は千葉氏、ないしは小田原北条氏に属していたとされるため、飯高城は小田原の役をもって廃城となったと考えられます。
平山刑部少輔は日蓮宗に篤く帰依しており、天正19年(1591年)に城地のすべてを寄進し、日蓮宗の檀林として飯高寺が開かれたといわれています。(飯高寺は天正8年、平山刑部少輔を開基としています。)
周辺には「城下(ねごや)」「鳴子山」「腰巻」など、城郭に関連する地名が残っています。さらに飯高寺の境内には、空堀、土塁、腰曲輪などの城郭遺構も残っていて、戦国期の飯高城の構造や規模がわかります。
【御城印のご説明】
飯高寺は戦国時代の終わりから明治7年(1874年)まで、日蓮宗の学問所である檀林として栄えました。日本三大檀林と呼ばれ、多くの学僧を輩出しました。この檀林が立正大学の前身です。飯高寺の境内全体が県指定史跡に指定されています。
飯高寺の地にかつて存在した飯高城の御城印には、江戸時代に建てられた山門をモチーフにしました。あわせて、飯高氏の出自である千葉氏の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。さらに、徳川家の家紋「三つ葉葵」をデザインしました。飯高寺は徳川家康から寺領30石の寄進を受け、さらに家康の側室「お万の方」と繋がりが深い寺でした。お万の方は、正木氏の出で、日蓮宗に深く帰依しており、飯高寺に今に残る妙見菩薩もお万の方の奉納によるものです。そのことから、御城印には、妙見菩薩をイメージし描きました。さらに、お万の方は講堂を寄進するなど、飯高檀林の繁栄に尽力しました。
そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時
年中無休
【天神砦のご説明】千葉県匝瑳市
天神砦は飯高城の東方300mほどの台地に築かれた城郭で、飯高城防衛を担う城郭群の一つだったと考えられます。天神砦は新砦、飯高砦などと連携していたと思われることから、周辺の城郭群を含めた広義の飯高城はかなり大規模であると考えられ、台地全体が広範囲に渡り城郭化されていたと推察されます。
現在の天神砦には、土塁、堀切、竪堀遺構などが良く残り、戦国期の城郭の構造を小さい城郭ながらコンパクトに学び取れる貴重な城郭遺構といえます。
鎌倉時代中期から南北朝期において、当地は千葉一族である飯高氏の本貫地で、戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。平山氏は千葉氏、ないしは小田原北条氏に属していたとされるため、飯高城は小田原の役をもって廃城となり、周辺の城郭群もその役目を終えたと考えられます。
【御城印のご説明】
飯高城防衛のための城郭である天神砦の御城印には、飯高城の築かれた台地や地形がわかる地図をデザインしました。
あわせて、飯高氏の出自である千葉氏の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。さらに、天神砦の主郭には天神社が鎮座することから、梅の花をモチーフにしました。天神社の境内に立つ巨木もデザインしました。
そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時
年中無休
【飯高砦のご説明】千葉県匝瑳市
飯高砦は現在の妙福寺裏山に築かれた城郭で、山頂には飯高神社が鎮座しています。飯高砦の詳細は不明ですが、現在の飯高寺(はんこうじ)周辺が城域とされている飯高城の南方800mに位置するため、新砦、天神砦などと連携して飯高城防衛を担う城郭群の一つだったと考えられます。これらのことから、周辺の城郭群を含めた広義の飯高城はかなり大規模であると考えられ、台地全体が広範囲に渡り城郭化されていたと推察されます。
麓の妙福寺は谷戸式居館の様相を呈することから、山麓に屋敷、山頂に防衛施設が築かれていた可能性も指摘されています。
鎌倉時代中期から南北朝期において、当地は千葉一族である飯高氏の本貫地で、戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。平山氏は千葉氏、ないしは小田原北条氏に属していたとされるため、飯高城は小田原の役をもって廃城となり、周辺の城郭群もその役目を終えたと考えられます。
【御城印のご説明】
飯高砦、天神砦、新砦などの城郭群などが広義の意味での飯高城を形成していたと思われることから、飯高城の築かれた台地や地形がわかる大正時代に描かれた飯高寺の絵図をモチーフにしました。飯高寺はかつての飯高城の台地に築かれています。
あわせて、飯高氏の出自である千葉氏の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。飯高砦の麓に建つ妙福寺は、延慶3年(1310年)に新藤太縦空(たじゅうくう)が妙見菩薩を祀ったとされていて、妙見信仰は千葉一族が深く帰依していることから、千葉一族との関係が垣間見えます。
〒355-0328
埼玉県比企郡小川町大塚47-3
おいでなせえ小川町駅前店
電話0493-59-6988
営業時間10:00-18:00
定休日なし
【四ツ山城のご説明】埼玉県比企郡小川町
四ツ山城は、現在四津山神社が鎮座する標高約200m、比高約100mの山陵に築かれました。城山である四津山は、山頂部が四つあることからその名が付いたといわれています。なお、城跡としての史跡名称は「四ツ山城」で、地名は「四ツ山」と表記します。別名「高見城」とも呼ばれています。
四ツ山城の眼下には鎌倉街道上道が通っていて、四ツ山城はこの街道を押さえる目的を担っていたと考えられます。さらに、鎌倉街道と並行するように市野川が流れていることから、この地が水陸交通の要衝だったことが分かります。
四ツ山城の築城等の詳細は不明ですが、『新編武蔵国風土記稿』の四ツ山城の項には「増田四郎重富居蹟」と記されています。『増田家系譜』によると、増田四郎重富は古河公方の家臣だったとされ、上増田(深谷市)から四津山に移り、城を築いたと伝わっています。
享徳の乱(1454年)以降、古河公方と山内上杉氏、扇谷上杉氏が対立を深めたことにより、比企地方は諸勢力に挟まれ、緊迫した状況に置かれたと推察されます。扇谷上杉氏の家宰太田道灌が高見に在陣したとも伝わり、道灌の死後に長享の乱(1487年)が起きると、四ツ山城眼下の高見原で扇谷、山内両上杉軍が激戦を繰り広げた高見原合戦が行われました。
その後、北武蔵を小田原北条氏が支配するようになると、四ツ山城も北条氏の支城として鉢形城と松山城へ繋がる街道を押さえる役目を果たし、小田原の役でその役目を終え、廃城となったと考えられます。
【御城印のご説明】
四ツ山城眼下の鎌倉街道上道には「奈良梨」という宿があります。この宿は、鎌倉時代末期にはすでに形成されていたことが分かっていて、戦国時代には宿駅として繁栄していました。さらに、高見と菅谷に伝馬が継立されていたことが天正10年(1582年)の『北条氏伝馬掟』から分かっています。御城印にはこの街道を行き交う軍勢をモチーフにしました。
四ツ山城は菅谷、杉山、鉢形と連携していたと考えられているため、狼煙を描き、さらに増田氏の表家紋と裏家紋、北条氏の三つ鱗をデザインしました。
申し込みが始まりました✨
今回も盛りだくさんです。佐原義連ゆかりの佐原城、ここはどういう土地なのか?どんな歴史があるのか?
歩きながら歴史を紐解きます。
申し込みは電話でもOKです。
【ツアー参加者募集】山城ガールむつみとゆく「三浦一族」ツアー – 横須賀市観光協会 (yokosuka-kanko.com)
雑誌旅行読売で以前書かせていただいたコラムがオンライン記事になりました。
山城を知らなくても、出陣したくなっちゃうような、楽しい感じで書いてみました。
良かったら読んでみてください✨
山城ハイク!出陣のススメ|国内|たびよみ (yomiuri-ryokou.co.jp)
前に開催した講座が再度開催となりました✨
好評いただいて嬉しいです。内容は前回と同じです。
よろしければお申し込み下さいませ♪
講座情報 | 砂町文化センター | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 (kcf.or.jp)