「いざ!近江へ!」の巻(其の参) ”小谷城・長浜城・賤ヶ岳”
引き続き琵琶湖周りの旅をご紹介!
無事に3日目突入でございます。
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≪3日目≫
2013年9月28日
時の流れの重みに感じ入った2日目を終え…。
3日目の今日はさらなる時のうねりの中へ。
まず向かったのは小谷城。
言わずもがなの戦国を代表する悲劇の城の一つです。
苔むした石垣がただただ美しい。
石垣の上を覆う木々に遮られた陽の光が、木立の隙間からところどころに差し込み、白く浮かび上がる石積み。
そして静寂。
息を呑むほどの美です。
小谷戦国資料館近くの追手口から登りました。
未舗装の細い砂利道は、タイムスリップするのに十分な雰囲気。
しばらく登っていくと、馬洗い池、桜馬場跡、黒金門跡、赤尾屋敷など見どころ満載。
そして、城内に幾つも残る逸話。
例えば馬洗い池。
織田軍に囲まれた小谷城には水が一滴もなくなっていた。しかし、それを織田軍に知られるわけにはいかないので、水を流していた樋に米を流し、まだまだ水があるように見せかけたという。
赤尾屋敷に残る長政自刃の地。
本丸で自害しようと戻るも間に合わなかった長政。仕方なく本丸下の赤尾屋敷にて自刃。
その石碑を見ながら、見上げる本丸。すぐ目の前なのに…。
そこに立ち、本丸を見上げると、その時の喧騒が聞こえたような気がしました。
城内を歩くと当時を肌で感じられ、清水谷を見下ろしたときは、まるで今、秀吉の急襲に会うような恐怖。
この急傾斜を3000の兵で夜半に攻めた秀吉。そして分断される久政、長政父子。
思いを馳せてたら、ふと石垣に触れてみたい衝動に駆られ、そっと手を伸ばしてみました。きっと当時を見ていたであろう、この石の無常の記憶。
いろんな感情が波のように押し寄せてきた、そんな小谷城でした。
ちなみにドラマなどで、必ずと言っていいほど炎上する小谷城ですが、実際には燃えてません。小和田先生が大河ドラマ「江」を監修した際に燃やさないでくれと言ったのに、燃えてしまったと苦笑いで言ってました。
時間があるなら、織田軍の陣城である虎御前山にも寄ってみてください。
もともと数基の古墳があったこんもりとした、丘陵部分に陣を張ったらしい。
遺構も数多く残ってますよ。
丸みを帯びた白濁色の石灰岩石が本当に美しい。
もう少しで本丸なのに…。この距離が遠いなんて切なすぎる。
小谷落城の胸の痛みを残したまま、お次は長浜城へ。
打って変わって、かなりの観光地。黒壁スクエア、めちゃ楽しい。
ついつい、はしゃぎすぎてソフトクリーム食べたり、ハンバーガー食べたり、長浜ビール買ったり。ソフトクリーム、真っ黒ですぞ。黒壁をイメージしてるらしい。炭とか、なんやらかんやら入ってる模様。おいしいのよ、これ。
しばらくして、城巡りという目的をやっと思い出した私は、慌てて長浜城へ。
綺麗な天守が建っております。琵琶湖をバックに白い天守が映えて美しい。
でもね、模擬天守です。建ってる場所も形も違います。やはり、イマイチ盛り上がらん。
ただ、天守は長浜歴史資料館になってて、興味深い企画展なども開催されてました。
遺構を探しに行こう!(決して、ダジャレではありませんぞ!)
と、城の周りをウロチョロ。
駅の東を通る道路が堀跡なのかなーなどとブツブツ言いながら散策。
あんまりよく分からなかった…。
でも、当時の面影はないけど、秀吉が起居し、清正、正則、三成、吉継たちが暮らしていたことを想像すると、なんだかとても楽しくなりました。
これだけでも来た甲斐アリだ。
ひとあし伸ばして、大通寺へ。
ここの脇門は長浜城の遺構。それだけでなく、なんと伏見城の遺構とされる大広間、本堂があり、さらにさらに円山応挙、狩野山楽・山雪の障壁画まであるんですって!!
なんて貴重な文化財!寄らなきゃ損だわよ!
確かに天守は美しいけど…。あんまり水城の面影が見つからず。
そして本日最後は賤ヶ岳へ。
リフト乗り場に駐車場ありました。ただ、リフトは年中運休。トイレもシャッター閉まってました。どうやら夏のトップシーズンしか運行しないらしい。
ま、別にいいけどね~。歩く気だったし~。
ということで、リフト脇の登山道より、レッツゴー!
登山口には七本槍の七人の名前が書かれた旗がはためいるのですぐ分かりまーす。
賤ヶ岳は両軍が相見えた古戦場というだけでなく、昔から砦として存在してました。
「信長公記」によると浅井朝倉時代に布陣記録があり、さらに1573年「領家文書」には、「しつかたけの城」という文字が確認できるらしい。なので途中途中に竪堀、堀切などありテンションぐぐっと上がっちゃう。
ちなみに尾根続きに山本山城があります。
立派な竪掘りがたくさん!!城のようだわ。
1時間ほどの山登りで頂上へ。突然開かれた視界の先には美しい余呉湖!
エメラルドグリーンに輝いてます!景色にはあまり興味のない私も、ほぅ…と、ため息。
山上には木ノ本町観光協会作成のばかデカイ合戦図!
これを見ながら余呉湖を臨むと、まるで当時の声が聞こえてくるよう。
余呉湖を眺めて、ふと思い出すのは敗軍の将、佐久間盛政。
賤ヶ岳の緒戦に勝利した盛政だが、丹羽軍の桑山軍との合流や、秀吉隊の強行軍で孤立してしまう。そして落ち延びる途中に山中で捕えられた。その後、なぜ自害しなかったかと問われると、「頼朝公も石橋山で敗れたとき、木の洞に隠れて生き延びて、後に大事を成したでないか」と答えた。
切腹を命じられても、市中引き回しを望み、大紋を染め抜いた紅色の広袖の裏に紅梅をあしらった小袖で最期を迎えた。
「世の中を廻りも果てぬ小車は 火宅の門を出づるなりけり」
享年30歳。斬首。
合戦では血で染まったという余呉湖。ジーっと眺めてると、湖が一瞬、真っ赤になったような…。
浅井長政は自害直前に妻と三人の娘を脱出させ自刃。
佐久間盛政は最後まで従容として死に臨んだ。
立派な敗者の死を目の前に感じ、静寂の中に果てしない哀しみをみた、そんな旅の3日目。
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