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2015年8月の2件の投稿

2015年8月16日 (日)

「いざ!近江へ!」の巻(其の参) ”小谷城・長浜城・賤ヶ岳”

引き続き琵琶湖周りの旅をご紹介!
無事に3日目突入でございます。

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≪3日目≫
2013年9月28日
時の流れの重みに感じ入った2日目を終え…。
3日目の今日はさらなる時のうねりの中へ。
まず向かったのは小谷城。
言わずもがなの戦国を代表する悲劇の城の一つです。
苔むした石垣がただただ美しい。
石垣の上を覆う木々に遮られた陽の光が、木立の隙間からところどころに差し込み、白く浮かび上がる石積み。
そして静寂。
息を呑むほどの美です。

小谷戦国資料館近くの追手口から登りました。
未舗装の細い砂利道は、タイムスリップするのに十分な雰囲気。
しばらく登っていくと、馬洗い池、桜馬場跡、黒金門跡、赤尾屋敷など見どころ満載。
そして、城内に幾つも残る逸話。
例えば馬洗い池。
織田軍に囲まれた小谷城には水が一滴もなくなっていた。しかし、それを織田軍に知られるわけにはいかないので、水を流していた樋に米を流し、まだまだ水があるように見せかけたという。
赤尾屋敷に残る長政自刃の地。
本丸で自害しようと戻るも間に合わなかった長政。仕方なく本丸下の赤尾屋敷にて自刃。
その石碑を見ながら、見上げる本丸。すぐ目の前なのに…。
そこに立ち、本丸を見上げると、その時の喧騒が聞こえたような気がしました。

城内を歩くと当時を肌で感じられ、清水谷を見下ろしたときは、まるで今、秀吉の急襲に会うような恐怖。
この急傾斜を3000の兵で夜半に攻めた秀吉。そして分断される久政、長政父子。
思いを馳せてたら、ふと石垣に触れてみたい衝動に駆られ、そっと手を伸ばしてみました。きっと当時を見ていたであろう、この石の無常の記憶。
いろんな感情が波のように押し寄せてきた、そんな小谷城でした。

ちなみにドラマなどで、必ずと言っていいほど炎上する小谷城ですが、実際には燃えてません。小和田先生が大河ドラマ「江」を監修した際に燃やさないでくれと言ったのに、燃えてしまったと苦笑いで言ってました。

時間があるなら、織田軍の陣城である虎御前山にも寄ってみてください。
もともと数基の古墳があったこんもりとした、丘陵部分に陣を張ったらしい。
遺構も数多く残ってますよ。

Img_6152丸みを帯びた白濁色の石灰岩石が本当に美しい。

Img_6075もう少しで本丸なのに…。この距離が遠いなんて切なすぎる。


小谷落城の胸の痛みを残したまま、お次は長浜城へ。
打って変わって、かなりの観光地。黒壁スクエア、めちゃ楽しい。
ついつい、はしゃぎすぎてソフトクリーム食べたり、ハンバーガー食べたり、長浜ビール買ったり。ソフトクリーム、真っ黒ですぞ。黒壁をイメージしてるらしい。炭とか、なんやらかんやら入ってる模様。おいしいのよ、これ。
しばらくして、城巡りという目的をやっと思い出した私は、慌てて長浜城へ。
綺麗な天守が建っております。琵琶湖をバックに白い天守が映えて美しい。
でもね、模擬天守です。建ってる場所も形も違います。やはり、イマイチ盛り上がらん。
ただ、天守は長浜歴史資料館になってて、興味深い企画展なども開催されてました。

遺構を探しに行こう!(決して、ダジャレではありませんぞ!)
と、城の周りをウロチョロ。
駅の東を通る道路が堀跡なのかなーなどとブツブツ言いながら散策。
あんまりよく分からなかった…。
でも、当時の面影はないけど、秀吉が起居し、清正、正則、三成、吉継たちが暮らしていたことを想像すると、なんだかとても楽しくなりました。
これだけでも来た甲斐アリだ。

ひとあし伸ばして、大通寺へ。
ここの脇門は長浜城の遺構。それだけでなく、なんと伏見城の遺構とされる大広間、本堂があり、さらにさらに円山応挙、狩野山楽・山雪の障壁画まであるんですって!!
なんて貴重な文化財!寄らなきゃ損だわよ!

Img_6183確かに天守は美しいけど…。あんまり水城の面影が見つからず。


そして本日最後は賤ヶ岳へ。
リフト乗り場に駐車場ありました。ただ、リフトは年中運休。トイレもシャッター閉まってました。どうやら夏のトップシーズンしか運行しないらしい。
ま、別にいいけどね~。歩く気だったし~。
ということで、リフト脇の登山道より、レッツゴー!
登山口には七本槍の七人の名前が書かれた旗がはためいるのですぐ分かりまーす。

賤ヶ岳は両軍が相見えた古戦場というだけでなく、昔から砦として存在してました。
「信長公記」によると浅井朝倉時代に布陣記録があり、さらに1573年「領家文書」には、「しつかたけの城」という文字が確認できるらしい。なので途中途中に竪堀、堀切などありテンションぐぐっと上がっちゃう。
ちなみに尾根続きに山本山城があります。

Img_1993立派な竪掘りがたくさん!!城のようだわ。


1時間ほどの山登りで頂上へ。突然開かれた視界の先には美しい余呉湖!
エメラルドグリーンに輝いてます!景色にはあまり興味のない私も、ほぅ…と、ため息。
山上には木ノ本町観光協会作成のばかデカイ合戦図!
これを見ながら余呉湖を臨むと、まるで当時の声が聞こえてくるよう。

余呉湖を眺めて、ふと思い出すのは敗軍の将、佐久間盛政。
賤ヶ岳の緒戦に勝利した盛政だが、丹羽軍の桑山軍との合流や、秀吉隊の強行軍で孤立してしまう。そして落ち延びる途中に山中で捕えられた。その後、なぜ自害しなかったかと問われると、「頼朝公も石橋山で敗れたとき、木の洞に隠れて生き延びて、後に大事を成したでないか」と答えた。
切腹を命じられても、市中引き回しを望み、大紋を染め抜いた紅色の広袖の裏に紅梅をあしらった小袖で最期を迎えた。
「世の中を廻りも果てぬ小車は 火宅の門を出づるなりけり」
享年30歳。斬首。

Img_2006合戦では血で染まったという余呉湖。ジーっと眺めてると、湖が一瞬、真っ赤になったような…。

浅井長政は自害直前に妻と三人の娘を脱出させ自刃。
佐久間盛政は最後まで従容として死に臨んだ。
立派な敗者の死を目の前に感じ、静寂の中に果てしない哀しみをみた、そんな旅の3日目。

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2015年8月 3日 (月)

「いざ!近江へ!」の巻(其の弐) ”観音寺城・安土城・佐和山城・彦根城”

引き続き琵琶湖周りの旅をご紹介!
2日目突入でございます!

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≪2日目≫
2013年9月27日
八幡山城で秀次を想って涙し、感動の1日目を終えた後は…
近江牛の焼き肉!元気チャージ!
そして、2日目は朝早くから観音寺城へ。
林道観音寺線で上まで車でビュンっと行くと、観音正寺に到着。
数台駐車スペースあったので、ちょいと置かせてもらいました。
山全体に1000コの曲輪を配す、巨大な山城!
足を踏み入れると、木や草に覆われながらも目の前に広がる石垣!石垣!
曲輪をグルッと囲んで配置される石垣は荘厳な雰囲気を醸し出していて、100名城にふさわしい。
荒削りの石垣や虎口が妄想を駆り立てます。
いつもながら、草&木がほんとに邪魔!!!
だけど、覆われて隠れてる感じが秘境感を出してますな…
観音寺城は「二の丸」「三の丸」ではなくて、家臣の名の曲輪が多い。
自立してる国人衆が多く、連合政権的な要素が強かったのかもね。
いずれにせよ信長が畿内を手中に治めるにおいても重要な意味を持つ観音寺城。行く価値、大いにアリです。
100名城スタンプは観音正寺にあります。
時間があれば、滋賀県立安土城考古博物館にも寄ってみて。
観音寺城の模型が置いてありますよ~。

Img_5882_2

この手つかず残ってる感じ。妄想どんどん膨らんじゃいますな~

Img_5893曲輪回りの石垣は寺院の石垣っぽい
            


お次は、よっ!待ってました!の安土城。
もはや素晴らしさを語るまでもありませんね。
大手道に入っただけで、もうたまらん!何度でも来たいぞ!
安土城は見どころたくさん。石段に敷き詰められてる石仏とかは分かりやすい見どころ。
段々の斜面に「伝秀吉館」とか「伝利家館」など書かれてて、もうワクワクするではありませんか。
天主中央部の吹き抜けのところは、どうなってたんだろ?
「信長公記」にも記されてる蛇石はどこにあるんだろ?
二の丸の石垣は切れ目がないけど、どうやって入るんだろ?
天主西側から発掘された礎石、そこに何があったんだろ?
しかも天主西側からは焼け焦げた瓦も発見されてる!
…知りたいことは尽きません。
私の大好きな奈良大学の千田先生によると、伝秀吉館などは
少し怪しいらしい。まだまだ分かってないみたい。なんせ、全貌が
明らかになるまでは、あと100年かかるんだから!長生きしましょう。
千田先生の著書ももちろんオススメですが、山本兼一「火天の城」も
オススメ。城大工目線の歴史小説になってて、安土城の知らない姿が
みえるかもしれませんよ。

当時は大手道の目の前まで琵琶湖の水が来ていた安土城。
(今、駐車場になってるところは湖でした)
まさに信長の狙いはコレ。水運です。
実はこの時代はグローバルな時代でした。武将たちは海外諸国と
コネクションを持ち、世界と同じように日本も大航海時代だったのです。
国内でも経済、流通を握ったものが覇権を握ることになったのです。

100名城スタンプは安土城郭資料館にあります。
ここには天主の模型もあります。天主の断面も見れます。
そして、宣教師の描いた信長の肖像画もあるのです!貴重だ!

Img_5932 見よ!まっすぐに伸びる大手!テンション上がり過ぎて、叫びながら駆けあがりたい衝動に襲われる~
          

Img_5946ここにあの天主が…。考えただけで鼻血でそう…


そして、3城目は今日のお目当て、佐和山城!
「大一大万大吉」石田三成の旗印。
大(天下)のもとで一人が万民のために、万民が一人のために命を注げば、すべての人の人生は吉となり、太平の世が訪れる。
死後、何百年にも渡って領民に慕われた三成。しかし、彦根で佐和山を語るのは長きにわたり御法度とされた。まさに勝者によって、実像を歪められたヒーローだ。

搦手より登城。今は龍潭寺境内になっており、三成の菩提寺である。
駐車場に秘密の引き出しがあり、縄張図や資料がコッソリ置かれてる。
ありがたい。やっぱり、いまでも三成のことはコッソリなのかな?
三成の弔いで、ひっそり佐和山に入った領民は地蔵を積んで帰ったと言う。
整備されてない道をズンズン進むが人っ子ひとりいない。
でも、この城はこれがお似合いなのかもしれない。
眼下には彦根が見えた。遠目にも立派な天守が見える。
五層の天守が建ってたであろう昔日を想うと涙…
縄張図を見ても、いまいち位置が分からなかった。でもどうしても石垣が見たくて必死に探しました。探すこと一時間、ガサガサ草を掻き分けたら…やっと発見!感無量!
Img_5966 途中、獣道のような個所もある登城道。でも、歩き回ってると意外と城の形が分かったよ。
             

Img_5981 やっと見つけた!本丸東下の石積み!嬉しくて、石に抱きつきたいぞ!!


そして本日の最後は彦根城です。
幅20mの水堀、そして要所要所の高石垣が築かれて、内堀となってる。
さらに中堀、外堀と城を囲み、理想的な近世城郭!
思ったより、天守に行くには上って行く。平山城だ。
攻撃性にも防御性にも優れ、まさに戦闘用!!
見どころは天秤櫓の大堀切、三重櫓の大堀切、鐘の台の昇り石垣、鉢巻き石垣、腰巻石垣、黒門、山崎丸の埋み門あたり。
みどころ満載!!天守まわり以外はほとんど観光客いません。
快適に城を堪能できます。
天守だけ見て帰っちゃダメよ!!と、声を大にして言いたくなります。

お土産屋さんが充実し楽しげな彦根。それと対称的なひっそりとした佐和山を思い出す。おセンチな気分です。
賑わってる彦根を見回すと近くに、ひこにゃん…
けっ!何がひこにゃんだよ!と、(心の中で)悪態つきながらも、ちゃっかり写真を撮ってしまった私…

Img_0944表門を入ってすぐ左手に天秤櫓の大堀切の断面を見れる絶景ポイントが!
誰も見てない~もったいない~
        

Img_6012彦根より佐和山を臨む。ここが一番の妄想スポット。破却した佐和山をここからどんな気持ちで眺めたのか…


時代の移り変わりをまざまざと見て、一瞬の隙もなく滔々と流れる時間の流れの重みに感じ入ったそんな2日目でした。
 

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