「いざ!遠江へ!」の巻 (其の壱) ”高根城・佐久城”
花粉症もだいぶ治まってきたので、張り切って出陣いたしました!
一泊二日で巡る遠江歴史探訪の旅!
今回のコースはこちら!!ドキドキワクワク!クリックどうぞ!
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横浜町田から高速に乗り、まず向かうは高根城。浜松市天竜区にあるこの山城は、
ある山城の本の表紙に抜擢された山城界のスターであります!!
浜松浜北ICから距離で50km、時間にすると1時間ちょっとというところ。
駐車場あり、トイレあり。駐車場から20分も登れば、本曲輪虎口に到着です。
この城は標高420mの通称三角山の北側尾根に築かれてます。
城主は奥山氏。16世紀前半には今川氏の配下として北遠江ほぼ全域を支配してました。
しかし、16世紀後半になると、今川、武田、徳川のどこにつくかで家中が分裂。結果、惣領家が滅びます。トホホ。
その後、残った傍系が生き残りをかけて武田の配下になることを選びました。
武田にとってこの城は、徳川攻略の「繋ぎの城」として非常に重要だったのです。
尾根に一直線に本曲輪、二の曲輪、三の曲輪と並ぶ連郭式の山城。
土塁の上には柵や、狭間つきの土塀が設置されてました。櫓も復元。櫓からは城下が丸見え!
山城で建物復元は珍しいですね。とてもイメージが湧きやすく、ドキドキいたします!
一番のオススメは南側の堀切!!
武田の配下になってから、対三河のために改修されたのかな。二の曲輪と三の曲輪を分断する堀切の美しさったら!
さらに三の曲輪の南側の二重堀切と土塁の壮大さ!登ったり下りたりしたーい!(…ダメですよ!大切な史蹟ですから!)
この高根城の建っている山麓は、南信濃と北遠江を結ぶ通称「塩の道」が縦貫してます。北上すると諏訪に一直線。それだけでも、武田にとっていかに大事な地だったかということが分かりますね~。
見よ!この二重堀切!!尾根がブッツリ切られてる~
二の曲輪と三の曲輪を分断する堀切。美しすぎます!
発掘調査によると、奥山氏時代の遺物が圧倒的に多く、そのほとんどが本曲輪から出てきてるらしい。結論として、奥山氏の時代は山上に住んでいた。日常生活はほとんど本曲輪でしていたってことが分かったとのこと。
ちなみに築城は、
「1414年に後醍醐天皇の孫、尹良親王を守護するために奥山金吾正定則が建てた。(尹良親王は宗良親王と井伊道政娘の子)」
という伝承がありましたが、それを裏付ける資料は出てきてませんでした。しかし、近年の発掘調査で15世紀前半の陶磁器などが見つかり、この伝承に信憑性が出てきたのでありまーす!
どんどこどんどこ、色んなお城の発掘調査を進めてほしいと願う次第であります!
さて、お次は秋葉山本宮上社へ。
あれ?山城じゃないの?と、言うなかれ。
今回は修験道や密教に関係する寺社仏閣も立ち寄りながらの歴史旅。修験道・密教、この辺もちゃんと押さえとかないと歴史が見えてこないですからね。
秋葉本宮は全国の秋葉神社の総本宮。
709年創建というこの神社は、今でこそ、火之迦具土大神をお祀りしてますが、江戸時代までは仏教、修験道も入り交ざった神仏習合の霊山でした。修験道と関係の深い天狗を「秋葉山三尺大権現」として祀っていた「秋葉寺」というお寺でした。
それもそのはず!海抜866mに位置し、境内は天然の要害の呈を成しています。
今は秋葉街道と呼ばれる秋葉神社と諏訪を結ぶ主要道は、昔は「南朝の道」と呼ばれていました。後醍醐天皇の皇子、宗良親王もこの街道を通り、信濃の大河原村に行き、30年もの間、そこを拠点としたのです。
そういった関係性を考えると、ぜひとも立ち寄りたい神社だったのです!
下の方が霞んでます。さすが海抜866m!広重や河鍋暁斎の浮世絵にも描かれるほど参拝が盛んだった神社。要害だと思って見ると、斜面も手を加えたような切岸に見えてきます!
さてさて、お次は…
龍潭寺と井伊谷宮です。同じ敷地内にあります。
え?また城じゃないの?
まぁ、黙って御覧なさいよ。すごいお寺と神社なんですから。
ここ井伊谷(いいのや)は井伊氏の発祥の地です。初代共保が生まれ、それ以来約500年に渡り、この地を治めていました。
龍潭寺は井伊氏の菩提寺で、初代から24代直政までの墓があります。
直親の墓が正室(奥山氏娘)と直虎の墓に挟まれてるのがなんとも…
¥500で拝観できます。井伊氏当主のご位牌も安置してありました。
小堀遠州の作った庭が見事!
井伊氏が彦根に移ってからは、彦根佐和山の麓に分寺しました。
そういえば、佐和山城に行ったとき、彦根龍潭寺の庭から城に上がらせてもらったなぁ。
井伊谷宮は後醍醐天皇の皇子、宗良親王をお祀りしてます。境内に宗良親王のお墓もあります。
井伊氏は保元の乱で源義朝に仕え、南北朝時代は南朝につきました。そして、宗良親王を井伊谷に迎え、北朝と戦いました。
京都の方角を向いて建つ、宗良親王の墓。なんとも、切ない…
旅の一日目の締めくくりは佐久城!
お待ちかねのお城でござーい!
佐久城は浜名湖の支湖、猪鼻湖に突き出た岬に立つ水城です。
浜名氏が1348年頃に築いたとされる城。
あのね、すごいの!空堀に土塁にウハウハなの!
土橋の脇腹を横堀がドーンと、ガッツリ!ボコボコ!
ダメ…。興奮して意味不明の文章になってしまった。
とにかくですね、遺構が思いのほか残ってるわけです。
全く期待してなかったので、余計に嬉しくて。
最初、どこから入ればいいのか分からずに、水辺をさまよい、崖からよじ登ろうと。
草木が生い茂り、全く攻められず、諦めて帰ろうとしたら、頭上から子供の笑い声が。
なーんだ、ちょっとした公園になってるじゃん。分かりづらいったらありゃしない。
馬出の下に入口ありました。南曲輪跡に東急ハーベストホテルが建っていました。その庭からも城に入れます。
馬出曲輪の土塁もある程度きれいに残ってました!
私が縄張図と睨めっこしてたら、あるパパさんに話しかけられました。
「ここってお城なんですか?近くに住んでるので子供とよく来るんですけど。どこが城か全くわからなくて…」
はい!あなたが今建っているのがまさに土橋ですぞ!
はしゃぎながら、テンション高く説明する私に、
「言われると何だか変な地形ですね。城に見えてきました!おぉ、城ですね!」と、一緒になってはしゃいでくれました。分かっていただけて良かったですぅ。優しいパパさんでした。
なーんていう、触れ合いもあり、満足な遠江1日目でした。
そんなこんなで、遠江2日目に続く~!
乞う、ご期待!!
本曲輪を分断するための堀。勇ましく、槍を持って駆け上がってみました!…が、ぜんぜん躍動感がない。おかしいな…
最後は山城ガールのポーズで。この石碑のある本曲輪はちょうど桜が満開。
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