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2016年6月20日 (月)

「いざ!遠江へ!」の巻 (其の弐) ”勝間田城・諏訪原城”


一泊二日で巡る遠江歴史探訪の旅!

さーて、2日目に突入!張り切っていってみよー!
ドキドキワクワク!クリックどうぞ!


クリックすると拡大しまーす!PDFになってます。

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Img024_3

2日目の初っ端は油山寺。 ん?城じゃない?
ご安心を!
昨日も言いましたが、真言密教の寺は歴史がたくさん詰まってるんですってば!
と、いうことで、本日の歴史探訪スタート!

医王山油山寺は701年に行基が開山した古刹です。
遠州三山のひとつ。(あとの二つは法多山尊永寺と、萬松山可睡斎)
749年に孝謙天皇がこの寺の滝「るりの滝」で目を洗ったところ、眼病が治ったそうな。
それ以来、眼病にご利益ありと、参拝客があとを絶たないとの事。

それはそうと、この寺すごい!岸壁に囲まれ、堀切のようなものもあり…
天狗谷と呼ばれる自然林と参道は切通し、さながら!!

自然をうまく利用した要害!…のような気がしたので、調べたところ、さもありなん。
近くにある久野城の鬼門にあたるらしく、城と深い繋がりがある模様。
久野城は久野氏の城で徳川配下の城として戦国期~江戸初期まで機能してました。
油山寺は1572年に兵火で全焼したとの記録があるので、やはり久野城と何かしら連携してたと思われますな。
ほーら、来てみてよかった。新しい発見です。
こういう瞬間が一番楽しいですね。歴史巡りの醍醐味!!



Img_1879_3切通しのような参道!


Img_1882孝謙天皇が目を洗ったという「るりの滝」!なんだか少し、とろみのある水質に見えました。油が湧出したということで、「油山寺」の名前がついたというのが頷けます。




そしてさらに!
ここ油山寺は文化財の宝庫!
山門は掛川城の大手二之門、さらに書院は横須賀城からの移築。
頼朝が寄進した三重塔や、今川義元寄進の厨子など、宝の山!
さらに世界一の大数珠も。長さ120m!
ほ-らほーら、来てみてよかったでしょ。
杉林が上を覆って昼も暗く、渓流や滝の流れる境内は深山霊谷の趣き!
ぜひ立ち寄ってみてくださいね。



Img_1886_3桃山時代の三重塔。以前の焼失してしまった棟は頼朝寄進の塔だったとのこと!



Img_1869_2_2明治になってから、掛川城大手二之門を移築したもの。




次に向かうはまたもや遠州三山のひとつ、法多山尊永寺。
かなりの観光地でビックリ。桜の名所らしい。
それはそうと、ここも725年聖武天皇の勅により創建された歴史満載の寺。
参道の囲む堀と絶壁の凄さ!みんな、桜しか見てないけど、この崖、かなりの威容を誇っております
真言宗の古刹なので、修験道も盛んだったと思われ、なるほど、納得。
白河、後白河天皇たちから法具や法絵を送られてる由緒正しきお寺。
境内には家康御手植えの松などもあり。
やっぱり、ここも武田の兵火で全山焼失したらしいけど、秀吉、家康から寄進を受けて再建したとのこと。
名物は団子!茶屋で食べるもよし、土産に持ち帰るのもよし!
あまりに人気で、団子チケットの券売機が何台もありました。びっくり。
この団子は将軍家に献上した際、家定が「くし団子」と命名したとのこと。…そのまんまじゃん!


Img_1894_3ここも切り立った山肌と川に守られてる感じ。



Img_1905_4家康御手植えの松。



Img_1900_3そして、名物!「くし団子」!!何本でも食べれそう。おいしかった!




お次は勝間田城。待ってましたの山城です。
駐車場有、トイレ有り、案内板有り。整備されてます。
駐車場から茶畑の農道を上がって行きます。山城の斜面に茶畑!?
なかなか新鮮で斬新!
登ること、10分ほどで出曲輪に到着。出曲輪の削平地が完全に茶畑になってます。縄張図を見ると、出曲輪の形そのまま茶畑になってる感じ。おもしろーい。


Img_0379_6城に向かうと目の前に茶畑。山城の斜面を利用してるんですね。


Img_0382_6そして出曲輪も茶畑!形そのまま茶畑になってます。真ん中には「出曲輪」の看板が刺さってました!




そしてすぐに勝間田城と書かれた石碑と土橋が出現。
地元の有力武士団である勝間田氏。その勝間田荘の奥地に築かれた要害です。
勝間田氏は鎌倉時代には幕府の御家人、室町時代には奉公衆として活躍しました。
14767年、今川義忠の攻撃を受けて落城。離散。その後、御殿場など静岡各地に散ったと伝えられてます。
明確な廃城時期は記録に残ってませんが、出土した陶磁器の年代が15世紀中ごろ~15世紀後半に集中してるので、やっぱり今川の攻撃で廃城になったと思われますね。
ただ、本曲輪が小ぶりなのに対し、二の曲輪、三の曲輪周辺が土塁に囲まれ大きいので、この部分は廃城後に改修された可能性もあるらしい。でも、詳しいことは分かってないって。いいの、いいの。分かってなくても。わからないことがたくさんあるから、山城歩きは楽しいのだ。


Img_0384_6土橋がきれいに残ってました!




発掘調査では城内への入り口も城内道も分かってない。でも、土橋渡ったとこに虎口らしきものあり。三の曲輪の西側にも虎口らしきものあり。たぶん、そのあたりだったんでしょうね。


Img_0409_5西三の曲輪と三の曲輪の間に虎口らしきものあり!



Img_0401二の曲輪と三の曲輪の間仕切りの土塁!かなりの高さで残ってるー!
二の曲輪と本曲輪を分断する堀切、美しー!!
そして、一番のお気に入りは、東尾根曲輪の五重の堀切!
ボコボコボコボコと、土木作業の痕跡!
たまりませんよ!五本とも登ったり下りたりしました!
安心してください!遺構に傷つけてませんから!!立ち入り禁止じゃなかったので平気!



Img_0430_2二の曲輪南側の大堀切!美しい~!


Img_0437_3東尾根曲輪の五重堀切!くぅっ!写真が下手くそ!!




そして、旅を締めくくるのは諏訪原城!!
丸馬出といえば諏訪原城!諏訪原城といえば丸馬出!!

駐車場を降りて歩き出すと、なんだか異様な雰囲気…チラリと目に入った地面がね、なんか変なの。え?!なに?!陥没してるじゃん!これなに?えっ!空堀?!!うひゃー!
奥の地面の窪みは何?え?馬出!?ウソッ!大きすぎ!どひゃー!
と、言った具合です。
つとめて冷静にしないと、鼻血が出そうです。


Img_0558_2とにかく巨大!私が小びとに見えます。




Img_0603_6堀の幅の広いこと!20mですってよ。
堀の深さのすごいこと!10mですってよ。
堀底を覗く…無理ー!飛び降りれなーい!降りたとしても、よじ登れなーい!



Img_0607_2堀切も広いし深い!!
諏訪原城は築城名人の馬場美濃守が築いた、丸馬出を多用する典型的な武田の城と言われてますね。空堀、三日月堀の土木作業量は本当にとてつもない!空堀の切岸なんて垂直よ!




諏訪原城は、1573年に武田勝頼が久野、掛川城を牽制するために築城したと思われます。
さらには、高天神城の攻略のための陣城として、攻略後はその兵站基地として重要視されました。勝頼が長篠の戦いで敗れると、家康が猛攻を開始。そして、開城となります。


現在も続いてる発掘調査によると、本曲輪が焼土を挟んで二層構造になってるらしい。
下層が勝頼、上層が家康時代のものということでしょうね。
でも、今見る遺構のどこまでが武田時代で、どこからが家康が牧野城として改修したものなのかは今となっては分かりませんね。
1578年から毎年のように、家康が大規模な普請をしたとの記録有り。
これはかなりの大改修っぽい。
と言うことは、今見る遺構は家康が諏訪原城を改修して築いた牧野城の遺構と見てもいいのかもしれない。
さらに、中井均先生曰く、
「諏訪原城のような巨大な馬出は武田城郭では認められない。むしろ、小型のものがほぼ全てである。規模の大きさからも異質を指摘できる。大胆にも諏訪原城築城を家康築城とする(「静岡の山城ベスト50を歩く」)」とのこと。

とにもかくにも、諏訪原城は大胆にして繊細な城。驚くような空堀あり、きめ細やかな堀の折あり。何時間みてても飽きない素晴らしい城でした。



Isidatami_4
諏訪原城の南には東海道が走ってて、金谷坂の石畳が風情がありました。
金谷坂を下って見ているといくと、大井川をまたいで駿河国。
そんなことを考えながら石畳の向こうを見ていると、なんだか吸い込まれそうになりました。

今回の出陣は季節もよく、あちこちで桜やハナモモが咲いていて気持ちのいい旅でした。

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