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2016年7月の3件の投稿

2016年7月31日 (日)

「いざ!歩け!朝比奈切通しから鎌倉城へ!」の巻(ガイド編)前半戦

今回は歩け歩けツアーで何回かガイドしたコースをご紹介!!
鎌倉朝比奈切通しから鎌倉に抜ける道をご案内します!

本日の手書きプリントはガイドの時に配ったものです。
ドキドキワクワク!クリックどうぞ!!
PDFになってます。
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Asahina1


午前10時に「京急金沢八景駅」に集合し、バスに乗って「朝比奈」のバス停まで行きます。脇道を入ると、朝比奈切通し入り口はすぐそこです。

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朝比奈切通しを歩くツアーは鎌倉に集合して、朝比奈に向かってくるパターンが多いですが、あえて金沢八景駅からスタートしましょう。なぜなら、この道は六浦湊からの物資を鎌倉に運ぶために整備された道でもあるからです。

金沢八景からバスで通ってきた道、環状4号線。現在の上行寺のあたりまで、江戸時代あたりまで海でした。今でも「塩場」という地名が残っており、ここで製塩もしていたのです。
作られた塩と、船で運ばれてきた塩を鎌倉に運んだのでこの道は「塩の道」と呼ばれているんですね~。
なので、あえて私はこの物資運搬のルートで鎌倉入りしたいのです。
ちなみに金沢八景駅、文庫駅のあたりも海でした。

そんな話をして、切通し入り口に到着。
説明の案内板があるので、私も少し説明を。…オホン。

「え~、切通しとは鎌倉に入る入り口のことです。鎌倉七口とよく言われますね。まるで、鎌倉を守る城門のようですね。鎌倉時代のある公家の日記に「鎌倉城」という言葉が使われてるんですよ~」

とか、
「朝比奈切通しは和田義盛の3男、朝比奈三郎義秀が一夜にして切通したという伝説があるんですよ~。ただどう考えても一夜で出来るわけありませんよね。一夜城とか、たまに一夜という言葉が使われますね?あれは、ありえないほどの短期間でやったことを讃える意味で使われてたりするんですよ~」

などと、ゆる~い感じの説明を。
だいたいね、「西暦何年になんちゃらかんちゃら…」って話しても誰も聞いてないし、覚えませんもん。小難しい説明は極力割愛。どっちかというと、「へぇ~」みたいな話を中心に進みます。

朝夷奈と史跡の案内板に書いてあるけど、「朝比奈」と「朝夷奈」と、どっちが正しいんですか?

はい、いい質問をありがとうございます。正しくは「朝夷奈」です。と、いうのも、朝比奈三郎義秀は安房の朝夷郡(奈はつけない)を領地にもらったので朝夷奈を名乗ったんです。なので、もとは朝夷奈です。ただ、夷という字は「夷狄」、「東夷」のように未開の地の者とか野蛮人みたいな意味合いがあるので、いつの頃からか使わなくなったのかもしれませんね。

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さて、そろそろ先に進もうかな…と思ったら、お猿さんと目が合ってしまいました。そう、庚申塚のお猿さんです。

よく見かけるけど庚申塚って何?
道教由来の庚申信仰から建てられたものです。
「庚申」というのは「庚(かのえ)」と「申(さる)」。干支の57番目に当たります。
この60日に一回まわってくる庚申の日の夜、寝てる間に自分の体から「三尸(さんし)」という虫が天帝に悪行を告げ口しに行くと信じられていました。そのため、寝ないで夜通し勤行や宴会をしたんですね。
最初は貴族の中で流行したんですが、その庚申信仰にいろんな信仰や習慣が混ざって、庶民に広がりました。それで、庚申のための組織のような庚申講が作られ、道の辻とか、村境とかに塚を建てたりしたんですね~。

「申」ということで三猿が彫られているものをよく目にしますね。江戸後期になると、文字だけの質素な塚が増えました。その辺にたくさん庚申塚はあるので、見かけたら絵や文字に注目してみると面白いかもしれませんね。


ということで、やっと切通しの峠道に入ります。
まだ切通しに入ってないのに、結構な文章量…オーマイガッ!
ここからは写真で紹介して、サラっと行きます。
このコースのガイドはご要望があればツアーをセッティングするので気軽に言ってください。メールでもブログ内のコメント欄でもOKですので。声かけてくれれば、日にち等調整します。お会いしたことがある方もない方も大歓迎です!

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ということでまず最初の見せ場!ジャジャーン!高速道路~!
え?高速道路?
いや…だから…私が言いたいのはね、このコントラストですよ。
昔の削ったノミの跡を残すこの切通しの上に、高速道路が走ってるんですよ。この異物感ハンパない!


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さてお次の見せ場は「小切通し」。
見事に鎌倉時代の風情を残してますね!!

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さて、頭上にある「やぐら」。はるか上の方にありますが、なんであんなに高いところにあるんでしょう?…なんて話もしながら進みますよ。


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そして、熊野神社への分岐点到着。目の前は大切通し。そして平場もあります。罠ですよ、みなさん!ぼーっとしてると、やられちゃいます!
と、慌てて熊野神社方面へ。

この熊野神社は鎌倉八幡宮の北東にあたり、鬼門としての役目があったと言われてます。
山の中に立派な神社が現われて、結構驚きますね。鳥居の手前には不自然な平場があります。鎌倉幕府の有力御家人の屋敷があったかもしれませんね。野神社の裏手に、十二所果樹園のほうに抜ける道があります。その道が旧道にあたります。


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そして、大切通しに戻ります。
ここには城門のような門がありました。鎌倉への入り口ですね。
この岸壁は18m!!垂直に聳え立っています。上から石でも投げられたら、ひとたまりもありません!

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このあたりには大きな石がゴロゴロしてます。名越の切通しにも転がってます。これも仕掛けの名残りです。
昔の馬は平均120cmくらいのずんぐりむっくりした馬です。足が短くて太い。そのかわり、山を登れました。その馬には、この大きな石がかなりの障害になったんですね。足が短いから、またぐのが大変だったんですね。

ここから下りになります。横浜市から鎌倉市に入りました。

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そして、かわいい石仏。いつ誰が彫ったかは分からないけど、たくさんの旅人をほっこりさせたに違いない可愛らしい仏さま。

癒されてホワンとしている場合ではございません。ここから、滑りやすい箇所に入ります。晴れの日が続いても、ぬかるんでます。過去に私もスッテンコロリンしてますので、みなさま、景色を見ずに足元をしっかり見て歩を進めてください!!油断禁物!!


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やっと、「あら、小川がきれいだわ」と、余裕が出てきた辺りで石垣があります。
さて、ここは何だったでしょう?
うふふふ、秘密。

さて、関東大震災前まで使われていた石切り場や、三郎の滝を過ぎると、大刀洗に出ます。

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梶原景時が上総介千葉広常邸を襲撃したあとに刀を洗ったという伝説が残ってますね。



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小川沿いに進むと、民家がちらほらと出てきます。すると、こんもりとした土の盛り上がり。これは砦跡として史跡指定されています。吾妻鏡にも「砦」と書かれていて、見張り、木戸のようなものがあったと推測されます。
写真の分かりづらさはご容赦を!

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左手のひよどり公園の地形も怪しいなーと思いながら進んでいくと、また変な土の盛り上がりが!なんか変なところに庚申塚がありますぞ?
ここもさっきの砦から続く塁壁施設の一部です。
ずいぶん高い位置に庚申塚を作ったのね…じゃなくて、当時はあの高さが道の高さっだったってことです。面白いね~。
すぐ横を走る県道は、鎌倉霊園が日本軍の基地だった時に物資を運ぶために開いた軍用道路です。この道路がが開通したために、朝比奈切通しは旧道として昔の姿をとどめたまま残ったんですね。ラッキー!

では、後半戦は十二所から寺社仏閣に立ち寄りながら鎌倉駅に進みたいと思います!
カミングスーン!こうご期待!

一気に書こうと思いましたが、書き手も読み手も疲れますのであしからず…

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2016年7月 6日 (水)

「いざ!山城の世界へ!」の巻(タウンニュース連載のお知らせ編)

今回は先月やらせていただいた山城講演会の報告を…。講演会?おこがましすぎる。お話会とでもしときましょう。

場所は横須賀市浦賀のCOOL CRAN CAFEさん。
白と青のマリンカラーを基調にした、とてもかわいいCAFEです!
2階建ての建物は広々として落ち着くし、気持ちのいい店内になってます。

今回は2階を使わせていただきましたよ。30人くらいの皆様に参加頂き、和気あいあいと山城の話で盛り上がりました~。

Coolcrancafe2
「山城」という渋いマニアックな話でしたが、笑いあり涙ありで楽しい会になりました。
神奈川県にお城はいくつあると思いますかー?
では全国にお城はいくつあると思いますかー?
とか、
吉野ヶ里遺跡もお城なんですよー!
お城は白いのと黒いのとどっちが好きですかー?
などと、取り止めのない雑談をしながらお話ししました。

話を聞いていただいた後はカフェのとてもおいしいランチを食べ、浦賀城へとウォーキングしました。机上での勉強の後はすぐさま実技へ!

浦賀城で藪をかき分けかき分け、遺構を探しました。
「えっ?!こんなとこ歩くの?」などという声も聞こえましたが探検冒険気分で楽しんでいただきました~。
最後には、
「見方がわかると、山城巡りも楽しいね」
などとお声もいただき…。涙涙。嬉しかったです。
さらなる山城布教活動に向かって、頑張る次第であります!!
ほーら、写真のみなさま楽しそう!いい笑顔!!
Coolcrancafe
そして、お知らせ!!
なんと!!
なんと!!!

神奈川県が誇るタウン誌「タウンニュース」の横須賀版と三浦版で連載させていただくことになりましたー!!やったー!
内容は「横須賀三浦の山城」です。初回は「山城とはなんぞや?」みたいな感じで、2回目からひとつひとつの城址を紹介していきます!
横須賀三浦のみなさま!ぜひ、ちらっとでも読んでみてくださーい。
他地域のみなさま!刷り上がり次第、ブログにアップしますのでぜひとも見てくださーい!
掲載は7月8日(金)から。毎月2週目の金曜の予定です。

第一回目の記事を添付しときます。
次回以降は記事と合わせてブログをアップする予定です。ブログは情報盛りだくさんで、もちろん手書きのプリントも書きますので合わせて見てくださいね。
乞うご期待!!

クリックすると拡大しまーす!  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  
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2016年7月 3日 (日)

「いざ!歩け!横浜開港の歴史を追え!」の巻(ガイド編)

今回は歩け歩けツアーでガイドしたコースをご紹介!!
横浜開港の歴史をご案内します!
観光地のど真ん中をテクテク歩きます。

それでは張り切っていってみよー!
遠足気分でGO!GO!!


集合場所で
1909年、明治42年に開港50年記念ということで、横浜市歌が作られました。作詞は「森林太郎」。実はこれは森鴎外なんですよ~。
へぇ~。
ちなみに今でも横浜市歌は愛されてて、横浜ベイスターズでは、ホームラン打つと市歌の一節が歌われるんですよ~。
へぇ~。
横浜市の徽章の菱形のようなやつ、あれはカタカナで「ハマ」なんですよ~。
へぇ~。

ってな感じで、雑談しつつ出発!!
まずは、吉田橋へ。
実はちょうど、ブラタモリで「横浜の秘密はハマにあり!」なんてやってて、完全に私が回ろうとしてたとこと、ドンピシャで被ってしまいました…
え?タモリさんにパクられたっ!?がーん…。

と、少々焦りましたが、でも、まぁ、結果的にはブラタモリ見てた人が「あぁ、ここタモリさん来てたね!」なんて逆に喜んでくれたので良かった。

と、いうことで吉田橋。通称「カネの橋」。
この橋はもともとは木製の橋でしたが、1869年、明治2年に鉄の橋になりました。
当時、鉄製の橋は珍しかったので「カネの橋」と呼ばれ、愛されていたんですね。
でも、「カネの橋」と呼ばれるにはもうひとつ理由がありました。
実は吉田橋を渡るには通行料を払わなきゃいけなかったんですね。橋を渡った先は、外国人居留地だったんです。吉田橋を関門として、関外・関内と言う意味なんですね~。
今は高速道路が走ってますが、当時は川で分断してたわけです。タモリさん、ブラタモリで関内駅の下の昔の護岸の石積みを見学してました。うらやまし~。
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「あっちが関外でこっちが関内ですよ」とかなんとか話してる写真です。


それでは、横浜近代建築を見ながらテクテク進みましょう。
キング⇒神奈川県庁
クイーン⇒横浜税関
ジャック⇒横浜市開港記念会館
トランプをしながら港に入って来た外国の船乗りたちが、そうあだ名をつけたと言われてます。
ナイス!ネーミング!!
個人的にはジャックが一番好き。

キング(神奈川県庁)の歴史展示室と屋上展望台がオススメ。一番きれいに港が見えるんじゃないかな。ただし、平日のみ開放なのでご注意を。


ではでは、今日はジャックに立ち寄りましょう!
ここの見どころはステンドグラスです。ガラスはティファニー製ですってよ。箱根に行く外人さんが描かれてますが、足が長くて乗り物が窮屈そう。笑えます。
鳳凰のステンドグラスにはハマのマーク!朝の雑談が役に立ちましたね。

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階段途中のポーハタン号のステンドグラスは、上から見るのと下から見るのでは色が変わるように作られてるらしい。下から見ると、夕陽色に見えるんですってよ~。
この会館はたくさんのテレビ、映画ロケで使われていますよ。


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あ、そうそう。ミーハーな話してたら、大事なこと言い忘れてました。
このジャックが建ってる場所には、「岡倉天心生誕地」と書かれた石碑が建ってます。
実はここは、生糸を取り扱う福井藩直営の石川屋という商店がありました。
財政が貧窮した藩は藩命で、福井藩士であった岡倉天心のお父さんをここに派遣し、貿易で利を上げようとしたのです。
そして、ここで岡倉天心は生まれたというわけですね~。
へぇ~。
ちなみにこの地を貸してくれたのは横浜名主、豪商の石川徳右衛門です。
そう!石川町という町名、駅名の由来ですね。
へぇ~。

と、おあとがよろしいようで…。

横浜三塔を同時に見れるのは、3か所しかないとのこと。もし、その場所を見つけられたら、願いごとが叶うとか何とかかんとか。

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でも、エースのドームも忘れないで!
神奈川県立歴史博物館です。こりゃまた美しいのです。重要文化財ですぞ!もとは横浜正金銀行だったのですぞ!
中身も充実の博物館!でも、修繕のため、平成30年4月まで休館なので、あしからず。


天気もいいので、ゾウの鼻パークでお弁当にしましょう!
赤レンガを眺めながらの昼食。気持ちがいいですね。
赤レンガ倉庫は倉庫2棟で64万個の赤レンガを使ってるらしいですよ~。へぇ~。
赤レンガ倉庫は当時(1911年とかそのへん)から、エレベーターとスプリンクラーが設置されてた近代的建物だったんですよ~。へぇ~。

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あとね、ゾウの鼻パークの整備の時に、港の荷物用の軌道と転車台が発掘されました。明治から大正にかけて使われてましたが、関東大震災で埋まってしまった模様。

今は、透明の蓋でカバーしてあって、上から見れるようになってますよ。

それでは、お弁当タイムを終えて出発!

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旧横浜港駅のプラットホーム跡です。もとは横浜港の荷扱所で、荷物の輸送用でしたが、その後に船の出航日に合わせて、乗船客を乗せるボートトレインが運行されました。ここから東京に向けて汽車が走ってたんですね。いまでも汽車道としてレールが残っていますね。

その近くにまるでヨーロッパの遺跡のようなものが…。これは税関事務所の遺構です。ここも関東大震災で埋まってしまいました。公園の整備をしたときに見つかったそうです。驚くことに冷暖房完備だったそうですよ~。

ではお次は掃部山(かもんやま)公園へ。
ここには横井戸施設があって、鉄道用の湧水として使っていたんです。今は民地なので、残念ながら見ることはできません。でも、掃部山と野毛配水池の地形を見てると、なんとなく水の流れや、豊富な湧水をイメージできる気がします。

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ここはブラタモリでもやってました。蒸気機関車用の真水として使ったんですね。いまでも水が湧いてます。


掃部山の下には「岩亀横丁」という名前がついた通りがあります。
横浜開港にともなって港崎遊郭という遊郭が建設されました。今の横浜スタジアムのあたりです。その中に「岩亀楼」という遊女屋がありました。その店の遊女が病気になったときの寮がこの場所にあったんですね。そのため、いまでも「岩亀横丁」の名前が残っています。
ちなみに有吉佐和子の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は岩亀楼の遊女がモデルになってますよ。


さて、山の上へ。掃部山の上にある掃部山公園には、井伊直弼の銅像が建ってます。
明治17年に旧彦根藩士がこの山を買い取って、井伊家の所有になりました。それで、銅像を建てたんですね。銅像の除幕式があったらしいんですが、井伊直弼を開国の英雄として扱ってるのを不満とした山縣有朋、伊藤博文、井上馨らは欠席したそうです~。へぇ~。
今は横浜市に寄付されて公園として整備されてまーす。

すぐ横には神奈川奉行所跡があります。ここからは港がよく見えたことでしょうね。
ちなみにここは明治7年に、世界各国の研究者で構成された観測隊が金星の太陽面通過を初観測した地でもあり、石碑が建ってます。野毛の民家には今でもその時の観測隊が望遠鏡を固定した石を大事に取ってある家があるらしいですよ。

今日のガイドも終盤。
最後は寺社仏閣へ。
まずは伊勢山皇大神宮へ。関東のお伊勢さまと呼ばれて親しまれてます。
開港以来、急速に発展していく横浜の町に住む人々の心の拠り所にと建てられたんですね。
そして、成田山別院へ。ここは最初は遙拝所でしたが、後に成田山の別院になりました。

駅に向かう途中に1か所だけ寄り道。
近代水道最古の水道管です。
Suidoukan
横浜市の水道は日本最初の近代水道です。明治20年に現津久井町から野毛山貯水場に運ばれ、市内に給水されました。この水道管はその当時のイギリス製の水道管です。この水道管が多くの人の生活を支えたんですね~。

と、いうことで本日のツアーはこれで終わりです。開港後、急速に近代化した横浜の町には至る所に、「日本初の○○」といった石碑や看板があります。フラフラ歩いてるだけでも楽しいですね。
では、本日もお疲れさまでした~。


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