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2016年7月 3日 (日)

「いざ!歩け!横浜開港の歴史を追え!」の巻(ガイド編)

今回は歩け歩けツアーでガイドしたコースをご紹介!!
横浜開港の歴史をご案内します!
観光地のど真ん中をテクテク歩きます。

それでは張り切っていってみよー!
遠足気分でGO!GO!!


集合場所で
1909年、明治42年に開港50年記念ということで、横浜市歌が作られました。作詞は「森林太郎」。実はこれは森鴎外なんですよ~。
へぇ~。
ちなみに今でも横浜市歌は愛されてて、横浜ベイスターズでは、ホームラン打つと市歌の一節が歌われるんですよ~。
へぇ~。
横浜市の徽章の菱形のようなやつ、あれはカタカナで「ハマ」なんですよ~。
へぇ~。

ってな感じで、雑談しつつ出発!!
まずは、吉田橋へ。
実はちょうど、ブラタモリで「横浜の秘密はハマにあり!」なんてやってて、完全に私が回ろうとしてたとこと、ドンピシャで被ってしまいました…
え?タモリさんにパクられたっ!?がーん…。

と、少々焦りましたが、でも、まぁ、結果的にはブラタモリ見てた人が「あぁ、ここタモリさん来てたね!」なんて逆に喜んでくれたので良かった。

と、いうことで吉田橋。通称「カネの橋」。
この橋はもともとは木製の橋でしたが、1869年、明治2年に鉄の橋になりました。
当時、鉄製の橋は珍しかったので「カネの橋」と呼ばれ、愛されていたんですね。
でも、「カネの橋」と呼ばれるにはもうひとつ理由がありました。
実は吉田橋を渡るには通行料を払わなきゃいけなかったんですね。橋を渡った先は、外国人居留地だったんです。吉田橋を関門として、関外・関内と言う意味なんですね~。
今は高速道路が走ってますが、当時は川で分断してたわけです。タモリさん、ブラタモリで関内駅の下の昔の護岸の石積みを見学してました。うらやまし~。
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「あっちが関外でこっちが関内ですよ」とかなんとか話してる写真です。


それでは、横浜近代建築を見ながらテクテク進みましょう。
キング⇒神奈川県庁
クイーン⇒横浜税関
ジャック⇒横浜市開港記念会館
トランプをしながら港に入って来た外国の船乗りたちが、そうあだ名をつけたと言われてます。
ナイス!ネーミング!!
個人的にはジャックが一番好き。

キング(神奈川県庁)の歴史展示室と屋上展望台がオススメ。一番きれいに港が見えるんじゃないかな。ただし、平日のみ開放なのでご注意を。


ではでは、今日はジャックに立ち寄りましょう!
ここの見どころはステンドグラスです。ガラスはティファニー製ですってよ。箱根に行く外人さんが描かれてますが、足が長くて乗り物が窮屈そう。笑えます。
鳳凰のステンドグラスにはハマのマーク!朝の雑談が役に立ちましたね。

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階段途中のポーハタン号のステンドグラスは、上から見るのと下から見るのでは色が変わるように作られてるらしい。下から見ると、夕陽色に見えるんですってよ~。
この会館はたくさんのテレビ、映画ロケで使われていますよ。


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あ、そうそう。ミーハーな話してたら、大事なこと言い忘れてました。
このジャックが建ってる場所には、「岡倉天心生誕地」と書かれた石碑が建ってます。
実はここは、生糸を取り扱う福井藩直営の石川屋という商店がありました。
財政が貧窮した藩は藩命で、福井藩士であった岡倉天心のお父さんをここに派遣し、貿易で利を上げようとしたのです。
そして、ここで岡倉天心は生まれたというわけですね~。
へぇ~。
ちなみにこの地を貸してくれたのは横浜名主、豪商の石川徳右衛門です。
そう!石川町という町名、駅名の由来ですね。
へぇ~。

と、おあとがよろしいようで…。

横浜三塔を同時に見れるのは、3か所しかないとのこと。もし、その場所を見つけられたら、願いごとが叶うとか何とかかんとか。

Img_4066_16340
でも、エースのドームも忘れないで!
神奈川県立歴史博物館です。こりゃまた美しいのです。重要文化財ですぞ!もとは横浜正金銀行だったのですぞ!
中身も充実の博物館!でも、修繕のため、平成30年4月まで休館なので、あしからず。


天気もいいので、ゾウの鼻パークでお弁当にしましょう!
赤レンガを眺めながらの昼食。気持ちがいいですね。
赤レンガ倉庫は倉庫2棟で64万個の赤レンガを使ってるらしいですよ~。へぇ~。
赤レンガ倉庫は当時(1911年とかそのへん)から、エレベーターとスプリンクラーが設置されてた近代的建物だったんですよ~。へぇ~。

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あとね、ゾウの鼻パークの整備の時に、港の荷物用の軌道と転車台が発掘されました。明治から大正にかけて使われてましたが、関東大震災で埋まってしまった模様。

今は、透明の蓋でカバーしてあって、上から見れるようになってますよ。

それでは、お弁当タイムを終えて出発!

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旧横浜港駅のプラットホーム跡です。もとは横浜港の荷扱所で、荷物の輸送用でしたが、その後に船の出航日に合わせて、乗船客を乗せるボートトレインが運行されました。ここから東京に向けて汽車が走ってたんですね。いまでも汽車道としてレールが残っていますね。

その近くにまるでヨーロッパの遺跡のようなものが…。これは税関事務所の遺構です。ここも関東大震災で埋まってしまいました。公園の整備をしたときに見つかったそうです。驚くことに冷暖房完備だったそうですよ~。

ではお次は掃部山(かもんやま)公園へ。
ここには横井戸施設があって、鉄道用の湧水として使っていたんです。今は民地なので、残念ながら見ることはできません。でも、掃部山と野毛配水池の地形を見てると、なんとなく水の流れや、豊富な湧水をイメージできる気がします。

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ここはブラタモリでもやってました。蒸気機関車用の真水として使ったんですね。いまでも水が湧いてます。


掃部山の下には「岩亀横丁」という名前がついた通りがあります。
横浜開港にともなって港崎遊郭という遊郭が建設されました。今の横浜スタジアムのあたりです。その中に「岩亀楼」という遊女屋がありました。その店の遊女が病気になったときの寮がこの場所にあったんですね。そのため、いまでも「岩亀横丁」の名前が残っています。
ちなみに有吉佐和子の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は岩亀楼の遊女がモデルになってますよ。


さて、山の上へ。掃部山の上にある掃部山公園には、井伊直弼の銅像が建ってます。
明治17年に旧彦根藩士がこの山を買い取って、井伊家の所有になりました。それで、銅像を建てたんですね。銅像の除幕式があったらしいんですが、井伊直弼を開国の英雄として扱ってるのを不満とした山縣有朋、伊藤博文、井上馨らは欠席したそうです~。へぇ~。
今は横浜市に寄付されて公園として整備されてまーす。

すぐ横には神奈川奉行所跡があります。ここからは港がよく見えたことでしょうね。
ちなみにここは明治7年に、世界各国の研究者で構成された観測隊が金星の太陽面通過を初観測した地でもあり、石碑が建ってます。野毛の民家には今でもその時の観測隊が望遠鏡を固定した石を大事に取ってある家があるらしいですよ。

今日のガイドも終盤。
最後は寺社仏閣へ。
まずは伊勢山皇大神宮へ。関東のお伊勢さまと呼ばれて親しまれてます。
開港以来、急速に発展していく横浜の町に住む人々の心の拠り所にと建てられたんですね。
そして、成田山別院へ。ここは最初は遙拝所でしたが、後に成田山の別院になりました。

駅に向かう途中に1か所だけ寄り道。
近代水道最古の水道管です。
Suidoukan
横浜市の水道は日本最初の近代水道です。明治20年に現津久井町から野毛山貯水場に運ばれ、市内に給水されました。この水道管はその当時のイギリス製の水道管です。この水道管が多くの人の生活を支えたんですね~。

と、いうことで本日のツアーはこれで終わりです。開港後、急速に近代化した横浜の町には至る所に、「日本初の○○」といった石碑や看板があります。フラフラ歩いてるだけでも楽しいですね。
では、本日もお疲れさまでした~。


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