「いざ!歩け!浦賀城から怒田城へ!」の巻(ガイド編)
今回は歩け会のお話。
先日、20人で浦賀城~怒田城、そしてペリー公園を歩く会のガイドをさせていただきました。途中、点々と史跡めぐりをしながら15kmほどのウォーキングになりました。見どころ満載!!立ち止まり立ち止まり、和気あいあいと進みました。
まずは浦賀城を目指し出発。途中、乗誓寺→東耀稲荷→専福寺→法幢寺と立ち寄りました。
乗誓寺の開基は了源。あの仇討ちで有名な曽我十郎祐成のと虎御前の子だそうです!!元は平塚にあったけど、1469年ごろに戦火を逃れて浦賀へと移ったとのこと。そして、その後も曽我一族が代々住職を継承し今は25代目に当たるとの事です!!
すごーい。
境内には本願寺第八世蓮如のお手植えの樹と伝わる大きな銀杏の木もありまーす。
お次は東耀稲荷。こじんまりとした社は1782年に建てられました。もとは裏手の顕正寺にあったそうです。ここは瓦と格天井などの彫刻に注目です!!瓦の上に大黒様と恵比寿様が乗ってます。なんとまぁ、かわいい。
商人商業の町であり、小田原に次ぐ都市だった浦賀。腕のいい彫師を呼んで彫らせた彫刻や鏝絵などが点在していて、みどころ満載です。
鏝絵は左官職人が使う鏝で漆喰を盛ったり塗ったりして描いた漆喰芸術です。「伊豆の長八、三浦の善吉」と呼ばれ称された石川善吉の鏝絵も多数残っているのでーす!
東耀稲荷の裏山がすでに浦賀城です。見上げてるだけでワクワクしてきます。城は何回来ても楽しいですね。結局、私がガイドしながら一番テンションがあがってます~。専福寺には小林一茶の初恋の人のお墓があったそうです。一茶も墓参りに来ていて、一茶の日記にもそのことが書かれています。今はその墓が残ってないので、石碑だけが境内にあります。
一茶、芭蕉、広重なども浦賀にはたびたび来ていて、交通の要所だっただけでなく、文化や芸術も盛んだったことがわかりますね~。
法幢寺で鏝絵を見て、浦賀城へとずんずん進みます。
法幢寺、東林寺辺りは浦賀城の曲輪の一部として機能してたと思われます。
お待ちかね!!浦賀城です!!
じゃじゃーん。東叶神社から登っていきます。対岸の西叶神社から、1692年に分かれました。元は修験道の山だったとの事。境内には源頼朝寄進の蘇鉄もあります。
さてさて、お参りを済ませたら一気に階段を上りますよ!!
結構、のぼり甲斐があります。何段あったんだろう?途中まではいつも数えてるんだけど…。みなさん、息を切らせながら登ってきてくれました。標高50m程度ですが、上まで休みなしだと結構疲れますね。でも、汗かきながらみんな楽しそう。
天気も最高で、里見の房総が丸見えですぞ!
…すごいいい景色の写真撮ったのに見つからない(泣)
本当はこの下あたりに、幕末の浦賀台場があったんだけど今は跡形もなし。砲台を設置する前にこの台場は場所が変更になってます。ちなみにペリーの応接所は久里浜のペリー公園じゃなくて、当初はここに浦賀応接所を設ける計画だったとの事。ペリー公園の資料館にあった浦賀応接所の計画図。
勝海舟断食碑の裏から浦賀城探索開始!
足場が悪いので、行ける方だけ行きましょう!と声掛けしたら、ほぼ全員ついてきてくれました。みなさん健脚で素晴らしい!!
と、いうことで自然地形を生かしたような谷に下りて、井戸を見てから堀切へ。
ここは私の大好きなスポット。美しい!この堀の断面が美しすぎる~。手作り感がたまりません!
言葉は不要です。写真をご覧じあれ!!わーい!
うひょー!
ということで、ある程度うろちょろして下山。
今度はワクワクのポンポン船で対岸に渡ります。200円であっという間に向こう岸へ。
何回乗っても楽しい渡し舟。このルートって水路じゃなくて横須賀市道なんですよ。おもしろーい。
陸軍引き揚げ桟橋、船番所跡、為朝神社、川間町内会館の鏝絵、浦賀奉行所、十六天神社の鏝絵を見てから愛宕山へ。戦争が終わって、数十万人が引き揚げてきた桟橋です。向こう側は浦賀城。
浦賀奉行所の堀、水路。
当時使ってた伊豆石。現地案内板には「今となれば当時の名残りは表門の端に使っていた4~5枚の伊豆石」との表記。その後、さらに見つかったのか「7~8枚」に訂正されたそう。でも、10枚ちょっとあったけど?おかしいな…ま、いっか。
愛宕山でお弁当タイム。……ちゃんと整備してくださいよ。ここから咸臨丸を眺めて無事を祈った場所ですよ。与謝野晶子もここから当時を思って詩を詠んだんですよ。
全く海が見えませんがね。木が邪魔や!海に向かって置いてあるベンチが宝の持ち腐れや!!
もったいなさすぎ。しかもここ、横須賀市最古の公園ですよ。明治24年、浦賀園として開園したんですよ。史跡扱いしてよー。
と、文句言いながらおにぎりを3つも食べました。雰囲気のある入り口。明治24年当時は「浦賀園」って言ったんですね。
さて、次は西叶神社→東福寺→常福寺→御林→真福寺と抜けて、怒田城へと向かいます。ラッキー!!廻船問屋の宮井商店にて、「ペリーの鍋と水牛の角」を見れました。開けてくれてる時と開いてない時があるので見れたらラッキー!!ブラタモリでも紹介されてましたね。
西叶神社では後藤利兵衛の彫刻が堪能できます。
力士やフクロウなどの彫り物もあるので探してみてくださいね。
あと、柱に隠れたカワイイ狛犬も探してみてね。
社務所には鏝絵もあり、ここは三浦半島の「ええじゃないか」が端を発した場所でもあり、みどころいっぱい。
さてお次は東福寺。東福寺は浦賀奉行が交代すると必ず参拝に来ていたお寺。
本堂には鏝絵がどーん!これ彫刻じゃないんですよ。漆喰を盛ってこんなに立体的に!すごいなぁ。鏝絵。
本堂の中には酒井抱一の亀の絵。抱一は姫路酒井家の次男で、琳派の祖ですね。私も大好きな絵師です。
稲荷堂の龍の彫刻は後藤利兵衛、観音堂の龍は波の伊八として有名な武志伊八郎信由と言われています。
すごい迫力!!
伊八は宮大工、利兵衛は仏師なので伊八は木目を隠して繊細、利兵衛は木目を強調して豪快といった感じに甲乙つけがたいほどの龍でした。
少し行くと浦賀奉行の交代式をした常福寺。その手前にはその式の時に渡ったと伝わる橋があります。
当時の水路の名残りなどを見ながら御林へ。
ここは江戸幕府の直轄林で、古くからの古道「うらがみち」でもあります。今でも切通のような雰囲気のある道が残っっています。
御林を抜けると真福寺。
マリア観音と伊八の彫刻があります。(拝観は要予約)
そして、後半の目玉!怒田城へ。
お城推定範囲だったところをグルリと歩いて登城。
地図と縄張り図をみなさんに配りました。これで、妄想開始の準備万端!
詳しいことは、当ブログの怒田城の巻を参照くさいませ。
みんなで下を見下ろして、いろんな想像をしました。当時は一面が海だったこと、衣笠・大矢部方面から三浦一族がこの怒田城に逃れてここから安房に向かったこと。そんな話をしながらあたりを見渡すと当時の姿が浮かび上がってくるような感覚を覚えました。
縄張り図片手にいろいろと感じ入っていただいたようで、わたしも嬉しく楽しくなりました。思ったより、夢想コーナーでは盛り上がりましたよ!天気も良く楽しかったです。若い参加者も増えて嬉しいですね。
そして本日の歩け会も終盤戦へ。
まずは宗円寺へ。ここでのお目当てはが鎌倉景正が彫ったと伝わる両面仏です。後三年の役で目を射抜かれて失明した景正が治癒を願い、彫ったとされる石仏です。触るとご利益があるそうな。そして、最終目的地のパリー公園へ。無料の資料館があります。
結構、展示内容がいいのでオススメですよ。
と、いうことで今日の旅はここでおしまいです。
18km、28000歩でした。みなさま、お疲れさまでした!!
実はこのガイドの前日にお城仲間とほぼ同じコースを回りました。みんな都内などから片道2時間くらいかけてきてました。それで、浦賀城をはじめ史蹟を楽しんでくれました。歴史・城めぐりに慣れてる人たちでも喜んでくれる素晴らしい史蹟が三浦半島にはあるんだなーと再確認しました。もっともっと、地元の人にも遠くの人にもたくさん知ってもらえるように頑張ろうと決意を新たにしました(^^)v
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