« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016年12月の3件の投稿

2016年12月20日 (火)

「いざ!歩け!浦賀城から怒田城へ!」の巻(ガイド編)

今回は歩け会のお話。
先日、20人で浦賀城~怒田城、そしてペリー公園を歩く会のガイドをさせていただきました。途中、点々と史跡めぐりをしながら15kmほどのウォーキングになりました。見どころ満載!!立ち止まり立ち止まり、和気あいあいと進みました。

まずは浦賀城を目指し出発。途中、乗誓寺→東耀稲荷→専福寺→法幢寺と立ち寄りました。

乗誓寺の開基は了源。あの仇討ちで有名な曽我十郎祐成のと虎御前の子だそうです!!元は平塚にあったけど、1469年ごろに戦火を逃れて浦賀へと移ったとのこと。そして、その後も曽我一族が代々住職を継承し今は25代目に当たるとの事です!!
すごーい。

Img_8421_3境内には本願寺第八世蓮如のお手植えの樹と伝わる大きな銀杏の木もありまーす。


お次は東耀稲荷。こじんまりとした社は1782年に建てられました。もとは裏手の顕正寺にあったそうです。ここは瓦と格天井などの彫刻に注目です!!
Img_8408瓦の上に大黒様と恵比寿様が乗ってます。なんとまぁ、かわいい。


商人商業の町であり、小田原に次ぐ都市だった浦賀。腕のいい彫師を呼んで彫らせた彫刻や鏝絵などが点在していて、みどころ満載です。
鏝絵は左官職人が使う鏝で漆喰を盛ったり塗ったりして描いた漆喰芸術です。「伊豆の長八、三浦の善吉」と呼ばれ称された石川善吉の鏝絵も多数残っているのでーす!


東耀稲荷の裏山がすでに浦賀城です。見上げてるだけでワクワクしてきます。城は何回来ても楽しいですね。結局、私がガイドしながら一番テンションがあがってます~。


Img_8406専福寺には小林一茶の初恋の人のお墓があったそうです。一茶も墓参りに来ていて、一茶の日記にもそのことが書かれています。今はその墓が残ってないので、石碑だけが境内にあります。
一茶、芭蕉、広重なども浦賀にはたびたび来ていて、交通の要所だっただけでなく、文化や芸術も盛んだったことがわかりますね~。


法幢寺で鏝絵を見て、浦賀城へとずんずん進みます。
法幢寺、東林寺辺りは浦賀城の曲輪の一部として機能してたと思われます。


お待ちかね!!浦賀城です!!
じゃじゃーん。東叶神社から登っていきます。対岸の西叶神社から、1692年に分かれました。元は修験道の山だったとの事。境内には源頼朝寄進の蘇鉄もあります。
さてさて、お参りを済ませたら一気に階段を上りますよ!!


結構、のぼり甲斐があります。何段あったんだろう?途中まではいつも数えてるんだけど…。みなさん、息を切らせながら登ってきてくれました。標高50m程度ですが、上まで休みなしだと結構疲れますね。でも、汗かきながらみんな楽しそう。


天気も最高で、里見の房総が丸見えですぞ!
…すごいいい景色の写真撮ったのに見つからない(泣)

本当はこの下あたりに、幕末の浦賀台場があったんだけど今は跡形もなし。砲台を設置する前にこの台場は場所が変更になってます。ちなみにペリーの応接所は久里浜のペリー公園じゃなくて、当初はここに浦賀応接所を設ける計画だったとの事。
Img_8688ペリー公園の資料館にあった浦賀応接所の計画図。



勝海舟断食碑の裏から浦賀城探索開始!
足場が悪いので、行ける方だけ行きましょう!と声掛けしたら、ほぼ全員ついてきてくれました。みなさん健脚で素晴らしい!!
と、いうことで自然地形を生かしたような谷に下りて、井戸を見てから堀切へ。
ここは私の大好きなスポット。美しい!この堀の断面が美しすぎる~。手作り感がたまりません!
言葉は不要です。写真をご覧じあれ!!
Photoわーい!


2うひょー!




ということで、ある程度うろちょろして下山。
今度はワクワクのポンポン船で対岸に渡ります。200円であっという間に向こう岸へ。
何回乗っても楽しい渡し舟。このルートって水路じゃなくて横須賀市道なんですよ。おもしろーい。
2_2



陸軍引き揚げ桟橋、船番所跡、為朝神社、川間町内会館の鏝絵、浦賀奉行所、十六天神社の鏝絵を見てから愛宕山へ。

3戦争が終わって、数十万人が引き揚げてきた桟橋です。向こう側は浦賀城。




1浦賀奉行所の堀、水路。




6当時使ってた伊豆石。現地案内板には「今となれば当時の名残りは表門の端に使っていた4~5枚の伊豆石」との表記。その後、さらに見つかったのか「7~8枚」に訂正されたそう。でも、10枚ちょっとあったけど?おかしいな…ま、いっか。





愛宕山でお弁当タイム。……ちゃんと整備してくださいよ。ここから咸臨丸を眺めて無事を祈った場所ですよ。与謝野晶子もここから当時を思って詩を詠んだんですよ。
全く海が見えませんがね。木が邪魔や!海に向かって置いてあるベンチが宝の持ち腐れや!!
もったいなさすぎ。しかもここ、横須賀市最古の公園ですよ。明治24年、浦賀園として開園したんですよ。史跡扱いしてよー。
と、文句言いながらおにぎりを3つも食べました。
Img_8392_2雰囲気のある入り口。明治24年当時は「浦賀園」って言ったんですね。




さて、次は西叶神社→東福寺→常福寺→御林→真福寺と抜けて、怒田城へと向かいます。

Img_8681ラッキー!!廻船問屋の宮井商店にて、「ペリーの鍋と水牛の角」を見れました。開けてくれてる時と開いてない時があるので見れたらラッキー!!ブラタモリでも紹介されてましたね。


西叶神社では後藤利兵衛の彫刻が堪能できます。
力士やフクロウなどの彫り物もあるので探してみてくださいね。
あと、柱に隠れたカワイイ狛犬も探してみてね。
社務所には鏝絵もあり、ここは三浦半島の「ええじゃないか」が端を発した場所でもあり、みどころいっぱい。

さてお次は東福寺。東福寺は浦賀奉行が交代すると必ず参拝に来ていたお寺。
本堂には鏝絵がどーん!これ彫刻じゃないんですよ。漆喰を盛ってこんなに立体的に!すごいなぁ。
4鏝絵。


5本堂の中には酒井抱一の亀の絵。抱一は姫路酒井家の次男で、琳派の祖ですね。私も大好きな絵師です。
稲荷堂の龍の彫刻は後藤利兵衛、観音堂の龍は波の伊八として有名な武志伊八郎信由と言われています。
すごい迫力!!
伊八は宮大工、利兵衛は仏師なので伊八は木目を隠して繊細、利兵衛は木目を強調して豪快といった感じに甲乙つけがたいほどの龍でした。

少し行くと浦賀奉行の交代式をした常福寺。その手前にはその式の時に渡ったと伝わる橋があります。


当時の水路の名残りなどを見ながら御林へ。
ここは江戸幕府の直轄林で、古くからの古道「うらがみち」でもあります。今でも切通のような雰囲気のある道が残っっています。

Img_8032



御林を抜けると真福寺。
マリア観音と伊八の彫刻があります。(拝観は要予約)

そして、後半の目玉!怒田城へ。
お城推定範囲だったところをグルリと歩いて登城。
地図と縄張り図をみなさんに配りました。これで、妄想開始の準備万端!
詳しいことは、当ブログの怒田城の巻を参照くさいませ。

みんなで下を見下ろして、いろんな想像をしました。当時は一面が海だったこと、衣笠・大矢部方面から三浦一族がこの怒田城に逃れてここから安房に向かったこと。そんな話をしながらあたりを見渡すと当時の姿が浮かび上がってくるような感覚を覚えました。
縄張り図片手にいろいろと感じ入っていただいたようで、わたしも嬉しく楽しくなりました。思ったより、夢想コーナーでは盛り上がりましたよ!

Img_8697天気も良く楽しかったです。若い参加者も増えて嬉しいですね。


そして本日の歩け会も終盤戦へ。
まずは宗円寺へ。ここでのお目当てはが鎌倉景正が彫ったと伝わる両面仏です。後三年の役で目を射抜かれて失明した景正が治癒を願い、彫ったとされる石仏です。触るとご利益があるそうな。



Img_8037_2そして、最終目的地のパリー公園へ。無料の資料館があります。
結構、展示内容がいいのでオススメですよ。

と、いうことで今日の旅はここでおしまいです。
18km、28000歩でした。みなさま、お疲れさまでした!!


実はこのガイドの前日にお城仲間とほぼ同じコースを回りました。みんな都内などから片道2時間くらいかけてきてました。それで、浦賀城をはじめ史蹟を楽しんでくれました。歴史・城めぐりに慣れてる人たちでも喜んでくれる素晴らしい史蹟が三浦半島にはあるんだなーと再確認しました。もっともっと、地元の人にも遠くの人にもたくさん知ってもらえるように頑張ろうと決意を新たにしました(^^)v

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 8日 (木)

「いざ!小矢部城へへ!」の巻(タウンニュース連載記事)

タウンニュースにて連載の三浦半島のお城シリーズ!!
今回はジャジャーン!!
小矢部城!!!!
ではでは、ドキドキワクワク!クリックどうぞ! 

タウンニュース連載記事でーす
クリックすると拡大しまーす
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
 

Image1


今回は小矢部城。ここは地元でもかなりの難度!全然知られてないの。
友達に聞いても誰も知らなかったな~
という私も横須賀に住んでるときは知らなかったし…


衣笠十字路から衣笠インター方面にテクテク歩くと左手にポツンと残った山が見えます。白っぽいマンションが建ってて。

 

Img_0119
これです。

これが小矢部城。小矢部城の名残りです。3分の1くらいしか残ってない感じ。
ま、普通に見たらただの山です。ではでは、遺構を探しに行こう~

ここは昭和40年ごろまで良好な状態で遺構が残ってたそう。写真を見ましたが、見事に5段に平場が造られてました!!しかも今残ってるマンションの建つ丘が一番低い側の平場。だん!だん!だんっ!と高い平場が続いてたとは…想像するとゾクっときます。

その平場に建ってるマンションは「城山ハイツ」って名前なわけなんですが、どうしてもその残ってる平場の具合が見たくて、登ってきましたよ。マンションに。ん?不法侵入?どうか、内密に。
そしたら、やはり残ってるじゃないですか?!異様な光景が広がってるじゃないですか?!
このマンションは4階建てなんだけど、4階まで上がると目の前に平場!目の前に平の空間!え?だからなに?
いやいや、だからね、ここは4階なわけなんですよ。なのにまるでお庭のような空間が目の前にあるわけです。

Img_2608_2
びっくりしました~。感動です。
草がボーボーで、なんとなく平場な感じがわかるくらいなんですけどね。それでも十分テンションあがります。




Img_2609_2
4階の廊下から見た平場。ね?なんか変でしょ?

Img_2615_2
水路。

Img_2604_2

くねくねと幾重にも折れ曲がる細い道。楽しいぞー!



周りをぐるりと歩くと、怪しげな水路あり、細いクネクネした道もあり。ググっと高まりますね。
周りには「的場」という小字も残り、「木戸ぎわ」、「もとやしき」と呼ばれる地名も残ってるとの事。かつての城山の頂部には、凹状の土塁で囲まれた狼煙台、櫓台のようなものも確認されてるらしいです。

今は残ってないけど、「さわせき」と呼ばれる池があったようで、それが堀の名残りだったんだとか。歩いてみたけど残念ながら名残は分かりませんでした。
よくもまぁ、と思うほどに切り崩されて住宅地になってます。

細かいことは不明ですが駅も近いしフラリと巡るには楽しい城です。ぜひ、行ってみてくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 5日 (月)

「いざ!逆井城、下妻城、結城城、飛山城へ!」の巻(日帰り出陣編)

日帰りで行く茨木・栃木あたりの城めぐり!
車でピューンと行ってきました!日帰りだけど、お城たくさん回れましたよ!!
ドキドキワクワク!クリックどうぞ!
クリックすると拡大しまーす!PDFになってます。

↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓


Ibarakitochigi


早起きして、まず向かうは逆井城。「さかさい城」と読みますよ。きれいに整備されてて、とても評判のいい逆井城。来よう来ようと思ってましたがやっと来れました~。

Img_8718_2中世城郭の櫓の復元は珍しいので見ていて楽しいですね。そしてこの堀も垂涎もの!!



逆井氏はもとは小山氏。逆井氏を名乗ってここに城を建てたわけ。古河公方に仕えてたんだけど、1536年に北条側に攻められて落城ということになってます。で、北条氏繁が大改修していまのかたちになったそうです。
このとき、藤沢から大鋸引き職人を呼び寄せて作業にあたらせました。藤沢に「大鋸(だいぎり)」という地名が残ってますから、あそこから来たんでしょうね~。ちなみに氏繁は玉縄城主でもあり、奥さんはあの七曲殿ですね。玉縄城にある七曲坂のあたりに屋敷があったんですね。

関八州古戦録によると、風魔小太郎の孫右衛門が配下300人を連れてこの城にいたとかいなかったとか。

とにかく、復元整備が素晴らしいですね。ちゃんと、時代に合わせた復元の仕方で、中世の城と観光の希望が持てる感じに仕上がってますね。
変な天守とか建てずに誠実だわ💛


Img_8725井楼櫓も!!



Img_8737虎口。

Img_8754_2堀とかも整備されてて見やすい!一部の土塁、堀は手つかずで当時のままの姿だとか!すごい!うねうねとした土塁、堀は攻撃性も抜群!

Img_8753土橋~



Img_8790本曲輪の堀!!


Img_8752_2堀底。「鐘堀池」というらしい。逆井氏が後北条側に攻められたとき、先祖代々の釣り鐘を抱えて飛び込んで自害したとか。


Img_8733土塁~。櫓台のような箇所もあり。



Img_8740北側には当時は飯沼が南北30kmにも広がって城を囲んでおり、後堅固の城だたんでしょうね~。今は川になってます。





お次は下妻城へ。…と思ったら、気になる看板発見。
「日本3大新長谷寺」
ふむふむ、行ってみることにしよう。

Img_8818_2
案内板によると、結城朝光が1332年に鎌倉から持ち帰った十一面観音を安置するために建立したそうな。見たーい!
ということで、受付と書いてある小屋のインターホンを押すも応答なし。お守りとか売ってて、ドアも開いてるけど人の気配なし…。残念。旅路を急ごう。


車で10分くらい行くと、道沿いに堀が!!すごい立派な堀と土塁!!え?なになに?寺?
ということで、また寄り道ね。

Img_8825_3突然の堀の出現に大興奮!!

Img_8832土塁も!!!!

Img_8822_2東持寺。「中世武家屋敷跡・山河氏館」って書いてある~!ラッキー!いいとこ見つけましたね。
結城氏初代朝光の4男、重光が山河氏の祖。
ここが居館だったんですね。鎌倉幕府の有力御家人だったそうです。
居館の大きさは南北172m、東西134m!
堀と土塁がいい感じに残ってます!!
1565年に綾戸城を築いて移ったと案内板には書いてありました。鎌倉時代の板碑などもあり、名家だったことがわかりますね。


Img_8834_2参道が馬場だったとのこと。ここで馬の稽古をしてたらしい。



やっと、下妻城に到着。
地元では多賀谷城と呼んでるらしい。多賀谷氏の居城。
かなり広い城域を持ってた下妻城。南北2.5キロ、東西1.5キロですって!
常陸国西部最大の都市だったんだってー!
いまはかつての城の中心部が公園になってます。公園内は石碑が建つのみで遺構はなし。相原山の方に土塁が少し残ってるらしいけど、時間がないので次へ向かう。

Img_8708_2多賀谷城と書かれた石碑のみ。



次に向かうはここもずっと来たかった結城城!!!!
結城合戦の舞台!それと、前に結城秀康の小説を読んでからずっと来てみたかったのだ!あんまり遺構はないのかなーと思ってたら、なになに!残ってるじゃーん!
空堀がどーんと!

Img_8836_2西館との間の堀!!広い!


Img_8847虎口かな?


Img_8849_2進んでみるとやっぱり虎口!

Img_8840堀は途中で切られて道路が作られて、ポンプ場になってました。


空堀は一部がポンプ場になっちゃってるのは残念だけど、台地に残ってる城あとを十分楽しめます。ここで幕府・上杉軍相手に一年ちょっとも戦ったのか~。
ぐるりとまわりを歩くと空堀!!!!

Img_8852_2これはすごい!がしかし!写真じゃわからん!
竹とか切ればものすごい空堀が絶景なのにな~。もったいないお化けが出るよ。


低湿地に囲まれて、大堀に囲まれて櫓も建ってたらしい結城城。
整備されてる城址公園で、コーヒー飲みながら、しばしホケーっとしてしまいました。
いかんいかん、日が暮れちゃう。次へ移動!

ちなみに秀康が越前に移封された後は廃城になるも、この地に入った水野氏が城の再興を願い出て再築城されました。幕末、佐幕派が結城城に籠り、新政府軍に攻められ落城しましたとさ。



びゅーんと栃木までひとっ飛び!
着いた先は飛山城。ひとっ飛びして着いたのが飛山城!ウケる~。
ふざけてる場合じゃなくてね、この城は整備されててすごいです!!
歴史体験館の展示も充実。お願いすると、7分間くらいの映像も観せてもらえます。しかもこの歴史館は無料。よっ!太っ腹!!
トイレもきれいで助かりますね。
ボランティアの方がガイドもしてくれますよ。今回はせっかく声かけていただいたのに、時間がないので断ってしまいました。ごめんちゃ。


Img_8859歴史体験館にあった模型。

Img_8864_2さらにジオラマ!楽しい~




鬼怒川沿いの丘の上に築かれてるこの飛山城は古来、重要な水運の要衝でした。常滑甕が出てたりもしてます。芳賀高俊が13世紀後半に築城したと伝わり、出土する遺物と一致してるらしいです。
芳賀氏は宇都宮氏の重臣。
宇都宮氏は坂東一の弓取りとうたわれ、楠正成は「紀清両党は、戦場で命を捨てることを何とも思わない」といって戦いを避けたと太平記は書いてます。きなみに「紀」は益子氏、「清」は芳賀氏のこと。


Img_8894_2虎口。きれいに整備され美しい。

Img_8893_2櫓台。


Img_8895ぐるりと空堀。

Img_8907_2二重の空堀の内側の堀。


Img_8919_2復元の掘立小屋と土塁。


Img_8925_2堀と土橋。


Img_8936_2ほんのり堀。これは発掘前の堀の状態らしい。廃城時に埋められた様子のままあえて復元せずに残してる。面白い。


Img_8964_2規模が大きい~!見知らぬチャリ人が余計に規模の大きさを引き立たせてくれてラッキー!


Img_8965_2ひゃー!!楽しい!


1341年に南朝軍に攻められ、落城。そのあともいろいろあって…。
今残ってる城の姿は1557年に佐竹義昭が5000の兵を率いて在陣したときに整備したものですって。宇都宮城が北条側に取られて、それを取り返すために佐竹義昭が飛山城に入ったそうな。今の遺構はこの時のものと考えられるらしい。
1590年小田原征伐後に廃城。

Img_8950向こうには日光連山、那須連峰も見えて絶景なり!もう雪の帽子が…。え?見えない?写真が下手すぎ…。
なんと、富士山まで見えるって!(今回は見えなかったけど)
そして、見下ろす鬼怒川も絶景なり!
おー!向こうに勝山城も見える~!
景色観てるだけでも楽しいですね。この城、とても気に入りました!!


ちょっと行ったところに同慶寺というお寺があります。飛山城築城の際に一緒に建てられたお寺らしいです。支城、居館、詰城なんて言われてて、飛山城と深いつながりがあることが推察できますね。芳賀氏のお墓もあります。


Img_8966堀とかあんまりわからなかった…残念。



暗くなってきたので、最終目的地の宇都宮城へ。
日光街道と奥州街道が通る要衝に位置する宇都宮。
宇都宮城は日光参拝に行く将軍の宿泊場になり、本丸には御成御殿がありました。
戊辰戦争では戦地となって城下町ともども焼失しちゃいました。
今の復元は本丸の一部。この下の模型の左部分です。
Img_8971土塁の城ですが、門には石垣を使ってたんですね。絵図にしたがって復元してるらしく、本丸の大きさも土塁もほぼ当時のままとか。でも。土塁にエレベーターつくるなら枡形を復元してほしかったな。復元に35億かかったんだって。

Img_8981土塁の上の櫓は好みです。少し暗くなってきて、本当に土塁が美しかった!!

Img_8987駐車場近くにあった当時の堀の名残り。


朝五時に出発したのでたくさんのお城に行けました。
帰りはベタに宇都宮で餃子を食べて帰ろうかと思ったけど、自転車ロードレースのJAPANCUPの開催日でどこも長蛇の列で餃子は断念…。冷凍餃子を買って帰りましたとさ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »