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2017年8月 8日 (火)

「いざ!歩け!神武寺から鐙摺城へ!」の巻(ガイド編)後編

さてさて、神武寺から鐙摺城までの歩け会。後半戦に突入でーす!!
前半戦では東逗子から神武寺を抜けて、逗子の延命寺まで来ました。ではここから、寄り道しながら鐙摺城を目指しまーす!!
レッツゴー!!

今回はちゃんと手書きプリントを用意しました!ん?なんか、久々の手書きプリント。最近、すこしサボってしまってました~。
ではでは、クリックどうぞ!
是非、これを持ってお出かけくださいませ。PDFになってまーす。

↓   ↓   ↓   ↓   ↓

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まずは最初は「三浦胤義遺狐碑」。
あれれ?写真がない…。ま、いっか。

三浦胤義は三浦義澄の子。なので、三浦義村の弟に当たりますね。
その胤義の遺児、義有、高義、胤泰がこの田越川あたりで、斬首されたという石碑です。
1221年の承久の乱で、義村は幕府側につき、弟の胤義は後鳥羽上皇側について敵対したんですね。で、幕府側が勝って、胤義は死ぬことになるんだけど。そのときに胤義の子供たちがこの田越川辺りで殺されてそれを記した碑がこれということなんだけど…。

でも、吾妻鏡には処刑されたはずの胤義の子供たちが宝治合戦で泰村と自害したとの記述あり。だから、きっとここで殺されたってのは後世の作り話っぽいですね。

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この橋、個人宅専用になってる!!おもろーい!


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川沿いに行くと石碑が。
徳富蘆花と国木田独歩の文学碑です。蘆花が住んでたゆかりの地に建てられた石碑。ちなみにお兄さんの蘇峰のお孫さんの家がいまでもすぐ脇に。この辺は「徳富」さんが多いです。逗子は浪子不動をはじめ、蘆花とゆかりの深い地ですね。
国木田独歩も蘆花と同じ貸家に住んでたりと、ゆかりの深い人です。


さらに川沿いを。
お次は「六代御前の墓」。お不動さんを祀る護摩堂も。このお不動さんも今回御開帳です。



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六代御前は平正盛からの六代目。正盛-忠盛-清盛-重盛-維盛-御前(名は不明)。
平家滅亡後に六代御前は仏門に入るも、田越川沿いにて処刑されました。その遺臣たちがここに堂を建て墓守したとのこと。

田越川は以前は葦が生い茂って、うっそうとして、血なまぐさいエピソードも頷けるような地だったとのこと。



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六代御前から少し山に登り、公園方面へ。脇村邸をチラリとみて、進む。脇村邸は昭和9年の日本建築。元は三井物産の藤瀬氏の別荘だったのを東大教授の脇村さんが買ったもの。逗子市の文化財。あれれ?脇村邸の写真もない…。ま、いっか。

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さらに葉山方面に進むと、「鐙摺不整合」と呼ばれる地層があります。
簡単に説明すると、三浦半島で一番古い2500万年前の地層の上に1500万年前の地層が乗ってる?…そんな感じ。つまり地殻変動によって押し上げられた層が1000万年の間、地表に出てて、そのあとまた海の中に沈んだ…まぁ、そんな感じです。
ここの写真もないため、近くの断層の写真を。

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なかなかのもんですな。断層、よくわからないけど見てるのは好き。


と、いうことでお待ちかねの鐙摺城~。
日影茶屋前のこんもりした山が鐙摺城です。

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日影茶屋。
こんな階段を上る。滑りそうだ。

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道路をつくるので、結構削られちゃってる模様。旗立山とも軍見山とも呼ばれる小山。東際に「木戸際」なんて名も残ってます。
ここからは富士山も大海原も見える風光明媚な場所。三浦道寸が攻めてくる北条早雲の軍をここから見たとの伝承もあります。
今は曲輪しか残ってないし、城道なども分からないけど色々と想像できて楽しい。

鐙摺城がいつからあったのかは正確にはわからないけど、三浦義明3男の大多和義久がここを押さえて、海側の道の守りを固めてました。三浦義澄もここに拠ってたようです。
1180年の由比ガ浜合戦では、和田義盛が三浦義澄にここに籠るように勧めたとの話も見られます。
そんな感じで、重要な場所にあるお城なんですね。

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曲輪内には伊東祐親の供養碑もあります。
義澄がここで祐親を頼朝から預かってたらしいです。祐親はいわば頼朝の舅。頼朝は伊豆にいたときに祐親の娘と子をつくってしまいます。祐親はこれに怒り、子供を殺してしましました。さらには頼朝のことも殺そうといました。
頼朝の挙兵の際に平家方についた祐親は捕えられ、ここに。そのあと、許されるも自ら自害してしまいました。そんな縁があるため、ここに供養碑があるんですね。

景色や当時の想像をして楽しんだ後は、住宅街を通り、すこし浜辺を歩き、桜山古墳へ。

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砂浜、見てる分にはキレイなんだけど疲れた足にはキツイ…


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トンネルの上の階段、関係者用の急階段かと思いきや、ちゃんとした古墳への390段もある階段なのです~。旅の終わりに390段?!

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悲鳴と怒号が聞こえましたが、構わず登ります。ひとり、またひとりと登ってくる皆さんとハイタッチ!なんとか、みんなで登り切りました!そして、この夕方、最後にここに来たかったのは理由があるのです。

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じゃじゃん!!今日のご褒美の景色!これが今日の疲れを取ってくれますね。
おおー!江の島も見える~。

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そして、みんなの後姿がかっこいいぞ!!


小休憩で景色を堪能した後は古墳へ。1号、2号、二基あります。


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この古墳沿いの道は古東海道。古くから重要な場所だったんでしょうね。
古墳があるのは分かってたらしいんだけど、平成11年に地元の愛好家が埴輪片を発見したのをきっかけに発掘が行われて、二基の前方後円墳があることが分かりました!!すごーい!愛好家の執念ですね。
綺麗に前方後円墳の形をしてて、こんな山の中にあることに感動しました。

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山の中を抜けて逗子駅に。途中こんな廃墟もあり、盛り上がった。

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そんなこんなで、とてもハードな充実したコースとなりました。
参加者の皆様、お疲れさまでした。

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