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2018年1月24日 (水)

「歴史ウォーキング!怒田城」横須賀グリーンゴルフ主催

1月21日(日)は横須賀グリーンゴルフさん主催の歴史ウォーキングイベントでした。今回が第4回目です。
25名応募の所、29人もの参加申し込みがありました。せっかく申込みいただいたんだから、断らずに参加してもらおう!ということで、かなりの大所帯でのイベントとなりました。

午前はお話をして、午後は怒田城をメインとした歴史巡りの旅に出陣。
午後に行くコースにまつわるお話をさせてもらいました。

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いつもどおり、お城=天守閣ではないですよーという感じの話から。初めての方が8割くらいいたので、とりあえずそんな感じの所からお話を。



恒例の大河ドラマネタとしては、「西郷どん」の第一話で出てきたロケ地は牛久城ですよなんて話も。桜島の見える城山を走ってた子供たちが迷い込んだのがなんと牛久城!随分ワープしましたねなんて言いながら。

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大河ドラマの場面。
で、これが牛久城の土橋。

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ほらー。同じ。
この場面で土橋が映った時に、一瞬で牛久城だと分かった私もなかなかやるな(笑)かなり好みの土橋なもんで(笑)

話の後半は三浦半島と三浦一族の話を。
さらっと三浦氏の系図のおさらいをして、今日の怒田城が歴史の舞台となる衣笠合戦付近の歴史を年表で追っていきました。

ざっとお話しすると、1180年8月、平家軍が衣笠城に攻めてきます。三浦党は籠城しますが、持ちこたえられず。棟梁の義明だけを残して、夜陰に紛れて、怒田城へと脱出します。隠しておいた船に乗り、安房へ渡り、頼朝一行と合流するのです。

三浦一族と合流した頼朝は鎌倉入りを果たすことになります。三浦氏がいなければ、鎌倉幕府の成立も危うかったんじゃ?と、いうくらい歴史の分岐となるお城なのです。すごーい。


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怒田城は残念ながら、半分が開発で破壊されています。
ま、もっとも平安末期から鎌倉時代の怒田城は文献に出てきますが、それ以降の怒田城は全く登場しないので分かりません。上の写真の規模だと、室町、戦国などで使ってるような気がしますし…。残念ながら、


今回は鎌倉、逗子、横浜からも参加していただいたので、少し三浦一族の自慢もしました。いかに全国で活躍してたか。六波羅探題近くの一等地に屋敷を構えてた三浦氏。鎌倉幕府の中枢を担っていたことがわかりますね。
三浦一族である戦国大名の蘆名氏は、なにか奉納するときには「三浦蘆名氏」と署名し、いかに三浦氏ということを誇りに思ってたかが分かります。すごいぞ、三浦一族!


この日はちょうど、中島三郎助まつりが別の場所で開催されてました。
横須賀は、歴史と言えば幕末が人気で、中世の歴史はあまりに地元の人たちに知られていません。幕末の歴史も大事ですが、中世の三浦半島はとても面白いです。三浦半島の一豪族ではなく、全国で想像以上の活躍をしていた三浦氏。知ってしまったら、中世を学ばずにはいられません。それほど、面白いです。なので、一人でも多くの人に三浦氏のすごさを伝えたいと思います。
竜馬やおりょうさんもいいけど…。

幕末の横須賀は確かに歴史の舞台になりました。黒船も来ましたし、重要な土地でした。でも、竜馬やおりょうさんには、三浦半島の血は流れていません。紆余曲折があったものの、500年に渡って、脈々と繋がった三浦氏の歴史も、幕末の歴史と並行してちゃんと伝えていかないといけないと思います。歴史は、ぶつ切りではないのですから。


おやおや、真面目な話になってしまいました。
ということで、今回のランチも横須賀ハイランドにあるザクロさんでした。ここのパンは本当においしい!生地がたまりませんよ!
さらに今回は私からのお土産と言うことで、横須賀シフォンさんのカップシフォンケーキを。これまたおいしいー!

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満腹で動くのも億劫になったところで、午後の部スタートです。
今回も山城ガールむつみのオリジナルバッチをプレゼントです。かなり好評でした。他のイベントで配った違うカラーのバッチを持ってる人が羨ましがられるほどに!嬉しいなー。どんどんイベントやろうっと。
すでに7色まで用意してるし(笑)
欲しい方はウォーキングイベントに参加くださいね。


まずは定番の佐原城へ。

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佐原城。看板が薄くて汚くて、読めん!!
横須賀市さん…お願いしますよー!!会津に怒られますよ。向こうは蘆名氏にすごい力を入れてるってのに!っもう!

鵯越の逆落としで有名な佐原義連がこの地に住んで「佐原氏」を名乗ったと言われてます。この佐原氏が宝治合戦で三浦宗家が滅んだ後も、三浦の血をつないで、蘆名氏へと続くんですね。


台地になってる地形から、何となく何かを感じる程度だけど。意外と高さがあるなーと、実際に現地に行くと感じます。
発掘によると、16世紀の遺物が出てるので、北条氏が三浦氏の新井城を攻めてきたときに、何かしら使われてるはずとの事。

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お次は慈眼院。山の上に建ってますが、ここは縄文時代の茅山貝塚でもあります。話によると、昭和天皇もいらっしゃったんだとか!
階段が急!誰か落ちてきたら、みんなアウトー!!


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この山の対岸が怒田城です。ここから怒田城までの1kmちょっとの幅が中世では入江、完全に海でした。この山も何かしら使ってただろうな。砦とかさ。


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ここから向こうまで、全部海だなんてシンジラーレナイ!
右手2kmほどの河口から攻めてくる敵を怒田城や佐原城、もしくはこの山から見張り、守ってたんでしょうね。
そんなことを妄想しつつ、次へ。


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正業寺。ここは、砂村新左エ門さんのお墓があります。この人が、さっきの入江を内川新田として開発した人です。
越前国三国の生まれのスーパー土木技術者、スーパーコンサル。
なんと、1601年生まれ。関が原の戦いの一年後に生まれてる。そんな時代に新田開発したんですね。すごい。
信心深い人で、各地で新田開発するたびに神仏を勧請しました。この正業寺も荒れ果ててたのを新左エ門さんが中興したそうです。
ちなみに、私の実家のお墓もあります。新左エ門さんのお墓の後ろ3mほどのところに。歴史ネタってのは、本当に身近にあるんですね、しみじみ…。
久里浜の子供たちが七五三をやる久里浜天神社も新左エ門さんの創建です。


新左エ門さんは東京の江東区にある砂村新田も手がけました。
昔は「砂村町」って名前が残ってたみたいだけど、今は「南砂」とか「砂」の一文字を残すのみ。東西線には「南砂町」って駅がありますね。あれがそうです。

内川往還を抜けて、進みます。今の久里浜商店街のアーケードのある通りが、旧道内川往還です。今の大通りは軍が開いた物資運搬の道。

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お次は宗円寺。 久比里にある寺。このあたりは、「臼井さん」て名字が多い。小学校、中学校のクラスには何人も臼井さん、臼井くんがいました。
「臼井」は千葉氏なんですよ。向こうから来たんですね。へぇー。
いかに三浦半島と房総半島が近い関係か分かりますね。

このお寺に寄ったのはここに鎌倉権五郎景政の彫ったと伝わる両面地蔵があるからです。鎌倉党は三浦為通の兄弟が鎌倉郡をもらって、鎌倉氏を名乗ったのが始まり。なので、いわば、三浦氏と同族です。 ちなみに長江氏は鎌倉氏からの分かれたものです。

それにしても、本堂の上の崖すごい!このあたりも昔は海だったんだろうな~。


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景政は後三年の役で、右目を射られました。一緒に戦っていた三浦
義継が矢を抜こうとしましたが、突き刺さった矢は抜けませんでした。そこで、義継は足で景政の顔を踏んで押さえて、矢を抜こうとしました。すると、景政は、「こんな顔を踏まれるなんて辱めを受けるくらいなら、死んだほうがましだ!」とか何とか、そんなようなことを言ったようです。それに感動した義継はひざまずき、両手で丁寧に矢を抜いたんだとか。
その後、失明した景政が彫ったと伝わる両面地蔵がここにあるんです。

御霊神社といえば、景政をまつる神社ですが、佐原にもあるんです。この宗円寺が平安時代末期には何だったか全くわかりませんが、ここに景政ゆかりのものがあるというのが面白いですね。三浦党と鎌倉党のつながりを感じますね。



今日のメイン!怒田城へ!

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みんなで、城山を眺めて妄想中!!右手が下がってるように見えますが、実は右側に一番標高の高い城山の一部がありました。


佐原城もそうだけど、古い鎌倉時代の方が文献に残り、室町、戦国時代に関しては、怒田城と佐原城がどうだったのかが全く不明。タイムマシンが欲しいです。

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空堀。発掘調査の後、埋め戻し。
堀底の土を化学分析したところ、12世紀から13世紀との結果が出てるようです。堀の幅は4.5-5m、薬研堀との事。

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わざわざ貝を抜き取って、堀の断面を仕上げてたらしい、なので、臨時的というよりも、恒常的な利用をしてたのかな?


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土塁をコンクリートで固めないで~!と、言って、みんなみ笑われてるところ。


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怒田城からいったん、御林を抜けて、真福寺へ。
ここはとてもいい道!!インスタ映えする~(笑)

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庚申塚とかもある。浦賀道なので。切通して、すてきな旧道の雰囲気むんむん。


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最後は真福寺。

ここには波の伊八の欄間があります。波の伊八は「関東に行ったら波を彫るな」と全国の彫師に言わしめた天才彫師。北斎さえもその影響を受けたとされます。鴨川、いすみ市の生まれで作品はその辺りに集中してます。特に行元寺の欄間は必見です。それを見て、衝撃を受けた北斎が富嶽三十六景の神奈川沖浪裏を彫ったとされています。
千葉以外の伊八作品は、あんまりないんだけど、なんとこの吉井の山奥の真福寺に伊八作品があるんです!
今は少し辺鄙(ごめんなさい)な場所ですが、ここは昔は浦賀道として、浦賀奉行所へと続く重要な道でした。このあたり一帯は御用林として、江戸幕府の直轄林でした。
このお寺にはマリア観音と呼ばれる珍しい観音様もいます。
キリシタンの匂いがするお寺です。

実はこの欄間を見る予約をしてたんですが、住職さん、まさかの度忘れ!!でかけちゃってました(泣)残念です。みなさま、ごめんなさいでした(泣)



ちなみに伊八は4代目が柴又帝釈天の欄間を彫りました。有料で見れますのでぜひ。6代目はハンコ屋さんになったとかならないとかという風の噂。真偽のほどは分かりません。


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真福寺から怒田城の逆側をぐるりと歩く。この指さしてる山裾が怒田城の際に当たります。



全行程を終え、もう一度、怒田城の上に上がり、クイズの正解者の中から抽選で、横須賀海軍カレーをプレゼント!盛り上がりました。
そして、JR久里浜駅にて今日の集合写真のプレゼントをお渡しして解散となりました。
結構、楽しんでもらえたんじゃないかなーと思います。
次いつやるの?早く企画してよ…なんて嬉しい言葉もいただきました。




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実はこれは私の実家。10年前まで家族で住んでましたが、引っ越すので売りに出しました。売りに出してる時の画像です。木がボーボーだ。8年前くらいの写真。
この家は怒田城の真下にありました。どんぐり山と呼んで走り回ってた山が、城跡だったんですね。大人になってそれを知って、いかに歴史が身近にあるのかと感動しました。


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土地が売れて、建売が建ち始めたところ。5年くらい前の写真。
手前にもう一軒建ちました。住んでた家に真新しい家が建つというのは、センチメンタルな気持ちになりますね。

そんなことはさておき、天気も良くとても楽しいイベントになりました。
参加者の皆様、ありがとうございました。では、また。

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