オトナの遠足「いざ!品川台場へ!」の巻
山城も草ボーボーのオフシーズンになってきました。
今回は、衝動的に恵比寿にあるヱビスビール工場の見学ツアーを予約してしまったので、オトナの遠足を企画して友人たちと出かけました。
9:00JR田町駅集合→レインボーブリッジを歩いて渡る→品川第三台場→潮風公園にて続100名城スタンプの押印→ゆりかもめで汐留駅→築地でランチ→佃島→メトロ月島駅から恵比寿にワープ→ヱビスビール工場見学&試飲♥→打ち上げ
という素敵なオトナのコースとなってます。
途中、史跡に立ち寄りながら街中を行軍しました。
最初に見つけたのは、南極探検隊の石碑。
日本初の南極探検は明治43年、白瀬隊長以下27名によるものだったそうです。
芝浦港から出発して帰港したので、ここに石碑が建てられました。
見渡すとペンギンさん!
本物かと思うくらい、よくできてました。
これが南極探検隊の船!
…では、ない。
これは砕氷艦しらせのスクリュープロペラです。
本物ですって。
レインボーブリッジを見上げる。
遊歩道入口から入る。
遊歩道からの素晴らしい景色を写真に取り忘れるという大失態。
レインボーブリッジのノースコースから、サウスコースに渡る途中の橋のお腹。
橋の下からフジテレビが見える。
やっとお目当ての第三台場が見えて大はしゃぎ!
レインボーブリッジから見る景色は格別!!
ペリーが来航した翌年の1853年に着工して、1年3ヶ月の間に6基が完成したとのこと。今は第三、第六台場しか残ってません。
こちらは第六台場。立ち入りできません。
レインボーブリッジを渡り終えて、第三台場に上陸。
広いですね。三度目ですが楽しいところ。景色もいいし、風も気持ちいいし、公園になってるのでのんびりできます。
中央にある陣屋の跡。
弾薬庫の跡。
かまど跡。レプリカらしい。
近づいてみるとこんな感じ。
この穴にお釜を置くのかしら?なんて思ったけど、ご飯の煮炊きようではなくて、発火する用の火種を燃やす竈とのこと。
ですよね~。
大砲オブジェではしゃぐ大人たち。
波止場から入った入口。
この辺に木戸が設けられてたらしい。
第三台場から臨む第六台場。
続100名城スタンプを押しに潮風公園に向かう途中で、水陸両用バスkABAを発見!
ちょうど海にザブンと行くところだった。結構楽しそう~。
それにしても、第三台場から、スタンプまで遠い!!!!
歩いて30分もかかりました。
台場駅から、ゆりかもめに乗って、汐留に移動。築地に向かう途中にかわいい踏切を発見。
築地へ続く電車の名残りらしい。
ここが線路だった。
ここから美味しいお魚さんが各地に運ばれていったのかな。
そして贅沢丼をどん!!
大トロとウニです♥
こんなに美味しいものは初めてです。4500円なり!奮発~。
そして、別腹の鯛焼きならぬマグロ焼き。
皮がぱりぱりで美味しい~。
場内行くと、吉野家第一号店。
へぇ、そうなんだ。
そして、築地本願寺。
酒井抱一のお墓を発見!
築地から、佃島渡船場跡に向かう途中に浅野内匠頭邸跡を発見。
浅野内匠頭が切腹したのは、田村右京太夫邸なので、ここではありませんね。田村右京太夫の上屋敷は、新橋にありました。新橋4丁目交差点の所に「浅野内匠頭終焉の地」という石碑があります。
ちなみにその近くには、新正堂という老舗の和菓子屋さんがあります。そこの名物は「切腹最中」です。ネーミングにびっくり。仕事でお詫びに行くサラリーマンに人気なんだとか。
浅野内匠頭邸にある「芥川龍之介生誕の地」の案内板。
ここには耕牧舎という牧場があり、そこの経営者の息子として芥川龍之介は生まれたんですね。
シーボルトの銅像。
ここが蘭学と関わりの強い場所とのことで、江戸における蘭学の発展に貢献したシーボルトの像が造られたとのこと。
このあたりには、「○○発祥の地」という案内板がたくさん。
「蘭学事始の地」…ここ明石町にあった中津藩奥平家の屋敷で、前野良沢たちが解体新書が完成させたから。
「慶應義塾大学発祥の地」…福沢諭吉が中津藩奥平家の屋敷で、慶應義塾の前身となる蘭学塾を開いたから。
「電信創業の地」…当地にあった運上所(今の東京税関)から横浜裁判所へ、日本初の公共電信が敷かれたから。
「指紋研究発祥の地」…イギリスの宣教師ヘンリー・フォールズが日本の拇印の習慣に注目して、指紋の研究を始めたから。
他にもいろいろ。明治学院大学、立教大学の発祥地でもあるようです。外国人居留地があったので、文明開花の中心地になったんでしょうね。
今回のオトナの遠足の目的の一つでもあった塩瀬のお饅頭~!
日本三大饅頭とのこと。
・塩瀬総本家「志ほせまんじゅう」東京
・柏屋「薄皮まんじゅう」福島
・大手饅頭伊部屋「大手まんじゅう」岡山
だそうです。
そして、橋を渡り佃島へ。
今は跡形もありませんが、ここにも砲台が設けられていました。当時の地図と照らし合わせるとなかなか面白いです。
佃島の砲台は品川台場の完成から10年後の1864年のこと。造られたのは、1863年の薩英戦争や下関砲撃事件がきっかけになったようです。
佃島散策。
小さな路地がたくさん。この奥に地蔵尊があるようです。
これが入口。
肝心のお地蔵さんを撮り忘れました…。
佃島はただ橋を渡ってきただけなのに、それだけなのに何だかトリップ気分を味わえました。小旅行したような感じ。住吉神社もあり、人足寄場跡なんかもあり、いい雰囲気でした。
佃島は摂津国の漁師さんたちが幕府の許可を得て、築いた漁村でした。
本能寺の変が起きたとき、家康が逃げる途中で困ったときに船を出して助けてくれたのが佃村(現大阪府西成区佃)の漁師だったといいます。その恩に感謝して、家康は江戸近海で特権的に漁ができるように取りはからったそう。そのときに埋め立てたのが今の佃島。住吉神社を分霊して、佃村の漁師たちは佃島に移り住んだそうです。
そして、今回の最終目的地である恵比寿のヱビスビール工場へ。
試飲付の見学ツアーを予約してあったので、この楽しみを目標に炎天下の下、27kmほど、頑張って歩きました。
工場見学では終始、ヱビスビールの歴史のお話し。ホップがどうこうという話は一切なし。キリンとかサントリーに行くと、製造過程の話がほとんど。それだけに、ヱビスビールがいかに歴史があるかというのを感じました。
「ヱビスビールあります」
誰もが目にしたことのあるこのフレーズ。
キャッチコピーとして、秀逸。シンプルで小気味いい。
ヱビスビールが高級品として扱われ、主に贈答用のイメージが強く、庶民の日常のビールとして普及していなかった頃、それを逆手に他のビールと違う「ヱビスビールあります」と謳ったこのキャをッチコピー。
ヱビスビールを扱ってるお店は、料理にもこだわりを持ってるお店が多い傾向にあったので、店先に貼ったようです。このお店は料理もビールも美味しいよ、という意味を込めて。
そして、日常飲むビールとして「ヱビスビールあります(あなたのそばに)」と。
何十年経っても色あせないフレーズですね。
上の写真は恵比寿神社。
撮影者は、徳川慶喜公。
一日中、歩いて、美味しい物を食べて、飲んでと楽しいオトナの遠足でした。
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