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2020年9月の8件の投稿

2020年9月26日 (土)

「御城印」一宮城・高藤山城・宿内砦・謙信一夜城

9月26日に新しい御城印が販売になります。
千葉県長生郡一宮町から「一宮城」「高藤山城」
千葉県佐倉市から「宿内砦」「謙信一夜城」

すべてデザイン担当させていただきましたー!
今回もカッコいいぞー!自分で言う(笑)


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一宮城は水陸の交通の要衝地にあたり、上総国一宮である玉崎神社も置かれています。
そのため、色んな勢力がぶつかる地で、戦国時代には何度も戦いの舞台になりました。
一宮城は一宮正木氏の城として整備され、同族の勝浦正木氏との戦いの舞台にもなりました。さらには、小田喜正木氏(大多喜)との関係や、里見氏、北条氏も絡み、何度も戦火にさらされました。城下に発給された禁制も残っています。

平安時代から鎌倉時代には上総氏が領地としていたといい、頼朝の鎌倉幕府設立に尽力した上総広常が一宮周辺を治めていました。

頼朝の武運を祈って一宮玉前神社に鎧を奉納したといいます。
御城印はその伝承に因んで鎧をモチーフに、さらに上総氏、正木氏、里見氏の家紋を配置しました。



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高藤山城は上総広常の居城と伝わりますが、今に残る城の遺構は戦国期のものです。
御城印は上総広常の絵図をモチーフにしました。

高藤山城の城の由来は不明ですが、一宮城と連携して戦国時代には取り立てられ整備されたと思われます。

販売場所のご案内。

一宮城と高藤山城は以下の1か所での販売です。

・一宮駅前観光物産直売所
千葉県長生郡一宮町一宮2738-1

℡ 0475-47-2100
8:30~16:30 (火曜定休) 

通販は歴×トキで取り扱います。
https://www.rekitoki.com/shop





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宿内砦は臼井城の支城として整備されたと考えられています。
他にも臼井城支城砦群として4つの砦がありましたが、遺構がのこっているのは宿内砦だけです。

上杉謙信(輝虎)が臼井城を攻めるものの、臼井城は落ちず、上杉軍は撤退しました。
御城印は臼井城や宿内砦から出撃して上杉軍と戦った城兵の絵をモチーフにしました。
謙信一夜城は城兵に攻撃されて逃げていく謙信の軍勢をデザインし、2枚でシンクロして楽しめるようになってます。



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謙信一夜城は臼井城を攻めるために上杉謙信(輝虎)が築いた陣城と伝わります。
御城印は臼井城からの攻撃に逃げていく謙信の軍勢をモチーフにしました。
宿内砦の御城印は臼井城や宿内砦から出撃して上杉軍と戦った城兵の絵をモチーフにしてあり、2枚でシンクロして楽しめるようになってます。


宿内砦と謙信一夜城は以下の3か所での販売です。

・京成佐倉駅前観光案内所
千葉県佐倉市栄町8番地7(佐倉市観光協会内)
043-486-6000
8:30~17:00
年中無休(年末年始は除く)

・JR佐倉駅前観光情報センター
千葉県佐倉市六崎169-17
043-485-9700
9:00~17:00
休業日:12月29日~1月3日

・ふるさと広場売店「佐蘭花」
千葉県佐倉市臼井田2714
午前9時~午後5時
※休業日 年末年始(2018年12月29日(土)から2019年1月3日(木))のみ

〇ネット販売
 下記ネットショップにて販売しております。(歴×トキでは通販の取り扱いは致しません)
 https://sakurakankou.thebase.in
上記のネット通販は、1枚400円(税込)※別途送料100円がかかります


宿内砦、謙信一夜城の通販に関するお問い合わせは、
◆問い合わせ
公益社団法人佐倉市観光協会
043-486-6000

現地にも足を運んでくださいね。
どのお城も歴史たっぷり楽しめます♡

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2020年9月22日 (火)

OMOオンラインツアーのお知らせ

なかなかウォーキングイベントなどができないこともあり、新しいことを取り入れてみました。
オンラインを使って、なにか面白いことをやりませんか?と声をかけていただきまして作戦START!
やっとツアー開催が決まりました。

現地のレポートVTRと、オンラインのリアルタイムでのつながりを生かした新しいツアーです。
ただ画面を見てるだけではなくて、オンラインで話したり、クイズに答えたりと参加型のツアーです。
(もちろん見てるだけでもOKです)

お土産付きのツアーになってますので、コースを選んでいただくと商品がご自宅に届きます。
行った気分になって、おうちでビールを飲んだりしながらツアーをお楽しみいただけます。
人数限定で、スタジオ鑑賞&懇親会付きのコースもあります。

いつもとちょっと違うツアー、一緒にいかがですか?

https://online-tour.jp/

シリーズ1作目は、高野&長窪切通しと六国見山です。
リアルウォーキングイベントに参加した方もきっとお楽しみいただけます。
遠方の方もオンラインなので全国全世界どこからでも参加できますのでぜひぜひ♡

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いざ、神津島へ!

はじめての神津島!
神津島は大火で燃えてしまい史料などが残ってないものの、延喜式に定められた式内社が2社もあります。
とても歴史深い島なのです。

山城じゃないけど、歴史を使って神津島の魅力をさらに発信しようというようなお仕事をいただいて行ってきました😊
天気に恵まれ、夜は天の川も見れて最高でした

 

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前浜の景色。
神津島の集落はこの前浜地区しかありません。
なので、島の人はほとんど顔見知りとのこと。

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物忌奈命神社。ものいみなのみこと神社。式内社(明神大社)。
式内社とは、延喜式に列せられた格式の高い神社のこと。
延喜式とは、朝廷が定めた律令の細則のこと。

簡単に言うと、朝廷が定めた法律があって、そのなかに細かい色んな決め事があって、神社の項ではいくつかの神社が明神大社として格の高い社として登録されてて。その登録されてる一つがここ物忌奈命神社なのです。

この神社の創建は不詳ですが、840年に神階が上がったとされています。
神階が上がった理由は、838年に神津島が噴火した際、その音が京都まで聞こえたといい、あまりの噴火の凄さに理由を占った結果、噴火の原因が阿波神の怒りだということが分かりました。
なぜ、阿波神が怒ったかというと…。
実は832年に三嶋神とその後妃である伊古奈比咩命の両神が名神になりましたが、本后である阿波神は名神にしてもらえませんでした。それに対する怒りで神津島は噴火したと占われたのです。

その占いを受けて、阿波神とその息子の物忌奈神の神階が上がったと言われています。


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ちなみに東京都で明神大社に列せられてるのはこの物忌奈命神社と、同じく神津島にある阿波命神社のみ!
神津島ってすごい!ますます神津島の歴史が興味深いですね。

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神津島は江戸時代には幕府の流刑地でしたので、思想犯政治犯などが流されてきました。
この十字架のジュリアは小西行長が朝鮮出兵の時に連れ帰ってきた朝鮮貴族の娘で、そのあと江戸城大奥に入りましたが棄教しなかったために神津島へ流されました。
そのジュリアの供養祭を今でも島で行ってます。ただ、神津島がジュリア終焉の地ではなく、島を出て他の場所に移ったという記録が近年出てきたそうです。
他にも日蓮宗不受不施派の僧侶たちも神津島には流されてきました。

 

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838年の噴火でできた山が天上山!
写真の奥の大きな山が天上山です。
何とその爆発までは、存在しない山だったのです。まだまだ若い山なんですね。

手前の湾が三浦湾、奥の湾が多幸湾です。

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手前の三浦湾の岸壁を少しアップに…。
洞穴があります。
黒曜石を取りにきた人たちが使ったんでしょうか。
中世に倉庫や舟の収納などには使ってなかったんでしょうか。

そもそも、神津島に「三浦湾」という湾があることを知って是が非でも来てみたかったんです!!
三浦一族は全国各地の湊を押さえていた一族で海の一族です。
中世には八丈島に三浦氏の代官がいたことも記録に残っています。八丈島、さらには神奈川湊の利権を伊豆の伊勢氏と争っています。八丈島より手前にある神津島に三浦氏の痕跡があってもおかしくないなとずっと気になってたのです。


神津島は大火で文献が焼失してしまってるので、詳しいことは分からないけど考えることはとても楽しいですね。
なにか面白いことが分かったらまた報告します!

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三浦湾からは三宅島(左)と御蔵島(右)が見えます。

 

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湾に下りてみます。民家の裏手から。最近は湾まで下りる人もいないようで草ボーボー。
有り難いことに前田村長が案内してくれました。


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三浦湾。流紋岩がゴロゴロとしてます。波に削られた玉石が転がってるのは、神津島ではここだけ。
風が強いときに風待ち湾として良さそうな湾です。


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三浦湾お隣の多幸湾。
ここも白砂で美しい。
天上山が崩れて、さらに風にさらされて白砂を生み出してます。

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流紋岩由来のガラス質の砂。
キラキラしてる。

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多幸湾には湧水が。
冷たくておいしい!ペットボトルに入れて持って帰っても数日は味が変わらず美味しいまま!ほのかに甘くて最高!

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どんどん湧いてきてます。

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実は利島の神様のおかげで、神津島では美味しい水が湧きます。
この寝っ転がってるのが利島の神様。

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神津島に、それぞれの島の神様が集まって話し合いをしました。
そのため「神集島」とも言われたりします。元は「上津島」とも書いたようです。
集まった島々の神様たちは、貴重なお水を分けるために話し合いをしました。その話し合いに送れてきた利島の神様が自分の島の分の水が少ないことに怒り、水を蹴散らしてしましました。その水は神津島のあちこちに飛んでいき、それが神津島の湧き水となって今も流れ出てるといいます。


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こちらが前述した阿波命神社。三嶋の神様の本妃です。こちらも式内社です。

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もともとの社殿の石垣。この石垣は東京都の指定史跡になってます。

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こちらは赤崎海岸。島の一番北側に位置して、夜は真っ暗になる星空ビュースポットです。
同じく天上山の流紋岩で海岸が形成されてますが、温度の違いなのか赤い岩が多いです。なので、「赤崎」と呼ばれているそうです。

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海賊のアジトのようなアスレチック的な感じ。飛び込み台があったりと、大人も子供も楽しめる海岸です。


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電灯の付け替え中につき、先っぽの電灯が外されています。
星空保護区申請につき、島の電灯の付け替えが行われました。
星空保護区になるには、光が空に向かって発光される電灯はNGです。そのため光が下向きにしか行かない電灯に付け替えなくてはいけないのです。


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抗火石を使った歩道の整備。流紋岩の一種である抗火石(コーガ石)をスライスして、タイルのようにしてます。
島の石を使った素晴らしい整備ですね。

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温泉。塩分たっぷりの源泉かけ流し。水着で入ります。ぬるめで最高でした。

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hyugaブルワリーのあしたばビール3種。
どれも美味しくて❤苦いのかなと思ったら、後味がほんのり甘くて。
お土産にもどうぞ。


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集落のある前浜エリアを歩くと、お地蔵さんや猿田彦がたくさん祀られています。
辻々に猿田彦が祀られていて、入り組んだ集落をフラフラしてるだけで楽しい。


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同じく集落にある資料館には黒曜石や縄文時代の遺跡からの出土品などが展示されてます。

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ただし、中世については何も史料がなく残念。

 

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神津島には江戸時代に坂東札所、秩父札所、西国札所めぐりが設置されて、島の人たちの信仰が垣間見えます。
上の写真は秩父山にある秩父札所の巡礼地。

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秩父山にある月待塔。
「月待」とは特定の形の月が出るのを待つ信仰。神津島では「二十三夜」を待って祈っていたそうです。



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これは、庵屋堂という坂東札所の巡礼地。

では、最後に天上山へ。
838年の爆発で出来た山です。
まだまだ若い山であること、西風が常に吹きつけることなどにより山頂付近には砂漠もあり、生態系も特殊だそうです


 

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これは山頂の裏砂漠。
一面真っ白の砂。白砂の海岸ともちろん同じガラス質の砂です。
流紋岩が風化して砂になるので、砂漠の砂も減ることなく一面真っ白。


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山頂には流紋岩がゴロゴロと転がってます。

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いくつか人工的に列にして石を積んでいる箇所が見受けられます。
誰が何のために?
案内板には「おろしやの石塁」と書かれていて、ロシア船が近郊で出没するようになった幕末期に、その対策として積まれたと書かれていますが…。



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山頂からは三宅島が。
ちょうど竹芝桟橋を昨日の夜に出発したサルビア号が入ってきました。

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そして、向きを変えると…。ものすごい!!
これが今回一番感動した景色!!

式根島、新島、大島、利島などなど。
何て美しい!!
この島々の間を縫って、古代から船が行き交ってたと思うと感動です。

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天上山山頂572m。

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不動池には不動明王が祀られています。
修験道の言い伝えもあるそう。

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窪んでるところが、噴火口かと言われてるところ。
ここに島々の神が集まったらしい。

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ツツジの枝や葉の隙間に砂が積もる。それがこんもり山になる。しかも、西から強風が吹くため、風よけにするために松が東側に生殖する。ツツジと松がそうやって共存してる。
面白い光景!



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なんだろう。積んである。
大正期の治山工事のときか、それともいつ?…
丸い半径3mくらいのスペースを石で囲むように。それもパッと見たところ、5つくらい。
なんなのか、全くわからないらしい。

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最後は多幸湾からの絶景を。
風が強いと、前浜の神津港ではなく、多幸湾からジェット船が出港。今回も多幸湾から東京へ戻りました。

神津島のちょっとした歴史MAPなどを作ります。
完成したらまたお知らせしますので、ぜひ神津島にお出かけくださいませ❤


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2020年9月20日 (日)

タウン誌「エリート情報」掲載のお知らせ

千葉県のタウン誌「エリート情報・成田版」に紹介していただきました。
多古町城郭保存活用会の活動が取り上げられ、私もアドバイザーとして紹介していただきましたー!!

多古町では御城印キャンペーンもやってるし、並木城も素晴らしい整備で見学しやすくなったし、これからどんどん盛り上がっていきます!!
これは多古町に行かないと!ですね(^^)

 

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2020年9月10日 (木)

多古城郭保存活用会アドバイザー就任&キャンペーンのお知らせ

千葉県香取郡多古町の多古城郭保存活用会さまからお声掛けいただきまして、アドバイザーに就任させていただきました!!
多古町は、ミネラルたっぷりの「多古米」などの美味しい農産物が有名ですが、今回は「お城で多古を盛り上げよう!」というそんな素敵な動きが多古町で高まってきているのです!!
なんて素敵♡お声かけいただいて光栄です✨


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アドバイザーにしていただいて、多古城、並木城、志摩城の御城印パネルにサインさせていただきましたよ。
多古町コミュニティプラザに展示してありまーす!

そもそもは多古城郭保存活用会が御城印で町を盛り上げよう!と、多古城、並木城、志摩城の御城印発行を開始したのが始まり。
御城印を買いに来た方に、お城を見に来てくれた方に、少しでも多古の城郭の素晴らしさを知ってもらおう!と、会の皆さんが並木城の整備を始めたのです。会のボランティアの草刈りや整備の甲斐があり、なんと、並木城が500年の眠りから目を覚ました。


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きれいに整備された並木城の空堀

 


多古は今も美しい水田が一面に広がっていますが、昔は湿地帯でした。栗山川や借当川が流れ、谷を作り、それらを水運として利用しながら地域は栄えました。多古は「多湖」、並木は「浪来」、志摩は「島」というように、水、水運、水上交通との関連が言われています。
そんな多古は南北朝時代には谷ごとに各勢力が存在蟠踞し、川を挟んで目と鼻の先の距離同士で「船いくさ」が繰り広げられました。

名門千葉一族の宗家が、猪鼻城を急襲されて最後に逃げてきたのも多古です。平安時代からの名族千葉氏の宗家が、諸家である馬加氏(まくわり)に滅ばされたのが、ここ多古なのです。多古には素晴らしい歴史が埋もれているのです!すごい!!

なので、多古には城郭がたくさん!
なんと35を超える城郭が県の調査で確認されています。

と、いうことで多古町御城印プロジェクトが始動~。
こんな素晴らしい地域の「城」という資源をフル活用しちゃいましょう~
エイエイオーッ!!


そのプロジェクトとは
「多古町御城印プロジェクト・次に出るのはどこの城?お城予想大作戦!」

主催は多古城郭保存活用会で、町一丸となってお城で多古町を盛り上げちゃいますよ♡



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今、多古町のお城の御城印は多古城、並木城、志摩城の3城が出ていますが、あと9城の御城印が発行されることになりました。
毎月1城ずつ発行され、2021年6月までに9城が発行予定、今までに出ている3城と合わせて12城となる予定です。
そこで、その毎月発行される御城印はどこのお城かを予想していただき、当たった方や予想してくれた方に素敵な景品が当たるというキャンペーンを開始します!



お城当て大作戦のルールは簡単に言うと、
”たくさんある多古のお城の中から、毎月発行される城を予想する”
”見事的中した方の中から抽選で毎月3名様に当該月発行の御城印をプレゼント”
”予想が外れても、なんと予想してくれた方の中から毎月3名様に抽選で多古町の名産品をプレゼント”
”多古町の名産は何が当たるかはお楽しみ、当選結果は商品の発送をもってかえさせていただきます”
”予想の応募は多古町のあじさい館2階の応募箱『タコバコ』1か所のみで受け付けてます”
”毎月おひとり様1回の応募とさせていただきます”

というものです。
多古町の道の駅あじさい館2階に、多古のお城MAPと応募用紙、応募箱「タコバコ」が設置してあります。
あじさい館にて、お城MAPを見ながら予想して、応募箱『タコバコ』に応募用紙を入れてください。
毎月応募しなきゃソンソン!!あじさい館2階には多古のお城MAP、一覧表などが掲示されてますのでそれを見て応募してくださいね。

9月12日(土)お城予想大作戦スタート!!
応募は道の駅 多古あじさい館2階情報コーナーにて。

詳細はコチラ

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こんな感じで、多古町のお城はこれから盛り上がっていきますのでぜひ足をお運びください。
あじさい館には美味しい多古の名産がたくさん売ってますよー!

あと、多古町コミュニティプラザには、多古城郭保存活用会が作成した並木城の鳥観図や、縄張図、多古町から出土した丸木舟などの展示もあります。合わせてお立ち寄りください。

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多古町コミュニティプラザ


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私の紹介も載せてくれました♡


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多古町のアイドル「ふっくらたまこ」ちゃん!かわゆい♡

ぜひぜひ、多古町に遊びに来てね!道の駅あじさい館にたくさんも名産品があるのでお土産にタンマリと買って帰ってね✨
お城当て予想はあじさい館の2階!ぜひ、ご応募くださいね♡

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2020年9月 7日 (月)

三浦一族研究会と芦名氏

三浦一族研究会の機関誌が届きました
私が担当した講座の記事も掲載されました。

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全国に広がって活躍した三浦氏の、各地の城を紹介させていただきました。
越後江上館、黒川城、鳥坂城
これは和田氏が越後の地頭になったことに始まり、戦国時代まで三浦一族の系統が続きました。そして上杉氏の家臣になり、そのまま米沢へと移りました。

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こちらは、三浦一族佐原氏の系統が奥州の戦国大名蘆名氏となり、築いたのが発端の城です。
他にもそんな三浦氏ゆかりの城を紹介させていただきました。

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ぜひ、三浦一族研究会にもご入会くださいね。年間1000円ととってもお得です。


≪お問い合わせ・入会申し込み≫



文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階

電話番号:046-822-8116



 

この前、カルチャースクールで横須賀市芦名に行ったのでそのご紹介。
この「芦名」こそが、戦国大名「蘆名氏」の名前のもとになった地名です。

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この山が芦名氏の城と伝わります。
その真偽はともかくとして、この麓には「御館」という字名が残り、いまは大楠小学校になってます。
三浦義明の弟、芦名為清から始まるとされる芦名氏が領地としていたエリアです。
このエリアには、今でも佐島マリーナがあり、湊となっていた中世の姿が容易に想像できます。


芦名には三浦一族の氏神「十二天」が祀られていた神社も残り、三浦氏との繋がりが今でも現地に残っています。

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頼朝の子、頼家が生まれる際には佐原義連が神馬を奉納したりと、三浦一族の中でも重要な神社だったことが分かります。



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そんな芦名、佐島エリアを歩くとこんなお魚にも出会えます。
豊かな漁港町だったことが偲ばれて、散策するにも楽しいところです。


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2020年9月 4日 (金)

久留里城・御城印デザインさせていただきました!

千葉県君津市の久留里城の御城印デザインさせていただきました。
9月12日から現地販売開始です。
こちらの御城印は通販での取り扱いはしてません!
現地でお求めくださいませ。

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現地販売場所は
・君津市久留里観光交流センター
 君津市久留里市場195-4
 0439-27-2875
 9:00-17:00
 休館日は月曜(月曜が祝日の場合は翌日が休館)


久留里城は明治まで使われたお城ですが、今回の御城印は中世の歴史満載の図柄にしてあります。
江戸湾沿岸部の佐貫などの城で、北条氏の備えようとした里見氏ですが、北条氏の勢力に押される形で内陸部の久留里城に拠点を移しました。

そして、久留里城も北条氏の軍勢に攻められることになるのです。久留里城の発掘調査では、中世の柱穴も見つかっており、里見氏の痕跡が土の中に埋もれています。御城印には里見氏段階の建物が建っていた可能性のある基壇を描きました。江戸時代以前の城の姿を想像して楽しんでもらえたらいいなと思います。

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≪告知≫京急百貨店カルチャースクールCOTONOWA・10月から12月

少しずつカルチャースクールや講座なども再開になってます。
コロナ対策&熱中症対策しながら楽しく歩いてます。


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この前は横浜市都筑区の茅ヶ崎城と弥生時代の環濠集落と墓地である大塚歳勝土遺跡へ。
暑かったけど、早淵川の入江を想像しながら楽しく歩きました。


COTONOWAさんの新しいパフレット出たのでお知らせします。
https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WTopPage.do

サイト内の検索は「山城ガールむつみ」で検索ください。
10月27日(火)住吉城

11月24日(火)寺尾城
12月22日(火)小机城

申込お問い合わせは上大岡京急百貨店COTONOWAまで!
 
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