新しい御城印の販売開始です!
新しい御城印が販売開始になります。
またまたデザイン&同封説明文を書かせていただきましたー!!
今回は
千葉県香取市の小見川城、森山城
千葉県香取郡多古町の久保城
千葉県匝瑳市の八日市場城
この4つです。
いつものことながら、どれもこれもお気に入りです。
素敵な御城印が完成でーす!(自画自賛)
販売情報はコチラ!
歴×トキの通販でも取り扱ってますので、手に入れてからいつかお城に行くという、そんな楽しみ方もいいかもしれませんね♡
次の御城印も乞うご期待♡
久保城は、千葉氏宗家当主千葉胤貞(1288年-1336年)が居館として築いたものと伝わり、「千田殿」と呼ばれていた胤貞の存在を裏付ける重要な城といえます。
鎌倉幕府が滅亡すると、胤貞は足利尊氏派につき、多古も戦の舞台となり多くの城が築かれました。戦国期に入り、また戦乱の舞台となった多古の城は整備拡張されて使われていたと思われます。久保城周辺には土塁や空堀などの遺構が残っています。
御城印には、久保城周辺の地図をデザインし、千葉氏の家紋「月星」を配置しました。
千葉氏は肥前国小城郡(佐賀県小城市)も領地としていたため、小城には九州千葉氏ゆかりの城跡や寺院などが今でも残り、その小城にある九州千葉氏の菩提寺「松尾山光勝寺」に残る胤貞座像を描きました。
販売場所
道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)
休業日:年末年始(1月1日~1月2日)
森山城周辺の地は鎌倉時代から千葉一族「東(とう)氏」の本拠地で、森山城の東側に隣接している須賀山城も東氏が築いた城と伝わります。
常陸との国境である森山城は重要な城として取り立てられ、後に千葉宗家当主になる千葉胤富も森山城に入りました。
千葉氏の家紋「月星」を配置し、古文書に書かれた胤富の花押と、胤富のものと思われる鶴の黒印をモチーフにしました。
小見川城は小見川城山公園になっていて、部分的ではあるものの、戦国期の土塁や空堀が良好に残ります。香取の海と直結する水運の要衝のため常に地域の要として機能していたと考えられ、代々、粟飯原氏が居城としました。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原攻めの際には、当主粟飯原俊胤は主君千葉重胤とともに小田原城へ駆けつけ豊臣軍と戦いますが、小田原城は落ち、それとともに小見川城も落城しました。
千葉宗家の家紋「月星」、そして千葉一族の家紋「九曜」、粟飯原氏の家紋「三本竹」、そして家康の関東移封に伴って小見川城に入った松平家忠の家紋「重ね扇」を配置しました。
森山城と小見川城は下記の2か所で取り扱ってます。
販売場所
道の駅水の郷さわら
千葉県香取市イ3981-2
電話0478-50-1183
営業時間 8時から18時 年中無休
寺嶋陶苑(てらじまとうえん)
千葉県香取市小見川268
電話0478-82-2322
営業時間 8時30分から18時30分 水曜日定休
八日市場城は九十九里浜が広がる水運の要衝で、築城年代等の詳細は定かではありませんが、千葉氏家臣の押田(おしだ)氏の居城と考えられています。千葉氏が小田原北条氏に属す戦国時代末期の状況の中、千葉氏家臣である押田氏の城も軍事的緊張下の中で改修されたと推察できます。
押田氏は戦国時代になると、主君千葉輔胤の娘を妻にもらい、千葉一族の家紋である九曜を模した「丸九曜」を家紋としました。御城印にはその「丸九曜」ともう一つの押田氏の家紋である「五三の桐」を配置しました。
城山には櫓台の遺構が残り、南方向には九十九里浜の海が見えます。水陸交通の要衝で、眼下には街道が通り、城下に形成された宿も見えたことでしょう。御城印には現地に立つ櫓のような展望台をモチーフにし、周辺の地図をデザインしました。
販売場所
そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時年中無休
今月もお城と御城印を楽しんでください。
今後、各地でツアーも計画してますのでお楽しみに♡