6月の御城印完成のお知らせ
また今月も新しい御城印が販売になりますのでお知らせです。
金谷城、佐貫城、多古藩陣屋は6月26日(土)から販売開始です。
成東城のみ6月28日(月)販売開始。
デザインと説明文やらせていただきました。
4城とも歴×トキにて通販取り扱いとなります✨
金谷城
公益財団法人 鋸山美術館
住所 千葉県富津市金谷2146-1
TEL 0439-69-8111
営業時間10:00-から17:00(最終入館16:30)
金谷城は鋸山から北に伸びる丘陵に築かれました。眼前には浦賀水道が広がり、さらには上総国と安房国の境に当たる要衝の地です。東京湾を挟んで、三浦半島を指呼の距離に臨むことができ、金谷城は諸勢力の水軍拠点の海城として使用されていたと推察されます。
築城主や築城年代は不明ですが、天文年間(1532年~1555年)初頭の段階では、里見実堯の居城であったと考えられています。
史料上の初見は、天文22年(1553年)の文書で、それによると里見氏の庇護を受けていた妙本寺(鋸南町)の住持日我が戦乱から逃れるために、金谷城に経典などを運び込んで避難するも戦火で焼失したといいます。里見氏の庇護する妙本寺の住持が金谷城に避難していることから、金谷城が当時、里見方の城だったことがわかります。
その後、金谷城は内房正木氏の管理下に置かれたと考えられます。正木氏は小田原北条氏に属していた時期もあり、その際は金谷城も北条方の城となりました。詳細は不明ですが、正木氏が再度里見氏に属すようになると、金谷城は里見方の城として機能したと思われます。
佐貫城、造海城、勝山城が里見氏の拠点として整備されていくと、金谷城は造海城の支城として連携し存続していったと推測できます。
現在、城址にはリゾート施設が建ち、当時の城の姿は失われているものの、その立地から戦国期には里見氏、小田原北条氏の紛争の舞台であったことが見て取れます。
《御城印デザインのご説明》
金谷城の御城印は、この地域のシンボルである鋸山をモチーフにしました。
金谷城は開発の際に発掘調査が行われ、たくさんの遺構と遺物が検出されています。調査によると、中心になる時期は16世紀前半から中頃と考えられていて、礎石や掘立柱建物が数棟見つかっています。切石を積んだ石積や、岩盤を削って造られた石塁などが見つかっています。虎口は岩盤を削り精巧に造られ、検出された柱穴から四脚門を伴った虎口だともいわれています。それらにより、城主や代官が常駐していた城の可能性も指摘されています。
御城印には検出された石積みや虎口をデザインしました。
有限会社 宮醤油店
TEL0439-66-0003
千葉県富津市佐貫247
営業時間 9:00-17:00
年中無休(大晦日正月3が日を除く)
佐貫城は染川とその支流の北上川に囲まれた丘陵に築かれました。16世紀前半には、上総武田氏の拠点の一つだったと考えられています。永正4年(1507年)の佐貫鶴峰八幡神社再興棟札には、大旦那として武田氏の名が書かれていることからも、武田氏と佐貫の関係が指摘されています。
その後、武田氏の内紛に介入した里見氏と小田原北条氏の争いがおき、佐貫城も両勢力の戦いの舞台になりました。天文14年(1545年)頃には里見氏の城となり、当主である義堯が居城としていましたが、北条氏が佐貫城を囲み、里見方は北条氏が囲みを解くまでの1ヶ月近くを籠城戦で凌いだといいます。しかし、天文年間の終わり頃にはついに佐貫城が落とされ、義堯は久留里城に移ったとされています。
永禄6年(1563年)には北条氏が擁立した古河公方足利義氏が佐貫城に入っていることからも、北条氏がいかに佐貫城を重要視していたかがわかります。この後、里見氏と北条氏が江戸湾を挟んで佐貫城を巡り熾烈な戦いを繰り広げます。その過程で佐貫城は再び里見氏の城となり、里見氏の本拠が岡本城(南房総市)に移ると佐貫城は里見方の一拠点として存続していきました。
天正18年(1590年)の小田原合戦以降、関東に徳川家康が入封すると、徳川譜代の内藤家長が入城しました。その後は松平氏の時代や天領になった時期を経て、阿部氏が入ります。
宝永7年(1710年)に入封した阿部氏は、藩校の誠道館の設立や、砲台を築いて海防強化に努めました。そして、多くの幕府関係の儀式に参加し、譜代大名として明治まで存続しました。
《御城印デザインのご説明》
上総武田氏、里見氏、小田原北条氏、足利義氏、そして、近世初頭には徳川譜代の内藤氏が入るなど、多彩な歴史に彩られた佐貫城。それらの歴史がいかに佐貫城が重要だったかを物語っています。御城印には武田氏「四つ菱」、足利氏と里見氏の「二つ引両」、北条氏の家紋「三つ鱗」をそれぞれ配置しました。
佐貫城は天正18年(1590年)に内藤氏が入って以来、松平氏、阿部氏と城主が変わり、現在残る遺構は近世に改修されたものですが、中世の佐貫城が基本的には踏襲されたと考えられます。本丸から二の丸へ続く丘陵が近世では佐貫城の中心だったと思われますが、中世においてもこのエリアが城の中心だったと思われます。中世から近世へと上書きされながら存続した佐貫城の御城印は江戸時代に描かれた絵図をモチーフにするとともに、佐貫藩を再立藩し、江戸時代を通して存続させた阿部氏の家紋「丸に違い鷹の羽」をデザインしました。
大髙醤油株式会社
TEL 0475-82-5581
千葉県山武市富田540
営業時間 8:00―17:00(土日休み)
成東城は九十九里平野を臨む標高45mほどの台地に築かれました。現在は城の中心部が成東城跡公園として整備されています。
作田川が近くを流れ、現在はその支流が成東城の裾野を囲むように流れています。成東城は台地全体を利用して築かれていて、現地を歩くとその規模を感じることができます。さらに、台地東南にあたる九十九里海岸方面には遮る丘陵が全くなく、成東城が水上交通の要であったことが見て取れます。
成東城は鎌倉時代以降、この地を治めていた印東氏が築城したとも伝わりますが、今に残る遺構は16世紀以降のものと考えられています。
1450年代に印東氏がこの地を支配しなくなった後は本佐倉城を拠点にした馬加千葉氏の勢力下になり、その子、胤定(鳴戸八郎)が城主として成東地域を治めたといいます。
永禄12年(1569年)頃には正木氏による下総侵攻があり、成東城もその混乱に巻き込まれたと思われ、そういった状況下で改修されながら機能したと思われます。
台地全体を利用して築かれた成東城は、本佐倉城や土気城などといった両総の主要城郭に匹敵する規模であることからも、この地にこれほどの城を築ける勢力がいたことを物語る城といえます。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原城の北条氏を攻めると、成東千葉氏当主の将胤は北条方として戦い、討ち死にしました。小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入封すると成東には家康配下の石川康通や青山忠成などが配属されましたが、元和6年(1620年)に廃城となりました。
《御城印デザインのご説明》
宅地化が進み、一部は破壊されているものの、成東城には遺構が良好に残っています。土塁、空堀、虎口、切岸などの防御が施され、堅固な城であったことがわかります。主郭は三方に土塁を巡らし、取り囲む空堀も折れを伴い、防御制を高めていることが見て取れます。
戦国期の姿を色濃く残す成東城の御城印には、台地全体を城郭化し広大な城域を誇る成東城の地形がわかる地図と縄張図をモチーフにしました。
鎌倉時代からこの地を領有していた千葉氏の家紋「月星」と「九曜」、そして、享徳の乱を契機とし、主家を滅ぼし千葉氏当主となった馬加千葉氏の家紋「月星(星が真上)」をデザインしました。
道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)
休業日:年末年始(1月1日~1月2日)
多古藩陣屋は、現在の多古第一小学校周辺の小高い場所に築かれました。
多古は、古くから名族千葉一族ゆかりの地で、享徳の乱に端を発した一族の内紛で千葉氏宗家が多古で滅ぶなど、中世を通して下総国内で重要な地でした。
天正18年(1590年)に小田原北条氏が豊臣秀吉に攻められ、戦国大名として滅亡すると、徳川家康が関東に入封しました。そして、多古には家康家臣の信濃高遠城主保科正光が入りましたが、関ケ原の戦い(1600年)後に正光は加増され高遠藩に移ったため、多古藩は一時廃藩となりました。
寛永12年(1635年)に8千石の旗本松平(久松)勝義が、上総国武射郡と下総国香取郡に所領をもらい、多古に陣屋を構えます。これが多古藩陣屋のはじまりです。そして、延宝8年(1680年)に家督を継いだ勝義の九男勝以(かつゆき)は加増を受け、1万2千石の大名となり、多古藩が再び立藩されました。以後、久松松平氏が多古藩領主として存続し明治に至ります。
当時、陣屋の敷地は板塀や石垣で囲われていましたが、現在は多古第一小学校の校庭となり、陣屋前面の石垣の一部がわずかに残るだけです。しかしながら、全国的に石垣が築かれた陣屋は珍しく、このことからも多古藩1万2千石の威光が想像でき、この陣屋が多古藩の政治の中心地であった往時が偲ばれます。
《御城印デザインのご説明》
多古藩陣屋の御城印には昭和8年に描かれた多古町の鳥瞰図をモチーフにし、町の風景を描きました。あわせて、江戸時代に発行された『下総名勝図絵』に描かれた多古藩陣屋の表門遠景もデザインしました。
久松松平家の家紋「星梅鉢」、さらに「六つ葵」を配置しました。久松松平家は徳川家から葵の紋の使用を許されていました。
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