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2021年8月26日 (木)

新しい御城印発行のお知らせ・千葉県銚子市の中島城と飯沼陣屋

新しい御城印の発行のお知らせです。
神奈川県大和市の深見城、千葉県銚子市の中島城と飯沼陣屋です。
両方ともデザインと同封の説明文を書かせていただきました。
3城とも歴×トキにて通販取り扱います。



詳細は以下です✨
どのお城も歴史が満載で楽しいお城。
御城印で楽しむのもよし、現地で歴史めぐりするのもよし。

それぞれに楽しんでください✨
下に詳細など載せておきます。

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販売開始は8月27日(金)ですが、土日祝がお休みなので、お気をつけください!

名称:松代印刷株式会社
住所:神奈川県大和市南林間1-7-9(3階)
営業時間:平日のみ営業9:00~17:00 土日祝休み

(その他、正月・お盆等の休みあり)

TEL:046-276-5151


【深見城のご説明】神奈川県大和市

 深見城は大和市の北東、横浜市瀬谷区との境に位置し、蛇行する境川に突き出した半島状の急崖上に築かれました。

発掘調査では13世紀初頭から14世紀にかけての遺物も検出されていて、詳細は不明ながらも、この台地が鎌倉時代から何らかの形で使用されていたことがわかっています。

地元では古くから山田伊賀守経光の城であるとの伝承もあります。この人物は宝徳年間(1449-1452)に境川対岸の瀬谷郷にいたことがわかっているものの、深見城との関連は不明です。

現地に残る遺構は、クランクを多用し、横矢が掛かる複雑な構造となっていて、その形態から15世紀から16世紀後半にかけて機能していたと考えられます。

永正年間以降、北条早雲(伊勢宗瑞)が相模国を手中に収めようと軍事行動を具体化させます。その意思を氏照、氏康らが引き継ぎ、扇谷上杉氏との抗争が起きる中で、深見城が小田原北条氏の陣城、駐屯用などの繋ぎの城として取り立てたとも推察されています。

この深見の地は交通の要衝に当たります。境川の水運はもちろんのこと、武蔵国と相模国の大動脈であった矢倉沢往還と鎌倉往還が通り、戦国期になると滝山城(八王子市)と玉縄城(鎌倉市)を結ぶ滝山街道が整備されました。その結節点にあたる下鶴間には、「宿」の小字が残っていて、宿場の機能を持つ集落があったと思われます。深見城が築かれた城ヶ岡には「一ノ関」という呼称も残り、古くから交通、軍事の要衝地であったことを連想させます。

 

【御城印のご説明】

深見城の発掘調査では、室町時代と思われる風炉や香炉などの遺物も検出されています。風炉は持ち運びができる炉で、上に釜を置いてお湯を沸かしました。御城印には風炉に描かれていた花びらのような模様をモチーフにしました。生活用品はあまり出土せず、かわりに火舎(火鉢)が検出されていて、駐屯の際に使用された可能性も指摘されています。

深見城は中世城郭としての遺構の残り具合は神奈川県下でも有数の城郭といえ、主郭に2カ所設けられた虎口の前面には馬出が配置され、横矢が多用された特徴的な縄張りになっています。御城印は、深見城の縄張図とジオラマをモチーフにしました。さらに城域の南端には、物見に使用していた櫓台と思われる高まりがあるため、ジオラマには櫓を描くとともに、小田原北条氏の家紋「三つ鱗」をデザインしました。馬出は北条氏特有の角馬出になっていることからも北条氏との関連が考えられます。



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中島城と飯沼陣屋の販売開始情報はコチラ
販売開始は8月28日(土)
販売場所
名称:銚子観光案内所
住所:千葉県銚子市西芝町1438(JR銚子駅構内)
営業時間:8:45~17:00 年中無休 
TEL:0479-22-1544

【中島城のご説明】千葉県銚子市

中島城は利根川に面する標高40mほどの台地に築かれ、東西約500m、南北約400mを城域とする大規模城郭です。中世には香取の海に面する水運の要衝地にあたり、千葉一族海上氏の居城と考えられていて、戦国期には千葉氏の下総統治の拠点のひとつだったと思われます。

周辺に残る海上氏ゆかりの寺院には、鎌倉期の仏像が安置されており、また、周辺からは鎌倉時代の経筒も出土しています。これらのことからも、すでに鎌倉期には海上氏がこの地域を本拠地にしていたと考えられていますが、折れを伴う空堀などの遺構から、現在の形態は戦国期の城郭であると思われます。空堀の一部には湿地となっている箇所もあり、中世城郭には珍しい台地上の帯曲輪部分に水堀の存在が指摘される貴重な城です。

海上氏は平安期に両総平氏の常衡、常幹父子を祖として歴史舞台に登場しましたが、まもなく衰退しました。鎌倉時代になると、源頼朝の幕府樹立に貢献した千葉常胤の子、胤頼から始まる東氏の庶流が海上庄を領して、海上氏を名乗りました。そして、室町期には鎌倉公方の奉公衆となり、勢力を拡大していきました。

戦国期になると、千葉宗家当主昌胤の庶子だった胤富が婿として海上氏を継ぎ、森山城(香取市)に入りました。その後、胤富が千葉宗家に戻り、当主として本佐倉城に入りましたが、胤富との関係からその後も中島城や森山城は整備拡張されたと考えられます。

城内の堀跡と思われる箇所から大量の石塔が出土しており、詳細は不明ながらも、永禄年間には正木氏による下総侵攻、そして天正18年には千葉氏が属していた北条氏の小田原城が落城するなどの流れの中で中島城も落城し、破城された可能性もあると考えられています。

 

【御城印のご説明】

海上氏は「鶴の丸」を紋としていました。平安時代末期に、源頼朝から海上常幹が鶴亀のついた扇を下賜されて以来、海上氏の紋として「鶴の丸」が使用されていたといいます。千葉胤富の印判として有名な「鶴丸型黒印」は、当初、海上氏を継いだ胤富が海上氏の「鶴の丸」に基づいて作成したものと考えられています。御城印は胤富の鶴丸の印判と、千葉一族の家紋「九曜」をモチーフにしました。

中島城は香取の海に面する水運の重要地であり、周辺には津が点在していました。御城印には、野尻や高田といった中島城と関連する湊集落がわかる地図をデザインしました。これらの湊を拠点に活動する戦国期の流通商人の存在も確認されていて、その代表格が「宮内清右ヱ門」であり、城下には「みやせい」という地名も残ります。水運を介した流通商人も中島城とともに海上氏発展の一因を担っていたのです。



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【飯沼陣屋のご説明】千葉県銚子市

飯沼陣屋は下総国海上郡飯沼村(現在の銚子市陣屋町)に置かれた上野国高崎藩の陣屋です。現在の陣屋公園一帯に相当します。

海上郡周辺は、中世には香取の海が広がる水運の要衝地でした。平安時代から戦国時代にかけては、千葉一族である海上氏が領地としていました。海上氏は銚子周辺に中島城などの城を築き、円福寺などの寺院も保護し、勢力を拡大していきました。

しかし、海上氏が小田原北条氏とともに没落すると、徳川家康配下の松平(五井)伊昌(これまさ)が下総国に入封、海上郡内4000石を加増され、銚子に陣屋を築いたとされます。五井松平氏の陣屋の場所は定かではありませんが、後の高崎藩銚子陣屋と同じ場所だった可能性も指摘されています。陣屋は、五井松平氏の遠江国移封により、廃されました。

そして、その後、高崎藩の出張陣屋として築かれたのが飯沼陣屋です。松平(大河内)輝貞が享保2年(1717年)に高崎に入った際、海上郡の7村を与えられ、陣屋を築いたとされます。以来、明治まで高崎藩の出張陣屋として存続しました。

陣屋周辺には水堀がめぐらされ、長方形の区画に長屋門、役所などが配置されていたといいます。

 

【御城印のご説明】

高崎藩は約150年間にわたり、銚子を統治しました。郡奉行1人、代官2名を銚子に派遣し、領内の年貢の徴収や治安維持に当たらせました。御城印は、弘化4年(1847年)に描かれた『高崎藩銚子陣屋地図』をモチーフにしました。陣屋の屋敷の配置や、陣屋を囲む水堀などが描かれ、当時の姿を今に伝えています。

また、江戸時代になると利根水運が江戸に通じるようになり、銚子は江戸への中継港となりました。そのため、東北諸藩の船や日本海から江戸に向かう北前船も銚子に寄港し、銚子の町は発展しました。その船と渡辺崋山が描いた銚子の町をモチーフにしました。

崋山は文政8年(1825年)に武蔵、常陸、下総、上総めぐりの旅に出ました。そのとき、崋山が描いた『四州真景図巻』が残っていて、銚子の海や町も描かれています。「新町大手、奉行屋敷」と書かれた絵は、陣屋周辺を描いたものと思われていて、酒屋の土蔵や、陣屋の門、高札などが描かれ、銚子の活気を感じることができます。


中島城と飯沼陣屋の販売場所はコチラ
名称:銚子観光案内所
住所:千葉県銚子市西芝町1438(JR銚子駅構内)
営業時間:8:45~17:00 年中無休 ※専用駐車場無
TEL:0479-22-1544





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