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2021年11月14日 (日)

「まるごとしすい」に御城印コーナーが登場!

千葉県印旛郡酒々井(しすい)町の「まるごとしすい」に御城印コーナーが登場✨
酒々井町の名産特産と一緒に置いていただいて光栄です♡
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幟も登場♡
御城印ご購入の際には、私が作成したお城紹介のリーフレットもつきますよ。


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本佐倉城は、城下を取り込んだ巨大城郭です。ぜひ、周辺を散策して、その大きさと城下の構造を感じて楽しんでください。
まるごとしすいの横には、江戸幕府の牧場「佐倉牧」の土手が残ってますよ。お立ち寄りの際には見てみてください🐴

酒々井のアウトレットの目の前ですよ♪
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本佐倉城の簡単な説明は以下です。
享徳の乱がきっかけでおきた千葉一族の内紛により、馬加康胤らが千葉宗家の館(今の猪鼻城とかのあたり)を急襲。
それにより、千葉宗家当主胤直らは香取郡多古に逃げ込み、志摩城に籠りました。そして、馬加康胤らと戦いますが、敗北。千葉胤直、嫡男宣胤、胤直の弟胤賢らは多古で自害し、千葉宗家は滅亡しました。

しかしそんな状況の中、胤直の弟胤賢の子の自胤(よりたね)、実胤は武蔵国に脱出しました。石浜のあたりに逃れたといいます。

千葉一族の宗家滅亡後に、千葉氏を継承したのが千葉輔胤(岩橋輔胤)の系統です。岩橋に城を構え、続いて本佐倉城を築き、下総国統治の拠点にしたのです。


岩橋城
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そもそも、享徳の乱で鎌倉公方と関東管領が対立関係になったとき、胤直は上杉氏に、康胤は公方を支持。そのため、お家騒動になったのです。そのため、逃れた自胤(よりたね)、実胤は上杉氏の保護のもと、千葉宗家奪還へと動くことになります。それをバックアップして一緒に戦ったのが、扇谷上杉家の家宰太田道灌です。

 

本佐倉城が築かれた背景は、こんな感じです。
そのあと、長尾景春の乱が起きたり、道灌が殺されたり、北条早雲(伊勢宗瑞)の台頭など、情勢はどんどん変化します。

道灌が死んだことにより、石浜に逃れた武蔵千葉氏は衰退。佐倉千葉氏は関東の動乱の中、生き残りを掛けて戦いますが、最終的には小田原北条氏の配下に入り戦国時代の終わりを迎えました。

本佐倉城は豊臣軍の来襲に備え拡張整備され、さらに徳川家康が入ってくると家康の5男武田信吉が入封しました。そのときにも大規模な改修が行われたと思われます。

 

本佐倉城は城下町全体を城郭化した巨大な城です。

まわりには、厳島砦、浜宿砦、肥前屋敷、右京屋敷、妙胤寺などの城郭遺構が存在します。


厳島砦
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妙胤寺
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本佐倉城は丸一日、歩いて楽しめるお城のアミューズメントパークです。

ぜひ、お出かけして、お帰りにはまるごとしすいで酒々井の名産をお買い求めください♡

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