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2021年12月16日 (木)

物見台城・長南城の御城印デザイン&販売開始のお知らせ

新しい御城印のお知らせです。
こちらもデザインと同封説明文を担当させていただきました✨


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販売開始・2021年12月20日(月曜)

道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)

休業日:年末年始(1月1日~1月2日)  

※お城エキスポ2021の多古城郭保存活用会ブースにて12月18日、19日先行販売

 

【物見台城のご説明】
物見台城は、多古町の南東部、南中「鴻巣集落」周辺の台地に築かれ、その台地が広範囲にわたり城郭化されたと考えられます。物見台城の西側には「相ノ谷(あいのやつ)」を挟んで中城があります。この相ノ谷は中村中央の台地に深く切れ込んだ重要な谷戸のため、物見台城と中城で相ノ谷を挟み、連携しながら監視を行っていたと考えられます。また、物見台城の東側には「中城坂」を挟んで土やぐら城があります。この坂道は、中村中央の台地へと通じる重要な街道であったと思われ、物見台城と土やぐら城が連携して監視を行っていたと推測できます。

南側を流れる借当川は、中世において多古・匝瑳地域の重要な水上交通路であったと考えられ、この借当川を直接眼下に監視できる場所に物見台城は位置しています。これらのことからも、築城年代や城主等の詳細は不明ながら、戦国期においては、この物見台城こそが中村中央の台地の南側を防衛・監視する中心的な城郭であったことが推察されます。

物見台城は、現在山林や畑になっていて、当時の全体像は不明ですが、「諏訪神社」周辺には土塁、空堀、桝形虎口等が残り、台地南西側には土塁、腰曲輪、物見台等が残っています。物見台の周囲には城郭遺構が良好に残っていて、特に長さ約100mに及ぶ土塁と帯曲輪は秀逸で、中世山城の姿を今に伝える貴重な城郭といえます。

物見台城の御城印は土やぐら城を含め、台地全体を利用して築かれたことが分かる縄張図をモチーフにしました。あわせて、城の名前の由来になった「物見台」に建つ物見櫓をイメージしました。この物見台は土やぐら城(物見台)と連携していたと思われ、この両方の物見台の位置を示すため、該当箇所を黄色で色付けしました。

そして、千葉一族ゆかりの地である多古の城郭には千葉氏が深く関わっていたと思われるため、千葉氏の家紋「月星」を描きました。物見台城がある中村地区には千葉胤貞の伝承が多く伝わり、胤貞創建の寺院が数多く残っています。

物見台城では、令和3116日に日本初の「お城開き」が行われました。「お城開き」では、山城のトップシーズンである秋から冬にかけての訪問者を歓迎すべく、城を整備し、安全祈願を行いました。全国各地からたくさんのご参加をいただき、お城整備のボランティア活動をしていただきました。その際に撮った記念写真をこの説明文の背景にデザインしています。

 

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販売開始・2021年12月18日(土曜)

○セブンイレブン上総長南店

千葉県長生郡長南町長南1198-2

電話:0475-46-1330

年中無休24時間営業

 

○道の駅あずの里いちはら

市原市浅井小向492-1
TEL 0436-37-8891

営業時間 午前9時~午後6時 ※一部営業時間が異なります。
定休日 毎月第2火曜日(祝日の場合は翌日) 、1/1~1/3

 

○千葉ポートタワー

千葉市中央区中央港1丁目
電話:043-241-0125

[6月~9月]
9:00~21:00(毎日)
[10月~5月]
9:00~19:00(月~金)
9:00~20:00(土日祝)
※最終入館は閉館時間の30分前までになります。

休館日12月28日~1月4日、2月28日(月)、来年度の定休日はお問い合わせください

※安全上において、強風等により臨時休業する場合があります。

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)



【長南(ちょうなん)城のご説明】千葉県長生郡長南町

長南城は長南川に沿うように形成された市街地の東側丘陵に築かれました。長南城が築かれた「長南」は、長柄郡の南部分にあたる、もしくは長柄郡の南方の場所との語源を持ち、上総国の山間部にあたります。周辺の丘陵は痩せ尾根となっていて、長南城はそれらの丘陵部や谷を取り込むように城郭化され、約1km四方の範囲に城郭遺構が認められる千葉県を代表する大規模城郭といえます。妙見社~太鼓森の丘陵には造成された平坦面がみられ、また、長久寺周辺には堀切、切岸、腰曲輪などのまとまった城郭遺構が認められます。

長南城の築城年代や築城主などの詳細は不明ですが、長南の地は上総平氏の流れである長南氏の支配を経て、上総武田氏の領するところとなりました。かつての長南氏の城館がいずれにあったかは不明ですが、武田氏がこの地に入ってきた後は長久寺から太鼓森に掛けての丘陵に長南城を築城もしくは整備したと思われます。

武田氏が守護を務めていた甲斐国は上杉禅秀の乱(1416)以降、混乱状態にありましたが、永享の乱(1438)の頃に武田信重が守護として復権し、弟の信長は鎌倉公方足利成氏に仕え成氏の側近となりました。

そして、享徳の乱(1454)を契機に信長は成氏の命を受けて上総国に入部し、敵対する関東管領上杉陣営との戦いの拠点とするため、長南城と真里谷城を築いたと伝わります。そして、上総武田氏は真里谷城(木更津市)を拠点とする真里谷武田氏と、長南城を拠点とする長南武田氏に分かれていきました。

長南武田氏は真里谷武田氏に比べて良質な文献が少ないため、不明なことが多く、確実に実在が認められているのは最後の当主豊信だけです。

豊信はその手腕を発揮し、16世紀の中頃には長南と池和田(市原)までを領国化し、衰退した真里谷武田氏にかわって戦国大名となりました。しかし、最後は小田原北条氏に属し、小田原落城の際は北条氏と運命を共にし、豊信は自害したと伝わりますが、地方に逃れたとも伝わっています。

その後、徳川家康の関東入部に伴い、本多忠勝が天正18年(1590)6月~7月の間、長南城に滞在したとされています。

周辺の丘陵や宿などを取り込んで、長南武田氏の大城郭となった長南城の御城印には、その規模が分かる地図をモチーフにしました。長南城の最高所は標高約80mの「太鼓森」と呼ばれる丘陵で、太鼓森には平坦に造成された曲輪が点在し、現在は妙見社が建っています。太鼓森はその名の通り、有事の際には合図、伝令の太鼓が打ち鳴らされたと伝わることから、御城印には太鼓を描き、当時をイメージしました。

長南武田氏の最後の当主豊信は里見氏と北条氏の間を巧みに生きた房総を代表する戦国武将です。御城印には豊信の肖像画(長南町郷土資料館提供)と花押をデザインするとともに、武田氏の家紋「四つ菱」を配置しました。


どちらの御城印も歴×トキにて通販取り扱いいたします。
よろしくお願いします。




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