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2022年2月18日 (金)

JR・駅からハイキング


JR東日本(千葉県内)の『駅からハイキング』の「山武いちごの里ハイキング」コースのご紹介✨
山武市の総武本線成東駅STARTのコースにチラリと登場です。
コース内に成東城が入っているため、成東城のコメント掲載していただきました。


『駅からハイキング』は、コースごとに決められた集合駅で受付し、コースマップをもらいます。そして、そのマップに沿って、各自歩いて見どころを楽しんでいただくというものです。

歴史&城が『駅からハイキング』にたくさん取り上げられるようになったらいいな♪
今後はコース提案などもさせていただきたいなと思います。
地域を丁寧に歩いて回って楽しむというのが歴史めぐりの醍醐味ですね(*^^)v

山武市成東駅STARTの『駅からハイキング』、よかったら参加してみてください。
このコースは期間が短くて、2月25日(金)ー27日(日)の3日間!山武市はイチゴが名産🍓今が一番いい時期🍓



JR東日本:駅からハイキング|コース検索 (jreast.co.jp)
(成東駅、山武市などのワードで検索してください)

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こちらが受付で配られるコースマップです♪


《成東城のご説明》千葉県山武市

成東城は九十九里平野を臨む標高45mほどの台地に築かれました。現在は城の中心部が成東城跡公園として整備されています。

作田川が近くを流れ、現在はその支流が成東城の裾野を囲むように流れています。成東城は台地全体を利用して築かれていて、現地を歩くとその規模を感じることができます。さらに、台地東南にあたる九十九里海岸方面には遮る丘陵が全くなく、成東城が水上交通の要であったことが見て取れます。成東城は鎌倉時代以降、この地を治めていた印東氏が築城したとも伝わりますが、今に残る遺構は16世紀以降のものと考えられています。

1450年代に印東氏がこの地を支配しなくなった後は本佐倉城を拠点にした馬加千葉氏の勢力下になり、その子、胤定(鳴戸八郎)が城主として成東地域を治めたといいます。

永禄12年(1569年)頃には正木氏による下総侵攻があり、成東城もその混乱に巻き込まれたと思われ、そういった状況下で改修されながら機能したと思われます。

台地全体を利用して築かれた成東城は、本佐倉城や土気城などといった両総の主要城郭に匹敵する規模であることからも、この地にこれほどの城を築ける勢力がいたことを物語る城といえます。 

天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原城の北条氏を攻めると、成東千葉氏当主の将胤は北条方として戦い、討ち死にしました。小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入封すると成東には家康配下の石川康通や青山忠成などが配属されましたが、元和6年(1620年)に廃城となりました。

 

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主郭には神社が。公園になっているので見学しやすいです。


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堀が通路になってます。


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九十九里浜が見えます🌊

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