御城印新発行のお知らせ
今月も御城印をデザインさせていただきました。
東京都荒川区の石浜城、埼玉県小川町の腰越城、千葉県我孫子市の中峠城です。
詳細や販売情報は以下です。3城とも8月27日(土)販売開始です。
今回も現地に何度かお邪魔して、気持ち込めてデザインと説明文を書きました✨
腰越城は10月8日にツアーやりますので、こちらもぜひ!!
ツアーでプレゼントされますので、参加の方はツアーの日までお楽しみにしててください♡
山城ガールむつみの小川町出陣のススメ いざ、青山城&腰越城へ!~遺構が良好に残る戦国の山城を楽しむ~ | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)
【腰越城のご説明】埼玉県比企郡小川町
腰越城は蛇行する槻川に三方を囲まれた天然の要害を利用して築かれました。標高216m地点を中心に築かれた山城で、大小あわせて17を超える郭が残っています。城山の麓には「北城山」「南城山」といった小字名とともに、「榎木戸」「根古屋」といった城郭に関連する地名が残ります。
『関八州古戦録』によると、腰越城は青山城とともに松山城の支城として松山城主上田氏が築城したとされ、上田氏の重臣山田伊賀守が城主だったといわれています。本郭からは南に青山城と中城、北に四ツ山城、北西に安戸城を望むことができ、腰越城はそれらの城と連携しながら機能していたと考えられます。
発掘調査によると、堀切、竪堀、横堀、虎口などを組み合わせた技巧的な造りをしていて、改修した形跡はなく、現地にはそれらの遺構が良好に残っています。また、火災にあった形跡が見つかっていて、腰越城での戦闘の可能性も指摘されています。
江戸時代から腰越城の一帯は石灰岩の採石が行われたため、その影響を受けて南側が大きく崩されています。『腰越村川欠見取絵図(寛政4年・1792年)』には二つの頂が描かれていることから、この南側も城域で現存よりもっと広かった可能性も指摘されています。なお、腰越城は埼玉県指定史跡となっています。
【御城印のご説明】
腰越城の本城である松山城主上田氏は、もとは扇谷上杉氏に仕え、その後、小田原北条氏に属しました。御城印には、扇谷上杉氏と小田原北条氏の家紋をデザインしました。
腰越城の西には「大河原谷」と呼ばれる谷が入り込み、谷の一番奥には上田氏の菩提寺である浄蓮寺があります。境内には上田政広、朝直、長則の墓があり、上田氏にとってこの谷が重要な地であったことが分かります。それらの位置関係や谷を走る街道がわかる地図と、技巧的で遺構が良好に残る腰越城の縄張図をモチーフにしました。
販売店
〒355-0328
埼玉県比企郡小川町大塚47-3
おいでなせえ小川町駅前店
電話0493-59-6988
営業時間10:00-18:00
定休日なし
ネット販売
おいでなせぇ
https://hiki-gojouin.stores.jp
【石浜城のご説明】東京都荒川区
石浜城は隅田川(古利根川)沿いの水上交通の発達した地域に築かれました。かつては、橋場(荒川区・台東区)、今戸、待乳山(台東区)周辺一帯が広く「石浜」と呼ばれていたといいます。石浜城の比定地については諸説ありますが、現在の石濱神社(荒川区南千住三丁目)が石浜城の有力候補地とされています。
石浜周辺は武蔵国と下総国の境に当たり、古代東海道上に位置し、川を渡る「渡し」があり、水陸交通の要衝で都市的な場として発展しました。鎌倉時代には江戸氏の拠点であり、室町時代には江戸庶家である石浜氏の本拠地だったと考えられます。石浜城の築城年代や築城主などは不明ですが、交通の要衝の地に築かれたと推察されます。
南北朝時代文和元年(1352年)には、足利尊氏と新田義貞の遺児である南朝方の新田義興との武蔵野合戦で、石浜に逃れた尊氏がここで立て直しをはかり、南朝方の新田軍を破りました。
享徳の乱(1454年)に端を発した千葉一族の内紛が起きると、当主千葉胤直ら千葉宗家が傍流である馬加康胤らに襲われ、多古(千葉県香取郡多古町)に逃げ込む事態となりました。馬加康胤らはさらに多古を攻め、胤直と子の宣胤は自刃、胤直の弟胤賢も自刃しました。このとき、胤賢の子である実胤、自胤(これたね(※1))は市河城に脱出しましたが、市河城も落とされ、武蔵国に逃れました。扇谷上杉氏の家宰太田道灌の支援を受け、実胤が赤塚城に、自胤が石浜城に入り、武蔵千葉氏となりました。(※2)しかし、勢力をそがれた武蔵千葉氏の石浜の維持は困難であったと思われます。そのため、扇谷上杉氏の庇護のもと、千葉宗家奪還を目指し、本佐倉城を拠点とした下総千葉氏と戦いましたが下総への復帰は叶いませんでした。
その後、武蔵千葉氏は小田原北条氏に属し、北条氏から養子を迎えています。天正18年(1590年)に北条氏が豊臣秀吉に攻められて滅亡すると、同時に武蔵千葉氏も没落し、石浜城も廃城となったと思われます。
※1:自胤の読みに関しては、『千学集抜粋』に読みが書かれており、それによって「これたね」と読むことが定説となっています。
※2:『鎌倉大草子』などの書物では、実胤が石浜城に、自胤が赤塚城に入城したとされますが、研究の結果、この内容は否定されています。
【御城印のご説明】
石濱神社は神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願で創建され、鎌倉時代以降は武家から篤い信仰を受け、江戸時代は東都の名所として知られました。「神明さん」と親しまれ、ご祭神は伊勢神宮と同じ天照大御神・豊受大御神です。『江戸名所図会』に描かれた境内の俯瞰図をデザインしました。
石浜城付近にあった渡しは、「隅田の渡し」、「橋場の渡し」と呼ばれていました。治承4年(1180年)、石橋山の戦いで平家軍に敗れた源頼朝は、安房国上陸後に鎌倉を目指して進軍しますが、その際にこの付近に浮橋を架けて渡ったとされ、これが「橋場」の地名伝承となっています。そのことから御城印は、隅田川を渡る頼朝の錦絵『江戸名所古跡伝』モチーフにしました。
千葉氏伝来の宝珠を祀った石濱神社内の真崎稲荷に関する故事、武運守護を宝珠に祈願する千葉胤直の姿を描いた『東京開化名勝之内 千葉介胤直石浜神明之古筆』をモチーフにしました。胤直は傍流の馬加康胤に攻められ戦死しましたが、甥の自胤、実胤が武蔵国に逃げ、自胤が石浜城に入ったことから、無念の死を遂げた胤直が一族の存続と繁栄を真崎稲荷の祭神に祈るという場面が錦絵に描かれたのかもしれません。あわせて千葉宗家及び、武蔵千葉氏の家紋を配置しました。
なお石浜城の御城印は、石濱神社職員の書家鈴木明空(めいくう)様にご揮毫いただきました。
販売場所
〇石濱神社
〒116-0003
東京都荒川区南千住3-28-58
TEL : 03-3801-6425
営業時間9:00-16:00
無休
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
〇ネット販売
・「しすいノいいモノ」
https://tsuku2.jp/shisuinomono
問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810
【中峠(なかびょう)城のご説明】千葉県我孫子市
中峠城は利根川と手賀沼に挟まれた標高20mほどの湖北台地に築かれました。南北西の3方向は急崖となっていて、東側のみが台地続きとなっています。別名「芝原城」ともいい、かつてこの地が芝原村という村だったことに因みます。周辺は開発によって崩されてしまったものの、現在は「古利根公園 自然観察の森」として一部が保存整備された公園になっていて、堀や土塁の痕跡が確認できます。
東側の台地上に「下根古屋」、西側の台地の下から法岩院にかけて「上根古屋」という地名が残っています。この「根古屋」という地名が残ることから、中峠城が戦国期に使用されていたことが推察されています。
『湖北村誌』によると、中峠城は千葉一族である河村氏の居城で、天文10年(1540年)に河村出羽守が古城を改修整備して「中峠城」と命名したとされています。詳細は不明ながらも、河村氏は主家の千葉氏を通して北条氏に属したと考えられ、同じく北条氏に属していた小金城(松戸市)の高城氏の支配下にあったとされています。天正18年(1590年)の小田原合戦で河村氏は小田原城に詰め、その留守中に中峠城が落ちたと伝わっています。
上根古屋地区にある法岩院は河村氏の菩提寺とされ、江戸時代に造立された河村一族の墓がいまもなお残っています。
【御城印のご説明】
中峠城の御城印には、城下を通る街道や地形が分かる地図をデザインしました。中峠城の北側直下は、旧利根川の名残りである古利根沼となっていて、この地が水運の要衝だったことがわかります。中峠城の東側に「海老宿」という宿地名があることから、城下に宿が形成されていたと思われ、まさにこの地は水陸交通の結節点にあたると推察されます。
中峠城からは、かわらけが10点出土しています。そのうち7点は、堀底に一群にかたまった状態で見つかっていて、残り3点は黒いシミが付いていたことから灯明皿として使用されていたと考えられています。中峠城では柱穴は見つかっておらず、居住性は認められませんでしたが、堀や土塁が現地で確認できることや、かわらけなどの遺物が出土していることから当時を偲ぶことができます。
さらに、河村氏の出自とされる千葉一族の家紋「九曜」と、小田原北条氏の家紋「三つ鱗」をモチーフにしました。
販売場所
〇アビシルベ
〒270-1151
千葉県我孫子市本町2丁目1番10号
TEL : 04-7100-0014
休館日: 年末年始(12月29日から翌1月3日)
営業時間: 9:00〜18:00
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
〇ネット販売
・「しすいノいいモノ」
https://tsuku2.jp/shisuinomono
問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 新規募集開始のツアーのお知らせ(2024.10.02)
- 産経新聞連載コラム「川越城」(2024.09.25)
- 埼玉県比企郡吉見町「松山城」御城印発行(2024.09.18)
- 金谷城テープカット(2024.09.22)
- 産経新聞連載コラム「中城」(2024.09.07)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 年忘れテクテク衣笠城イベント(2024.10.03)
- 新規募集開始のツアーのお知らせ(2024.10.02)
- 戦国列車ツアー・11月の1泊2日コース募集開始(2024.10.01)
- 多古城郭保存活用会・城開きイベント(2024.09.30)
- 産経新聞連載コラム「川越城」(2024.09.25)
「鎌倉殿の13人」カテゴリの記事
- 衣笠商店街「三浦一党武者行列」開催!(2024.05.05)
- 衣笠商店街「三浦一族企画展」(2023.09.03)
- 衣笠BASE《vol.4》日にち決定(2023.03.15)
- 砂町文化センター講座のお知らせ(2023.03.11)
- 逗子神武寺ツアーのモデルコース(2023.03.14)
「千葉一族」カテゴリの記事
- オンライン講座配信開始(2024.07.05)
- 千葉氏デジタルスタンプラリー&ツアーのお知らせ(2023.11.12)
- 多古町「志摩城」ムービー公開(2023.08.06)
- 野手城の御城印発行のお知らせ(2023.07.20)
- 東庄町「千葉一族 東氏ゆかりの城をめぐるツアー」申込開始(2023.05.11)
「御城印」カテゴリの記事
- 埼玉県比企郡吉見町「松山城」御城印発行(2024.09.18)
- 大寺城の御城印(2024.06.24)
- 埼玉県小川町「中城」御城印販売開始(2024.05.23)
- 匝瑳市「下富谷城」御城印発行(2024.04.24)
- 衣笠城特別御城印販売開始のお知らせ(2024.04.17)
コメント