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2022年10月20日 (木)

新作御城印のお知らせ・下小川城

今月も新しい御城印をデザインさせていただきました。
香取郡佐原市小見川の「下小川城」です✨

里見軍に対峙した小見川城粟飯原氏の家臣成毛氏が臨時に築いた城とされています。
寺を急場作りの城郭にした感じ。

Img_6148

下小川城の詳細はコチラ。
こちらの同封御城印説明文も書かせていただきましたー✨

【下小川(しもおがわ)城のご説明】
下小川城の詳細は不明ですが、小見川城主粟飯原氏の重臣成毛宗親の城と伝わります。現在、東光院血当寺が建っている場所が下小川城とされ、周辺には「堀之内」、「蔵屋敷」などの地名が残っており、周りを水田に囲まれた微高地となっています。

下小川城の北方約3kmには千葉一族粟飯原氏の小見川城があり、里見氏の侵攻を防ぐために、急遽、従前の寺院を改修して小見川城を守るために城郭として整えたと考えられています。

永禄3年(1560年)の上杉謙信(長尾景虎)の関東出陣に呼応し、里見軍の将である正木時忠が下総国に侵攻しました。正木氏は「橋向城」と呼ばれる陣城を現在の小見川中央小学校の場所に築き、小見川城を攻撃し、永禄9年(1566年)まで在城したと伝わります。その際に小見川城を守るため、里見軍の橋向城に対峙するように築かれたのが別名「川向城」と呼ばれる下小川城と考えられています。

血当寺は里見軍撤退後の永禄10年(1567年)に、城としての役目を終えた下小川城の跡地に成毛宗正が父宗親のために創建したと伝わります。

 

【御城印デザインのご説明】

下小川城の御城印には小見川城と里見軍正木氏の陣城「橋向城」、そして下小川城の位置関係がわかる地図をデザインしました。
あわせて、血当寺に残る「明応4年」(1495年)と読み取れる文字が記された貴重な頭部山形双塔板碑をモチーフにしました。頭部山形双頭板碑は下総地方特有のものといわれる大変貴重な板碑です。しかしながら、現地に残る板碑は摩耗が激しいため、御城印には復元イメージした板碑を描きました。そして、千葉宗家の家紋「月星」、千葉一族の家紋「九曜」、小見川城主粟飯原氏の家紋「三本竹」を配置しました。

 

販売情報はコチラ。10月22日(土)からの販売です。
※歴×トキでは通販は取り扱いません。

販売場所
〇道の駅水の郷さわら

千葉県香取市イ3981-2

電話0478-50-1183

営業時間 8時から18時 年中無休

 

〇寺嶋陶苑(てらじまとうえん)

千葉県香取市小見川268

電話0478-82-2322

営業時間 8時30分から18時30分 水曜日定休

 

〇まるごとしすい

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

ネット販売

〇しすいノいいモノ

https://tsuku2.jp/shisuinomono

問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810

 

                

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