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2023年3月18日 (土)

岡山県井原市 高越城&北条早雲ツアーレポ・前編

岡山県井原市で歴史ツアーをやらせていただきました。
テーマは「北条早雲」
メインスポットは「高越城」
これらを中心に丸一日、周辺の歴史や文化を楽しみました✨
(今は伊勢宗瑞という呼び方が主流になってきている早雲ですが、井原では「北条早雲」という通称に敬意を込めてよんでいるので、このブログも北条早雲で通します)


集合は井原鉄道の「早雲の里荏原駅」!
そのままズバリの駅名です。

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早雲は備中伊勢氏を出自とし、ここ井原(中世の荏原荘)で生まれたとも伝わっています。
高越城が備中伊勢氏の居城なので、高越城が早雲生誕の地ともいわれているのです。


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駅前では有名な武者姿の早雲肖像画をモチーフにした早雲像がお出迎えしてくれます✨
この武者姿の肖像画は今回ツアーでお参りさせていただく法泉寺さま所蔵。
武者姿の肖像画は今のところ1点しか確認されていないとても貴重なものなのです。
さすが備中伊勢氏の本拠地!


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駅前の案内所にはデニムの幟が!
日本綿布(株)さんが作ってくれたそうです。
かっこいー!!


当日は高越城顕彰会の皆さまも、おもてなししてくれました。
そして、なんと井原市長(大舌勲市長)も駆けつけてくれて、一緒に高越城にのぼってくれました✨
嬉しかったです。


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今回のツアー開催のきっかけは、井原市さんからお声かけいただいたこと。
そもそも、北条早雲のルーツである井原市さんからお声かけいただいたのは本当に光栄で。
早雲の偉業を伝える媒介役をやりたい!西と東の歴史を繋げたい!
と、連絡いただいた瞬間に思いました。
本当に有り難かったです。

三浦一族の本拠地で生まれ育った私にとっては、北条早雲は三浦一族を滅ぼした最大の敵!
…なんですけど、やはり早雲はスゴイ。
その存在と軌跡が、敵(笑)でありながらワクワクさせてくれる大好きな人物です。

今川家のお家騒動、小鹿範満の乱をきっかけに駿河国にやってくる早雲。
それには太田道灌の死も大きく関係してたと思われますし、西と東の歴史が早雲を通して多面的に見えてきますし、そこから三浦一族の滅亡へのカウントダウンも聞こえてくる気がします。

とにもかくにも、そんな早雲の生誕地ともいわれる荏原荘、
備中伊勢氏の居城高越城のお仕事をお声かけいただいたときの喜びったら♡

ということで、現地に入ってみたら…

まぁ、あるじゃないかあるじゃないか。
面白い歴史資源が!宝の山だー!

荏原荘は源平合戦で武功をあげた那須与一が恩賞として地頭職に任命された場所。
あの那須与一ですよ!それだけでスゴイ!
そのため、那須氏の歴史が井原市にはたくさん眠ってます。
那須氏の山城、寺、そのた梵鐘などの文化財。
那須一族テーマに何本かツアーできそう。いつかやりたい。


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那須氏の菩提寺「永禅寺」


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永禅寺にある那須一族のお墓


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実は、なんと、井原鉄道井原駅は那須与一をテーマにした駅舎となっています。
正面の尖ったのは矢をモチーフ。屋根は弓です。
そして、その正面には…


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じゃじゃーん!
扇の的です。しかも、扇の的の穴から弓矢を覗くと、的に突き刺さっているように見えるのです。
素敵な仕掛け。
ぜひ、穴から弓矢を覗いて、射られた感を楽しんでください笑


現地と打ち合わせをしたり、井原市の皆様、高越城顕彰会の皆様と下見をしたり、いろいろと教えていただいて。
ツアーに合わせて、御城印も作らせていただきました。
備中伊勢氏の菩提寺である法泉寺様にもとてもお世話になりました。
ご厚意で、江戸時代に書かれた有名な早雲の武者姿の絵図を御城印に使わせてくださいました。
さらに、早雲の禁制の花押もデザインとして使わせていただきました。
こちらは、早雲の初期の花押とされていて、関東では見ることができない貴重な花押です。
ありがたいことです。


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このように、井原の方々のたくさんのご協力を得て御城印発行&ツアーが開催されました。
そして、迎えたツアー当日。

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わーい、快晴。
最高の天気。まだ、3月上旬だというのに初夏のような20度超え。
汗ばむ陽気でしたが、楽しいウォーキングになりました。
取材にも来ていただきましたよ✨


今回のコースはコチラ。
早雲の里荏原駅⇒大岩刻⇒新九郎薬師⇒高越城⇒主郭で昼食(早雲弁当!)⇒山上山城⇒横畑城⇒刀工女国重⇒井原鉄道基地⇒法泉寺⇒井原デニム⇒早雲の里荏原駅

もりだくさんの一日。
あっというまに帰る時間になりました。
まずはツアー第1弾が終了。
ここから、井原市に眠る山城などの色んな歴史資源をツアーやったり、御城印出したり、学生達にお話したり…など。
いろいろと繋がると良いなと思います。

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思い出しても本当に楽しかった。
まだ余韻に浸ってる✨


では、ツアーレポSTART!
まず最初は、(だいがんこく)へ。
大岩刻は、正徳5年(1715年)に大岩に刻まれた碑文です。

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早雲が亡くなったのは1519年ですが、地元では早雲の200回忌の法要のために1715年に刻まれた銘文と伝わっています。
銘文には「普早雲寺殿天岳瑞公大居士墳」と書かれています。
法要を行って岩に銘文を刻んだのは、備中伊勢氏の家臣平井氏とされています。
ちなみに、この大岩があるのは平井氏の居館があったと伝わるエリアです。

早雲が亡くなって200年ほどしても、このような法要がされたということがこの地域の歴史を物語っていますね。

早雲の家臣としては、平井氏、笠原氏、井上氏が最古参だと考えられています。
その中でも平井氏は最後の備中伊勢氏当主を養子にしているので、家臣団の中でも別格だったのかもしれません。
さらに面白いのは、大岩刻の下に「道了尊」が祀られていること。


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道了尊は、最乗寺(神奈川県南足柄市)ゆかりの信仰。
最乗寺の僧であった道了は、山と寺と教えを守るため、山に入り天狗になったと伝わっています。

そして、北条早雲が小田原に入ると最乗寺をとても大事にし、以降も小田原北条氏が厚く帰依したと伝わっています。
その最乗寺ゆかりの道了尊がここ高越城の麓、平井氏の居館跡の伝承エリアに祀られているのです。

と、いうことは…。
この周辺を領地としていた平井氏と最乗寺の関係が感じられますし、江戸時代になっても井原市の平井氏と小田原の最乗寺が早雲を通して繋がっていたということが推測できますね。
家臣一族の中でも井原に残った者と付いていった者と。
そして、小田原まで付いていった平井氏をはじめとする家臣達もずっと井原と繋がっていたんですね。
ロマンですね。



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大岩刻を下から見るとこんな感じ。
大岩刻は花崗岩の岩山に刻まれています。切り立った岩盤の山。

古くからの信仰の山、ご神体のような雰囲気の残る山です。古くは修験の山だったのかもしれません。


大岩刻の麓の平井氏の屋敷があったと伝わっている谷は、とてもイイ感じの根古屋風景が残っています。
平井氏の墓所もあり、そこには伊勢盛時(北条早雲)とその父盛定の墓と伝わる石塔が建てられています。
盛時神社なるものも祀られていて、まさに重臣平井氏の存在を感じられます。
現地に行かないと分からない感動を味わえました✨

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このあたりが平井氏の居館があったと伝わるとこ。
雰囲気よくて、歴史を想像するのが楽しい景色でした。


お次は新九郎薬師へ。
新九郎薬師は高越城の東麓に安置されている薬師如来さまです。
通常非公開ですが、ツアーでは特別にご開帳いただきました。
やったー。

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伝承では、あるとき故郷の井原に戻った早雲がこの薬師如来を祀ったと地元には伝わっています。
背中に「祈願主新九郎」と刻まれていて、江戸時代の修復のときに刻まれたと思われています。
薬師如来像はその造形から平安時代後期から鎌倉時代のものと指摘されていて、早雲の時代ではないですが、江戸時代にこの地域がこの薬師如来に早雲の伝承を仮託する地域だったということがとても面白いと思います。
江戸時代になっても、この高越城の麓には早雲の存在が深く刻まれていたのですね。


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ちなみに高越城の東麓は「神代(こうじろ)」という地名です。ここには早雲の最古参家臣「笠原氏」が屋敷を構えていたと伝わり、いまでも笠原氏屋敷の土塁と伝わる御土居などが残ります。
笠原氏は早雲とともに東に向かい、最後は小机城(横浜市)の城主になりました。
今でも横浜市に御子孫がお住まいです。小机城の近くにある笠原氏の菩提寺雲松院は、もとは早雲の菩提御弔うために笠原氏が創建したとされています。
井原と横浜が歴史で繋がりました。感動~✨

高越城に登る前にもたくさんの発見と感動が!
さて、いよいよ登城開始です。

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がしかし、長くなったのでこのへんで。
次回は高越城からのツアー後編をお届けします✨
お楽しみに!




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