大友城&安戸城の御城印発行
新しい御城印が発行されます。
記念すべき千葉県101城目は「大友城」です!千葉県香取郡東庄町。
この城は私もとても思い入れがあります。歴史的にも千葉県101城目に相応しいです✨
大友城は坂東武士の大元ともいえる平良文の居館跡とも伝わります。
この付近には、良文の伝承がたくさん残り、大友城じゃなくともこの付近にいたと考えられています。
平良文は大庭氏、梶原氏、長尾氏などの鎌倉党、三浦氏、和田氏、佐原氏などの三浦党、中村氏、土肥氏、土屋氏などの中村党、河越氏、畠山氏などの秩父党、さらには千葉氏、上総氏などの両総平氏の元になった人物!
まさに坂東武士の祖!!
しかもそれだけではないのです。
この城は、平忠常の居館とも伝わります。
平忠常は、1028年に「平忠常の乱」と呼ばれる乱を起こします。
これにより、都から平直方、次いで源頼信という追討軍が送られます。
このときに、平直方が本営を置いたのが鎌倉でした。
乱は程なく鎮圧されますが、このときに本営とした地が源頼信に譲られ、源氏代々の鎌倉屋敷になっていくのです。
現在の寿福寺の場所。
ということで、源頼朝が鎌倉を幕府の地とした理由が、この平忠常の乱にあるわけです。
大友城は鎌倉が武家の都になるキッカケの城なんですね。
101城目にますます相応しい♡
もうひとつの安戸城は埼玉県秩父郡東秩父村。
こちらは、古くは武蔵七党丹党の大河原氏の城と伝わります。大河原氏が没落すると武蔵七党の西党である上田氏が入ったとされます。安戸エリアは戦国時代には上田氏の本拠として菩提寺や館が置かれたと思われます。
ちなみにこの上田氏は武蔵松山城主で、そこを拠点に勢力を広げました。
扇谷上杉氏に仕え、その後は小田原北条氏に仕えました。
横浜の権現山城もこの上田氏の城です。
そんなこんなで、今回も歴史深く素敵な城を紹介できて嬉しいです。幸せ♡
では、以下にお城の紹介や御城印情報を記しますのでご覧ください✨
両方とも5月27日(土)の販売開始です。
【大友城のご説明】千葉県香取郡東庄町
大友城は椿の海の最北端に位置する半島状に突き出た標高約50mの舌状台地に築かれました。城域は東西約100m、南北約300mに及ぶとされ、「政所台」「遠所台」という字名が残っています。政所台は二の丸、遠所台は主郭にあたるとされていて、地形を活かした連郭式の構造になっています。
大友城は、古くは長元元年(1028年)に朝廷に対する反乱(平忠常の乱)を起こした平忠常の館跡とも伝わっていますが、今に残る遺構は戦国時代のものと思われます。
このように築城についての詳細は不明ですが、立地的に考えると、東氏や海上氏など千葉一族に関連する城館だと推察されます。城域の大部分は畑になっているものの、わずかながらも土塁、空堀、腰曲輪などが残っています。字名として「鍛冶屋敷」「旗口」「兵岬」など、城と関連が想像される地名も残っています。
【御城印のデザインご説明】
『香取郡誌』によると、大友城は平良文の居城と伝わっています。平良文は桓武平氏良文流の祖とされ、千葉一族、三浦一族など坂東を代表する氏族を輩出しました。
また、『今昔物語集』には平忠常の乱の平定のため、源頼信が忠常の居館に向かう際の記述があります。それによると、頼信が鹿島神宮から南下して利根川の北岸に至ったところで、「忠常の居館は内海に入った場所にある」と記されています。この記述により、平忠常の居館は大友城と考えられています。
大友城が平忠常の居館という伝承に基づき、大友城の御城印には平家の家紋を入れました。あわせて、忠常の乱を平定した源頼信に因み、源氏の家紋をデザインしました。
そして、江戸時代に描かれた平忠常の乱を題材にした『源頼信 平忠常 大椎城水攻之図(歌川貞秀)』をモチーフにしました。忠常の生きた平安時代とは、時代の合わない天守閣などが描かれているものの、城の周りは海になっています。椿の海に面して築かれ、水上交通の押さえの役目を担っていたと推察される大友城の特性を描いていて、大変貴重な絵だと思われます。なお、絵の表題は「大椎城」になっていますが、近年では平忠常の本拠は大友城の可能性が高くなっているため、この絵をモチーフにしました。
あわせて、大友城は戦国時代には千葉一族に関する城として使われていたと考えられることから、千葉一族の家紋「九曜」を配置しました。
なお、東庄町発行すべての御城印は、日本のみならず海外でご活躍の英国王立美術協会の名誉会員でもある岩井颯雪様にご揮毫いただきました。
販売場所
○東庄町役場
千葉県香取郡東庄町笹川い4713-131
0478-86-6075(東庄町観光協会事務局)
○東庄町観光会館
千葉県香取郡東庄町笹川い580-1
0478-86-6075(東庄町観光協会事務局)
○まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
安戸城は槻川とかつての安戸宿を眼下に見下ろす、標高約240mの丘陵に築かれました。現在は山頂に城山権現が祀られています。安戸宿は東から西に向かって谷が入り込み、谷間には菅谷・小川方面から寄居・皆野方面に向かう街道が通り、宿場が形成されました。その谷の入口に当たる場所に安戸城があります。城山の山頂が主郭にあたり、その周囲に小規模な曲輪が築かれ、主郭の東と北には堀切が見て取れます。
『新編武蔵国風土記稿』には、大河原氏の居城として紹介されています。現在の東秩父村一帯は戦国期の史料によると、「大河原谷」と呼ばれているとされ、大河原氏はこの地域の在地の豪族と考えられています。
また、『関八州古戦録』には、「扇谷上杉氏の家臣安戸城主上田左衛門太夫」という記述がありますが、現在「腰越城」と呼ばれている城のことをかつて「安戸城」と呼んでいたことがあったといい、『関八州古戦録』に書かれた上田氏が城主だった安戸城は、現在の腰越城にあたるとも指摘されています。
しかし、現在、安戸谷奥には上田氏の菩提寺浄蓮寺があり、周辺には「御堂」の字名が残ることからも、この地域が上田氏にとって大事な場所であったことが分かります。安戸城の詳細は不明ながらも、この安戸の地が腰越城の退路として機能していた重要なエリアだったことが推察できます。
【御城印のデザインご説明】
大河原氏については詳細不明なものの、出自は武蔵七党丹党とされています。古くから大河原氏が開拓し、現在の浄蓮寺の場所に居館を構えていたとも伝えられています。そのことから、安戸城の御城印には丹党嫡流の家紋「三つ星」を配置しました。あわせて、戦国期に武蔵松山城主としてこの地域を領した上田氏の主筋にあたる扇谷上杉氏と、扇谷上杉氏滅亡後に上田氏が仕えた北条氏の家紋を配置しました。
安戸谷(かつての大河原谷)は古くから水陸交通が発展していたと思われ、地域の要衝でした。そのため、大河原氏の本拠となり、その後、上田氏の菩提寺も置かれました。御城印には、地形が分かる地図と縄張図をデザインしました。
また、東秩父村は小川町と共に国の重要無形文化財に指定されている伝統的な手漉き和紙「細川紙」の産地でもあります。細川紙は貴重な国内産楮(こうぞ)を使用した和紙です。御城印には細川紙の象徴である楮をモチーフにしました。
〒355-0328
埼玉県比企郡小川町大塚33-1
おいでなせえ小川町駅前店
電話0493-59-6988
営業時間10:00-18:00
定休日なし
ネット販売
おいでなせぇ
https://hiki-gojouin.stores.jp
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