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2023年6月 7日 (水)

東秩父村&小川町の歴史ツアーレポ

東秩父村&小川町でツアー✨
今回は安戸城の御城印発行記念ツアーで、安戸城をふくめた歴史巡りツアーです。
ちなみに安戸城は小川町のお隣の東秩父村、主催の「おいでなせえ」は小川町の会社です。
おいでなせえは、地域の観光資源を活かして地域を活性化させる取り組みを行っています。
なので、自治体またぎで色々と面白い企画ができるのです。
廃校の活用事業なども行っていて、ますます小川町が面白くなりそうな予感✨

東武東上線の小川町駅に集合したらバスでGO!
まずは安戸城に向かいました。

安戸城は技巧的な山城というような城ではないのですが、中世の薫りがプンプンとする場所です。
安戸は古くは武蔵七党丹党の大河原氏の本拠だったと伝わります。
今は「安戸」といいますが、中世は「大河原谷」という名前で呼ばれていたそう。

15世紀初頭まで大河原氏がここを本拠としていたようです。
応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱の後に、禅秀方についた丹党主家中村氏が衰退すると、大河原氏も安戸周辺から存在が消えていきます。しかし、大河原氏が創建したとされる浄蓮寺が今も残り、その歴史を伝えてくれます。

大河原氏の館があったのが現在の浄連寺ともいわれています。
周辺には「御堂」「宿」「在家」など、中世からこの谷に街道が通り、宿が形成され、大河原氏の寺院などの宗教施設があったことが偲ばれます。

戦国期になると安戸は、比企郡に勢力を広げ松山城を居城とした上田氏が領します。
そして、上田朝直は浄蓮寺に厚く帰依し、大檀那となりました。以降、浄蓮寺は上田氏の菩提寺として存続し、それを受けて安戸谷は上田氏にとって重要な地域となっていったのです。


城だけじゃなくて地域を巡るととても楽しいところ。

このかつての大河原谷、現在の安戸谷の入口に築かれたのが安戸城です。
谷を守るため、街道を見張るため、さらには街道と並行して流れる槻川を見張るための施設だったのでしょうか。

安戸城はここから登ります。

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結構急傾斜!頑張って登ります。
安戸城は頂上の主郭の周辺に腰曲輪や堀切が巡らされていて、コンパクトながら山城の遺構が楽しめます。
麓には街道が走り、さらに尾根伝いに腰越城方面などへ山間部の道が延びています。
安戸(かつての大河原谷)にとって大事な場所であることが分かります。
谷の歴史を想像すると楽しいですね♪

ちなみに『関八州古戦録』には、安戸城の名前が登場しますがそれには「扇谷上杉氏の家臣安戸城主上田左衛門太夫」と書かれています。しかしながら、現在「腰越城」と呼ばれている城のことをかつて「安戸城」と呼んでいたといいます。
かつては、いまの安戸が大河原で、いまの腰越が安戸だったのです。ややこしいー!
ということで、『関八州古戦録』に書かれた上田氏が城主だったとする安戸城は、現在の腰越城にあたると思われています。
では、安戸城を下山して浄蓮寺に向かいます。さらに谷の奥へ!


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向かい途中の大通り沿いに板碑がそびえ立っています!
車だと気づかないかも。歩いてると笑っちゃうくらいの光景。
天正17年(1589年)に上田氏が家族の弔いのために造立した供養碑「千部供養板碑」です。



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裏に回ると、美しい板碑!
全然さっきのと違う。惚れ惚れ。
梵字の薬研彫りの美しさよ♡
なんと、「建武」って書いてあるー!
すごーい。感動します。
眼福眼福✨



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ちょっと歩くとまたコレ♡
「3歩歩けば板碑にあたる」というのが過言でないほどに、板碑がたくさん!
楽しすぎます。気づけば写真が板碑だらけ笑
建治2年(1276年)ですってよ!




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そして浄連寺に到着。
ご住職がお話してくださいました。

浄連寺は大河原氏が日蓮の弟子日朗を開山として創建したとされます。
戦国時代には武蔵松山城主上田氏が厚く帰依し、菩提寺としました。



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上田氏の墓所が境内に残ります。
浄連寺をあとにして、東秩父和紙の里へ。




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おぉ!大歓迎してくださってる-!
わーい。



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お昼ご飯の前に和紙すき体験を✨
ここで生産される和紙は「細川紙」とよばれます。
細川紙は秩父郡東秩父村と比企郡小川町で伝承されている伝統的な手漉き和紙です。
国の重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

宝亀5年(744年)の正倉院文書に武蔵紙の記録が見られることから、この地域の和紙生産がその頃から行われていたと考えられています。中世期の和紙については不明ですが、江戸時代になると、「大河原紙」「小川紙」と呼ばれ、さらに江戸時代中頃には「細川紙」の名称が登場しました。
「細川」というのは、細川村(現在の和歌山県髙野町)で漉かれていた丈夫な和紙の名前です。上質な和紙は、「細川紙」と称されるようになり、東秩父村の和紙も「細川」という名で生産され、
江戸へ出荷されました。
これにより、この地域は和紙の一大産地として発展したのです。




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お昼ご飯をいただいて、




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公園エリアを散策して、


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和紙の里にお越しの際には敷地内の歴史館にも立ち寄ってください。
ここには刀の複製展示があります。
大河原氏が「秩父大菩薩」の銘を彫らせた短刀(後に上杉謙信所有となったとされる)や、大河原氏が播磨国に領地をもらって広峯神社(姫路市)に奉納した太刀の複製が大河原氏出自のここに納められています。歴史ロマン感じますね✨

盛りだくさんの午前中が終わり、美味しいお昼をいただいたら午後も楽しく出陣!

中城に向かいます。




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中城到着!
櫓台が見事!
今はお堂が建っています。


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中城は八幡台と呼ばれる台地の突端に築かれました。
中城の築城に関する詳細は不明ですが、地元の伝承では鎌倉時代には猿尾(ましお)太郎種直の城だったと伝わります。
建武年間(1334年~1336年)には斎藤六郎左衛門尉重範の城だったとも伝わりますが、現地に残る城郭遺構は明らかに戦国時代の姿ですね。
主郭の周囲には二重土塁を巡らせています。
折れをともなう堀と土塁は見事です。




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中城は、『太田道灌状(文明6年・1474年)』に書かれた「上田上野介在郷の地小河」として登場する上田上野介の居城の可能性が高いとも考えられています。
比定されるかはともかくとして、「小河(小河)」という場所が15世紀、16世紀に重要な地域だったことがよく分かりますね。


中城は仙覚律師ゆかりの地でもあります。
仙覚律師は鎌倉時代初期の天台宗の僧です。

『万葉集』の研究に大きな功績を残しました。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の命により、万葉集諸本を集め、再校正しました。
後嵯峨上皇にこれを奏上しました。

晩年は比企郡麻師宇(ましお)郷に住んでいたようです。
麻師宇⇒猿尾⇒増尾
字の変遷はありますが、中城の周辺が「ましお」なので、仙覚律師ゆかりの地とされ、石碑が建てられています。



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お次は大梅寺へ。
大梅寺は仁治3年(1242年)に、猿尾氏が都幾川村の霊山院(慈光寺系)の栄朝禅師を招いて開いたとされます。
鎌倉幕府滅亡の際、将軍守邦親王が当地に下向し病没したといい、大梅寺で葬ったという伝承が残ります。
その後、永禄4年(1561年)の兵火で寺院が焼失。江戸時代の初期に再建されたといいます。



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緑泥片岩の石積みが素敵✨
そしてそして、とっておきの板碑も!





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じゃん!!

境内には珍しい2連の板碑が残っています。県内に12基あるうちの1基です。板碑には暦応4年(1341年)の銘が
あり、夫婦の供養塔ですが、誰を供養したものかは不明です。

さらに面白いのは、これ転用されているんです。
裏には江戸時代に供養塔として使われた跡が!
当時の宗教的なあり方の一端が垣間見えて面白い。

ほかにも室町時代の卵塔なと、貴重な石造物が残っています。


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クライマックスの八幡神社と古墳へ。
鶴岡八幡宮を勧請した神社です。創建詳細については諸説あります。

・鎌倉街道が近くを通っているため、頼朝が立ち寄った際に勧請した

・在地の武家猿尾氏が頼朝に忠誠を誓うために勧請した

・鎌倉幕府滅亡の際に、守邦親王がこの地に逃れてきて、匿った猿尾氏が親王のために勧請した

諸説あるものの、この地が鎌倉と密接だったことが偲ばれる伝説といえます。




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境内には鳩が狛犬のように並んでます。
座っている鳩と、立っている鳩と。
口を開けてるのと、閉じているのとおなじように対比されています。
ここが古くから、鎌倉八幡宮と近しいという記憶が土地に残っていたかがわかる面白い鳩の石造物だと思います。




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最後は、八幡神社の脇の穴八幡古墳へ。
7世紀に築かれた古墳時代後期の方墳です。周囲には2重に周堀が巡っていて、県内最大級の方墳です
緑泥石片岩など結晶片岩の一枚石を組み合わせて造られていて、内部は前室と後室の2室に分かれています。
この古墳に葬られた人については、全くわかりませんが、かなりの権力を持っていたと推測されます。




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現地に残る周溝の跡。




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緑泥片岩の石室♡
穴八幡古墳でツアー終了です。
バスで小川町駅に戻り、解散となりました。



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小川町駅前には「おいでなせえ小川町駅前店」があります。
店内には地元出版社から発行されている書籍や御城印もあります。

是非お立ち寄りください。



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地形を感じて欲しくて、アップダウンを敢えて繰り返し、バスツアーなのに2万歩以上歩きました
心地よい疲れでした^_^

おいでなせえ駅前店には地元の名産がずらり。

特にお酒がたくさん♡
たくさん歩いて喉が渇いたのでビールを。
楽しい一日でした♪

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