今月の新しい御城印は「山田城」です。
2月24日(土)から販売開始♪
山田城は埼玉県滑川町にあるお城です。
森林公園の敷地の中にあります。
森林公園は、そもそも敷地内に鎌倉街道が通り、もうひとつの山崎城も敷地内にあるというとても面白いスポットです。
ぜひ、森林公園で自然を楽しみながらお城と歴史も楽しんで下さい。
山田城の説明と販売情報は以下をご覧下さい✨
【山田城のご説明】埼玉県比企郡滑川町
山田城は荒川の南側の丘陵上に築かれ、現在は国営武蔵丘陵森林公園内に遺構が良好に残っています。北方から南方に張り出した台地の突端に位置し、東西には谷が入り込み、周囲は湿地となっていたと考えられます。
山田城の築城等に関する詳細は不明なものの、長方形の区画を囲む土塁、空堀、虎口などが良好に残り、戦国時代の城館がその姿をとどめています。曲輪内部には部分的に土塁と空堀が残っており、このことから複数の区画に仕切られていたことが推察されます。しかし、曲輪内の堀は中途半端な状態で造成が終わっていて、さらに曲輪の平坦面はしっかり水平に造成されておらず、傾斜しています。このことから、未完成の城、もしくは一時的に使用された陣城とも考えられています。いずれにせよ、山田城が築かれた丘陵上には鎌倉街道(伝承)が通っていたとされるため、街道の押さえ、見張りの役目を担っていたと思われます。
山田城の詳細は不明なものの、土地の伝承では贄田摂津守、小高大和守父子らが城主だったと伝わっています。贄田氏、小高氏はともに忍の成田氏の家臣だったとされ、贄田氏は山田城の築かれた「山田」、小高氏は山田の西側に隣接する「福田」がそれぞれの領地と考えられています。
贄田、小高の両氏は、忍の成田氏の家臣であることから、永禄3年(1560年)の上杉謙信(長尾景虎)の小田原城攻めの際には上杉方として参陣したと推測されます。
また、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原の役の際には、碓氷峠を越えて関東に進軍してきた前田利家の軍勢によって落城したとも伝わります。
【御城印デザインのご説明】
山田城が築かれた丘陵上には鎌倉街道(伝承)が通り、街道を押さえる役目を持っていたと考えられることから、御城印には山田城下を行き交う軍勢を描きました。また、同じ国営武蔵丘陵森林公園の敷地内北側には、土塁と空堀で囲まれた山崎城があります。さらに、谷を挟んで東側には谷城があります。交通の要衝地のため、時代や用途に応じて複数の城が密集して築かれたのだと思われます。
また、築城等の詳細は不明なものの、国営武蔵丘陵森林公園の整備により、良好な遺構が確認できる山田城の御城印には縄張図をモチーフにしました。
販売場所は「武蔵丘陵森林公園」のエントランス売店です。
開園時間などはHPをご覧下さい。
国営武蔵丘陵森林公園 | 全国で初めての国営公園 (shinrinkoen.jp)
入園料不要でお求めいただけます。
南口改札にて販売してます。
ただし、山田城をまだ見学したことない方はぜひ入園いただき、城もお楽しみ下さい✨
※5月か6月あたりにツアーやろうとおもいます(-o-)/