御城印販売のお知らせ「横須賀城」
デザインさせていただいた御城印が新たに販売開始になったのでお知らせさせていただきます。
千葉県匝瑳市の横須賀城です。
私がシティ・アンバサダーをさせていただいている匝瑳市はお城がたくさんあります。
今回の城は、名前の通り、横に広がった砂州を利用して築かれた城です✨
九十九里浜に面した浜堤上に、微高地を上手く使って築かれました。
近くでは何度も戦いが起きていて、緊迫したエリアです。
戦国時代には里見氏の配下の正木氏が攻めてくる大変な状況に置かれました。
御城印の説明と販売情報は以下をご覧下さい。
【横須賀城のご説明】
横須賀城は、九十九里浜から約6km内陸に入った横須賀に築かれました。横須賀城の南東約4kmには野手城、また北約3kmには八日市場城があります。
九十九里浜一帯は約6000年前の縄文海進が終わると、海岸線が徐々に後退していったため、太平洋に面して数列の浜堤が形成されました。浜堤と浜堤の間は低地のために湿地化し、沼沢地や潟湖となりました。横須賀城は、八日市場城の築かれた台地から数えると、3列目にあたる浜堤の上に築かれています。周辺が低湿地化した浜堤といった地形的特色を活かした防御性の高い城といえます。
また、周辺の沼沢地は要害性が優れただけではなく、水路としても使われました。八日市場城や近隣の城との間で、舟運で連携が取れ、輸送が行えるという利便性もあったものと推察できます。
横須賀城の詳細は不明なものの、八日市場城主押田氏の後裔に伝わる『押田家譜注記』には、「下総国八日市場同州横須賀城主」という肩書きが付けられていることなどから、横須賀城は押田氏の城だったと考えられています。
天文4年(1535年)、古河公方足利晴氏と小弓公方足利義明の対立に端を発した「野手合戦」が起きました。小弓公方方の八日市場城主押田氏が古河公方についた野手氏の居城野手城に攻め寄せ、野手氏当主義長と子義治らが討ち死にしたとされます。この戦いの際に、横須賀城がどのような状況だったかは不明ですが、戦国時代にこの地域が緊迫した状況に包まれていたことが想像できます。野手合戦後、野手城は押田氏の城となり、八日市場城周辺は押田氏によって掌握されました。横須賀城は八日市場城、野手城と連携して機能していたと考えられます。
城跡は現在集落になっていて、遺構等は明確に残っていないものの、「戸城(外城)」の字名が残り、地元には「向城」「コヅメ(小詰か?)」という城郭を連想させる呼び名も残ります。また、西側の長徳寺周辺には土手や水路が残っていて、当時の堀、土塁だと考えられています。
【御城印デザインのご説明】
城郭遺構があまり残っていない横須賀城ですが、江戸時代に描かれた絵図面には、「コヅメ」を取り囲むように堀が巡らされている様子が描かれています。また、長徳寺の西側には「鐘ヶ淵」と呼ばれる沼があり、湿地帯に囲まれた微高地の様子が見て取れます。御城印はその絵図面をモチーフにするとともに、周囲の関連する城である八日市場城、野手城との位置関係が分かる地図をデザインしました。あわせて、押田氏の家紋「九曜」をモチーフにしました。
〇そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時
年中無休
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)