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2024年6月24日 (月)

大寺城の御城印

6月29日に千葉県匝瑳市の大寺城の御城印が新発売です。
今回もデザインと同封説明文を書かせていただきました。
古代寺院があったので、「大寺」という地名が残る場所。
古代寺院から、律令制の時代に繁栄していた地域です。
近くには墨書土器がでる台地もあったりして、歴史深く楽しい城です✨
御城印の詳細と販売情報は以下をご覧下さい♪

20240623-232316

【大寺城のご説明】千葉県匝瑳市

大寺城は江戸時代初期まで存在した椿の海の西側の台地上に築かれました。大寺城は、現在の日蓮宗長福寺一帯が城域と考えられています。大寺から台地を下れば、中世の水上交通の要所である借当川沿いにあたり、また大寺はこの地域の街道が集まる要所であることから、水陸両方の交通が発達していた場所だと考えられます。大寺の中心を通る下総道は、中世において重要な街道であり、戦国期には軍用道路としても使われたと考えられています。

弘治三年(1557年)、森山城の城主であった千葉胤富が千葉家当主となり本佐倉城に移ります。胤富は本佐倉城に入ってからも森山城を重要視し、戦争の際には「森山衆」として森山城の兵力を主力としました。森山城と本佐倉城への行き来に、この大寺を通る下総道が使われたと思われます。まさに、戦国期に軍事用道路であった下総道は最重要ルートのひとつであり、このような理由から街道の整備が進んだと考えられます。

また文禄4年(1595年)には、江戸城に岡飯田(森山)から蜜柑が伝馬によって運ばれたことがわかっています。経路は岡飯田、府馬、鏑木、大寺というルートを通り、江戸に向かったことが分かっており、このことから大寺が江戸ともつながる重要な街道における要所的宿場であったことがわかります。

大寺には現在も、下総道に沿うように「横宿」「上宿」などの宿地名が残るとともに、中世期に構築されたと思われる鍵型の折れ筋も明瞭に残っています。まさに大寺は中世期の街道と城郭との関係を見て取ることができる貴重な場所であり、大寺城はこのような重要な街道を押さえる役目を担っていたと考えられます。

現在の長福寺の西側には「要害」の地名が残ることから、長福寺から西にかけて、城域が広がっていたと推察され、長福寺の寺域の中にも一部土塁が残るとともに、西側の台地には櫓台や堀切状の窪みが確認できます。

大寺城の詳細は不明ですが、この地域は匝瑳郡「北条庄」にあたり、北条庄の地頭は千葉一族飯高氏でした。そのため、ここ大寺も飯高氏に繋がる勢力がいたと考えられます。また、大寺城の西約3kmの距離には、飯高城があります。飯高城は戦国時代に平山氏の居城でした。このことから、大寺城も飯高城と連携して機能する戦国時代の城だった可能性もあります。

 

【御城印のご説明】

大寺城が築かれた大寺には、「大寺廃寺」と呼ばれる古代寺院がかつてあり、その大寺廃寺を前身とするのが現在の龍尾寺です。この寺が地名の由来になっています。このことから、大寺地区が古代から発展した地であり、地域の中でも重要な場所だったことがわかります。そのため、中世には城が築かれました。大寺は古代のみならず、時代を通して要衝地であり続けました。

江戸時代にも、大寺には幹線道路が通り、いくつもの道が交差する要所だった大寺城の御城印には、戦国時代に描かれたと推測される「下総之国図」をデザインしました。この図により、大寺の重要性がよく分かります。

そして、大寺を通り、輸送されていた蜜柑をデザインしました。この当時の蜜柑は、今と違って小ぶりで酸味が強かったようですが、甘い物が貴重な当時においては高級品であり、大名間での贈答品として多用されたようです。下総は日本有数の蜜柑の産地であり、その輸送を担ったのが大寺を通る街道であり、まさに蜜柑は大寺の重要性を物語る象徴的アイテムといえます。千葉一族の九曜紋も、蜜柑カラーでデザインしました。

 

販売場所

〇そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)

千葉県匝瑳市八日市場イ137-1

電話番号 0479-73-5015

営業時間9時から18時

年中無休


○まるごとしすい

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

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