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2025年10月 2日 (木)

新規御城印「関宿城」「高越城」

新しく高越城御城印金箔バージョンと、関宿城御城印金箔バージョンが販売開始になりますのでお知らせします。

岡山県井原市『高越城』

高越城は標高約170mの高越山に築かれ、南側には旧山陽道と小田川を一望できる水陸交通の要衝地です。また、笠岡方面から北上する街道と旧山陽道が合流する地点も高越城から確認することができ、さらに東は矢掛方面、西は高屋方面を望むことができます。

高越城は主郭から伸びる尾根上に曲輪が配置され、現地には数段の平場、石組みの井戸、堀切などの城郭遺構が良好に残っています。さらに、南西側の尾根上に山上山城、南東側の尾根上に横畑城が築かれ、それらは高越城の出城だったと伝わっています。
高越城の築城等に関する詳細は不明ですが、元寇襲来に備えて宇都宮貞綱が九州に向かう際、山陽道の抑えとして築いたと伝わります。

その後、南北朝期には高越城、もしくは高越城の周辺で戦いがあったことが史料で確認されており、また、正平6年(1351年)の史料には「於備中國荏原高越城」と書かれていることから、この頃には何らかの施設が築かれていたと推察されます。

『備中誌』によると、享徳2年(1453年)には室町幕府の政所執事家の庶流にあたる伊勢新左衛門が高越城を居城としていたとされ、それ以降も備中伊勢氏の居城であったと考えられています。また、戦国時代を代表する武将である北条早雲(伊勢新九郎盛時/宗瑞)は備中伊勢氏を出自とするとされ、高越城で生まれ育ったとも伝わります。周辺には「新九郎薬師」「大岩刻」など盛時ゆかりの遺跡が多数残ります。

備中伊勢氏は永禄年間(1558-1570)には毛利方として尼子氏との戦いに出陣していることが確認されており、永禄9年(1566年)には当主伊勢又五郎が尼子攻めに従軍し討ち死にしたと伝わります。
その後、備中伊勢氏が絶家すると、元亀2年(1571年)には高越城は毛利方の城となっていたことが史料上で確認できます。この頃は宇喜多領である備前方面へ兵を進める際の駐屯地として機能していたと考えられています。

【御城印デザインのご説明】
高越城で生まれ育ったとされる北条早雲は、8代将軍足利義政の弟義視に仕え、その後は9代将軍義尚の奉公衆となりました。そして、駿河国守護今川家のお家騒動を収束させるなどの活躍をし、さらには伊豆国や相模国を手中に収めるほどの勢力へと発展しました。早雲以降5代に渡り、関東に覇権を打ち立てたのです。

御城印には備中伊勢氏の菩提寺である法泉寺に伝わる備中伊勢氏の家紋「正三角形の三つ鱗」と、法泉寺に残る早雲の肖像画をモチーフにデザインしました。法泉寺は早雲の父盛定が創建し、早雲は法泉寺の開山和尚である古㵎仁泉和尚から学問や兵法、儀礼儀式等の教養を学んだとされています。なお、早雲を祖とする小田原北条氏の家紋は「二等辺三角形の三つ鱗」が使われています。

また、法泉寺には早雲が文明3年(1471年)に発給した禁制が残っています。その禁制に残る花押は関東で見る早雲の花押とは違うことから、早雲青年期の井原時代のものと思われます。早雲の歴史を語るにおいて大変貴重な史料であるといえ、御城印にはその花押をデザインしました。


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【高越城金箔御城印販売情報】
10月11日(土)販売開始:700円

 ①井原市観光案内所(井原駅構内)
井原市七日市町944-5
0866-65-0505
定休日:年末年始(12/29~1/3)
営業時間:9:00~17:00

  ②井原市文化財センター「古代まほろば館」
井原市井原町333-1
0866-63-314)
定休日:月曜日(月曜日が祝日等の場合はその翌日)、年末年始(12/29~1/3)
営業時間:9:00~16:30


  ③井原市地場産業振興センター2階(井原市観光協会事務局)
井原市七日市町10
0866-62-8850
定休日:土・日曜日・祝日、年末年始(12/29~1/3)
営業時間:8:30~17:15



千葉県野田市『関宿城』

関東平野の中心に位置し、多くの川が交差する関宿は、中近世を通じて水運の要衝として重視されていました。関宿城は、長禄元年(1457年)、古河公方の有力家臣であった簗田氏により築かれたと伝わります。
簗田氏は古河公方の外戚であり、筆頭家臣でもありましたが、その後台頭してきた小田原北条氏によって、簗田氏は外戚の地位を奪われます。北条氏は、北条氏綱の娘が生んだ古河公方足利義氏を関宿城に入れ、拠点化を図りますが、簗田氏は永禄4年(1561年)に関東へ出兵してきた上杉謙信の後ろ盾を得て、後に関宿城を奪還しました。その後、簗田氏と北条氏の間で3度にわたる攻防戦「関宿合戦」が繰り広げられ、天正2年(1574年)に関宿城は落城しました。北条氏康は「関宿を手に入れるのは、一国を取ることと同じ」で「無双の名地」と評価しており、いかに北条氏が関宿城を重要と考えていたかがよくわかります。

天正18年(1590年)の小田原合戦後、徳川家康の弟である松平康元が初代関宿藩主となりました。関宿は、江戸を守る重要な場所として関所が置かれ、以降、小笠原氏、板倉氏、牧野氏、久世氏など譜代の大名が城主となりました。関宿城の天守閣は寛文11年(1671年)正月に大破しましたが、後に江戸城富士見櫓を模して再建されました。明治4年(1871年)の廃藩置県により関宿藩が廃止され関宿県が置かれると、関宿城もその役目を終えました。

関宿城は、大半が江戸川堤防工事によって消失しているものの、江戸時代に描かれた『正保城絵図』などから、関宿城の姿を推測することができます。また、江戸時代の関宿城は、基本的には戦国時代の関宿城を改修整備したと考えられており、戦国時代の関宿城の姿を、わずかに残る遺構や現地の地形、江戸時代の絵図などから偲ぶことができます。

【関宿城金箔御城印デザインのご説明】
水運の要衝にあたる関宿城の御城印には、歌川広重『下総利根川之図』をモチーフに、行き交う舟を描きました。あわせて、関宿城埋門をデザインしました。埋門は、かつて関宿城三の丸に設置されていたもので、廃城後に民間に払い下げられ移築されました。この埋門は平時は本丸までの通用門として使用されていたといいます。有事が起き、籠城する際には、内側を3分の2の高さまで土で埋めて、敵の侵入を防ぐという役目を担っていたとされます。門の鬼瓦には、久世氏の家紋「久世鷹の羽」があしらわれています。御城印には、関宿城主簗田氏の家紋、古河公方足利氏の家紋、久世氏の家紋を配置しました。


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【関宿城金箔御城印販売情報】
10月4日(土)販売開始:800円
①千葉県立関宿城博物館
〒270-0201
千葉県 野田市関宿三軒家143-4
TEL  04-7196-1400

営業時間:午前9時から午後4時30分まで
閉館日:毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)年末年始

 ②まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810
営業時間 9時~18時 
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 





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