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2025年12月 2日 (火)

勝山陣屋の御城印

千葉県鋸南町の勝山陣屋の御城印を作らせていただきました。
中世には、源頼朝が石橋山合戦で負けて逃げついた場所であり、戦国時代には里見氏の勝山城が築かれました。
海上交通の要所として、江戸時代には、小浜藩の支藩にあたる勝山藩の陣屋が置かれ、捕鯨の地としても繁栄しました。
勝山陣屋の説明と販売情報、以下をご覧下さい✨


【勝山陣屋のご説明】千葉県安房郡鋸南町
水上交通の要所にあたる勝山には、戦国時代には里見氏の勝山城が築かれ、湊、城、城下町が一体化して発展しました。慶長19年(1614年)の里見氏改易後は、徳川譜代大名の内藤氏が入り、安房勝山藩の政庁として勝山陣屋を築きましたが、藩主の早世などにより、やがて廃藩となりました。その後、勝山一帯は小浜藩酒井家の所領となり、寛文8年(1668年)に小浜藩主酒井忠直が、甥の忠国に1万石分地したことによって、忠国は大名に取り立てられ勝山に入り、小浜藩の支藩として勝山藩が誕生しました。勝山藩は、最終的な石高が1万2千石の小藩ではあるものの、徳川譜代大名酒井家が明治維新まで9代200年にわたって治め、幕府内において、江戸湾防衛のために重要な役目を担いました。

勝山陣屋は、現在の勝山港通りの南側一帯で、山を背にして東西北は幅4間ほどの堀と土塁に囲まれ、中央に陣屋屋敷が置かれていたとされます。現在の勝山漁業組合に至る港通りが堀跡であり、敷地は、堀を含めて約4500坪で、陣屋を囲んで城町、城前、内宿の構成で町が形成されていたといいます。今でも勝山の町には、筋違い道や暗渠など、城下町の名残りが残っています。

 

【御城印デザインのご説明】
勝山陣屋の南側丘陵が、里見氏が対北条氏のために築いた水軍基地「勝山城」です。標高80mの八幡山が城山にあたり、眼下に現在の勝山漁港を臨むことができます。この漁港が、勝山城の湊だったと考えられ、勝山がいつの時代も、江戸湾に面した重要地であったことがわかります。御城印には、勝山湾と勝山城の城山を描きました。

また、勝山陣屋跡には、陣屋屋敷の台所の井戸と伝わる石組みの井戸が残っています。この井戸は、往時を偲ぶ大事な遺構であることから、御城印のモチーフにしました。あわせて、幕末期に描かれた陣屋絵図を配し、さらに酒井氏の家紋をデザインしました。

勝山は、江戸時代には捕鯨が盛んに行われ、地域にとって重要な産業でした。勝山の捕鯨は、ツチクジラという種類のクジラでした。江戸湾の捕鯨の祖とも称される醍醐新兵衛(初代定明)は、寛永7年(1630年)に勝山村に生まれ、鯨を捕る鯨組や解体する出刃組、鯨油を摂る釜前人足など500人規模の組織をつくり、差配しました。勝山城と湾を挟んだ南側の「大黒山」と呼ばれる丘陵は、江戸時代には鯨を見張るための山だったといいますが、地形的に中世期においては、里見軍の勝山城を連動する江戸湾の監視施設だったと思われます。

山腹には醍醐新兵衛の墓が建てられていますが、勝山の勇猛な捕鯨の漁師たちには、戦国時代の水軍の血や気風が流れているのかもしれません。捕鯨は、勝山地域と海の繋がりを示す重要な歴史であるといえるため、御城印にはツチクジラを描きました。

 

 
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販売開始
2025年12月6日(土曜)

値段
400円(税込み)

販売場所
〇鋸南町観光協会保田案内所
〒299-1902
千葉県安房郡鋸南町保田249
電話:0470-55ー1683
営業時間:午前9時から午後5時まで
定休日:毎週火曜日・年末年始

 

〇まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 
電話:043-376-6810
営業時間 9時~18時 
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

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