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2026年7月の7件の投稿

2026年7月28日 (火)

志津大口館の御城印販売開始のお知らせ

8月1日(土)から、千葉県佐倉市の「志津大口館」の御城印が販売開始になります✨
志津大口館は、臼井城と志津城を結ぶ間の台地に築かれていて、街道沿いの交通の要所にあたります。
春日神社、報恩寺一帯に城館があったと伝わり、いまも集落に土塁などの遺構が点在してます。

報恩寺には、南北朝時代の臼井一族のお家騒動の当事者、志津胤氏、臼井興胤の伝承が伝わっていて、大口館を含めた地域の歴史を推察するのがとても楽しいエリアです。
室町時代には、おそらく臼井城となんらか関連のある城館だったと思われ、東側には上峠城もあるので、大口館周辺を一日掛けて散策するのがおすすめです。



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【志津大口館のご説明】千葉県佐倉市

志津大口館は、現在の報恩寺と春日神社周辺に存在したと伝わる中世城館です。築城の経緯や具体的な構造については明らかではありませんが、一帯には土塁状の地形が点在しており、城館の遺構である可能性が高いと考えられます。北側の春日神社の境内には土塁状の高まりが見られ、東側は切岸状の斜面となっています。また、報恩寺の境内にも土塁や櫓台のような地形が残っており、一帯には複数の曲輪が存在した可能性も指摘されています。

城域内にある報恩寺は、14世紀前半(1350年頃)の創建と伝わる臨済宗寺院です。開山は夢窓国師、開基は志津次郎胤氏とされます。胤氏は鎌倉時代末期から南北朝期にかけて活動した人物で、志津城主と伝えられています。しかし、胤氏は甥で臼井城主の興胤との争いに敗れ、暦応3年(1340年)に滅ぼされています。興胤は建長寺に入った経歴があることから、報恩寺の創建に興胤が関わった可能性も考えられます。春日神社も貞和5年(1349年)の創建と伝わり、報恩寺と同時期に成立しています。これらの寺社の創建時期を踏まえると、志津大口館も同じ頃に築かれ、周辺に集落が形成され、戦国時代まで断続的に利用された可能性が考えられます。志津大口館の東約1.5kmには、土塁や堀切などの遺構が良好に残り、戦国時代の城郭と思われる上峠城があり、さらに志津大口館の南西約2kmには、臼井城の支城と伝わる志津城が位置しています。志津大口館は、志津城と臼井城の中間にあることからも印旛沼の水運を掌握した臼井城や、千葉氏の本城である本佐倉城と連携し、地域防衛や統治において重要な役割を担っていた可能性が高いと考えられます。

「志津」の地名の由来には諸説あるものの、古来、水運が発達した地域であり、特に北部は印旛沼水運の影響を受け、中世には物資流通が盛んであったことが知られています。また、志津地域には、中世の供養塔である板碑が数多く残っていますが、それらの板碑は、筑波石や銚子石を利用した下総型ではなく、緑泥片岩を用いた武蔵型板碑のみが確認されているといいます。このことからも、物流が発達し、かつ鎌倉文化と密接に繋がる地域であったことがうかがえます。

 

 

【御城印デザインのご説明】

印旛沼と繋がる水上交通の重要地であり、印旛沼を押さえる大拠点であった臼井城と繋がりがあったと考えられる志津大口館の御城印には、印旛沼、臼井城、志津城との位置関係が分かる地図をモチーフにしました。

志津大口館の遺構と思われる土塁状の地形などが残る報恩寺は、約2000年前に実在した禅宗の祖といわれるインドの高僧達磨大師をお祀りしており、「だるま寺」としても親しまれています。

御城印にはだるまと、かつて寺域にあったと伝わり、志津が鎌倉を含む東国武家文化と密接に繋がっていることを示す武蔵型板碑、および、境内に残る樹齢600年のスダジイをデザインしました。
あわせて、千葉氏の家紋「月星」、「九曜」と、志津氏の家紋と伝わる「丸に違い鷹の羽」を配置しました。


販売情報(販売開始8月1日・販売価格400円)
販売所は以下です。

〇佐倉草ぶえの丘 直売所

〒285-0003

千葉県佐倉市飯野820

0434-85 -7821

営業時間:9時~16時

休園日:月曜日(11月1日~3月19日の間のみ)
年末年始(12月29日~1月1日)
その他臨時休園日あり

 

〇カステラ タカノ

〒285-0846

千葉県佐倉市上志津1673-91

0434-87- 9156

営業時間:10時~18時

定休日:水曜日

 

〇まるごとしすい

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

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2026年7月18日 (土)

千葉市みつわ台公民館 千葉一族講座のお知らせ

8月の千葉一族講座のお知らせです。
8月22日(土)、千葉市若葉区のみつわ台公民館で講座をやります。

千葉氏は「千葉」を本拠にしてから、今年で900年を迎えます。
平安時代から下総で領地を広げ、中世の歴史を語るに欠かせない一族へと発展した千葉氏。

そんな千葉一族の歴史を楽しく分かりやすくお話します✨
詳細はこちらです。
よかったらお申込み下さい。
歴史講座 千葉の街に眠る千葉氏の歴史を楽しもう – 千葉市の公民館

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2026年7月16日 (木)

10月の関東動乱とその他ツアーのお知らせ

10月の関東動乱ツアーなどのお知らせです。

〇10月4日(土)※6月に台風で中止になったツアーです。
横浜市内の歴史めぐり
【歴史めぐり】東海道と鎌倉道をたどって今井城へ~相模と武蔵の国境を歩く~

こちらは、半日ツアーです。
今回は、JR東戸塚駅を出発して、東海道を歩いて、相模国と武蔵国の境界にある「境木地蔵」へ。
東海道の難所「権太坂」周辺には、一里塚や投げ込み井戸など、歴史を感じるスポットや伝承がたくさん残っています。
途中、源義経の伝承が残る白旗神社や、徳川家康の家臣新見氏の歴史を楽しみながら歩きます。

今井城は、丘陵に築かれた室町時代の城。
詳細はまったく分からず、遺構も残っていませんが、現地を歩くと、ここに城が築かれた意味がよく分かります。
周辺は子神社や、「鎌倉橋」などの地名が残っていて、中世の趣を感じることができます。

〇10月7日(水)・18日(日)※両日同じ内容で開催
埼玉朝霞市と東京北区の関東動乱ツアー
【関東動乱の舞台を歩く】いざ、豊島一族の平塚城&岡の城山へ!~長尾景春の乱の舞台を歩く~

こちらは、1日ツアーです。
今回は、長尾景春の乱の舞台「岡の城山」「平塚城」などへ!
このツアーでは、太田道灌が陣を敷いたとも伝わる岡の城山と、長尾景春方の中心的な武士団で、太田道灌と戦いを繰り広げた豊島氏の本拠とされる平塚城周辺を歩きます。
平塚城周辺には、平安時代からこの地を本拠とした豊島氏ゆかりのスポットがたくさん!
また、豊島氏の平塚城周辺は、古くから地域の中心でした。豊島郡の郡衙があった場所とも考えられています。
現地を歩いて、いろんな歴史を楽しみましょう。
途中、長い電車移動がありますが、ストーリー的に繋がる2つのエリアなので、進軍気分で移動も楽しみましょう♪

〇10月13日(火)

横須賀市観音崎付近の歴史めぐり
【歴史めぐり】三浦一族多々良氏をめぐる~観音崎歩きも~

こちらは、半日ツアーです。
今回は、京急浦賀駅を出発して、三浦一族多々良氏ゆかりの鴨居エリアに向かいます。
多々良氏は、多々良義春を祖として発展した一族です。
鴨居には、多々良義春が源頼朝の命によって創建したと伝わる八幡神社など、ゆかりの史跡が点在します。
多々良氏は、房総半島を行き来をする海の民だったと考えられますが、屋敷伝承地の前に広がる大海原を眺めると、その存在を強く感じることができます。
多々良氏の館はどこにあったのか?歴史の情報をもとに、一緒に考えながら歩きたいと思います。
ブラタモリ的に一緒に楽しみましょう。


あと、かねてから募集中の9月ツアーもこちらに書いておきます。
どれもこれも楽しいツアーなので、ご都合よろしければぜひご参加下さい♡

〇9月9日(水)※7月に台風で中止になったツアーです。
千葉市内で千葉一族の歴史と湊めぐり
【関東動乱の舞台を歩く】いざ、千葉城&浜野の湊へ!~千葉氏の内紛の舞台と中世の湊を歩く~

〇9月13日(日)
東京練馬区で豊島一族の歴史めぐり
【関東動乱の舞台を歩く】いざ、石神井城&練馬城へ!~長尾景春の乱の舞台を歩く~ 

〇9月15日(火)・26日※両日同じ内容で開催
横浜市の歴史めぐり
【歴史めぐり】「矢部」に残る三浦一族の伝承をめぐる~水上交通の大動脈「柏尾川」沿いを歩く~

 

 

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10月~12月KKR逗子松汀園のツアーのお知らせ

10月から12月のKKR逗子松汀園のツアーのお知らせです。
13時に集合して、3時間くらい歴史ツアーやって、逗子に移動して、美味しい懐石料理の夕飯を食べる楽しい企画です。
日帰りでも宿泊でもどちらでもOKです。
ぜひ、お越し下さい。

お申込みはKKR逗子松汀園まで✨
KKR逗子 松汀園【公式】湘南逗子の隠れ宿



今回のコースは以下です。

〇10月14日(水)

京急田浦駅から、「がらめき」切通しを歩き、鷹取山へ抜けます。
そのあとは、摩崖仏を見てから鷹取山の住宅街を経由して追浜方面に向かいます。

 13:00 京急田浦駅

16:30頃 京急追浜駅から乗車し、逗子葉山駅に移動

17:00頃 松汀園着

※3時間程度・6km

※山道あり。トレッキングシューズなどの靴でお越し下さい。

※バス移動の可能性あり。

 

〇11月24日(火)

金沢八景駅集合して、バスで「朝比奈」に向かいます。
そこから、朝比奈切通しを歩き、鎌倉十二所へ抜けます。道中、史跡めぐりをしながら鎌倉駅に向かいます。

13:00 京急金沢八景駅

16:30頃 JR鎌倉駅から乗車し、逗子駅に移動

17:00頃 松汀園着

※3時間半程度・8km

※山道あり。トレッキングシューズなどの靴でお越し下さい。

※バス移動あり。


〇12月15日(火)

舞岡公園周辺と、日限地蔵などを回ります。
三浦一族ゆかりの地で、鎌倉街道中道沿いの要衝にあたります。 

13:00 地下鉄舞岡駅

16:30頃 地下鉄下永谷駅から乗車し、逗子駅に移動

17:30頃 松汀園着

※3時間半程度・8km

※スニーカーなど、歩きやすい服装でご参加ください。

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広報よこすか7月号

広報よこすか7月号が発行されました。
コラム連載4回目の今回は、古久里浜湾のことを書きました。
一瞬で読めるので、よかったら読んでみてください。

広報よこすかは、市内各所に置いてあります。
ネットでも閲覧可能です。
誌面の閲覧はこちら。
2026年7月号 | yokosuka


あと、「YOKOSUKAプラス」というサイトがあって、そこの中でもトピックスとして掲載されています。
こちらはネット記事です。
山城ガールむつみのちょっと誰かに話したくなる三浦一族(2026年7月)|横須賀市

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2026年7月 8日 (水)

三浦一族研究会「会員による三浦一族発表会」

三浦一族研究会の催し物のお知らせです。
8月30日(日)に「会員による三浦一族発表会」が行われます。
こちらは、非会員でも参加できますので、ぜひご参加下さい。

この発表会では、「各地に伝わる三浦一族」をテーマに、ご登壇いただける会員の皆さまと、私がトークセッションします。
三浦一族ゆかりの地の歴史、各地域に残る伝承、人物にまつわる逸話など、全国に広がる三浦一族の足跡を自由な視点で紹介する発表会です。

当日は、お一人20分~30分、3~5名の登壇を予定しています。
これから、登壇者と打ち合わせして内容を固めていくんですが、現時点は、お万の方と勝浦、会津蘆名氏、武氏といったテーマのラインナップになっています✨

お申込み&詳細はこちら。
お申込み、お待ちしてます。
令和8年度三浦一族研究会学習講座『会員による三浦一族発表会』(会員・一般) | 三浦一族研究会

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2026年7月 3日 (金)

新作御城印「米倉城」

新作御城印発行のお知らせです。
千葉県匝瑳市「米倉城」です。

7月4日から販売開始です。
販売情報はこちら。

 

〇そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)

千葉県匝瑳市八日市場イ137-1

電話番号 0479-73-5015

営業時間9時から18時

年中無休


○まるごとしすい

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

米倉城の説明はこちら。
ぜひ、現地に行ってみてください。
地形と今に残る遺構から歴史を楽しめます✨

《米倉城説明文》
米倉城は九十九里平野に面した台地上に築かれた城で、現在の西光寺を中心とする一帯が城跡にあたります。かつて、西光寺と隣接するように等明寺という寺があったとされ、いまは等明寺墓地として、お墓が残っています。この墓地一帯が米倉城の主郭だと考えられています。

米倉城は、千葉一族椎名氏の居城と伝わっています。椎名氏は、借当川の南側に広がっていた匝瑳南条荘を領した一族で、『千葉大系図』によれば、千葉常重の子である胤光が千葉荘椎名(現在の千葉市椎名崎付近)を領して椎名氏を名乗り、鎌倉時代初期に匝瑳南条荘へ移ったとされています。胤光は、鎌倉時代の幕開けに大きく貢献した千葉常胤の弟にあたります。椎名氏は当初、飯倉城を本拠としたようですが、応永年間(1394〜1428年)に米倉城へ移ったと伝わっています。

西光寺の場所が、米倉城に移った初期の椎名氏の居館跡とも指摘されており、谷戸式城館の形が良く残っています。そして、前面の畷(なわて)と、その畷を挟むかつての両側には深田が存在したと考えられます。また、西光寺の谷戸が東向きで、南側の銚子街道から容易に見えないこと、さらに街道へ通じる東側の谷戸入口に水堀状の地形が残る点を踏まえると、銚子街道側に開く谷戸と西光寺の谷戸という二つの谷戸を一体的に利用し、自然地形を巧みに組み合わせて防御性を高めた城館として構想されていたことがうかがえます。

現在の等明寺墓地がある主郭部分は後世の改変を激しく受けていますが、土塁や空堀が断片的ではあるものの、良好に残っており、とくに北西隅に残る土塁は幅が広く高さもあることから、櫓台であった可能性も指摘されています。断片的に残存する土塁は、本来は連続していたと推察され、また、土塁の外側には空堀が確認できます。この空堀は、大部分が埋められているため当時の規模は不明ですが、主郭を大きな土塁と空堀が囲んでいたと考えられます。さらに、台地の南側から東側にかけての崖部分には、切岸を含め堀切や竪堀、腰郭などの遺構が確認でき、城が広範囲にわたって構築されていたことがうかがえます。これらの遺構から、米倉城は戦国時代終末期に大規模な改変を受けている城と考えられています。

【御城印デザインのご説明】

米倉城跡にある西光寺は、応永34年(1427年)建立と伝わり、椎名氏の菩提寺でした。江戸時代には関東真言宗の代表的な5ヶ寺のひとつに数えられ、高い寺格を持ち、交代で江戸城に登城し、将軍に年賀の祝辞を言上するほどの隆盛を誇りました。

米倉城が築かれた台地は、西・南・東の三方は急な崖となり、北側のみが台地続きとなっています。御城印には、この台地の地形が分かる地図を描きました。そして、米倉城の範囲は、等明寺墓地がある台地だけではなく、西光寺の存在する谷戸全体と考えられることから、御城印には西光寺の山門をデザインしました。また2つの谷戸や台地と銚子街道との関係が分かる地図を描き、さらに千葉一族としての家紋である「九曜紋」と椎名氏独自の家紋「丸に剣片喰」をモチーフにしました。



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