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2026年9月23日 (水)

「根古屋城」御城印発行のお知らせ

新しい御城印発行のお知らせです。
千葉県大多喜町の「根古屋城」です✨

根古屋城は大多喜城の北側に位置する中世の城跡です。かつては、上総武田氏や正木氏が拠点とした「中世大多喜城=根古屋城」と考えられていました。
しかし近年の研究では、中世大多喜城は本多忠勝が入城した近世大多喜城とほぼ同じ場所にあり、忠勝は中世の城を踏襲して改修したとみられています。
一方で、根古屋城の周辺には武田氏・正木氏ゆかりの寺社が残っており、大多喜城と深く結びついたエリアであることを示しています。根古屋城そのものの姿は明確ではないものの、大多喜の歴史を読み解くうえで欠かせない史跡です✨

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根古屋城の説明詳細はこちら

根古屋城は、大多喜城の北方約1kmに位置し、標高約35mの泉水岡部台に築かれた中世城館跡と伝えられています。かつては、史料に「根古屋城」として登場する中世大多喜城が、この岡部台の城跡に比定されるのではないかと考えられていましたが、近年の研究では、本多忠勝が入城した近世大多喜城は、中世大多喜城と同じ場所にあったとみられるようになりました。つまり、史料に見える「根古屋城(=中世大多喜城)」は、近世大多喜城と同じ城跡にあたると考えられるようになったのです。こうした研究の成果により、泉水岡部台に伝わる根古屋城の位置づけは再検討され、現在では大多喜城の支城、あるいは別邸的な性格をもつ城館跡、もしくは寺跡などと考えられています。このように実態は必ずしも明らかではないものの、地元では古くから根古屋城として親しまれ、現在も案内板が整備されているなど、地域の歴史を伝える存在として大切にされています。

大多喜城は、根古屋城の西方に位置する東長寺所蔵の「武田系図」によると、上総武田氏のうち真里谷城を本拠とした真里谷武田氏の城とされ、信清・直信・朝信が入城したと伝えられています。 武田朝信は里見義堯と対立し、軍記物などによれば天文13年(1544年)頃に滅亡すると、その遺領に正木氏が入り、正木時茂が大多喜城、正木時忠が勝浦城へ入ったとされます。 その後、大多喜城は正木信茂、正木憲時へと城主が移り、正木氏の内紛を経て、小田原の役後には本多忠勝が入城しました。

このような状況の中で根古屋城の詳細は不明ですが、周辺には永正11年(1514年)に武田信清が建立したと伝わる東長寺など、上総武田氏や正木氏ゆかりの寺社が残っています。こうした寺社の存在からも、根古屋城周辺が大多喜城と密接に結びついていたことがうかがえます。

また、根古屋城は北・東・西の三方を丘陵に囲まれ、在地領主の居館に適した地形を備えていることから、14〜15世紀にこの地域を支配した二階堂氏の城館だった可能性も指摘されています。いずれにせよ、根古屋城の具体像は不明ながらも、地域の歴史を考えるうえで重要な遺跡と位置づけられます。

【御城印デザインの説明】
大多喜城と関係の深い泉水岡部台に位置する根古屋城の御城印には、戦国時代にこの地を領した上総武田氏と正木氏の家紋をあしらいました。また、大多喜城の城主であった正木時茂は、越前の朝倉宗滴が語った内容をまとめたとされる『朝倉宗滴話記』にも優れた武将として名が挙げられるほど武名が高く、「槍大膳」の異名を持っていました。このため御城印には、時茂を象徴する槍の意匠を取り入れています。さらに、根古屋城周辺の地名や地形を描いた絵図をモチーフとしました。


販売情報はこちら

販売開始2026年10月3日(土曜)

値段400円(税込み)

販売場所
〇まるごとしすい
〒285-0912千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 
043-376-6810
営業時間 9時~18時 
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

〇大多喜本陣
〒298-0216千葉県夷隅郡大多喜町大多喜270-1
0470-80-1146
営業時間 9時~17時

定休日 12月29日~1月3日

 

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