埼玉県秩父市の熊倉城の御城印が発行になりました✨
デザイン、説明文を書かせていただき、発行プロデュースいたしました。
発行元は、「一本立ちの砦 笑城」(NPO笑楽工房 就労継続支援B型事業所)です。
地元密着の施設で、地元の面白さを発信したいということで、今後、熊倉城を軸にいろんな取り組みをしていくとのことです。
一本立ちの砦 笑城の担当は「平子」さん。
はい、三浦一族ですね✨
そんなご縁から、ご一緒させていただきました。
熊倉城は早い段階でツアーやりたい。
長尾景春の乱の舞台。
ロマン満載です。
熊倉城の説明と、御城印情報は以下です。
ちなみに、一本立ちの砦 笑城は、お土産も売ってますし、食事処もあるのでふらりとお立ち寄り下さい✨
【熊倉城のご説明】埼玉県秩父市
秩父市荒川日野の標高648mの城山(じょうやま)に築かれた熊倉城は、「長尾景春の乱」の舞台として歴史に登場します。
長尾景春の乱は、関東管領山内上杉氏の重臣長尾景春が、主家に対して起こした反乱です。上杉氏と古河公方が、関東を二分して繰り広げた「享徳の乱」の最中に、景春は鉢形城(寄居町)を築き挙兵。上杉氏の本拠五十子陣(本庄市)を襲撃しました。これによって、上杉氏は上野国に避難し、景春は鉢形城を本拠に勢力を拡大していきました。武蔵、相模などで景春に味方する勢力は多く、戦乱は関東一円に広がりました。
この争乱の鎮圧に活躍したのが、扇谷上杉氏の家宰太田道灌です。道灌は武蔵、相模などでの戦いを経て、文明10年(1478年)、景春の本拠鉢形城に攻め寄せました。攻撃を受けた景春は秩父へ逃げ込み、形勢を立て直すための新たな拠点として熊倉城を築いたのです。
景春は熊倉城を足掛かりに戦いを繰り広げますが、徐々に追い込まれていき、文明12年(1480)年6月24日、ついに道灌が攻め寄せ、熊倉城は陥落。景春は城を出て落ちていきました。景春は、この後も各地で活動を続けますが、熊倉城が落とされた以降は、景春方の勢力の大半が衰退したため、熊倉城落城をもって、長尾景春の乱の終結と考えられています。なお、このとき景春が築城して籠もった城は、「日野要害」として『太田道灌状』に登場します。この「日野要害」が熊倉城にあたると考えられています。
熊倉城には、空堀、土塁などの遺構が良好に残っています。また、熊倉城は、おもに本郭、二の郭、三の郭の3つの平場で構成されていますが、地面の削平が全体的に甘いのが特徴です。このことから、熊倉城が籠城のための臨時の城であるため、十分な造作ができなかったとも指摘されています。まさに、熊倉城は関東の戦国時代を物語る貴重な城といえます。
【御城印デザインのご説明】
長尾景春は、山内上杉家の家宰であった父景信の死後、家宰職を叔父忠景が継承したことに不満を持ち、乱を起したとされます。熊倉城落城後も、景春は古河公方のもとで活躍するなどの活動が確認でき、関東の政治の中心的存在であり続けたことがわかります。晩年は、新興勢力として台頭してきた伊勢宗瑞(北条早雲)と親交を深め、軍略、知略に優れた武将として認められていたようです。
関東の戦乱の大きな契機となった長尾景春の舞台である熊倉城の御城印には、戦乱の世を駆け抜けた武士の姿をイメージしました。また、山深く美しい秩父の山並みを表現し、合わせて長尾氏の家紋「九曜巴」と、太田氏の家紋「丸に細桔梗」をデザインしました。
販売開始
2025年5月1日(木曜)
値段
400円(税込み)
御城印タイプ
書置き(日付は空欄)
販売店
一本立ちの砦 笑城
(NPO笑楽工房 就労継続支援B型事業所)
〒369-1802
埼玉県秩父市荒川上田野445-1
TEL:0494-26-5990
営業時間10:00-16:00(年末年始休み)
ネット販売
6月頃開始予定
https://shorakukobo.jp