千葉市みつわ台公民館 千葉一族講座のお知らせ
8月の千葉一族講座のお知らせです。
8月22日(土)、千葉市若葉区のみつわ台公民館で講座をやります。
千葉氏は「千葉」を本拠にしてから、今年で900年を迎えます。
平安時代から下総で領地を広げ、中世の歴史を語るに欠かせない一族へと発展した千葉氏。
そんな千葉一族の歴史を楽しく分かりやすくお話します✨
詳細はこちらです。
よかったらお申込み下さい。
歴史講座 千葉の街に眠る千葉氏の歴史を楽しもう – 千葉市の公民館
8月の千葉一族講座のお知らせです。
8月22日(土)、千葉市若葉区のみつわ台公民館で講座をやります。
千葉氏は「千葉」を本拠にしてから、今年で900年を迎えます。
平安時代から下総で領地を広げ、中世の歴史を語るに欠かせない一族へと発展した千葉氏。
そんな千葉一族の歴史を楽しく分かりやすくお話します✨
詳細はこちらです。
よかったらお申込み下さい。
歴史講座 千葉の街に眠る千葉氏の歴史を楽しもう – 千葉市の公民館
すごい先の話ですが、
来年の3月28日(土)に多古町講演会があります。
多古の千葉氏の歴史、そして城の話をします。
さらに、この日はトークセッションを行います。
お相手は写真家の齊藤小弥太氏!
小弥太さんは、ドキュメンタリー写真家として、国内外のいろんなテーマで取材し、個展なども開催してます。成田空港拡張に伴い、多古町の「一鍬田」集落が消えてしまいますが、その取材を数年に渡り続け、先日はNHK「Dearにっぽん」にも出演してました。
今回は、多古町の歴史や景色、人の営みなどについてふたりでトークセッションをしたいと思います✨
すごく楽しみです!
また近くなったら告知しますが、チラシが送られてきたので先行お知らせでした~!
多古町歴史講座、他のプログラムも面白そうなので、ぜひ足をお運び下さい✨
「土気ふる里つむぐ会」のイベントのお知らせです✨
千葉氏の本拠「千葉」を楽しむ企画。
猪鼻城周辺ウォーキングと、プチ座学のイベントです。
三浦氏とともに頼朝を支えた千葉氏。
千葉市内にはたくさん痕跡が残ってます。
千葉氏の館跡は、いまの裁判所あたりと考えられていて、じっくり歩くと、市街地ながらもイメージが湧いてきてとても楽しいです。
募集人数:20名(多い場合は抽選。地域優先とかナシの抽選)
2025年6月22日(日)・10時:千葉アートサロン集合
※解散は13時頃です。
参加費:4000円(当日受付時にお支払い)
※小中学生は無料。保護者同伴。
お問い合わせ先:土気ふる里つむぐ会
toke.tsumugukai@gmail.com
090-4632-3924
千葉日報カルチャーでオンライン講座(有料)が配信開始になりました。
55分の講座です。
「千葉市街地に眠る千葉氏の歴史を楽しもう」という内容です。
千葉県庁や市役所が並ぶ千葉県の中心地「千葉」は、千葉一族の本拠地でした。
三浦氏とともに中世の名族!市街地に歴史の痕跡がたくさん✨
頼朝が安房に逃げて、鎌倉を目指す途中で立ち寄って、千葉一族のおもてなしを受けています。
なので、三浦一族も千葉を訪れてるはず。
千葉は都市部でありながら、歴史満載で、そのコントラストが面白い♪
ツアーで何度かやったコースをもとに構成しました。
ツアー参加した人は復習に、参加してない人はいつかの予習に😻
良かったら観てみてください。
この動画はワンオペのため、動画撮影と編集に時間掛かりすぎて、髪型がところどころ違ってたり…🙊
そんなとこも見どころです笑
https://culture.chibanippo.co.jp/culture/39
千葉氏の歴史を歩いてめぐるデジタルスタンプラリーのお知らせです。
本千葉駅から猪鼻城の間を楽しく歩いてデジタルスタンプを集めるラリーです。
千葉氏、源頼朝にまつわる伝承などを楽しみながら散策してください✨
スポット選びと、スマホで表示される説明文など、担当させていただきましたー!
都市化された街で、歴史の痕跡を探すのは楽しいですね♪
詳細はコチラのサイトから。
塚原緑地研究所 Webサイト (tsukahara-li.co.jp)
あわせてツアーあります。
一緒にデジタルスタンプラリーしながら、スポットを解説付きで回ります✨
よかったらご参加ください♡
(参加の際はデジタルスタンプラリーをしなくても楽しめます。普通の歴史ツアーとそんなに変わりません)
塚原緑地研究所 Webサイト (tsukahara-li.co.jp)
申込みアドレスはこちら
m-matsushima@tsukahara-li.co.jp
主催:㈱塚原緑地研究所
企画協力後援:千葉城郭保存活用会
協力:東日本旅客鉄道千葉支社
実施期間:令和5年11月14日(火)~令和6年3月31日(日)
実施時間:午前8時より午後6時
参加費用:無料
多古町「志摩城」のムービーが公開になりました✨
志摩城は名族千葉一族ゆかりの城です。
戦国時代が幕を開けると、千葉一族の中でお家騒動が起きました。
そのときに千葉一族本家当主胤直が逃げ込んだのが志摩城です。
志摩城は「島」と呼ばれる地域に築かれました。「島」はその地名の通り、水に浮かぶ「島」です。現在は干拓されて、周囲には水田が広がっています。かつての入江の名残りである栗山川が美しいエリアです。
そんな中世の歴史において大事な志摩城ではどんな歴史事件が起きたのでしょうか?
その歴史ロマンを感じる旅に出陣です!
地元の有志で構成された「多古城郭保存活用会」とコラボ製作です。
(13) 出陣のススメ!『志摩城と島の魅力』 - YouTube
今月も新しく御城印が発行されます。
7月22日(土)販売開始です✨
千葉県匝瑳市の野手城です。
千葉常胤の甥にあたる胤知が野手を領し、野手氏の祖となったとされています。
戦国時代には「野手合戦」と呼ばれる戦いの舞台になりました!
遺構は少ないですが、地名や城下の雰囲気から戦国時代を感じることができます。
野手城の詳細や御城印情報は以下をご覧下さい✨
【野手城のご説明】千葉県匝瑳市
野手城は九十九里浜の野手浜海岸から約2km内陸に入った野手に築かれました。野手周辺は九十九里浜と北側の丘陵部との間に位置する低湿地帯ですが、野手城は砂州の微高地をうまく利用して築かれています。
現地に野手城の遺構はほとんど残っていませんが、地名や街道から野手城の姿を想像することができます。野手集落のほぼ中央に「御城」という字名が残り、他にも「東門」「上の馬場」「大門」「前古屋」「宿」などの字名が残ります。これらから、中世期における野手城と城下集落を偲ぶことができます。
地元の伝承によれば、かつての野手城は内堀、中堀、外堀に囲まれた広大な城だったといいます。まさに三重の堀をもつ堅固な城郭で、内堀に囲まれた正方形の空間が「御城」と呼ばれる主郭だったと伝わります。
『千葉大系図』によると、千葉常胤の弟椎名胤光の第2子の胤知が野手を領し、野手次郎胤知と称したとされます。野手城の築城に関する詳細は不明ながら、この胤知の系統が野手城を築き、居城としたと伝わります。
天文4年(1535年)、古河公方足利晴氏と小弓公方足利義明の対立に端を発した「野手合戦」が起きました。小弓公方方の八日市場城主押田氏が古河公方についた野手氏の居城野手城に攻め寄せ、野手氏当主義長と子義治らが討ち死にしたとされます。これにより、野手城は押田氏の城となり、八日市場城周辺は押田氏によって掌握されました。
野手合戦において当主父子が討ち死にした野手氏ですが、義長の弟義通が常陸国江戸崎へ逃げ、小田城を居城とする小田氏治に仕えたとされます。小田氏没落後は常陸国下妻を領する多賀谷氏に仕えたとされています。
【御城印デザインのご説明】
野手城は城郭遺構こそ残っていないものの、周辺には城郭の存在を示す地名が数多く残ります。「字御城」の南側には街道が通り、それに沿って宿が形成されていたと思われます。現在もこの街道沿いには人家が密集しており、「宿」の字名が残ります。さらに、この街道は現在も鍵型の屈曲を伴う道筋になっており、敵に攻め込まれにくい防衛の意図が見て取れます。このように、地名やいまに残る街道から当時の城下の様相を窺い知ることができます。御城印には、このような野手城の城下の構成がわかる地図をデザインしました。
また、「野手合戦」において、野手氏が戦った押田氏の居城である八日市場城と野手城の位置関係が分かる地図も御城印にデザインしました。
あわせて、野手氏の出自である千葉一族の家紋「月星」と、野手氏の家紋「九曜」をモチーフにしました。
販売場所
〇そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時
年中無休
〇まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
今日から申込開始になりました✨
千葉県香取郡東庄町観光協会主催
「6月29日・千葉一族 東氏ゆかりの城をめぐるツアー」
集合解散はJR笹川駅。
笹川駅は、成田駅で乗り換えれば辿り着きます。
車で来ていただいても駐車場あるのでOKです。
千葉常胤の4男胤頼が東庄を領地として、「東氏」を名乗りました。
吾妻鏡によると、胤頼は三浦義澄と一緒に韮山の頼朝を訪れています。
挙兵前から、三浦氏、千葉氏と頼朝の密接な関係が伺えるエピソードです。
胤頼は和歌でも有名で、千葉市に残る頼朝伝説「君待ち橋」の由来となる歌を詠んだ人物でもあります。
この胤頼の子孫に当たるのが「東常縁(とうつねより)」
こちらは美濃国篠脇城の城主ですが、関東が戦国時代に突入し、千葉一族のお家騒動が起こると室町幕府の命令で関東に下向。乱鎮圧のために各地で戦いました。一説には三浦道寸に古今伝授を行った人物とも伝わります。
東氏、歴史満載すぎ♡
あわせて、鎌倉が武家の都になるきっかけを作った平忠常の館と伝わる大友城にも行きます。このあたりの話もツアーでタップリお話しします✨
この機会にぜひご参加下さい。
その他、コース詳細とお申し込みはコチラから。
https://www.tohnosho-kanko.jp/event/r5_yamashiro_tour/
千葉県富津市「天羽城」の御城印販売開始のお知らせです。
【天羽(あもう)城のご説明】
天羽城は標高約120mの丘陵に築かれた山城です。北側には湊川、西側には相川が流れていることから、水上交通の発達した地域であったことが分かります。さらには、城下西方の相川に並行するように鎌倉みちと伝わる街道が通っており、水上交通のみならず、陸上交通の要衝地でもあったことが推察できます。
天羽城の築城等の詳細は一切不明ですが、「天羽城(あもじろ)」という字名も残ることから、地元では古くからこの山が天羽城であると伝えられてきました。
天羽城は井戸、土橋、堀切、石積み遺構等が残り、さらに山頂部は綺麗に削平されており、周辺を見渡せる視界良好の主郭となっています。北西には湊川越しに東京湾、東には峰上城を臨むことができます。
「天羽」は、その地名から上総氏の庶流である天羽氏が平安時代末期から鎌倉時代に天羽の地を領し、苗字の地としたと考えられています。今に残る天羽城は室町期以降に築かれた山城だと推察され、真里谷武田氏の峰上城と連携して機能していたと考えられています。また、天羽城周辺には里見義実が創建し、正木時治が再興したとの伝承をもつ見性寺があることから、天羽城と正木氏の関連も指摘されています。
【御城印デザインのご説明】
平安時代から鎌倉時代にかけては上総平氏である天羽氏、室町期から戦国期には真里谷武田氏の峰上城との連携、さらに正木氏の伝承が残る天羽城の御城印には上総氏の家紋「九曜」、真里谷武田氏の家紋「四つ菱」、正木氏の家紋「三つ引両」をデザインしました。
天羽城の麓を通る鎌倉みち沿いには集落が形成されていて、見性寺、薬師堂、観音堂などが残り、中世の天羽の様子を彷彿とさせてくれます。また、相川と湊川の合流地点は、中世期からの船着き場があったと思われ、陸路と水路の結節点であるこの地域の重要性が浮かび上がります。御城印にはそれらの街道や集落、さらに河川が描かれた地図をモチーフとするとともに、天羽の谷や山の景色をイメージしました。
販売開始 2023年2月25日(土曜)からです。
通販では取り扱いません。
販売場所
〇高梨商店
千葉県富津市湊735
0439-67-0224
11時~18時
休業日:毎週月曜日
※年末年始やその他臨時休業あり
○まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
9時~18時
休業日:毎週月曜日
※但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります