2022年9月25日 (日)

新御城印のお知らせ✨

9月24日に新しい御城印が発行されます。
またデザインと同封説明文をやらせていただきました✨

千葉県香取郡多古町の大島砦です。
お城の詳細と販売情報は以下をご覧下さい。

通販は3ヶ月限定で歴×トキでも取り扱います。

Img_6994




【大島砦のご説明】千葉県香取郡多古町

大島砦は標高32mの丸山及びそこに繋がる北西側台地の基部に築かれました。現在、丸山の山頂には熊野神社が鎮座しています。城郭遺構は確認できないものの、東側先端には人工的な平場があり、栗山川を見下ろす位置に当たることから、櫓台の可能性も考えられます。

大島砦の詳細は不明ですが、千葉胤貞による築城とも伝わっています。平安末期から、多古は「千田荘」という荘園の中心地で平家一門の藤原親政(ふじわらのちかまさ)の領地を経て千葉氏の領地となります。千葉氏は源頼朝に助力し、鎌倉幕府の成立に大きく貢献、そして勢力を拡大していきました。

しかし、鎌倉幕府が滅亡すると、千葉一族も足利尊氏派(北朝)と後醍醐天皇派(南朝)に別れて戦いました。「千田殿」と呼ばれ、千田荘を本拠とした千葉胤貞は尊氏派に、胤貞の従兄弟の貞胤は後醍醐天皇派につき、一族は対立して戦うことになったのです。多古は争乱の舞台となり、鎌倉時代から南北朝時代にかけて多くの城が築かれました。そのような状況の中で、大島砦も築かれたと考えられます。

大島砦の北方わずか1.5kmには、志摩城が築かれた「島」があります。島は中世割符(さいふ)布取引(為替取引)が当時の金沢称名寺領であった茨城県久慈との間で行われていたことが、文献上も明らかとなっている全国的にも珍しい場所であり、中世期の商業的繁栄が推測される場所です。享徳の乱に端を発した千葉一族のお家騒動の際は、このように重要であった志摩城に千葉宗家当主胤直が籠城し、その後、志摩城城内にあったと思われる妙光寺(現正覚寺)にて自刃したとされています。

千葉氏にとって志摩城は重要な城であり、その志摩城の前面の防衛の役目を担っていたのが大島砦であるとともに、栗山川を中心とする水運の監視所として、重要視されたことが推察できます。

 

【御城印のご説明】

大島砦の東側を流れる古代からの水運の大動脈である栗山川は、大島砦付近で多古橋川に分岐、さらに志摩城付近で借当川に分岐します。まさに、大島砦と志摩城は3本の河川を掌握する場所に位置しており、古代からこの地域の水上交通の要衝地であったと思われます。大島砦の御城印は、大島砦、志摩城の位置や、多古橋川、借当川、栗山川および明治時代においても残っていた湖沼(現在の多古光湿原)がわかる地形図をモチーフにしました。

栗山川流域は古くから水上交通が発達していたため、たくさんの丸木舟が出土しています。そのため、御城印には丸木舟をデザインしました。栗山川、借当川流域における縄文時代の丸木舟の出土数は全国の5割を占めているといいます。あわせて、千葉一族の家紋「九曜」「月星」をデザインしました。

 

 

 

販売場所
〇道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)

休業日:年末年始(1月1日~1月2日)  

 

○まるごとしすい

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

〇ネット販売

・「しすいノいいモノ」

https://tsuku2.jp/shisuinomono

問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810

 

 

| | コメント (0)

2022年9月22日 (木)

産経新聞の記事✨

東京都荒川区の石濱城の御城印発行を記事にしていただきました✨
武蔵千葉氏が再起をかけた「石浜城」の御城印を発売 千葉城郭保存活用会 - 産経ニュース (sankei.com)



享徳の乱の時に、千葉一族が多古で滅びます。
その際に千葉宗家当主胤直の甥、実胤と自胤が武蔵に逃れて武藏千葉氏になります。
多古町の御城印を手がけさせていただいてましたが、そのつながりで、武蔵千葉氏の石濱城の有力推定地である石濱神社さんで石濱城御城印が頒布開始となりました。
デザインと同封説明文を執筆させていただきました♪
下総と武蔵、あわせて歴史めぐりにお出かけください✨色々つながって楽しい!

| | コメント (0)

2022年9月17日 (土)

お城開き2022in多古

お城開き2022in多古のお知らせ

今年もお城開きやりますので、もしよろしければご参加下さい!
今年のお城は並木城です。

お城の整備をしながら、並木城を楽しむ企画です。

地域の宝である歴史と城✨
未来に残すために、みんなで楽しく守っていければと思います。

先着順なので早めにお申し込みくださいませ。

●10月29日(土)
●集合時間場所:午前11時30分 道の駅多古あじさい館
※空港第二ビルからシャトルバスでお越しの方は11時00分発のバスに乗っていただければ間に合います。

●参加費:無料 (当日の保険料は多古城郭保存活用会で負担いたします)

●募集人数:先着30名

●スケジュール
11時40分 道の駅多古あじさい館出発
12時00分 並木城到着 昼食
12時30分 整備開始
16時30分頃 道の駅多古あじさい館にて解散

●注意事項:
・当日は動きやすい服装、スニーカー、肌を露出しない長袖長ズボン等

でお越し下さい。また、軍手をご持参下さい。
・現地までの交通費は各自ご負担下さい。
・雨天中止といたします。

●主催:多古城郭保存活用会
●後援:一般社団法人多古町観光まちづくり機構、千葉城郭保存活用会、匝瑳城郭保存活用会 
●お申し込みメールアドレス:takojokaku@gmail.com
お名前、電話番号、ご住所、ご年齢をメールにご記入ください。

詳細は以下をご覧ください。
https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/21474

| | コメント (0)

2022年9月10日 (土)

募集中のツアーのお知らせ

来月初旬までのツアーなどのお知らせです。
良かったらお越し下さい✨

・9月13日(火)
梶原景時ゆかりの地&洲崎合戦場へ
https://helloaini.com/travels/20767?prcd=meXA

・9月14日(水)、17日(土)
のあたび「八田知家ツアー」
いざ、八田知家ゆかりの地!小田城跡・宝篋山ハイキングコース | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

・9月24日(土)
東京ビッグサイト「ツーリズムEXPO」
阪急交通社ブースにて15:00-15:30ミニ講座。先着20人。(予約不要)
楽しそうなイベントですのでぜひチェックしてみてください。EXPO入場券は事前予約です。
https://www.t-expo.jp/public/about

・9月27日(火)
菊名城&三浦義村の墓など
https://www.cotonowa.jp/cotonowa/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=475262

・10月8日(土)
埼玉県小川町ツアー「青山城&腰越城」
https://ogakuru.jp/introduce/aoyama

・その他
9月12日(月)、26日(月)夕食付きツアー・朝比奈切り通し
※詳細問合せKKR逗子松汀園
046-871-2042

| | コメント (0)

2022年8月27日 (土)

御城印新発行のお知らせ

今月も御城印をデザインさせていただきました。
東京都荒川区の石浜城、埼玉県小川町の腰越城、千葉県我孫子市の中峠城です。
詳細や販売情報は以下です。3城とも8月27日(土)販売開始です。
今回も現地に何度かお邪魔して、気持ち込めてデザインと説明文を書きました✨

腰越城は10月8日にツアーやりますので、こちらもぜひ!!
ツアーでプレゼントされますので、参加の方はツアーの日までお楽しみにしててください♡

山城ガールむつみの小川町出陣のススメ いざ、青山城&腰越城へ!~遺構が良好に残る戦国の山城を楽しむ~ | おいでなせえ小川町 (ogakuru.jp)


Img_6137

【腰越城のご説明】埼玉県比企郡小川町

腰越城は蛇行する槻川に三方を囲まれた天然の要害を利用して築かれました。標高216m地点を中心に築かれた山城で、大小あわせて17を超える郭が残っています。城山の麓には「北城山」「南城山」といった小字名とともに、「榎木戸」「根古屋」といった城郭に関連する地名が残ります。

『関八州古戦録』によると、腰越城は青山城とともに松山城の支城として松山城主上田氏が築城したとされ、上田氏の重臣山田伊賀守が城主だったといわれています。本郭からは南に青山城と中城、北に四ツ山城、北西に安戸城を望むことができ、腰越城はそれらの城と連携しながら機能していたと考えられます。

発掘調査によると、堀切、竪堀、横堀、虎口などを組み合わせた技巧的な造りをしていて、改修した形跡はなく、現地にはそれらの遺構が良好に残っています。また、火災にあった形跡が見つかっていて、腰越城での戦闘の可能性も指摘されています。

江戸時代から腰越城の一帯は石灰岩の採石が行われたため、その影響を受けて南側が大きく崩されています。『腰越村川欠見取絵図(寛政4年・1792年)』には二つの頂が描かれていることから、この南側も城域で現存よりもっと広かった可能性も指摘されています。なお、腰越城は埼玉県指定史跡となっています。

 

【御城印のご説明】

腰越城の本城である松山城主上田氏は、もとは扇谷上杉氏に仕え、その後、小田原北条氏に属しました。御城印には、扇谷上杉氏と小田原北条氏の家紋をデザインしました。

腰越城の西には「大河原谷」と呼ばれる谷が入り込み、谷の一番奥には上田氏の菩提寺である浄蓮寺があります。境内には上田政広、朝直、長則の墓があり、上田氏にとってこの谷が重要な地であったことが分かります。それらの位置関係や谷を走る街道がわかる地図と、技巧的で遺構が良好に残る腰越城の縄張図をモチーフにしました。

 

販売店

〒355-0328

埼玉県比企郡小川町大塚47-3

おいでなせえ小川町駅前店

電話0493-59-6988

営業時間10:00-18:00

定休日なし

 

ネット販売
おいでなせぇ

https://hiki-gojouin.stores.jp





Img_6398

【石浜城のご説明】東京都荒川区

石浜城は隅田川(古利根川)沿いの水上交通の発達した地域に築かれました。かつては、橋場(荒川区・台東区)、今戸、待乳山(台東区)周辺一帯が広く「石浜」と呼ばれていたといいます。石浜城の比定地については諸説ありますが、現在の石濱神社(荒川区南千住三丁目)が石浜城の有力候補地とされています。

石浜周辺は武蔵国と下総国の境に当たり、古代東海道上に位置し、川を渡る「渡し」があり、水陸交通の要衝で都市的な場として発展しました。鎌倉時代には江戸氏の拠点であり、室町時代には江戸庶家である石浜氏の本拠地だったと考えられます。石浜城の築城年代や築城主などは不明ですが、交通の要衝の地に築かれたと推察されます。

南北朝時代文和元年(1352年)には、足利尊氏と新田義貞の遺児である南朝方の新田義興との武蔵野合戦で、石浜に逃れた尊氏がここで立て直しをはかり、南朝方の新田軍を破りました。

享徳の乱(1454年)に端を発した千葉一族の内紛が起きると、当主千葉胤直ら千葉宗家が傍流である馬加康胤らに襲われ、多古(千葉県香取郡多古町)に逃げ込む事態となりました。馬加康胤らはさらに多古を攻め、胤直と子の宣胤は自刃、胤直の弟胤賢も自刃しました。このとき、胤賢の子である実胤、自胤(これたね(※1))は市河城に脱出しましたが、市河城も落とされ、武蔵国に逃れました。扇谷上杉氏の家宰太田道灌の支援を受け、実胤が赤塚城に、自胤が石浜城に入り、武蔵千葉氏となりました。(※2)しかし、勢力をそがれた武蔵千葉氏の石浜の維持は困難であったと思われます。そのため、扇谷上杉氏の庇護のもと、千葉宗家奪還を目指し、本佐倉城を拠点とした下総千葉氏と戦いましたが下総への復帰は叶いませんでした。

その後、武蔵千葉氏は小田原北条氏に属し、北条氏から養子を迎えています。天正18年(1590年)に北条氏が豊臣秀吉に攻められて滅亡すると、同時に武蔵千葉氏も没落し、石浜城も廃城となったと思われます。

※1:自胤の読みに関しては、『千学集抜粋』に読みが書かれており、それによって「これたね」と読むことが定説となっています。
※2:『鎌倉大草子』などの書物では、実胤が石浜城に、自胤が赤塚城に入城したとされますが、研究の結果、この内容は否定されています。

 

 

【御城印のご説明】

石濱神社は神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願で創建され、鎌倉時代以降は武家から篤い信仰を受け、江戸時代は東都の名所として知られました。「神明さん」と親しまれ、ご祭神は伊勢神宮と同じ天照大御神・豊受大御神です。『江戸名所図会』に描かれた境内の俯瞰図をデザインしました。

石浜城付近にあった渡しは、「隅田の渡し」、「橋場の渡し」と呼ばれていました。治承4年(1180年)、石橋山の戦いで平家軍に敗れた源頼朝は、安房国上陸後に鎌倉を目指して進軍しますが、その際にこの付近に浮橋を架けて渡ったとされ、これが「橋場」の地名伝承となっています。そのことから御城印は、隅田川を渡る頼朝の錦絵『江戸名所古跡伝』モチーフにしました。

千葉氏伝来の宝珠を祀った石濱神社内の真崎稲荷に関する故事、武運守護を宝珠に祈願する千葉胤直の姿を描いた『東京開化名勝之内 千葉介胤直石浜神明之古筆』をモチーフにしました。胤直は傍流の馬加康胤に攻められ戦死しましたが、甥の自胤、実胤が武蔵国に逃げ、自胤が石浜城に入ったことから、無念の死を遂げた胤直が一族の存続と繁栄を真崎稲荷の祭神に祈るという場面が錦絵に描かれたのかもしれません。あわせて千葉宗家及び、武蔵千葉氏の家紋を配置しました。

なお石浜城の御城印は、石濱神社職員の書家鈴木明空(めいくう)様にご揮毫いただきました。

 

販売場所

〇石濱神社

〒116-0003

東京都荒川区南千住3-28-58

TEL : 03-3801-6425
営業時間9:00-16:00

無休

 

○まるごとしすい

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

〇ネット販売

・「しすいノいいモノ」

https://tsuku2.jp/shisuinomono

問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810





Img_6149

【中峠(なかびょう)城のご説明】千葉県我孫子市

中峠城は利根川と手賀沼に挟まれた標高20mほどの湖北台地に築かれました。南北西の3方向は急崖となっていて、東側のみが台地続きとなっています。別名「芝原城」ともいい、かつてこの地が芝原村という村だったことに因みます。周辺は開発によって崩されてしまったものの、現在は「古利根公園 自然観察の森」として一部が保存整備された公園になっていて、堀や土塁の痕跡が確認できます。

東側の台地上に「下根古屋」、西側の台地の下から法岩院にかけて「上根古屋」という地名が残っています。この「根古屋」という地名が残ることから、中峠城が戦国期に使用されていたことが推察されています。
『湖北村誌』によると、中峠城は千葉一族である河村氏の居城で、天文10年(1540年)に河村出羽守が古城を改修整備して「中峠城」と命名したとされています。詳細は不明ながらも、河村氏は主家の千葉氏を通して北条氏に属したと考えられ、同じく北条氏に属していた小金城(松戸市)の高城氏の支配下にあったとされています。天正18年(1590年)の小田原合戦で河村氏は小田原城に詰め、その留守中に中峠城が落ちたと伝わっています。
上根古屋地区にある法岩院は河村氏の菩提寺とされ、江戸時代に造立された河村一族の墓がいまもなお残っています。

 

【御城印のご説明】

中峠城の御城印には、城下を通る街道や地形が分かる地図をデザインしました。中峠城の北側直下は、旧利根川の名残りである古利根沼となっていて、この地が水運の要衝だったことがわかります。中峠城の東側に「海老宿」という宿地名があることから、城下に宿が形成されていたと思われ、まさにこの地は水陸交通の結節点にあたると推察されます。

中峠城からは、かわらけが10点出土しています。そのうち7点は、堀底に一群にかたまった状態で見つかっていて、残り3点は黒いシミが付いていたことから灯明皿として使用されていたと考えられています。中峠城では柱穴は見つかっておらず、居住性は認められませんでしたが、堀や土塁が現地で確認できることや、かわらけなどの遺物が出土していることから当時を偲ぶことができます。
さらに、河村氏の出自とされる千葉一族の家紋「九曜」と、小田原北条氏の家紋「三つ鱗」をモチーフにしました。

 

販売場所

〇アビシルベ

〒270-1151
千葉県我孫子市本町2丁目1番10号

TEL : 04-7100-0014
休館日: 年末年始(12月29日から翌1月3日)

営業時間: 9:00〜18:00

 

○まるごとしすい

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

〇ネット販売

・「しすいノいいモノ」

https://tsuku2.jp/shisuinomono

問合せ先:まるごとしすい 043-376-6810

 






| | コメント (0)

2022年8月23日 (火)

朝日新聞に掲載していただきました!

8月20日の朝日新聞朝刊(千葉県版)で記事にしていただきました。
地域に眠っている城と歴史を大事にしたいという想いから、2年ちょっと千葉県で活動してきました。
少しずつではありますが、現地に根ざした活動ができるようになってきた気がします。

歴史発信のツールとして、御城印の制作をしてきましたがなんと今月で93城。100城まであと少し。
御城印発行で終わらず、地元の盛り上がりを継続していくのが大事!
これからももっとアイディア出して楽しく活動していこうと思います✨

 

Img_6397

| | コメント (0)

2022年8月13日 (土)

ガタゴトバスツアー新聞記事掲載いただきました

JRバス関東さんとのガタゴトバスツアーの記事を掲載していただいただきました✨
大きく取り扱っていただきました。ありがとうございます!


Photo_20220805123601

| | コメント (0)

2022年7月21日 (木)

講演のお知らせ「多古町の山城と千葉一族」

8月13日に多古町で講演やります✨
お盆まっただ中ですし、もう結構差し迫っているので日程調整が難しいかもしれませんが良かったらお越し下さい。
先日はプロレスが行われ、さらにベンチャーズが来日して公演する会場で講演します。10月には純烈のライブもあるらしい。
なんかすごいラインナップ笑


2022年8月13日(土)
多古町コミュニティプラザ文化ホール
入場無料
開演14時

Img_5542

| | コメント (0)

2022年7月19日 (火)

川原井里見城・小坪館・青山城の御城印デザイン

今回は埼玉県比企郡小川町の青山城と千葉県袖ケ浦市の川原井里見城と小坪館が販売開始になりました。
お城の情報や販売情報は以下をご覧下さい。
今回もかっこよく完成しました✨


Img_4471

【青山城のご説明】埼玉県比企郡小川町
青山城は仙元山の南側に位置する丘陵に築かれました。標高は265mで、西側には小川町の市街地がある盆地から谷が入り込み、東側は槻川が蛇行して流れています。

青山城の南東約3km地点の小倉城とは、途中「物見山」を経て、尾根続きとなっています。このことから、青山城と小倉城は連携して機能していたことが推察されます。

三方の尾根が交わる自然地形を巧みに利用し、その頂点に主郭が置かれています。それらの尾根からの侵入を遮断するように、堀切、竪堀などを多用した技巧的な山城です。

『関八州古戦録』の記述から、永禄5年(1562年)に小田原北条氏が松山城に上田暗礫斎(上田朝直)と上田朝広を置き、青山、腰越の砦とともに守らせたことが分かります。この青山の砦が青山城とみられ、青山城が東方約20kmに位置する松山城の守りとして機能していたことが推察されます。

山麓には集落が形成されていないことからも、青山城は生活空間や居住性は重視されておらず、あくまで松山城の支城として軍事的な役割のみをもった城であることが指摘されています。

【御城印デザインのご説明】
「青山」の由来は、この山が青色をした緑泥石片岩(青石)で形成されている「青い山」であるためにその名が付いたといわれています。青山城の麓には、板碑(いたび)の採石地である下里・青山板碑製作遺跡(国指定史跡)があります。このことから、青山城の御城印は緑泥石片岩のカラーをイメージしました。二の曲輪西側の土塁上には、緑泥石片岩の石積みが残り、小倉城のように緑泥石片岩を多用した石積みが想定されています。

青山城の本城である松山城城主上田氏は、もとは扇谷上杉氏に仕え、その後、小田原北条氏に属しました。御城印には、扇谷上杉氏と小田原北条氏の家紋をデザインしました。

あわせて、技巧的で遺構が良好に残る青山城の縄張図をモチーフにしました。

 

                


Img_4529

【川原井(かわはらい)里見城のご説明】千葉県袖ケ浦市 
川原井里見城は小櫃川の支流松川によって形成された谷津に面した標高80mの丘陵に築かれました。里見亦四郎の居城という伝承を持ち、「ジョウヤマ(城山)」の字名が残っています。現在、「ジョウヤマ」と呼ばれる最高地点はゴルフ場となっていますが、かつては80m×50mの区画と、西側に堀が存在したとされています。さらに周辺には「軍坪(いくさつぼ)」「番所」「番所谷」「番所前」「長堀」などの地名が残っています。

また、番所谷北側の高台には土塁に囲まれた空間があったことが見て取れ、最高所の「ジョウヤマ」とその下に位置する区画とが一体になり機能していた可能性が考えられます。

川原井里見城の詳細は不明ですが、松川とそれに沿うように通る街道を押さえる役目を担っていたと考えられます。この地域は近くに鎌倉街道も走り、また松川は川原井付近の最上流部から丘越えをすれば、養老川水系に繋がり、交通の要衝です。城山麓の北西を流れる大月川の対岸の真光寺の台地からは平安時代を中心とした遺跡が存在することからも、この地域は古くから往来があり、開けた大事な場所だったことが推察されます。

山を越えた西方に真里谷武田氏、里見氏、小田原北条氏いずれかの築城と考えられている川原井城があることからも、この付近が諸勢力の入り交じる重要な場所であったことが分かります。

【御城印デザインのご説明】
川原井里見城の城下には美しい谷津の風景が残っています。また、谷を見下ろすように築かれた物見台跡と思われる平坦面が残るなど、当時の面影を感じることができます。それらの谷津や大月川の対岸にある真光寺、そして松川や街道などがわかる地図をモチーフにしました。

大月川に面した丘陵部には礫石(つぶていし)が集積されていたと伝わることから礫石をデザインし、物見台から周囲を見張る兵士をイメージしました。あわせて、里見氏の家紋を配置しました。

 

 

Img_4488

【小坪(おつぼ)館のご説明】千葉県袖ケ浦市
小坪館は南に小櫃川、北に松川が流れる標高約1.5メートルから2mの自然堤防上に築かれました。現在の中川小学校付近が小坪館の推定地とされています。周辺には小坪館との関係も考えられる「榎戸」という小字名、「中溝」という伝承地名も残っています。

小坪館の詳細は不明ですが、鎌倉時代前期には、横田郷の在地領主と考えられる「横田悪四郎入道」なる人物が上総国御家人として記録されています。戦国期になると横田郷は真里谷武田氏の支配を受け、武田氏の流れをくむと言われる葛田氏が在地領主となっていた可能性があります。葛田氏の初代とされる信恒は、里見義尭と戦ったのち里見氏の軍門に下り、横田郷を与えられたと伝わります。

小坪館の全体構造については不明ですが、小坪館の中心地と思われる中川小学校東南には横田神社が鎮座していて、そのまわりには土塁や堀の痕跡にも見える跡があることから、横田神社も小坪館の一部であった可能性が考えられます。

小坪館北側には戦国期には存在したと考えられる街道(久留里街道)が通り、街道沿いには上宿・中下(宿)の地名が残ります。葛田家に伝わる古文書からは、天正8年(1580年)横田に新宿が立てられ、里見氏がこれについて「不入」を承認するとともに市の開催を要請したことがわかっています。

さらに、小坪館の北西には横田郷へ入る北の入口を意味すると思われる「北口城」があります。北口城は松川、小櫃川の両河川の水運及び街道の往来を直接押さえる機能を担っていたと思われます。小坪館は北口城と連携し、横田郷の中心的城館の役目を担っていたと思われます。

小坪館の北を流れる松川は、遡航すると川原井城や川原井里見城へと繋がるとともに、最上流部より丘越えすると養老川水系等へと繋がる重要な水上交通網でした。小坪館はそれらの城とも連携していた可能性があり、小櫃川はもとより、松川における水上交通網は中世期においては小櫃川同様の重要性を持っていたと思われ、小坪館を考える上で欠かせない鍵になるといえます。

【御城印デザインのご説明】
小坪館が築かれた横田郷は、中世期には上総国畔蒜荘の荘園が広がっていたことが調査により分かっています。これにより、15世紀前半の横田郷の姿が具体的に復元されました。御城印は横田郷の復元鳥瞰図(笹生衛氏作成)をモチーフにするとともに、街道や地形の分かる地図をデザインしました。

あわせて、戦国期には真里谷武田氏、続いて里見氏の支配下にあったと推察されることから武田氏と里見氏の家紋を配置しました。小坪館の城主と伝わる武田一族葛田氏も武田氏の家紋「四ツ菱」を使用しています。

 

販売情報

 〇青山城 7月23日(土)から販売開始

おいでなせえ小川町駅前店
〒355-0328

埼玉県比企郡小川町大塚47-3
電話0493-59-6988
営業時間10:00-18:00定休日なし

 ※ネット販売
おいでなせぇ小川町御城印屋
https://hiki-gojouin.stores.jp


〇川原井里見城・小坪館 7月23日(土)から販売開始 
※観光協会のみ7月25日(月)から販売開始
※ネット販売
しすいノいいモノ (地域に愛される酒々井プレミアム・アウトレットの目の前まるごとしすい) (tsuku2.jp)

●(一社)袖ケ浦市観光協会
千葉県袖ケ浦市坂戸市場1-1(市役所新館5階)※8/8~(市役所南庁舎2階)
電話0438-62-3436
営業時間9:00~16:00
休業日 土日、祝日、年末年始

●FARM COURT袖ケ浦
千葉県袖ケ浦市袖ケ浦駅前1-39-12
電話0438-97-7855
営業時間10:00~18:00
休業日 年末年始

●袖ケ浦公園 レストハウス菖蒲
千葉県袖ケ浦市飯富2360
電話0438-63-2118
営業時間10:00~16:00
休業日 水曜、年末年始、悪天候

●Yショップつるや
千葉県袖ケ浦市蔵波26-1
電話0438-62-8516
営業時間6:00~19:00
休業日 日曜、祝日、年末年始

●曹洞宗真光寺
千葉県袖ケ浦市川原井634
電話0438-75-7365
営業時間9:00~17:00
休業日 なし

●まるごとしすい
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 
電話043-376-6810
営業時間9:00-18:00
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

 

 

 

 



| | コメント (0)

2022年7月11日 (月)

楽しかった!!ガタゴトバスツアーin匝瑳


匝瑳市でガタゴトバスツアー✨
八日市場城と飯高城、そして飯高城の周辺に築かれた出城群を回りました。
120万キロ近く走ってるバスタくんに乗ってガタゴトスタート💨JRバス関東さんの路線バス貸切でGO!

Dab25a65b3c5474b96d68cd2feb47bcc

今回も運転手は秋葉さん👨‍✈️
国道じゃなくて、あえて田園風景の広がる細い道や裏道を通ってくれました🚌
エンジン音や時折ガタガタする道の感触も楽しかったです♪

3fa52e45998545ffa365b71f07e7950f
秋葉さんとのツーショット撮るの忘れたー。鏡の中に秋葉さん笑

こんな季節だというのに、匝瑳城郭保存活用会の方々がツアーのために草刈りを何度もしてくださいました。
そのため、下草が綺麗に刈られて、前に見れなかった平場や堀底を楽しむことができました🙌

A53de5b80ac648e2b4fa73255b8eb117

5d833832a4ac4a6dbbe1a71ceb4db990

436dbd4cba8a4a808ebe543bf90e07b4

さらに匝瑳市からは、宮内市長とソーサマンが駆けつけてくださいました❤
美味しいデザートと冷たいお茶の差し入れ付き!!

2767a476cf0c41f6bfe5a639ecbe61f8

171b1d86a8e64918acae1bdf13cd0c25
わたしも青レンジャーみたい笑

3b078ef6eddc4e4e95fc3e8909cc3b5d

八日市場とうふは、和風のスポンジケーキ。
ふわふわで美味しすぎて驚いた。
今度は買って帰ろう♪


匝瑳では八日市場城の御城印発行以来、保存活用会が立ち上げられ、いろんな取り組みが始まりました✨八日市場城、飯高城、飯高砦、天神砦の草刈りや保存整備、標柱の設置などが進んでます。今回のツアーでも草刈りや美味しい差し入れなど、参加者も大喜びのおもてなしをいただきました🙌

C9cea082efb84a8fa4e7611f6882e1d1

天神砦に標柱✨
腰曲輪も刈ってくださってて、見応えバッチリ!
感謝です。


1a5062ef852e4ee9b7e12a409f5d7af5

匝瑳城郭保存活用会のみなさま、匝瑳市の皆さま、本当にありがとうございました😊
楽しかったー✨

次回は11/26!旭市をガタゴト回りまーす。
(募集開始予定は9月)


匝瑳は面白いです。
鎮守府将軍を3人も輩出した物部匝瑳氏が領地としてた地域で、かなり早い段階から交通の要衝地として発達していたことがわかってます。
そのあとは上総広常の系統→千葉氏という流れ。
千葉氏のなかでも、借当川を境として椎名氏と飯高氏がそれぞれ拠点を構えました。戦国時代には平山氏が飯高に入った来ます。このような中で、たくさんのお城が築かれました。

八日市場城では街道を取り込むように築かれた要害台、八日市場城、匝瑳城の地形などを確認しながら楽しみました。九十九里もすぐ近くに見えて、里見氏の下総侵攻に備えて拡張整備されたのかなと思います。八日市場城は東西の両突端に櫓台が良好に残ってて、城下から上がっていくと感動の光景です。
城主押田氏についてもバスで色々とお話をしました。押田氏はもとは源義家から続く系統です。名門!

飯高はもとは千葉一族の飯高氏が領してました。飯高砦の下の妙福寺が居館だと思います。
そのあと戦国時代には飯高城は平山刑部が城主となり、周辺(特に南側)もたくさんの城郭が築かれました。これも里見氏による下総侵攻に備えたと思われます。

18348a060d804b5998dc97362ed662dd

Ffe8419df9274550a9578363588bbf54

1580年に平山刑部が飯高城の敷地を寄進してお寺が建てられたと伝わり、それが飯高寺の前身にあたります。平山氏に関してもバスで色々とお話しさせていただきました。飯高に入った平山氏については、諸説ありよく分かっていません。
小弓公方の家臣で、第一次国府台合戦の後に北条氏に寝返り、飯高に配属されたともいわれています。

武蔵平山氏が1300年代に多古に入ってることが分かってますが、飯高の平山氏については、まだよくわかってません。千葉一族にも平山氏がいるようで、そのへんの関係が不明とのこと。それらも含め、匝瑳は面白い歴史がまだまだ埋まってますね。今後が楽しみです✨


飯高城は今は飯高寺として、地域でも有数の観光地です。麒麟がくるのロケ地にもなったんですよ。
今回は飯高城の周辺と砦群を3時間歩いて、それぞれの位置関係を考えたり、遺構などを楽しみました。


Df0d6787edcc456faf981a3d1d358690

天神砦は巨木の残るとても素敵なスポット。
世にも奇妙な物語でロケ地として使われ、深田恭子さんが来たそうです。



C924f609857c404bb7288dd5fb45e922


8cb6738fc2c648dc8d180a70b0eb2b39

最後は松山庭園美術館の「猫ねこ展」へ。
お土産を買いました。どれもこれも可愛くて♡

Bace71d2cef0426eb0f300ac4b3c9700

| | コメント (0)

より以前の記事一覧