2022年1月 1日 (土)

インタビュー記事掲載のお知らせ

明けましておめでとうございます。
昨年も大変お世話になりました。
今年も昨年以上にツアーやイベント、活動の幅を広げていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

おかげさまで、去年は164本のツアー&講演、イベントをやらせていただきました。
振り返るとビックリ。たくさんやりましたねー。体だけは壊さないように頑張ります!!

タウンニュース横須賀の元旦号にインタビュー記事が掲載されました✨

今月から三浦一族の紹介コラム連載も始まりますので、良かったら読んでくださいませ♪
ネットでも読めますので、タウンニュース横須賀をSNSなどでフォローしてみてください。

https://www.google.com/amp/s/www.townnews.co.jp/0501/amp/2022/01/01/606934.html


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2021年12月30日 (木)

オリジナルTシャツ&クリアファイル

新しくグッズが誕生しました✨
オリジナルTシャツとクリアファイルです。

・クリアファイル
300円(税込み)

A4サイズ・裏表イラスト入り※通販取り扱いあり。郵送料140円。その他、御城印等と同時購入の場合は郵送料が変更になる場合があります。お問い合わせください。


・オリジナルTシャツ
2500円(税込み)

5カラー
サイズはSS/S/M/L/LL/LLL
※在庫限りのため、カラーによっては在庫のないサイズがあります。お問い合わせください。
※サイズに関してはお気軽にお問い合わせください。
※通販では取り扱いません。ツアーなどで対面でのお渡しになります。購入希望の方はツアー事前にご連絡ください。



クリアファイル表
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クリアファイル裏
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オリジナルTシャツ
イラストは左裾に一カ所のみ(写真参照)

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2021年12月28日 (火)

今年の多古での活動報告✨

今年も多古城郭保存活用会でお城と歴史をテーマにしたさまざまなイベントや企画をやらせていただきました。
お城EXPOに出展したり、お城開きイベントを開催したり、御城印を出したり。
新聞記事などを一挙公開!!


お城開き記事・東京新聞
御城印の売上でたくさんのお城に標柱と説明板が立ちました🙌
さらに観光資源だけでなく、教育資源としてお城と歴史を活用するために、全国千葉氏こどもサミットのエントリー校になった中村小学校で授業もやらせていただきました。


子供サミット授業のYouTube
子供サミットの記事・広報多古12月号
子供サミットの記事・東京新聞
外から訪れる人、住んでる人、さらには子供たちに魅力が伝わってればいいなと思います✨
そのような取り組みを評価いただき、「夢まるふぁんど」から表彰いただきました✨
先人たちが築いた文化や歴史を後世に残し伝え、有形無形の文化財を保護伝承することを目的に文化国際貢献事業を行う団体に対して資金支援を行うのが「夢まるふぁんど」です。

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多古城郭保存活用会では、それをもとに多古のお城紹介動画を作成します🙌
完成を楽しみにしていてください♪


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来年も色々楽しい企画考えますので、多古に遊びに来てくださいませ😉

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2021年12月24日 (金)

お城EXPO2021終了

お城EXPO2021が無事に終わりました。
三浦一族ブースにもたくさんの方が立ち寄ってくれて感激✨
いろいろと応援の声もかけていただきました🙌

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三浦一族のブース♪

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講演もやらせていただいて、ありがたいことに満員御礼✨
ありがとうございました!


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シアターでは三浦一族紹介動画も放映していただきました。
入場開始前の大画面で観ました。
この動画は近日中に横須賀市観光協会などのサイトから観れるようになるので少しお待ちを。

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三浦一族の魅力を少しでも発信できて良かったです。
合わせて多古ブースにもたくさんの方が来てくれました♪

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多古の歴史とお城の魅力もお話しさせていただきました。こちらも満員御礼🙌
感無量です✨

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各地が繋がりながら広がっていくと、元気になる地域がどんどん拡大。
これからも神奈川県内、千葉県内、埼玉県内もろもろで楽しく頑張りたいと思います。

EXPOではたくさんの方にお会いできて、こちらも感無量❤

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萩原さちこさんと。


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クリスグレンさんと。


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畠中和久さんと。


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二宮博志さんと。


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後藤徹雄さんと。


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お城くんと。


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前田慶次さんと、れきしクンと。


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平山優先生と。


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萩原さちこさんと、加藤理文先生と。


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岐部さんと。


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あー、楽しかった♡






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2021年12月16日 (木)

物見台城・長南城の御城印デザイン&販売開始のお知らせ

新しい御城印のお知らせです。
こちらもデザインと同封説明文を担当させていただきました✨


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販売開始・2021年12月20日(月曜)

道の駅多古あじさい館
千葉県香取郡多古町多古1069-1
0479-79-3456
午前9時~午後7時(但し9月~3月は午後6時まで)

休業日:年末年始(1月1日~1月2日)  

※お城エキスポ2021の多古城郭保存活用会ブースにて12月18日、19日先行販売

 

【物見台城のご説明】
物見台城は、多古町の南東部、南中「鴻巣集落」周辺の台地に築かれ、その台地が広範囲にわたり城郭化されたと考えられます。物見台城の西側には「相ノ谷(あいのやつ)」を挟んで中城があります。この相ノ谷は中村中央の台地に深く切れ込んだ重要な谷戸のため、物見台城と中城で相ノ谷を挟み、連携しながら監視を行っていたと考えられます。また、物見台城の東側には「中城坂」を挟んで土やぐら城があります。この坂道は、中村中央の台地へと通じる重要な街道であったと思われ、物見台城と土やぐら城が連携して監視を行っていたと推測できます。

南側を流れる借当川は、中世において多古・匝瑳地域の重要な水上交通路であったと考えられ、この借当川を直接眼下に監視できる場所に物見台城は位置しています。これらのことからも、築城年代や城主等の詳細は不明ながら、戦国期においては、この物見台城こそが中村中央の台地の南側を防衛・監視する中心的な城郭であったことが推察されます。

物見台城は、現在山林や畑になっていて、当時の全体像は不明ですが、「諏訪神社」周辺には土塁、空堀、桝形虎口等が残り、台地南西側には土塁、腰曲輪、物見台等が残っています。物見台の周囲には城郭遺構が良好に残っていて、特に長さ約100mに及ぶ土塁と帯曲輪は秀逸で、中世山城の姿を今に伝える貴重な城郭といえます。

物見台城の御城印は土やぐら城を含め、台地全体を利用して築かれたことが分かる縄張図をモチーフにしました。あわせて、城の名前の由来になった「物見台」に建つ物見櫓をイメージしました。この物見台は土やぐら城(物見台)と連携していたと思われ、この両方の物見台の位置を示すため、該当箇所を黄色で色付けしました。

そして、千葉一族ゆかりの地である多古の城郭には千葉氏が深く関わっていたと思われるため、千葉氏の家紋「月星」を描きました。物見台城がある中村地区には千葉胤貞の伝承が多く伝わり、胤貞創建の寺院が数多く残っています。

物見台城では、令和3116日に日本初の「お城開き」が行われました。「お城開き」では、山城のトップシーズンである秋から冬にかけての訪問者を歓迎すべく、城を整備し、安全祈願を行いました。全国各地からたくさんのご参加をいただき、お城整備のボランティア活動をしていただきました。その際に撮った記念写真をこの説明文の背景にデザインしています。

 

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販売開始・2021年12月18日(土曜)

○セブンイレブン上総長南店

千葉県長生郡長南町長南1198-2

電話:0475-46-1330

年中無休24時間営業

 

○道の駅あずの里いちはら

市原市浅井小向492-1
TEL 0436-37-8891

営業時間 午前9時~午後6時 ※一部営業時間が異なります。
定休日 毎月第2火曜日(祝日の場合は翌日) 、1/1~1/3

 

○千葉ポートタワー

千葉市中央区中央港1丁目
電話:043-241-0125

[6月~9月]
9:00~21:00(毎日)
[10月~5月]
9:00~19:00(月~金)
9:00~20:00(土日祝)
※最終入館は閉館時間の30分前までになります。

休館日12月28日~1月4日、2月28日(月)、来年度の定休日はお問い合わせください

※安全上において、強風等により臨時休業する場合があります。

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)



【長南(ちょうなん)城のご説明】千葉県長生郡長南町

長南城は長南川に沿うように形成された市街地の東側丘陵に築かれました。長南城が築かれた「長南」は、長柄郡の南部分にあたる、もしくは長柄郡の南方の場所との語源を持ち、上総国の山間部にあたります。周辺の丘陵は痩せ尾根となっていて、長南城はそれらの丘陵部や谷を取り込むように城郭化され、約1km四方の範囲に城郭遺構が認められる千葉県を代表する大規模城郭といえます。妙見社~太鼓森の丘陵には造成された平坦面がみられ、また、長久寺周辺には堀切、切岸、腰曲輪などのまとまった城郭遺構が認められます。

長南城の築城年代や築城主などの詳細は不明ですが、長南の地は上総平氏の流れである長南氏の支配を経て、上総武田氏の領するところとなりました。かつての長南氏の城館がいずれにあったかは不明ですが、武田氏がこの地に入ってきた後は長久寺から太鼓森に掛けての丘陵に長南城を築城もしくは整備したと思われます。

武田氏が守護を務めていた甲斐国は上杉禅秀の乱(1416)以降、混乱状態にありましたが、永享の乱(1438)の頃に武田信重が守護として復権し、弟の信長は鎌倉公方足利成氏に仕え成氏の側近となりました。

そして、享徳の乱(1454)を契機に信長は成氏の命を受けて上総国に入部し、敵対する関東管領上杉陣営との戦いの拠点とするため、長南城と真里谷城を築いたと伝わります。そして、上総武田氏は真里谷城(木更津市)を拠点とする真里谷武田氏と、長南城を拠点とする長南武田氏に分かれていきました。

長南武田氏は真里谷武田氏に比べて良質な文献が少ないため、不明なことが多く、確実に実在が認められているのは最後の当主豊信だけです。

豊信はその手腕を発揮し、16世紀の中頃には長南と池和田(市原)までを領国化し、衰退した真里谷武田氏にかわって戦国大名となりました。しかし、最後は小田原北条氏に属し、小田原落城の際は北条氏と運命を共にし、豊信は自害したと伝わりますが、地方に逃れたとも伝わっています。

その後、徳川家康の関東入部に伴い、本多忠勝が天正18年(1590)6月~7月の間、長南城に滞在したとされています。

周辺の丘陵や宿などを取り込んで、長南武田氏の大城郭となった長南城の御城印には、その規模が分かる地図をモチーフにしました。長南城の最高所は標高約80mの「太鼓森」と呼ばれる丘陵で、太鼓森には平坦に造成された曲輪が点在し、現在は妙見社が建っています。太鼓森はその名の通り、有事の際には合図、伝令の太鼓が打ち鳴らされたと伝わることから、御城印には太鼓を描き、当時をイメージしました。

長南武田氏の最後の当主豊信は里見氏と北条氏の間を巧みに生きた房総を代表する戦国武将です。御城印には豊信の肖像画(長南町郷土資料館提供)と花押をデザインするとともに、武田氏の家紋「四つ菱」を配置しました。


どちらの御城印も歴×トキにて通販取り扱いいたします。
よろしくお願いします。




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2021年12月11日 (土)

頼朝と三浦一族の足跡を追う!「いざ、安房国へ!」

安房国ツアーやってきました✨
衣笠合戦で負けた三浦一族は怒田城から船に乗って、久里浜湾から安房に向けて出発しました。

ツアーでもその足跡を追うべく、久里浜港からフェリーで出陣!
観光バスごと、フェリーに乗り込みました。


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ツアーは2日程やりましたが、観光バスでフェリーに乗り込むとテンション上がります。


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バスが目立つ~



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浦賀水道を一気に渡ります。
この古代からの海の道は、三浦半島と房総半島をときには結びつけ、ときには境界の壁となって勢力のぶつかり合いの舞台となりました。


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正面のマンション群は横須賀市鴨居。三浦一族の多々良氏の本拠地。三浦義明の弟の義春から始まる家系です。
現在の鋸南町佐久間に領地をもらって、佐久間氏としてさらに分家しました。
その系統が、分かれたりしながらずーっと続いて佐久間象山に続くともいわれています。



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三浦半島の南側、三浦海岸、菊名浜方面が見えています。
このあたりには三浦一族の津久井氏が拠点とした津久井の地です。
津久井氏は承久の乱で朝廷方につき、滅びます。津久井には菩提寺東光寺が残り、いまもなおその菩提を弔っています。



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フェリーの上では、40分間ずっと景色を見ながら歴史のお話をしていました。
里見と北条が戦いを繰り広げた戦国時代の話まで、もりだくさん。
書き切れないので、ぜひいつかツアーにお越しください✨

また同じコース、いつか開催します。


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ランチを食べた後は、頼朝上陸の地へ。
頼朝は真鶴から土肥実平と船に乗って、安房へやってきます。


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真っ正面が真鶴。
頼朝よりも一足先に安房に着いていた三浦氏、北条氏。
この海をどんな気持ちで眺めて、頼朝を待っていたのでしょうか。



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ついに頼朝合流!
我々も奮起して、ここから再起をかけた進軍開始です!!


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南房総市平松城へ。
ここは安西景益ゆかりの城です。お城自体は戦国時代のものですが、この周辺に安西景益が屋敷を構えていたと伝わります。
安西景益は安房の豪族で、このあたりに広がっていた丸御厨を管理していたともいわれています。
安西氏の娘は和田義盛の奥さんの一人になり、生まれた子が朝比奈義秀とも伝わります。三浦一族とも親密な関係を築いていた安西氏。
海を行き来しながら勢力を広げた互いの姿が浮かび上がります。



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このあたりは「丸」といって荘園がひろがっていました。
この荘園は前九年の役の功で、源頼義に与えられて以来、源氏ゆかりの荘園でした。
さらに義朝が息子の頼朝の昇進を願って伊勢神宮に寄進。丸御厨になりました。
頼朝は子供のときにこの地を訪れていた可能性が高く、安西景益とも馴染みだったと考えられています。

そのため、安房に上陸した頼朝は景益に手紙を書き、協力を求めました。
そして、安西景益の屋敷を訪れたのです。

平松城周辺は田畑になり、山々が美しく、景益や頼朝が見た景色を想像することができました。



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平松城の主郭。
木々がなければ、鏡浦(館山湾)やそこから入り込む河川も見えます。
この平松城が水運の要衝だったことがよくわかります。
安西氏は戦国時代には正木氏の配下として、おそらく海賊衆の一端を担っていたのではないでしょうか。



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そして一戦場古戦場へ。
こちらは、安房の平家方の勢力、長狭常伴と三浦義澄が戦った合戦の舞台です。
長狭氏と三浦氏は因縁の対決。実は和田義盛の父杉本義宗は1163年に起きた長狭氏との戦いの傷がもとで命を落としました。
そのことからも三浦氏がその段階で安房国に勢力を広げていたことが分かります。


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古戦場の上には展望台。ここからだと地形がよく見え、頼朝の伝説が残る仁右衛門島も見えます。
今日のツアーの最後はこの景色を堪能し、次に進む上総国、下総国に思いを馳せました。
さぁ、この次は上総&下総に出陣です!
ぜひ一緒に歴史の旅に出ましょう♡
ブログでは書ききれない楽しい歴史の情報が盛りだくさん!
なんせ、わたし、12時間喋り続けてるので笑

1/19・1/29 いざ、上総国へ! 上総一之宮玉前神社詣と千葉城 | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

それと、前にやった韮山コース、石橋山合戦コースをもう一度やります✨

こちらもぜひ♡
楽しいですよ♪
2/28 頼朝旗揚げの地・韮山!頼朝と政子ゆかりの北条の里巡り | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

3/19いざ 石橋山合戦へ!頼朝旗揚げの合戦地と古道を歩く | 地元出発ツアー のあたび (noatabi.co.jp)

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2021年11月25日 (木)

神崎町のお城紹介&御城印発行のお知らせ

神崎(こうざき)城はかつての香取の海、現在の利根川に突き出た丘陵に築かれました。神崎城は「東の城」、「中の城」、「西の城」の3城から成っており、この3城を総じて「神崎城」と称します。

神崎城は千葉氏隆盛の祖である千葉常胤の曾孫にあたる神崎師時が鎌倉時代中期に築城したと伝わりますが、現在の遺構は戦国時代末期のものと推察されます。

城域は丘陵全体に広がり、その規模は南北約2キロメートル、東西約500メートルに及びます。そして、丘陵上に連なるように東の城、中の城、西の城を設け、さらには周囲に田向城、小松城を築き、それらすべてが連携する構造となっています。

このように配置された防衛網は、神崎周辺の湊に対する重厚な監視機能と富の利得の機能をも有していたと考えられ、これらの湊からの富こそが歴代の神崎氏繁栄の一翼を担っていたものと推察されます。

神崎氏は途中の中絶はあるものの、師時以来、神崎地域の領主として君臨し、戦国時代には千葉氏を介して後北条氏に属しました。天正18年(1590年)の小田原合戦の際は、小田原城に入城し、豊臣方との戦いにのぞみましたが小田原北条氏の敗退にともない、神崎城も開城落城しました。まさに神崎城をはじめとする城郭群こそが、中世を通して神崎を領した神崎氏の繁栄の証といえます。

神崎城の城下には中世から街道が通り、宿が形成されていたと思われます。御城印には、水上交通と陸上交通の要衝地だった神崎の地図をモチーフにしました。

神崎のシンボルである神崎神社は、ランドマークとして古くから存在しており、その由緒ある歴史と風光明媚な周辺の景色は絵図にも描かれました。御城印には神崎の周辺に広がっていた香取の海と行き交う舟、そして神崎神社の鎮座する神崎山から神崎城へ続く丘陵をデザインしました。

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東の城は三城の中では、もっとも古いものと推定されています。神崎師時が最初に築城した場所ではないかとも伝わります。

城郭遺構としては、土塁、空堀が残るとともに、楕円形状を呈する狭い一郭と長径約110メートル、短径約50メートルに及ぶ方形の二郭に分かれています。


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中の城はその名の通り、三城の真ん中に位置します。南側は急崖となっていて、神崎神社別当寺の神宮寺の境内地に繋がっています。

東西約130メートル、南北約110メートルの方形の区画が形成され、北側には古墳を利用した物見台と、そこから伸びる土塁が良好に残っています。


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西の城は三城の中でもっとも城域が広く、戦国期にはこれらの城郭群の中で中心であったと推察されます。

現在は、町の公共施設が建っていますが、周辺には土塁、空堀跡が残存するとともに、崖地部分にはいくつかの腰曲輪も良好に残っています。この腰曲輪による重厚な防衛構造は西の城の特徴の一つといわれており、比高約30メートルの台地及びその周囲の人工的な急崖化とともに、戦国期の房総の城郭の特徴を良好に残す城郭として評価されています。

 

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3枚並べると神崎の美しい風景が完成するようにデザインしました✨
かっこいい!(自画自賛)


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神崎町は宿場の雰囲気も随所に残り、酒蔵、醤油屋さんなどの蔵などが建ち並びます。とても素敵な町。
打ち合わせにいったときも、こんなふうに歓迎してくれました♡
「山城ガール打ち合わせ」笑


そして、驚き。これなんだと思いますか?
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ペンキを塗り塗り…
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黒いシールを貼って…

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ペリっとめくると…
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綺麗な文字が現れて…

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どーんと完成✨
手作りの標柱!!

ビックリ!こんなに綺麗にできるもんなの?!

おそるべし!神崎町!
こんな完成度の高い標柱は初めてです笑


この標柱を見に、神崎町に行ってみてくださいね。

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3城から成る神崎城は、町役場から歩いてすぐ!行ってみよう!
こんな坂を上がっていきます。


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広場に出ます。ここが東の城の主郭。


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さらに進むと…

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堀が綺麗に残ってます。

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上から見ると圧巻の堀!

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進んで行くと、中の城に続きます。古墳の看板。

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古墳を櫓台にしていた感じ。
少しの高さだけど、見晴らしイイ。

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堀底ハイキング。

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中世の板碑が!

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腰曲輪の休憩どころ。

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西の城は町の施設が建ってます。

わずかですが周囲には土塁。


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貝塚もあり。

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稲荷さまが祀られてる祠は櫓台に建ってます。

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やぐら!横穴墳墓じゃなくて、やぐらでしょう。

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神崎氏は鎌倉時代からここにいたので、どの段階かは不明ながらも、神崎氏が造ったやぐらなのでしょう。

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中の城の麓には神宮寺。神崎神社の別当寺。

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境内はおごそかな雰囲気。

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なんと600年代から鎮座する神崎神社!

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ご神木が素晴らしい。

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神崎町は発酵の町。
美味しい発酵料理の楽しめるお店がいくつかあります。

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今回は「うふふ」という可愛いお店にお邪魔しました。

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おいしかった!
ぜひ神崎町にお出かけくださいませ✨


御城印販売場所

○道の駅 発酵の里こうざき
千葉県香取郡神崎町松崎855
TEL:0478-70-1711 FAX:0478-70-1616

9:00-18:00

 

○道の駅あずの里いちはら

市原市浅井小向492-1
TEL 0436-37-8891

営業時間 午前9時~午後6時 ※一部営業時間が異なります。
定休日 毎月第2火曜日(祝日の場合は翌日) 、1/1~1/3

 

○千葉ポートタワー

千葉市中央区中央港1丁目
電話:043-241-0125

[6月~9月]
9:00~21:00(毎日)
[10月~5月]
9:00~19:00(月~金)
9:00~20:00(土日祝)
※最終入館は閉館時間の30分前までになります。

休館日12月28日~1月4日、2月28日(月)、来年度の定休日はお問い合わせください

※安全上において、強風等により臨時休業する場合があります。

 

○まるごとしすい

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)


ネット販売
歴×トキHPにて  https://www.rekitoki.com/

 




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2021年11月14日 (日)

「まるごとしすい」に御城印コーナーが登場!

千葉県印旛郡酒々井(しすい)町の「まるごとしすい」に御城印コーナーが登場✨
酒々井町の名産特産と一緒に置いていただいて光栄です♡
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幟も登場♡
御城印ご購入の際には、私が作成したお城紹介のリーフレットもつきますよ。


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本佐倉城は、城下を取り込んだ巨大城郭です。ぜひ、周辺を散策して、その大きさと城下の構造を感じて楽しんでください。
まるごとしすいの横には、江戸幕府の牧場「佐倉牧」の土手が残ってますよ。お立ち寄りの際には見てみてください🐴

酒々井のアウトレットの目の前ですよ♪
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本佐倉城の簡単な説明は以下です。
享徳の乱がきっかけでおきた千葉一族の内紛により、馬加康胤らが千葉宗家の館(今の猪鼻城とかのあたり)を急襲。
それにより、千葉宗家当主胤直らは香取郡多古に逃げ込み、志摩城に籠りました。そして、馬加康胤らと戦いますが、敗北。千葉胤直、嫡男宣胤、胤直の弟胤賢らは多古で自害し、千葉宗家は滅亡しました。

しかしそんな状況の中、胤直の弟胤賢の子の自胤(よりたね)、実胤は武蔵国に脱出しました。石浜のあたりに逃れたといいます。

千葉一族の宗家滅亡後に、千葉氏を継承したのが千葉輔胤(岩橋輔胤)の系統です。岩橋に城を構え、続いて本佐倉城を築き、下総国統治の拠点にしたのです。


岩橋城
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そもそも、享徳の乱で鎌倉公方と関東管領が対立関係になったとき、胤直は上杉氏に、康胤は公方を支持。そのため、お家騒動になったのです。そのため、逃れた自胤(よりたね)、実胤は上杉氏の保護のもと、千葉宗家奪還へと動くことになります。それをバックアップして一緒に戦ったのが、扇谷上杉家の家宰太田道灌です。

 

本佐倉城が築かれた背景は、こんな感じです。
そのあと、長尾景春の乱が起きたり、道灌が殺されたり、北条早雲(伊勢宗瑞)の台頭など、情勢はどんどん変化します。

道灌が死んだことにより、石浜に逃れた武蔵千葉氏は衰退。佐倉千葉氏は関東の動乱の中、生き残りを掛けて戦いますが、最終的には小田原北条氏の配下に入り戦国時代の終わりを迎えました。

本佐倉城は豊臣軍の来襲に備え拡張整備され、さらに徳川家康が入ってくると家康の5男武田信吉が入封しました。そのときにも大規模な改修が行われたと思われます。

 

本佐倉城は城下町全体を城郭化した巨大な城です。

まわりには、厳島砦、浜宿砦、肥前屋敷、右京屋敷、妙胤寺などの城郭遺構が存在します。


厳島砦
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妙胤寺
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本佐倉城は丸一日、歩いて楽しめるお城のアミューズメントパークです。

ぜひ、お出かけして、お帰りにはまるごとしすいで酒々井の名産をお買い求めください♡

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2021年10月28日 (木)

本佐倉城の御城印&御城印帳のお知らせ

千葉県が誇る「本佐倉城」!!
そのNEWバージョンの御城印をデザインさせていただきました✨
さらに、御城印帳もデザインさせていただきましたよ♡
本佐倉城の御城印はすでに発行されていますが、今回はNEWバージョンです。

本佐倉城は巨大な城郭都市になっているので、その広大さ、堅固さをデザインに込めました。


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「本佐倉城」

下総守護千葉氏が文明年間(1469年~1486年)に築城し、天正18年(1590年)に滅亡するまでの約100年間、当主9代が居城した戦国時代の城です。水上交通の大動脈であった印旛浦に面し、主要街道が交差する陸上交通の要衝の地に築かれました。
面積約35万㎡の規模を誇る本佐倉城は10の郭から構成され、防御性の高い内郭群と広大な外郭群にわけられ、さらにその周囲には城下町が形成されました。

すべて土の造成によって構築された大規模な空堀や土塁、櫓台に守られた郭群や虎口は現在も明瞭に姿をとどめ、戦国時代の城の迫力と息吹を感じさせます。平成10年9月11日に貴重な文化財として国史跡に指定されました。

デザインの説明
水上交通の要衝であった印旛浦に面して築かれた本佐倉城の御城印には、その印旛浦を望む風景を描きました。
本佐倉城の城下は、城郭や寺院などに囲まれた広大な城郭都市でした。城下には佐倉宿、酒々井宿、鹿島宿、浜宿などの宿が形成され、浜宿湊も存在しました。

そして、丘陵には厳島砦などと呼ばれる城郭が築かれるとともに、勝胤寺などの寺院や「右京屋敷」「肥前屋敷」などといわれる有力家臣の屋敷も城郭化されました。まさに本佐倉城は、その周辺地域も含め、城下町全体が城郭化された難攻不落の城でした。御城印には本佐倉城周辺の地形や城郭、寺院、家臣屋敷等がわかる地図をデザインしました。

さらに、千葉氏の家紋「月星」と「九曜」をそれぞれ配置し、あわせて8代邦胤の龍の朱印をモチーフにしました。邦胤は里見氏の侵攻に対抗しながら家臣たちをまとめていきますが、天正13年(1585年)に若くして死去しました。この邦胤の後継者争いが深刻化したことによって、小田原北条氏の氏政、氏直の佐倉進駐をもたらすことになったのです。




そして、こちらは御城印帳!
オモテとウラで、中世と近世を楽しめるようにデザインしました✨
1冊3850円です。


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御城印帳デザインの説明
今回の御城印帳はオモテに本佐倉城、ウラは佐倉城をモチーフにしました。本佐倉城は千葉氏の最後の居城です。城下は広大な城郭都市になっていました。本佐倉城の目の前には交通の要衝であった印旛浦が広がり、当時は風光明媚だったことでしょう。しかし、近世には佐倉城が築かれ、この地域の中心は佐倉へと移っていきました。
御城印帳の1冊で、本佐倉城から佐倉城へ、中世から近世へ、そんな歴史の移ろいを感じて思いを馳せていただけたら嬉しいです♡

販売情報は以下です。

※販売開始日が異なります。

○佐倉市観光協会の各案内所販売開始2021年10月30日(土曜)

・京成佐倉駅前観光案内所

千葉県佐倉市栄町8番地7(佐倉市観光協会内)

043-486-6000

8:30~17:00

年中無休(年末年始は除く)

 

・JR佐倉駅前観光情報センター

千葉県佐倉市六崎169-17

043-485-9700

9:00~17:00

休業日:12月29日~1月3日

 

・ふるさと広場売店「佐蘭花」

千葉県佐倉市臼井田2714

午前9時~午後5時

※休業日 年末年始

 

○まるごとしすい販売開始2021年11月3日(水曜)

〒285-0912

千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2 

043-376-6810

営業時間 9時~18時 

定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)

〇ネット販売

・「しすいノいいモノ」

※11月3日から開始

https://tsuku2.jp/shisuinomono

「しすいノいいモノ」ネット通販価格は、御城印帳1冊3850円(税込)、御城印400円(税込み)となります。

※別途送料500円がかかります。送料は複数冊、複数枚ご注文でも一律です。

通販に関するお問い合わせは、

まるごとしすい 043-376-6810

 

※御城印帳は歴×トキ取り扱いなし。

※御城印は歴×トキ取り扱いあり。(10月30日販売開始)
料金等は歴×トキで取り扱っているその他の後城印取り扱いと同じです。

 



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2021年10月 4日 (月)

長部城に標柱!!

千葉県旭市の長部城に標柱が設置されました✨
ここは千葉氏に属した松澤氏のお城です。永禄年間の正木氏の下総侵攻では、周辺が戦いの舞台になってるのでこのお城も緊張感に包まれ、何かしら城として機能したと思われます。

この長部城は今は大原幽学記念館になっています。

大原幽学は長部城の要害地形が気に入り、ここに居宅を構えた幕末の農業指導者であり、思想家であり、日本初の協同組合を作った人物です。

ぜひ、長部城に出かけて、一緒に大原幽学記念館もお楽しみください!


攻城団さんにも記事にしていただきました!!
現地の標柱写真も掲載いただきました♡
【旭市】長部城に標柱が設置されました - お城ニュース - 全国で開催されるお城や歴史関連のイベント情報まとめ (kojodan.jp)

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