新作御城印発行のお知らせです。
千葉県匝瑳市「米倉城」です。
7月4日から販売開始です。
販売情報はこちら。
〇そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)
千葉県匝瑳市八日市場イ137-1
電話番号 0479-73-5015
営業時間9時から18時
年中無休
○まるごとしすい
〒285-0912
千葉県印旛郡酒々井町飯積 2-8-2
043-376-6810
営業時間 9時~18時
定休日 毎週月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は営業で、翌火曜日がお休みになります)
米倉城の説明はこちら。
ぜひ、現地に行ってみてください。
地形と今に残る遺構から歴史を楽しめます✨
《米倉城説明文》
米倉城は九十九里平野に面した台地上に築かれた城で、現在の西光寺を中心とする一帯が城跡にあたります。かつて、西光寺と隣接するように等明寺という寺があったとされ、いまは等明寺墓地として、お墓が残っています。この墓地一帯が米倉城の主郭だと考えられています。
米倉城は、千葉一族椎名氏の居城と伝わっています。椎名氏は、借当川の南側に広がっていた匝瑳南条荘を領した一族で、『千葉大系図』によれば、千葉常重の子である胤光が千葉荘椎名(現在の千葉市椎名崎付近)を領して椎名氏を名乗り、鎌倉時代初期に匝瑳南条荘へ移ったとされています。胤光は、鎌倉時代の幕開けに大きく貢献した千葉常胤の弟にあたります。椎名氏は当初、飯倉城を本拠としたようですが、応永年間(1394〜1428年)に米倉城へ移ったと伝わっています。
西光寺の場所が、米倉城に移った初期の椎名氏の居館跡とも指摘されており、谷戸式城館の形が良く残っています。そして、前面の畷(なわて)と、その畷を挟むかつての両側には深田が存在したと考えられます。また、西光寺の谷戸が東向きで、南側の銚子街道から容易に見えないこと、さらに街道へ通じる東側の谷戸入口に水堀状の地形が残る点を踏まえると、銚子街道側に開く谷戸と西光寺の谷戸という二つの谷戸を一体的に利用し、自然地形を巧みに組み合わせて防御性を高めた城館として構想されていたことがうかがえます。
現在の等明寺墓地がある主郭部分は後世の改変を激しく受けていますが、土塁や空堀が断片的ではあるものの、良好に残っており、とくに北西隅に残る土塁は幅が広く高さもあることから、櫓台であった可能性も指摘されています。断片的に残存する土塁は、本来は連続していたと推察され、また、土塁の外側には空堀が確認できます。この空堀は、大部分が埋められているため当時の規模は不明ですが、主郭を大きな土塁と空堀が囲んでいたと考えられます。さらに、台地の南側から東側にかけての崖部分には、切岸を含め堀切や竪堀、腰郭などの遺構が確認でき、城が広範囲にわたって構築されていたことがうかがえます。これらの遺構から、米倉城は戦国時代終末期に大規模な改変を受けている城と考えられています。
【御城印デザインのご説明】
米倉城跡にある西光寺は、応永34年(1427年)建立と伝わり、椎名氏の菩提寺でした。江戸時代には関東真言宗の代表的な5ヶ寺のひとつに数えられ、高い寺格を持ち、交代で江戸城に登城し、将軍に年賀の祝辞を言上するほどの隆盛を誇りました。
米倉城が築かれた台地は、西・南・東の三方は急な崖となり、北側のみが台地続きとなっています。御城印には、この台地の地形が分かる地図を描きました。そして、米倉城の範囲は、等明寺墓地がある台地だけではなく、西光寺の存在する谷戸全体と考えられることから、御城印には西光寺の山門をデザインしました。また2つの谷戸や台地と銚子街道との関係が分かる地図を描き、さらに千葉一族としての家紋である「九曜紋」と椎名氏独自の家紋「丸に剣片喰」をモチーフにしました。
