2024年4月29日 (月)

城組アワードの動画完成「細越城」

萩原さちこさんと運営している城組で、「城組アワード」という、城の整備や保存活動に取り組んでいる団体や個人を応援するプロジェクトをやってます。

今回は雪解けを待って、私ひとりで、応募くださった新潟県柏崎市の細越城の斎藤さんに会いに行ってきました。
企画、撮影、編集、構成全部ひとりで頑張りました✨
結構頑張りました。
ふぅ、達成感✨
 
なかなか楽しくて素敵な動画になったかなと思います♪
15分程度なので良かったら観て下さい😻
とにかく細越城がすごい!斎藤さんがすごい!

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2023年11月28日 (火)

産経新聞埼玉県版コラム「プロローグ・埼玉県内の歴史舞台に出陣!」前後編

産経新聞埼玉県版ネット記事になったので前編後編全文読めます。
今回はプロローグです。来月からは1城づつ、お城の紹介コラムになります。
お城だけじゃなくて、周辺の歴史を楽しめる出陣型(笑)コラムにするつもりです。
文字数の制限などがあるので、全部は書き切れませんが行ってみたい!見てみたい!と思っていただけるように書こうと思います♪


埼玉県内の歴史舞台に出陣!(前編)
 
埼玉県内の歴史舞台に出陣!(後編)

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2023年6月 7日 (水)

東秩父村&小川町の歴史ツアーレポ

東秩父村&小川町でツアー✨
今回は安戸城の御城印発行記念ツアーで、安戸城をふくめた歴史巡りツアーです。
ちなみに安戸城は小川町のお隣の東秩父村、主催の「おいでなせえ」は小川町の会社です。
おいでなせえは、地域の観光資源を活かして地域を活性化させる取り組みを行っています。
なので、自治体またぎで色々と面白い企画ができるのです。
廃校の活用事業なども行っていて、ますます小川町が面白くなりそうな予感✨

東武東上線の小川町駅に集合したらバスでGO!
まずは安戸城に向かいました。

安戸城は技巧的な山城というような城ではないのですが、中世の薫りがプンプンとする場所です。
安戸は古くは武蔵七党丹党の大河原氏の本拠だったと伝わります。
今は「安戸」といいますが、中世は「大河原谷」という名前で呼ばれていたそう。

15世紀初頭まで大河原氏がここを本拠としていたようです。
応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱の後に、禅秀方についた丹党主家中村氏が衰退すると、大河原氏も安戸周辺から存在が消えていきます。しかし、大河原氏が創建したとされる浄蓮寺が今も残り、その歴史を伝えてくれます。

大河原氏の館があったのが現在の浄連寺ともいわれています。
周辺には「御堂」「宿」「在家」など、中世からこの谷に街道が通り、宿が形成され、大河原氏の寺院などの宗教施設があったことが偲ばれます。

戦国期になると安戸は、比企郡に勢力を広げ松山城を居城とした上田氏が領します。
そして、上田朝直は浄蓮寺に厚く帰依し、大檀那となりました。以降、浄蓮寺は上田氏の菩提寺として存続し、それを受けて安戸谷は上田氏にとって重要な地域となっていったのです。


城だけじゃなくて地域を巡るととても楽しいところ。

このかつての大河原谷、現在の安戸谷の入口に築かれたのが安戸城です。
谷を守るため、街道を見張るため、さらには街道と並行して流れる槻川を見張るための施設だったのでしょうか。

安戸城はここから登ります。

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結構急傾斜!頑張って登ります。
安戸城は頂上の主郭の周辺に腰曲輪や堀切が巡らされていて、コンパクトながら山城の遺構が楽しめます。
麓には街道が走り、さらに尾根伝いに腰越城方面などへ山間部の道が延びています。
安戸(かつての大河原谷)にとって大事な場所であることが分かります。
谷の歴史を想像すると楽しいですね♪

ちなみに『関八州古戦録』には、安戸城の名前が登場しますがそれには「扇谷上杉氏の家臣安戸城主上田左衛門太夫」と書かれています。しかしながら、現在「腰越城」と呼ばれている城のことをかつて「安戸城」と呼んでいたといいます。
かつては、いまの安戸が大河原で、いまの腰越が安戸だったのです。ややこしいー!
ということで、『関八州古戦録』に書かれた上田氏が城主だったとする安戸城は、現在の腰越城にあたると思われています。
では、安戸城を下山して浄蓮寺に向かいます。さらに谷の奥へ!


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向かい途中の大通り沿いに板碑がそびえ立っています!
車だと気づかないかも。歩いてると笑っちゃうくらいの光景。
天正17年(1589年)に上田氏が家族の弔いのために造立した供養碑「千部供養板碑」です。



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裏に回ると、美しい板碑!
全然さっきのと違う。惚れ惚れ。
梵字の薬研彫りの美しさよ♡
なんと、「建武」って書いてあるー!
すごーい。感動します。
眼福眼福✨



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ちょっと歩くとまたコレ♡
「3歩歩けば板碑にあたる」というのが過言でないほどに、板碑がたくさん!
楽しすぎます。気づけば写真が板碑だらけ笑
建治2年(1276年)ですってよ!




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そして浄連寺に到着。
ご住職がお話してくださいました。

浄連寺は大河原氏が日蓮の弟子日朗を開山として創建したとされます。
戦国時代には武蔵松山城主上田氏が厚く帰依し、菩提寺としました。



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上田氏の墓所が境内に残ります。
浄連寺をあとにして、東秩父和紙の里へ。




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おぉ!大歓迎してくださってる-!
わーい。



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お昼ご飯の前に和紙すき体験を✨
ここで生産される和紙は「細川紙」とよばれます。
細川紙は秩父郡東秩父村と比企郡小川町で伝承されている伝統的な手漉き和紙です。
国の重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

宝亀5年(744年)の正倉院文書に武蔵紙の記録が見られることから、この地域の和紙生産がその頃から行われていたと考えられています。中世期の和紙については不明ですが、江戸時代になると、「大河原紙」「小川紙」と呼ばれ、さらに江戸時代中頃には「細川紙」の名称が登場しました。
「細川」というのは、細川村(現在の和歌山県髙野町)で漉かれていた丈夫な和紙の名前です。上質な和紙は、「細川紙」と称されるようになり、東秩父村の和紙も「細川」という名で生産され、
江戸へ出荷されました。
これにより、この地域は和紙の一大産地として発展したのです。




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お昼ご飯をいただいて、




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公園エリアを散策して、


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和紙の里にお越しの際には敷地内の歴史館にも立ち寄ってください。
ここには刀の複製展示があります。
大河原氏が「秩父大菩薩」の銘を彫らせた短刀(後に上杉謙信所有となったとされる)や、大河原氏が播磨国に領地をもらって広峯神社(姫路市)に奉納した太刀の複製が大河原氏出自のここに納められています。歴史ロマン感じますね✨

盛りだくさんの午前中が終わり、美味しいお昼をいただいたら午後も楽しく出陣!

中城に向かいます。




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中城到着!
櫓台が見事!
今はお堂が建っています。


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中城は八幡台と呼ばれる台地の突端に築かれました。
中城の築城に関する詳細は不明ですが、地元の伝承では鎌倉時代には猿尾(ましお)太郎種直の城だったと伝わります。
建武年間(1334年~1336年)には斎藤六郎左衛門尉重範の城だったとも伝わりますが、現地に残る城郭遺構は明らかに戦国時代の姿ですね。
主郭の周囲には二重土塁を巡らせています。
折れをともなう堀と土塁は見事です。




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中城は、『太田道灌状(文明6年・1474年)』に書かれた「上田上野介在郷の地小河」として登場する上田上野介の居城の可能性が高いとも考えられています。
比定されるかはともかくとして、「小河(小河)」という場所が15世紀、16世紀に重要な地域だったことがよく分かりますね。


中城は仙覚律師ゆかりの地でもあります。
仙覚律師は鎌倉時代初期の天台宗の僧です。

『万葉集』の研究に大きな功績を残しました。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の命により、万葉集諸本を集め、再校正しました。
後嵯峨上皇にこれを奏上しました。

晩年は比企郡麻師宇(ましお)郷に住んでいたようです。
麻師宇⇒猿尾⇒増尾
字の変遷はありますが、中城の周辺が「ましお」なので、仙覚律師ゆかりの地とされ、石碑が建てられています。



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お次は大梅寺へ。
大梅寺は仁治3年(1242年)に、猿尾氏が都幾川村の霊山院(慈光寺系)の栄朝禅師を招いて開いたとされます。
鎌倉幕府滅亡の際、将軍守邦親王が当地に下向し病没したといい、大梅寺で葬ったという伝承が残ります。
その後、永禄4年(1561年)の兵火で寺院が焼失。江戸時代の初期に再建されたといいます。



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緑泥片岩の石積みが素敵✨
そしてそして、とっておきの板碑も!





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じゃん!!

境内には珍しい2連の板碑が残っています。県内に12基あるうちの1基です。板碑には暦応4年(1341年)の銘が
あり、夫婦の供養塔ですが、誰を供養したものかは不明です。

さらに面白いのは、これ転用されているんです。
裏には江戸時代に供養塔として使われた跡が!
当時の宗教的なあり方の一端が垣間見えて面白い。

ほかにも室町時代の卵塔なと、貴重な石造物が残っています。


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クライマックスの八幡神社と古墳へ。
鶴岡八幡宮を勧請した神社です。創建詳細については諸説あります。

・鎌倉街道が近くを通っているため、頼朝が立ち寄った際に勧請した

・在地の武家猿尾氏が頼朝に忠誠を誓うために勧請した

・鎌倉幕府滅亡の際に、守邦親王がこの地に逃れてきて、匿った猿尾氏が親王のために勧請した

諸説あるものの、この地が鎌倉と密接だったことが偲ばれる伝説といえます。




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境内には鳩が狛犬のように並んでます。
座っている鳩と、立っている鳩と。
口を開けてるのと、閉じているのとおなじように対比されています。
ここが古くから、鎌倉八幡宮と近しいという記憶が土地に残っていたかがわかる面白い鳩の石造物だと思います。




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最後は、八幡神社の脇の穴八幡古墳へ。
7世紀に築かれた古墳時代後期の方墳です。周囲には2重に周堀が巡っていて、県内最大級の方墳です
緑泥石片岩など結晶片岩の一枚石を組み合わせて造られていて、内部は前室と後室の2室に分かれています。
この古墳に葬られた人については、全くわかりませんが、かなりの権力を持っていたと推測されます。




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現地に残る周溝の跡。




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緑泥片岩の石室♡
穴八幡古墳でツアー終了です。
バスで小川町駅に戻り、解散となりました。



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小川町駅前には「おいでなせえ小川町駅前店」があります。
店内には地元出版社から発行されている書籍や御城印もあります。

是非お立ち寄りください。



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地形を感じて欲しくて、アップダウンを敢えて繰り返し、バスツアーなのに2万歩以上歩きました
心地よい疲れでした^_^

おいでなせえ駅前店には地元の名産がずらり。

特にお酒がたくさん♡
たくさん歩いて喉が渇いたのでビールを。
楽しい一日でした♪

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2023年4月28日 (金)

岡山県井原市歴史ツアーレポ・後編

岡山県井原市歴史ツアーレポ・後編です。
前編では、北条早雲と家臣の痕跡が残る「大岩刻」「新九郎薬師」をご紹介しました。
後編では、備中伊勢氏の居城で、北条早雲生誕地とも伝わる高越城に出陣します~!

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登り口から進むこと、約15分。
「早雲産湯の井戸」が見えたら、すぐ頂上です。

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主郭からの素晴らしい眺め!
高越城は標高約170mの高越山に築かれ、南側には旧山陽道と小田川を一望できる水陸交通の要衝地です。
また、笠岡方面から北上する街道と旧山陽道が合流する地点も高越城から確認することができますし、さらに東は矢掛方面、西は高屋方面を望むことができます。
周囲の要所がすべて見渡せる絶景!!


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高越城は主郭から伸びる尾根上に曲輪が配置されていて、現地には数段の平場、石組みの井戸、堀切などの城郭遺構が良好に残っています。
地元の伝承によると、高越城は宇都宮貞綱が元寇のときに九州に向かう際、山陽道の抑えとして築いたことに始まると伝わります。
その後、南北朝期には高越城、もしくは高越城の周辺で戦いがあったことが史料で確認できます。
正平6年(1351年)の史料には「於備中國荏原高越城」と書かれているので、少なくともこの頃には何らかの施設が築かれていたのでしょう。


享徳2年(1453年)には室町幕府の政所執事家の庶流にあたる伊勢新左衛門が高越城を居城としていたので、備中伊勢氏の居城だったことが分かっています。
この備中伊勢氏の出身なのが、伊勢新九郎盛時、出世してからは伊勢宗瑞、通称北条早雲です。



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ポールの土台も北条氏の家紋「三つ鱗」!



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ツアーで用意していただいたお弁当も三つ鱗のカツ!!



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井原市のゆるキャラ「でんちゅうくん」も駆けつけてくれました✨
口癖は「モフモフ」笑
でんちゅうくん自体も、モフモフしていて可愛い♡

ツアー当日は、保存会のみなさまも駆けつけてくれて、参加者を歓迎してくださいました。

なんと、山頂に椅子やベンチを用意してくれて。
車で運ぶものの、最後は大変な階段を上らなくてはいけません。なのに、「皆が喜んでくれるなら」と、椅子やテーブルを担いで上げてくれました。まるで、ランチタイムは天空のレストランさながらでした✨
またお邪魔させてくださいー!ありがとうございました✨



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高越城はとてもきれいに整備されています。
北条早雲の見た景色かも?!と思いを馳せながら眺める景色は感無量です。
ぜひお出かけください。
案内板も新しくなりました。
とっても気持ちの良い山城です♪

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備中伊勢氏は永禄年間(1558-1570)には毛利方として尼子氏との戦いに出陣していることが確認されていて、永禄9年(1566年)には当主伊勢又五郎が尼子攻めに従軍し討ち死にしたと伝わります。

その後、備中伊勢氏が滅びると、元亀2年(1571年)には高越城は毛利方の城となっていたことが史料上で確認できます。
この頃は宇喜多領である備前方面へ兵を進める際の駐屯地として機能していたと考えられています。

高越山城の南西側の尾根上には山上山城、南東側の尾根上には横畑城が築かれ、地元では出城だったと伝わっています。
確かに山頂に行く尾根上に築かれていて、城下集落との連携が考えられます。
こちらも合わせて行ってみてください。

そして、根古屋集落に下山すると、このような風景✨


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このあたりに家臣団の屋敷が建ち並んでたのかも!?と想像すると楽しい風景が広がっています。
ゆるやかな雛壇状の美しい谷です。
高越城は、周辺の地形や景色、寺社や史跡からまる一日楽しめる素晴らしいお城です♪
では、次は備中伊勢氏の菩提寺「法泉寺」に行ってみましょう~。




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法泉寺山門。
法泉寺は伊勢盛定が古㵎仁泉和尚を招いて永享2年(1430年)に創建したとされる曹洞宗寺院です。
境内には伊勢盛定、早雲(盛時)の墓が残っています。
この山門は伊勢盛定が創建した当時の門だと伝わっています。
早雲もこの門をくぐったのでしょうか。ワクワクしますね。



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お城のような堅固な造り。
早雲は法泉寺の開山和尚である古㵎仁泉和尚から学問や兵法、儀礼儀式等の教養を学んだとされています。
ここで勉学に励んだのですね。




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法泉寺には早雲が伊豆国修禅寺から持ち帰り奉納したと伝わる「摺り袈裟」や、早雲の肖像画などの貴重な文化財が寺宝として伝わっています。さらに文明3年(1471年)に早雲が発給した禁制が残り、これは早雲が備中伊勢氏を出自とすることを決定づけた貴重な史料です。
高越城で生まれ育ったとされる早雲は、8代将軍足利義政の弟義視に仕え、その後は9代将軍義尚の奉公衆となりました。そして、駿河国守護今川家のお家騒動を収束させるなどの活躍をし、さらには伊豆国や相模国を手中に収めるほどの勢力へと発展しました。早雲以降5代に渡り、関東に覇権を打ち立てたのです。そんな早雲出自の高越城と、ゆかりの法泉寺。ぜひ、セットで訪れて欲しい史跡です。



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法泉寺には早雲と、父盛定のお墓があります。
そして、墓所には興味深いものが。
五輪塔なんですが、このあたりの五輪塔は「こごめ石」を使っているとのこと。
こごめ石は、結晶の粒で形成されていて、真っ白で美しいです。写真は茶色く見えますが、肉眼で見ると水晶のようでとてもきれい。
関東とは違う五輪塔に感動~✨


次はうってかわって、井原鉄道の見学に行きます🚋
井原鉄道は鉄道好きの方々からも愛されている電車です。
「九州新幹線」「ななつ星in九州」などを手がけた岡山県出身の水戸岡鋭治氏の設計による「夢やすらぎ号」や、大原美術館とコラボした「アート列車」や、「天文王国おかやま」を象徴する美しい星空をイメージした 「スタートレイン」など、個性的で素敵な列車を走らせています。


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ヘルメット被って車庫へ~。



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アート列車の中へ。
窓には大原美術館の作品が!
とても楽しい列車です。
美術館にいるみたい♪

そして、お次は井原デニムの工場見学へ。

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井原は日本を代表するデニムの産地です。

もともと井原には300軒近くの織物店や工場があったそうです。それらの数は減ったものの、今に残った織物工場などはいつしかデニム製造をはじめました。そして、世界に誇る井原デニムが誕生したのです。
今回ツアーでお邪魔したのは「日本綿布(株)」さまの工場。
工場見学と井原デニムの歴史などもお聞きしたりと、楽しい時間でした。
お話伺ったら、ヴィトンやクロムハーツなどに生地を提供しているそう。すごい!
そんな世界的な日本綿布さまの工場を見学したり、ショップで買い物を楽しみました。
300軒近くの織物店や工場が軒を連ねていた井原の商店街はスゴイ活気だったそう。
パチンコ屋さんに、映画館、たくさんの飲み屋などが建ち並ぶ繁華街だったようです。



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と、いうことで私はGジャンを購入。
こちらは井原駅の構内のデニムショップで一目惚れして買いました♡
これからの季節にピッタリ♪


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今回のツアーでは、御城印とオリジナルトートバッグをお土産に。
参加者の皆様が喜んでくださって良かったです。


井原市さんとは、これからも何かご一緒させていただけたらと思っています。
ツアーや講座、学校授業や、市民向けのイベントなど、いろいろとできればなぁと。
井原市の山城だけでも、かなりの数がありますし、ひとつひとつ掘り起こしていったら、地域の宝がわんさか増えると思います。
地元の方の気づきにもなりますし、保存活動してくださっている方々の励みにも成ります。
そんな中、縄張り図をみせていただいて、行きたくて仕方なかった高屋城に連れて行っていだきました!

 

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これがすごかった!
多少の整備はできているので、活用方法はいくらでもありそう。
麓からのルートさえ、計画的に考えれば井原市の人気スポットになりそう。



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20本ちかくの竪堀が入っていて、尾根を遮断する大堀切も見事!
ウハウハ言っちゃうようなダイナミックな遺構がタマりません。
文献では「高屋要害」いう名で登場し、毛利氏と山名氏(山名氏に属した藤井氏)との戦いに関連して築かれたと思われます。



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高屋城には井原市観光交流課の方、文化財課の方、地域の議員の方、さらに山陽新聞の記者さんたちと登ってきました。
高屋城があまりに素晴らしくて、探検調査隊は盛り上がりました✨


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山陽新聞のN記者にも素敵な記事を書いていただきました。
「薫る戦国時代」
このフレーズ最高です!!
今年度、来年度は高屋城の掘り起こしなどができたら幸せなことですね♡




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井原市は那須与一の歴史も埋もれています。
南北朝、室町、戦国時代には那須氏が勢力を広げ、寺社の整備や築城を行っています。
まだまだ井原市の歴史の魅力を私も知りたいですし、知ったらそれをたくさんの方に伝えたいなと思います。
井原市でのお仕事、とっても楽しかったです。
ありがとうございました!!


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写真は那須氏菩提寺「永祥寺」と、那須氏の城「小菅城」
どちらもツアーで行きたいな。

5月3日に小田原城で「北条五代祭り」が開催されます。
井原市もブース出展します。
私も13:00-17:00にブースにいます。
良かったらお立ち寄りください。
井原市のこと、早雲のこと、お話しできればと思います✨

小田原北条五代祭りに参加します♪: 山城ガールむつみの出陣ノススメ (cocolog-nifty.com)

 






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2023年3月28日 (火)

那珂川町ツアーのレポ

栃木県那須郡那珂川町でツアーをやらせていただきました。
今回のツアーは、那珂川町観光協会さんからお声かけいただいたのがきっかけです。
「町の新しい観光資源を掘り起こしたい!」という想いから、観光協会さんが町内の城を調べて歩いたそう。
そうしたら、町内にたくさんの山城があることに気づき、私に連絡を下さいました。

那珂川町の山城でツアーが可能か?人が来てくれるような山城なのか?
そんなお問い合わせをいただいたので、那珂川町に伺って現地を案内していただきました。

そしたら…楽しい!中世の雰囲気を感じられる景観。


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那珂川町は栃木県の北東に位置し、那珂川と八溝山地に囲まれた自然豊かな土地です。八溝山地は茨城県との境になっていて、中世においても国境の地にあたるため、重要な場所だったと推察されます。
さらに、東山道が近くを通っていて、北に向かうとすぐに白河の関です。

那珂川は太平洋に注ぎ、河口には古くからの大湊「那珂川湊」があります

このように、太平洋航路に繋がる那珂川町内には、たくさんの古墳が築かれ、古代から水上交通、陸上交通が発達したエリアであることがわかります。
豊饒な地だったため、朝廷の穀倉地帯でもあったそう。



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さらに、なんと。
こんなものまで!
「古代産金の里」の称号!

747年の奈良の大仏造立の時にここから金が発見され、ここから奈良に金を運んだそう。
大仏造立の資金にもなり、大陸文化との交流の際の資金にもなったとのこと。
日本最古の産金の地!
すごーい。那珂川を使って、舟で運んだのかな。

と、いうことで那珂川町は色んなコンテンツが埋もれています✨
楽しい!!

そんな那珂川町を古代には豪族那須氏が領し、中世になると宇都宮氏が領しました。
宇都宮氏の庶流の武茂氏や松野氏が那珂川町に館や城を築いて支配拠点としました。
そして、佐竹氏、那須氏らの勢力との最前線になったのです。
那珂川町にはたくさんの山城があります。
今回のツアーでは、台の館と武茂城をめぐりました。

では、行ってみよー!
いざ、出陣!


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ツアーの前日は大雪で。
開催が心配でしたが、むしろ幻想的で素敵な景色が楽しめました✨
貴重な体験♪


「道の駅ばとう」で待ち合わせしたら、まずは松林寺へ。
ここは宇都宮氏の庶流松野氏ゆかりの寺です。
松野氏は鎌倉時代に承久の乱などでも活躍し、伊予国守護にもなった有力御家人宇都宮頼綱の孫、業義がここを領して松野氏を名乗ったとされます。
戦国時代にもここを拠点としていて、松林寺を取り巻く山陵部に松野城を築きました。
今回は山城には上がらず、お寺と、麓に築かれた台の館を訪れました。

 

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松林寺。
山門から本堂の高台を眺める。
館がここでもいいくらいの要害。
カッコイイ地形。


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松林寺は曹洞宗寺院。
自伝によると、松林寺は天正18年(1590年)に創建されたとされていますが、その前から前身になる寺があったとも伝わります。
境内には本堂を取り巻くように、腰曲輪のような平場が数段確認できます。
お墓には松野氏の家臣だったと伝わる氏族の名前が刻まれています。

 

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中世の石造物も数基確認できました✨
中世の残欠を見つけると嬉しい♡
お参りを終えたら、麓の台の館へ。


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松野城の遠景。
松野城は松林寺を挟むように両サイドに2つの城が築かれました。向かって左が松野北城、右が松野南城です。
その2つの城の間は「城の間」と呼ばれる谷となっています。
おそらく、その谷には街道が通っていたと思われ、さらに、その谷には「城間川」という那珂川の支流が流れています。

そして、城の麓には平時の居館と思われる方形居館が築かれていたと思われます。
その居館は「台の館」と呼ばれていて、現在でもわずかな土塁が確認できます。



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那珂川の支流「城間川」
松野北城と南城の間を流れています。
ちなみに松野北城は民地のため、現在入ることができません。
南城に関しては、松林寺から上がっていくか、山麓の二荒山神社から上がっていけます。



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二荒山神社の階段は上り甲斐があります。
結構大変(笑)

 

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台の館の土塁。
那珂川と支流城間川の合流地点の河岸段丘に築かれています。
この付近には江戸時代にもとてもにぎやかだった「久那瀬河岸」があります。

中世から川湊が存在してたのでしょう。

 

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土塁と堀に囲まれたきれいな方形居館の痕跡が残ります。
これだけで楽しい~♡
土塁とその手前の茶色い土の部分が、かつての空堀。

畑にするのに埋めてしまったんですね。


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台の館周辺には五輪塔や宝筺印塔などが残っていて、松野氏の痕跡を見ることができます。
三角の石造物には、貞和3年(1347年)の銘が入っているため、「貞和の碑」とよばれています。
「貞和」が北朝年号のため、松野氏と北朝の繋がりが想像できます。
また、この付近には「堂西」という屋号を持つ家があり、松野氏に関わる寺の存在も指摘されています。

 

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また、貞和の碑とともに、中世の五輪塔や宝筺印塔、天正16年(1588年)と慶長2年(1597年)の碑も並んでいます。
松野氏の存在をこれらの石造物から感じることができますね。

台の館は少し地味ではありますが、名族宇都宮氏の分家松野氏を知るには貴重な遺跡です。
方形居館としても楽しめますし、松林寺の台地、それを囲む南城と北城、宇都宮一族のシンボル二荒山神社、さらには那珂川と城間川の河川交通など、複合的に見るとものすごく面白いです。
中世が手つかずで残っているようで、この松野の空間、私は感動しました✨
こういう地域の魅力をもっとたくさんの人に伝えたいです。

 

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と、いうことでお昼ご飯です♪
お昼は「御前岩」でいただきました。
今回のツアー企画のために特別に作っていただきました。
豪華すぎる!!!
地のものがふんだんに使われていて、美味しかったです。
こんな素晴らしい食事を用意して下さって、感謝感激です。

 

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午後は武茂城へ!
武茂城は武茂泰宗が永仁年間(1288-1299)に築いたと伝わります。
武茂氏の最初の居館は武茂川対岸の「古館」だとするという伝承も伝わっています。
武茂城の築城当時の詳細は不明ですが、今に残る武茂城の遺構は戦国時代のものと考えられます。

乾徳寺を中心として、東西に城郭が築かれています。それぞれ、武茂西城、武茂東城ともよばれています。
松野城もそうでしたが、真ん中に谷があって、そこに寺が置かれて、寺を挟むように2つの城郭。
この地域の特徴的な築城だなと思いました。
他のお城も今度まわってみようっと。

今回のツアーは武茂西城へ。
東城は現在は荒れていて入るのが厳しいです。
将来的に整備して入れるようにしたいなぁ。

武茂城の南側には武茂川と並行するように街道が通り、交通の要衝地だったことがわかります。
武茂東城の南側に根古屋が形成されていたとされ、家臣屋敷があったと考えられています。
中世の城下を江戸時代に踏襲して整備したようです。
城下には鍵の手状のクランクなどが見受けられます。
江戸時代には宿場町として発展しました。交通の要衝ならではですね。


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城下町。いい雰囲気。


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武茂氏は宇都宮氏の庶流にあたります。
宇都宮景綱の3男泰宗が武茂の地を領し、武茂氏を名乗ったとされます。
泰宗は兄宇都宮貞綱が元寇の際に九州に赴くと、自身も同行したため、泰宗の子時綱が武茂荘を継ぎました。

南北朝期は本家である宇都宮氏と対立するものの、応永14年(1407年)には武茂氏の当主持綱が宇都宮家を継ぎました。
それにより、武茂氏は一度途絶えたため、永正3年(1506年)に宇都宮一族の芳賀正綱が武茂に入り、武茂氏を再興しました。正綱、もしくは3男の兼綱の頃に武茂城が築かれたともいわれています。

武茂氏は戦国時代には宇都宮氏に属しながらも、佐竹氏に属していました。
その後、豊臣政権下で武茂氏は佐竹氏の家臣団として常陸国大賀村に移封となりました。



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静神社から上ります。
ここもなかなかの階段。


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ただし、頑張って上ると素晴らしい遺構がお迎えしてくれます✨
見事な堀切や土塁、空堀が最高です。

これは、現地で是非体感して下さい。
また、ツアーもやると思いますので機会があればぜひ!!



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高低差がよく分かる!
かっこいい!



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ダイナミックで美しい空堀!



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広大な城なので、まだまだ歩ききれません。
何度も訪れて隅から隅まで見てみたいと思います。



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こんなですもん。1回のツアーじゃ、ムリムリ!
これは民俗資料館の展示です。冬期は閉館してます。

今回は左側の武茂西城に行きましたが、東と西で造り込み方が全然違うと感じました。

時期差なのか、用途の違いなのか?
そんなことも考えながら、またお邪魔しようっと。



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麓に降りて、曹洞宗寺院乾徳寺へ。
創建は寛正3年(1462年)と伝わっています。
武茂城の大手門と伝わる門が山門となっています。乾徳寺の参道が武茂城の大手道と考えられています。
この山門、当時から同じ位置にあるとも伝わるとても貴重な武茂城の遺跡です。

 

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乾徳寺は武茂氏の菩提寺で、境内には武茂一族の廟所があります。
武茂氏は宇都宮一族の中でも、重要な位置を占める分家でした。
宇都宮氏の当主が途絶えたときには、武茂氏から宇都宮当主が選ばれたほど。
宇都宮宗家と同じように和歌にも長け、歌人を輩出しています。
ぜひ、菩提寺にもお立ち寄り下さい。

 

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今回はモニターツアーだったので8人限定で2回開催しました。
皆さん、楽しんでくださったようで良かったです♪



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両日とも楽しかったです♪


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今回をスタートとして、歴史と山城で地域を盛り上げたいと那珂川町のみなさまが頑張ってます。
私も一緒に色々やらせていただきたいと思ってます。

今回、とても嬉しかったのがなす風土記の丘資料館の学芸員の初井さんがツアー両日とも丸々一緒に歩いてくださったこと。
一緒に歩きながら、私のガイドに補足してくれたり、質問にも答えてくれたり。
初対面と思えないほどに、なんだか息が合っていた気がします笑
とても楽しかったし、こういう発信の仕方いいなぁと思いました。
はじめてのパターンでした。

初井さんとも、今後もっと盛り上げたいね…などとお話しさせていただき、今後にますます期待が膨らみます。
那珂川町、熱くなりそう!🔥
頑張りたいです🔥

 

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那珂川町は便が悪いです。最寄り駅の氏家が遠い。バスがない。
なので、このツアーをはじめの一歩として、ツアーの時は宇都宮駅か氏家駅に送迎バスを出すなど、拡大していきたいと思います。
そんな話を那珂川町観光協会さんと話しました。
写真の方は観光協会の山口さん。
山城が町のコンテンツにならないかと、模索された方です。
声を掛けていただいて良かったです。

今後継続して、那珂川町で山城をテーマに町おこしできたらいいなとワクワクします。
初井さんとトークショーとかいいな。やりたいな。
またツアーもやりたいな。

と、いうことで那珂川町にぜひ足をお運び下さい✨



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ツアーにはケーブルテレビも来て下さって、地元の方にツアーの様子を届けてくれました。
地元の方が、興味もってくれると良いな。

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